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[1]
[CITE@ja[刻銘を有する中世陶器(Ⅳ. 政治史と生活史)]], [[吉岡 康暢]], [TIME[1991-11-11]], [TIME[2016-04-01]], [TIME[2022-12-24T08:32:05.000Z]] <https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=41&item_id=528&item_no=1>
#page=16
愛知県知多郡武豊町富貴 中田池A1号窯 焼成室 出土 陶硯
「[V[正見元年[BR[]]正月二十七日]]」
[[私年号]] 正元2(1260)年
正元改元は3月26日だから、2年のこと。 当該銘文に誤字が目立つので当字にもみえるが、2年を元年とするから、磯部幸男の指摘のように文殊信仰で正元を仏語の正見に置き換えた、私年号[[弥勒]]に通ずる
正元元年に諸国飢饉疫病、2年にも続いているので世直し改元願望かも
在地小寺庵の住僧ないし土豪の案文を工人が忠実に刻記したか
#page=22
[[磯部幸男]], [[奥川弘成]]
[CITE[中田池古窯祉群]] 1,
武豊町教育委員会,
[TIME[1990]]
>
[LEFT[
[SNIP[]]「正見」=「寛」とみて「寛
元年の判読も考慮されるが次行の「[RUBY[正][・]]月」の運筆から「[RUBY[正][・]]見」とみる。
]LEFT]
(この解釈が吉岡氏の見解か、磯部氏の見解か不明)
#page=44 白黒写真
[2]
正元に比定する理由が同音であること以外に見えないのが不安点。
様式による編年のようなものはないのだろうか。
[3]
写真だと確かに「寛」とするべきか「正見」とするべきか迷う。
[4]
「寛元年」だとすると寛元元(1243)年か。「元元」がこのように省略されることは
(意図的かどうかはともかく) ないでもない。この時代にあるのか、
文献でなく刻銘でもあるのかは不明。
[5]
[TIME[仁治4年2月26日][1243-02-26]]に[[寛元]]改元なのでそちらの解釈でも[[遡及年号]]になって不審なのは変わらず。