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ファイルの王 - どのように Github がフリーソフトウェアを支配したか。あとオマケ。
ワイアードエンタープライズ ロバート・マクミリアン著
サンフランシスコ発 - GitHub の創業者が去年、今流行りの SOMA地区のロフトに引っ越した時、最初にしたことは改装だった。
暖炉、豪華な革張りの椅子、スコッチが隠されている木製の地球儀 ― 大きなオフィスを豪華な偽物の重役室へと作り替えたのだ。壁にかかっているのナポレオンのような格好をした五本のタコの足があるネコの絵である。GitHub はこのネコを「オクトキャット」と呼んでいる。
実際、ここは本当の重役室ではない。ここは誰でも入ること出来て、仕事をしたり遊んだりできるミーティングルームなのだ。
GitHub の共同創業者で CIO のスコット・チャコンは「誰でも友達を連れてあの部屋に入って見せていいよ」と言った。
チャコンと CEO のクリス・ワンストラス、それから他の経営者も個室を持たない。オープンはフロアで作業をするコーダーの隣に座ってモニターを睨むほかの社員と仕事をしている。もちろん、LCD Soundsystem の爆音の音楽を聞きながら。
GitHub のギークっぽい 1300 平米のロフトは会社の目的を反映している。それはプログラミングの民主化だ。GitHub.com はギーク版Facebookの最有力候補である。ネコの動画をアップロードするかわりに、ソフトウェアをアップロードするのだ。誰もアップロードしたプログラムにコメントをつけて、動かしてもっと良いものにすることができる。そうすることで、プログラミングを民主化して、新しい支配の手法を生み出せるのである。GitHub はソフトウェアの書き方を揺るがし、プログラムの作り方を無政府状態の、もっと楽しいもっと生産的なものにしたのだ。
すぐにソフトウェア業界は GitHub の虜になった。GitHub には現在 130 万人以上のユーザー、そして 200 万以上のレポジトリがあり、なんとこれは2年前と比べて 8 倍に相当する。もしプログラムの断片やウィキページを含めるなら、400 万以上のレポジトリになるのだ。2 年前、 GitHub は 8 人のチームで、会社の会議はサンフランシスコのカフェで開いていた。
2011 年の初めまでには 14 人の「ハバーナッツ」になり(GitHub の社員はこう呼ばれている)、そして 1 年後には 57 人になった。7 月にはブログシステムの運営会社 SixApart のオフィスのあたった場所に引越しをした。GitHub は凄まじい勢いで成長した。しかも、まだベンチャーキャピタルからの投資を一切受けていないのである。
もし一度でも GitHub のことを聞いたことがあるなら、既に GitHub がそこらじゅうにあることに気がつくだろう。GitHub はあるときは巨大なウェブサイトの支えるソフトウェアを管理し、またあるときはフォーチュン500に載るような巨大起社の秘密のプロジェクトを動かしたりしている。GitHub はオープンソースのソフトウェアをまさにオープンソースたるものにしてきた。しかし、それだけにとどまらない。ウェブページの制作、DNSの解析ツールや、国の法律さえも民主化しようとしているのだ。
「GitHub はみんなの開発手法を変えてしまったんだ。」GitHubのCTO、トム・プレストン・ワーナーは言う。「みんなにそれは難しいものじゃないって気づかせたんだ。」
Gitは欲望のスクラッチ
他のうまくいっているギークなプロジェクト同様、Githubはプログラマ自身の欲望のスクラッチから始まった。5年くらい前、ワンストラスと同僚のプログラマP.J.ハイアットは共にテクノロジーニュース&レビューサイトであるCnetにコードを放りこんでいた。彼らはRuby on Railsを選択していたが、それはウェブアプリケーションを簡単に作るためのプログラミングフレームワークだった。
ワンストラスとハイアットは自身のサイトをCnetで作るに従って、Ruby on Rails自身にたくさんの改善を施すことになった。しかし、それらの変更をオープンソースのプロジェクトに統合して戻すことがそれほど簡単ではないことに気づいた。then-dominantモデルのオープンソース開発によって、Railsはプロジェクトのソースコードに「commit」する権利を与えられた信頼あるプログラマ集団によって管理されていた。彼らの変更を中央のコードに加え様と思うと、ワンストラスとハイアットは信頼されたプログラマ達にせがみ、自分達の変更が価値あるものであることを納得してもらう必要があった。それはしばしばコードを書くことよりもやることが多かった。
彼らだけが、信頼された門番によるオープンソースモデルに悩まされている開発者ではなかった。10年前、リーナス・トーバルズは、自身がLinux OSの門番として招待した人達の管理役に苦労していた。始めは、トーバルズがヘルシンキ大学のウェブサイトにLinuxを置いていた。もし誰かがコードにバグを発見したら、彼にeメールで変更したファイルを送っていた。もしトーバルズがそのメールを読んで変更点を気に入ったら、彼はそれをLinuxに組み込んでいた。しかしトーバルズはメールを読まないことで有名だったので、プロジェクトの人気が出るに従って、たくさんの意見が見過ごされる様になった。
これはオープンソースソフトウェアの小さな汚れた秘密だった。平均的なフリーソフトウェアプロジェクトは、大量のコードを持っているが、そのほとんどのコードが実際には使われることはない。カジュアルなユーザーにとって、彼らの変更点を開発者に見せることも、オープンソースコードベースにマージして戻すことも、しばしば難しすぎた。
リーナス、2度目の到来
そこで2005年にトーバルズはGitという、ソフトウェアプロジェクトの管理という面倒な仕事を無くすためにデザインされたバージョン管理ソフトウェアを作った。Gitを利用すると、誰でも自分の持っているバージョンのLinuxを好きにいじくり回す事ができ、ーはっきり言えば他のソフトウェアプロジェクトであってもー、そしてボタンを押せばそれらの変更をトーバルズや他のみんなに共有することができる。そこには門番はいない。実用的に言えば、トーバルズは誰かがLinuxプロジェクトの代替を簡単に作れるツールを創りだした。技術用語で言えば、それは「fork」と呼ばれる。
1990年代を振り返ると、forkすることは悪いことだと考えられていた。それはこれらの矛盾から作られていた、互換性のないUnixである。誰かがどこかで自分のLinuxのforkを作ったら、そのOS上では同じプログラムが同じように動かなくなってしまうのでは、という大きな恐怖が一時あった。しかし、Gitの世界ではofrkすることは良いことである。そのトリックは人々の改善作業がコミュニティに必ず共有されるということだ。人々にプロジェクトをforkしてもらい自分でいじくり回してもらうことは、コードを触る権利のある数人の信頼ある人々の間だけに完全に閉じるよりもずっと良い。
ポートランドでは珍しい晴れた2月のある日、トーバルズは彼のオフィスでWiredに向けてGitのデモを行う。kernelの中で問題となりうる同じコードに対して、2つの異なる手法で修正する新しい提案を彼はすばやく見つける。
昔のやり方は「完全な新しいブランチから始めるのは難しい、なぜならyou generally need to convince the people involved in the status quo up-front about their need to support that radical branch」とトーバルズは言う。「対照的に、Gitは許可を尋ねることなくともかく"やってみる"というのを簡単にしていて、それから戻ってきて結果を見せるーみんなに"僕はこんなことをやったんだ、僕のやり方が良いってことをたくさん見せられるよ"って言えばいい」
Linuxのために作られたけれども、Gitはすぐに全ての巨大なコードベースを管理する大規模な組織にとって神様からの贈り物となった。今日では、Facebook、Staples、Verizon、そしてMicrosoftまでもがユーザーである。GoogleではGitがあまりにも重要なので、会社から濱野純ー彼はトーバルズからプロジェクトを引き継いでGitのためにフルタイムで働いているーと、プロジェクトの副司令官であるショーン・ピアースに対してお金を支払っている。
"いらいら"せずにGitを使う
問題は、全ての人間ががリーナス・トーバルズではないし、全ての会社がGoogleではないということだ。99パーセントの人にとって、Gitのコマンドラインインタフェースは使いにくいことで有名だ。それがGitHubが流行した理由だ。GitHubはGitをシンプルにした。たくさん。その最初のスローガンはこれだ:「Gitホスティング:いらいらせずに」
トム・プレストン=ワーナーはGitHubを思いつき、2007年10月のある夜のZeke'sーダウンタウンのサンフランシスコジャイアンツの球場から数ブロックのところにあるスポーツバーーでのミートアップで、クリス・ワンストラスを焚きつけた。
最初は、GitHubはサイドプロジェクトだった。ワンストラスとプレストン=ワーナーはブレインストーミングするために土曜日に会っていて、自由時間にコードを書いたり本業をしていた。「GitHubはスタートアップや会社になるとは思ってなかった。GitHubは単に僕達が欲しいと思ったツールだったんだ」ワンストラスは言う。しかし、Gmailに触発されて、彼らはプロジェクトをプライベートベータにして、他の人にも開いた。すぐに、外の世界で人気を博した。
2008年の1月には、ハイアットが仲間になった。そしてあのスポーツバーでの夜から3ヶ月後に、ワンストラスはジェフリー・グローセンバックからメッセージを受け取った。彼はPeepCodeというオンライン学習サイトの創立者でもあり、PeepCodeはGitHubを使い始めていた。「私は、私の会社のコードをここに置いている」グローセンバックは言った。「君達に何も支払わないのは私の気分が悪い。小切手を送ってもいいだろうか?」
それは初めてのお金だった。2008年7月にMicrosoftは、プレストン=ワーナーが本業として提供していたスタートアップであるPowersetを買収した。ソフトウェアの巨人はプレストン=ワーナーに30万ドルのボーナスとストックオプションを提示して、3年間留まるように申し出た。しかし彼はそこを去り、全てをGitHubに投じるようになる。
「その当時そういうのを辞めるというのは多少の恐怖があったけど、私はあの決断を変えるつもりはなかった」彼は今はこう言う。
今年の始めにWiredがGitHubのオフィスを訪れた時、我々はちょっとしたギーク達の楽園を見つけた。iPhoneで操作できるクアッドコプターや、four-tap kegerator、そして1970年代式の大きな赤い電話だけは完璧な、ホワイトハウスの司令室の安価な模倣品の様な会議室があった。だが、それらのおもちゃがGitHubを異なるものとしているわけではない。スタートアップの持つ、会社の指揮統制に対するはっきりとした敵対心が、本当に違うものとしている。
「私達は休暇を管理しない。私達は時間を管理しない。それは私達には問題ではない」とCIOのスコット・チャコンは言う。「夜中にここに来ると5人いる。木曜の日中に来たら誰もいない」
でも、今まで働いたチームの中で最も生産性の高いソフトウェア開発チームだ、とチャコンは言う。
Gitの未来
プレストン=ワーナーの賭けは大成功だった。GitHubは今や利益になっている。ユーザーは無料で登録できて貢献を始められるが、非公開でコードを置きたくなったら彼らはお金を支払うー月7ドルから始められる。GitHubはまた、エンタープライズ製品を販売していて、それを使うと会社のファイヤウォールの中で自分達のバージョンのGitHubを動かすことができる。これは年5000ドルから始められるが、100人当たり年10万ドルかかる。
皮肉にも、GitHubの熱心なファンの中にはトーバルズは含まれない。彼は古いホームのセキュリティ違反によって、昨年9月に一時的にLinux kernelの開発GitHubに移していた。
「私はGitHubが大好きだ」彼は言う「かなりの早さで最大のソースコードレポジトリになる理由がそこにはあると思う」だが、彼は彼のコードを置いていた時に感じた"深刻な"問題の長いリストを並べたー多くはすでに修正されているが。コメントをフィルターできない、eメールで添付ファイルが欠落する、WEB画面はコードへの貢献をめちゃくちゃにする、などなど。そしてその最後にはこうあった:GitHubはコードを書くのを簡単にする。だがそれはまたゴミを生みやすくする。
それは多分真実だが、それがサイトを遅らせることはない。GitHubのユーザーは一見するとどこにでもいる。最近、サンフランシスコの北の海辺近くで、WiredはGithubのエンジニアディレクターであるライアン・トメイコと議論していた。突然、隣の机の男が寄りかかってきてじゃまされた。まるで10代の子どもが2人の見知らぬ人が自分の好きなバンドについて話しているのを立ち聞きするみたいに。「あなたに伝えておかなきゃいけないことがある」彼は言った「GitHubはすごい」
GitHubはOccupy movementさえ供給している。ジョナサン・ボールドウィンがOccupyでたくさんの群衆にメッセージを伝えるために携帯電話版のマイクを書きたいと思った時、彼はコードをそのままGitHubに投稿した。サイトによって彼は簡単にコードを共有することができ、技術的な問題の解決を打ち出せる他の開発者とすばやく繋がることができた。「GitHubは今までの中で一番良い。もしGitHubに置かなければ、こんなことは起こらなかった」ボールドウィンは言う。彼はニューヨークのパーソンズ美術大学の学生だ。
また、ソフトウェアは物語の1つにすぎない。ギークたちはGitHubがその他のプロジェクトをも手助けしてくれると学んでいる。書籍や講演の翻訳もこのサイトから出ている。マニュー・スポーニーは昨年自分のDNAの情報を公開したが、それはオープンソースのDNA解析ソフトウェアが、本物のテストデータを与えられることでその開発に拍車がかかることを期待してのことである。
スコット・チャコンがGitについての本を書いた時、最初のforkは1ヶ月で現れた。それはドイツ語への翻訳だった。3年が経った今、他の10の翻訳によって10ヶ国語に翻訳されている。この本のウェブサイトへのトラフィックの半分は中国からだ。「たくさんの中国人がGitを学んでいる、なぜなら私のウェブサイトで中国語で読むことができるからで、それは誰かが提供してくれたものだ」と彼は言う。
ニューヨーク州上院の技術者であるライアン・ブレアは、市民が自分自身の修正を選挙で選ばれた公務員に提案するために、法律をforkする手段さえ与える事ができると考えている。GitHubの様なツールで選挙人達が複雑な法律のコードを変更することでそれを追跡したり、自分たちの意見を表明することさえ簡単にできるようになる。「本当にこういうことを考えると、法案は法律のブランチなんだ」彼は言う「僕は選挙人が彼らの上院議員に対してpullリクエストを送ることができるというアイデアを愛している。」
GitHubは今日ではオープンソースの世界で最も愛されているが、今年GitHubはMicrosoftに照準を合わせている。最近2人の開発者をソフトウェアの巨人から雇っているし、Microsoftのソフトウェア開発ツールを使って開発している依然として数の多い開発者達を取り込むための新しいソフトウェアの開発をしている。
「私は一人で働くよりもみんなで一緒に働く方が楽しい世界を好きになりたい、ソフトウェア開発の全てのプロセスが楽しい世界を」CEOのワンストラスは言う。「そしてGitHubがそれを手助けできると私は考えている」
SIDEBAR:
なぜGitかって?それは英国スラングでバカとか見下げ果てたとかくだらないという意味だ。「僕は全てのプロジェクトを自分自身になぞらえて名づけている、最初はLinux、それからgit」という冗談は見逃せなかった。だが、gitは短くて言いやすくて、標準的なキーボードで入力できる。そして程良くユニークで標準的なコマンドの中には無く、珍しかった。ーリーナス・トーバルズ