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[16]
[DFN[仏暦]] ([DFN[B.E.]]、[DFN[仏滅紀元]]) は、
[[釈迦]]の[[入滅]]を[[元期]]とする[[紀年法]]です。
[17]
現在使われているものは、
[[入滅]]年を[[元年]]とするものと、
その翌年を[[元年]]とするものの2系統があります。
* 元期
[38]
[[仏暦]] ([[仏滅紀元]])
は[[釈迦]] ([[仏陀]]) の[[死去]]を[[元期]]とするものです。
[39]
ただしその[[元期]]の特定には諸説あります。
主要なものに、現在[[タイ]]で使われている[[南伝仏教]]説と、
かつて[[東アジア]]で使われていた[[北伝仏教]]説 (>>34)
があります。
現在の学術研究者はまた別の没年を推定しています。
* 文脈
[18]
[[東南アジア]]で広く用いられています。
特に[[タイ王国]]では[[国家の正式な紀年法][法定紀年法]]として公私ともにほとんどの場面で用いられています。
[40]
[TIME[昭和50(1975)年10月][1975-10]]日本国外務省調査の[[外交官]]信任状等の状況によると、
[[タイ]]、[[ラオス]]、[[スリランカ]]が[[仏暦]]を使っていました。
[SEE[ [[法定紀年法]] ]]
[41]
[[西暦]]が[[イエスキリスト]]の生誕年と一致しないとみられるのと同様、
[[仏暦]]が歴史的事実としての[[釈迦]]没年と一致しなくても[[紀年法]]として支障はないと考えるのが一般的とみられます。
* タイ
[24]
[[タイ]]は[[仏暦]]を公私ともに広く用いています。
他にもいくつかの[[暦法]]と[[紀年法]]があります。
[SEE[ [[タイ暦]] ]]
* ラオス
[21] [[タイ]]式と同じ数え方です。
* カンボジア
[22] [[タイ]]式と同じ数え方です。
* スリランカ
[19] [[タイ]]式より1年進んでいます。
[15] [[スリランカ]]の[[法令]]は[[英領]]時代を引き継ぎ基本[[西暦]]を使っていますが、
[TIME[西暦1977年][year:1977]]の[[憲法]]の[[前文]]は[[仏暦]]に[[西暦]]を併記していました
[SRC[>>14]]。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@en[Constitution of Sri Lanka - Wikisource, the free online library]]
([TIME[2019-12-03 08:28:31 +09:00]])
<https://en.wikisource.org/wiki/Constitution_of_Sri_Lanka>
]FIGCAPTION]
> The PEOPLE OF SRI LANKA having, by their Mandate freely expressed and granted on the sixth day of the waxing moon in the month of Adhi Nikini in the year two thousand five hundred and twenty-one of the Buddhist Era (being Thursday the twenty-first day of the month of July in the year one thousand nine hundred and seventy-seven),
]FIG]
* ビルマ
[20] [[タイ]]式より1年進んでいます。
[23] 公的には[[ビルマ暦]]が使われています。
* 北伝仏教説
[34]
[[支那]]や[[日本]]では、[[釈迦]]の死去を[TIME[周穆王53年(西暦紀元前949年、-948年)][year:-948]]
と考えました。
[SRC[>>258 PDF 8ページ]]
[35]
[[支那]]では、
[[正法]]500年、[[像法]]1000年を経た[TIME[北斉天保3(西暦552)年][year:552]]から[[末法]]としました。
[SRC[>>258 PDF 8ページ]]
[36]
[[日本]]では、
[[正法]]1000年、[[像法]]1000年を経た[TIME[永承7(西暦1052)年][year:1052]]をもって[[末法]]としました。
[SRC[>>258 PDF 8ページ]]
** 日本
[28]
[[日本]]では[TIME[西暦-948年][year:-948]]を[[元年]]とする[[紀年法]]が使われました。
-*-*-
[25]
[[日本]]の[[平安時代]]成立の歴史書
[CITE[扶桑略記]]
は、
[DFN[如來滅後]]年を併記していました。
[26]
最古は
「應神天皇」の「元年庚寅」
([TIME[西暦270年][year:270]])
で、
「如來滅後一千二百一十九年」
でした。
[SRC[>>29]]
[27]
最新は
「應德元年」
([TIME[西暦1084年][year:1084]])
で、
「如來滅後經二千三十三年」
でした。
[SRC[>>29]]
;; [37] おおむね「如來滅後[VAR[何]]年」
の形式でしたが、例外的に >>27 のごとく「経」字が入っているものがありました。
また「永延元年,如來滅後一千九百卅六季」
のように[[年]]を[[季]]としたものもありました
(が[[書写]]や[[翻刻]]の問題とも思われます)。
-*-*-
[31]
[[日本]]の[[戦国時代]]-[[江戸時代]]初期頃に作られた年代対照表
[CITE[[[新撰三国運数符合図]]]]
[SRC[>>13, >>258]] は、
[[天竺]]について[[釈迦]]の死後を[DFN[佛滅後]]何年と表していました。
[32]
[[神武天皇]]の[[元年]]
([TIME[西暦-659年][year:-659]])
は「二百九十年」でした。
[[明正天皇]]の[[元年]]たる寛永7年[[庚午]]
(記載された最終年、[TIME[西暦1630年][year:1630]])
は「二千五百七十九年」でした。
[SRC[>>30]]
[REFS[
- [29] [CITE[[[扶桑略記]]]]
- [30] [CITE[[[新撰三国運数符合図]]]]
- [258] [CITE@ja[[[日本における紀年認識の比較史的考察]]]]
- [13] [CITE@ja[「[[ホモ・ヒストリクスは年を数える]]」(10)~キリスト紀年を表す造語『西暦』~ 西暦に代わる通年紀年法としての皇紀(THE PAGE) - Yahoo!ニュース]]
([TIME[2019-12-11 17:12:00 +09:00]])
<https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190526-00010001-wordleaf-cul&p=2>
]REFS]
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]
> タイの仏滅紀元は、釈迦の入滅の日と信じられている紀元前545年3月11日を「0年」とする。ラーマ6世は暦を仏滅紀元に改め、西暦1912年を仏滅紀元2455年4月1日から始まることとした。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]
> 西暦1941年にプレーク・ピブーンソンクラーム首相は、仏滅紀元2484年を1月1日から始めると宣言した。そのため、仏滅紀元2483年は9カ月しかなかった。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE@ja[仏暦を使おう]]
([TIME[2007-03-07 18:57:28 +09:00]] 版)
<http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/eseo/eseo_17.html>
]FIGCAPTION]
> 仏暦は、東南アジアではわりあいに普及しています。ただ、今年が仏暦2549年(B.E.2549、BE=Buddha Era)であるというのは、タイ・ラオス・カンボジアのはなしであって、ミャンマーやスリランカでは仏暦2550年です。どちらも、釈尊入滅をB.C.544年としているのは同じなのですが、その年を0とするのか1とするのかの違いがあるために1年ずれてしまいました。ゼロの観念をもっていたインド文化からすれば、2549年ということになりますが、時々論争になることがあります。そのためもあるのか、日本でも仏暦を使おうと思うと、この問題にぶちあたり、結局決めることができないから採用しない、ということがあるようです。実は私自身、4年前に国際仏教エスペランチスト連盟の機関誌を創刊した時、表紙にB.E.2545と書いたら、「その根拠は何か」と言われた経験があります。これは実に微妙な問題ではありますが、そのことで論争しても意味がないと思います。ですから私は、全日本仏教会に「とりあえず」したがって、2549年とします。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[仏暦を使おう]]
([TIME[2007-03-07 18:57:28 +09:00]] 版)
<http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/eseo/eseo_17.html>
]FIGCAPTION]
> 真宗大谷派では、宗務機関の発する文書には西暦(元号)という年数表記をすることになっているそうです。電話で本山総務部に尋ねてみると、西暦1999年に内局通達というかたちで、このように定まったそうです。それに反対するわけではありませんが、仏教徒の組織ならば何らかのかたちで仏暦を入れられないものか、と思います。
> (B.E.2549年/A.D.2006年12月18日脱稿)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] ([TIME[2008-03-28 15:03:18 +09:00]] 版)
<http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/syoutoku/syoutoku011.html>
]FIGCAPTION]
> もっと大きく物事を見てみよう。なるほど、日本は、元号を用いてきたが、それは元々、中国文化である。また、明治までは、天変地異があったり、大事件があると、新たな出直しとして元号が変えられた。天皇の即位から死亡までを、ひとつの元号で表わすなんてことは、明治の造作にすぎないのである。仏暦はどうだろう。個人が趣味的に用いるにはよいと思うが、年代のはっきりしないものを基準に用いるのはいかがなものかと思う。世界の多くの人々と通じる基準を用いる事が世界の中の自分の位置を明確にする事につながるのである。季節との違いが、そこにはある。
]FIG]
[6] [CITE@th[太陽暦、タイ - ウィキペディア。]]
( ([TIME[2016-05-20 02:29:10 +09:00]]))
<https://th.wikipedia.org/wiki/%E0%B8%9B%E0%B8%8F%E0%B8%B4%E0%B8%97%E0%B8%B4%E0%B8%99%E0%B8%AA%E0%B8%B8%E0%B8%A3%E0%B8%B4%E0%B8%A2%E0%B8%84%E0%B8%95%E0%B8%B4%E0%B9%84%E0%B8%97%E0%B8%A2>
[7] ( ([TIME[2006-02-20 06:06:24 +09:00]]))
<http://www.ratchakitcha.soc.go.th/DATA/PDF/2455/A/264.PDF>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[③ タイ仏暦とビルマ暦 |タイに魅せられてロングステイ]]
( ([TIME[2016-06-21 15:38:12 +09:00]]))
<http://ameblo.jp/hiro-1/entry-10553012247.html#main>
]FIGCAPTION]
> 西暦(キリスト紀元年)と仏歴(仏滅紀元年)の区分を明記するために、
> 英語では、B.E.2553 (Bhuddha Era) と表示しますが、
> タイ語では、下記の略語を年数の頭に付けて表記します。
> ●西暦2010年 = ค.ศ. 2010 ค.ศ. ๒๐๑๐ ( 発音 = コー・ソー )
> ค.ศ. = คริสต์ศักราช クリット・サカラーツ ( キリスト紀元年 )の略語
> ●仏暦2553年 = พ.ศ. 2553 พ.ศ.๒๕๕๓ ( 発音 = ポ-・ソー )
> พ.ศ. = พุทธศักราช プッタ・サカラーツ ( 仏滅紀元年 ) の略語
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[9] [CITE[The Constitution of Sri Lanka: Preamble]]
([TIME[2011-09-25 14:52:46 +09:00]])
<http://www.priu.gov.lk/Cons/1978Constitution/Preamble.html>
]FIGCAPTION]
> on the sixth day of the waxing moon in the month of Adhi Nikini in the year two thousand five hundred and twenty-one of the Buddhist Era (being Thursday the twenty-first day of the month of July in the year one thousand nine hundred and seventy-seven),
]FIG]
[10] ([TIME[2013-11-24 12:38:22 +09:00]])
<http://nihon-thaikyokai.go-web.jp/Portals/0/24_%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8D%94%E6%9C%83%E3%80%85%E5%A0%B1_%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E8%99%9F.pdf#page=13>
[11] ([TIME[2013-11-24 13:37:08 +09:00]])
<http://nihon-thaikyokai.go-web.jp/Portals/0/33_%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8D%94%E6%9C%83%E3%80%85%E5%A0%B1_%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E8%99%9F.pdf#page=56>
[12] [[TIS 1111]]
[33] ([TIME[2010-03-05 07:39:36 +09:00]])
<http://www001.upp.so-net.ne.jp/jble/movado/interface.pdf#page=10>