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[16]
[DFN[仏暦]] ([DFN[B.E.]]、[DFN[仏紀]])
は、
[[釈迦]]を記念した[[紀年法]]です。
[17]
[[タイ]]では公私ともに最も一般的な[[紀年法]]として用いられています。
その他各国の仏教界などで用いられています。
バリエーションが数種類あります。
* 呼称
[563] [[現代日本]]では[[仏暦]]が最も普及した呼称のようです。
他に[[仏紀]]と呼ばれることもあります。
略記として [[B.E.]] も使われます。
[[仏滅紀元]]として紹介されることが多いようですが、
[[日付]]表記で実用されることは少ないようです。
[564]
[[英語]]では [DFN[Buddhist Era]]、略称 [[B.E.]] ということが多いようです。
[565] [[大韓民国]]では
[DFN[불기]]
([[仏紀]])
と呼ばれるようです。
[567]
歴史的にはいろいろな呼ばれ方があって、安定していませんでした。
* 元期
[38]
[[仏暦]] ([[仏紀]]) と呼ばれるものの多くは[DFN[仏滅紀元]]、
すなわち[[釈迦]] ([[釈尊]]、[[仏陀]]) の[[死去]] ([[入滅]]、[[仏滅]])
を[[元期]]とするものです。
[39]
ただしその[[元期]]の特定には諸説あります。
主要なものに、現在[[タイ]]で使われている[[南伝仏教]]説と、
かつて[[東アジア]]で使われていた[[北伝仏教]]説があります。
現在の学術研究者はまた別の没年を推定しています。
[529] [[釈迦]]の[[誕生]] ([[仏誕]]) を[[元期]]とするものもあります。
[41]
[[西暦]]が[[イエスキリスト]]の生誕年と一致しないとみられるのと同様、
[[仏暦]]が歴史的事実としての[[釈迦]]没年と一致しなくても[[紀年法]]として支障はないと考えるのが一般的とみられます。
[45]
[[紀年法]]としての用例が知られるものに次の類型があります。
- [801] α型:
0年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]、
1年が[TIME[西暦-542年 (紀元前543年)][year:-542]]。
西暦を仏暦にするには [N[543]]
を加算すればいい。
- [802] β型:
0年が[TIME[西暦-544年 (紀元前545年)][year:-544]]、
1年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]。
西暦を仏暦にするには [N[544]]
を加算すればいい。
- [803] γ型:
0年が[TIME[西暦-949年 (紀元前950年)][year:-949]]、
1年が[TIME[西暦-948年 (紀元前949年)][year:-948]]。
西暦を仏暦にするには [N[949]]
を加算すればいい。
- [804] δ型:
0年が[TIME[西暦-566年 (紀元前567年)][year:-566]]、
1年が[TIME[西暦-565年 (紀元前566年)][year:-565]]。
西暦を仏暦にするには [N[566]]
を加算すればいい。
- [805] ε型:
0年が[TIME[西暦-531年 (紀元前532年)][year:-531]]、
1年が[TIME[西暦-530年 (紀元前531年)][year:-530]]。
西暦を仏暦にするには [N[531]]
を加算すればいい。
- [806] ζ型:
0年が[TIME[西暦-1027年 (紀元前1028年)][year:-1027]]、
1年が[TIME[西暦-1026年 (紀元前1027年)][year:-1026]]。
西暦を仏暦にするには [N[1027]]
を加算すればいい。
- [807] η型:
0年が[TIME[西暦-950年 (紀元前951年)][year:-951]]、
1年が[TIME[西暦-949年 (紀元前950年)][year:-950]]。
西暦を仏暦にするには [N[950]]
を加算すればいい。
- [568] θ型:
0年が[TIME[西暦-565年 (紀元前566年)][year:-565]]、
1年が[TIME[西暦-564年 (紀元前565年)][year:-564]]。
西暦を仏暦にするには [N[565]]
を加算すればいい。
[105]
α型は、[[西暦年]]に [RUBY[543][こよみ]] を足す、と[[語呂合わせ]]があります
[SRC[>>70, >>104, >>89]]。
[535]
現在[[日付]]表記に実用する[[紀年法]]としてのγは現代ではほとんどみられないようですが、
[[日本]]の [[2ch]] などに投稿される[[仏滅]]以来の年数に言及する投稿記事では、
γらしき数値がみられることがたまにあります。
* 文脈
[18]
[[東南アジア]]で広く用いられています。
特に[[タイ王国]]では[[国家の正式な紀年法][法定紀年法]]として公私ともにほとんどの場面で用いられています。
[40]
[TIME[昭和50(1975)年10月][1975-10]]日本国外務省調査の[[外交官]]信任状等の状況によると、
[[タイ]]、[[ラオス]]、[[スリランカ]]が[[仏暦]]を使っていました。
[SEE[ [[法定紀年法]] ]]
[46]
その他の国でも[[仏教]]で使われることがあります。
* 暦法
[591]
[[仏暦]]は利用される地域と時代が幅広く、いろいろな[[暦法]]と組み合わされて使われてきました。
[FIG(short list)[ [592] [[仏暦]]と使われてきた[[暦法]]
- [[グレゴリオ暦]]
- [[タイ旧太陽暦][タイ暦]]
- [[農暦]]
- [[日本の旧暦]]
- [[朝鮮半島の旧暦]]
]FIG]
* タイ
[24]
[[タイ]]は[[仏暦]]を公私ともに広く用いています。
他にもいくつかの[[暦法]]と[[紀年法]]があります。
[SEE[ [[タイ暦]] ]]
[44]
[TIME[西暦1912年][year:1912]]が仏暦2455年なので、
0年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]、
1年が[TIME[西暦-542年 (紀元前543年)][year:-542]]。
西暦を仏暦にするには [N[543]]
を加算すればいい。
α
[111]
外国人観光客は[[仏暦]]をあまり意識せずに過ごすこともできるようです
[SRC[>>110]]。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]
> タイの仏滅紀元は、釈迦の入滅の日と信じられている紀元前545年3月11日を「0年」とする。ラーマ6世は暦を仏滅紀元に改め、西暦1912年を仏滅紀元2455年4月1日から始まることとした。
]FIG]
[43] 「紀元前543年」が正しい。
西暦2011年から西暦2017年に修正されるまで、誤っていた:
[CITE@ja[「タイ太陽暦」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2020-02-19 17:27:15 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6&diff=62492744&oldid=61055252>。
この計算は間違いやすい。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]
> 西暦1941年にプレーク・ピブーンソンクラーム首相は、仏滅紀元2484年を1月1日から始めると宣言した。そのため、仏滅紀元2483年は9カ月しかなかった。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[110] [CITE@ja[[[仏歴]](ぶつれき)って知ってる?タイで不思議に思った日付の書き方 | KUBOGEN]], [TIME[2020-03-05 17:59:10 +09:00]] <https://kubogen.com/journey-thailand-012/>
]FIGCAPTION]
>僕は2016年のゴールデンウィークのときにタイとカンボジアに行ったんですが、そのときにタイに数日滞在してカンボジアに移動するつもりだったので、タイからカンボジアまでの長距離バスのチケットを取りに行きました。
>そのときに受け取ったチケットを見ると、日付の部分が「02/05/2559(dmy)」と書いてあったんです。
>[SNIP[]]
>タイでは元々ラッタナコーシン暦という紀年法が使われていたのですが、1912年に廃止されることになり、代わりに仏滅紀元が使われることになりました。
>その理由としては、西暦よりも仏教の研究上において仏暦の方が都合がよかったからだといわれています。
>[SNIP[]]
>ですが僕が仏暦を見かけたのはこのときだけ。
>寺院など観光名所に行った際の入場券などには西暦のスタンプが押してあったので、あまり見かける機会はないかもしれません。
α (βにも言及)
]FIG]
]REFS]
* ラオス
[21] [[タイ]]式と同じ数え方です。
α
* カンボジア
[22] [[タイ]]式と同じ数え方です。
α
* インド
[593]
[TIME[西暦1936年][year:1936]]、招聘された[[日本人]]仏画師が使った北伝仏教式仏紀δ
[SRC[>>196]]
* スリランカ
[19] [[タイ]]式より1年進んでいます。
β
[15] [[スリランカ]]の[[法令]]は[[英領]]時代を引き継ぎ基本[[西暦]]を使っていますが、
[TIME[西暦1977年][year:1977]]の[[憲法]]の[[前文]]は[[仏暦]]βに[[西暦]]を併記していました
[SRC[>>14]]。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@en[Constitution of Sri Lanka - Wikisource, the free online library]]
([TIME[2019-12-03 08:28:31 +09:00]])
<https://en.wikisource.org/wiki/Constitution_of_Sri_Lanka>
[9] [CITE[The Constitution of Sri Lanka: Preamble]]
([TIME[2011-09-25 14:52:46 +09:00]])
<http://www.priu.gov.lk/Cons/1978Constitution/Preamble.html>
(消滅確認 [TIME[2020-03-24T08:44:25.300Z]])
]FIGCAPTION]
> The PEOPLE OF SRI LANKA having, by their Mandate freely expressed and granted on the sixth day of the waxing moon in the month of Adhi Nikini in the year two thousand five hundred and twenty-one of the Buddhist Era (being Thursday the twenty-first day of the month of July in the year one thousand nine hundred and seventy-seven),
]FIG]
;; [42]
仏暦2521年が[TIME[西暦1977年][year:1977]]なので、
0年が[TIME[西暦-544年 (紀元前545年)][year:-544]]、
1年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]。
β
]REFS]
* ビルマ
[20] [[タイ]]式より1年進んでいます。
β
[23] 公的には[[ビルマ暦]]が使われています。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[80]
[CITE@en[ミャンマー特集sono6 聖洞窟の入口前にあ.. - Brog of Jazz Saxophone - Bloguru]], [TIME[2020-03-05 14:22:27 +09:00]] <https://en.bloguru.com/sax/200204/sono6/reply>
]FIGCAPTION]
>
[B[ミャンマー特集sono6 聖洞窟の入口前にあるのは日本の釣鐘]]
>
2013年11月24日 13時31分頃の映像です。
>
ミャンマーのヤンゴンにあるティリ・ミンガラーカバーエー・ゼディ通称カバーエー・パヤーにある、1954年に完成したマハパサナ聖洞窟の入口前にある釣鐘です。
>
釣鐘は、左右2つあり、右側の釣鐘には『第三回世界仏教徒會議記念・全日本仏教會』の文字と、その横には名前や日付、作った会社などが書いてありました。
B.E.2498は、仏暦ですので、西暦1955年になります。
>>
[SNIP[]]
DECEMBER 3.B.E.2498
[SNIP[]]
]FIG]
[81]
第3回[[世界仏教徒会議]]は[TIME[昭和29(西暦1954)年12月3日][1954-12-03]]-[TIME[17日][1954-12-17]]に[[ビルマ]]で開催されました。
銘文の日付は開会の日と一致します。
[TIME[西暦1954年][year:1954]]とするとβ型。
ブログの説明にある[TIME[西暦1955年][year:1955]]はα型。
]REFS]
* 日本
[47]
[[日本]]の[[仏教]]は、歴史的に[[日本政府]] ([[朝廷]]や[[幕府]])
との結び付きが強かったためもあってか、
[[仏暦]]や独自の[[紀年法]]は発達しませんでした。
[[北伝仏教]]系の[[仏暦]]が一部使われましたが、
例外に留まりました。
[530]
現在は一部寺院で限定的に種々の[[仏暦]]が使われています。
** 日本の北伝仏紀
[28]
[[日本]]では歴史的に[TIME[西暦-948年 (紀元前949年)][year:-948]]
を[[元年]]とする[[紀年法]]が使われました。γ
[[平安時代]]に流行した[[末法思想]] (>>36) と同系統です。
-*-*-
[25]
[[日本]]の[[平安時代]]成立の歴史書
[CITE[扶桑略記]]
は、
[DFN[如來滅後]]年を併記していました。
γ
[26]
最古は
「應神天皇」の「元年庚寅」
([TIME[西暦270年][year:270]])
で、
「如來滅後一千二百一十九年」
でした。
[SRC[>>29]]
[27]
最新は
「應德元年」
([TIME[西暦1084年][year:1084]])
で、
「如來滅後經二千三十三年」
でした。
[SRC[>>29]]
;; [37] おおむね「如來滅後[VAR[何]]年」
の形式でしたが、例外的に >>27 のごとく「経」字が入っているものがありました。
また「永延元年,如來滅後一千九百卅六季」
のように[[年]]を[[季]]としたものもありました
(が[[書写]]や[[翻刻]]の問題とも思われます)。
-*-*-
[31]
[[日本]]の[[戦国時代]]-[[江戸時代]]初期頃に作られた年代対照表
[CITE[[[新撰三国運数符合図]]]]
[SRC[>>13, >>258]] は、
[[天竺]]について[[釈迦]]の死後を[DFN[佛滅後]]何年と表していました。
γ
[32]
[[神武天皇]]の[[元年]]
([TIME[西暦-659年][year:-659]])
は「二百九十年」でした。
[[明正天皇]]の[[元年]]たる寛永7年[[庚午]]
(記載された最終年、[TIME[西暦1630年][year:1630]])
は「二千五百七十九年」でした。
[SRC[>>30]]
[REFS[
- [29] [CITE[[[扶桑略記]]]]
- [30] [CITE[[[新撰三国運数符合図]]]]
- [258] [CITE@ja[[[日本における紀年認識の比較史的考察]]]]
- [13] [CITE@ja[「[[ホモ・ヒストリクスは年を数える]]」(10)~キリスト紀年を表す造語『西暦』~ 西暦に代わる通年紀年法としての皇紀(THE PAGE) - Yahoo!ニュース]]
([TIME[2019-12-11 17:12:00 +09:00]])
<https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190526-00010001-wordleaf-cul&p=2>
]REFS]
** 近代日本
[596]
[[昭和時代]]前期には、[[皇紀]]が[[流行しました][昭和時代の日時]]。
[TIME[昭和15(1940)年][year:1940]]には[[紀元2600年]]記念行事が国を挙げて実施され、
[[仏教]]界も例外ではありませんでした。
現在でも、例えば街中の[[地蔵]]台座の[[紀年]]で見かけることがあります。
([[仏教]]以外では[[鳥居]]などにみられます。)
[597]
[[昭和時代]]中期には南方仏紀2500年の記念事業が開催されました
(>>523)。わずか十数年の間に2600年から2500年に100年逆戻りするとは、
当時の人はどう思っていたのでしょうか。
** 現代日本
[48]
[[現代日本]]では、一般社会と同様に[[日本の元号]]、
[[西暦]]、その併記がよくみられます。
一般社会よりはやや[[日本の元号]]を使う傾向が強いと思われます。
[49]
それらに加えて[[仏暦]]も使われます。
[[仏暦]]の利用度は個別の寺院によって様々なようで、
まったく使わない (少なくても[[Web]]上には痕跡がみられない)
ところが多いですが、
[[年始]]など特別な日に紹介する程度のところや、
[[カレンダー]]には記述しているところもあれば、
少数ながら[[日付]]表記にまで積極的に使っているところもあります。
ほとんどの場合、[[日本の元号]]、
[[西暦]]、併記の3種のいずれかとの併記ですが、
[[仏暦]]が先のこともあれば、[[仏暦]]が後のこともあります。
[50]
多くの場合、[[日本の元号]]、[[西暦]]、[[仏暦]]のどれを使うかに統一された方針はみられず、
同じ文書内でも混在することは珍しくありません。
仏教界全体、あるいは宗派ごとの統一的な方針もない、または強制力の弱いもののようです。
([[仏暦]]が使われ得ることを除けば、一般社会の状況と同じです。
[SEE[ [[現代日本の紀年法]] ]])
[109]
[[日本]]人の多くは[[仏教徒]]ですが、[[仏暦]]の認知度はかなり低いとみられます。
[[Web]] で検索しても、むしろ[[タイ暦]]としての方が知られているようです。
-*-*-
[526]
[[現代日本]]の[[仏教]]で[[仏暦]]を扱う場合、
αが多く、
他にβεγηθがみられます。
[[曹洞宗]]を中心にδがみられ、[[仏紀]]と呼ばれています。
この他、実用されるものか誤記か判断が難しい、
1年程度ずれた用例が数件みられます。
[527]
[[昭和時代]]中期には、
[[東南アジア]]の影響でβが使われ、
[[仏紀]]や[[南方仏紀]]と呼ばれていました
(>>524)。
主流の呼称が[[仏紀]]から[[仏暦]]へと移行したのは、
[[キリスト紀元]]の一般的な呼称として[[西紀]]が衰退し[[西暦]]に統一されたことと合わせて考える必要がありそうです。
[528]
日本国内で[[仏暦]]各種が使われているとはいえ、
補助的なものが多いようで、日常的な利用はみられません。
多数のバリエーションがあるのも、
他の寺院との[[情報交換]]に供されていないからこそでしょう。
各バリエーションの利用が古くから続く伝統なのか、
近年 (例えば[[全日本仏教会]]のα採用後)
広まったものかは不明です。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[175] [CITE@ja[[[仏暦]]とは? ブッダ(お釈迦様)が亡くなった年は何年? - 禅の視点 - life -]],
2018-11-05,
[TIME[2020-03-07 12:32:04 +09:00]] <https://www.zen-essay.com/entry/butsureki>
]FIGCAPTION]
>亡くなった年(前544年)を仏暦の元年と考えているのはミャンマーやスリランカであり、亡くなった年の翌年(前543年)を元年と考えるタイ、カンボジア、ラオスとは、仏暦における元年が1年ズレている。
β、α
>一周忌と一回忌では、意味が異なるということだ。
>ほかにも、人は0歳で生まれて1年経ったら1歳になるが、小学校に入学するときは0年生ではなく1年生が最初となる。
>[B[0を基点とするか、1を基点とするか。]]
>全日本仏教会[SNIP[]]も、紀元前544年を仏暦の元年としている。
他方、私が属している曹洞宗では、[B[教科書『仏教概論』に記載してある入寂の年は紀元前383年]]。
また、同じ曹洞宗が毎年発行している手帳には、西暦2018年の手帳になぜか
「[B[仏紀 2584年]]」
と記されている。
>
これは入寂の年を紀元前486年とし、なおかつ入寂ではなく降誕の日、つまりは[B[ブッダが生まれた日を紀元として考えた仏暦である]]。
入寂年の計算式を示すと、
>
2584年-2018年-80年=紀元前486年
>
となる。
80年というのは、ブッダが亡くなった歳の年齢。
ブッダは80歳で亡くなった。
したがって、紀元前486年から80年遡り、ブッダの生まれた年を計算すると……
>
486年+80年=566年
δ
]FIG]
]REFS]
** 全日本仏教会
[427]
[[日本]]の仏教の代表的な組織である[[全日本仏教会]]は、
[[世界仏教徒連盟]]設立初期の会議で、
「仏旗、仏紀の普及」
を日本から提案し、決議として採択されていました
(>>214)。[[全日本仏教会]]設立当初から仏旗の普及に努めたらしき形跡が機関紙からうかがえます。
しかし[[仏暦]]については、2500年記念事業 (>>523) を除き、不審なくらいに言及が見当たりません。
[463]
機関紙の初期は基本的に[[昭和]]の[[元号]]を使っていて、
[[西暦]]は国際行事関連でたまに使われることがある程度でした。
国際会議の報告中で[[昭和]]が使われることもありました。
-*-*-
[115] 機関紙
[CITE[全仏]]
は[TIME[昭和63年9月][1988-09]]まで[[昭和]]の[[元号]]を使い、
表紙の号数も[[昭和]]の[[元号年]]
(年数のみ)
にしていました [SRC[>>116]] が、
[TIME[翌月][1988-10]]から突如[[西暦年]]で
[TIME[1988年10月][1988-10]]となり、
表紙は[[2桁西暦年]]となりました [SRC[>>117]]。
[118]
変更の説明は見当たりませんが、
このタイミングは[[昭和天皇]]のご病状の悪化と関連していることが明らかです。
[119]
[[西暦年]]化された
[TIME[1988年10月][1988-10]]も、
本文中には「昭和[YOKO[63]]年[YOKO[11]]月[YOKO[19]]日[YOKO[(土)]]」
([[縦書き]])
のように (未到来の[[日付]]でも) [[昭和]]の[[元号年]]が使われました。
ちなみにこの月の
「第三十三回全日本仏教徒岐阜大会」
報告によると、メインテーマは記事本文によると
「二十一世紀は心の時代」 ([[縦書き]])、
写真によると「21世紀は心の時代」
と[[西暦世紀]]で来たるべき時代を表していました。
[SRC[>>117]]
その後本文にも[[西暦]]が使われるようになり、[[元号]]と混在するようになりました。
[122] [[年度]]の呼称は「昭和六十三年度」 [SRC[>>116]]
のように従来[[元号]]でしたが、
[TIME[1989年12月][1989-12]]号掲載の理事会の議案紹介は
「一九八九年度」 [SRC[>>121]]
と[[西暦年]]でした。
しかしその
[TIME[1989年][year:1989]]になると「平成元年度」
と[[元号]]に戻り、以後[[元号年]]表記のまま続けられたようです。
([[令和改元]]の[[平成31年問題]]と同じ、[[延長年号]]を忌避したものでしょうか。)
[120]
[[西暦年]]化以後、発行日や第3種郵便物認可の日も[[西暦年]]表記になりました
[SRC[>>117]]。一般の雑誌などは[[西暦年]]メインで使っていても法的手続きである認可日は[[元号]]とすることが多いように見受けられるので、
ここまで徹底しているのは珍しいです。
その割に本文に[[元号]]が残存しているのは、
機関紙の編集部と他の部門の温度差でしょうか。
-*-*-
[125]
[CITE[全仏]] 「仏暦2537年8月 (1994年)」号から、
表紙に[[仏暦]]αが併記されるようになり [SRC[>>124]]、
(問い合わせがあったのか) 後に[[タイ]]方式に合わせたものだと説明されました
[SRC[>>123]]。
αを選択した理由は説明されましたが、
併記することにした理由は説明されませんでした。
また、
表紙以外での利用は確認できません。
[126]
この決定が機関紙の編集部門のものなのか、
[[全日本仏教会]]全体のものなのか不明です。
一般にはよく[[全日本仏教会]]の決定として参照されているようです。
(機関紙は組織の顔ですから、判断が取り消されていない以上、
どちらにしても組織全体の決定とみて良いのでしょうが。)
[[全日本仏教会]]の採用している方法だから、という根拠でαを採用するものもみられます。
一方で[[全日本仏教会]]の傘下でも他の方式を採用しているところもみられますから、
拘束力はそれほど強くないようです。
([[元号]]ではなく[[西暦]]を優先する決定も、傘下で広く追随されているとはいえません。)
[524]
これより前、
[[仏暦]]αが[[全日本仏教会]]や[[日本]]国内の寺院で利用された事例があるか不明です。
[TIME[西暦1978年][year:1978]]に[[日本]]で開催された[[世界仏教徒会議]]では、
[[仏暦]]βが使われていました (>>374)。
[TIME[西暦2008年][year:2008]]に[[日本]]で開催された[[世界仏教徒会議]]では、
[[仏暦]]αが使われていました (>>413)。
-*-*-
[129]
[[全日本仏教会]]の[[西暦]]を重視し
「「日本国の元号」を全く無視している」 [SRC[>>128]]
方針を批判する人も複数いるようです。
そうした人達は、
[[日本]]の仏教を代表する[[全日本仏教会]]の反政府的な活動に疑問を持っているようで、
特定の集団の思想で組織が動かされているとみているようです。
[130]
その当否はともかくとして、
[[元号]]を「全く」無視しているというのは事実誤認でしょう。
[[西暦]]への統一は徹底していませんし、
[[全日本仏教会]]のこの方針が[[日本]]の仏教界に強い影響を与えているようにも見えません。
[132]
ためしに現在どのように[[日付]]が記載されているか、
機関紙 [CITE[全仏]]
の 「No.644」 号を見てみます。 [SRC[>>131]]
- 表紙には「仏暦2563年1月[2020年]」αとあります。
- 表紙には[[二十四節気]]のうち6つをテーマにした絵が掲げられています。
- 第3種郵便物でなくなったのか、認可の日の表示はありません。
- 「新年のご挨拶」が2人分あります。 ([[縦書き]])
-- 会長は、「新春をお祝い」し、「改歳にあたり、 [SNIP[]]」
と挨拶文をはじめています。
「二〇一五年九月の国連サミット」に言及しています。
-- 理事長は、
「令和の時代に移り、初めての新春を迎え」たことを祝って挨拶文をはじめています。
「一昨年日本で開催いたしました世界仏教徒会議で「二〇一六年東京宣言」を採択いたし」
たことに言及しています。
- PDF 3ページの著者プロフィールは
「1974年、京都市嵯峨にある正覚寺に生まれる。」など[[西暦年]]。
- PDF 4ページの著者プロフィールは
「昭和59年4月より羽咋市に臨時職員として勤務し」
など[[元号年]]。
- PDF 5ページ
「本会が2020年に頒布する花まつりポスター・絵はがきは、大賞作品をもとに作成いたしました。」
([[横書き]])
- PDF 5ページの[[東京大学]]で開催される講習会の案内
「日時 令和二年三月十一日(水)
午後二時〜午後四時」
([[縦書き]])
- PDF 6ページの下部組織の活動の記事
「令和元年十二月二日、各審議会における答申書を釡田隆文理事長へ提出した。」
- PDF 6ページの協賛イベント紹介記事
「令和元年十一月二十二日立正大学付属立正中学校・高等学校内の行学ホールにおいて第三十六回仏教主義学校連盟弁論大会が開催された。
[SNIP[]]
この仏教主義学校連盟弁論大会は、一九七八(昭和五十三)年に [SNIP[]] に始まり、東京都仏教連合会が後援、本会が協賛している。」
(写真内の会場イベント名「令和元年度(第36回)」)
- PDF 6ページの資金関係の記事
「二〇一九(令和元)年九月一日〜二〇一九(令和元)年十一月三十日」
- PDF 7ページの[[天台宗]]ポスター
「2021年6月4日」
- PDF 8ページの[[顕本法華宗]]ポスター
「平成[YOKO[33]]年」 ([[縦書き]])
- PDF 9ページの[[普通寺]]新年祝賀名刺枠
「令和5年4月23日(開白)~ 6月15日(結 願)」
- PDF 11ページ挿絵「2020」
- PDF 13ページ欄外注記「12月14日時点」
(おそらく前年の12月)
- PDF 15ページ
「第3回を迎えた花まつりデザイン公募、2019年は仏教行事「花まつり」を題材に自由に描いていただきました。」
- PDF 15ページ末
「2020年1月1日発行 1月号 第644号」
[133] ここから推測できるのは、
機関紙の編集部門は[[西暦]]を使い、
[[全国仏教会]]の活動でも[[西暦]]が主として使われるものの、
編集部門以外の部門では徹底しておらず、
傘下の各組織もそれぞれの方針を持っていて、
それをそのまま受け入れる編集方針を持っているのであろうということです。
[[元号]]を積極的に使わないとしても、排除しようとする意思がないことは、
理事長の発言からもうかがえます。
[[仏暦]]は依然併記されていますが、
それ以外では利用の痕跡がありません。
[REFS[
- [116] [CITE[全仏]] 9/63,
昭和63年9月1日,
[TIME[2016-10-07 01:22:16 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/341.pdf>
- [117] [CITE[全仏]] 10/88,
1988年10月1日,
[TIME[2016-10-07 01:22:16 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/342.pdf>
- [121] [CITE[全仏]] 12/88,
1988年12月1日,
[TIME[2016-10-07 01:22:17 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/344.pdf>
- [124]
[CITE[全仏]] 仏暦2537年8月 (1994年),
[TIME[2016-10-07 01:22:31 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/400.pdf>
α
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[123] [CITE[全仏]] 仏暦2537年10月 (1994年),
[TIME[2016-10-07 01:22:31 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/402.pdf>
]FIGCAPTION]
>
[BOX(vertical)[
[B[仏暦の表示について]]
四百号より本誌表紙に「仏暦二五三七年」
と表示するようにいたしました。
仏暦には諸説がございます。中村元氏の紀
元前三八三年が、研究者の間では有力な仏滅
年です。これによりますと今年は二三七七年
ということになります。ところが、世界的に
最も普及している仏暦は、今年を二五三七年
とするものです。 [YOKO[W]][YOKO[F]][YOKO[B]]本部のあるタイでは
公文書にもこの仏暦を使用しています。全仏
は[YOKO[W]][YOKO[F]][YOKO[B]]の日本センターでもありますので、
この「仏暦二五三七年」を採用しました。
]BOX]
α
]FIG]
- [128] [CITE@ja[[[全日本仏教会]]を批判してみる - 黒駒 思いのままの記]],
2010-11-06 17:00:41,
[TIME[2020-03-05 20:41:44 +09:00]] <https://blog.goo.ne.jp/ebosi626/e/de79c15447b92e16fb21e68a98d936fd>
- [131] [CITE[全仏]] 仏暦2563年1月[2020年],
[TIME[2019-12-24 11:17:14 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/644.pdf>
α
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[552] [CITE@ja[同血新聞社機関紙「[[闢邪]]」第五號発行のお知らせ | [[皇道日報]](防共新聞)]]
([TIME[2020-03-23 16:22:25 +09:00]])
<http://web.archive.org/web/20160424143404/http://koudoupress.net/%E5%90%8C%E8%A1%80%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE%E6%A9%9F%E9%96%A2%E7%B4%99%E3%80%8C%E9%97%A2%E9%82%AA%E3%80%8D%E7%AC%AC%E4%BA%94%E8%99%9F%E7%99%BA%E8%A1%8C%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/>
]FIGCAPTION]
> 「仏暦」使用の全日本仏教会を撲滅せよ
;; [148] ちなみにこの
[CITE[闢邪]]
は[[日本の元号]]と[[天孫紀元]]を使っています。
]FIG]
]REFS]
** 真宗大谷派
[150] [[日本]]の[[宗派]]の1つ、[[浄土真宗]]の[[真宗大谷派]]
([[東本願寺派]]) は、
[TIME[西暦1999年][year:1999]]の内局通達で、
宗務機関文書における
「西暦 (元号)」
という表記法を定めました。
[SRC[>>3]]
[151]
しかし宗派に属する寺院まで徹底されてはおらず、
他の宗派の寺院同様、いろいろな表記がみられます。
[[西暦]]を積極的に使うことを高く評価する者がいる [SRC[>>5]]
一方で、[[仏暦]]αを使い普及させようとする者もいます [SRC[>>3]]。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] ([TIME[2008-03-28 15:03:18 +09:00]] 版)
<http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/syoutoku/syoutoku011.html>
(消滅確認 [TIME[2020-03-24T08:48:13.900Z]])
[TIME[2020-03-24 17:47:55 +09:00]] <https://web.archive.org/web/20080518100420/http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/syoutoku/syoutoku011.html>
]FIGCAPTION]
>> 一方、我が真宗大谷派は公文書に『元号』ではなく、『西暦』を使っている。それに対して、「伝統教団が何故?」とか「仏暦にしては」といった声を聞くことがあるが、それらは申しわけないが、浅薄なナショナリスティクな考え方と言わねばならない。
>> もっと大きく物事を見てみよう。なるほど、日本は、元号を用いてきたが、それは元々、中国文化である。また、明治までは、天変地異があったり、大事件があると、新たな出直しとして元号が変えられた。天皇の即位から死亡までを、ひとつの元号で表わすなんてことは、明治の造作にすぎないのである。仏暦はどうだろう。個人が趣味的に用いるにはよいと思うが、年代のはっきりしないものを基準に用いるのはいかがなものかと思う。世界の多くの人々と通じる基準を用いる事が世界の中の自分の位置を明確にする事につながるのである。季節との違いが、そこにはある。
>―――以上 『顛倒』04年11月号 No.251より―――
]FIG]
;; [149] 1つ1つはそうおかしなことを言っていないのだけど、全体として違和感を拭い得ない。
「ナショナリスティック」の論拠に「中国文化である」が出てくるのはちゃんちゃらおかしい。
[[一世一元]]が[[明治]]以来なのは正しいが、[[代始改元]]はそれ以前から続く伝統で、
[[奈良時代]]は実質[[一世一元]]だった。輸入元の[[中国]]も元を辿れば[[即位紀元]]だ。
「明治の造作」というのは無理があるし、なぜ[[仏教]]で使わない、
という疑問に何も答えていない。
年代がはっきりしないと駄目なのなら、[[キリスト紀元]]もだめだろう。
世界人口の多数決で決めるのなら、[[仏教]]を捨てて[[キリスト教]]にでも改宗すれば良い。
]REFS]
** 南伝仏教系団体
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[578] [CITE@ja[ブッダに帰依する | [[日本テーラワーダ仏教協会]]]],
No.219(2013年5月),
[TIME[2020-03-25 19:00:25 +09:00]] <https://j-theravada.net/dhamma/kantouhouwa/kantou219/>
]FIGCAPTION]
>今年は仏紀二五五七年になります。年号の数え方は般涅槃を元年にしているので、お釈迦さまが涅槃に入られて二五五七年経ったことになります。
β
]FIG]
** 利用例
[REFS[
- [98] [CITE@ja[霊園概要・アクセス | フラワーメモリアル国立府中]], [TIME[2015-04-25 15:31:09 +09:00]] <http://flowermemorial.jp/reien_access.html>
-- 「仏暦二五四二(国際暦一九九九)年四月八日」α
-- 本文は「一九二四(大正十三)年十一月」のような西暦元号併記。
-- 「追記」の参考文献の日付が
「昭和五十六年十二月発行」
「昭和六十(一九八五)年十月一日発行」
「昭和三十三年五月二十五日発行」。
原典紀年の不統一か引用者の不統一か不明。
-- 「住職プロフィール」
に
「1957(仏暦2500)年、東京築地生まれ
1980年、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。」
以下[[西暦]]。
-- [99] [CITE[無題ドキュメント]], [TIME[2011-04-05 16:55:25 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/Orijin-main.html>
--- 本文の別バージョン
-- [100] [CITE[Center]], [TIME[2013-03-11 11:52:52 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/ProfileCenter.html>
--- 住職プロフィールの別バージョン。[[漢数字]]と[[アラビア数字]]で微妙に違う。
- [101] [CITE@ja-JP[今月の法話]], [TIME[2020-03-03 11:42:20 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa.html>
-- 「仏暦2563年2月」α
-- [102] [CITE@ja-JP[今月の法話]], [TIME[2020-03-03 11:42:27 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa1912.html>
--- 「仏暦2562年12月」α
-- [103] [TIME[2020-03-03 11:42:21 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa0511.html>
--- 「仏暦2548年11月」α
-- [[仏暦]]単記。しかし本文は一貫して[[西暦]]単記。
[[URL]] は[[西暦2桁年号]] + [[月]]2桁。
- [114] [CITE@ja[仏教手帳・仏教カレンダー]], [TIME[2020-03-05 18:12:49 +09:00]] <http://bukkyo.info/calender/index.shtml>
-- 公開日・改訂履歴不明
-- 「Copyright (C) 2004-2005 Daiji Yoshida, All rights reserved.」
-- 「【今日】 仏暦2563年 西暦2020年 <庚子歳> <己卯月>
平成32年3月4日(水曜日) 丙午 柳宿 大安
<旧暦2月10日>・・・旧初午」α
--- [[平成の延長年号]]。何年もメンテナンスされていないものか。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[60] [CITE@ja[2006年末のタイな雑感 | タイとタイ語に魅せられて - 楽天ブログ]],
[CSECTION[日本でも仏暦が!]],
2007/01/02,
[TIME[2020-03-04 22:58:57 +09:00]] <https://plaza.rakuten.co.jp/lamyaidaeng/diary/200612310000/>
]FIGCAPTION]
>タイでは、とくにお役所関係では西暦ではなく仏暦を使ってますよね。
占いでも聞かれるので、生まれた曜日・時間とあわせて、
自分の生まれた年の仏暦も覚えておくと何かと役立ちます。
>
で、この仏暦、てっきりタイでだけ使っているのだと思っていたのです。
>
しかし、今日立ち寄った都内某所のお寺で、こんな貼り紙に遭遇!
>>
[BOX(vertical)[
恭賀新春
[BOX(indent)[
仏暦二五五〇年
]BOX]
[BOX(right)[
[ASIS[〓〓][画像加工消去]]寺
]BOX]
]BOX]
α
]FIG]
- [63] [CITE[八幡山 宝泉寺 山門]], [TIME[2019-02-16 18:51:51 +09:00]] <http://housen.main.jp/housen.html>
--
「釈尊成道 2607年
仏暦2562年/西暦2019年/平成31年2月」
α
-- [62] [CITE[仏教 No.13 「仏旗」]], [TIME[2011-05-25 18:35:57 +09:00]] <http://housen.main.jp/bukkyou/bukkyou-13.html>
--- 「上棟式(仏暦2550年:平成18年11月11日)」
α
- [64] [CITE[万行寺寺報]] 2009(仏暦2552)年1月号 (第37号),
[TIME[2017-04-29 10:22:46 +09:00]] <http://www.mangyoji.jp/_src/1235614/jiho200901.pdf?v=1491975564679>
α
- [69] [CITE[ひだご坊]] No.235,
2009 年2月 20 日,
[TIME[2018-07-03 12:49:48 +09:00]] <http://goenki750.hidagobo.jp/goenki750wp/wp-content/uploads/2018/07/hidagobo235.pdf>
-- 「仏 暦 2 5 5 2( 2 0 0 9 ) 年」α
- [87] [CITE[仏暦。(仏滅紀元暦)]],
B.E2552/02/26/作成,
[TIME[2016-04-17 08:44:57 +09:00]] <http://www.bukkyo.net/tisiki/butureki.htm>
α
-- 他のページも作成日は[[仏暦]]。本文は[[西暦]]、[[元号]]混在。
- [82] [CITE@ja[ずぼら帖 --気ままなZEN.blog: ゆく年くる年]],
2012年1月1日日曜日,
[TIME[2020-02-29 16:48:45 +09:00]] <http://anjyuji.blogspot.com/2012/01/blog-post.html>
--
「仏暦2555年・平成24年壬辰の新年をつつがなく迎えられたでしょうか。」α
- [97] [CITE[親蓮坊通信2014.05.15.pdf]], [TIME[2015-02-03 15:31:59 +09:00]] <http://o-jyosyoji.com/wp-content/uploads/2015/02/%E8%A6%AA%E8%93%AE%E5%9D%8A%E9%80%9A%E4%BF%A12014.05.15.pdf>
-- 「仏暦2557年2014/05/15」α
- [67] [CITE@ja[仏暦2560年〈西暦2017年〉お盆総括 | [[西光寺]](浄土真宗本願寺派)BLOG]],
2017年08月21日(月),
[TIME[2020-03-05 11:11:23 +09:00]] <https://ameblo.jp/saikou-ji/entry-12303079001.html>
α
- [68] [CITE[Print - pdf1517189472.pdf]], [TIME[2018-01-29 10:31:12 +09:00]] <http://www.namuamidabutsu.com/pdf/pdf1517189472.pdf>
-- 「[SINCE 仏暦2162 西暦1619 元和5]」α
- [106] [CITE[行事予定 ・広島県尾道市・浄土真宗本願寺派・[[法光寺]](法光寺心理相談室)]], [TIME[2020-03-05 17:31:29 +09:00]] <http://www.houkouji.net/original3.html>
-- 「仏暦2562(2019年ー平成31年)行事予定」α
- [55] [CITE[平成三十一[RUBY[己亥][つちのとゐ]]年([LINES[南][伝]]仏紀2562年・西暦2019年) 法会・行事予定表]],
八王子山[[了慶寺]],
[TIME[2019-09-20 18:35:31 +09:00]] <http://ryokeiji.net/jap/nenkangyoji%20H31(2).pdf>
α
- [56] [CITE[令和二[RUBY[庚子][かのえね]]年([LINES[南][伝]]仏紀2563年・西暦2020年) 法会・行事予定表]],
八王子山[[了慶寺]],
[TIME[2019-12-18 17:25:11 +09:00]] <http://ryokeiji.net/jap/2020%20ryokeiji%20nenkan%20gyouji%20keikaku.pdf>
α
- [88] [CITE[時宗東岡山[[福田寺]]]] 第60号,
令和元年五月,
[TIME[2019-10-14 17:16:25 +09:00]] <https://kyoto-fukudenji.com/wp-content/uploads/sites/4/2019/05/5%E6%9C%88-60%E5%8F%B7%E3%80%80-.pdf>
α (βにも言及)
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[112] [CITE@ja[【宗教リテラシー向上委員会】 [[令和]]時代の宗教 池口龍法 2019年5月11日 | キリスト新聞社ホームページ]], [TIME[2020-03-05 18:03:32 +09:00]] <http://www.kirishin.com/2019/05/10/25002/>
]FIGCAPTION]
>お寺ではもっぱら西暦は使わず和暦を用いる。西暦を用いて文書を書くと、先達から批判が来ることさえある。西暦は西洋の暦であり、しかも、イエス・キリスト生誕の年代がベースになった暦だから、お寺にはふさわしくないというのがその根拠である。
>ただし、和暦よりもふさわしい暦がある。釈迦の没年から起算する仏暦である。仏教界で発行されるカレンダーなどには、和暦や西暦の横にしばしば仏暦が併記される。ちなみに今年は仏暦2562年である。仏暦を用いると仏法が脈々と受け継がれている趣が出て私は好きだが、残念ながら日本では現実的な暦として通用しない。さらには、近代仏教学による研究では、釈迦の没年を紀元前383年(西暦)とするのが有力であり、そうすると暦が160年ほどもずれてしまう、という問題点もある。
α
>さて、改元である。仏教界でこれをどう祝うか。和暦はあくまで世俗社会の暦であるから、お寺に改元は関係ない。しかし、仏教が伝来して千数百年もの歳月が経つから、お寺文化と皇室文化をいまさら切り離すのも無理である。
[SNIP[]]
>いっそのこと改元を盛大に祝うのも一計かもしれない。だが、
[SNIP[]]
]FIG]
;; [113] この著者は[[浄土宗]][[龍岸寺]]住職。
もっぱら[[西暦]]を使う寺もみられるし、
この著者のような躊躇なく大々的に[[改元]]を祝っている寺も多かった。
日本全体に視点を広げればこの記述はあまり正しくないが、
おそらく著者の周りでは正しいのだろう。
日本の仏教界と一口に言っても、それくらいの多様性がみられる。
- [51] [TIME[2020-03-03 22:54:37 +09:00]] <https://www.kohzansha.com/news2020.html>
-- 「2020年1月吉日 仏紀2563年」α
-- 「1974(昭和49)年に創刊した『月刊住職』は全国全宗派の寺院住職のための実用実務報道誌として46周年を迎えます。」
- [152] [CITE@ja[教心寺([[真宗大谷派]])]], [TIME[2020-01-27 18:17:09 +09:00]] <http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/temple.html>
-- 「2020年1月28日 第47号」
-- [556] [CITE[サーサナ47 - sasana47.pdf]], [TIME[2020-01-18 21:00:22 +09:00]] <http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sasana/sasana47.pdf>
--- 「第47号 仏暦2563(西暦2020)年1月28日」α
-- [557] [CITE@ja[教心寺法要の記録]], [[釋眞弌(山口真一)]], [TIME[2010-12-05 17:00:38 +09:00]] <http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/document/index.html>
--- 「仏暦2551(2008)年6月28日 住職就任式」α
-- 住職個人サイト >>3
]REFS]
[REFS[
- [86] [CITE[仏教ぎふ]] 第61号 平成6年夏期号(仏暦2538年),
平成6年7月25日,
[TIME[2018-03-06 04:22:56 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/061.pdf>
β
--
[[Webサイト]]に掲載されているこれより古い直近は第55号 (平成3年夏季号)、
仏暦併記なし ([[平成]]のみ)。
- [83] [CITE[仏教ぎふ]] 第67号 平成9年夏期号(仏暦2541年),
平成9年7月15日,
[TIME[2018-03-06 04:22:57 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/067.pdf>
β
- [85] [CITE[仏教ぎふ]] 第74号 平成13年新春号(仏暦2544年),
平成13年1月1日,
[TIME[2017-03-17 22:03:24 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/74.pdf>
α
-- これ以後α型
- [76] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 3月のご案内(仏暦2554)]], [TIME[2017-02-18 00:48:14 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1103.html>
-- 「3月のご案内[WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2554)]]」 α
- [78] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 4月のご案内(仏暦2555)]], [TIME[2017-02-18 00:48:15 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1104.html>
-- 「4月のご案内[WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2555)]]」 β
- [77] [CITE[花祭りのご挨拶]], [TIME[2017-02-18 00:48:16 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1104hanamatsuri.html>
-- 「仏暦2555年(2011年、H23年)4月8日」β
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[75] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 8月のご案内(仏暦2555)]], [TIME[2017-02-18 00:48:24 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1108.html>
]FIGCAPTION]
>8月のご案内 [WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2555)]]
>
「念仏はなぜ難信なのか」(在家仏教講演 2011.1より)(第1回)
β
]FIG]
-- タイ式の4月[[年始]]?
- [198] [CITE@ja[大阪 宝厳寺]], [TIME[2019-12-01 22:39:00 +09:00]] <http://hougonji.net/activity.html#act180101>
-- 「西暦2018年 佛紀2562年 平成30年」β
-- [[旧暦]]、[[干支年]]、[[十二支時刻]]など記述あり
-- [[大韓民国]]の[[仏教]]界と関係が深そう
- [58] [CITE@ja[仏紀2562年・平成30年(西暦2018年)11月4日の夜、ニコ生中ご祈祷動画。 - [[ニコニコ動画]]]], [TIME[2020-03-04 20:03:57 +09:00]] <https://www.nicovideo.jp/watch/sm34149640?playlist=eyJpZCI6InZpZGVvX3dhdGNoX3BsYXlsaXN0X3VwbG9hZGVkIiwidXNlcklkIjoxMDA2MTMxM30>
β