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[1] 現在の[[小笠原諸島]]では、
他の地域と同じ[[日本の暦]]や[[中央標準時]]
[TZ[+09:00]] が使われています。
* 時刻の変遷の概略
[9] [SEE[ [[日本の標準時]] ]]
* 地方時の時代
;; [10] [[北硫黄島]]や[[父島]]には[[古代遺跡]]があり、
かつては人が住んでいたことがあったようですが、
その後[[小笠原諸島]]各島は長らく[[無人島]]でした。
;; [11] 16世紀頃から、[[欧米]]の船舶が[[小笠原諸島]]各島附近を度々航行し、
目撃記録を残しました。
;; [12] [[江戸時代]]、
[[日本人]]が何度か[[小笠原諸島]]に漂流または渡航しました。
[TIME[1675年][year:1675]]、
[[日本政府]] ([[江戸幕府]])
は[[無人島]] ([[父島]]など現在の[[小笠原諸島]]) が[[日本]]の[[領土]]であることを確認しました。
;; [2]
[TIME[1826年][year:1826]]頃から、
[[欧米]]人が[[父島]]や[[母島]]に住み着くようになりました。
(その[[子孫]]は後に[[欧米系島民]]となりました。)
;; [14]
[TIME[1827年][year:1827]]、
[[英軍]]が[[父島]]と[[母島]]に進攻し、
自国領と主張しました。
しかし[[英国政府]]はこれを承認しませんでした。
;;
[15]
[TIME[1853年][year:1853]]、
[[米軍]]が[[父島]]に進攻し、
植民地政府を設置しました。
;; [16]
[TIME[1862年][year:1862]]、
[[日本政府]] ([[江戸幕府]])
は改めて[[小笠原諸島]]が[[日本]]の[[領土]]であると宣言しました。
;; [13]
[TIME[明治9年10月17日][1876-10-17]],
[[日本政府]] ([[明治政府]])
は改めて[[小笠原諸島]]が[[日本]]の[[領土]]であると宣言しました。
;; [17] [TIME[明治24年][year:1891年]]、
[[日本政府]]は[[硫黄島]]その他の[[火山列島]]を正式に[[日本]]の[[領土]]としました。
;; [18] [TIME[明治31年7月24日][year:1898-07-24]]、
[[日本政府]]は[[南鳥島]]を正式に[[日本]]の[[領土]]としました。
;; [19] [TIME[昭和6年][year:1931]]、
[[日本政府]]は[[沖ノ鳥島]]を正式に[[日本]]の[[領土]]としました。
;; [1028] [TIME[1905年][year:1905]]、
[[日本]]の[[本土]]と[[小笠原諸島]]との間の[[海底ケーブル]]による[[電話回線]]が開通しました。
[414] 法的には、[TIME[明治6年/1973年][year:1973]]より[[本土]]に適用されていた[[標準時]]がこれら[[小笠原諸島]]にも適用されていったものと考えられます。
;; [733] 日本本土の項も参照。
;; [34]
[TIME[1944年7月][1944-07]]、
[[小笠原諸島]]の民間人は[[日本本土]]に[[疎開]]し、
[[日本軍]]と関係者だけが残留しました。
-*-*-
;; [42] [[小笠原諸島]]は[TIME[昭和21年/1946年1月26日][1946-01-26]]から[TIME[昭和43年/1968年6月25日][1968-06-25]]まで[[米国]]の支配下にありました
([[米国占領地小笠原、火山諸島及び南鳥島]])。
[[父島]]には戦時中[[日本]]本土に移住していた[[欧米系島民]]が帰島していた他、
[[硫黄島]]や[[南鳥島]]には[[米軍]]等の部隊が常駐していました。
[153] この時期の[[小笠原諸島]]でどのような時刻が用いられたのかは明確になっていません。
[456] [[小笠原諸島]]の[[日本]]への返還に伴う法的処理の議論によれば、
[[米軍]]が[[父島]]の住民に対する[[布告]]として制定した[[法令]]はほとんどなかったようです。
返還の際に[[日本]]の[[国会]]などで[[標準時]]の切り替えなどを議論した形跡もありません。
;; [[小笠原諸島]]参照。
[455] 一方で、当時[[米国占領地小笠原、火山諸島及び南鳥島]]は[[米海軍]]の[[軍政]]下で[[北マリアナ諸島]]と同じ[[行政区]]に属しており、
[[北マリアナ諸島]]では [TZ[+10:00]] が用いられていました。[[父島]]の[[欧米系島民]]も、
[[日本]]本土ではなく[[北マリアナ諸島]]や[[グアム]]と交流していたようです。
だとすると、 [TZ[+10:00]] が両区の共通の時刻だった可能性があります。
;; [303] 地理的には[[北マリアナ諸島]]は [TZ[+10:00]] に属しており、
[[小笠原群島]]や[[火山列島]]は [TZ[+09:00]] と [TZ[+10:00]] の境界近辺にあります。
[460] [[米国政府]]の[[時間帯]]の図では、少なくても[TIME[1985年][year:1985]]以後、
[[小笠原諸島]]が [TZ[+10:00]] で着色されていました。
[[沖ノ鳥島]]や[[南鳥島]]は年によって描かれていたりいなかったりするのですが、
[[南鳥島]]が2013年版以後、[[小笠原群島]]・[[火山列島]]・[[沖ノ鳥島]]が
2008年版以降 [TZ[+09:00]] となっており、それ以前はどうやら [TZ[+10:00]]
のつもりで描かれているようです。 [SRC[>>520]]
[TIME[1968年][year:1968]]版の[[地図]]を元にしたという[[日本]]で発行された[[地図]]でも、
同様に描かれています [SRC[>>549]]。
[457] 単なる着色ミスの可能性もありますが、米国統治下での情報が返還後に更新されないまま残っていた可能性もあります。
;; [461] ただ、同じく元米国統治下だった[[先島諸島]]も近い時期まで[[西部標準時]] [TZ[+08:00]]
のままで着色されていましたから、米国政府機関の図だからといってどこまで信用してよいのかは悩ましいところです。
[569] 1950年代の[[米国]]政府の地図を基に作られたのではないかと推測される[[地図]]
[SRC[>>570]] では、
(文字は潰れて判読しづらいですが) Nanpo-shoto ([[南方諸島]]) と書かれているらしい[[伊豆諸島]]南部・[[小笠原諸島]]の北緯30度以北は
[TZ[+09:00]]、以南は[[マリアナ諸島]]と同じ [TZ[+10:00]] で塗られています。
[[Marcus]] ([[南鳥島]]) も [TZ[+10:00]] で塗られているように見えます。
(Ryukyu-retto ([[琉球列島]]) と書かれた[[奄美諸島]]以南の[[南西諸島]]は、
[[八重山諸島]]が [TZ[+08:00]]、それ以外が [TZ[+09:00]] で塗られています。)
[412] [TIME[1977年][year:1977]]の[[南洋]]の航空会社の路線図では、 [TZ[+09:00]] と [TZ[+10:00]]
の境界線が[[小笠原群島]]、[[火山列島]]、[[マリアナ諸島]]を囲む[[弧]]のように[[西]]に反れて描かれています
[SRC[>>406]]。これも[[米国政府]]の地図をもとに描かれたものか、あるいは[[米国信託統治領太平洋諸島]]で当時流通していた情報によるものなのでしょうか。
[[沖ノ鳥島]]は描かれず、位置的には [TZ[+09:00]] と思われます。
[[南鳥島]]も描かれていません。
[[沖縄]]も既に[[日本]]に返還された時代ですが、 [TZ[+08:00]] と [TZ[+09:00]]
の境界線は[[経度]]通りの直線になっています。
[REFS[
- [520] 1985年-2015年 [CITE@en[Standard Time Zones of the World (CIA World Factbook)]]
[[時差の表]]
]REFS]
-*-*-
[3] [TIME[1968年][year:1968]]の返還後は再び[[本土]]の法令が適用されるようになり、
法的にも[[中央標準時]]が実施されていることが明確になっています。
;; [1027] [TIME[1969年][year:1969]]、
[[日本]]の[[本土]] ([[銚子無線電報局]]) と[[父島]]との間の[[無線]] ([[短波]])
の[[電話回線]]が開通しました。
[21] [[南鳥島]]には返還後も平成5年/1993年まで[[米国]]の[[沿岸警備隊]] ([[CG]])
が駐留しており、 [CODE[[[+11:00]]]] を使っていたといわれています。
同じく駐留している[[日本政府]]関係機関は当時から[[中央標準時]]を使っているようです。
おそらく返還前も [[CG]] は同じ[[時間帯]]を使っていたものと思われます。
([[米軍]]の[[法令]]上は[[父島]]と同じ基本法が適用されていたようですが、
[[南鳥島]]には民間人の定住者はいませんでした。)
;; [[南鳥島]]も参照してください。
[300] [[硫黄島]]にも[[沿岸警備隊]]が駐留していましたが、
そちらで[[時差]]があったという話は聞きません。
[304] [[沖ノ鳥島]]には[[日本]]編入以前、[[日本]]時代 (戦前、戦後)、[[米国]]時代のいずれも、
軍民ともに長期滞在者はいませんでした。
[[米軍]]の[[小笠原諸島]]の[[布告]]の対象となっていたのかどうかは不明ですが、
いずれにせよ、[[標準時]]に関する特別な指示は無かったと考えられます。
従って[[法令]]上は全期間[[中央標準時]]が実施されていると考えて良いと思われます。
[REFS[
- [570] 20世紀後半初期 時間帯図 [[時差の表]]
- [549] [TIME[1972年][year:1972]] [CITE[世界大百科事典]] [[時差の表]]
- [405] [CITE[Continental Micronesia]] ([TIME[2009-04-03 01:40:18 +09:00]]) <http://www.airtimes.com/cgat/gu/airmicronesia.htm>
-- [406] [CITE[Route map, April 24, 1977]] ([TIME[2004-03-07 13:42:36 +09:00]]) <http://www.airtimes.com/cgat/gu/airmicronesia/detail/map770424am.jpg>
]REFS]
[HISTORY[
[6] かつて[[米国]]の[[沿岸警備隊]] ([[CG]]) が駐在していた頃は、
[[日本]]政府関係者と島内で2時間の[[時差]]があったといいます。
つまり[[米国]]関係者は [CODE[[[+11:00]]]] を使っていたことになります。
[23] 1945年/昭和20年9月に[[米軍]]占領下に、
1946年/昭和21年1月29日に[[日本]]の[[施政権]]が停止されています。
[29] 1947年/昭和22年にはいったん[[米軍]]が撤収し無人島となりました。
[30] 1951年/昭和26年2月には、[[米軍]]に委託された ([[日本]])
[[中央気象台]]が観測業務を開始しています。
;; [37] [[琉球]]では、1950年まで[[中央気象台]]が観測業務を行っていましたが、
[[琉球政府]]機関として[[琉球気象台]]が新設されて[[日本]]本土機関は撤退しており、
逆の動きが起こっています。
[28] 1952年/昭和27年に[[サンフランシスコ平和条約]]で正式に[[米国]]管理下に入っています。
[27] [[南鳥島ロランC局]]は1963年/昭和38年7月に建設されました [SRC[>>26]]。
これに伴い気象観測は[[米国]]に移管されました。
[24] 1968年/昭和43年6月26日に[[小笠原諸島]]全体が[[日本]]に返還されました。
気象観測は再び[[日本]]に移管されています。
[90] [TIME[1983年12月][1983-12]]に[[南鳥島]]に「赴任した」という人物は、
現地時刻である [TZ[+11:00]] が使われていた [SRC[>>87]] としています。
[[CG]] 職員とのエピソードが記載されていますから、
[[CG]] が使っていた時刻なのでしょう。この人物の立場は不明であり、
また [[CG]] 以外については言及がありません。
この人物が[[日本]]側機関の職員で[[日本]]側が[[中央標準時]]だったのなら、
島内に[[時差]]があったという書き方になるはずですが、そうなっていません。
[49] 1990年の[[通信総合研究所]]の報告によると、当時[[南鳥島]]では [TZ[+09:00]]
に加えて[[海上自衛隊]]時間 [TZ[+10:00]] と C/G タイム [TZ[+11:00]] が使われていました
[SRC[>>48]]。
[64] 1992年頃に現地で撮影された映像 [SRC[>>62]] には、
日本人記者?がCGの食堂で壁の時計と自身の腕時計を比較する場面があります。
腕時計の時刻は何の説明もなく、 [TZ[+09:00]] でしょうか ([[海上自衛隊]]の時刻が
[TZ[+09:00]] とは違うというような説明はありません)。
[[CG]] の時刻は[[グアム時間]]で2時間進んでいると説明されています。
[25] 1993年/平成5年に[[南鳥島ロランC局]]の管理が[[日本]]に移管され、
[[米国]]の[[沿岸警備隊]]は撤収しています。
[35] [[日本]]側関係者がいなかった1963年から1968年の間は、 [TZ[+11:00]]
が[[南鳥島]]の事実上の[[標準時]]と言えるかもしれません (期間内に変更が無かったとした場合)。
-*-*-
[8] [[CG]] の使っていた [TZ[+11:00]] らしき[[時間帯]]について、
「[[グアム]]と同じ」や「[[ウェーク島]]と同じ」と説明されるようですが、
現在の[[グアム]] [TZ[+10:00]] と[[ウェーク島]] [TZ[+12:00]] のいずれとも一致しません。
1960年代の[[グアム夏時間]] [TZ[+11:00]] とは一致します。
あるいは[[ウェーク島]]でも時期により異なる時刻が用いられた可能性はあります。
[[南鳥島]]は[[地理的][地理的時間帯]]には [TZ[+11:00]] 寄りの [TZ[+10:00]] です。
[[ウェーク島]]は[[地理的][地理的時間帯]]には [TZ[+11:00]] のようです。
[[南洋群島の標準時]]を参照。
[82] [[米国]]から派遣されて1年間[[南鳥島]]に滞在していたという人物は、
[[CG]] が使っていたのは [[local time]] で、
[[日本]]側はそれとは違う本国の時刻を使っていた、
と回想しています [SRC[>>47]]。
]HISTORY]
* 中ノ鳥島
;; [22]
明治41年/1908年に[[中ノ鳥島]] (昭和21年/1946年海図から削除)
@@
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[20] [CITE[ 南鳥島について ]]
([TIME[2006-10-29 12:39:35 +09:00]] 版)
<http://homepage3.nifty.com/marcus/marcus1/marcus.html>
]FIGCAPTION]
> 海上保安庁が来るまでは、アメリカの沿岸警備隊コーストガード(CG)の職員が13名ほどロランCを運用
するために在島していました。その頃、コーストガードは日本時間より早い、ウェーク時間を使っていたため、
小さな島の中で時差が2時間存在していました。
]FIG]
[26] [CITE@ja[南鳥島ロランC局 - Wikipedia]]
([TIME[2015-11-09 10:38:48 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%B3%A5%E5%B3%B6%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3C%E5%B1%80>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[87] [CITE@ja[南鳥島(マーカス)の「ロラン・アンテナ」について ※画像あり]]
(2016年5月13日 BY WHAT-IS-GPS [TIME[2018-06-02 00:49:35 +09:00]])
<http://best-covert-gps-vehicle-tracking-systems.com/marcus/>
[CITE@ja[南鳥島(マーカス)の「ロラン・アンテナ」について ※画像あり]] ([TIME[2019-01-10 21:50:08 +09:00]]) <https://web.archive.org/web/20180601154835/best-covert-gps-vehicle-tracking-systems.com/marcus/>
]FIGCAPTION]
> ここは、「南鳥島(マーカス)」で、日本の最東です。東経154°です。日本国土ですから日本標準時を使用するのですが、実際は現地時刻です。
> この画像は1983年12月に私が赴任した時の航空写真です。1時間以上の実時間差があるので、日本標準時より2時間進めています。
> 名前:OS
> 通信士の国家資格所有。
]FIG]
;; [88] 写真には[[時刻]]に関する内容特になし。
[89] この人物は「このアンテナのメンテナンスのため、コースト・ガードの隊員が天辺先端まで登って行った現場を見ました。」 [SRC[>>87]]
といい、通信の仕事のため1983年に[[南鳥島]]に滞在していたとみられますが、
詳細は不明です。
[48] [CITE[Ⅱ.3 南鳥島局の概要]]
([TIME[2016-08-03 23:02:38 +09:00]])
<http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8723921_po_0203.pdf?contentNo=1&alternativeNo=>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[50] [CITE[CRL NEWS 1989.9 No.162]],
[CITE[絶海の孤島南烏島のVLBI局完成]]
([[三木千紘]][[郵政省]][[通信総合研究所]]標準測定部周波数標準課主任研究官,
[TIME[2012-07-12 16:48:44 +09:00]])
<http://www.nict.go.jp/publication/CRL_News/back_number/162/162.htm>
]FIGCAPTION]
> 南鳥島には3種類の時刻系がある。ひとつは日本 時間、もうひとつの海上自衛隊時間はそれより1時 間早い。それにC/Gタイムはさらに1時間早い。 工事の人たちはC/Gタイムで生活し、朝5時仕事 開始、15時終了。この時間のずれは常に念頭に入れ ておかなければなかった。
]FIG]
;; [83] この「工事」とは、昭和63年度に「C/Gの隊舎建て替え工事」
を実施した[[防衛庁]]および[[防衛施設庁]]の支援により[[通信総合研究所]]が建設した
[[VLBI]] 局の建設。本文謝辞から、
[[理経]]、[[NESIC]]、[[鹿島建設]]が関与したと推測される。
[[CG]] 施設の建替工事のため [[CG]] 側の都合に合わせた[[時刻]]を採用し、
それに相乗りした [[VLBI]] の工事も同じ[[時刻]]を採用したということか。
この文章の書き方からすると、筆者は[[日本時間]]を用いていたものか。
[51]
[CITE[THE JOURNAL OF 測量 2013 8]]
([TIME[2015-12-17 15:22:42 +09:00]])
<http://www.hasshu.co.jp/img/gekkansokuryou201308.pdf>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[56] [CITE@ja[東京/小笠原 - chakuwiki]]
([TIME[2016-09-03 09:43:48 +09:00]])
<https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E6%9D%B1%E4%BA%AC/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F>
]FIGCAPTION]
> 南鳥島
- 自衛隊しかいない。
-- 気象庁と米海兵隊もいるはず。ちなみに米海兵隊の区画内ではグアム標準時(JST+1)が採用されている。
-- 米軍はもう居ない。今居るのは、海自と海保と気象庁。海保はロランを運用中。
--- ロランは既に運用を停止した。海保もまもなく撤退する。
]FIG]
[62] [CITE@ja[南鳥島(マーカス島) - YouTube]] ([TIME[2017-04-03 16:18:31 +09:00]]) <https://www.youtube.com/watch?v=aM98jMhc1BY>
[63] >>62 の映像内にはこれがいつのものかの情報がありませんが、コメントに
> これは21年ぐらい前の映像ですね。数人当時の先輩が映っています。私はこの半年後ぐらいに南鳥島で3ヶ月勤務しました。
... と2017年時点で「4年前」に投稿されていて、1992年頃ということになります。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[47] [CITE@en[The Naming of Time Zones - Straight Dope Message Board]]
([TIME[2016-08-02 23:59:32 +09:00]])
<http://boards.straightdope.com/sdmb/showthread.php?t=775636>
]FIGCAPTION]
> I spent a year at a USCG LORAN station on Marcus Island, which is a Japanese island 600 east of Iwo Jima. The Japanese kept a small weather station (JMA) and JMSDF (Japanese Maritime Self Defense Force. Never say Japan has a Navy or Army, it's self defense forces) to run the landing strip on this 3.2 mile in circumference island. Anyways us Americans would kept our clocks local time while the Japanese would keep their clocks on Japan time...2 hours behind local time. So if we were arranging things with the Japanese like a softball game we would say "three o'clock CG time, one o'clock Japanese time".
> A further complication was the military keeps their official records on what the world calls Greenwich Mean Time and we call Zulu time. So at 1100 CG (0900 Japan) we would type up a new log sheet and collect the day old recording graphs (about four) from the timer room to file for a few years.
> Last edited by Jim's Son; 11-19-2015 at 05:12 PM..
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[31] [CITE@ja[日本にも時差は有る? | マイペンライ - 楽天ブログ]]
([TIME[2015-12-10 10:47:18 +09:00]] 版)
<http://plaza.rakuten.co.jp/kuukou4321/diary/200403220000/>
]FIGCAPTION]
> この島にアメリカのコーストガードも駐留していたときアメリカのコーストガードはウエーク島の時間(日本よりも2時間早い)を使っていたそうです、
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[32] [CITE[名誉総裁表彰を受けて]]
([[山本保博]]著、 [TIME[2009-04-25 04:22:30 +09:00]] 版)
<https://www.mrj.or.jp/suikyu_news/pdf/vol099_1/31_32.pdf>
]FIGCAPTION]
> 昨日の如く思い出すのは南鳥島 (マーカス島) に行った時のことで、 硫黄島を経由しYS十一型機で行ったと思いますが、 三角形のおむすびの様な島でした。 中央に何百メートルもありそうな無線塔(ロラン塔)が立っているのが印象的で、 島の中央に滑走路がありました。 当時はまだ米国のコーストガードがおり、 滑走路の左右で時差がニ時間あるのも新鮮でした。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[33] [CITE[I'm alive.]]
([TIME[2013-08-27 10:30:12 +09:00]] 版)
<http://nakagawa.blogspot.jp/2005/09/281228167120135-11219379241292452941-1.html>
]FIGCAPTION]
> 南鳥島は東経153度59分12秒なので約1時間の時差があるらしく、この島にアメリカのコーストガードが駐留していた時は、ウエーク島の時間(日本よりも2時間早い)を使っていたらしい。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[36] [CITE[JM1GLZ's HOME PAGE]]
([TIME[1998-06-19 12:24:19 +09:00]] 版)
<http://www.mars.dti.ne.jp/~jm1glz/marcus.htm>
]FIGCAPTION]
> ここの生活で面白いことは、CGと日本側では同じ島にいながら時間が違うという ことです。
> 日本との時間差は2時間で、例として、日本側が8時に対しCGは10時です。
> 日本は日本標準時を使用していますが、CGはグアム時間を使用しています。
]FIG]
;; [81] 筆者の滞在の詳細は記されていないが、
文面より[[日本]]側関係者で「私の場合は、しょっちゅうCGに入り浸って」
日米両施設を行き来していたようであり、滞在時期は
「[TIME['89 5 3][1989-05-03]]」と印字された写真を撮った前後なのだろう。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[54] [CITE[基本情報 - 南鳥島の歩き方]]
([TIME[2016-08-21 08:14:49 +09:00]])
<https://sites.google.com/site/travelmarcus/home/ji-ben-qing-bao>
]FIGCAPTION]
> 日本本土と同じで、世界標準時(グリニッジ標準時)より9時間早い。
> ただし、日の出日の入りが本土より1時間程度早いため、食事の時間が早めに設定されている。
> (朝食6時、昼食11時、夕食16時)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[73] [CITE[ 南鳥島について ]]
([TIME[2016-09-27 23:19:06 +09:00]])
<http://marcus.world.coocan.jp/marcus1/marcus.html#生活>
]FIGCAPTION]
> 海上保安庁が来るまでは、アメリカの沿岸警備隊コーストガード(CG)の職員が13名ほどロランCを運用
するために在島していました。その頃、コーストガードは日本時間より早い、ウェーク時間を使っていたため、
小さな島の中で時差が2時間存在していました。
]FIG]
[91] これは過去4回、3ヶ月程度の期間ずつ[[南鳥島]]に滞在したという人物の
[[Webサイト]]。時期は明記されていないが、この [[Webサイト]]の更新履歴には
2000年頃から記載がある。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[74] [CITE[JM1GLZ's HOME PAGE]]
([TIME[1998-06-19 12:24:19 +09:00]])
<http://www.mars.dti.ne.jp/~jm1glz/marcus.htm>
]FIGCAPTION]
> ここの生活で面白いことは、CGと日本側では同じ島にいながら時間が違うという ことです。
> 日本との時間差は2時間で、例として、日本側が8時に対しCGは10時です。
> 日本は日本標準時を使用していますが、CGはグアム時間を使用しています。
> 何しろ、南鳥島は日本では夜明けが早いし、夜が更けるのが早い。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[75] [CITE[撤退前の米軍はグアム時間を採用 : 小笠原諸島とグアムの共通点はこんなにあった! - NAVER まとめ]]
([TIME[2017-04-03 17:44:04 +09:00]])
<https://matome.naver.jp/odai/2147677615902003501/2147677959405307703>
]FIGCAPTION]
> 小笠原諸島の南鳥島には、90年代に米軍が撤退するまで島内に時差があった。日本側の区画においては標準時である一方、米軍(CG)施設においてはグアム標準時を採用した
> gudachanさん|2016.10.18
]FIG]
[76] >>75 で引用元と示されている[[Webサイト]]の移転先が >>73。
>>75 の説明文が >>73 に由来するものなのかどうかは不明。
- [78] [CITE@ja[気象庁|過去の気象データ検索]]
([[気象庁 Japan Meteorological Agency]]著, [TIME[2017-04-04 12:40:51 +09:00]])
<http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/annually_s.php?prec_no=44&prec_ch=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD&block_no=47991&block_ch=%E5%8D%97%E9%B3%A5%E5%B3%B6&year=&month=&day=&elm=annually&view=>
- [84] [CITE@ja[気象庁|過去の気象データ検索]] ([[気象庁 Japan Meteorological Agency]]著, [TIME[2018-02-28 09:59:53 +09:00]]) <http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/man/nikkai.html>
[79] >>78 [[第二次世界大戦後]]の[[日本]]の観測期間の分しかデータがない。
[85] >>84 には[[昭和基地]]以外は[[中央標準時]]とある。
当時の現地の時刻はわからないが、現在ここで示されているデータは[[中央標準時]]ということになる。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] [CITE[沖ノ鳥島、南鳥島、択捉島にいった事があるひと]]
([TIME[2019-01-10 21:25:21 +09:00]])
<http://ton.5ch.net/test/read.cgi/travel/1005743083/>
]FIGCAPTION]
> 289 :列島縦断名無しさん:02/07/20 12:11 ID:m2Yfdk9A
> [SNIP[]]
> 私は某省に勤める公務員です。
> 昭和62年頃だったかと思いますが、航空自衛隊入間基地からC-1輸送機に
> 乗って南鳥島に行って来ました。
> [SNIP[]]
> ちなみに南鳥島にいる人は台風が来ると、日本ではなくグアムに避難するとの
> ことでした。(グアムの方が近いから)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[356] [CITE@ja[流れの果て―惣領のじんろく(4) 小笠原赴任 | yosie]]
([TIME[2018-10-28 23:32:05 +09:00]])
<https://love.ap.teacup.com/itokisya/86.html>
]FIGCAPTION]
> 小笠原諸島が、その施政権を、占領軍である米国から返還されたのは、先遣隊が上陸して3ヶ月後の、昭和43年のことだった。
> 当日、正午をもって返還のセレモニーが、行われる取り決めだったが、日米双方に時刻の認識にちがいがあった。
> 米軍占領下、日本とは1時間の時差があったからである。それまで小笠原には、日本時間は存在しなかったのである。
> 美濃部都知事は、ヘリで返還式に出席した。
> ここで、先遣隊の任務は解かれ、同時に支庁職員として発令された。
> 最初の仕事は、民間に出回っていた、銃(ピストル)の回収だった。日常生活上の問題も続出した。
> まず電圧である。120Vの世界だったのである。変圧器が必須であった。次は、単位である。メートルではなく、フィート、ポンドを、いちいち換算しなければないのだった。
> さらに、支庁のオープン時刻と閉庁時刻の設定である。それまでの米軍時刻は1時間の時差と、サマータイムがあった。
> このまま都の方式に移行すると、夏以外は10時の開庁となる。これではいかにも遅い。そこで一律に朝は8時開庁とし、昼の12時から1時半までを休憩時間とし、閉庁は4時45分としたのである。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[357] [CITE@ja[アメリカ施政権下の小笠原諸島 - Wikipedia]]
([TIME[2018-10-27 09:46:11 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%96%BD%E6%94%BF%E6%A8%A9%E4%B8%8B%E3%81%AE%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%AB%B8%E5%B3%B6>
]FIGCAPTION]
> 6月26日正午(日本標準時)、父島のアメリカ海軍司令部前で返還式典が行われ、小笠原諸島は日本に復帰した。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[403] [CITE[近代日本と小笠原諸島: 移動民の島々と帝国 - 石原俊 - Google ブックス]]
([TIME[2018-10-29 00:04:57 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=vLsyAQAAIAAJ>
]FIGCAPTION]
> 返還式一一時に終わって午後にはもう、道路のコ—全然心配する必要はない、全員、返還式の翌日から仕事があるから」と言った。〔... ...〕でも早かったな、から... : .仕事はくれると言われても、信用できなかった。でも〔駐留海軍の〕〔 0 ョョ 35121 'は、「おまえら ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[404] [CITE[佐藤政権: 平和と繁栄の中の長期保守政権の記錄 - 岡本文夫 - Google ブックス]]
([TIME[2018-10-29 00:06:18 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=LYQNAQAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
> 現地の式典は正午から父島、硫黄島で、午後二時から南鳥参院選挙中の六月二十六
> 日、小笠原返還式が華々し^行なわれた。この日の午前零時、二十三正案を次の国会に
> 提出する姿勢をみせた。力してきたが、こうした事態となったことは大変、残念」と語り、 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[429] [CITE@ja[小笠原の歴史 - 東京アイランド]]
([TIME[2018-10-29 00:11:41 +09:00]])
<https://blog.goo.ne.jp/ogamaru2014/e/4c88211634d9849a38e01da33e65ee10>
]FIGCAPTION]
> 1968年(昭和43年) 6月26日の正午、小笠原諸島を日本に返還、東京都小笠原村設置。
> アメリカ国旗を降納し、同時に日の丸を掲揚した記念すべき日。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[495] [CITE@ja[南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定 - Wikisource]]
([TIME[2018-10-15 00:12:35 +09:00]])
<https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%8F%8A%E3%81%B3%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E5%8D%94%E5%AE%9A>
]FIGCAPTION]
> この協定は,日本国がその国内法上の手続に従ってこの協定を承認した旨の通知をアメリカ合衆国政府が日本国政府から受領した日の後30日目の日に効力を生ずる。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[500] [CITE[4.日本の締結した重要国際取決め]]
([TIME[2013-02-20 10:38:17 +09:00]])
<https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1969/s43-13-shiryou-004.htm>
]FIGCAPTION]
> (昭和43年4月5日に東京で著名,同年6月26日に効力発生)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[509] [CITE@ja[小笠原諸島]]
([[Masahiro Higashide]]著, [TIME[2018-07-26 10:56:08 +09:00]])
<https://uub.jp/hmt/hmt18.html>
]FIGCAPTION]
> 外務省告示 第百三十号
> 昭和四十三年四月五日に東京で署名された南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定が日本国によりその国内法上の手続に従つて承認された旨の通知は、昭和四十三年五月二十七日に東京で行なわれた。よつて同協定は、その第六条の規定に従い、昭和四十三年六月二十六日に効力を生ずる。
> 昭和四十三年六月十二日 外務大臣 三木 武夫
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[510] [CITE@ja-JP[郵便学者・内藤陽介のブログ 小笠原復帰40年]]
([[内藤陽介 Yosuke NAITO]]著, [TIME[2018-10-29 00:40:02 +09:00]])
<http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1121.html>
]FIGCAPTION]
> 小笠原諸島では、日本復帰当日の6月26日付で父島大村地区に小笠原郵便局が開局することになっていましたが、復帰当日の6月26日は、正午から午後3時まで一連の記念行事が行われたため、小笠原局で記念切手の発売や郵便物の引受等の窓口業務が開始されたのは午後3時15分以降のことだったそうです。また、小笠原局には初日カバーの郵頼が殺到しましたが、局長以下2名という小規模な局では、当然、これに対応することはできず、カバーの大半は東京中央局で処理されました。その際、東京中央局では、櫛型印の押印依頼に対しては、時刻欄を午前8-12時(実際には小笠原局の業務がまだ始まっていない時間帯)として対応するなど、現場はいろいろと苦労したようです。
]FIG]
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[FIGCAPTION[
[513] [CITE@ja-JP[郵便学者・内藤陽介のブログ 小笠原復帰40年]]
([[内藤陽介 Yosuke NAITO]]著, [TIME[2018-10-29 00:40:02 +09:00]])
<http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1121.html>
]FIGCAPTION]
> 小笠原諸島では、日本復帰当日の6月26日付で父島大村地区に小笠原郵便局が開局することになっていましたが、復帰当日の6月26日は、正午から午後3時まで一連の記念行事が行われたため、小笠原局で記念切手の発売や郵便物の引受等の窓口業務が開始されたのは午後3時15分以降のことだったそうです。また、小笠原局には初日カバーの郵頼が殺到しましたが、局長以下2名という小規模な局では、当然、これに対応することはできず、カバーの大半は東京中央局で処理されました。その際、東京中央局では、櫛型印の押印依頼に対しては、時刻欄を午前8-12時(実際には小笠原局の業務がまだ始まっていない時間帯)として対応するなど、現場はいろいろと苦労したようです。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[516] [CITE@ja[閲覧 | 単文表示 | 東京都議会 会議録検索]]
(平成30年第2回定例会(第9号) 本文 2018-06-20 [TIME[2018-10-29 02:17:14 +09:00]])
<http://www.metro.tokyo.dbsr.jp/index.php/5479622?Template=doc-one-frame&VoiceType=onehit&VoiceID=68652>
]FIGCAPTION]
> ◯五十二番(三宅正彦君) 昭和四十三年六月二十六日午前零時、小笠原諸島返還協定が発効し、小笠原諸島全域が日本の施政権下に復帰し、それまで、アメリカ時間で一時間、サマータイムで一時間の計二時間あった本土との時差が日本時間に変更されました。
> 真っ青な空に灼熱の太陽が輝く中、父島のアメリカ海軍司令部前の広場で、正午より歴史的な小笠原諸島返還記念式典が始まりました。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[517] [CITE@ja[閲覧 | 単文表示 | 東京都議会 会議録検索]]
(昭和43年第2回定例会(第6号) 本文 1968-06-04 [TIME[2018-10-29 02:22:07 +09:00]])
<http://www.metro.tokyo.dbsr.jp/index.php/5479622?Template=doc-one-frame&VoiceType=onehit&VoiceID=9906>
]FIGCAPTION]
> 昭和四十三年六月四日
> 小笠原対策特別委員会委員長 久保田 幸平
> 議長 大日向 蔦次殿
> 小笠原対策特別委員会調査団調査結果について
> 小笠原諸島の返還に伴う、同諸島の実情調査について左記のとおり報告する。
> 記
> [SNIP[]]
> 五月八日(水)
> 五時〇〇分 二見港(父島)到着 晴 二三度C
> [SNIP[]]
> 五月十一日(土)
> 二時三三分 二見港(父島)発
> 風波の関係上、北港停泊を中止
> 五時二四分 沖港(母島)着(一、〇〇〇メートル)
> [SNIP[]]
> 一八時〇一分 沖港(母島)発
> 五月十二日(日)
> 一時〇九分 北硫黄島並航 一二・五浬
> 四時四九分 硫黄島沖着 上陸地点選定
> [SNIP[]]
> 一八時〇二分 硫黄島出発、帰途につく。晴 二三度C
> 五月十三日(月)
> [SNIP[]]
> (注)八日~十三日の日程も日本時間による。
> 従って現地時間は時差と夏時間の実施中のため二時間遅らせたものである。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[606] [CITE[COAST GUARD Loran Station IWO JIMA General Information Book]]
(NOVEMBER 1976 [TIME[2018-09-17 12:30:41 +09:00]])
<http://www.loran-history.info/iwo_jima/Iwo-Dunnington-Information-Book-1976.pdf#page=7>
]FIGCAPTION]
> G. [U[TIME ZONE]]:
> Iwo Jima keeps plus 9 (Kilo Zone) time, which is the same as. Tokyo time. Iwo Jima time is 17 hours ahead of U. S. West Coast. Example: If it was 1100 local time in California on Sunday, it is 0400 Monday on Iwo Jima, disregarding daylight savings time.
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[607] [CITE[釣りキチ賛歌 - 那須良輔 - Google ブックス]]
([TIME[2018-10-29 04:26:22 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=kirasqm-7_oC&pg=PA212&lpg=PA212>
]FIGCAPTION]
> [B[硫黄島ルポ]]
> 一月三十日の午前三時キッカリ、われわれは羽田を発った。[SNIP[]] 機は島の上空を斜めに旋回して滑走路にすべりこんだ。[YOKO[H]]記者が、私に、いま何時だいという。七時だよ。ここはナ、夏時間だそうだから、時計の針を一時間進めとけよ。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[608] [CITE[衆議院会議録情報 第013回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号]]
([TIME[2015-04-04 01:00:05 +09:00]])
<http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0012/01302050012003c.html>
]FIGCAPTION]
> 第013回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号
> 昭和二十七年二月五日(火曜日)
> 午後一時三十九分開議
> [SNIP[]]
> 委員外の出席者
> [SNIP[]]
> 参 考 人
> (毎日新聞社嘱
> 託) 那須 良輔君
> [SNIP[]]
> ○小平委員長 次に硫黄島戰沒者の遺骨調査に関する実情を聴取することといたしますが、その前にお諮りいたします。
> 硫黄島戰沒者の遺骨調査につきましては、現在和智恒藏君外二名が現地において調査にあたつておられますが、これに関し、先月三十日に各新聞社の報道班の方々がその実情を視察されて帰つて来られたのでありまして本日その視察に参加された方々より現地の実情をお聞きするため出席を願つたのであります。本日御出席を願つた方々は
> 朝日新聞社
> 社会部記者 宍倉 恒孝君
> 毎日新聞社
> 社会部記者 福湯 豊君
> 読売新聞社
> 社会部記者 窪美万壽夫君
> 漫画家の那須良輔君及び近藤日出造君であります。
> [SNIP[]]
> ○福湯参考人 私からちよつと御説明いたします。実は和智さんなんかが高野建設の船で硫黄島に二十七日に出発いたしました。毎日ばかりでなく、朝日さんも読さんも、そのほかの新聞社の方々もこの船に同乗させてくれということを高野建設に申し出ておつたのでありますが、高野建設の方で共同しか――共同が内地新聞の代表であるから、共同を乗せれば十分ではないかと言つて、最後までわれわれの同乗を峻拒いたしました。そのために、それならわれわれ大新聞の力を見せてやるぞと力み返つたわけでもないのですが、朝日さん読さん私の方と三社共同でCATの飛行機をチャーターして出発したわけであります。それで和智さんたちのあの船が現地に着くのが三十日でありまして、共同通信が船の無電で原稿を送る、それに間に合うようにわれわれは帰つて来て新聞に発表しないことには苦労して行つたかいがないというので、羽田を午前三時に出発いたしまして、硫黄島に着いたのが午前七時半、それから八時間ばかり滞在いたしまして、午後三時に向うを立てばこちらに七時か八時には着くから、それから新聞に組み込んでも十分に共同通信の無電と対抗できる、そういう計算でやつたわけでありまして、何も指示されたわけではありません。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[609] [CITE@ja[平成30年第2回定例会 一般質問(三宅正彦)|本会議ネットリポート]]
([TIME[2018-09-19 15:04:34 +09:00]])
<https://www.gikai.metro.tokyo.jp/netreport/2018/report05/04.html>
]FIGCAPTION]
> 昭和四十三年六月二十六日午前零時、小笠原諸島返還協定が発効し、小笠原諸島全域が日本の施政権下に復帰し、それまで、アメリカ時間で一時間、サマータイムで一時間の計二時間あった本土との時差が日本時間に変更されました。
> 真っ青な空に灼熱の太陽が輝く中、父島のアメリカ海軍司令部前の広場で、正午より歴史的な小笠原諸島返還記念式典が始まりました。
> まず、アメリカ大使館のアームストロング政治参事官がジョンソン大統領からのメッセージを代読し、次に、田中総理府総務長官が佐藤総理のメッセージを読み上げました。そして十五分後、アメリカ国歌に合わせて星条旗がおろされ、君が代の演奏とともに日の丸が掲げられました。
> また、硫黄島においても、同日正午に星条旗がおろされ、二十三年ぶりに国旗日の丸が翻り、太平洋で最もすさまじい戦場となった島が日本に返還されました。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[611] ([TIME[2017-05-08 13:14:29 +09:00]])
<http://www.mlit.go.jp/common/001183914.pdf>
]FIGCAPTION]
> 翌年の昭和43年、1968年6月26日の午前零時に小笠原諸島返還協定が発効いた
> しまして、ついに小笠原諸島全域が日本の施政権のもとに復帰し、東京都小笠原村が発足
> をいたしました。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[612] [CITE[自治春秋]]
(第 18 巻 1968 [TIME[2018-10-29 16:17:12 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=J3egAAAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
> 一月十九日午後一時ごろ、左手に聱&列島が見え始めた。荣島
列^を過ぎるとすぐに、前方に父島列島が見えてくる。
[SNIP[]]
> 二十日現地の時計は、日本内地よりも一時間早い。私達も手持の時計をすベてそれに合わせた。現地時間の九
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[613] [CITE[朝日年監 - Google ブックス]]
(朝日新聞社, 1969 [TIME[2018-10-29 16:26:43 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=g3W6AAAAIAAJ>
]FIGCAPTION]
> 小笠原諸島と本土との間には1時間の時差(本土の
正午は、小笠原では午後 1時)があったが、
本土復帰と同時に時差がなくなり、本土時間
に統一された。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[614] [CITE[漫画家生活50年 - 那須良輔 - Google ブックス]]
(那須良輔 平凡社, 1985 [TIME[2018-10-29 16:44:15 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=mSAFAAAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
> ここはナ、夏時間だそう,たから、時計の針を一時間進めとけよ。路にすべりこんだ。: ! :
> 記者が、私に、いま何時だい、という。ヒ時だよ。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[615] [CITE[Izu and Bonin Islands...: 10 July 1944 - Google ブックス]]
(Office of the Chief of Naval Operations, Navy Department, 1944 [TIME[2018-10-29 17:34:59 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=sOHUUcOSLRMC>
]FIGCAPTION]
> Time. The standard time in the islands, with the exception of Marcus Island, is uniform with that prevailing throughout the four main islands of Japan, which is nine hours in advance of Greenwich. Marcus Island, considerably to the east of the other islands, falls within the minus ten zone (G.M.C.T.).
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[616] [CITE[Japan Quarterly - Google ブックス]]
(Asahi Shinbun, 1968 [TIME[2018-10-29 17:38:40 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=WA4VAAAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
> clocks have been put back one hour to conform with Japan Standard Time
]FIG]
[617]
[CITE[南十字星3題]],
[CITE[高濱, 虚子; 大口, 周作; 田村, 白桐]],
[CITE[天界]] = The heavens (1939), 19(216): 171-173,
[TIME[1939-03-25]]
([TIME[2018-03-23 14:44:18 +09:00]])
<https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167796/1/tnk000216_171.pdf>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE[南鳥島]]
([TIME[2019-01-10 21:02:07 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20040607091621/member.nifty.ne.jp/marcus47991/marcus.html>
]FIGCAPTION]
> 保安庁が来る前は、アメリカのコーストガードの職員も13名ほど在島していました。コーストガード(CG)が居た頃は小さな島に時差が2時間存在していました。(CGはウエーク時間を使っていた)
]FIG]
[7] [CITE[1920年に東京教育博物館で開催された「時」展覧会の出品物の調査]],
[[井上毅]], [[佐々木勝浩]],
Bull. Natl. Mus. Nat. Sci., Ser. E, 38, pp. 23–34,
[TIME[December 22, 2015][2015-12-22]]
([TIME[2016-06-10 16:37:08 +09:00]])
<https://www.kahaku.go.jp/research/publication/sci_engineer/download/38/BNMNS_E38_23-34.pdf>