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what-is-so-funny-about-standardization.md

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(What's so funny 'bout) 標準ってなんだろう。標準とはどうあるべきなのか。

これは、https://hackpad.com/Whats-so-funny-bout-standardization-MoeFzJpn3fo のバックアップです。

タイトルの元ネタは、ふたたび Elvis Costello バージョンの(What's So Funny About) Peace, Love and Understanding です。参考:http://www.rollingstone.com/music/lists/the-500-greatest-songs-of-all-time-20110407/elvis-costello-and-the-attractions-whats-so-funny-about-peace-love-and-understanding-20110526

この記事の発祥は、Facebook のコメント欄です。

利害関係が錯綜する多様な組織間でのコラボレーションを成立させるもの、それが標準

「標準ってなんだろう。標準とはどうあるべきなのか。」という問いに対して、良好な理解を得る作業はとても困難であると感じているのですが、私は深見先生の博士論文が最も迫真であると感じました。

深見先生のお考えについて簡明にまとめられた記事を見つけたので共有します: https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/6/4/6_288/_pdf

標準ってなんだろう

先生の言葉を借りて私に書かせれば、標準とは「利害関係が錯綜する多様な組織間でのコラボレーションを成立させるもの」ではないかと感じます。

標準とはどうあるべきなのか

そういった標準はどう作るべきなのか、その方法論として W3C さんの用語では「実装主義」があり、「rough consensus, running code」がある。

もちろん、分野によって方法論は少しずつずれるでしょう。ウェブ技術の世界で実装者の幸福を目指す場合には、実装主義や rough consens, running code がベストプラクティスになっているという現状はあると思います。それで幸せになっている人は、たぶん多いのではないかと思います。

みんな違ってみんないい

標準化の場には、それぞれ違いがあります。典型的には、実際の標準化作業において本当に実装者が主役になっている場合や、いわば標準化自体が政治や外交や経済闘争の舞台になっている場合があります。当然ながら、その違いによって、それぞれ事情は違います。

そして、決して後者は無意味であり汚くて、蔑むべきであるもの、というわけではない。それはそれで、ステークホルダたちにとっては重要な世界です。ただ、場の内容と目的に応じて、ステークホルダの追求している価値そのものが異なることに留意する必要がある。標準化界隈には絶対善など存在しない。私はそんな風に感じています。いわば、標準化の場、みんな違ってみんないいのです。

自分がどう体捌きするか考えることこそ重要

みんな違ってみんないい標準化の場から出てくる「標準」は、それぞれの標準化団体に参加する、利害関係が錯綜する参加組織間のコラボレーションの反映です。いうまでもなく、その標準化団体の性格と、まさに利害そのものが当該標準に定着されています。

その標準に対して、ほかでもない「あなた」がどう対応するか、それこそが一生懸命考えるべきことです。それは、「あなた」が標準に準拠するか考える立場でも、標準化活動そのものに参加する立場であっても同じです。標準とは主体と主体のコラボレーションである以上、「あなた」自身が一体どういう主体であるのか、自らの主体性を分析することこそが、あなたの当該標準に対する行動を決めるでしょう。なお、自らの主体性を分析するとは、なにか「自分探し」のような夢見がちなものではなくて、他の主体との関係性の全体をよく把握し、それをどのように変化させようとしているのか立案することそのものです。

行動にあたっては、ナイーブではなくプラクティカルに対応しなければ、と思います。標準をナイーブに崇拝してもダメ、でも技術的にダメな標準を見つけたとしても、それに怒りを覚えて挑戦するのも、風車に突撃するようなことであり、やはり愚かな行動です。

標準化項目、ドラフト、確定した標準、いずれにせよその具体的な対象対象を適切に技術評価して、自分はどう体さばきをするのかしっかり考えることに時間を割くのが良い、と思います。クールにやれ、ということですね。

Disclaimer

UMLとXMLの跋扈する世界でかつて仕事をし、Rubyから救済を得てJavaScriptに安息を見出している人間としては、そんなことを思います。

Appendix in progress

「みんなのため」、「全体の利益」、「相互運用性」、「後方互換性」といった、それ自身は正しい言葉って、酔わせる成分があって、思考停止とか人民裁判のようなものを誘導する場合があるんですよね。

標準化活動というパーティの中で、酔うことなく、また酔っ払いを殴りつけるようなことなく、冷静であり続けることが価値を生むために必要で、それって自らの主体性を分析し特定し保ち続けることによってできるんじゃないかなと思っています。

エルビス コステロの歌に合わせると、平和、愛、理解みたいな言葉を馬鹿にする奴も許せないし、逆にそう言った言葉に酔って思考停止している奴も許せない。リアルに自分の周りにおいてプラクティカルにそういう言葉を考えろよ、みたいなことが、標準化という言葉にも適用されるんじゃないかな、みたいな感じですね。

LICENSE & CONTRIBUTING.md

CC0で行きましょう。また、勝手に書き換えていただくのを、楽しみにしています。