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[82] [[ミャンマー]]から[[インドネシア]]までの[[東南アジア]]地域では、
[TZ[+06:30]] から [TZ[+09:00]] のいろいろな[[時間帯]]に属しています。
* ミャンマー (ビルマ)
[93] [[ミャンマー]]では、 [TZ[+06:30]] を使っています。
その変遷はおおまかな情報しかないようです。
;; [84] [TIME[1852年][1852]]、第二次[[英緬戦争]]の結果、
[[ビルマ王国]]の半分は[[英領インド]]に併合されました。
[78] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
元の[[地方時]]を [TZ[+06:24:40]]、 [TIME[1880年][1880]]を境に[[標準時]] [TZ[+06:24:40]]
としています。 [TZ[+06:24:40]] は [[Rangoon]] の[[報時球]][[観象台]]の[[経度]]とされています。
[SRC[>>77]]
;; [83] [TIME[1886年][1886]]、第三次[[英緬戦争]]の結果[[ビルマ王国]]は滅亡し、
[[英領インド]]に併合されました。
[111] [TIME[1905年7月][1905-07]]の報告によると、
[[英印]]政府は[[ビルマ]]の鐡道および電信の標準時を
[TZ[+06:30]] としました [SRC[>>110]] (実施時期不明)。
[79] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1920年][year:1920]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
[95] [TIME[1920年/大正9年][year:1920]]の >>94 は、[[蘭貢]] ([[ラングーン]])
の[[時差]]を [TZ[+06:30]] としています。
;; [96] [TIME[1937年][year:1937]]、[[英領ビルマ]]は[[英領印度]]から分離されました。
;; [86] [TIME[1942年3月8日][1942-03-08]]、[[ビルマ独立義勇軍]]と[[日本軍]]は[[首都]]の[[ラングーン]]を制圧しました。
[TIME[1943年5月][1943-05]]には、[[ビルマ]]全体を制圧しました。
これにより[[英領ビルマ]]は一旦滅亡しました。
[80] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1942年5月][1942-05]]を境に [TZ[+09:00]] としています [SRC[>>77]]。
;; [85] [TIME[1943年 (昭和18年) 8月1日][1943-08-01]]、[[ビルマ国]]が独立しました。
[100]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[緬甸]]は [TZ[+06:30]] となっています [SRC[>>106]]。
;; [87] [TIME[1945年3月27日][1945-03-27]]、[[ビルマ国民軍]]が[[クーデター]]を起こしました。
;; [88] [TIME[1945年5月2日][1945-05-02]]、[[英軍]]が[[ラングーン]]を制圧しました。
[81] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1945年5月3日][1945-05-03]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
;; [89] [TIME[1948年][year:1948]]、[[ビルマ連邦]]が独立しました。
その後[[ビルマ連邦社会主義共和国]]、[[ビルマ連邦]]を経て[[ミャンマー連邦]]となりました。
[91] 現在の[[ミャンマー]]政府は、[LON[東経97度30分][97.30E]]の時刻 ([TZ[+06:30]])
が[[標準時]]と説明しているようです [SRC[>>90, >>92]]。
[REFS[
- [110] [CITE[印度新標準時採用]] (地学雑誌 Vol. 17 (1905) No. 9 P 683, [TIME[2016-05-02 19:32:05 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/17/9/17_9_683/_article/-char/ja/>
- [94] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 海事年鑑. 大正9年]] ([TIME[2016-04-04 23:23:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933094/17>
- [77] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-04-04 21:52:20 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L270>
- [90] [CITE@en[Myanmar Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-03-20 19:49:50 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Myanmar_Standard_Time>
- [92] [CITE@my[မြန်မာ စံတော်ချိန် - ဝီကီပီးဒီးယား]] ([TIME[2016-03-04 22:37:54 +09:00]] 版) <https://my.wikipedia.org/wiki/%E1%80%99%E1%80%BC%E1%80%94%E1%80%BA%E1%80%99%E1%80%AC_%E1%80%85%E1%80%B6%E1%80%90%E1%80%B1%E1%80%AC%E1%80%BA%E1%80%81%E1%80%BB%E1%80%AD%E1%80%94%E1%80%BA>
]REFS]
* マレーシア、シンガポール (英領海峡植民地)
[1] [CITE@zh[马来西亚标准时间 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%AC%E6%9D%A5%E8%A5%BF%E4%BA%9A%E6%A0%87%E5%87%86%E6%97%B6%E9%97%B4>
[11] [CITE@zh[新加坡標準時間 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8A%A0%E5%9D%A1%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E9%96%93>
[7] [[海峡植民地]]では従来[[地方時]]を用いていたところ、
1901年1月1日より[[新嘉坡]]の[[地方時]]を[[標準時]]と定めたようです [SRC[>>6]]。
[REFS[
- [6] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1900年11月14日]] ([TIME[2015-11-21 19:19:49 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948506/4>
]REFS]
[4] [[海峡植民地]]は従来の標準時 [CODE[[[+07:00]]]] を
1933年1月1日から1年間 [CODE[[[+07:20]]]] に変更すること、
以降1年以内の期間で総督が決定できることを決め、
ジョホール政府もそれに追随したようです。 [SRC[>>2, >>3, >>15]]
[REFS[
- [2] [CITE[標題:時間関係雑纂 5.海峡植民地及馬来標準時変更ノ件]] ([TIME[2015-11-21 00:14:11 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011418800>
- [3] [CITE[標題:欧2普通合第365号 8.2.8 海峡植民地及馬来標準時変更報告の件]] ([TIME[2015-11-21 00:14:36 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C05022802900>
- [15] [CITE[標題:欧2普通合第365号 8.2.8 海峡植民地及馬来標準時変更報告の件]] ([TIME[2015-11-21 22:12:21 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C05022802900>
]REFS]
[98]
[[日本]]で[TIME[昭和17年/1942年][year:1942]]に発行された[TIME[昭和18年][year:1943]][[暦]]
[SRC[>>101]]、
[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]
[SRC[>>97]] では、旧[[マレー連邦]]および旧[[海峡植民地]]は [TZ[+07:20]] となっています。
[5] [CITE@en[Why is Singapore in the “Wrong” Time Zone?]]
([[Helmer Aslaksen]] 著, [TIME[2012-06-28 12:38:12 +09:00]] 版)
<http://www.math.nus.edu.sg/aslaksen/teaching/timezone.html>
[9] [CITE@zh[马来西亚标准时间 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%AC%E6%9D%A5%E8%A5%BF%E4%BA%9A%E6%A0%87%E5%87%86%E6%97%B6%E9%97%B4>
[10] [CITE@en[Singapore Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2015-08-22 06:13:06 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/Singapore_Standard_Time>
[16] [CITE@ja[マレーシア標準時 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-13 12:20:24 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82>
@@ ブルネイ
* タイ
[120] [[tzdata]] は [DFN[[CODE[Asia/Bangkok]]]] を定義しています [SRC[>>64]]。
[65] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Bangkok]] は、元の[[地方時]]を [CODE[+06:42:04]] としています [SRC[>>64]]。
[39] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Bangkok]] は[TIME[1880年][year:1880]]を境に[[バンコク]][[平均時]]
[TZ[+06:42:04]] としています [SRC[>>64]]。
[66] [[Wikipedia]] は
1920年4月1日の旧6時0分に新6時17分56秒に切り替えられ、
[TZ[+06:42:04]] から [TZ[+07:00]] となったとしています [SRC[>>38]]。
[[tzdata]] の [CODE[Asia/Bangkok]] も[TIME[1920年4月][1920-04]]を境に[TZ[+06:42:04]] から
[TZ[+07:00]] に切り替えたとしています [SRC[>>64]]。
[13] [[日本政府]]の当時の文書では、[TIME[大正9年4月1日][1920-04-01]]より
[TZ[+06:41:57.3]] から [TZ[+07:00]] に[[標準時]]が改められた [SRC[>>12]]
とされています。
;; [14] [[英領マレー]]と一致し、[[仏印]]もこれを採用する見込みである [SRC[>>12]]
とも言及されています。ただし >>21 では当時既に[[仏印]]も [TZ[+07:00]]
であったとされています。
[REFS[
- [12] [CITE[標題:34.暹羅国標準時改正ノ件 同四月]] ([TIME[2015-11-21 20:19:31 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B12082006200>
- [38] [CITE@en[Time in Thailand - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-02-01 01:14:05 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Time_in_Thailand>
- [64] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-02-28 13:11:30 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L2789>
]REFS]
* ベトナム、ラオス、カンボジア (仏印)
[44] [[tzdata]] は [CODE[Asia/Ho_Chi_Minh]] の元の[[地方時]]を
[CODE[+07:06:40]] としています [SRC[>>42]]。
;; [55] 同様に [CODE[Asia/Hanoi]] は [TZ[+07:03:24]]、
[CODE[Asia/Phnom_Penh]] は [TZ[+06:59:40]] としています [SRC[>>54]]。
;; [47] [[コーチシナ]]は1862年に[[フランス]]領となりました。
[[カンボジア]]は1863年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
[[越南]]の北部・中部は1882年-1886年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
1887年に[[インドシナ総督府]]が設置されました。
[[ラオス]]は1888年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
[[ラオス]]は更に1899年に[[仏印]]に編入されました。
;; [35] [[広州湾租借地]]は1899年に[[フランス]]が占領し、
1900年に[[租借地]]となりました。[[仏印]]に編入されました。
[49] 1904年頃、[[仏印]]の[[標準時]]を [TZ[+07:00]] (に近い[[パリ中度]]基準の[[時刻]]?)
とすることが検討されていたようです。[[清國海関]]とも協議しています。
;; [[中国の標準時]]も参照。
[19] 1906年7月1日0時0分より、[[仏印]]は[[パリ]]から[[東]]に104度17分17秒の [[Phu Lien]] [[天文台]]の[[子午線]]の[[時刻]]を採用しました
(1906年6月18日付け[[仏印]][[官報]]) [SRC[>>67]]。
;; [113] >>112 電報時刻改正
[45] [[tzdata]] はこの[[時差]]を [CODE[+07:06:30]] としています [SRC[>>42]]。
[[パリ]]が[[パリ]][[平均時]] [CODE[+00:09:21]] (→ [CODE[+07:06:30.1[RUBY[3][・]]]])
なのか[[パリ子午線]][[東経]] 2°20′14.03″
(→ [CODE[+07:06:29.[RUBY[3][・]]]]) のどちらを指すのかわからないが、
いずれにせよ[[秒]]単位で丸めて [CODE[+07:06:30]] だと注釈があります [SRC[>>67]]。
[21] 1911年5月1日0時0分より、[[フランス]]本国が [CODE[[[+00:00]]]]
を採用したのに合わせて [SRC[>>18]]、[[仏印]]は [CODE[[[+07:00]]]] [SRC[>>18, >>42]]
に切り替えました (1911年4月13日付け[[仏印]][[官報]]803ページ所収1911年4月6日付け[[法令]]
[SRC[>>67]])。
;; [68] 1942年、[[フランス]]本国政府は[[ドイツ]]に敗北し解体、
かわって[[ヴィシー政権]]が成立しました。
[22] 1942年12月31日23時0分に、[[フランス]]本国が [TZ[+01:00]] を採用したのに合わせて、
[[仏印]]は1時間進めて1943年1月1日より [TZ[+08:00]] に切り替えました [SRC[>>18]]
(1942年12月30日付け[[仏印]][[官報]] [SRC[>>67]])。
[24] 1943年2月には、[[自由フランス]]政権の支配下にあった[[広州湾租借地]]に、
[[ヴィシー政権]]との協定により[[日本軍]]が侵攻します。
その後いずれかのタイミングで [TZ[+09:00]] に切り替えられたものと考えられます。
[99]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[仏印]] (や[[タイ]]) は [TZ[+07:00]] となっています [SRC[>>106]]。
[108] 1942年10月出版の >>107 は、「数日前の新聞」によると[[仏印]]の[[日本軍]]が
[TZ[+09:00]] を使っており、兵員が現地[[太陽時]]とのずれに戸惑っているらしい、
と述べています。 (>>22 によればまだ現地[[標準時]]は [TZ[+07:00]]
だったはずですが、[[日本軍]]がそれと異なる本国の[[時刻]]を使っていたというのは不自然なことでもありません。)
;; [69] 1945年3月9日、[[日本軍]]は[[仏印処理]]を行いました。すなわち、
[[仏印]]から[[フランス軍]]が駆逐され、[[ベトナム帝国]]、
[[ラオス王国]]、[[カンボジア王国]]が独立しました。
[23] 1945年3月14日23時0分に、[[仏印]]は1時間進めて
[CODE[[[+09:00]]]] に切り替えました [SRC[>>18]]。
;; [52] 1945年8月に[[日本]]が[[ポツダム宣言]]を受諾した後、
[[ベトナム八月革命]]が発生し、[[ベトナム帝国]]の[[皇帝]]は[[退位]]しました。
[[ラオス王国]]は独立を撤回しました。
[[カンボジア王国]]も独立を事実上撤回しました。
[25] 1945年9月2日に、[[ベトナム民主共和国]]が独立を宣言し、
[CODE[[[+07:00]]]] を採用しました [SRC[>>18, >>42]]
([[内務省]][[法令]] [SRC[>>70]])。
[51] [[tzdata]] の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]] は、
1945年9月2日から [CODE[[[+07:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[31] 1945年8月に[[広州湾租借地]]は[[日本]]の[[降伏]]により[[中華民国]]が接収し、
[[フランス]]も[[中国]]への返還に合意しています。[[標準時]]の扱いは不明です。
;; [53] 1945年以後、[[北ベトナム]]農村部は[[ベトナム民主共和国]]により、
[[南ベトナム]]は[[フランス]]と[[コーチシナ共和国]]により支配される状態となりました。
1946年末には本格的な戦闘に発展しました。 ([[第一次インドシナ戦争]])
[[ラオス]]も[[フランス]]の支配下に戻りました。
[71] [[仏印]]は、1947年4月1日から [CODE[[[+08:00]]]]
を採用しました (1947年10月14日付け[[仏印]][[官報]]の1947年3月28日付け[[法令]])
[SRC[>>67]]。[[ベトナム]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]の[[フランス]]支配領域でこれが用いられました
[SRC[>>67]]。
[72] しかし[[ベトナム民主共和国]]支配地域では、引き続き [CODE[[[+07:00]]]]
が用いられました [SRC[>>67]]。
[46] [[tzdata]] の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]] は、
1947年4月1日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
;; [56] 1948年6月に[[コーチシナ共和国]]は廃止され[[ベトナム臨時中央政府]]が設立され、
更には1949年6月には[[ベトナム国]]となりました ([[南ベトナム]])。
1949年7月には[[ラオス]]が独立しました。
1949年11月には[[カンボジア]]が独立しました。
;; [60] 1953年10月22日の仏ラオス条約により、
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]に[[ラオス]]は完全に独立しました。
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]に[[カンボジア王国]]も完全に独立しました。
[58] [[カンボジア]]について、 [[tzdata]] の [CODE[Asia/Phnom_Penh]]
は (正確な日付は不明として)
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]から [TZ[+07:00]] としています [SRC[>>54]]。
[27] [[ラオス]]では、[TIME[1954年4月15日][1954-04-15]]から [TZ[+07:00]] が用いられています
[SRC[>>18, >>67]]。
;; [59] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Vientiane]] は
[TIME[1955年4月15日][1955-04-15]]としています [SRC[>>54]] が根拠は不明です。
;; [30] 1954年7月21日に[[ジュネーブ協定]]で休戦と[[越南]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]の独立が承認されています。
なお同協定では「北京平均時」を休戦時刻の規定における「地方時」であると定義しています [SRC[>>32]]。
停戦後、[[北ベトナム]]は[[ベトナム民主共和国]]の支配下に、
[[南ベトナム]]は[[フランス]]・[[ベトナム国]]の支配下となりました。
[28] [[北ベトナム]]の[[ハノイ]]では、1954年10月から [CODE[[[+07:00]]]] が用いられています [SRC[>>18, >>67, >>54]]。
[29] [[北ベトナム]]の[[ハイフォン]]では、1955年5月から [CODE[[[+07:00]]]]
が用いられています [SRC[>>18, >>67]]。
[33] [[ベトナム国]] ([[南ベトナム]]) は1955年7月1日0時0分に
[CODE[[[+07:00]]]] に切り替えました [SRC[>>18, >>67]]。
[48] [[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
は、1955年7月1日から [CODE[[[+07:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
;; [57] 1955年10月には[[ベトナム国]]にかわり[[ベトナム共和国]]が成立しました ([[南ベトナム]])。
1956年6月には[[フランス軍]]が撤退しました。
[34] [[ベトナム共和国]]は1959年12月31日23時0分に1時間進めて1960年1月1日0時0分とし、
[CODE[[[+08:00]]]] に切り替えました [SRC[>>67]]
(1959年12月30日付け[[法令]]362-TTP号 [SRC[>>67]])。
[[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
も、1960年1月1日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[40] [[ベトナム民主共和国]]は1967年8月8日の[[決議]] [[121/CP]] [SRC[>>26]] で、
1968年1月1日0時より [CODE[[[+07:00]]]] としました
[SRC[>>41, >>67]] (同時に[[グレゴリオ暦]]を用いることも定めました) [SRC[>>41]]。
;; [36] 1975年春に[[ベトナム戦争]]で[[サイゴン]]が陥落しました。
[[ベトナム共和国]]は崩壊し、[[南ベトナム共和国]]臨時革命政府が設立されました。
[37] 1975年6月13日に[[南ベトナム共和国]]臨時革命政府は1時間遅らせて
[CODE[[[+07:00]]]] とすると正式決定しました [SRC[>>18, >>67]]。
[50] [[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
は、1975年6月13日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[63] [[カンボジア]]でもいつからか [CODE[[[+07:00]]]] が用いられています。
[43] [[tzdata]] は[[越南]]から
[DFN[[CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]]] のみを収録しています [SRC[>>42]]。
[[ホーチミン]] (旧[[サイゴン]]) は[[南ベトナム]]の最大の都市です。
;; [61] 経済的に最大の都市とはいえ、なぜ[[ベトナム]]の[[首都]]である[[ハノイ]]
([[北ベトナム]]) でなく[[ホーチミン]]が選ばれているのかは謎です。
なお [DFN[[CODE[Asia/Hanoi]]]] も一応ありますが、1970年以後で異なるもののみ区別するという
[[tzdata]] 採録基準を満たさない追加データ [SRC[>>54]] 扱いになっています。
[62] [[tzdata]] は[[カンボジア]]から [DFN[[CODE[[[Asia/Phnom_Penh]]]]]]、
[[ラオス]]から [DFN[[CODE[[[Asia/Vientiane]]]]]] を選んでいますが、なぜかどちらも
[CODE[[[Asia/Bangkok]]]] ([[タイ]]) の別名と定義しています。
[REFS[
- [18] [CITE@en[Time in Vietnam - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-02-26 02:02:01 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Time_in_Vietnam>
- [20] [CITE@en[104.288055555556 (longitude) - SuikaWiki Data]] ([TIME[2016-02-27 22:18:51 +09:00]] 版) <https://data.suikawiki.org/lon/104.17.17E>
- [109] [CITE[フラソス殖民地に於ける標準時]] (地学雑誌 Vol. 25 (1913) No. 5 P 381, [TIME[2016-05-02 18:39:34 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/25/5/25_5_381/_article/-char/ja/>
- [32] [CITE[Geneva Accords]] ([TIME[2016-02-27 23:06:03 +09:00]] 版) <https://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/genevacc.htm>
- [41] [CITE[Vietnam: Journeys of Body, Mind, and Spirit - Văn Huy Nguyễn, Laurel Kendall - Google ブックス]] ([TIME[2016-02-27 23:28:22 +09:00]] 版) <https://books.google.co.jp/books?id=BrjQ3sqf0foC&pg=PA117&lpg=PA117&dq=%22Decision+12i/CP%22&source=bl&ots=OSccS4rF3b&sig=Z98ZfitzaLBLr9Vp4f2dV2r2RYU&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiT9Nqck5jLAhVFrqYKHeN0DEcQ6AEIGzAA#v=onepage&f=false>
- [112] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1906年09月22日]] ([[大蔵省印刷局 '''['''編''']''']]著, [TIME['''['''1964''']'''-][year:1964]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950313/4>
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- [26] [CITE[国家の意思決定121-CP計算カレンダーのカレンダーの管理]] ([[thuvienphapluat.vn]] 著, [TIME[2016-02-28 15:12:25 +09:00]] 版) <http://thuvienphapluat.vn/van-ban/Linh-vuc-khac/Quyet-dinh-121-CP-tinh-lich-quan-ly-lich-cua-Nha-nuoc-18212.aspx>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[17] [CITE@en[Vietnamese calendar - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2016-02-25 16:37:39 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/Vietnamese_calendar>
]FIGCAPTION]
> North Vietnam switched from UTC+8 to UTC+7 on August 8, 1967, with South Vietnam doing likewise in 1975 at the end of the Vietnam War.
]FIG]
- [107] [CITE@ja[近代デジタルライブラリー - 思索の手套 : 科學隨想]] ([TIME[2016-04-18 20:13:28 +09:00]] 版) <http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1085848/8>
[TIME[1942年10月][1942-10]]
]REFS]
* インドネシア (蘭印)、東チモール
@@
[REFS[
- [114] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1908年08月19日]] ([[大蔵省印刷局 '''['''編''']''']]著, [TIME['''['''1964''']'''-][year:1964]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950892/2>
]REFS]
* フィリピン
[73] [[フィリピンの時間帯]]を参照。
* 新南群島
[75] [[新南群島]] ([[南沙諸島]]) は、各時代の[[実効支配]]国の[[時間帯]]に組み込まれていると考えられます。
;; [76] 沿岸各国の節および[[日本の時間帯]]、[[台湾の時間帯]]、[[中国の時間帯]]も参照。
* リゾートタイム
[125] [[リゾート施設]]は、国内[[標準時]]とは異なる独自の[[リゾートタイム]]を採用していることがあります。
詳しくは[[リゾートタイム]]を参照。
;; [126] [[東南アジア]]の場合、[[標準時]]が [TZ[+07:00]] なら1時間進めて [TZ[+08:00]]
にすると[[中国大陸の標準時]]となるので、もしかすると[[中国人]]観光客向けの配慮があるのかもしれない、
とも思いましたが、[[空港]]や国内移動でどのみち[[時差]]を意識せざるを得ないのですから、
純粋に日照時間の問題のみなのかもしれませんし、よくわかりません。
* ASEAN 標準時
[132] [DFN[ASEAN標準時]]が何度も議題にのぼっているようですが、
各国の思惑から実現せずにいるようです。
[REFS[
- [8] [CITE@en[ASEAN Common Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2015-08-26 14:54:49 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/ASEAN_Common_Time>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[115] [CITE[アセアン10カ国、ASEAN標準時が検討課題に]]
( ([TIME[2016-05-03 22:31:18 +09:00]]))
<http://www.bangkokshuho.com/article_detail.php?id=5147>
]FIGCAPTION]
> 29/01/2015
> 28日、マレーシア・サバ州都のコタキナバルで開催されたASEAN非公式外相会議で、ASEAN標準時が今後の検討課題として取り上げられることになった。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[116] [CITE[ミャンマー ASEAN標準時導入に難色 ミャンマーニュース]]
(2015-05-01 20:00 ([TIME[2016-05-03 22:32:42 +09:00]]))
<http://www.myanmar-news.asia/news_aqNdQFCIc2.html>
]FIGCAPTION]
> ミャンマー同様、難色を示しているのがGMTプラス7のタイやカンボジアである。これらの国々は、ASEAN諸国ではGMTプラス7の地域の人口が最も多いことから、GMTプラス8をASEAN標準時とすることに反対する意向を示している。
]FIG]
- [129] [CITE[ASEAN諸国が標準時として中国標準時を導入へ、中国-ASEAN経済圏の一体化が加速]]
( ([TIME[2015-03-01 12:00:00 +09:00]]))
<http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plusd/1430022660/>
]REFS]
* 関連
[74] [[南アジアの時間帯]]、[[大洋州の時間帯]]、[[台湾の時間帯]]、[[中国の時間帯]]も参照。
* メモ
[REFS[
- [106]
-- [105] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和14年]] ([TIME[2016-04-05 01:18:04 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255562/26>
-- [104] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和15年]] ([TIME[2016-04-05 01:15:31 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255573/26>
-- [103] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和16年]] ([TIME[2016-04-05 01:13:30 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184177/27>
-- [102] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和17年]] ([TIME[2016-04-05 01:11:48 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184172/26>
-- [101] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和18年]] ([TIME[2016-04-05 01:02:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184175/27>
-- [97] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和19年]] ([TIME[2016-04-05 00:55:37 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184173/26>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[117] [CITE@en[UTC+07:30 - Wikipedia, the free encyclopedia]]
( ([TIME[2016-05-27 01:15:04 +09:00]]))
<https://en.wikipedia.org/wiki/UTC%2B07:30>
]FIGCAPTION]
> UTC+07:30 was used both as daylight saving time as well as its Standard Time later in Singapore. Between 1941 and 1942 before the Japanese occupation, and from 1945 to 1970 after the occupation, Singapore used UTC+07:30 as its daylight saving time. It was later in 1970 that Singapore decided to declare UTC+07:30 as its Singapore Standard Time.
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[118] [CITE@en[UTC+07:20 - Wikipedia, the free encyclopedia]]
( ([TIME[2016-05-03 17:06:03 +09:00]]))
<https://en.wikipedia.org/wiki/UTC%2B07:20>
]FIGCAPTION]
> UTC+07:20 was used as daylight saving time in Singapore between 1933 and 1941.'''['''1''']''' On midnight January 1st, 1933,'''['''2''']''' people in Singapore switched from UTC+07:00 to UTC+07:20 when clocks were turned forward 20 minutes. This time was used till midnight of September 1st, 1941'''['''3''']''' when UTC+07:30 started to be used.
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[121] [CITE@ja[タイでもテレビの時間が同じになる : アライナ!.....泰国生活記]]
(August 09, 2008 14:32 ([TIME[2016-06-03 22:42:56 +09:00]]))
<http://blog.livedoor.jp/arainathai/archives/51335753.html>
]FIGCAPTION]
> 例によってバンコク週報の記事から、、、
> 『8月23日からタイ標準時を導入』
> 何の事かと思って読んで、そういう事か。。。(= =) ウム
> 記事を読んでもらえれば分かるが
> タイではテレビ画面に表示されている時刻がテレビ局ごとに微妙に違っている。
> 朝の時間帯ならばほとんどのテレビ局が時間を表示しているので
> タイに住んでる方は見比べていただきたい。
> そういう私も以前、腕時計の時間を修正しようと思い仕事へ出かける前にテレビを点けるも
> テレビ局ごとに時間が違っていたことを覚えている。
> 最大で1分ぐらい違っていたような気がする。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[122] [CITE@ja[タイ標準時のその後 : アライナ!.....泰国生活記]]
( ([TIME[2016-06-03 22:44:02 +09:00]]))
<http://blog.livedoor.jp/arainathai/archives/51365355.html>
]FIGCAPTION]
> その後実施直後の8月24だか25日くらいに気になって
> 各テレビ局で表示されている時間が同じなのか確認した事があります。
> 確認したのは朝の仕事へ出かける前。
> 以前だったら2-3局で時間が表示されていたのでそれを見比べようと思った。
> ところが。。。。(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
> 3チャンネルはいつものように時間が表示されているが、、
> 他のチャンネルは何処を見ても時間が表示されていない。∑('◇'*)エェッ!?
>
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[123] [CITE@ja-JP[タイ人の中には、‘約束’を守らない、‘時間’を守らない人が、たいへん多いです。 - udonnaosan Jimdoページ]]
( ([TIME[2016-06-03 22:46:11 +09:00]]))
<http://udonnaosan.jimdo.com/2013/01/17/%E3%82%BF%E3%82%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%81%AF-%E7%B4%84%E6%9D%9F-%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%99%82%E9%96%93-%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%8C-%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%B8%E3%82%93%E5%A4%9A%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99/>
]FIGCAPTION]
> (水曜日, 16 1月 2013 22:58)
> タイ標準時が出来たのは数年前でした。
> 標準時が出来ても、テレビやラジオの8時と18時の国歌は、酷いのだと数十秒ずれて流れてます。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[124] [CITE@ja[8月23日からタイ標準時を導入 | チエンマイブログ日々雑感]]
( ([TIME[2016-06-03 22:47:49 +09:00]]))
<http://payap.net/blog/2008/08/8%E6%9C%8823%E6%97%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%BF%E3%82%A4%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E3%82%92%E5%B0%8E%E5%85%A5>
]FIGCAPTION]
> バンコク週報、タイの情報【社会】 海軍・河海測量局がタイ標準時を決定・管理することが決まり、国内のテレビ・ラジオ局などは8月23日からこの標準時に従うことが義務づけられた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[127] [CITE[メイドインタイランド投稿写真掲示板]]
( ([TIME[2016-06-03 23:41:21 +09:00]]))
<http://0bbs.jp/bkk/m/?o=41>
]FIGCAPTION]
> 海軍・河海測量局がタイ標準時を決定・管理することが決まり、国内のテレビ・ラジオ局などは8月23日からこの標準時に従うことが義務づけられた。
> 国立度量衡研究所のピアン所長は、「これまでタイには標準時が存在しなかった。このため、午前8時と午後6時の国歌放送が放送局により時間がずれるという不都合が生じていた」と話している。
> 今後、科学技術省が標準時遵守の監督機関となり、これに反した放送局などには10万~50万バーツの罰金が科されることになる。
> バンコク週報の最新記事ですが、テレビの番組の開始時間が微妙にずれるのって、標準時がなかったせいだったとは...。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[128] [CITE[タイのニュースキャスターはコスプレを着る! インドへGO!そしてタイ 今は日本 いつかまた!/ウェブリブログ]]
( ([TIME[2014-11-01 06:15:59 +09:00]]))
<http://jaofkai2007-new.at.webry.info/201302/article_20.html>
]FIGCAPTION]
> レンジでチンさん、「ピンポーン」正解です!8時と18時です。ただ、タイには標準時が存在しないので、テレビ局によって数秒から数十秒の時差があります。
> タイの国家を長い間知らなかったとは!!!!!!ですね。例の「なんで海で水着を着ないんだおじさんでしたか。
> 国家の時に流れる映像は、数ヶ月前までバラバラでしたが、今は統一されています。何度も言いますが、時差があるので何回も見られます。
> サバーイ
> 2013/02/18 13:44
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[130] [CITE@ja[シンガポールの時差について - アジア | 【OKWAVE】]]
( ([TIME[2016-06-03 23:59:12 +09:00]]))
<http://okwave.jp/qa/q5053521.html>
]FIGCAPTION]
> 政治的理由ですが、ボルネオ島ではマレーシアとインドネシアの
国境紛争が頻発しています。ここでインドネシアと同じ GMT+7 を
採用すると、マレーシアがボルネオ島を使わせてもらっていると
いう雰囲気になります。それを避け、あくまでインドネシアとは
違う国だとアピールするには、GMT+8 が都合よかったのでしょう。
]FIG]
[131] [CITE@en[Why is Singapore in the “Wrong” Time Zone?]]
( ([[Helmer Aslaksen]]著, [TIME[2012-06-28 12:38:12 +09:00]]))
<http://www.math.nus.edu.sg/aslaksen/teaching/timezone.html>