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[90]
[[日本国]][[宮崎県]]には[[百済王]]の末裔の伝承があります。
* 百済王亡命伝説
[2]
[[奈良時代]]創建の神社には、
[[飛鳥時代]]に滅亡したはずの[[百済]]の王家が[[奈良時代]]に亡命してきて祀られている、
という[[江戸時代]]の伝承が残されているそうです。
[SRC[>>1]]
[3]
[CITE[続日本紀]]など日本側の史書にも[CITE[三国史記]]など朝鮮側の史書にも記録がありません。
[4]
[[江戸時代]]の記録には[[百済]]と[[新羅]]の混同がみられるようです。
[SRC[>>1]]
[6]
[[平成時代]]の人達も[[百済]]と[[新羅]]の区別がついていないみたいです。
[SRC[>>5]]
;; [7]
そういえば[[平成時代]]の[[鬼室神社]]方面の人達も[[百済]]と[[新羅]]の区別がついていなかったみたいです。
[SEE[ [[鬼室神社]] ]]
不思議な偶然もあるものです。
[25]
あとからおかしいと気づいたのか、
[[百済]]から逃げてきたのではなく、
[[日本]]にいた旧[[百済]]王族が内紛で逃げてきた、
と新出史料には書かれているそうです。
[SRC[>>10]]
[53] [CITE@ja[栂尾神楽見学道中記 Part2 百済 禎嘉王 伝説の残る「塚の原古墳」(美郷町南郷) | 日々ブログ MORIMORI @宮崎県]], [TIME[2022-03-31T05:52:58.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:57:38.476Z]] <https://dareyami.pmiyazaki.com/log/eid1245.html>
>七世紀、滅亡した朝鮮半島の百済の王族は、仲のよかった日本の奈良方面に逃げ、その後の動乱から更に北九州方面を目指す途中、瀬戸内海でシケにあった。
父の「禎嘉王」とその一行は日向市の「金ケ浜」に、そして子の「福智王」とその一行は高鍋町の「蚊口浦」に別れ別れに流れ着きました。
>平和な日々が続いておりましたが、やがて、王族らは居場所を知られてしまい、新羅の追討軍との戦いで王の次子・「華智王」そして「禎嘉王」も崩御されました。
[54]
>>53 の説 (出典不明) だと[[朝鮮半島]]から[[奈良]]に逃げたあと、なぜか[[九州]]に戻ろうとしたらしい。
[[宮崎]]に住んでいた[[新羅]]の追討軍がやってきたということは、
[[新羅]]軍は[[九州]]を南下してきた????
7世紀って書いてあるから[[白村江の戦い]]の後[[対馬海峡]]を渡って追撃してきたの???
[1] [CITE@ja[神門神社 - Wikipedia]], [TIME[2022-04-13T00:07:56.000Z]], [TIME[2022-04-20T05:30:44.513Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%96%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE>
* 南郷村神門神社綾布墨書
[11]
[DFN[[CITE[記国号]]]]
と題した[[墨書]]があって、
>
帝泉帝皇明雲廿六年(為)[BR[]]福智帝皇白雲元年
... などと書かれているそうです。
[SRC[>>10]]
[16]
神社所蔵の衣服に書かれていたものの、
字形が独特で複雑で判読困難だったのを、
[[宮崎大学]]元教授の[[福宿孝夫]]が赤外線カメラ映像を使って解読したそうです。
[SRC[>>10]]
;; [20]
この人物は[[比較文字学]]の研究者と称していたそうです。
[SRC[>>10]]
[[Web検索]]によると[[好太王碑]]の新解釈を示したという自著が出てきますが、
それ以外にこの人物による「比較文字学」関連らしき論文は見つけられません。
他の研究者からの評価も見つけられません。
文字研究の分野では「比較文字学」が学問的な課題として長年意識され続けている様子が窺えますが、
独立した学問分野として確立されているように見えません。
この人物以外に「比較文字学の研究者」だと称する人物は見つけられず、
「比較文字学」に言及する他の研究者がこの人物の研究を参照した例も見つけられません。
([[好太王碑]]の他の研究者が参照しているのも見たことがありません。)
[17]
現物の画像は[[Web検索]]で見つけられません。
[CITE[宮崎日々新聞]]
に一部の写真が掲載されたようです [SRC[>>10]]。
赤外線カメラで解読ということですから、
(可視光カメラの)
通常の写真があっても読むのは無理かもしれません。
[69]
そもそも[[南郷村]]は[[奈良文化財研究所]]に解読を依頼したものの、返答がなかった
[SRC[>>648]] といわれています。いつ誰がどのようなルートで依頼したのかは不明です。
[70]
「解読」は[TIME[平成8(1996)年][1996]]に行われ、
地元紙[CITE[宮崎日日新聞]]でたびたび報道されていました。
[SRC[>>10]]
[18]
[[行書]]混じりの[[楷書]]で書かれていたものの、
「増画・略画・誤形などの異字体が多く、字形の特徴から百済特有の観念文字である」
「高句麗や新羅の物ではないと判別できる」
のだそうです。
[SRC[>>10]]
;; [65] 「観念文字」とは?
[21]
具体的には、
「国」字は4種類に書き分けられていて、
「方形の中に小さい百の字」
を使った「国」の字が[[百済文字]]なのだそうです。
[SRC[>>10]]
[[福宿孝夫]]が新聞への寄稿でそう断言していますが、
根拠は何も記されていません。
このような書き分けのある[[百済]]の遺物は他にあるのでしょうか。
(聞いたことがありませんが。。。)
;; [64]
この説はともかく、[[百済]]で使われた[[漢字]]の[[字体]]というのはある
[SEE[ [[百済語]] ]]
[12]
[[帝泉帝]]は[[百済]]の[[禎嘉王]]、
[[福智帝]]は[[百済]]の[[福智王]]で、
帝位継承に伴う[[代始改元]]を表しているのだそうです。
[SRC[>>10]]
;; [66]
[[百済]]本国では独自の[[元号]]を使った形跡がないのですが、
故国を失って[[日本]]にやってきて[[元号制度]]を創設したのでしょうか。
[[日本の元号]]制度に倣ったのでしょうか。
[[畿内]]の[[百済王氏]]などもそのような振る舞いはしていないのに、
南九州には亡命政府でもあったというのでしょうか?
[[日本政府]]や[[百済王氏]]等はそれを知っていて放置していたのでしょうか、
それとも知らなかったのでしょうか。不思議なことばかりです。
[128]
[DFN[明雲]] ([TIME[y~1755]]),
[DFN[白雲]] ([TIME[y~1756]])
は、他書にない[[元号]]です。
[22]
[[福宿孝夫]]によると、
「帝は、泉(黄泉。あの世)ノ帝皇(先代の王)ノ明雲廿六年ヲ、福智ナル(幸福を与える賢い)帝皇ニテ、白雲元年ト【為】シタリ。」
と解されるようです。
[SRC[>>10]]
(>>12 の解釈 (誰の?) ともまた別の解釈です。)
[23]
[[東アジア]]では
「福智帝皇白雲元年」
の[[ような構文][東洋の日時表示]]は常識的に「[VAR[皇帝名]][VAR[元号名]][VAR[年数]]年」
と解釈するので、
「福智帝皇」の「白雲」の第1年の意味ととるのが普通ですが、
ここではなんだかよくわからない修飾語 (美称?) のように解釈されているのでしょうか。
よくわかりません。
[[好太王碑]]文の新解釈とやらもこんな感じで独創的なものなのですかね? 気になります。
[67]
この解釈だと「帝泉帝皇」は[[固有名詞]]ではなくて[[大行天皇]]のような使い方の語なのでしょうか。
[24]
これが[[改元]]の[[布告]]だという解釈 [SRC[>>10]] だと、
新皇帝の即位時点で皇帝名 (諡号?) がもう決まっているのが不自然になるので、
そうではない何かと無理矢理解釈せざるを得なくなるのですね。
[13]
「百済の分国であった周防にいた百済王の直系の子孫は、百済滅亡とともに自動的に本家本元百済王の位を継ぎ、「定居」と改元し、さらに「倭京」と改元した。それから13代周防にいたが、新羅派の攻勢にたえきれず、日向の国に落ち延びた」
とかいう(誰の?)解釈が示されています。
[SRC[>>10]]
[14] [[周防]]というのは[[大内氏]]の[[偽系図]]の[[琳聖太子]]の関係でしょうか。
[[分国]]というのは[[朝鮮民主主義人民共和国]]の研究者が提唱した[[分国論]]
[WEAK[([[三韓]]各国がそれぞれ[[日本列島]]内に[[植民地]]を有していたという根拠のない妄想。)]]
のことでしょうか。
[15]
[[定居]]と[[倭京]]は中世に流布された[[古代年号]]
[WEAK[([[大宝]]より前に実在したと考えられていた[[元号]])]]
ですが、
この説では[[百済]]の[[元号]]らしいです。
[[九州王朝説]]の[[九州年号]]とも解釈が違います。
何を根拠に言っているのかわかりません (どちらも)。
[26]
[TIME[2005-06-17T12:02:28.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:32:31.203Z]] <https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/cahierdusud/history/kudaranengo.html>
>襲国偽僭考には「百済国定居元年、聖明王第三皇子琳聖太子わが朝に渡来」の記事がある。この定居元年は百済琳聖太子と縁が深いらしく、『法隆寺の中の九州王朝』巻末には前田博司の収集した山口県の伝承が記載されてあり、その中に特筆すべき記事がある。 「百済国聖明王第三王子琳聖太子周芳国多々良浜に着玉ふ。天皇佐波郡大内県に皇居を建て定居王と号す」素直にこれを読めば、琳聖太子が周芳国に百済の分国を造り、皇と称したことにならないか。
> さらに想像をたくましくすれば、百済滅亡ののち周芳国は自然に百済の亡命政権となり、とここで宮崎の百済王伝説がむくむくと頭をもたげてくる。
>いわゆる九州年号は九州に多く遺存している。それも寺社に多い。これは僧侶が百済からやって来て、百済の年号を使っていたからではないか。山口にも多く残っているのは、山口が百済の植民地であり、倭国の同盟国だったからというのが私の仮説である。今でも九州駅伝には山口と沖縄が参加する。天気予報では九州と山口が一緒にされている。2005.4.
[74]
なるほど、これは (古代の史料として信頼できないものばかり根拠にしていることを除けば)
一応筋は通っていて、[[九州王朝説]]による[[九州年号]]よりも現実性がありますね
(目糞鼻糞ですが)。
[75]
よりにもよって[[九州年号]]の聖典の[CITE[[[襲国偽僭考]]]]が[[九州年号]][[百済]]説の出典というのがおもしろい。
[19]
多額の費用を投入して[[町おこし]]を既に進めていた現地ではこの墨書が
「「百済王伝説」を史実として裏付ける内容」
だと評されたようです。
[SRC[>>10]]
[118]
[[禎嘉王]]は[TIME[西暦718年][718]]または[TIME[西暦756年][756]]死去かとされているようで [SRC[>>55]]、
これがおよその[[改元]]時期ということになるのでしょうか。
[119]
>>13
によると[[倭京]]の時代から13代を経ているそうです。
[[倭京]]の[TIME[西暦618年][618]]説を採ると100年から150年といったところですが、
13代も代替わりするとはいったいどうなっているのでしょう。
親子以外の継承も数えたとしても、1代当たり10年で継承し続けるのは尋常ではありません。
[REFS[
- [10] [CITE[南郷村綾布墨書]], [TIME[2005-06-17T12:05:18.000Z]], [TIME[2022-04-20T09:22:42.254Z]] <https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/cahierdusud/history/np-nango.html>
]REFS]
* [CITE[比木大明神系図]]
[33] >>34 より, >>48 にもあり
>
P121 2 比木大明神系図
>
> 比木大明神系図は児湯郡高鍋町中鶴村百姓五郎兵衛所持のものを、明
治二年十月、永友司が書写したものの再掲である。
>
> 百済国王神門帝家二御王子福智王奉申、百済国正光元年辛巳福智王吾
朝渡給三体三恭日本年号弘安四年辛巳安芸国着岸自是又鎮西日向国児湯
郡之内級鉱添仁爽着任給甲胃捨御衣千絵比所級鉱ト云。…(以下略)…
[77]
百済国[DFN[正光]]元年辛巳が[TIME[日本弘安4(1281)年辛巳][1281]]ということでしょうか。
そうでないとも読めるのかもしれませんが...
[84]
[[百済]]が滅亡して何年経っているんだという話ではありますが、
ちょうど[[元寇]]の年であることが想起されます [SRC[>>51]]。
[120]
[[福智王]]は[[禎嘉王]]の[[子]]です。8世紀に継承したはず (>>118) ですが、
400年生きたのでしょうか?
[121]
[[正光]]は[[北魏]]の[[元号]]にありますが、[[干支]]が合いません。無関係でしょう。
* 寺社縁起に見える即位紀年
[78] [CITE[神門神社明細帳]] [SRC[>>34]]
>P124~125 5 宮崎県日向国東臼杵郡南郷村神門神社明細帳追記
> 神社明細帳追記
>人皇四十六代孝謙天皇之御時百済国之帝
王貞家帝止奉申御即位治世二十一年御歳
四十有余之時
[79]
[[孝謙天皇]]は在位[TIME[天平勝宝元(749)年][749]] - [TIME[天平宝字2(758)年][758]]。
[[重祚]]して[[称徳天皇]]として在位[TIME[天平宝字8(764)年][764]] - [TIME[神護景雲4(770)年][770]]。
[81] [CITE[神門神社縁起]] [SRC[>>80, >>51 (>>80)]]
>人皇四十六代孝謙天皇之御宇百済国之帝王貞嘉帝即位治世二十一年歳四十有余之時、
東宮邇譲 位福智王奉申、即位治世三年之時百済国大擾乱、貞嘉帝有 思召、
和国者神国邇天和成留国也止聞伝有者、辞 百済国 而入 和国 其時和皇孝謙天皇
天平勝宝八年(原文ママ)丙申之秋九月下旬、中国安芸国厳島之邊爾御着船有而、暫御滞座有、
然共此由本国百済江聞得、若敵賊徒襲来留事御意邇思召賜、同十年戊戌之秋、
[SNIP[]]
[82] [TIME[天平勝宝8(756)歳丙申][756]]
[83] [TIME[天平宝字2(758)年戊戌][758]] : [[延長年号]]
[86] [CITE[百済国伯知王略縁起]] [SRC[>>49]]
>
人皇四十六代孝謙天皇之御時百済国之帝王貞家帝止奉申御即位
治世二十一年御歳四拾有余之時東宮邇譲位福智王奉申
御即位治世三年之時百済国大擾乱貞家帝有思召
和国者神国邇天和成留国也止聞伝有者
辞百済之国而入和国其時和皇孝謙天皇天平勝宝八年(原文ママ)丙申之秋九月下旬、
中国安芸国厳島之邊爾御着船有而暫御滞座有
然共此由本国百済江聞得若敵賊徒襲来留事御意邇思召賜
同十年戊戌之秋筑紫邇船遠為趣賜爾南海之風波烈鋪而風之随々
[85] [CITE[日州児湯郡高鍋比木大明神縁起]] [SRC[>>49]]
>
百済ハ禎嘉王二十一年譲位福智王福智三年百済大乱ル
福智王与禎嘉王奔 本邦
始テ至ル 芸(ゲイ)之厳島ニ
時ニ孝謙天皇天平勝宝八年(原文ママ)丙申之九月也、
後二年戊戌之秋福智王更ニ到ル日州児湯郡蚊口浦乃所 [雨/活](うるおう)韉(したぐら)衣帯
[122]
[CITE[記国号]] (>>11) では26年に[[改元]]したようですが、
これらでは21年に[[譲位]]したことになっています。
どういうことなのでしょうか。
[123]
[[即位紀元]]
([TIME[y~4151]])
と[[元号]]は数え方が違うということなのでしょうか。なぜ。
[124]
そもそも[[元号]]があったならなぜこれらは使っていないのでしょうか。
[125]
福智王
([TIME[y~4152]])
の3年に起こった[[百済]]の大乱というのもどこの[[異世界]]の話なのか意味不明です。
[[奈良時代]]に[[百済]]が復活していた[[世界線]]もあるのでしょうか。
歴史ロマンですね。
[REFS[
- [80]
[CITE@ja-JP[[[宮崎県史蹟調査]] 第7輯]], [[宮崎県内務部]], [TIME[昭和4][1929]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-15T10:20:07.053Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1146670/1/67>
]REFS]
* 百済年号
[649] [[超古代史]]の一種[[九州王朝説]]を信じる人達は、
[[九州年号]]に対して[[百済]]の[DFN[百済年号]]として[[明雲]]、[[白雲]]を挙げています
[SRC[>>648, >>29, >>63]]。
;; [92]
[[百済年号]]という語は本来はただの[[百済]]の[[元号]]という意味で、
元々はそのような意味で研究者の間では (たまに) 使われていました。
[[百済]]が[[元号]]を使っていなかったことが明確になった昨今では使われなくなり、
かわりに[[九州王朝説]]など独創的な歴史物語を創作する人々ばかりが使う専門用語になってきています。
本来の意味の[[百済]]の[[元号]]については[[朝鮮半島の紀年法]]参照。
[71]
[[九州王朝説]]の世界に紹介されたのは「解読」の翌年で、
ならば滅亡した[[百済]]の末裔が[[元号]]を建てていたという[[福宿孝夫]]の説を知っているはずです。
にも関わらず、 >>648 ではなぜか、
[[百済]]の時代に[[日本]]の天皇家は[[元号]]がなかったのだから、
[[百済]]と対等だったのは[[九州年号]]を使っていた[[九州王朝]]で、
この「一元史観の解き難い矛盾に通説派は困っている」という珍妙な理論が展開されています。
;; [72] [[九州王朝説]]用語で「一元史観」とは[[九州王朝説]]でない一般の[[史学]]上の[[通説]]のこと。
「通説派」とは[[日本史]]研究者のこと。
ここでは[[奈良文化財研究所]] (>>69)。
[68]
[[九州王朝説]]の人達が[[九州年号]]認定している[[定居]]と[[倭京]]がどういう扱いなのかは謎です。
[[分国論]]も[[九州王朝説]]とは相容れないはずですが...
;; [73] [[分国論]]の世界では[[日本]]は[[三韓]]の[[植民地]]なので、
[[倭国]]と[[百済]]が対等だとは思っていないのではないでしょうかね。
[[分国論]]と[[九州王朝説]]の矛盾の方こそちゃんと解いてくださいな。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[648] [CITE[百済年号の発見]],
[[古賀達也]],
1997年 6月16日,
[TIME[2016-12-10 11:18:30 +09:00]]
<http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga20.html>
]FIGCAPTION]
> 読みや解釈は難しく、今後の課題としたいが、いくつかの注目すべき点がある。一つは「明雲廿六年」「白雲元年」という年号である。文脈から改元を意味していることから、年号であることは間違い無い。同村に伝わる百済王伝説からすれば百済年号である可能性が高い。
]FIG]
[96] [CITE[二つの試金石 九州年号金石文の再検討]], [TIME[2021-01-04T12:22:18.000Z]], [TIME[2023-06-15T13:07:40.700Z]] <https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjitu2/koga02ko.html>
[111] >>96 は書籍 [SRC[>>112]] にも収録。
- [112] [CITE@en-us[Amazon.co.jp: [[「九州年号」の研究―近畿天皇家以前の古代史]] (シリーズ・古代史の探求) : 古田史学の会: Japanese Books]], [TIME[2023-06-15T13:54:44.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4623061418/wakaba1-22/>
[29] [CITE[356話 2011/12/03 南郷村神門神社の綾布墨書]], [TIME[2021-01-04T12:18:57.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:39:17.424Z]] <http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki7/nikki356.html>
[76]
>>29 は >>648 の他に[[建興]]を引いて、[[百済年号]]の実在は疑えないと主張しています。
驚くべきはこれが[TIME[平成23(2011)年][2011]]付で発表されたという点です。
その時点で[[建興]]は[[高句麗の元号]]だとする説が発表されてから数十年経過していて、
もう[[大韓民国]]の研究者も[[日本]]の研究者も[[百済]]の[[元号]]だと考えていた人はほとんどいなかったはずです。
-[113] [CITE@ja[第2793話 2022/07/21]], [TIME[2023-06-15T13:56:29.000Z]] <https://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki/the-name-of-an-era-for-kyushu-dynasty/post-10373/>
-- [115] [CSECTION[国内史料に遺る「百済年号」]]
[114]
従来の主張の繰り返しですが、
新たに[[正光]] (>>33) にも言及しています。
[63] [CITE@ja[海東諸国紀と古代逸年号 – 古代史俯瞰 by tokyoblog]], [TIME[2022-04-20T12:16:23.000Z]] <http://tokyox.matrix.jp/wordpress/%e6%b5%b7%e6%9d%b1%e8%ab%b8%e5%9b%bd%e7%b4%80/>
[91] [CITE[※九州王朝史年表を作成しています]], [[huzi2]], [TIME[2023-06-15T11:50:28.000Z]] <http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:FFdnghwskW4J:www.tagenteki-kodai.jp/nenpyo_20101102.doc&cd=9&hl=ja&ct=clnk&gl=jp>
>※百済年号:「建興五年歳在丙辰」(536年or596年・金銅釈迦如来像光背銘)。「帝泉帝皇明雲廿六年<為> 福智帝皇白雲元年」(宮崎県南郷村神門神社)。ほとんど残っていない。
[93] [CITE[謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!66]], [TIME[2023-06-15T12:38:58.000Z]] <https://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/history/1337252884/>
[94] >>93 [[九州王朝説]]の人ではなさそうだけど[[九州王朝説]]の[[百済年号]]を援用して独自説を展開している。
[95]
[CITE[천문과 역사 그리고 진실... : 상식과 이설]], [[Comte]], [TIME[2023-06-15T13:03:38.000Z]] <http://katnani.egloos.com/490288>
>>26, >>648, >>96 を紹介。
- [129] [CITE@ja-JP[講演番号61 ひた隠しにされる年号・[[九州年号]] ~熊襲が制定したわが国最初の年号群~ 講師:[[内倉武久]] - [[YouTube]]]],
2022/10/05
[TIME[2023-07-14T06:40:57.000Z]] <https://www.youtube.com/watch?v=rzdt8TJ9yeE>
[130]
>>129 これは[[九州王朝説]]系[[陰謀論]]の一種だが、
本家[[九州王朝説]]と違って[[熊襲]]を[[九州年号]]の制定主体とする異端グループ
([[江戸時代]]に唱えられたことがあるので、ある意味この説の方が[[元祖]]かもしれない)。
([SEE[ [[九州年号]] ]])
[[明雲]]と[[白雲]]が[[宮崎]]の[[百済]]古文書にあるので[[百済]]の[[元号]]かもしれない、
と言っている (なぜ[[宮崎]]にそんなものがあるのか、いつの時代の[[元号]]か、
は説明なし)。
[[新羅]]の[[元号]]の[[延寿]]、[[百済]]の[[元号]]かもしれない[[建興]]、
と言っている (半世紀以上前に否定された旧説)。
([SEE[ [[延寿]], [[建興]] ]])
;; [131] [[昭和]]を生きてるのか[[江戸時代]]を生きてるのかようわからんが、
これが[[令和最新版]]なんだぜ。びっくりだな。
[NOTE[
- [132]
[CITE@ja[原田 実さんはTwitterを使っています: 「寄せられた諸論考を読み、そのうえでこの巻頭言を読み返して悲しくなるのが、九州王朝研究そのものが古賀さん引用するところの「時代遅れ」になった説に基づくものであることを寄稿者の誰も気づいていないか認めようとしていないところである。 https://t.co/TsjyzHdGQp」 / Twitter]], [TIME[午前10:18 · 2023年7月12日][2023-07-12T01:18:48.000Z]], [TIME[2023-07-14T06:08:54.000Z]] <https://twitter.com/gishigaku/status/1678936913766662145>
[133] これは別宗派についての言及だけど、これと同じことが言える。
]NOTE]
** 光義
[97]
[[九州王朝説]]グループの中には、
([[南郷村]]と別の)
[[百済年号]]の1つとして[DFN[光義]]
([TIME[y~4153]])
があったと主張する者があります。
[SRC[>>98]]
[99]
それによると、
[CITE[[[聖徳太子全集]] 2卷]] p.388 所収
[CITE[聖徳太子伝記]]
に、
>此ノ歳、善光寺如來値多生持者本太善光下向信濃
國也、自信州下向至文保二年六百四十二年也、自
百濟國光義至文保二年六百九十五年也。
とあるそうです。
[SRC[>>98]]
[127]
[TIME[文保2(1318)年][1318]]が695年とすると、
[TIME[西曆624年甲申][624]]が1年になります。
ただし何年とは書いていないので、それが[[元年]]かはわかりません。
[100]
[CITE[聖徳太子全集]]は昭和初期のものと昭和後期の復刻版があります。
昭和初期の方の第2卷は[[国立国会図書館]]で検索しても見つけられません。
題名から昭和初期の第3卷と復刻版の第2卷が同じ内容のようにも思われますが、
事情はよくわかりません。
[102]
昭和初期の方の[CITE[聖徳太子全集]]の第3卷には、当該部分は
>[SNIP[]]自百濟國光儀至文保二年[SNIP[]]
とあります。
[SRC[>>101 /243]]
同書解題 [SRC[>>101 /44]]
や同書を引用した論文 [SRC[>>103]]
も同じく「光儀」
と引用しています。
[104] 復刻版の方は未調査ですが、復刻時の誤植よりはこの記事 [SRC[>>98]]
の誤引用が強く疑われます。
ただ、[[元号]]の新発見の報告記事で肝心の[[元号名]]を誤記することがあり得るのか、
という疑問もあります。
[105]
さて、この記事 [SRC[>>98]] は、年数が記載されていないことに注意しながらも、
[[新羅]]と[[倭国]]で[[元号]]が使われていたのだから、
[[百済]]でも[[元号]]が使われていたのだとして、
「光義」なる[[百済]]の[[元号]]を発見したと断定的に報告しています。
;; [107] [[九州王朝説]]でいう[[倭国]]とは[[九州王朝]]のことで、
[[九州]]に本拠地を持ち[[日本列島]]を代表する政権という設定になっています。
[[九州年号]]と呼ばれる独自の[[元号]]を使っていて、
[[元号]]を持たない[[天皇家]]は[[九州王朝]]に従属していたそうです。
[108]
仮に[[百済]]で[[元号]]が使われていたとしても、
[[元号年]]のないこの[[経過年数表示]]中の語句を[[元号名]]とみなすのは強引が過ぎます。
相応の根拠が提示されるべきです。
[110]
さて、辞書によると[[光儀]]は
>
他人を敬って、その来訪をいう語。光臨。光来。
>
「さても只今の―、覚めての後の夢、夢の中の迷ひかとこそ覚えて候へ」〈太平記・三九〉
という意味がある語です [SRC[>>109 ([CITE[デジタル大辞泉]])]]。
ちょうど[CITE[太平記]]から引用されていて、
この種の[[聖徳太子]]の伝記物語が形成された時代にこの言葉が使われていたことが知られます。
無理に[[元号名]]と解釈する必要はなかったようです。
[REFS[
- [101]
[CITE@ja-JP[[[聖徳太子全集]] 第3巻]], [[聖徳太子奉讃会]], [TIME[昭和19][1944]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-15T13:27:52.899Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1683189/1/243> (要登録)
- [103]
[CITE@ja-JP[[[史迹と美術]] 17(9)(183)]], [[史迹美術同攷会]], [TIME[1947-09]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-15T13:30:03.289Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6067066/1/8> (要登録)
- [106]
[CITE[Taro-「東海の古代」119号22.07.j - t119.pdf]],
[TIME[平成22(2010)年7月][2010-07]],
[TIME[2018-12-05T15:44:54.000Z]], [TIME[2023-06-15T13:18:39.940Z]] <http://furutashigakutokai.g2.xrea.com/kaihou/t119.pdf#page=14>
-- [98]
[CITE[[L[百済年号]]]],
[[[L[林伸禧]]]]
- [109]
[CITE@ja[[[光儀]](こうぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]], [[精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,普及版 字通]], [TIME[2023-06-15T13:41:40.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E5%85%89%E5%84%80-494557>
]REFS]
* 百済の館
[5] [CITE@ja[百済の館 / 宮崎県美郷町ホームページ]],
最終更新日:2021年3月12日,
[TIME[2022-01-29T15:21:12.000Z]], [TIME[2022-04-20T05:37:30.927Z]] <https://www.town.miyazaki-misato.lg.jp/kiji00384/index.html>
>
「百済の館」は、百済最後の王都となった大韓民国の古都「扶餘」の王宮跡に建つ、(元)国立博物館の「客舎」をモデルに、日韓交流のシンボルとして造られました。
>
韓国大使館や総領事館などの協力を得て建てられ、屋根の反り返りや色使いがとても鮮やかな美しい建物です。
>
瓦や敷石は、韓国から取り寄せられ、梁や軒を埋め尽くす赤、青、緑といった極彩色の丹青(タンチョン)は、本場韓国の名工によるもの。
[8]
[[李朝]]風の建築で[[百済]]関係ないやん。
[[ギリシャ神話]]のシンボルとして[[聖書]]展示するようなものでは??
[9]
>>5 写真見る限り建物だけでなく展示内容も[[百済]]関係なさそうなんだが
[126]
行政がこんな感じで[[偽史]]系[[町おこし]]してる [SRC[>>46, >>52]]
のなら、
[[百済]]王が[[日本]]で謎[[改元]]してようがもうどうでもいい、
周防で13代だろうが奈良時代だろうが[[元寇]]時代だろうが些細な違いな気がしてきますね。
* メモ
[88]
[[日本]]の[[平成時代]]の複数の[[ウェブサイト]]や[[ブログ]]では史料を検討して懐疑的な見解を示しています。
- [46]
[CITE[なにがなにやら |【百済伝説01】発端]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:45:52.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:48:54.610Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-70.html>
- [45]
[CITE[なにがなにやら |【百済伝説02】村おこしが国家的プロジェクトに]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:46:29.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:48:36.190Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-71.html>
- [44] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説03】東日流外三郡誌と似ているか?]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:46:54.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:48:11.296Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-72.html>
- [43] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説04】宮崎県美郷町役場に電凸]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:48:01.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:47:55.179Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-73.html>
- [42] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説05】NHK・謎の百済王伝説]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:49:10.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:47:33.386Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-74.html>
- [41] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説06】役場からの返事]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:50:49.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:47:22.088Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-75.html>
- [40] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説07】師走祭調査報告書]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:51:15.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:47:00.347Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-76.html>
- [39] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説08】師走祭調査報告書 序章]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:44:15.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:46:05.308Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-78.html>
- [38] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説09】尊王志士 高山彦九郎_1]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:51:52.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:45:50.629Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-79.html>
- [37] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説10】尊王志士 高山彦九郎_2]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:52:18.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:45:29.816Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-81.html>
- [35] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説11】尊王志士 高山彦九郎_3]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:52:53.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:44:49.197Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-83.html>
- [36] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説12】宮崎県埋蔵文化財センター]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:53:52.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:44:57.484Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-84.html>
- [34] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説13】師走祭調査報告書の検証まとめ]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:56:21.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:44:29.387Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-87.html>
- [32] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説14】YouTubeを見て役場にメール]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T14:59:08.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:43:09.638Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-88.html>
- [31] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説15】外務省に「ご意見・ご感想」]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T15:00:59.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:42:24.228Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-89.html>
- [30] [CITE[なにがなにやら |【百済伝説16】宮崎県が作ったビデオ]], [[ざる]], [TIME[2022-04-19T15:01:23.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:42:13.008Z]] <http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-90.html>
- [52] [CITE@ja[日向百済王伝説を検証する1 | 概要 - ハムスターの日本史研究所]], [[hyperhamster]], [TIME[2022-04-19T14:39:42.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:51:58.347Z]] <http://hyperhamster.blog.fc2.com/blog-entry-81.html>
- [51] [CITE@ja[日向百済王伝説を検証する2 | 考証 - ハムスターの日本史研究所]], [[hyperhamster]], [TIME[2022-04-20T11:51:35.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:51:37.047Z]] <http://hyperhamster.blog.fc2.com/blog-entry-82.html>
- [50] [CITE@ja[日向百済王伝説を検証する3 | 考察まとめ - ハムスターの日本史研究所]], [[hyperhamster]], [TIME[2022-04-19T14:39:58.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:51:26.126Z]] <http://hyperhamster.blog.fc2.com/blog-entry-83.html>
- [49] [CITE@ja[日向百済王伝説を検証する | 考証2 - ハムスターの日本史研究所]], [[hyperhamster]], [TIME[2022-04-19T14:39:14.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:51:09.775Z]] <http://hyperhamster.blog.fc2.com/blog-entry-86.html>
- [48] [CITE@ja[日向百済王伝説を検証する | 縁起以外の史料 - ハムスターの日本史研究所]], [[hyperhamster]], [TIME[2022-04-17T06:37:09.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:50:14.983Z]] <http://hyperhamster.blog.fc2.com/blog-entry-87.html>
- [47] [CITE@ja[補記・田野天建神社の百済王伝説 - ハムスターの日本史研究所]], [[hyperhamster]], [TIME[2022-04-17T06:37:10.000Z]], [TIME[2022-04-20T11:50:01.437Z]] <http://hyperhamster.blog.fc2.com/blog-entry-88.html>
[60] [CITE[日向の百済王]], [TIME[2022-04-20T12:13:44.000Z]], [TIME[2013-10-29T19:49:57.918Z]] <https://web.archive.org/web/20131029194800/http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/kwch-lit/hyuga.htm>
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[87]
[[韓国語]]版[CITE[Wikipedia]]は伝説ではと注釈しながらも全面的に肯定して実在人物かのように各登場人物の記事を立てています。
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[55] [CITE@ko[정가왕 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2022-04-17T15:55:02.000Z]], [TIME[2022-04-20T12:10:41.100Z]] <https://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%A0%95%EA%B0%80%EC%99%95>
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[56] [CITE@ko[복지왕 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2022-04-17T15:55:02.000Z]], [TIME[2022-04-20T12:11:05.770Z]] <https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%B3%B5%EC%A7%80%EC%99%95>
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[57] [CITE@ko[화지왕 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전]], [TIME[2022-04-06T12:11:11.000Z]], [TIME[2022-04-20T12:11:25.218Z]] <https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%99%94%EC%A7%80%EC%99%95>
[89]
[[大韓民国]]では複数の[[媒体]]が伝承を肯定的に説明して[[南郷村]]の祭を紹介しています。
[58] [CITE@ko[일본 미야자키 난고손(南鄕區) 백제마을의 시와스마쓰리(師走祭り) : 월간조선]], [TIME[2022-04-20T12:12:07.000Z]] <http://monthly.chosun.com/client/news/viw.asp?nNewsNumb=201403100034>
[59] [CITE@ko[일본열도에 분포된 유물 이야기 – 미야자키의 백제촌 < 종합 < 뉴스 < 기사본문 - 아시아씨이뉴스]], [TIME[2022-04-20T12:12:21.000Z]] <http://www.asiacenews.com/news/articleView.html?idxno=2756>
[61] [CITE@ko[日규슈 ‘백제마을 난고손’ 한글 도로 표지판 따라 가보니…]], [TIME[2022-04-20T12:14:27.000Z]] <https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20150708/72355655/1>
[62] [CITE@ko[일본 속의 백제 혼-백제마을 ‘난고손(南鄕村)’ :: 대전일보]], [TIME[2022-04-20T12:14:47.000Z]] <http://www.daejonilbo.com/news/newsitem.asp?pk_no=851573>
[116] [CITE@ko[백제인의 숨결이 살아 있는 히키신사와 난고손 백제 마을에 전해지는 시와스마쓰리! > 참한역사칼럼]], [TIME[2023-06-15T13:58:27.000Z]], [TIME[2023-06-15T13:58:46.962Z]] <http://ichn.co.kr/kgs/312?ckattempt=1>
[117] [CITE@ko[남향촌신사 묵서 : 네이버 블로그]], [TIME[2023-06-15T14:00:18.000Z]] <https://blog.naver.com/sohoja/50045553398>
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- [28] [CITE@ja[亡命した百済王とは誰か | のんびりと古代史]], [TIME[2022-04-20T11:38:16.000Z]] <https://ameblo.jp/nonbirito-kodaisi/entry-12547594297.html>
- [27] [CITE@ja[亡命した百済王とは誰かⅢ | のんびりと古代史]], [TIME[2022-04-20T11:35:44.000Z]] <https://ameblo.jp/nonbirito-kodaisi/entry-12547594301.html>