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[1]
[DFN[子平]]
([TIME[y~1706]])
は[[日本の中世私年号]]の1つです。
* 紀年法
[20]
[[元年]]は[TIME[日本元亀2(1502)年][1502]]とする説が有力です。
[21]
子平5年 ([TIME[西暦1506年][1506]]か) の用例が発見されていますが、
いつからいつまで使われたかは不明です。
* 用例
[16]
[[日本国]][[熊本県]]で金石銘に1件、用例が発見されています。
これが現在知られている唯一の用例です。
- [3]
[[日本国]][[熊本県]][[植木町]]
宝篋印塔 塔身
「[V[子平五[LINES(quarter)[丙][刀]][BR[]]十月十二[LINES(quarter)[辰][入]]]]」
[SRC[>>23, >>513 p.31]]
-- [8]
>>23 に白黒写真 (低解像度で判読はやや難しめ),
>>23, >>513 に拓本
-- [13] 「辰入」は辰刻に入滅の意 [SRC[>>23]]
[9]
かつては[[植木町]]の乗越横穴群に五輪塔残欠と共に放置されていたといわれます。
その後[[植木町]]中央公民館所蔵となりました。
[SRC[>>23]]
-*-*-
[2]
[[昭和時代]]に歴史研究者の[[前川清一]]は、
[[熊本県]]の[[私年号]]の1つとして紹介しました。
[SRC[>>23 (白黒写真, 拓本, 翻刻), >>513 pp.31-32 (拓本、翻刻)]]
[17] これまで知られていなかった[[私年号]]です。
[[前川清一]]または[[前川清一]]と親しい熊本県民の発見と思われます。
[12] 同地域の同型の宝篋印塔が[TIME[天授4(1378)年][1378]]から[TIME[永禄7(1564)年][1564]]に分布していて、同時期と考えられます。
[SRC[>>23]]
[14]
その範囲内の丙寅年で、[[加平]]との関係から、
[TIME[永正3(1506)年][1506]]を意味すると推測され、
[[元年]]は[TIME[文亀2(1502)年][1502]]です。
[SRC[>>23]]
[4] なお[[建元]]が[TIME[日本永正3(1506)年][1506]]と一覧表にある
[SRC[>>513 p.31]]
のは誤りです。
[REFS[
- [15] [CITE[[[熊本県下の私年号考]]]]
- [7] [CITE[[[肥後の金石論集.I]]]]
-- [23] [CSECTION[[[熊本県の私年号小考]]]]
- [513] [CITE[[[郷土調査の手引き]]・1 三訂版]]
]REFS]
-*-*-
[18]
[CITE[[[板碑とその時代]]]]は[TIME[文亀2(1502)年][1502]]が[[元年]]か、
子平5年は[TIME[西暦1506年][1506]]か、としていました。
[SEE[ [[日本私年号一覧表]] ]]
確定させていないのは[[加平]]との関係しか根拠がないためでしょうか。
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,子平 , - , 文亀2年(1502年) ,不明 , 熊本県熊本市北区植木町所在宝篋印塔銘
-*-*-
[5]
>>513 の拓影を見ると「子平」はバランスが悪く1文字のようにも見えますが、
「辛」ないし「年」1文字にしては「平」部の「ソ」が不審ですし、
[[年数]]の前なのでどちらも意味が通りません。
しかも宝篋印塔ということなので上にもう1文字書く場所はなさそう。
[11]
>>23 の写真で見ると明らかに2文字ですね。
[6]
近い時代に[[加平]]もあるので、[[元号名]]であるのは間違いなさそう。
両者は何らかの関係がありそうですが、「子」と「加」は字形が似てそうで似てないので、
直接的な誤写のような関係ではなさそう。
* 関連
[19] 同時期、同地域に[[加平]]が知られています。
* メモ
[22]
[CITE[日本私年号の研究]]未収録 (当時未発見)。