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359
* 長徳 (日本公年号)
[2] [[日本の公年号]]の1つ。
* 長徳 (日本私年号)
[3]
[DFN[長徳]]は、
[[幕末維新期の私年号]]の1つです。
* 資料
[15]
現在までに1例見つかっています。
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [11] [CITE(.label)[用留]]
-- [12]
[DATA(.label)[表紙]]
「[DATA(.text)[[V[長徳元卯二月]]]]」 ([[草書]])
[SRC[>>9 /4, >>9 /94]]
--- [13]
>>9 /4, >>8 /712 に白黒写真
--- [14]
>>9 /94 に翻刻
]ITEMS]
[17]
[[日本国]][[東京都]][[八王子市]][[八日町]] [[中野和夫]]所蔵で、
旧宅 ([[日本国]][[東京都]][[昭島市]][[中神町]])
土蔵から昭和51年7月に膨大な近世文書と共に発見され、
[CITE[昭島市史]]
で紹介されると共に、その重要性に鑑み全文が刊行されたものです。
[SRC[>>16]]
[18]
[CITE[用留]]はいわゆる[[御用留]]とは違って私的な記録の小冊子で、
慶應3年2月から慶応4年閏4月に書かれたものです。
[SRC[>>16]]
[19]
[CITE[用留]]の表紙には「[V[中野]]」とあります。
[[中野]]家は[[旗本領]]の[[村役人]]を務める[[仲買商]]で、
筆者は慶応2年正月に当主となった
10代目[[中野九次郎]]と考えられます。
[SRC[>>16]]
[21]
[CITE[用留]]の内容は「[V[卯正月]]」付の記事から始まり卯、辰の[[十二支年]]で[[日付]]が書かれていますが、
いくつか[[慶応]]の[[日付]]の[[文書]]があって、[[慶応]]時代のものであることは明らかです。
[SRC[>>9]]
[22]
表紙を書いた時点、おそらく慶応3年2月初には筆者は「長徳元年」と認識していたのでしょうが、
「[V[慶応三[SUP(smaller inline)[卯]]十一月]]」
の[[文書]]があり
[SRC[>>9 /97]]、
その翌年には
「[V[慶応四[SUP(smaller inline)[辰]][BR[]] 閏四月]]」
の[[文書]]があります
[SRC[>>9 /98]]。
[[改元]]や[[改元]]取り消しの記述は特にありません。
[23]
[[昭和時代]]後期に
[CITE[昭島市史]]
編纂に関わった[[白河宗昭]]は、
[[近世]]以降の[[私年号]]は極めて稀で[[延寿]]しか知られず、
日本史上大きく取り上げるべき貴重史料で[[昭島市]]においても誇るべき文化財だ、
と指摘しています。
[SRC[>>16]]
;; [24]
その後[[幕末の私年号]]史料の報告は増えていますが、
それぞれ貴重な史料であることは変わりありません。
[[私年号]]を表題に入れて刊行した[[昭島市]]の判断は素晴らしい。
今でも変わらず貴重な文化財として保存と研究を進めていればなお良いのですが、
どんなもんでしょうかね?
;;
[25]
同じ土蔵にあった文書や市域の他の旧家にも探せば似たようなものが出てきそうな気はするのですが、
続報が出ていないようなんですよねえ...
[REFS[
- [9]
[CITE@ja-JP[諸用日記控 : 付・長徳元年「用留」]], [[中野久次郎, 昭島市教育委員会]], [TIME[1979.12][1979]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T09:25:15.137Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641843/1/4> (要登録)
-- [16]
[CSECTION[[V[解題]]]],
[[[V[白河宗昭]]]],
/100 - /103
]REFS]
* 研究史
[20]
[[昭和時代]]後期に
[CITE[昭島市史]]
編纂に関わった[[白河宗昭]]は、
[[長徳]]は[[私年号]]で、
[CITE[用留]]の内容から[TIME[慶応3(1867)年][1867]]に当たるとしました。
[SRC[>>16]]
[37]
[CITE[昭島市史]]
は、
この[[私年号]]を筆者の[[中野久次郎]]が建てたものと推測し、
その意図を推測しました。
[38]
そこではまず[[民俗学者]]の[[宮田登]]の[[弥勒信仰]]の研究
[WEAK[([[中世東国私年号]]の1つ[[弥勒]]に関連したもの)]]
から、
[[改元]]とは前の年号の時代を否定し、
一新の後に新たなるものにすべてを期そうとするものだとの理解を紹介しています。
これに従って、
[[私年号]]は今までの[[元号]]を否定し、
[[改元]]されたと認識することで成立するから、
使用者は大きな社会変動=変革を求めたことを意味するのだと説きます。
[[私年号]]は客観的には現実の支配を否定し、
主観的には社会変動=変革を求める意識から成り立つのだというのです。
[SRC[>>8]]
[39]
そして[[長徳]]について、
- [40] 広範に[[改元]]の噂が流布しそれを信じて記述した
- [41] 現実に[[慶応]]が使われていることを認識した上で、
[[改元]]=社会変革を求めて敢えて私的書類に次の社会への理想を込めて記述した
の2説が考えられるものの、前者は不可能だと断言します。なぜなら、
- [42] 広範な噂で信用度が強ければ、他史料にも用例が見えるはず
- [43] [[改元]]は代官等から付達され村役人の[[御用留]]に必ず写しがあるはずで、村役人、[[旗本]]の勝手賄い、仲買商で広く活動する[[中野家]]がそれを知らないはずがないし、
一定地域の噂に惑わされる可能性はない
と考えられるためだとします。
[SRC[>>8]]
[45]
そして、
[[幕藩体制]]は強い集権制で、支配・交通は中世と比較にならないほど発達しており、
近世の私年号使用者の意識を中世と同レベルで扱ってはならない、
より強烈な主体的意識が存在した、
と断じています。
[SRC[>>8]]
[44]
仮に前者が否定されるとしても、後者のうちには[[中野久次郎]]が一人で作って使ったケースと狭いコミュニティーで通用したケースが想定されそうなものですが、
どうも[[中野久次郎]]が一人で内々に作って使ったケースしか考えられていないようです。
[46]
このように推測される[[長徳]]の[[建元]]は、
[[明治政府]]を「有司専制」政府と決めつけそれを転覆する目的の「革命軍」
が[[自由民権思想]]に基づく新しい時代になることを示した[[自由自治]]の[[私年号]]と共通するものだとまで考えられるものだというのです。
ただ[[中野久次郎]]がそこまで先鋭化したとは考えにくいとし、
現実に[[慶応]]であることを知りながらそれと対置して[[長徳]]としたことに強い社会変革を求める意識を見出すのは不当ではないのだといいます。
[SRC[>>8]]
;; [47] その[[自由自治]]は実は大変に疑わしいのですが、
この時代はまだこのように信じている人がいました。
[48]
[[中野久次郎]]は具体的には少なくても3つの要因で社会の一新=社会変革を望んだとされます。
それは、
- [49] [[開港]]以来の経済構造変化による家運の衰退
- [50] 祖父、父の相次ぐ死去
- [51] 父の死去後わずか半年で[[武州世直し一揆]]に襲われ家屋敷が[[打ち壊し]]に
であり、このような複雑な現状への不満を一気に昇華し、
[[私年号]]使用に追いやられたと考えます。
[SRC[>>8]]
[52]
[[長徳]]という[[元号名]]については、
- [53] [['''徳'''川氏]]の時代が'''長'''く続くことを願う
-- [55] [[東北諸藩]]で広まった[[延寿]]の噂と似ている
- [54] 道徳倫理の意味の「'''徳'''」のある人間が支配する社会が生まれて'''長'''く続くことを願う
の2説が考えられるとしつつも、
[[元号制度]]や[[漢文]]の素養のある人の解釈に期待したいと保留しています。
しかし、
世直しを求めた人々と同じように現状が不安定で新しい世が出現してくれることを願っていたことだけは疑いもない事実だと断じています。
[SRC[>>8]]
;; [56] [[元号名]]だけでなく[[改元]]というものへの解釈 (>>38) から断じているのかもしれません。
;; [57] [[延寿]]が[[東北]]で広まったという「噂」があったとする説は誤りで、
実は[[江戸]]の噂でした。
[[延寿]]が[[東北]]の一部にも広まっていた可能性はあるものの、
実は西国にも広まっていました。
[SEE[ [[延寿]] ]]
[58]
こうした解釈はこれ以前の[[私年号研究]]にない独特な考えを含んでいますが、それは当時
- [59] [[幕藩体制]]では[[私年号]]は[[大道]]、[[大筒]]以降存在しなくなり、
[[延寿]]が唯一である
- [60] その後は[[自由自治]]、[[征露]]が見られるのみ
という認識 [SRC[>>8]] が一般的で、
[[近世]]や[[幕末]]の[[私年号]]が実は他にも多数あったことがまったく知られていなかったのが原因です。
[61]
現在では他の[[私年号]]の存在により[[幕藩体制]]による[[元号]]支配がかつて思われていたほど強固ではなかったこと、
とりわけ[[幕末]]に弱まっていたことが知られるようになっています。
[62]
他時代および[[幕末]]の[[私年号研究]]の進展により、
中世や近世の社会構造の特異性を[[私年号]]の発生や伝播の説明とする説の納得感は小さくなっています。
むしろ基本的な性質を通時代的に共有しながらも[[幕末]]の社会情勢を加味して発生、伝播、利用の様子を説明できるモデルを今後検討するべきでしょう。
[63]
[CITE[昭島市史]]
の説には[[自治体史]]という媒体の性格がゆえの郷土の先人の顕彰という目的も見え隠れします。
[[長徳]]の背景に
- [64] [[平田国学]]などで積極的に尊攘運動で活動した豪農がいた
- [65] が、[[多摩]]の場合[[新撰組]]を中心に[[佐幕派的]]色彩が強い、
が尊攘派と根は同一と言い得る
- [66] 残念ながら、[[昭島市]]域では豪農の積極的活動の事例は知られていない
-- [67] だからといって、現状に安住していたのではなかった
といった社会情勢を説明し、[[長徳]]は現状の改変を強く求めていた者がいたことを示す史料として紹介しているのです
[SRC[>>8]]。
[68]
発行時期から考えて執筆者は[[明治時代]]後期から[[昭和時代]]初期の教育を受けていたと推測され、
[[尊皇攘夷]]から連なる[[明治維新]]を通じた[[明治政府]]の樹立は重視されていたはずです。
いわゆる[[維新の志士]]に地元出身者が含まれない (どころか[[佐幕派]]サイドである)
ことに負い目を感じていたとしても不思議ではありません。
[[維新の志士]]ではないとしても、それに匹敵するような先進的な考え方の人が地元にもいたなら、
誇らしいと思うのも自然なことです。
[69]
[[自由自治]]に関連付けて語っているのも、この近辺に[[自由民権運動]]の盛んな地域があり、
[[秩父]]や[[八王子]]のような[[秩父事件]]に関係する地域と近接していること、
[[昭和時代]]の中期から後期にかけて[[自由民権運動]]の社会的評価が上昇していることとも無関係ではないでしょう。
[[自由民権運動]]ほどではないにせよ、それに連なるような思想の萌芽が見られるものと理解することを
(意図的にせよそうでないにせよ) 望んでいたものと考えられます。
[REFS[
- [8] [CITE@ja-JP[昭島市史 本編]], [[昭島市史編さん委員会]], [TIME[1978]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T03:33:20.176Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641552/1/711> (要登録)
;; [35] [CITE[昭島市史]]はウェブサイトでも公開されています。
[[HTML]] でテキストになっているので画面上では見やすいですし、
[[国会図書館デジタル]]で閲覧できるようになる前からウェブ公開していたのは先進的で評価できる点ではあったのですが...
(>>36 に続く)
- [4] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]], [TIME[2021-04-15T06:39:50.000Z]] <https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1320715100/1320715100400030/ht072460>
-- [29] 消滅確認 [TIME[2024-02-23T09:46:44.300Z]]
- [5] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]], [TIME[2021-04-15T06:40:30.000Z]] <https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1320715100/1320715100400030/ht072480>
-- [30] 消滅確認 [TIME[2024-02-23T09:46:48.900Z]]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]]
([TIME[2020-09-02T03:45:24.000Z]])
<https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ1900/WJJS46U/1320715100/1320715100400010/?jid=1320715100&kid=1320715100400010&kid2=1320715100400010¶mChrono1=1¶mChrono2=2&fromBox=1859&toBox=>
]FIGCAPTION]
> 9 慶応三年 1867 中神村中野久次郎、誠忠隊青籏組という浪士集団に金銭を強要される
> 中神村中野久次郎、『用留』に「長徳」という私年号を記述する
]FIG]
-- [31] 消滅確認 [TIME[2024-02-23T09:46:55.800Z]]
;; [32] 「デジタルアーカイブ」が[[リンク切れ]]というギャグみたいなことになってますが...
;; [34] しかも[[URL]]が変わった (全ページ一律でトップに[[リダイレクト]]される) だけではなく[[リンク]]が [[HTTP(S) URL]]
になっていない、検索結果にリンクできない、などウェブサイトの品質が激しく劣化してますね...
まあ前のやつも専門知識がある業者が開発したとは思えない低品質ではあったのですけど、
前のはまだ一応まともに動くレベルだったのが、今のは素人レベルに...
[TIME[2024-02-23T09:51:16.600Z]]
- [28] [CITE@ja[テキスト / B 私年号「長徳」]], [TIME[2024-02-23T09:45:55.000Z]] <https://adeac.jp/akishima-arch/text-list/d400030/ht072480>
- [27] [CITE@ja[テキスト / 四 社会変革を求める人々]], [TIME[2024-02-23T09:45:28.000Z]] <https://adeac.jp/akishima-arch/text-list/d400030/ht072460>
- [26] [CITE@ja[テキスト / E 昭島の夜明け前]], [TIME[2024-02-23T09:44:57.000Z]] <https://adeac.jp/akishima-arch/text-list/d400030/ht072230>
- [33] [CITE@ja[年表詳細]], [TIME[2024-02-23T09:48:57.000Z]] <https://adeac.jp/akishima-arch/timeline/tm000030>
「長徳」で検索
;; [36] 今後もまたこのように突然 [[URL]] が変わりそうで信用ならず、
[[国会図書館デジタル]]の書籍画像の方を参照しておくのが無難そうです。
せっかく市史を電子化してウェブ公開していても、
業者選定を誤ると使い物にならない、市民の金の無駄遣いになってしまいますね。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[91] [CITE[[[昭島市史]] - Google ブックス]],
[TIME[1978][year:1978]],
[TIME[2020-09-02T03:41:31.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=2NJnAAAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>慶応二年と明治元年を頂点として、全国で発生した一揆の多くは、「世直し」を
スローガンにかかげて闘われた。 ... B 私年号「長徳」貧しい人々を中心として、
現実の幕藩制社会を否定する考えが広がっていたことを見てきた。そこには、 ...
>人々にとっての新しい社会像はいろいろであるが、昭島市域の村々に発生した
最も興味深い現象は、私年号「長徳」を使用したことがあげられる。本項では、
この二っの現象を考えながら、幕藩制社会の終末にあって、新たな社四社会変革
を ...
>その後、自由民権運動の一環である秩父事件の参加者が使用した「自由自治」と
、日露戦争の時期の「征露」が存在している。ところで、この私年号の意味を
理解するためには、元号の持つ意味を考えておかねばならない。
本来元号とは、「識緯説に基づいたり、天皇即位、祥瑞・災異
などにより、時代的な理想・願望をこめて、朝廷により制定されたもの」(宮田登
『 ...
>B 私年号「長徳」貧しい人々を中心として、現実の幕藩制社会を否定する考えが
広がっていたことを見てきた。そこには、新しい社会の設計図は描かれていない
こと、きわめて素朴な社会平等論と小農経営復帰論でしかないという欠点があっ
た ...
>民権思想にもとづく新しい時代になることを人々に示した私年号であった。
もとより中野久次郎の意識が、そこまで先鋭化していたとは考えにくいであろう
。
だが、現実には「慶応」という元号に示される時代であることを知りっっも、
あえてそれに対置して、「長徳元卵二月」と記録したことに、中野久次郎の強い
社会変革を求める意識を見い出すことは不当ではない。ではなにゆえに、中野久
次郎 ...
]FIG]
]REFS]
- [6] [CITE@ja[大森博子 Hiroko Ohmori🐟🌧さんはTwitterを使っています 「【元号】372 長徳 ちょうとく 慶応3年(1867年)期間不明 多摩の豪商中野久次郎が使用(『長徳元年用留』) 新選組の近藤や土方らの地元、江戸西郊の多摩地区は天領で、一部藩の管理する村が点在する所だった。このため、支配者があってないような珍しい地域で、→」 / Twitter]], 午後9:07 · 2018年11月22日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-07-01T03:12:30.000Z]] <https://twitter.com/11111hiromorinn/status/1065577570131824640>
-- [7] [CITE@ja[大森博子 Hiroko Ohmori🐟🌧さんはTwitterを使っています 「土地は概ね平坦で災害が少なく、新田開発も盛んで、農村としても恵まれていた。こういったことから自由な気風がみなぎり、五日市憲法に代表されるように、自由民権運動の牙城にもなった。私年号が使われたのも当然かもしれない。東京から独立して多摩県に、という声が今もあるほど。」 / Twitter]], 午後9:07 · 2018年11月22日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-07-01T03:12:30.000Z]] <https://twitter.com/11111hiromorinn/status/1065577571486580736>
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,長徳 ,- ,慶応3年(1867年) , 不明 ,多摩の豪商中野久次郎が使用(『長徳元年用留』)[SUP[__&&[&&__11__&&]&&__]]
>昭島市史編さん委員会編 『昭島市史 本編』 昭島市、1978年、NCID BN0450395X
* メモ