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993
994
995
996
997
998
999
1000
[3]
[DFN[[RUBY[天][てん]][RUBY[晴][せい]]]]は、
[[幕末]]期の[[日本の私年号]]です。
* 元号名
[48]
[[元号名]]に[DFN[天晴]]、
[DFN[天政]]、
[DFN[天星]]、
[DFN[天成]]が知られています。 [SRC[>>47]]
[50] 「てんせい」と[[読まれて][元号の読み方]]います。
[SRC[>>12, >>65, >>182, >>228, >>262]]
[49]
[[漢字]]表記がはっきりしないまま音声だけで各地に伝わったと考えられています。
[SRC[>>153, >>47]]
[78]
[[高知県]]内の「天晴」が現在知られている最古の例です。
発見数も「天晴」が圧倒的に最多です。
この表記が原形なのでしょうか?
* 由来
[10]
[[慶応]]への[[改元]]時の候補に「天政」があり、関連が指摘されています
[SRC[>>1]]。
[44]
本[[元号]]の利用地域出身で[[京都]]在住の者から[[改元]]の連絡があった、
という証言が伝わっています。
[SRC[>>13, >>42]]
[SEE[ [[改元デマ]] ]]
[51]
翌年「てんせい」に改元されるとの噂を聞いた民衆が、
藩の許可無く使い始めたものだとする説があります。
[SRC[>>47]]
;; [64] [[江戸時代]]中の政情が安定していた頃は、
[[朝廷]] → [[幕府]] → [[藩]] → 民衆という[[改元伝達]]ルートがありました。
;; [76]
実際に[[改元]]された慶応4年の1年前の慶応3年に[[元年]]が相当します。
[[孝明天皇]]の[[崩御]]と[[明治天皇]]の[[践祚]]や[[徳川家茂]]の死去と[[徳川慶喜]]の[[征夷大将軍]]就任の情報も伝わっていたでしょうから、
[[代始改元]]があるはずだという認識を持っていた人々もいたことでしょう。
[75]
伝播経路は、根拠を示していない憶測はあるものの、
十分検討されていないようです。
[[高知県]]の領域内で考案されたという人もいますが、
そこで使われていたからという以上の根拠は無さそうです。
都市部より農村部に分布しているという人もいます。
[77]
現在知られている用例は、元年の5月から10月と書かれています。
2年以降の例は見つかっていません。
- [211]
[CITE@ja[Xユーザーの吉良播磨守親貞ファンさん: 「@tanemunedate15 戦国期ではなく、幕末ですが、土佐では「天晴」なる私年号が使われてまして、諸説ありまするが、次は天晴らしいぞって噂が広まったから、との説があります。 幕末でそんなですから、戦国期はさぞ混乱してそうですが、どうなのでしょう。」 / [[X]]]], [TIME[午後3:24 · 2020年7月11日][2020-07-11T06:24:00.000Z]], [TIME[2024-03-06T11:34:03.000Z]] <https://twitter.com/chikasada_kira/status/1281836622330212352>
[212]
>>211 [[諸説ある]]なら他にも説がありそうだが、どんな説があるのだろう?
* 用例
[273]
[TIME[平成元(1989)年][1989]]時点で[[日本国]][[高知県]]内で6例
(>>14, >>6, 赤岡町, 春野町2箇所, 吾川村)
が知られていました
[SRC[>>272]]。
[32]
[TIME[平成21(2009)年][2009]]ないし[TIME[平成22(2010)年][2010]]の時点の研究
(>>161)
では[[日本国]][[高知県]]内のみで10例
(>>20, >>24, >>5 など)
が知られていました。
[SRC[>>28]]
[[天晴]]の[[石灯籠]]は4例 [SRC[>>28, >>216]]
(>>6, >>14, >>29, >>30)
が知られていました [SRC[>>28]]。
[4]
[TIME[平成31(2019)年][year:2019]]時点で[[日本国]][[高知県]]内で13例
([[天晴]]が11例)
が知られていました。
[SRC[>>1, >>2]]
[155]
[TIME[平成31(2019)年][year:2019]]時点で[[高知城歴史博物館]]によると13例が知られていました。
[SRC[>>153]]
[254]
[TIME[平成31(2019)年][2019]]時点で[[日本国]][[高知市]][[南国市]]によると[[天晴]]は[[日本国]][[高知県]]で12例が知られていました。
うち石造物が8箇所10例、そのうち石灯篭が6箇所8例でした。
[[棟札]]が1例でした。
[SRC[>>252]]
** 土佐
- [14]
[[日本国]][[高知県]][[安芸市]]土居[[春日神社]]石灯籠
「天晴元卯九月令日」
[SRC[>>12, >>18, >>26]]
-- [236]
[TIME[平成20(2008)年][2008]]から約30年前に郷土史家[[広谷喜十郎]]の知人が[[広谷喜十郎]]に存在を知らせる
[SRC[>>12]]
- [5]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[高知市]][[春野町]][[西諸木]] [[森神社]]手水鉢]]
-- [204]
「[DATA(.text)[[V[[LINES[天政元夘歳][[SNIP[]]][九月𠮷日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>1, >>12, >>22, >>27]]
-- [203] >>12, >>22, >>27 に写真
-- [202] >>201 にカラー写真
-- [206] >>205 にカラー写真、字形が明確に読み取れる解像度
- [20]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸市]][[春野町]][[西諸木]]]] [[御山所神社]]狛犬台座]]
-- [210]
「[TATE[[DATA(.text)[[V[[ASIS[天][二]]晴[BR[]]元卯[BR[]]九月[BR[]]令󠄂日]]]]]]」
[SRC[>>19, >>27]]
-- [209] >>19, >>27 に写真
-- [208] >>207 にカラー写真、字形が明確に読み取れる解像度だが苔むして一部読み取りにくい
- [6]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]]]] [[神峯神社]] 石灯籠]]
[SRC[>>183]]
-- [184]
「[DATA(.text)[[V[天晴元丁夘[BR[]]𠄡月吉旦]]]]」
[SRC[>>1, >>25 (写真あり), >>27 (写真あり)]]
-- [270]
>>269 に銘文部分の一部の白黒写真あり
-- [237]
[TIME[平成20(2008)年][2008]]から約30年前に郷土史家[[広谷喜十郎]]が存在を把握
[SRC[>>12]]
- [7]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[田野町]][[大野]]]] [[大山祗神社]] 手水鉢]]
[SRC[>>182]]
-- [181]
「[DATA(.text)[天星元夘九月𠮷辰日]]」
[SRC[>>1, >>2]]
- [29]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]]] [[領石天満宮]] [[石灯籠]]]]
[SRC[>>28 ([CITE[土佐史談206号]]], [[門脇良雄]] = >>169), >>28 ([CITE[街道の日本47 土佐と南海道]], [TIME[2006][year:2006]] = >>171)]]
-- [222]
「[DATA(.text)[[V[[LINES[天晴元[SUP(smaller)[丁]][SUB(smaller)[卯]]][[SNIP[]]][十月吉日]]]]]]」 ([[楷書]])
--- [170]
「天晴元 丁卯 十月吉日」 [SRC[>>28]]
--- [223]
「[V[天晴 丁卯 十月吉日]]」 ([[楷書体]]) [SRC[>>216]]
-- [217] >>213 に現地のカラー写真 (銘文も読めるが一部読みづらい)
-- [229] >>228 に現地のカラー写真、低解像度で銘文のごく一部しか読めない
-- [234] >>232 に現地のカラー写真、一部のみ拡大あり
-- [218] >>216 に現地の案内看板
- [36]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]]] [[領石天満宮]]境内社 小宮さま (大神宮) [[棟札]]]]
-- [220]
「[DATA(.text)[[V[天晴元__&&swc632(年)&&__[SUP(smaller inline)[丁]][SUB(smaller inline)[卯]]九月十七日]]]]」
[SRC[>>216]]
--- [224] 「天晴元年」 [SRC[>>35, >>41]]
-- [221] >>41 に写真あり
-- [219] >>216 に現地の案内看板
--- [225] 看板内にカラー写真と翻刻
-- [230] >>228 にカラー写真
-- [255] 元は[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]][[字笹原]]にあったと思われる弁財天宮
[SRC[>>252]]
-- [226] 平成27年6月の調査で発見 [SRC[>>216]]
-- [256] 調査後に寄贈され[[高知県立歴史民俗資料館]]所蔵 [SRC[>>216]]
- [30]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[吾川郡]][[仁淀町]]]] [[黒森山]] [[鈴ヶ峠]] [[石灯籠]] (灯明台) ]]
[SRC[>>185, >>262]]
-- [186]
「[DATA(.text)[[V[天晴元夘九月十八󠄃日]]]]」
[SRC[>>28, >>37, >>39, >>68]]
-- [264] >>37, >>39, >>68 に写真あり
-- [263] >>262 に白黒写真あり、ぎりぎり銘文が読めるサイズ
- [24]
[[日本国]][[高知県]]赤岡[[須留田八幡宮]]拝殿[[絵馬]]
「天晴元[SUB[丁]]卯年」「五月𠮷祥日」「丑之歳男」
[SRC[>>23]]
- [15] 田口家神祭帳
[SRC[>>12 ([CITE[土佐山田町史]])
- [16] 高野家文書
[SRC[>>12 ([CITE[土佐山田町史]])
- [66]
[[日本国]][[高知県]][[安田町]]
[RUBYB[[[髙松順蔵]]][[TIME[1807]]-[TIME[1876]]]]歌集
「[V[天晴]]」
[SRC[>>65]]
[REFS[
- [84] [CITE[高知市歴史散歩]]
([TIME[2008-09-01 13:54:14 +09:00]] 版)
<http://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/01/0104/rekishi/re0809.htm>
-- [21] 移転確認 [TIME[2019-07-16T06:30:26.100Z]]
-- [11] [CITE[高知市歴史散歩]] ([TIME[2018-06-29 09:47:01 +09:00]]) <https://www.city.kochi.kochi.jp/akarui/rekishi/re0809.htm>
--- [12]
[CITE[[[高知市歴史散歩]] 289 幻の年号「天晴(てんせい)」]],
[[広谷喜十郎]],
高知市広報[CITE[あかるいまち]] [TIME[2008年9月][2008-09]]号
[FIG(quote)[ [13] [SRC[>>12]]
> 調べてみると、安芸郡安田町の神峯(こうのみね)神社にも「天晴元年五月」と刻記された石灯籠があり、それには「安喜(あき)土居村」とも刻まれている。
> その後、民俗学者・坂本正夫氏らの調査により、東は田野町から西は越知町に至る範囲に「天晴(天政や天星)元年」と刻記された石灯籠や手水鉢があることが判明し、神社の絵馬や古文書にも記されていることが確認された。それらはいずれも「丁卯(ていぼう)」または「卯年(うどし)」と併記されている。
> 『土佐山田町史』にも、田口家の神祭帳や高野家文書の記述を根拠として、慶応から明治に移る間に天晴年号が使用されていることが指摘されている。
> 「丁卯」に当たるのは慶応三(一八六七)年で、翌慶応四年九月八日に明治元年に改元されている。判明している限りでは、天晴という年号が地域的に使われたのは、前年の五月から明治元年までということになる。
[SNIP[]]
>
神峯神社にある石灯籠の年号について、明治末期に高村晴義氏は「慶応三年の事なり(略)京阪の言信(略)此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘(はら)ふの議朝廷におこり」と語っている。翌慶応四年に天晴への改元の動きがあることを見越して、年号が刻記されたことの証言である。
]FIG]
- [67] [CITE@ja[でんでんむしの詞(うた): [[天晴]]元年]],
[[tsurarenaisakana1]],
2012/9/22 (土) 18:27,
[TIME[2021-01-25T08:35:21.000Z]], [TIME[2021-06-25T04:25:50.704Z]] <https://dendenmushi1.blogspot.com/2012/10/blog-post_7431.html>
- [37]
[CITE[旧[[松山街道]]歩きから帰宅しました。: あ~ぴょんの「ちょっと書いてもうか」ブログ編]],
[TIME[2010年4月25日 (日)][2010-04-25]]
([TIME[2019-07-16 16:52:43 +09:00]]) <http://a-pyon.cocolog-nifty.com/apylog/2010/04/post-99fb.html>
- [19]
[CITE[今日も春野、天晴元卯九月令日]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]] 〔3099〕,
[TIME[2011/10/10][2011-10-10]]
([TIME[2019-07-16 16:09:50 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3099>
- [23]
[CITE[赤岡、須留田八幡宮の天晴]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔3117〕,
[TIME[2011/10/28][2011-10-28]]
([TIME[2019-07-16 16:20:36 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3117>
- [18]
[CITE[安芸、春日神社の天晴]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]] 〔3118〕,
[TIME[2011/10/29][2011-10-29]]
([TIME[2019-07-16 16:07:33 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3118>
- [25]
[CITE[安田、神峯神社の天晴]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔3200〕,
[TIME[2012/01/19][2012-01-19]]
([TIME[2019-07-16 16:23:40 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3200>
- [22]
[CITE[遍路路沿いの天政]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔4554〕,
[TIME[2015/10/04][2015-10-04]]
([TIME[2019-07-16 16:17:34 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=4554>
- [26]
[CITE[安芸の朝、天晴の朝]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔5003〕,
[TIME[2016/12/26][2016-12-26]]
([TIME[2019-07-16 16:24:43 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=5003>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] [CITE[高校生の天晴れ]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔5128〕,
[TIME[2017/04/30][2017-04-30]]
([TIME[2019-07-16 17:48:00 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=5128>
]FIGCAPTION]
>
高知県率東高校の生徒さんが、クラブ活動の中で纏められたもの。左端が2010年3月発行で、
[SNIP[]]
>
幕末土佐の私年号ー「天晴」を検証するー
>
[SNIP[]]
昔、歴史民俗資料館の館長さんだった坂本先生の論文から、南国市出身の民俗研究科、高村晴着さんが明治22、23年頃に安田町神峯神社で堂守らしき男から聞き書した貴重な話を伝えている。
>
それによると。幕末、安田からも二、三の志士が上京していた。そのうちの一人から、「此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘うの議、朝廷におこりたり」という知らせがあり、「来年は天晴と改元のある由なり」と二度ほども通知があったので、神峯神社の石灯籠に「天晴」と刻むことになったとのこと。
]FIG]
- [33]
[CITE@ja[【ブックマンの読書道 vol.37】... - [[高知市民図書館]]「しみんの図書館」 | Facebook]],
[TIME[2017年11月4日][2017-11-04]] ([TIME[2019-07-16 16:48:14 +09:00]]) <https://www.facebook.com/431200447032915/posts/931209397032015/>
-- [34] [CITE[南国史談 39号]]
- [69] [CITE@ja[写真展 土佐の私年号『天晴』 - [[高知城歴史博物館]]]], [TIME[2021-06-25T04:39:05.000Z]] <https://www.kochi-johaku.jp/program/2121/>
- [17] [CITE@ja[幕末土佐の私年号「天晴」 刻んだ石碑や絵馬写真展 高知城博館|[[高知新聞]]]],
[TIME[2018.01.25 08:20][2018-01-25T08:20]]
([TIME[2019-07-16 16:04:25 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/154840/>
- [2] [CITE@ja[謎の年号「てんせい」探せ 幕末土佐の文書などに13例 田野町「天星」を見学|[[高知新聞]]]],
[TIME[2019.02.25 08:45][2019-02-25T08:45]]
([TIME[2019-06-24 18:36:42 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/256460/>
- [1] [CITE@ja[謎の元号「てんせい」、漢字も3種類=幕末の高知、口頭で伝承?:[[時事ドットコム]]]],
[TIME[2019年03月25日13時49分][2019-03-25T13:49]]
([TIME[2019-03-26 12:15:48 +09:00]])
<https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032500079&g=soc>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[201]
[CITE[ちょうず鉢の文字 民間年号「てんせい」の謎 (コード 2019042700391)の写真・画像:報道写真・ニュース映像の提供購入サービス:[[KYODO NEWS IMAGELINK]](イメージリンク)]], [TIME[2024-03-06T11:51:15.000Z]] <https://imagelink.kyodonews.jp/detail?id=8893994>
]FIGCAPTION]
>登録日時: 2019年04月27日 17:20:26
>[B[ちょうず鉢の文字 民間年号「てんせい」の謎]]
>高知市内の神社のちょうず鉢に刻まれた「天政元夘」
]FIG]
- [70] [CITE[地域文化計画×高知 [[蔦屋書店]] トークイベント 「謎の年号『てんせい』をめぐって」 | イベント | 高知 蔦屋書店 | 蔦屋書店を中核とした生活提案型商業施設]], [TIME[2021-06-25T04:40:08.000Z]] <https://store.tsite.jp/kochi/event/shop/5313-2101240316.html>
- [232]
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「これが私年号「天晴(てんせい)」か https://t.co/G4tpdQPSi0」 / [[X]]]], [TIME[午後1:46 · 2021年6月23日][2021-06-23T04:46:57.000Z]], [TIME[2024-03-07T12:31:38.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1407560786529034244>
-- [233]
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「「天晴 丁卯 十月吉日」と刻まれている 慶応三年(1867年)のこと https://t.co/A18d4Lqjkw」 / [[X]]]], [TIME[午後1:48 · 2021年6月23日][2021-06-23T04:48:49.000Z]], [TIME[2024-03-07T12:31:38.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1407561258618920960>
- [39] [CITE@ja[鈴ケ峠(旧吾川村~旧池川町) [[私年号]]『天晴』 : 茶凡遊山記]],
[[ky_kochi]],
[TIME[2019-03-30 12:00][2019-03-30T12:00]]
([TIME[2019-07-16 17:06:25 +09:00]]) <https://chabon.exblog.jp/30513868/>
- [35] [CITE@ja[行事等のお知らせ(No.00041954) | [[高知県庁]]ホームページ]],
公開日 [TIME[2019年04月25日][2019-04-25]]
([TIME[2019-07-16 16:49:27 +09:00]]) <https://www.pref.kochi.lg.jp/press1/2019042300083/>
- [41] [CITE@ja[私年号「天晴」棟札:幕末土佐、「慶応」の次は… 南国で初公開 /高知 - [[毎日新聞]]]],
[TIME[2019年5月1日][2019-05-01]]
([TIME[2019-07-16 17:45:06 +09:00]]) <https://mainichi.jp/articles/20190501/ddl/k39/040/267000c>
- [27] [CITE@ja[幻の元号『天晴』 - 慶応3年の土佐にだけ残っちゅう私年号 - 史跡 | [[史跡]]・[[文化財]]]],
[[オンチャン(とさっぽ)]],
[TIME[2019-05-01][2019-05-01]]
([TIME[2019-07-16 07:14:24 +09:00]]) <http://nangokutosa.blog47.fc2.com/blog-entry-2204.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[65] [CITE@ja[高知県安田町の古文書に「天晴」 龍馬の義兄が私年号記す|[[高知新聞]]]],
2019.06.28 08:35,
[TIME[2021-06-25T02:53:32.000Z]] <https://www.kochinews.co.jp/article/288738/>
]FIGCAPTION]
>幕末の土佐で使われた私年号「天晴(てんせい)」の文字が書かれた古文書が27日までに、高知県安芸郡安田町で見つかった。坂本龍馬の義兄で安田町の儒学者、高松順蔵(1807~76年)が編んだ歌集にあった。中芸地域の古文書で確認されたのは初めて[SNIP[]]
]FIG]
- [68] [CITE@ja[旧松山街道を歩く 鈴ケ峠〜見ノ越 | によどがわ.TV|[[高知県]] 仁淀川町観光ポータルサイト | 仁淀川町観光ポータルサイト]],
2020.03.12,
[TIME[2021-06-25T04:33:01.000Z]] <https://www.niyodogawa.tv/news/news-10674/>
- [205]
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「私年号「天政」 https://t.co/nWGRweWtvL」 / [[X]]]], [TIME[午前11:43 · 2021年10月24日][2021-10-24T02:43:23.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:50:57.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1452103396857561092>
-- [207]
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「近くにも私年号「天晴」 https://t.co/2G4inqYxg2」 / [[X]]]], [TIME[午前11:55 · 2021年10月24日][2021-10-24T02:55:13.000Z]], [TIME[2024-03-06T11:34:13.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1452106376352657408>
]REFS]
[86] [TIME[2022-12-25T08:13:11.400Z]]
<https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00106199-20190000-0121.pdf?file_id=147073>
#page=54
>
[VRL[
[BOX(set)[
[BOX(set)[
[BOX(left)[
謫居詩存〔二〕巻存巻上
]BOX]
[BOX[
和半
]BOX]
]BOX]
[BOX(right)[
[YOKO[[LINES[919][ト 363][1]]]]
]BOX]
]BOX]
[BOX(indent)[
[BOX(set)[
[BOX[
藤田東湖撰 門生等校
]BOX]
[BOX[
天晴元年(=慶応三年、一八六七)八月写(〔田宮穆風齋〕)
]BOX]
]BOX]
書写奥書「天晴元八月日寫於府之新街僑居/物水小史悌識」。「天晴」は土佐の一部で用いられた私年号。朱句点[BR[]]
等あり。識語:田宮虎次郎之悌、物水子帰、田宮子順悌、之春(いずれも本文同筆) *田宮道雄氏寄贈
]BOX]
]VRL]
#page=2 田宮家は土佐藩に仕えた
** 徳島
- [8] [[日本国]][[徳島県]][[三好市]]太鼓
「天政」
[SRC[>>1, >>47]]
** 福岡
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [9]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]]] 文書]]
-- [52] [[戦国時代]]の[[宗像氏]]の内紛を描いた書物の写本 [SRC[>>47]]
-- [198] [[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[天政元𭘾[BR[]] 丁夘十月吉[ASIS[祥][丰、]]日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>38]]
-- [199] >>47 に写真あり
-- [200] >>116 にカラー写真あり
]ITEMS]
[53]
[TIME[平成31(2019)年3月][2019-03]]、
[[高知近代史研究会]]の会長の[[今井章博]]が[[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]の古書店で入手しました
[SRC[>>47]]。
[[令和改元]]直前の[TIME[平成31(2019)年4月][2019-04]]に新聞で報じられました
[SRC[>>38]]。
[REFS[
- [38]
[CITE@ja[私年号「天政」 福岡でも? 本県研究者 宗像市古文書で確認|[[高知新聞]]]],
[TIME[2019.04.26 14:35][2019-04-26T14:35]]
([TIME[2019-07-16 16:59:58 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/272657/>
-- [197] 消滅確認 [TIME[2024-03-06T11:46:06.00Z]]
-- [47] [CITE@ja[ななづきさんは[[Twitter]]を使っています 「無茶苦茶ワクワクする記事。私年号「てんせい」の伝達には三条実美さん周辺の志士が関わってた!? https://t.co/PxmvHl7tCF」 / Twitter]], 午後6:37 · 2019年4月26日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:10:13.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1121709890311901186/photo/1>
-- [46] [CITE@ja[楢山おろかさんは[[Twitter]]を使っています 「『高知新聞』私年号「天政」 福岡でも? 本県研究者 宗像市古文書で確認 https://t.co/gWI8ydCF0Y 出処はきっと早川勇だろうけど、興味深いのは、情報通の加瀬屋、若手勤王派の山中立木や祝部波門なんかの記録にない=福岡城下には到達してなさそうなところで早川の勢力範囲が見えそうなあたり」 / Twitter]], 午前10:15 · 2019年4月27日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:38:42.000Z]] <https://twitter.com/oroka0219/status/1121945934328262656>
--- [196]
[CITE@ja[Xユーザーの楢山おろかさん: 「または、早川は知ってて使わなかったけど早川の周りに使ったひとがいた、ぐらい、とか。城戸(山崎)吉近って誰やっけな、っていうか、「写之」ってあるけどその史料何だべな」 / [[X]]]], [TIME[午後0:37 · 2019年4月27日][2019-04-27T03:37:49.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:59:48.000Z]] <https://twitter.com/oroka0219/status/1121981749695635456>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[116] [CITE[[[ねんごう]] の写真・画像 : 報道写真・ニュース映像ならKYODO NEWS IMAGELINK(イメージリンク)]], [TIME[2022-12-29T09:39:50.000Z]] <https://imagelink.kyodonews.jp/search?product_type=1,2,11&keyword=%E3%81%AD%E3%82%93%E3%81%94%E3%81%86&opendetail=8893991>
]FIGCAPTION]
>登録日時: 2019年04月27日 17:20:22
>「天政元年」の記述 民間年号「てんせい」の謎
>「天政元年」と記述された福岡県の寺の資料
> 提供元: 共同
]FIG]
]REFS]
** 飛騨
[82] [CITE@ja-JP[萩原町史 第3巻 (南飛騨の夜明け)]], [[萩原町史編集室]], [TIME[1987.6][1987]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:09:45.856Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9540518/1/203> (要登録)
飛騨で「天政元年」 (慶応4年) 2月
白黒写真あり、低解像度ながらも日付部分は判読可能
* 受容
[71]
用例が多数見つかっている[[日本国]][[高知県]]では比較的関心が髙いようです。
[72]
[[令和改元]]の前後には特に関心が高まったようで、
イベント開催や[[メディア]]での紹介が複数回ありました。
新史料の発見もありました。
([[亀光]]の状況とも似ています。)
[62]
[[令和改元]]をきっかけに関心が高まり新発見があったり、
それに因んだ命名があったりしたようで、
[[改元]]のメリットを享受した幸運な[[私年号]]ですねw
[73]
[[高知県]]内の[[金石文]]は、これだけ話題になっているので大方探され尽くされたのかもしれません。
文献資料は[[令和改元]]の頃に新発見があった [SRC[>>65]]
ように、まだまだ未発見のまま眠っているものがあるかもしれません。
[74]
[[高知県]]外は[[高知県]]内ほど注目されていないようなので、
今後まだ新発見がありそうな気がします。
-*-*-
[173]
[TIME[平成22(2010)年][2010]]の[[日本国]][[高知県]]の[[高知県坂本龍馬記念館・現代龍馬学会]]の会員[[唐石淳子]]の記述によると、
[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]の[[天満宮]]石灯籠 (>>29)
の[[私年号]]用例には従来地元ではまったく関心を払ってきませんでした。
銘文は風化が進み、どうにか保存できないのかと困っていたようです。
[SRC[>>28]]
[157]
[TIME[2015-08-16]]、
[[南国市立中央公民館]]開催の[[南国史談会]]例会の第38回は
「幕末土佐でのみ使用された私年号「天晴」」
がテーマでした。
[SRC[>>156]]
;; [159]
[[南国史談会]]は[[南国市]]を中心とした歴史・文化の研修を行う公民館のサークルとして登録されています
[SRC[>>158]]。例会の連絡先は市役所になっており [SRC[>>156]]、
市からある程度のバックアップもあって活動していると思われます。
[154]
[[令和改元]]直前の[TIME[2019-02-23]]、
[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[田野町]]で
「幕末の土佐で使われた謎の私年号「てんせい」を探すツアー」
と銘打った[[田野町]]大野地区の[[大山祗神社]]の見学会がありました。
[SRC[>>153]]
[260]
[TIME[平成31(2019)年][2019]]の地元自治体広報誌は、
「時代の流れの中で明るく生きようとした土佐人のユーモアが感じられる」
と評しています。
[SRC[>>252]]
;; [261]
[[改元デマ]]に踊らされるのがユーモアなのか?と突っ込みたくはなりますが、
自治体の広報という媒体の特性上変に取られて角が立っても困るでしょうし、
まあ仕方ないのですかねえ。
[187]
その他[[高知県]]の自治体のウェブページや広報誌、
観光関係、
歴史関係、
登山関係、
一般のブログ記事などでしばしば紹介されています
[SRC[>>183, >>169, >>185, >>156, >>182, >>158, >>213, >>235, >>252, >>262, >>266, >>267, >>268, >>269]]。
[188]
裾野が広がるとどうしても怪しげな説明も出てくるもので、
「使用されることのなかった“幻の年号”」が使われているという不思議な解説
[SRC[>>185]]
もあったりします。
[REFS[
- [171]
[CITE@ja[土佐と南海道 ([[街道の日本史]] ; 47) | NDLサーチ | 国立国会図書館]], [TIME[2024-03-05T08:59:39.000Z]] <https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008374119>
- [235]
[CITE@ja[digidepo_3489443_po_1000-6700.pdf]], [TIME[2024-03-07T13:35:09.000Z]] <https://www.dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F3489443&contentNo=1#page=7>
下
- [183]
[CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (200)]], [[土佐史談会]], [TIME[1996-01]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-05T12:05:55.496Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913143/1/21> (要登録)
右上
- [169]
[CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (206)]], [[土佐史談会]], [TIME[1997-12]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:55:46.778Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913149/1/27> (要登録)
右下
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[185]
[CITE@ja[[L[[[[I[不思議の森から]]]] Volume 22]]]],
[L[April 2010]],
[TIME[2022-03-16T08:43:05.000Z]], [TIME[2024-03-05T12:19:36.364Z]] <https://www.yokogurayama-museum.jp/wp-content/uploads/2022/03/vol_22.pdf>
]FIGCAPTION]
>
[LEFT[
[B[•鈴ヶ峠]] 黒森山(1017.3m)北西麓に位置する峠(822袤)。[BR[]]
使用されることのなかった“幻の年号”「[RUBY[天晴][てんせい]]」[SUP[※2]] 〔慶応[BR[]]
3(1867)年;明治の前年〕の入った石灯籠(「[RUBY[月燈][がっとう]]」:[BR[]]
本体高さ1.85㍍,砂岩製)がある。[SNIP[]]
]LEFT]
>
[LEFT[
※2 県内ではこの他、安田町・赤岡町・土佐山田町・春野町のみ[BR[]]
で使用された私年号。
]LEFT]
]FIG]
- [262]
[CITE@ja[Œ{Ł¶14-15.ai - 201010.pdf]], [TIME[2011-02-23T06:52:58.000Z]], [TIME[2024-03-08T12:39:53.673Z]] <http://www.town.ochi.kochi.jp/upld/files/soumu/kouhou/2010/201010.pdf#page=17>
-- [265] 引用: >>81
- [156]
[CITE@ja[18〜19ペ−ジ.pdf]], [TIME[2024-03-05T08:07:49.000Z]] <https://www.city.nankoku.lg.jp/download/?t=KHN&id=111&fid=21911#page=1>
右
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[268]
[CITE@ja[佐川が生んだ偉人・田中光顕やジョン万次郎らが往き来した旧松山街道とは: 仁淀ブルー スタッフ[[ブログ]]]],
2016年10月21日,
[TIME[2024-03-08T13:14:56.000Z]] <http://niyodogawa.seesaa.net/article/442997939.html>
]FIGCAPTION]
>ここに来たかったというメンバーが多かったように思います。
こことは鈴ヶ峠にある「天晴年号の入った灯明台」。
慶應の次の年号は明治ですが、慶應の次が天晴であったという幻の年号が彫刻されています。慶應3年が天晴元年であったという説が高知の随所に残っています。
摩訶不思議。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[267]
[CITE@ja[師走益々天晴! | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!]],
2017-12-28 23:49:52,
[TIME[2024-03-08T12:59:14.000Z]] <https://ameblo.jp/3091nh/entry-12340013222.html>
]FIGCAPTION]
>故郷 「高知」 では、その幕末期の終わりに、突如現れて消えた幻の年号があるという。 それが 「天晴」 というもの・・・・・
>
なんとも晴れ晴れしたような素敵な年号ではないか! (#^.^#)
>
幕末の慶応3年 1867年 ・・・・・。 この年号は、高知だけでなくお隣の徳島県でも、使われていた形跡がある。 発見した方は、主に神社などの石灯籠や絵馬から知ったようだけれど、どうも大政奉還後の日本において、幕末動乱の中で日本国内外の国難を追い払おうと、
>
改元 がなされるという噂が、京より地方に伝えられたことが発端らしい。
>
あくまでも 噂 であって、 「明治」 の年号が現れるのは、この
>
翌年1868年9月8日なのだが、先に出てしまったこの噂によって、
>
「天晴」の年号だけが、どこから出たのかわからないが、すでに一人歩きで使われていたというもの・・・・・。
>土佐の高知で幕末に、突如現れた「天晴」という年号・・・・・
>
こうした年号は、 「私年号」 といって、正史にはその名を残さないモノを言うらしいが、坂本龍馬や中岡慎太郎 土佐でいうならば、
>
土佐勤王党など・・・・・。 何かともの騒ぎな事柄も続いていました。
>それまでの何かが、何かわからないがとんでもなく大きく変わろうとしているようだと、人々もそれぞれに何かを悟っていたんではと思います。 そんな不穏な空気を吹き飛ばしそうな「天晴」という私年号は、もしかしたら字のごとく!
>
その何かを、吹き飛ばしてどこまでも晴れた空のように、パッと明るくなってくれというような・・・・・、そんな意味合いもあったのかもしれませんね。 だからこそ・・・・、噂を噂と思ってなかったのか・・・・いや、噂だと知っていながらも、すでにこの私年号が使われたんだと思います。
>
主に神社などで、見つかっているのを見ると、やはり時代の変わり目に、これまでにない変化を、求めていたのかもしれません。 そして祈っていたのかも・・・・・・。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[266]
[CITE@ja[新元号発表!その時何をしていた? | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!]],
2019-04-02 23:36:34,
[TIME[2024-03-08T12:45:29.000Z]] <https://ameblo.jp/3091nh/entry-12451561744.html>
]FIGCAPTION]
>今回は
>
何かと以前書いたブログ記事の引用が多くなるが、土佐には幻の元号が存在している。 その謎の元号と言われた 「天晴」 というものは 「てんせい」 と読み、土佐の東部・中部他 徳島県の三好でも見つかっていて、探せばもしかしてもっと出るかもしれないものだ。 以前そんな幻の元号の事を知って、学んでいるという地元高知県の学生の話題を目にしたこともあったが、一緒に記されている干支が・・・・・
>
1867年 慶応3年 の頃を指すとされていて、これが幕末動乱の世の中で、人々の間に広まっていた元号だったとわかっている。
>
明治改元は 1868年 9月8日・・・・・・
>
その一年前には、既に土佐においては新元号として、広まっていたという事になる。 幕末から明治維新への間の日本国では、様々な事柄があったことは知ってらしゃると思うが、「天晴」と書くだけに・・・・
>
その元号に込めた祈りは強い。 他にも日本では、1884年 明治17年に蜂起した秩父困民党が使ったとされている 「自由自治」 なる元号もあるそうだよ。 日本国中探してみると、いろいろと出てくるかもね。 こうゆうものは、文書や金石文の中に、正史にはその名を残さない年号・・・ 私年号 と言うらしい。
]FIG]
-
[252]
[CITE@ja[なんこく19_3月号.indd - [[広報なんこく]](平成31年3月号).pdf]], [TIME[2024-03-08T10:19:22.000Z]] <https://www.city.nankoku.lg.jp/download/?t=KHN&id=178&fid=42804#page=15>
- [153]
[CITE@ja[謎の年号「てんせい」探せ 幕末土佐の文書などに13例 田野町「天星」を見学|[[高知新聞]]]],
2019.02.25 08:45,
[TIME[2024-03-05T07:52:28.000Z]], [TIME[2019-03-01T17:04:49.519Z]] <https://web.archive.org/web/20190301165446/https://www.kochinews.co.jp/article/256460/>
-
[269]
[CITE[ムー: 2019年7月号 - [[Google ブックス]]]], [TIME[2024-03-08T13:20:45.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=N7ibDwAAQBAJ&pg=PA86>
-
[182]
[CITE@ja[町のおぼえがき帖 - oboegakicho.pdf]], [TIME[2020-06-01T05:30:06.000Z]], [TIME[2024-03-05T12:02:52.998Z]] <https://tanocho.jp/cms/wp-content/themes/tanowp/document/100th/oboegakicho.pdf#page=1>
- [158]
[CITE@ja[Wý˵ü¯ë - サークル一覧.pdf]], [TIME[2024-03-05T08:14:49.000Z]] <https://www.city.nankoku.lg.jp/download/?t=LD&id=6391&fid=87381>
- [213]
[CITE@ja[Xユーザーのともろー🙃さん: 「南国市領石 天晴の石灯籠 時は幕末 上京していた志士が 「世の中不穏じゃん?とりあえず年号改めて気分上げ⤴︎︎︎するみたいよ。ほんで天晴(てんせい)に変えるらしいで」 てなやりとりで正式に年号変わる前に先んじて「天晴」と刻んでしまったとか😳 県内にいくつか天晴と刻まれた寺社があるとか🙂 https://t.co/1H34uEj1Iu」 / [[X]]]], [TIME[午前11:51 · 2024年1月19日][2024-01-19T02:51:19.000Z]], [TIME[2024-03-07T07:37:19.000Z]] <https://twitter.com/tomorow45g/status/1748176282335268893>
-- [216]
写真4枚目: 現地の案内看板
-- [214]
[CITE@ja[Xユーザーのはるか@自分軸で生きる幸せな人生に✨学びで得たこと発信。さん: 「@tomorow45g へぇ! あっぱれ ですか^^ 天晴✨(てんせい) そうならんかったがは残念やけど 昔から中央のやることをいち早く取り入れようとした証ですね^^ 面白いです♪ 県内でも刻まれちゅうのは4か所と書かれてますね。 ならんかった時は残念やったでしょうね〜😂」 / [[X]]]], [TIME[午後1:00 · 2024年1月19日][2024-01-19T04:00:19.000Z]], [TIME[2024-03-07T07:37:19.000Z]] <https://twitter.com/harukadesu369/status/1748193646904775148>
-- [215]
[CITE@ja[Xユーザーのともろー🙃さん: 「@harukadesu369 なんというか気の短い土佐人の気質といいましょうか、通信もない時代なのでろくに確認もきないところがいいですね🤣 そんな残念?な証が今も残っちゅうのが嬉しいです🤭」 / [[X]]]], [TIME[午後5:30 · 2024年1月19日][2024-01-19T08:30:03.000Z]], [TIME[2024-03-07T07:37:19.000Z]] <https://twitter.com/tomorow45g/status/1748261524119204258>
]REFS]
- [194]
[CITE@ja[XユーザーのBS-TBSさん: 「/ 🌸新元号、公表まで あと2日⏰ \ あした3/31(日)よる6時 📺BS-TBS「#みんなの平成」 #中山秀征 #貴乃花 #伊集院光 #小島慶子 みんな大集合!👦👩👴👵 あなたも「平成エピソード」をツイートしよう! 抽選で5名様に💴QUOカード千円分を #プレゼント🎁」 / [[X]]]], [TIME[午後8:24 · 2019年3月26日][2019-03-26T11:24:52.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:44:28.000Z]] <https://twitter.com/bstbs6/status/1110502875010990081>
-- [193] [CITE@ja[Xユーザーの似而非歴史学徒さん: 「@bstbs6 昨夜の私年号の説明はひどかった!私年号は幻ではないし、慶応は4年まで続いたので天青でなく明治に改元されたという説明も勘違い」 / [[X]]]], [TIME[午前11:38 · 2019年3月30日][2019-03-30T02:38:53.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:44:28.000Z]] <https://twitter.com/sundayhistorian/status/1111820059263950849>
[195]
>>194 がどんな番組内容だったのか不明ながら、
>>193 の記載から[[天晴]]の[[私年号]]が紹介された
(があまり品質がよくなかった) ようにみえます。
「幻」という表現は >>188 にもみられました。
-*-*-
[55]
[TIME[平成31(2019)年4月][2019-04]]、
[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の[[旅館]][RUBY[[[城西館]]][じょうせいかん]]は、
全面リニューアルした本館を[RUBY[天誠][てんせい]]と命名しました
[SRC[>>54, >>56, >>57, >>58]]。
[59] この名前は[[高知]]で使われた[[私年号]]の[[天晴]]に因んだものとされます。
[SRC[>>54]]
[60] この旅館は[[皇族]]が繰り返し宿泊するような由緒正しい老舗のようで、
そんなところで[[私年号]]から命名しちゃっていいものか気になりますが、
まあ[[私年号]]といっても[[朝敵]]が使ったわけではありませんからね。
[61] ちなみにこの旅館の沿革には
「平成31年2月
(2019年2月)」
の次が
「令和元年4月
(2019年4月)」
の「「天誠」客室リニューアルオープン」
で、その次が
「令和元年5月
(2019年5月)」
と書かれていました。 [SRC[>>58]]
令和元年は5月からなので、[[遡及年号]]の形になります。
ただの書き間違いでしょうが。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[179]
[CITE[峠データベース・詳細表示:[[鈴ヶ峠]](高知県吾川郡仁淀川町峰岩戸/日浦)]], [TIME[2024-03-05T09:28:39.000Z]] <http://pdb.the-orj.org/view.php?no=3221>
]FIGCAPTION]
>[SNIP[]]峠には私年号「天晴」(慶応三年)の銘のある灯明台がある。同様の「天晴灯明台」は他に安田町の神峰神社、安芸市の春日神社にあるそうだ。(「土佐の峠風土記」)
]FIG]
;; [180] [CITE[土佐の峠風土記]]は[TIME[平成3(1991)年][1991]]出版。
- [54] [CITE@ja[ななづきさんはTwitterを使っています 「雑誌に載ってる城西館さんの広告。 『幕末土佐で使われた私年号「天晴」に先代が大切にしてきた、“ 誠の心を尽くす宿”の想いを込めて本館を「天誠(てんせい)」の名でリニューアル』 まさかの天晴!私年号気になってるので嬉しいです。 https://t.co/cAueHzPYLj」 / [[Twitter]]]], 午後9:24 · 2019年5月24日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:54:57.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1131898865139847168>
- [56] [CITE@ja[2019年4月 [[城西館]] 本館が全面リニューアルオープン]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:04:15.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/info/renewal2019/>
- [57] [CITE@ja[客室のご紹介 ─ 天誠 ─ ‹ 高知のホテル [[城西館]]]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:04:35.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/guestroom/tensei/>
- [58] [CITE@ja[[[城西館]]の歴史 ‹ 高知市上町 ホテル 城西館]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:03:09.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/history/>
]REFS]
* 研究史
[249]
[[明治時代]]末期、
[[高村晴義]]は神峯神社の石灯篭 (>>6) について、
>慶応三年の事なり(略)京阪の言信(略)此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘(はら)ふの議朝廷におこり
と述べました。
[SRC[>>12]]
[168]
[[日本国]][[高知県]][[安芸市]]の[[土居春日神社]]の用例 (>>14)
が最初に知られました。
[SRC[>>28 ([[広谷喜十郎]])]]
[TIME[平成20(2008)年][2008]]から約30年前に郷土史家[[広谷喜十郎]]の知人がこれ (>>14)
を[[広谷喜十郎]]に知らせたのが始まりでした。
[[広谷喜十郎]]の調査で他にも1例検出されました (>>6)。
[SRC[>>12]]
[238]
その後民俗学者の[[坂本正夫]]らの調査で[[日本国]][[高知県]]の東は[[田野町]]から西は[[越知町]]までに多数の[[天晴]],
[[天政]],
[[天星]]の用例が知られるようになりました。
[SRC[>>12]]
[239]
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の[CITE[土佐山田町史]]は文献資料 (>>15, >>16)
から[[慶應]]と[[明治]]の移行期に[[天晴]]が使用されたと指摘しました。
[SRC[>>13]]
[288]
[TIME[昭和53(1978)年][1978]]に[[日本国]][[高知県]]の[[山崎清憲]]は、
街道の紹介の書籍の中で[[鈴ヶ峠]]の用例 (>>30) を紹介しました。
次のように述べています。
[SRC[>>287]]
- [289] 灯明台に「[V[天晴元卯九月十八日]]」 とある
- [290] [[天晴]]とはおかしく、勝手な想像をした
-- [291] 住民は圧政に苦しみ[[百姓一揆]]などがあった
-- [292] [[天明]]の[[元号]]に不吉なものを感じたのではないか
-- [293] 灯明台は麓に救世、光明をもたらすもので不幸、不吉の「天明」を避けて
「天晴」としたのでは
- [294] 「のちに」[CITE[高知新聞]]に安田 (>>6) と安芸 (>>14) の発見が掲載された
- [295] 「その後」 [[鈴ヶ峠]] (>>30) は次の仮説がたてられている
-- [296] 「神楽囃詞引用説」では
--- [299] 「天晴」は「あっぱれ」と読んでお祝いごとのときに舞う
--- [297] 慶応3年丁卯にあたる
--- [298] 山村住民が新しい時代へ希望を託したものか
- [300] 1山村のみならず高知県下あちこちに残っている
-- [301] 県下全域で凶を排除して吉を取る、新生日本の夜明けを期待する住民の願いの現れとみてよいのでは
[302]
[[山崎清憲]]は歴史の専門家ではなく、本人が「勝手な想像」と断っている通り、
天明説は史料的根拠のある説ではありません。これ以前に発表されたのかは不明です。
また、2点の石灯篭より先に存在を知っていたようですが、
具体的にいつから知っていたのかは不明です。
有名な峠のよく目立つ位置の灯籠のよく読める銘文ですから、
峠を通る人達には
([[私年号]]史料としての認識はともかく)
不思議な紀年銘があることは昔から知られていたのかもしれません。
[303]
「「神楽囃詞引用説」」というのはよくわかりませんが、書名などではなさそうで、
神楽の「あっぱれ」の詞を引用して[[元号]]としたという説、
ということでしょうか。書き方から、
[[山崎清憲]]の説ではなく3点(以上)の石灯篭が知られた後に誰かが唱えた説ということでしょう。
[274]
[TIME[平成元(1989)年][1989]]、地元郷土史家の[[小松榮次]]は、
次のように紹介しました。
[SRC[>>272]]
- [276] [[日本]][[土佐国]][[安芸郡]][[土居村]]では新年号を伝え聞いて信じて慶応3年9月に氏神に新時代の祈願をして奉納したものか
-- [279] 氏子の話し合い、集金、石工に依頼、仕上げと2ヶ月3ヶ月では運ばなかっただろう
-- [277] 新元号の情報は前年か春にはもう話されていたのか
- [275] 県内で6例知られている (>>273)
-- [278] どのような経路で伝わったのかはわからない
-- [280] 土佐で1年余使われていたことになる
- [281] [[日本国]][[岡山県]]の人が[[南朝の元号]]だと伝えてきた
-- [282] [[安芸]]の石灯篭は600年前のものとは思えない
;; [283]
慶応2年末から慶応3年にかけての天皇と将軍の代替わりと新元号を祝うという前提で考えているため、
慶応2年末から慶応3年春に新年号情報が広まり、それを聞いてから安芸で石灯篭を作る計画が出てきた、
という想定になっているようです。しかし石灯篭にはそのようなことは書かれていないのですから、
たまたま石灯篭を奉納する段階になって新年号情報があったのでそれに従ったと考える方が妥当です。
スケジュール感は改めて検討が必要でしょう。
;; [284] 岡山の云々は、[[美作後南朝]]説なるある種の[[陰謀論]]に関係します。
[SEE[ [[天靖]] ]]
[[昭和時代]]末期から[[平成時代]]初期の当時のどのような情報経路で[[高知県]]の[[私年号]]情報が[[岡山県]]まで伝わったのか、
もまた興味深いですね。
[REFS[
- [287]
[CITE@ja-JP[土佐の街道]], [[山崎清憲]], [TIME[1978.6][1978]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-09T04:01:18.717Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9773089/1/66> (要登録)
- [271]
[CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (182)]], [[土佐史談会]], [TIME[1989-12]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-09T02:50:50.432Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913125/1/49> (要登録)
-- [272]
[CITE[[V[明治の安芸]]]],
[[[V[小松榮次]]]]
]REFS]
[240]
[TIME[平成20(2008)年][2008]]に郷土史家の[[広谷喜十郎]]は、
[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の広報誌で[[天晴]]を
「幻の年号」として紹介しました。
次のように説明しました。
[SRC[>>12]]
- [241] 30年前から知られるようになってきた (>>168, >>238, >>239)
-- [242] 判明している限り、天晴は慶応3年5月から明治元年まで使われた
- [243] [[石灯篭]]等には「氏子中」などとあり個人でなく村の総意で寄進されたもの
-- [244] 石造物の寄進は早めに注文するはず
-- [245] 広範囲で短期間に普及している
-- [246] 単なる思いつきでないのは明らか
- [247] 元号史の本にも天晴が検討された記録はない
-- [248] 上意下達の封建時代に年号という絶対的なものに起こった現象、
民衆の世直し願望の一種かもしれない
-- [250] >>249, 慶応4年に天晴へ改元があることを見越して年号が刻まれたとの証言である
;; [253]
[[天晴]]が「幻の年号」「幻の元号」と紹介されることがある [SRC[>>27, >>188, >>185]]
のはこの記事に由来するのでしょうか。
;; [251] このうち >>250 は慶応4年に[[公年号]]の[[改元]]があったことを知ってしまっている我々現代人の視点ゆえの誤解です。
天晴の用例のほとんどには丁卯と書かれていて、慶応3年丁卯を指していることは明白です。
(筆者もそう紹介しているのです。)
翌年の改元を「見越し」たなら「天晴0年」とでも書かなければならなくなります。
[257]
[TIME[平成31(2019)年][2019]]の地元自治体広報誌も石灯篭は製作に時間がかかるため、
改元を予見して建立したものだと解説しています。 [SRC[>>252]]
>>250 を踏襲したものでしょうか。 (ただしこちらは翌年の改元とはしていません。)
[NOTE[
[258]
改元を「予見」したのか改元が「あったと理解した」のか、
どちらなのか判定できる資料は今のところありません。
[[私年号研究]]一般では「あったと理解した」結果使われたと推測するのが基本です。
「あったと理解して使う」に比べて「予見して使う」というのは特殊な行為なので、
そうであるとするなら相応の論証が求められます。
[259]
なお、
[[前近代]]には (いったん改元が施行されると過去の)
日付記述において[[改元日]]はあまり重視されず、
[[元日まで遡って新年号で書かれる][遡及年号]]ことがあり得ること、
一方で幕藩体制が盤石だった時期なら未施行[[元号]]の先走り使用は厳禁されていたこと
([SEE[ [[改元手続き]] ]])
には注意が必要です。
]NOTE]
[161]
[TIME[平成21(2009)年][2009]]に[[日本国]][[奈良県]]の[[奈良大学]]が開催した第3回[[全国高校生歴史フォーラム]]で、
[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の[[高知県立高知東高等学校]]の[[片岡靖裕]]が、
[CITE[幕末土佐の私年号 ―「天晴」を検証する!―]]
を発表し、
優秀賞を受賞しました。
[SRC[>>160, >>162]]
[165]
[TIME[平成22(2010)年][2010]]の情報によると、
高校3年 [WEAK[(平成21年度か平成22年度か不明)]] の[[片岡靖裕]]の[[論文]]
[CITE[私年号天晴を検証]]
では10例が報告されていました。
[SRC[>>28]]
[166]
題名が違いますが、受賞した[[論文]]そのものを指すのか、
別にまとめられたものがあるのか不明です。
また、当時地元で興味ある人が入手できていたことがわかりますが、
現在これを入手する方法があるのかは不明です。
;; [172]
>>28
は
[CITE[街道の日本史]] (>>171)
を
「街道の日本」と誤引用していると思われ、
同様に論文名は正確でないかもしれません。
;; [167] 学術的に貴重な研究成果と思われますから、
是非ともご本人か高校で広く公表してほしいものですが、
これだけ日が経ってしまうと難しいのですかね。
[REFS[
- [162]
[CITE@ja[h1-h4ol - nu-news-152.pdf]], [TIME[2016-07-25T11:27:45.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:30:30.183Z]] <https://www.nara-u.ac.jp/about/overview/press/nu_navi/pdf/nu-news-152.pdf#page=5>
左
- [163]
[CITE@ja[hitou74.pdf]], [TIME[2018-03-29T05:13:32.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:35:28.506Z]] <https://ryoma-kinenkan.jp/share/img/about/hitou74.pdf#page=8>
-- [164]
[CITE[高知県坂本龍馬記念館・現代龍馬学会]]
[TIME[2015-12-30 11:56:48 +09:00]]
<http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/hitou74rg.pdf#page=3>
--- [28]
[CITE[[L[領石に残る「天晴の石灯籠」]]]],
[[[L[唐石淳子]]]],
p.[L[4]]
- [160] [CITE[これまでの[[全国高校生歴史フォーラム]] | 第16回 全国高校生歴史フォーラム]], [TIME[2023-12-07T00:36:46.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:27:25.809Z]] <https://www.nara-u.ac.jp/forum/history/>
]REFS]