-
Notifications
You must be signed in to change notification settings - Fork 4
/
618.txt
1623 lines (1101 loc) · 120 KB
/
618.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
276
277
278
279
280
281
282
283
284
285
286
287
288
289
290
291
292
293
294
295
296
297
298
299
300
301
302
303
304
305
306
307
308
309
310
311
312
313
314
315
316
317
318
319
320
321
322
323
324
325
326
327
328
329
330
331
332
333
334
335
336
337
338
339
340
341
342
343
344
345
346
347
348
349
350
351
352
353
354
355
356
357
358
359
360
361
362
363
364
365
366
367
368
369
370
371
372
373
374
375
376
377
378
379
380
381
382
383
384
385
386
387
388
389
390
391
392
393
394
395
396
397
398
399
400
401
402
403
404
405
406
407
408
409
410
411
412
413
414
415
416
417
418
419
420
421
422
423
424
425
426
427
428
429
430
431
432
433
434
435
436
437
438
439
440
441
442
443
444
445
446
447
448
449
450
451
452
453
454
455
456
457
458
459
460
461
462
463
464
465
466
467
468
469
470
471
472
473
474
475
476
477
478
479
480
481
482
483
484
485
486
487
488
489
490
491
492
493
494
495
496
497
498
499
500
501
502
503
504
505
506
507
508
509
510
511
512
513
514
515
516
517
518
519
520
521
522
523
524
525
526
527
528
529
530
531
532
533
534
535
536
537
538
539
540
541
542
543
544
545
546
547
548
549
550
551
552
553
554
555
556
557
558
559
560
561
562
563
564
565
566
567
568
569
570
571
572
573
574
575
576
577
578
579
580
581
582
583
584
585
586
587
588
589
590
591
592
593
594
595
596
597
598
599
600
601
602
603
604
605
606
607
608
609
610
611
612
613
614
615
616
617
618
619
620
621
622
623
624
625
626
627
628
629
630
631
632
633
634
635
636
637
638
639
640
641
642
643
644
645
646
647
648
649
650
651
652
653
654
655
656
657
658
659
660
661
662
663
664
665
666
667
668
669
670
671
672
673
674
675
676
677
678
679
680
681
682
683
684
685
686
687
688
689
690
691
692
693
694
695
696
697
698
699
700
701
702
703
704
705
706
707
708
709
710
711
712
713
714
715
716
717
718
719
720
721
722
723
724
725
726
727
728
729
730
731
732
733
734
735
736
737
738
739
740
741
742
743
744
745
746
747
748
749
750
751
752
753
754
755
756
757
758
759
760
761
762
763
764
765
766
767
768
769
770
771
772
773
774
775
776
777
778
779
780
781
782
783
784
785
786
787
788
789
790
791
792
793
794
795
796
797
798
799
800
801
802
803
804
805
806
807
808
809
810
811
812
813
814
815
816
817
818
819
820
821
822
823
824
825
826
827
828
829
830
831
832
833
834
835
836
837
838
839
840
841
842
843
844
845
846
847
848
849
850
851
852
853
854
855
856
857
858
859
860
861
862
863
864
865
866
867
868
869
870
871
872
873
874
875
876
877
878
879
880
881
882
883
884
885
886
887
888
889
890
891
892
893
894
895
896
897
898
899
900
901
902
903
904
905
906
907
908
909
910
911
912
913
914
915
916
917
918
919
920
921
922
923
924
925
926
927
928
929
930
931
932
933
934
935
936
937
938
939
940
941
942
943
944
945
946
947
948
949
950
951
952
953
954
955
956
957
958
959
960
961
962
963
964
965
966
967
968
969
970
971
972
973
974
975
976
977
978
979
980
981
982
983
984
985
986
987
988
989
990
991
992
993
994
995
996
997
998
999
1000
[1]
[DFN[豊島区]]
* Webページ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2]
[CITE[東京坂道ゆるラン | 坂の町・東京(主に文京区、新宿区、千代田区)を歴史ラン。古地図、古写真でタイムスリップ!走って探すお江戸の物語。]],
[TIME[2016-08-09]], [TIME[2016-08-09]]
<http://sakamichi.tokyo/>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
頼朝伝説と堀部安兵衛の新宿区早稲田、太田道灌の面影橋、砦のような造りの寺社など、遠い昔の古鎌倉街道に想いを寄せて観てきましたが、ここ金乗院前も街道色の濃い地であり、深い歴史に彩られています。
古鎌倉街道を行く1(新宿区編)
古鎌倉街道を行く2(豊島区前編)
宿坂(江戸名所図会より)。残念ながら観音堂は今はない。
宿坂
中世の頃、「 宿坂の関 」と呼ばれる所が、このあたりにあった。この坂の名が、宿坂道と残っているのは、おそらくそれにちなむものと思われる。
“宿坂の関”は鎌倉街道の道筋にあったものといわれ、したがって、ここ宿坂はその街道上の地名と考えられる。古地図によると、鎌倉街道は現在のこの道より、やや東寄りに位置していたが、一応ここも鎌倉街道の名残りといえよう。
今から三百年ほど前、このあたりには樹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみの坂道として狐狸の類がとびはねて、通行人を化かしたなどという話もいまに伝わっている。
説明書きには「 現在のこの道より、やや東寄り 」と書いています。明治の地図で見ると、
明治41-42年(1908-09年)1万分の1測図。 ブルーライン が古鎌倉街道。
東側( 赤矢印 )に崖があり、そちらの方に蛇行していたのでしょう。
東の崖上から宿坂を見る。
江戸名所図絵を見ても坂はクネクネしています。宿坂西隣りの「のぞき坂」は上下通行車道としては都内ナンバーワンの急坂。
のぞき坂坂上より
同じ目白台地を登る宿坂も、かなり急なので少しカーブしながら登っていたということでしょう。
金乗院の裏門あたりに「 宿坂の関 」と茶屋があったと云います。
宿坂の関は関東お留の関の一つ。中世には、四ツ谷、三軒茶屋、品川、千住などにも関があったと伝えらています。
また今は無き 姿見橋 の由来になった刑場もこの辺りにあったと云いますが、江戸以前、後北条氏の頃の話で場所の特定もできず、今では単に言い伝えとして残るだけの怖い話です(姿見橋=罪人の後ろ姿を見送る)。
金乗院門前の読めない碑
金乗院門前のこの碑、「むせる」?
またまた出現した読めない崩し文字。ということでいつものように歴史のFBグループに質問するとなんと、「 はせ寺 」と読むとのこと。長谷寺?金乗院なのに長谷寺とはこれ如何に?
そうです。ここには太平洋戦争の戦災(昭和20年、1945年5月)にあった
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3]
[CITE[“幻の貝塚” 縄文時代の遺跡 約120年ぶり見つかる | NHKニュース]],
[TIME[2017-12-25]], [TIME[2017-12-26]]
<https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171225/k10011270771000.html?utm_int=all_side_ranking-access_002>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
明治時代に発見されたあと宅地開発などの影響で所在がわからなくなり、研究者の間で幻の貝塚と呼ばれていた縄文時代の遺跡が、東京・豊島区の住宅街でおよそ120年ぶりに見つかりました。周辺には大規模な集落が広がっていたと見られ、貴重な発見だと注目を集めています。
およそ3000年から4000年前の縄文時代後期の遺跡、池袋東貝塚は、明治時代に発見されたという記録がありましたが、豊島区教育委員会によりますと、周辺の宅地化が急速に進んだことなどから、その後、所在がわからなくなっていました。 ことし10月、豊島区の東武東上線の下板橋駅付近の住宅街で建物の建て替え工事が行われた際に大量の土器や貝が見つかり、当時の記録と出土した遺物や場所がおおむね一致したことなどから、池袋東貝塚だと確認されました。 この遺跡は蒔田鎗次郎という考古学者が発見したことが、明治29年に発行された東京人類学会誌に掲載された論文に記されていましたが、戦災や戦前・戦後の開発などで失われた可能性も指摘されるなど、研究者たちの間では幻の貝塚と呼ばれていたということです。 遺跡からは、縄文土器のほか、ハマグリやカキ、それにシカやイノシシなどの動物の骨が大量に見つかりました。また、当時の人が土を盛って作った盛土遺構が見つかったほか、火をおこした跡も確認され、豊島区教育委員会は遺跡が集落の一角だったと考えられるとしています。 縄文時代の考古学に詳しい明治大学の阿部芳郎教授は「東京では縄文時代後期の集落の遺跡が見つかることは少なく、当時の人々の生活の実態を知るうえで重要な発見だ。遺跡の保存状態がよいので、今後調査をすれば、周辺で大規模な集落が確認できる可能性も高いのではないか」と話しています。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4]
[CITE[小さすぎる公園めぐり(渋谷・新宿・池袋方面) - デイリーポータルZ:@nifty]],
[TIME[2013-11-15]], [TIME[2013-11-15]]
<http://portal.nifty.com/kiji/131115162364_4.htm>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
ここからようやく新宿区に突入。新宿区と豊島区は、区のホームページに公園の面積が記載されているので効率的に探すことができるのだ。
新宿区の公園で特に小さいのは、新大久保駅と高田馬場駅の間にある百人町地区の「ポケットパーク」。小さなもので50平方メートルほどの小さな公園が密集しているのだ。
]BOX]
]FIG]
- [5] [CITE[小さすぎる公園めぐり(渋谷・新宿・池袋方面) - デイリーポータルZ:@nifty]],
[TIME[2013-11-15]], [TIME[2013-11-15]]
<http://portal.nifty.com/kiji/131115162364_1.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6]
[CITE[「池袋本町電車の見える公園」の放射性物質が判明しました(4月28日発表)|豊島区公式ホームページ]],
[TIME[2015-04-28]], [TIME[2015-04-29]]
<http://www.city.toshima.lg.jp/012/kuse/koho/1504281917.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
マイメニューの機能は、JavaScriptが無効なため使用できません。ご利用になるには、JavaScriptを有効にしてください。
「池袋本町電車の見える公園」の放射性物質が判明しました(4月28日発表)
「池袋本町電車の見える公園」(池袋本町4-41)で計測された高放射線量の原因である放射性物質について、専門機関である公益社団法人日本アイソトープ協会で調査が行われ、本日28日、その結果が報告されました。
報告によれば、24日に採取された土壌の中から、直径3ミリ、高さ3ミリの円筒状のステンレスカプセル(線源)が発見され、核種はラジウム(Ra-226)と同定されました。また、線源を取り除いた土壌から汚染を示す数値は検出されなかったため、線源は完全に密閉された状態であることが判明しました。
これにより、放射能が外部に漏れだしていないことが再確認されました。
【日本アイソトープ協会の報告内容】
24日に採取した土壌試料の中から発見された放射性物質と見られる金属塊及び、線源周辺の土壌について、27日、外観検査、核種の同定、放射能の定量、汚染検査の各調査を実施した。
【調査結果の概要】
外観検査
土壌試料の中からステンレスカプセルの線源1個を発見
1)外観写真
2)線源の形状:円筒形(3mmφ×3mmH)
3)刻印等:カプセル上部に「1」の刻印
核種の同定
測定されたγ線スペクトルから「Ra-226」と同定
放射能の定量
線源の概算放射能:37メガベクレル相当(1ミリキュリー)
__&&*&&__線源からの距離20cmにおける1cm線量当量率より換算
汚染検査
線源を取り除いた土壌から汚染は検出されなかった
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[7]
[CITE[豊島区最古の神社 - 路地ウラ観光案内]],
[TIME[2016-12-31]], [TIME[2017-10-27]]
<http://rojiurawatch.hatenablog.com/entry/2016/12/31/153218>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
はやいもので、今日は2016年を締めくくる大晦日。
初詣にはどこの神社に行こうか、近所の 氏神 様か、車で有名な神社まで行ってみようか、悩んでしまいませんか?
豊島区の皆さんは、区内最古の神社「 駒込 妙義神社 」などいかがでしょうか。
JR 駒込駅 下車、徒歩約分。 本郷通り から「ここ行っていいの?」と思う細い坂道を上がります。そこが神社の参道となるそうです。大きな木が印象的。
参道を進むと、大木の先が幅広の階段になっていました。こういう高低差、道をつなぐ階段って好きです*
階段を下ると、突き当りに見えるのが 妙義神社 になります。
立派な鳥居。
急な階段。
小さな碑が並んでいます。
本殿。
本殿の右手には、広場があり、お祭りに使われる他、地域の方々の憩いの場となっています。その傍らには、 庚申塔 もありました。
庚申塔
神社の説明の看板には、「 駒込 村の農民によって建立された 庚申塔 が遺されており、当該地域の信仰の拠点となっていたと推察される。」と記載されています。
古そう。
ソメイヨシノ の大木があり、根が力強くこっち側にのびてきていました。
ネットで公式HPを検索すると、「勝ちたい方の神社」という表示。
ホーム - 東京駒込妙義神社公式サイト|勝ちたい方の神社
サイト内でのお守りのページには、たしかに「勝守」と書かれた守護守りの御札がとてもご利益がありそうです。
是非、豊島区民のみなさま、一年の祈願に行ってみてはいかがでしょうか。
__&&*&&__****
最近は、可愛い御 朱印帳 がたくさんありますね*
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8]
[CITE[《おさる日記、再び》 豊島区立最狭の公園、目白四丁目仮児童遊園]],
[TIME[2013-11-15]], [TIME[2013-11-15]]
<http://brdg.blog70.fc2.com/blog-entry-79.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
西武池袋線の車窓からチラリと見えた、気になる公園。 Google Mapでも見えます。こんなんデス。 →Google Mapで見る 線路で行き止まっている路上に、柵で囲われた一角があります。 パッと見、不法占拠みたいですよねえ。 馬っぽい遊具があるので公園と認識できるのですが、必然性のなさ、というか、居心地の悪さがひしひしと伝わってきます。 ひょっとして、「道路拡張時に用地買収ができてなくて、道路に食い込んで宅地が残ってる」みたいなモノだったりして。 所有権をアピールするために、地主さんが遊具(実はガラクタ)を置いてるんじゃないかとか、勝手に想像してると楽しい。「既成事実を主張させるための馬」なんてねえ。地主さんの仕業としたら、あまりにもプリティな抵抗だなあとか。 とにかく近くで観察すべく、現地へ行ってみました。
椎名町駅からそれほど遠くありません。道なりに歩いて、すぐ発見。 電車から見えた印象より広く感じましたが、それでも手狭感は否めません。例の遊具のほかは、数本の植栽と用水の蓋でほぼ敷地いっぱいです。 そして看板には「目白四丁目仮児童遊園」とあります。そうか、フツーに公園なのか。立ち退きを拒む地権者の牙城ではないことがわかって、なぜか安堵の心持ちに。 それにしても「仮」と堂々と掲げているのがすがすがしい。そう明示されると、「やっつけで設置したんだかんね。すぐにでも撤収できんだかんね」みたいに思えてくるから不思議です。 帰宅してから豊島区の公式サイトをチェック。 →豊島区のWEBサイト ふんふん、「仮」と名のつく公園が他にもあるんだなあ。「仮」がつくかつかないかは、きちんとした定義があるんでしょうけど、そこは興味がないので調べません(お役所の区分定義は、たいていの場合、おもしろみのない機械的な線引きに過ぎないのだ)。 面積は31.53m2、豊島区が管理している公園のなかで最も狭いことがわかる。何だかウレシイ。 でも、待てよ。そんなにあったっけ?なにやら水増しのにおいがしますよ、こりゃ。もう1回行って実測する必要がありますな。 さて、行ったときの話に戻ります。 公園であることを示す重要な記号「馬の遊具」(もうひとつは看板ね。記号はこの2つしかないのだ)。 せっかくなので、これで遊んでみました。ええ、もちろん乗ってみたですよ。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[9]
[CITE[真盛寺|杉並区梅里にある天台真盛宗寺院、三井寺]],
[TIME[2014-12-13]], [TIME[2014-12-13]]
<http://www.tesshow.jp/suginami/temple_umezato_shinsei.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
真盛寺山門
真盛寺玄関
真盛寺の縁起
真盛寺は、寛永8年(1631)に湯島天神前に開創、天和3年(1683)谷中清水町に、元禄元年(1688)本所小梅寺町に、大正11年に当地に移転しました。当寺は三井高利が江戸日本橋に越後屋創業して以来の菩提寺で、三井寺とも称されています。
杉並区教育委員会掲示による真盛寺の縁起
当寺は、天羅山養善院真盛寺と称し、真盛上人の興した天台真盛宗の東京別院で、本山は滋賀県大津市坂本の西教寺です。本尊は阿弥陀三尊立像です。
「江戸本所真盛寺之記」によれば伊賀国(現三重県)出身の真観上人によって寛永8年(1631)に湯島天神前樹木谷(現文京区湯島)に開創されました。その後、寺域が御用地となって天和3年(1683)谷中清水町に、更に東叡山拡張のため元禄元年(1688)本所小梅寺町(現墨田区横川)にと移り、のち煤煙と浸水を避けて大正11年に現在の地に移転しました。
当寺は延宝元年(1673)に三井高利が江戸日本橋に越後屋創業して以来の菩提寺で、俗に三井寺とも称され、三井一門の香華院として知られています。
本所から移築した本堂は安永5年(1776)、元三大師堂は文政3年(1820)、中玄関書院は慶應元年(1865)と、いずれも区内では数少ない江戸時代の建物です。
また客殿・庫裡は明治天皇の行幸を仰ぐため細川侯爵邸を譲り受け、目白高田老松町から移築したものです。
境内右手の「新鏡ヶ池」は旧高円寺村字中小沢の地名の由来となった古池で、中島に弁財天を祀り放生池となっています。門前の木遣塚は元禄年間、江戸城普請のときうたい始めた木遣節を後世に伝えるために建てたもので、毎年五月三日に鳶職和泉会の有志によってうたい継がれています。
なお当寺には、「真観上人画像」、雪舟銘「商山四皓」図をはじめ数多くの文化財が所蔵されています。(杉並区教育委員会掲示より)
「杉並の寺院」による真盛寺の縁起
真盛上人の興した天台真盛宗の東京別院である。当時の開創は、開山真観が、真盛上人開山の伊勢津の西来寺で得度、寛永5年関東に下り、川越仙波の無量寿寺中院末西明寺住職を経て江戸にのぼり、寛永8年、藤堂大学頭高吉の家来長谷川藤十郎の大きな援助により、湯島に江戸で最初の天台宗真盛派の寺を建立したことによる。開創間もなく豪商越後屋三井高利の帰依を受け、以来三井家の外護により、江
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10]
[CITE[軍事工場の謎のトンネル(後編・消えた坂道、天神坂) | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-02-15]], [TIME[2017-02-15]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=6059>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
後楽園駅前、礫川公園のトンネル跡。これは小石川税務署裏まで続いているのか? 前編 で考察した水戸藩江戸上屋敷とは関係あるのか?
後楽園駅前、礫川公園のトンネル跡。
前編・後楽園編はこちらから
どうも礫川公園の隧道入口のレンガは明治に比べ時代が新しいような気がします。
しかも税務署の方角を向いていません。
小石川税務署裏で露出したトンネルらしきもの。
古地図を見てもそうです。また、明治の当初、射撃場は地下では無かったようです。
古地図:明治13-19年(1880-86年)第一軍管地方2万分の1迅速測図原図より射撃場
古地図:明治41-42年(1908-09年)1万分の1測図より射撃場
地面を掘り下げ、周りを土塁で囲ったような表記です。
夏目漱石先生の「こころ」にこんな記述があります。
散歩がてらに本郷台を西へ下りて 小石川の坂 を真直に伝通院の方へ上がりました。電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃は左手が 砲兵工廠の土塀 で、右は原とも丘ともつかない空地に草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なく向うの崖を眺めました。
西富坂
「小石川の坂」とは電車の通路と言っているので市電の通る「 西富坂 」のことです。西富坂から伝通院に向かって登っていくと、左手には砲兵工廠があり、土塀があったようです。レンガ塀ではなく土塀。弾丸がめり込みやすく流れ弾の反射を防げるということでしょうか。
西富坂
西富坂は、かつての射撃場に沿うように、かつての水戸上屋敷の敷地に沿うように、ここでカーブしています。
消滅してしまった江戸時代の 東富坂 と違い、西富坂は主要幹線道路となっています。
もう一つの射的場
明治期には文京区弥生にも射的場があり、そこは等高線を見る限り、かなり掘ったようで驚かされます。
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より「東京共同射的会社。
砲兵工廠の射撃場は、弥生のこれとは違い、掘った土を積み上げ、ガードフェンスにしていたようです。
余談ですが、弥生、かつての射的場近くに 「弥生土器ゆかりの地」の碑 が立っています。
「弥生土器ゆかりの地」の碑
実は弥生式土器の出土地は正確に把握できておらず、東京大学校内だとか、向ヶ岡貝塚だとか、 異人坂 だとか、いま現在、碑のある場所だとか、意
]BOX]
]FIG]
- [11] [CITE[なぜある?旧東富坂の抜け穴と講道館の抜け穴(前編) | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-03-17]], [TIME[2017-03-17]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=3180>
- [12] [CITE[なぜある?旧東富坂の抜け穴と講道館の抜け穴(後編・開運坂) | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-03-17]], [TIME[2017-03-17]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=5473>
- [13] [CITE[小栗坂とは関係ない小栗上野介を想う | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-01-10]], [TIME[2017-01-10]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=5874>
- [14] [CITE[軍事工場の謎のトンネル(前編・後楽園編) | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-02-15]], [TIME[2017-02-15]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=5993>
- [15] [CITE[こんなに急坂だったの?富坂(西富坂) | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-03-17]], [TIME[2017-03-17]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=6151>
- [16] [CITE[文京区の怪しげな淫祠まとめーおもしろいお地蔵さん | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-02-28]], [TIME[2017-02-28]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=6215>
- [17] [CITE[絵巻、古地図で見る桜田門外の変 | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-03-24]], [TIME[2017-03-24]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=6495>
- [18] [CITE[古地図で辿る大久保利通、最期のルート「紀尾井坂の変」 | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-04-18]], [TIME[2017-04-18]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=6805>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[19]
[CITE[【豊島区】ワンブロックぐるり散歩 - 路地ウラ観光案内]],
[TIME[2016-11-12]], [TIME[2017-05-31]]
<http://rojiurawatch.hatenablog.com/entry/2016/11/12/012854>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
東京都豊島区の住宅密集地帯。
冬の寒空、ワンブロックだけぐるりと歩きます。
ゆるい下り坂。
電線。
道幅は、車がギリギリ1台通れる程度。
コン クリート のヒビから生まれた命。
ヒトしか通れない道幅。
ごちゃ感。
植木鉢ロード。
木枠のガラス扉がかっこいい。
近くで見ると、型板ガラスの模様が見られます。
ぐるっと歩いていると、神社に七五三の旗が。
鳥居から階段を見上げると、親子が仲良くお参りしていました。
妙義神社
とにかく空気が冷たく、手先も冷えてしまいました(笑)
街歩きの際には、そろそろ防寒対策をしないといけませんね。
(つづく)
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[20]
[CITE[首都高トンネル内で車から煙 一部通行止め | NHKニュース]],
[TIME[2016-04-06]], [TIME[2016-04-06]]
<http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160406/k10010469301000.html?utm_int=news_contents_news-main_006>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
6日午後、東京・豊島区の首都高速道路中央環状線の山手トンネル内で、車両から煙が出て、一時トンネル内に煙が立ちこめました。消防によりますと、けが人の情報はないということですが、一部の区間が通行止めとなっています。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[21]
[CITE[豊洲 (東京都江東区) - 東京DEEP案内]],
[TIME[2016-07-01]], [TIME[2016-07-02]]
<http://tokyodeep.info/chinese-in-toyosu/>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
【東京=トンキン】アイヤー!タワマンバブルに湧く江東区「豊洲」で中国人が急増している件
2016/7/1
2016/7/1
江東区
少子高齢化を基に容赦なく進む日本の人口減少社会、その反面どんどん外国人人口が増えまくっているのが今の東京都である。そんな中で先日、 「23区ではどこの国籍の人口が多いのか?」 というタイトルの記事が出てきた。この記事では6月27日に東京都が公表した 「東京都の人口(推計)」の概要 に基いて、23区の中で外国人人口が増加した区、特に中国人が増加した区をグラフや地図上にプロットするなどして可視化したデータを掲載している。
記事では外国人人口の割合を国別に円グラフでまとめているがその中でも「中国」が42%(台湾・香港も含む)で見るからにダントツなのだが、そんな中国人が多い区を上位4区で新宿、江戸川、江東、豊島と挙げているのだ。新宿区は極東最大のエスニックタウン新大久保があるし豊島区は東京最大のチャイナタウン池袋があるのでまだ分かる。しかし気になるのが東京東側の江戸川区と江東区だ。
江戸川区も江東区もJR総武線及び地下鉄東西線沿線が軒並み大陸系の本格大衆中華料理屋と怪しいマッサージ屋に中国小姐が夜な夜な「オニイサンマッサージキモチイイヨ」と片言で客引きする光景が当たり前になっているアレな街ばかりなのだが、とりわけ街並みがドラスティックに変貌を続けているのが江東区豊洲・東雲・有明といったタワマン建設ラッシュに湧く湾岸エリアである。
元々は工場地帯の埋立地だったのに今では富裕層がこぞって集まる街に
元々、豊洲・東雲・有明一帯は関東大震災後の瓦礫処理の際に埋め立てられた土地で環境汚染や公害といった悪しきレッテルが付きまとっていた工場や倉庫街でしかなかったが、都心に程近い故に再開発によって高級タワーマンションが続々建てられて富裕層が続々と入居し、特に豊洲地域は子供の人口も急増した為に2007年に豊洲北小学校、2015年に豊洲西小学校が相次いで増設される羽目になっている。
5年前の東日本大震災の記憶も薄れ、地震がひと度起きて停電でもすればエレベーターが止まって日常生活もままならなくなるような埋立地のマンションをポンポンと億単位も払って買ってしまうお目出度い人々がそれほどまでに大勢居るのかという驚きもあるのだが、富裕層と貧困層の二極化がそれだけ進んでいる
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22]
[CITE[山手線 - Wikipedia]],
[TIME[2013-05-23]], [TIME[2013-05-24]]
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E7%B7%9A>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
山手線(やまのてせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道路線である。
「山手線」には、次の4つの意味合いがある。旅客案内および運行管理上は2.が多用される。
路線名称としての「山手線」:東京都港区の品川駅を起点に、渋谷駅・新宿駅・池袋駅を経由して北区の田端駅を結ぶ全長20.6kmの鉄道路線(幹線)の名称__&&[&&__1__&&]&&__。東海道本線の支線。鉄道要覧に記載された山手線の区間でもある。
全線複々線であるが、このうちの埼京線電車、湘南新宿ラインの列車や特急列車、貨物列車の走る路線を通称「山手貨物線」と呼ぶ。
運転系統としての「山手線」:上記 1. に東海道本線の一部および東北本線の一部区間を合わせて東京都区内で環状運転を行う近距離電車の運転系統。実際には同運転系統のみが使用する専用の線路があり、それを「山手線」と呼ぶ。
マルスのシステム上の経路表示における「山手線」:上記1.から、代々木駅 - 新宿駅間を除外し、田端駅 - 日暮里駅間を含む(代々木駅 - 新宿駅間は「中央東線」と表示される)。
運賃計算上の「東京山手線内」:東京駅からの営業キロ程が100km超200km以内の範囲に所在する駅に発着する乗車券(または1km超200km以内の範囲に所在する駅に発着する一部の特別企画乗車券)に表示されることがある運賃計算上の名称。上記2.の区間に加え、環状線内側にある中央本線神田駅 - 代々木駅間および総武本線秋葉原駅 - 御茶ノ水駅間を含む。また、この区間内相互の近距離運賃は区間外よりも低額に設定されている。
以降、本項において特記のない場合は、2. の運転系統としての山手線を指すものとする。
概要
山手線は、日本の首都である東京の都心部で環状運転を行い、多くの駅において、都心から各方面へと伸びるJR(在来線・新幹線)や私鉄各社の放射路線、および都心部を走る地下鉄各線に接続している。1周の長さは34.5km、1周の所要時間は最速59分、平均64分である。ラインカラーは1963年登場の103系電車の車体の色に使用されたウグイス色(■、国鉄黄緑6号)であり__&&[&&__2__&&]&&__、以降登場したステンレス車両の帯の色や旅客案内(路線図・サインシステムなど)にも使用されている。
山手線は、日本の文明開化期に日本鉄道(私鉄)が当時国内有数の貿易港であった横浜港と関東地方内陸部の各地(埼玉県、群馬県、栃
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23]
[CITE[東京スカイツリー - Wikipedia]],
[TIME[2013-08-16]], [TIME[2013-08-16]]
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%BC>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
東京スカイツリー(とうきょうスカイツリー、英: TOKYO SKYTREE)は東京都墨田区押上一丁目にある電波塔(送信所)である。観光・商業施設やオフィスビルが併設されており、ツリーを含めた周辺施設は東京スカイツリータウンと呼ばれる。2012年5月に電波塔・観光施設として開業した。
概要__&&[&&__編集__&&]&&__
1997年頃から既存の電波塔である東京タワーに代わる新タワーについて首都圏各地で誘致活動が行われていたが、2003年12月に日本放送協会(NHK)と在京民間テレビ局5社(日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)が600m級の新しい電波塔を求めて「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足、新タワー構想を推進していくことで建設に向けた計画に進展がついた__&&[&&__1__&&]&&____&&[&&__2__&&]&&__(建設地決定についての経緯は後述)。
東京スカイツリーの建設目的は東京タワーが位置する都心部では超高層建築物が林立し、その影となる部分に電波が届きにくくなる問題を低減するほかにワンセグやマルチメディア放送といった携帯機器向けの放送を快適に視聴できるようにすることも建設目的のひとつとされた__&&[&&__1__&&]&&____&&[&&__2__&&]&&__。
事業主体は東武鉄道が筆頭株主となる「東武タワースカイツリー株式会社」であり、事業費は約500億円とした。このために、同社は500億円のユーロ債のCBを発行して資金調達を行っている。建設費は約400億円。総事業費は約650億円。施工は大林組、設計は日建設計である。テレビ局からの賃貸料および観光客からの入場料などで収益を得る見込みである。
東京都墨田区に所在する東武伊勢崎線・東京地下鉄半蔵門線・京成押上線・都営地下鉄浅草線の押上駅(2012年5月22日より「押上(スカイツリー前)」)と東武伊勢崎線のとうきょうスカイツリー駅(旧業平橋駅)の間に挟まれる、東武鉄道の本社隣接地で所有地でもある貨物駅跡地(貨物廃止後業平橋駅3、4、5番線ホームの敷地として使用されたが、廃止)に建設された。当地区は航空法上、東京国際空港(羽田空港)の制限表面の外側水平表面が被さる地域であるため空港標点の海抜295mまでの建造物しか建てられなかったが2005年4月28日に高さ規制区域が見直されて建設可能となった__&&[&&__3__&&]&&____&&[&&__4__&&]&&__。
2008年7月14日に着工され、3年半の期間をかけて2012年2月29日に竣工した__&&[&&__5__&&]&&__。2012年5月2
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[24]
[CITE[江東区 - Wikipedia]],
[TIME[2013-08-17]], [TIME[2013-08-21]]
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%9D%B1%E5%8C%BA>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
昼夜間人口__&&[&&__編集__&&]&&__
2005年に夜間人口(居住者)は420,827人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は490,708人で昼は夜の1.166倍の人口になる(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行126,127ページ 国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる)
地理__&&[&&__編集__&&]&&__
河川
隣接する自治体
中央区、港区、墨田区、品川区、大田区、江戸川区
※ 隣接する自治体とはすべて陸続きでもある。
地勢__&&[&&__編集__&&]&&__
かつて地下水の汲み上げにより地盤沈下したことで、区の大部分がゼロメートル地帯となっている。また、運河と橋が多く、区では“水彩都市”と呼んでいる。道路と水路が連なって作られており、住宅地のそばを船が行き交うことも多い。区内には東京都から副都心に指定されている臨海副都心と錦糸町・亀戸副都心があり、二つの副都心を包括している。この事もあり、区内には観光客や会社員も多くやって来る。
臨海副都心は品川区・港区にも跨っているが、実際には江東区が大部分を占めており、近年__&&[&&__いつ?__&&]&&__急速に開発が進められた新興開発地域であり、街の景観は非常に近代的である。 錦糸町・亀戸副都心のほうは昔からあった大繁華街で、古くから下町として栄えた。1990年代後半から、東京の新スポットとしても急速に開けており、下町情緒と近代的な再開発地域の同居する街並みへと変貌した。臨海副都心部には埋立地が多く、ゴミ埋立て「東京ゴミ戦争」で有名な夢の島や青海、有明などは観光地区としても賑わっている。 また、臨海部にある湾岸地域は港区、江戸川区と海岸線を連ねてつながっており、台場や東京ディズニーリゾートへの交通の便が良い。なお、東日本大震災の際に、一部液状化した地区もあり、団地が浮き上がったり、道路など地面が沈み込んだ地区もあるが、2013年現在、簡易な補修または放置されている場所もある。
面積は39.94km²だが、この数字には大田区と帰属係争中の中央防波堤地区は含んでいない。
自然環境__&&[&&__編集__&&]&&__
区の臨海方面にあるかつてのゴミ埋立地である夢の島一帯は大規模な公園が作られ、市街開発にあたって並木や草木が大量に植えられ、東
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[25]
[CITE[吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 :日本経済新聞]],
[TIME[2013-09-06]], [TIME[2013-09-06]]
<http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21022_R20C13A8000000/?df=4>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
東京都羽村市の羽村取水堰。ここから玉川上水に分岐する。現在は東京都の水源は利根川水系が8割で多摩川水系は2割となっている
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[26]
[CITE[めちゃめちゃ綺麗になった東京駅前の「行幸通り」: 東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行]],
[TIME[2010-10-27]], [TIME[2013-12-25]]
<http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2010/10/post-fb6d.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
-行幸通り- 「行幸通り」の内側に「歩道兼馬車道」が再整備され、2010年4月12日から開放されました。 「行幸通り」は、皇居前の和田倉門交差点と東京駅中央口交差点を結ぶ、「東京都道404号皇居前東京停車場線」の通称です。 約73m幅の「行幸通り」にヒートアイランド現象を緩和する「保水性舗装タイル」を敷いた広い歩道が完成しています。 長さは約200mで、「歩道兼馬車道」の両側にはベンチが設置され、イチョウ並木も整備されています。 今までは、東京駅周辺には、皇居外苑まで足を延ばさないとまったりする空間がありませんでした。 新たに登場した超一等地のこの空間は非常に贅沢ですが、緑も多く都心のオアシスという感じです。私も歩き疲れて30分くらいポケーっとしていました。 東京駅前の長さ約200mの貴重な空間です。 イチョウ並木がいいですね。 (おまけ) 「新丸の内ビルディング」を見上げてみました。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[27]
[CITE[小笠原村 - Wikipedia]],
[TIME[2014-07-14]], [TIME[2014-07-14]]
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E6%9D%91>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
地理__&&[&&__編集__&&]&&__
東京都本庁から小笠原村本庁である父島までは、約1,000 km離れている。
山: 父島の最高峰は名前の無い山(326m・中央山ではない)、母島の最高峰は乳房山(463 m)
河川
八ッ瀬川
歴史__&&[&&__編集__&&]&&__
「小笠原諸島#歴史」および「小笠原支庁#歴史」も参照
1940年(昭和15年)4月1日 - 普通町村制の適用により、東京府小笠原支庁の父島に大村・扇村袋沢村が、母島に沖村・北村が、硫黄島に硫黄島村が設置される__&&[&&__3__&&]&&__。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。(東京府廃止)
1946年(昭和21年) - アメリカ合衆国軍の直接統治の下に置かれる。
1952年(昭和27年) - サンフランシスコ講和条約により、5村は日本国政府の行政から分離され廃止。アメリカ合衆国の施政権下に置かれ引き続きアメリカ合衆国軍管理となる。これに伴い各村役場は廃止され、役場の一般事務は東京都総務局行政部地方課分室で行われる。
1953年(昭和28年)4月28日 - 小笠原支庁廃止__&&[&&__4__&&]&&__
1968年(昭和43年)6月26日 - 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定発効により、アメリカ合衆国軍から返還、本土復帰すると同時に小笠原支庁の全村が合併し、東京都小笠原村となる__&&[&&__5__&&]&&__。小笠原総合事務所(国の機関)__&&[&&__5__&&]&&__、東京都小笠原支庁および小笠原村役場の行政機関設置。
1979年(昭和54年)
4月22日 - 村議会議員および村長の設置選挙
4月23日 - 村政確立(それより前は東京都小笠原支庁長が小笠原村長職務執行者であった)
行政区域変遷__&&[&&__編集__&&]&&__
変遷の年表
小笠原村村域の変遷(年表)
年
月日
現小笠原村村域に関連する行政区域変遷
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[28]
[CITE[この春行きたい!東京の滅亡城跡めぐり - デイリーポータルZ:@nifty]],
[TIME[2014-11-26]], [TIME[2014-12-05]]
<http://portal.nifty.com/kiji/120329154596_1.htm>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
待ちに待った春が到来!
この4月から、大きな希望で胸をいっぱいに膨らませ、あこがれの東京で新生活を始める人も多いことだろう。
そんな皆さんに贈りたい。かつてこの地で覇を競い、繁栄を願いながら志半ばに散って行った多くの人々の夢の跡を。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[29]
[CITE[千川上水橋梁と地上に姿を現す千川上水 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-05]], [TIME[2014-12-05]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/16370558/>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
西武新宿線上井草駅から西に200mほどの線路上に、千川上水橋梁と記された小さな鉄橋がある。全長10mにも満たない小さな鉄橋だが、1926年竣工の古い橋だ。西武新宿線の開業が1927年だから、開業以来ずっと使われているということになる。
橋の名前からわかるように、この下には、千川上水が流れているのだが、前後の区間が暗渠化されているのに、なぜかこの鉄橋を潜る区間の開渠のまま残されている。
千川上水は1696年に玉川上水から分水された用水路だ。当初は小石川御殿や湯島聖堂、上野寛永寺、浅草寺などの飲料水を供給するための上水路としてひかれたが、後には現在の練馬区や豊島区のエリアの農業用水、そして明治以降は工業用水としても利用され、1971年に送水が停止されるまで、途中何度か中断をはさみながらもおよそ270年もの間流れ続けてきた。 1989年に玉川上水の清流復活事業が行われた際、千川上水のせせらぎも復活しているが、流れが見られるのは上流の5kmほどで、それより下流は、昭和初期から戦後にかけて暗渠化されたまま今に至っている。 千川上水は、青梅街道を越える関町一丁目交差点のところから千川通りの歩道の下を暗渠となって流れていくのだが、そこから1.2kmほどの西武新宿線を踏切で越えるこの場所で、再びヒューム管から顔を出す。
]BOX]
]FIG]
- [30] [CITE[神田川1985(4)谷端川合流点(JR水道橋駅前) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13226330/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[31]
[CITE[真盛寺 - Wikipedia]],
[TIME[2014-11-12]], [TIME[2014-12-13]]
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%9B%9B%E5%AF%BA>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
歴史__&&[&&__編集__&&]&&__
当寺院は、寛永8年(1631年)伊賀国(現在の三重県)出身の真観上人によって現在の文京区湯島の地に建立された。その後天和3年(1683年)に現在の台東区谷中に、さらに元禄元年(1688年)に現在の墨田区横川(本所)に移転した。現在地へは大正11年(1922年)に移転した。当寺院は、延宝元年(1673年)に三井高利が江戸・日本橋において創業した越後屋の菩提寺になっており、俗に「三井寺」とも呼ばれている。また境内は杉並区内においては第3位の広さを誇る。
施設・史跡__&&[&&__編集__&&]&&__
本堂…安永5年(1776年)
元三大師堂…文政3年(1820年)
中玄関書院…慶応元年(1865年)
いずれも本所にあったものを当地に移築したもの。
客殿・庫裡…明治天皇の行幸を仰ぐため細川侯爵邸を譲り受け、目白高田老松町(現在の豊島区)から移築したもの。
新鏡ヶ池
アクセス__&&[&&__編集__&&]&&__
地下鉄丸ノ内線東高円寺駅より徒歩8分。
東高円寺駅、新宿駅、阿佐ヶ谷駅などよりバス(都営バス宿91系統・渋66系統)セシオン杉並前下車徒歩2分
ただし境内は一般公開していない。
参考資料__&&[&&__編集__&&]&&__
杉並区教育委員会設置真盛寺案内板
関連項目__&&[&&__編集__&&]&&__
西教寺…滋賀県大津市にある天台真盛宗の総本山。
三井家
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[32]
[CITE[真盛寺の池: 行け! いけ! 探訪!! 東京の池]],
[TIME[2014-12-13]], [TIME[2014-12-13]]
<http://peepooblue.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-3ad0.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
所在地:杉並区梅里1丁目
青梅街道と環状7号線の交差点の南西側の一帯には堀ノ内祖師で知られる妙法寺(日蓮宗)などいくつもの寺院が集まっていますが、その中にあるのが真盛寺(天台宗真盛派)です。江戸初期、湯島に創建され、やがて越後屋三井家の菩提寺となりました。現在地に移ってきたのは大正11年のことです。 環七から続く参道を行き、山門をくぐると、広い境内は清新な雰囲気で、なかなかよい感じです。そんな境内の東側に池があり、池畔には弁財天が祀られ、茶室があります。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[33]
[CITE[八丈町 - Wikipedia]],
[TIME[2015-01-13]], [TIME[2015-01-20]]
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%B8%88%E7%94%BA>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
歴史__&&[&&__編集__&&]&&__
年表__&&[&&__編集__&&]&&__
1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制が施行され、八丈支庁の八丈島に大賀郷村・三根村・樫立村・中之郷村・末吉村が設置される。
1947年(昭和22年)5月3日 - 地方自治法が施行され、八丈小島に鳥打村・宇津木村が設置される
1954年(昭和29年)10月1日 - 三根村・樫立村・中之郷村・末吉村・鳥打村が合併し、八丈村となる。
1955年(昭和30年)4月1日 - 八丈村は大賀郷村・宇津木村を編入。
同日、八丈村は町制施行し八丈町となる。
1966年(昭和41年)3月 - 八丈小島の住民から八丈町議会に「移住促進、助成に関する請願書」が提出される。6月に八丈町議会が請願を採択。
1967年(昭和42年)9月 - 八丈町から東京都に対し「八丈小島の全員離島の実施に伴う八丈町に対する援助」の陳情が行われる。
1968年(昭和43年)10月 - 土地買収に関する住民との協議が成立。
1969年(昭和44年)6月 - 八丈小島全島民の移住が完了(全島民撤退時の島の人口は旧宇津木村9戸31人、旧鳥打村15戸60人)。「全国初の全島民完全移住」として注目された。
行政区域変遷__&&[&&__編集__&&]&&__
変遷の年表
八丈町町域の変遷(年表)
年
月日
現八丈町町域に関連する行政区域変遷
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[34]
[CITE[漁村の名残り「浦安」 (1) 当代島の船溜まり - 東京DEEP案内]],
[TIME[2015-02-06]], [TIME[2015-02-06]]
<http://tokyodeep.info/post_385/>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
東京23区唯一という人工ではない自然の島「妙見島」を訪れたついでに、県境を跨いで浦安駅まで歩く事にした。
浦安橋を跨いで妙見島から対岸にすぐ都県境が現れる。此処から先はもう千葉県なのである。
かつて東京都と千葉県の境にある葛西や浦安といった町は鉄道も通っていない陸の孤島で、そこに住む人々はアサリや海苔などを養殖して生計を立てていた純朴な漁村だった。
戦後の高度経済成長期に入る中で旧江戸川流域で「黒い水事件」(江戸川漁業被害)と呼ばれる工場排水による深刻な環境汚染に見まわれ、その後は東西線開通後に急速に宅地化が進む中で、もはや漁業で生計を建てる事を諦め漁業権が放棄されるように至ってからも、旧江戸川沿いには漁村の名残りをそのまま留めるかのような船着場の風景が続いている。
浦安橋の上から見える旧江戸川沿いには、かつての漁港としてではなく屋形船や釣り船を経営する船宿の船溜まりが延々と続く。
これが東京・大手町駅から快速電車に乗ってたったの15分で見られる光景だなんて、毎朝寿司詰め電車に乗って都心へ通う痛勤千葉都民の皆さんも気づいているのでしょうか。
しかし橋を降りて歩道の階段に入ると途端に不法投棄が目立つ。一瞬異様な光景だ。
我々は捨てられたゴミの中に見てはいけないものを見てしまった。
人糞が落ちているのだ。しかも下痢便。
リアル浦安鉄筋家族である。
「WELCOME TO CHIBA」
ウエルカムとか言いながらとんでもないものに出迎えられてしまった。浦安橋東詰のカオスっぷりに早くもクラクラ。
浦安橋の東側は当代島一丁目になる。ここまで来ると浦安駅にはかなり至近であるものの街の雰囲気はかなり煤けている。人糞が落ちているかと思ったら目の前は打ち捨てられた廃屋。どうにもこうにも荒んでいる。
挙句の果てにはタクシーの運転手へ向けた注意書きが貼られている始末。
「タクシーの運転手の方 立小便 タバコ・ゴミのポイ捨て 通報させてもらいます」
…この殺伐っぷりは一体なんなのだ。
浦安橋を過ぎた後も廃墟になった民家や潰れた韓国系スナックなどなかなか香ばしい物件が散在しておりなんとも言えない気分にさせてくれる。そして、またしても不法投棄が…
県境や市町村境はゴミ捨てのルールが違っている等の理由で不法投棄が多かったりするものだ。
しかし程なくして浦安駅前メト
]BOX]
]FIG]
- [35] [CITE[高輪「提灯殺し」ガード 桁下制限高1.5m - 東京DEEP案内]],
[TIME[2009-09-08]], [TIME[2015-07-25]]
<http://tokyodeep.info/post_274/>
- [36] [CITE[飛び地「練馬区西大泉町1179番地」 - 東京DEEP案内]],
[TIME[2009-10-19]], [TIME[2015-08-02]]
<http://tokyodeep.info/post_374/>
- [37] [CITE[漁村の名残り「浦安」 (2) 浦安市猫実 - 東京DEEP案内]],
[TIME[2015-02-06]], [TIME[2015-02-06]]
<http://tokyodeep.info/post_475/>
- [38] [CITE[漁村の名残り「浦安」 (3) フラワー通り - 東京DEEP案内]],
[TIME[2015-02-06]], [TIME[2015-02-06]]
<http://tokyodeep.info/post_476/>
- [39] [CITE[漁村の名残り「浦安」 (4) 青べか物語 - 東京DEEP案内]],
[TIME[2015-02-06]], [TIME[2015-02-06]]
<http://tokyodeep.info/post_477/>
- [40] [CITE[漁村の名残り「浦安」 (5) 浦安魚市場 - 東京DEEP案内]],
[TIME[2015-02-06]], [TIME[2015-02-06]]
<http://tokyodeep.info/post_478/>
- [41] [CITE[昭和27年頃の街並みを再現・浦安市郷土博物館 (1) - 東京DEEP案内]],
[TIME[2015-02-06]], [TIME[2015-02-06]]
<http://tokyodeep.info/post_822/>
- [42] [CITE[昭和27年頃の街並みを再現・浦安市郷土博物館 (2) - 東京DEEP案内]],
[TIME[2015-02-06]], [TIME[2015-02-06]]
<http://tokyodeep.info/post_823/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[43]
[CITE[平山城址・絹の道散歩 - 時空散歩]],
[TIME[2015-04-01]], [TIME[2015-04-03]]
<http://yoyochichi.sakura.ne.jp/yochiyochi/2009/09/post-63.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
先日府中から国立に多摩川に沿って、また立川から府中へと立川崖線に沿って歩いた。その時気になっていたのは、多摩川を隔てて聳える多摩丘陵。あそこは聖蹟桜ヶ丘か、ということはその東の丘は米軍のレクレーションセンターのあるところか、あのあたりは高幡不動か、と、あたりをつけながら歩いた。 そのときふと、平山城址公園ってどのあたりだろう、と地図をチェック。昔南大沢から分倍河原に向かって歩いたことがあるのだが、平山城址公園のそばの道を越え、北野街道に出た。そのときは、日没時間切れのため結局、平山城址公園に行けなかった。そのことが少々心残りであったのだろう。ということで、とある日曜日、平山城址公園へとでかけることにした。 行く前に地図をチェック。平山城址公園のそばに長沼公園がある。またその西には野猿峠・野猿街道が走っている。さらにその西南には「絹の道」のマーク。横浜開港時、八王子で集めた絹を横浜まで運んだ道筋とか。絹の道って、多摩の歴史などを読んでいると、しばしば登場するキーワード。いい機会なのでそこまで足を伸ばすことにした。距離は10キロ程度。が、カシミール3Dでチェックすると、結構なアップダウン。多摩の丘陵を登ったり降りたりの散歩となりそう。少々膝に不安を覚えながらも、まずは最初の目的に京王線平山城址公園に向かう事にした。
本日のルート;京王線・平山城址駅>宗印寺>平山城址公園>北野街道>長沼公園>展望台・南陽口>長沼公園・野猿峠口>絹ヶ丘>白山神社>北野台>大塚山公園>絹の道>絹の道資料館>鑓水>小泉家屋敷>京王相模原線・多摩境駅 平山城址公園駅 平山城址公園駅に降りる。のんびりとした駅前。ローカル線の旅といった風情。駅前で案内をチェック。平山季重を巡る散歩コースといった案内がある。 さて、最初の目的地平山城址公園に行くルートを探す。穏当に歩くとすれば、北野街道をすこし東に戻り、先日南大沢から分倍河原に戻る際に歩いた峠越えの車道であろう。途中から公園に上る入り口もあった、かと。
宗印寺から丘陵に上る が、地図を眺めていると駅の南、北野街道からすこし丘陵地に入ったあたりに宗印寺。このお寺の裏山あたりから城址公園に上る道があるにちがいない、と故なき「確信」のもと歩を進める。 お寺に着く。眼下の眺めが美しい。登り道はないものかとチェック。お寺の西脇から山に向かう細道がある。とり
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[44]
[CITE[【都市伝説を検証】目白の田中邸から新潟まで3回曲がれば着く...は本当か?]],
[TIME[2015-05-05]], [TIME[2015-05-05]]
<http://n-knuckles.com/discover/urban_legend/news001465.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
乗り合わせたタクシーの車内。目白付近で運転手は自信ありげに言った。
「角栄邸から新潟の実家まで、3回曲がれば着くんですよ」
まさかと思った。目白から新潟まで300キロ近くあるはずだ。いくら田中角栄が建設行政ににらみがきいたと言っても遠すぎやしないか。かといって彼の言葉を完全に否定する論拠を僕は持ち合わせていなかった。
後日、東京から新潟へ行く用事があったので実走して、確かめることにした。午前7時、レンタカーで角栄邸の前から出発する。死後20年あまり。相続税のため物納されたため、通り沿いに延々と続く塀はもはやない。石造りの塀と鉄門扉がビルと公園の間にかろうじて通りに面している。「田中」と記された表札がなければそこがかつての角栄邸だとは気づくはずがない。
一路西へ。車はすぐに学習院大学、続いて目白駅の前を通る。駅前は二車線で沿線は繁華街になっている。早朝だが通行量は多い。
6キロ走ったところ、豊島区の南長崎一丁目の交差点で右折する。通りは目白通りのままだ。出発から30分ほどで関越道の練馬インターチェンジにさしかかった。目白通りの3車線のうち2車線が高速へつながっていて、そのまま高速に入った。
車は快調に北上していく。谷あいを選んで走行しているからか、緩やかに蛇行するようになった。
関越トンネルに入ったところで、角栄の発言が頭をよぎった。
「三国峠をダイナマイトでふっとばせば越後に雪は降らない。そしてその土を日本海に運べば佐渡と陸繋ぎになる」(初出馬のときの演説)
事実、このトンネルは谷川岳の真下を10キロ以上にわたって貫いている。
そうした発言や後の「日本列島改造論」からわかるように、角栄は自らの選挙区、新潟三区への社会基盤整備に熱心だった。特に昭和30年代後半は公共事業の山ともいえるほどの郷土の大改造を施した。国道17号線の三国トンネルの開通に始まり、上越線の複線化、清水トンネルの完成。
角栄の行動力の原点とも言える裏日本ルサンチマン。それを克服するために霞ヶ関のエリートを手玉に取り、東京への復讐を果たしていったのかも知れない。関越自動車道の完成はその集大成ともいえるのだろう。昭和60年に全線が開通している。
北陸道へ入り、10キロあまりで西山の出口にさしかかった。高速を出ると、目の前には田んぼがあり背後が山になっているいかにも米所といった田舎の風景が広がっていた。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[45]
[CITE[港区の町名 (東京都) - Wikipedia]],
[TIME[2015-06-06]], [TIME[2015-07-09]]
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%BA%E3%81%AE%E7%94%BA%E5%90%8D_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
本項 港区の町名 (みなとくのちょうめい)では、 東京都 港区 に存在する、または過去に存在した町名を一覧化するとともに、明治時代初期以来の区内の町名の変遷について説明する。
港区の前史と行政区画の移り変わり __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
東京都港区は、昭和22年( 1947年 ) 3月15日 、当時の東京都 芝区 、 麻布区 、 赤坂区 が合併して成立した。以下、明治時代初期から港区成立までの行政区画の変遷について略述する。
江戸 が「 東京 」と改称されたのは慶応4年( 1868年 )のことである。同年7月17日(1868年9月3日)、「 江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書 」が発せられ、 東京府 が設置された(同年9月8日・1868年11月18日に明治と改元)。以後、明治22年( 1889年 )に 東京市 が発足するまでの過渡期には、東京府の行政区画はめまぐるしく変遷し、番組制、 大区小区制 、15区6郡制等と呼ばれる制度が相次いで実施された。
明治2年2月( 1869年 3月)、東京府では、町地と郷村部との境界線を定める 朱引 (しゅびき)が行われた。これは、 皇居 を中心とした市街地( 江戸時代 の 町奉行 所支配地に相当)を朱引内とし、その外側を郷村とするもので、朱引内を50の区画に分けて、50番組(50区)が設定された。これとともに、江戸時代から続いていた 名主 制度が廃止された。同年5月(1869年6月)、周囲の郷村部にも5つの組が設定され、これを地方5番組と称した。後に港区となる区域は、このうち朱引内の14番組から22番組、および地方1番組に属した。
明治4年6月( 1871年 7月)には朱引が見直されて、朱引内は44区、朱引外は25区(計69区)に区分された。明治4年7月(1871年8月)には 廃藩置県 が実施された。これにともない、同年11月(1872年1月)、従来の東京府、 品川県 、 小菅県 が廃止され、新たな東京府が設置された。同時に朱引が廃止されて、府内は6大区・97小区に分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年( 1874年 )3月、区割りは再度見直され、朱引が復活。朱引内外に11大区・103小区が設置された。後に港区となる区域は、このうち朱引内の第2大区2 - 12小区、第3大区7・8・11小区、朱引外の第7大区第1・2小区、第8大区第1小区に属した。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[46]
[CITE[港区 (東京都) - Wikipedia]],
[TIME[2015-07-03]], [TIME[2015-07-09]]
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%BA_%28%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%29>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
概要 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
企業が本社を最も多く構える区の一つであり、いわば日本のビジネスの中心である。 東京23区 の中央からやや南東寄りに位置している。特に、 虎ノ門 ・ 新橋 ・ 芝 をはじめとしたオフィス街では、経済活動が非常に活発である。 青山 ・ 赤坂 などの商業エリアや、 六本木 などの歓楽街、 麻布 ・ 白金台 などの住宅街、 汐留 ・ 台場 などの大規模開発地区があり、さまざまな表情をもっている。 東宮御所 ・ 迎賓館 (赤坂離宮)をはじめとして 芝公園 ・ 白金台 の 自然教育園 など緑地帯が豊富な自然環境である。駐日大使館や外資系企業も数多く立地しており、外国人居住者も人口の約1割を占める。 江戸時代は広大な武家屋敷と町人町が存在する街で、 文京区 と同様の混在した街であった。
人口 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[47]
[CITE[都営地下鉄三田線 - Wikipedia]],
[TIME[2015-07-17]], [TIME[2015-07-19]]
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E4%B8%89%E7%94%B0%E7%B7%9A>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
三田線 (みたせん)は、 東京都 品川区 の 目黒駅 から 板橋区 の 西高島平駅 までを結ぶ、 東京都交通局 が運営する 鉄道路線 ( 都営地下鉄 )。『 鉄道要覧 』には 6号線三田線 と記載されている __&&[&&__1__&&]&&__ 。開業当初は「都営6号線」と称した(後述)。
路線名の由来は名称制定時の終着駅である 三田 (みた)から。車体・路線図・乗り換え案内で使用される ラインカラー は「ブルー」(青): 、路線記号は I __&&[&&__2__&&]&&__ 。
概要 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
東京特別区部の南部から都心部の日比谷・大手町を経由し、北西部の板橋区まで、おおむね南北を弓なりに(西に向いた逆C字型)走る路線である。目黒駅で 東急目黒線 と 相互直通運転 を行っている(詳細は #運転 を参照)。
この路線は 高島平駅 側より開業したが、起点は目黒駅( 2000年 9月26日 - )である。 ワンマン運転 を実施しており、保安装置として 日立製作所 製の ホームゲートシステム __&&[&&__3__&&]&&__ を全駅に装備する( #駅設備 を参照)。
収支状況は、 2004年 度決算で純損益が約16億2,131万6,000円の赤字 __&&[&&__4__&&]&&__ 、 2005年 度決算で約14億8,247万4,000円の黒字 __&&[&&__5__&&]&&__ 、 2006年 度決算で約21億6,957万6,000円の黒字 __&&[&&__6__&&]&&__ で、着実に改善している。
路線データ __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
路線距離( 営業キロ ):26.5km
目黒 - 白金高輪間2.3km(第二種)、白金高輪 - 西高島平間24.2km
軌間 :1067mm
駅数:27駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線(直流1500V 架空電車線方式 )
地上区間:志村坂上 - 西高島平間
閉塞方式 :車内信号閉塞式
保安装置: CS - ATC
列車無線 方式: 空間波無線 (SR) 方式
漏洩同軸ケーブル (LCX) を使用したものである。
最高運転速度:75km/h
表定速度 :31.1km/h
全線所要時分:52分10秒
車両基地 : 志村車両検修場
目黒 - 白金高輪間 (2.3km) は 東京地下鉄 (東京メトロ) 南北線 と線路(施設)を共用しており、東京地下鉄が 第一種鉄道事業者 、東京都交通局が 第二種鉄道事業者 となっている。このため、運賃計算方式に特例がある。 東京メトロ南北線#運賃計算の特例 を参照
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[