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1000
[1] 現在の[[小笠原諸島]]では、
他の地域と同じ[[日本の暦]]や[[中央標準時]]
[TZ[+09:00]] が使われています。
* 時刻の変遷の概略
[9] [SEE[ [[日本の標準時]] ]]
* 入植の時代
;; [103]
[[小笠原諸島]]は、
[[伊豆諸島]]と[[マリアナ諸島]]の間の北側にある[[小笠原群島]]、南側にある[[火山列島]]、
その遥か西にある[[沖ノ鳥島]]、遥か東にある[[南鳥島]]などで構成されています。
[[小笠原群島]]には主島の[[父島]]や[[母島]]などが、
[[火山列島]]には[[硫黄島]]などが含まれています。
;; [10] [[北硫黄島]]や[[父島]]には[[古代遺跡]]があり、
かつては人が住んでいたことがあったようですが、
その後[[小笠原諸島]]各島は長らく[[無人島]]でした。
;; [11] 16世紀頃から、[[欧米]]の船舶が[[小笠原諸島]]各島附近を度々航行し、
目撃記録を残しました。
;; [12] [[江戸時代]]、
[[日本人]]が何度か[[小笠原諸島]]に漂流または渡航しました。
[TIME[1675年][year:1675]]、
[[日本政府]] ([[江戸幕府]])
は[[無人島]] ([[父島]]など現在の[[小笠原諸島]]) が[[日本]]の[[領土]]であることを確認しました。
;; [58]
18世紀後半、
[[英国]]や[[米国]]は[[グレゴリオ暦]]に[[改暦]]しました。
;; [2]
[TIME[1826年][year:1826]]頃から、
[[欧米]]人が[[父島]]や[[母島]]に住み着くようになりました。
(その[[子孫]]は後に[[欧米系島民]]となりました。)
;; [14]
[TIME[1827年][year:1827]]、
[[英軍]]が[[父島]]と[[母島]]に進攻し、
自国領と主張しました。
しかし[[英国政府]]はこれを承認しませんでした。
;;
[15]
[TIME[1853年][year:1853]]、
[[米軍]]が[[父島]]に進攻し、
植民地政府を設置しました。
;; [16]
[TIME[1862年][year:1862]]、
[[日本政府]] ([[江戸幕府]])
は改めて[[小笠原諸島]]が[[日本]]の[[領土]]であると宣言しました。
[37]
[[小笠原諸島]]の[[日本人]]は、
当時の[[日本の暦]]、
つまり[[旧暦]]、[[元号]]、[[江戸時代の時刻]]制度の[[地方時]]を使っていたと思われます。
[43]
[[欧米人]]は、
[[グレゴリオ暦]]、[[西暦]]、[[西洋式時刻]]の[[地方時]]を使っていたと思われます。
[45]
[TIME[明治6年1月1日][1873-01-01]]、
[[大日本帝国]]は[[旧暦]]から[[グレゴリオ暦]]に[[改暦]]しました。
[SEE[ [[明治改暦]] ]]
;; [13]
[TIME[明治9年10月17日][1876-10-17]]、
[[日本政府]] ([[明治政府]])
は改めて[[小笠原諸島]]が[[日本]]の[[領土]]であると宣言しました。
[59]
[[小笠原諸島]]に残留し[[日本人]]となった[[欧米系島民]]がどのような[[日時制度]]を用いたのかは不明です。
おそらく当初は自国の[[西暦]]を中心に使っていたでしょうが、
純[[日本人]]の島民が増加したり、
[[日本本土]]との政治的・経済的つながりが強化されたりしていくにつれ、
[[日本の元号]]が中心に移行していったのではないでしょうか。
;; [65]
[TIME[明治11年11月][1878-11]]、
[[日本政府]]は[[小笠原島郵便局]]を設置しました。
;; [66]
[TIME[明治19年4月26日][1886-04-26]]、
[[小笠原島郵便局]]は[[小笠原郵便局]]に改称しました。
[67]
[TIME[1920年][year:1920]]に[[東京]]で開催された[[「時」展覧会]]には、
[[中央標準時]]実施以前に[[郵便局]]で使われていた[[日時計]]
([[正午計]]) が出展されました。
現存するものには「小笠原郵便局」と刻印がありました。
当時の[[郵便局]]では、これを用いて[[地方真太陽時]]の[[正午]]を[[観測][測時]]していました。
[SRC[>>7]]
[68]
現在[[小笠原郵便局]]は[[父島]]の他に[[山梨県]]にも存在しています。
他にも[[廃止]]された[[郵便局]]が存在するかもしれません。
この[[日時計]]がどこで使われたものかは不明です。
しかしこれが[[小笠原諸島]]のものでなかったとしても、
[[時刻]]を知る方法はそう違わなかったと思われます。
-*-*-
[61]
[TIME[明治21年1月1日][1888-01-01]]、
[[大日本帝国]]は[[(中央)標準時][中央標準時]]
[TZ[+09:00]]
を採用しました。
[SEE[ [[中央標準時]] ]]
[414]
法的には[[小笠原諸島]]各島でも[[中央標準時]]が適用されたことになりますが、
実際に離島でどれだけ正確な[[中央標準時]]が運用できたかは不明です。
この時代、[[日本本土]]の[[郵便局]]ですら数分のずれは珍しくなかったようです。
;; [17] [TIME[明治24年9月9日][1891-09-09]]、
[[日本政府]]は[[硫黄島]]その他の[[火山列島]]を正式に[[日本]]の[[領土]]としました。
;; [18] [TIME[明治31年7月24日][1898-07-24]]、
[[日本政府]]は[[南鳥島]]を正式に[[日本]]の[[領土]]としました。
;; [55]
[TIME[1902年][year:1902]]、
[[米国人]]が[[南鳥島]]を[[米領]]とすることを企てましたが、
失敗しました。
;; [60] [[明治時代]]頃には、その他[[小笠原諸島]]の多くの[[島]]に移住者がいました。
;; [1028]
[TIME[1906年8月1日][1906-08-01]]、
[[日本本土]]、[[父島]]、[[グアム島]]間の[[海底ケーブル]]が開通しました。
[69]
これで物理的には[[父島]]は[[日本本土]]から直接[[中央標準時]]を受信できるようになりましたが、
実際に行われたかは不明です。
;; [19] [TIME[昭和6年7月6日][1931-07-06]]、
[[日本政府]]は[[沖ノ鳥島]]を正式に[[日本]]の[[領土]]としました。
;; [105]
[[小笠原諸島]]は[[南洋群島]]への航路の中継地となっていました。
南接する[[北マリアナ諸島]]は[[南洋群島中部標準時]] [TZ[+10:00]]
を使っていましたが、[TIME[昭和13年][year:1938]]、
[[南洋群島西部標準時]] [TZ[+09:00]]
に改正され、[[時差]]が解消されました。
[SEE[ [[南洋群島の標準時]]、[[大東亜の標準時]] ]]
[71]
[TIME[1939年][year:1939]]出版の[[硫黄島]]での[[南十字星]]観測の記事は、
島の人は太陽と共に寝起きしていて[[時計]]など不要なようだと書いていました
[SRC[>>617]]。
[77] 当時の有人の[[硫黄島]]は他に[[鹿児島県]]の[[薩摩硫黄島]]もありますが、
[[南十字星]]は観測できたとしても一部のみです。
記事中[[南十字星]]の見え方には言及がなく、
完全に見える[[小笠原諸島]]の[[硫黄島]]と解釈するのが自然です。
[72] 一般島民が[[時計]]とは無縁の生活をしているとはいえ、
島内に[[時計]]がないとは書いてありません。[[村役場]]などにはあったとも思われます。
なお[[著者]]自身は[[天体観測]]のため[[時計]]を持ち込んだと思われ、
記事中には[[時刻]]の記載もありました。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[617]
[CITE[硫黃島にて]], [[大口周作]], [TIME[1939-03-25]]
([CITE[南十字星3題]],
[[高濱虚子]], [[大口周作]], [[田村白桐]],
[CITE[天界]] = The heavens (1939), 19(216): 171-173,
[TIME[1939-03-25]])
([TIME[2018-03-23 14:44:18 +09:00]])
<https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167796/1/tnk000216_171.pdf>
]FIGCAPTION]
> 太陽と共に起き出で, 太陽と共に休む
島の生活, 此處では時計なんかは不必要らしい. 太陽を時計としてゐる島の人
々は都會人等は及びもつかない程太陽を愛する. 我々と同様天文学同好者達であ
る.
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[7] [CITE[1920年に東京教育博物館で開催された「時」展覧会の出品物の調査]],
[[井上毅]], [[佐々木勝浩]],
Bull. Natl. Mus. Nat. Sci., Ser. E, 38, pp. 23–34,
[TIME[December 22, 2015][2015-12-22]]
([TIME[2016-06-10 16:37:08 +09:00]])
<https://www.kahaku.go.jp/research/publication/sci_engineer/download/38/BNMNS_E38_23-34.pdf>
[[PDF]] 10ページ
]FIGCAPTION]
>
(2)最初の正午計(図10a, 10b)
> [SNIP[]]
目録Cの266–267ページには次のような
詳細な記述がある.「郵便局に時計を備付けたの
は明治七年六月であつて暦の改正後間もない時で
あつた時は如何にしてはかつたかと云ふとそれは
正午計によりて日の真南に影をさした時を以て正
午として時計の針を正午に据えたのであつた.只
今の言葉で申すと其土地々々の地方時であつて而
も日の南中してくる毎日の差などを加減しなかつ
たのであります.それがあるから郵便を逓送する
脚夫が走る所の各局発着時刻を記入する逓送記に
局々の備付け時計によるところに時間の食違いが
起こります.(一部当用漢字に修正.以降の引用も
同じ)」[SNIP[]] 今回発見された正午計は
小笠原郵便局の刻印があり,電信で時報を取得で
きないような地方の郵便局で正午計が使用されて
いた一例といえる.正午計の実物を見る限り,均
時差や経度補正が行える機構や資料は付属してい
なかった.[SNIP[]]
]FIG]
]REFS]
* 米国統治時代
[70]
[[太平洋戦争]]で[[日本]]の[[マリアナ諸島]]や[[小笠原諸島]]、
[[日本列島]]へと進攻した[[米軍]]は、
[[軍用時]]として [TZ[+10:00]] を使っていました。
[SEE[ [[南洋群島の標準時]] ]]
;; [34]
[TIME[1944年7月][1944-07]]、
[[米軍]]の進攻に伴い、
[[小笠原諸島]]の民間人は[[日本本土]]に[[疎開]]し、
[[日本軍]]と関係者だけが残留しました。
[102]
[TIME[1944年7月][1944-07]]の[[米軍]]の文書は、
[[日本本土]]、[[伊豆諸島]]、[[小笠原諸島]]の[[標準時]]は [TZ[+09:00]] で、
[[Marcus Island]] の[[時間帯]]は [TZ[+10:00]]
である [SRC[>>615]] としていました。
実際は[[日本の法令]]で[[南鳥島]]を [TZ[+10:00]] としたことはありませんし、
現地の[[日本軍]]も[[軍用時]] [TZ[+09:00]]
を使っていたはずです ([SEE[ [[大東亜の標準時]] ]]) が、
[[米軍]]は[[小笠原群島]]と[[南鳥島]]の間に
1時間の[[時差]]があるのが自然と考えていたようです。
([[地理的][地理的時間帯]]にはその通りです。)
;; [38]
[TIME[昭和20年2月19日][1945-02-19]]、
[[米軍]]は[[硫黄島]]に進攻し、
[TIME[3月26日][1945-03-26]]までに制圧しました
([[硫黄島の戦い]])。
[TIME[1945年5月][1945-05]]、
[[硫黄島]]の[[ロランA]]局が開局しました。
;; [39]
[TIME[昭和20年9月3日][1945-09-03]]、
[[小笠原諸島]]は[[米軍]]の管理下に入りました
([[米国占領地小笠原、火山諸島及び南鳥島]])。
;; [40]
[TIME[昭和21年1月26日][1946-01-26]]、
[[SCAPIN-677]]
により[[日本政府]]は[[小笠原諸島]]の[[施政権]]を行使できない状態となりました。
[153]
[[小笠原諸島]]の旧[[日本軍]]関係者は、
順次[[日本本土]]に帰還しました。
[[米軍]]は[[父島]]や[[硫黄島]]や[[南鳥島]]に[[基地]]を設置しました。
[[小笠原諸島]]は[[マリアナ諸島]]などと共に[[グアム島]]の[[米国海軍]]の管轄下に置かれました。
この時期の[[米軍]]も引き続き[[グアムの標準時]]と同じ
[TZ[+10:00]] を使っていたと考えるのが自然です。
;; [41]
[TIME[昭和21年10月][1946-10]]、
[[欧米系島民]]が[[米国]]統治下の[[父島]]に帰還しました。
;;
[29] [TIME[1947年][year:1947]]、
[[南鳥島]]の[[米軍]]が撤退し、[[無人島]]となりました。
[129]
[TIME[1948年][year:1948]]から[TIME[1951年][year:1951]]までの4年間、
[[日本本土]]および[[米軍]]が[[東京]]の [[GHQ]] の指揮下にあった[[琉球][米領琉球]]と[[南朝鮮][米国占領地南朝鮮]]では、
[[夏時刻]] [TZ[+10:00]] が実施されました
([SEE[ [[昭和のサンマータイム]]、[[朝鮮半島の標準時]] ]])。
指揮系統が異なり元より [TZ[+10:00]]
を使っていた[[小笠原]]の[[米軍]]がこれに追随した可能性は低いと考えられます。
[30] [TIME[1951年2月][1951-02]]、
[[米国]]の委託により[[日本政府]]の[[中央気象台]]は[[南鳥島]]で[[気象観測]]を開始しました。
;; [130] [[琉球][琉球政府]]では[TIME[1950年][year:1950]]まで[[中央気象台]]が観測業務を行っていましたが、
[[琉球政府]]機関として[[琉球気象台]]が新設されて[[日本本土]]機関は撤退しており、
逆の動きでした。
[94]
現在[[日本政府]]の[[気象庁]]が
[[Webサイト]]で公表している観測データには、
[TIME[1951年][year:1951]]から[TIME[1963年][year:1963]]の[[南鳥島]]の値が含まれています
[SRC[>>78]]。このデータについて特別の注記がないので、
他の観測地点と同じく[[中央標準時]] [TZ[+09:00]]
を用いた値と思われます。
ただ過去の[[日界]]が異なるデータは可能なら再計算した [SRC[>>84]]
とされており、当時[[中央標準時]]を用いていたか、
これだけでは不明です。
-*-*-
[86]
[TIME[昭和27年1月30日][1952-01-30]]、
[[日本]]の[[報道機関]]数社の記者らは取材のため[[米国]]統治下の[[硫黄島]]に渡航しました。
[CITE[毎日新聞]]に[[政治漫画]]を掲載していた[[漫画家]]の[[那須良輔]]は、
[[CAT][Civil Air Transport]] の[[チャーター便]]で他の[[記者]]と共に訪問しました
[SRC[>>608]]。
[TIME[1985年][year:1985]]や没後の[TIME[1995年][year:1995]]に出版された那須の著書によると、
[[着陸]]の直前、
[[毎日新聞社]]の[[記者]]の[[福湯豊]]は、
[[夏時刻]]なので[[時計]]を1時間進めるように指示しました
[SRC[>>614, >>607]]。
[92]
当時の[[硫黄島]]には[[米軍]]関係者のみが滞在しており、
[TZ[+10:00]] が使われていたものと思われます。
福湯の情報源は不明で、事前の[[米軍]]との交渉で入手したのでしょうか。
[[夏時刻]]だとされていますが、
実際そうだったのか、福湯の解釈なのか不明です。
;; [95]
[[日本本土]]は[[昭和のサンマータイム]]の4回目が終わった[[冬]]でした。
この2ヶ月後には、[[日本国]]の[CITE[夏時刻法]]は[[廃止]]されました。
;; [44]
[TIME[1952年4月][1952-04]]、
[CITE[日本国との平和条約]]の[[施行]]により、
[[小笠原諸島]]の政治的状態が追認されました。
[[小笠原諸島]]で[[民間人]]の居住が認められたのは[[父島]]だけで、
居住者も[[欧米系島民]]に限られました。
[[父島]]は[[米領太平洋諸島]]の[[北マリアナ諸島]]と共に、
[[グアム島]]の[[米国海軍]]の実質的な[[軍政]]下に置かれました。
[[公用語]]が[[英語]]となるなど[[米国]]式の制度が実施され、
[[子供]]も島内の[[学校]]を卒業すると[[グアム島]]の[[学校]]に進学していました。
住民や物資の移動は[[グアム島]]との間の[[米軍]]輸送船で行われ、
経済的にも[[グアム島]]に依存していました。
[[日本本土]]との行き来はほとんど認められず、
純日本系の[[旧島民]]の帰還や[[日本]]への返還の要求も[[米国]]は拒絶し続けました。
[[小笠原諸島]]は[[日本本土]]と完全に分離された、
事実上の[[米国]]領土となっていました。
[455]
[[米国]]統治下の[[小笠原諸島]]では、
[[グアム島]]や[[北マリアナ諸島]]と同じ[[標準時]] [TZ[+10:00]] が用いられました
[SRC[>>109, >>516, >>609]]。
時期によっては[[夏時刻]] [TZ[+11:00]]
が用いられました [SRC[>>517, >>516, >>609]]。
;; [303] [[小笠原群島]]は、
[[地理的][地理的時間帯]]には
[TZ[+09:00]] と [TZ[+10:00]] の境界付近にあります。
[[日本本土]]から[[南方][南方諸島]]へ[[伊豆諸島]]、[[小笠原群島]]、[[火山列島]]と連なるのをみれば[[中央標準時]]
[TZ[+09:00]] が自然に感じられますが、
[[グアム島]]を中心に[[北マリアナ諸島]]、[[火山列島]]、[[小笠原群島]]と連なるのをみれば
[TZ[+10:00]] となるのも違和感ありません。
[456] [[米国統治下の小笠原諸島の法令]]は、
[[米軍]]の[[布告]]として制定された[[司法]]・[[刑法]]関係のものと、
[[住民]]の[[自治組織]]の[[五人委員会]]による衛生、課税、就労などに関するものの
2つだけでした [SRC[>>97]]。
ここに[[標準時]]や[[夏時刻]]に関する規定が含まれていたかは不明です。
[569] 1950年代の[[米国]]政府の地図を基に作られたのではないかと推測される[[地図]]
[SRC[>>570]] では、
(文字は潰れて判読しづらいですが) Nanpo-shoto ([[南方諸島]]) と書かれているらしい[[伊豆諸島]]南部・[[小笠原諸島]]の北緯30度以北は
[TZ[+09:00]]、以南は[[マリアナ諸島]]と同じ [TZ[+10:00]] で塗られています。
[[Marcus]] ([[南鳥島]]) も [TZ[+10:00]] で塗られているように見えます。
(Ryukyu-retto ([[琉球列島]]) と書かれた[[奄美諸島]]以南の[[南西諸島]]は、
[[八重山諸島]]が [TZ[+08:00]]、それ以外が [TZ[+09:00]] で塗られています。)
[99]
[TIME[1959年6月27日][1959-06-27]]、
[[グアム]]は[[夏時刻]] [TZ[+11:00]]
に移行しました。
[SEE[ [[南洋群島の標準時]] ]]
[114]
[[小笠原諸島]]でも[[夏時刻]]が実施された可能性がありますが、
確定させられる資料は見つかっていません。
[100]
[TIME[1961年1月29日][1961-01-29]]、
[[グアム]]は[[標準時]] [TZ[+10:00]] に移行しました。
[SEE[ [[南洋群島の標準時]] ]]
;; [27]
[TIME[1963年][year:1963]]、
[[硫黄島ロランC局]]が稼働しました。
[TIME[1963年7月][1963-07]]、
[[南鳥島ロランC局]]が完成しました [SRC[>>26]]。
これに伴い[[米軍]] ([[USCG]]) が[[南鳥島]]に駐留を開始しました。
[[南鳥島]]の[[気象観測]]も[[中央気象台]]から[[米国]]に移管されました。
;; [46]
[TIME[1965年5月][1965-05]]、
[[旧島民]] ([[欧米系島民]]ではない純日本系のかつての島民)
が初めて[[墓参][小笠原墓参]]のため渡航を認められました。
[110]
[TIME[昭和41年5月][1966-05]]、
[[旧島民]]の2回目の[[墓参][小笠原墓参]]が認められました。
[TIME[5月18日][1966-05-18]]に[[日本航空]]チャーター機により[[硫黄島]]に、
[TIME[5月20日][1966-05-20]]-[TIME[6月2日][1966-06-02]]に[[海上保安庁]]の[[宗谷]]により[[父島]]と[[母島]]に、
[[政府]]職員、[[旧島民]]、報道関係者が渡航しました [SRC[>>109]]。
[111]
[[硫黄島]]の報告には[[現地時間]]に関する記述はありません。
日帰りの空路短期滞在だったためでしょうか。
行程表の[[時刻]]もすべて[[中央標準時]]とみられます。
[112]
[[父島]]・[[母島]]の報告には[[宗谷]]の[[船内時計]]が到着時に1時間進めて[[現地時間]]
[TZ[+10:00]] とされ、出発時に1時間戻して[[中央標準時]] [TZ[+09:00]]
とされたことが明記されていました [SRC[>>109]]。
行程表の[[時刻]]もこの間は [TZ[+10:00]] とみられます。
有人の[[父島]]だけでなく、無人の[[母島]]でも [TZ[+10:00]]
を使っていたようです。
;; [113]
[TIME[昭和42年5月][1967-05]]、
[[旧島民]]の3回目の[[墓参][小笠原墓参]]が認められました。
[101]
[TIME[1967年9月1日][1967-09-01]]、
[[グアム]]は[[夏時刻]] [TZ[+11:00]]
に移行しました。
[SEE[ [[南洋群島の標準時]] ]]
[115]
[[小笠原諸島]]も同時に[[夏時刻]]に移行した可能性がありますが、
正確に時期を確定できる資料は見つかっていません。
;; [52]
[TIME[1967年11月16日][1967-11-16]]、
[CITE[南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定]]
により、[[小笠原諸島]]の[[日本]]への返還が決まりました。
;; [123]
[TIME[昭和43年2月][1968-02]]、
[[日本政府]]の調査団が[[小笠原諸島]]を訪問しました。
[SEE[ [[小笠原諸島現地調査]] ]]
[125]
[CITE[Google Books]] によると、[TIME[1968年][year:1968]]の[[雑誌]]
[CITE[自治春秋]]
に[[日本]]から調査のため[[小笠原諸島]]を訪問した記録が収録されていました。
「一月二十日」に[[父島]]で[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] より1時間進んだ [TZ[+10:00]]
が[[現地時刻]]だ [SRC[>>612]] とされていました。
[126]
[CITE[Google Books]] では[[年]]は確認できず、 [[OCR]]
の読み取った[[日付]]が正確かも不明ですが、返還決定後だとすると
[TIME[1968年1月][1968-01]] (>>123 で報告されたもの) と解釈するべきでしょうか。
その場合、当時[[グアム]]は[[夏時刻]] [TZ[+11:00]] 実施中でしたが、
[[小笠原諸島]]では[[標準時]] [TZ[+10:00]] のままだったということになります。
既に返還が決まっている状態で、
[[小笠原諸島]]独自の判断で
[TIME[5月][1968-05]]までに[[日本本土]]と[[時差]]が開く形の[[夏時刻]]が開始されたということになり、
不自然ではあります。
;; [128]
[TIME[3月][1968-03]]頃、
[[東京都]]の先遣隊職員数十人が[[父島]]に移住しました。
[[黒潮丸]]が月1回物資を輸送した他、
[[海上保安庁]]巡視船も寄港しました。 [SRC[>>356]]
[98]
[TIME[昭和43年5月6日][1968-05-06]]-[TIME[15日][1968-05-15]]、
[[日本]]の[[東京都]]の調査団が[[父島]]、[[母島]]、[[硫黄島]]を訪問しました
([SEE[ [[小笠原諸島現地調査]] ]])。
その報告には、各島の「現地時間は時差と夏時間の実施中のため二時間遅らせたもの」
と注記がありました [SRC[>>517]]。
[[夏時刻]] [TZ[+11:00]] が用いられていたようです。
;; [127]
[TIME[昭和43年6月20日][1968-06-20]]および[TIME[22日][1968-06-22]]、
[[小笠原諸島]]の[[日本政府]]や[[東京都]]の出先機関勤務となる職員が[[海上自衛隊]]の艦船で[[日本本土]]を出発したようです。
[TIME[24日][1968-06-24]]頃、
返還式典に参加する[[日本政府]]関係者が[[日本本土]]を出発したようです。
[116]
返還直前の[TIME[1968年6月25日][1968-06-25]]、
[[小笠原諸島]]では[[夏時刻]] [TZ[+11:00]] が使われていました [SRC[>>107, >>516, >>609]]。
[HISTORY[
[412] [TIME[1977年][year:1977]]の[[南洋]]の航空会社の路線図では、 [TZ[+09:00]] と [TZ[+10:00]]
の境界線が[[小笠原群島]]、[[火山列島]]、[[マリアナ諸島]]を囲む[[弧]]のように[[西]]に反れて描かれています
[SRC[>>406]]。これも[[米国政府]]の地図をもとに描かれたものか、あるいは[[米国信託統治領太平洋諸島]]で当時流通していた情報によるものなのでしょうか。
[[沖ノ鳥島]]は描かれず、位置的には [TZ[+09:00]] と思われます。
[[南鳥島]]も描かれていません。
[[沖縄]]も既に[[日本]]に返還された時代ですが、 [TZ[+08:00]] と [TZ[+09:00]]
の境界線は[[経度]]通りの直線になっています。
[460] [[米国政府]]の[[時間帯図]]では、少なくても[TIME[1985年][year:1985]]以後、
[[小笠原諸島]]が [TZ[+10:00]] で着色されていました。
[[沖ノ鳥島]]や[[南鳥島]]は年によって描かれていたりいなかったりするのですが、
[[南鳥島]]が2013年版以後、[[小笠原群島]]・[[火山列島]]・[[沖ノ鳥島]]が
2008年版以降 [TZ[+09:00]] となっており、それ以前はどうやら [TZ[+10:00]]
のつもりで描かれているようです。 [SRC[>>520]]
[TIME[1968年][year:1968]]版の[[地図]]を元にしたという[[日本]]で発行された[[地図]]でも、
同様に描かれています [SRC[>>549]]。
米国統治下での情報が返還後に更新されないまま残っていたのだと思われます。
]HISTORY]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[615] [CITE[Izu and Bonin Islands...: 10 July 1944 - Google ブックス]]
(Office of the Chief of Naval Operations, Navy Department, 1944 [TIME[2018-10-29 17:34:59 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=sOHUUcOSLRMC>
]FIGCAPTION]
> Time. The standard time in the islands, with the exception of Marcus Island, is uniform with that prevailing throughout the four main islands of Japan, which is nine hours in advance of Greenwich. Marcus Island, considerably to the east of the other islands, falls within the minus ten zone (G.M.C.T.).
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[608] [CITE[衆議院会議録情報 第013回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号]]
([TIME[2015-04-04 01:00:05 +09:00]])
<http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0012/01302050012003c.html>
]FIGCAPTION]
> 第013回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号
> 昭和二十七年二月五日(火曜日)
> 午後一時三十九分開議
> [SNIP[]]
> 委員外の出席者
> [SNIP[]]
> 参 考 人
> (毎日新聞社嘱
> 託) 那須 良輔君
> [SNIP[]]
> ○小平委員長 次に硫黄島戰沒者の遺骨調査に関する実情を聴取することといたしますが、その前にお諮りいたします。
> 硫黄島戰沒者の遺骨調査につきましては、現在和智恒藏君外二名が現地において調査にあたつておられますが、これに関し、先月三十日に各新聞社の報道班の方々がその実情を視察されて帰つて来られたのでありまして本日その視察に参加された方々より現地の実情をお聞きするため出席を願つたのであります。本日御出席を願つた方々は
> 朝日新聞社
> 社会部記者 宍倉 恒孝君
> 毎日新聞社
> 社会部記者 福湯 豊君
> 読売新聞社
> 社会部記者 窪美万壽夫君
> 漫画家の那須良輔君及び近藤日出造君であります。
> [SNIP[]]
> ○福湯参考人 私からちよつと御説明いたします。実は和智さんなんかが高野建設の船で硫黄島に二十七日に出発いたしました。毎日ばかりでなく、朝日さんも読さんも、そのほかの新聞社の方々もこの船に同乗させてくれということを高野建設に申し出ておつたのでありますが、高野建設の方で共同しか――共同が内地新聞の代表であるから、共同を乗せれば十分ではないかと言つて、最後までわれわれの同乗を峻拒いたしました。そのために、それならわれわれ大新聞の力を見せてやるぞと力み返つたわけでもないのですが、朝日さん読さん私の方と三社共同でCATの飛行機をチャーターして出発したわけであります。それで和智さんたちのあの船が現地に着くのが三十日でありまして、共同通信が船の無電で原稿を送る、それに間に合うようにわれわれは帰つて来て新聞に発表しないことには苦労して行つたかいがないというので、羽田を午前三時に出発いたしまして、硫黄島に着いたのが午前七時半、それから八時間ばかり滞在いたしまして、午後三時に向うを立てばこちらに七時か八時には着くから、それから新聞に組み込んでも十分に共同通信の無電と対抗できる、そういう計算でやつたわけでありまして、何も指示されたわけではありません。
]FIG]
- [570] 20世紀後半初期 時間帯図 [[時差の表]]
- [108] [CITE@ja[小笠原墓参実施報告書 (東京都小笠原墓参対策本部): 1966|書誌詳細|国立国会図書館サーチ]] ([TIME[2019-01-12 14:23:33 +09:00]]) <http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001092697-00>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[109] [CITE[第2回小笠原墓参実施報告書 [TIME[昭和41年10月][1966-10]]]],
[[東京都]]小笠原墓参対策本部 (東京都総務局行政部地方課内),
[TIME[昭和41年12月1日][1966-12-01]][[発行]]
]FIGCAPTION]
18ページ-23ページ
>
5月22日(日) [SNIP[]]
>
2100 船内時計を現地時刻に整合のため1時間進める。
[SNIP[]]
>
5月23日(月) [SNIP[]]
>
700 父島二見港沖合に到着、 [SNIP[]]
>
5月27日(金) [SNIP[]]
>
600 螢の光に送られて抜錨、父島、二見港出港。
>
[SNIP[]]
>
925 母島沖港着、投錨停泊す。
[SNIP[]]
>
5月30日(月) [SNIP[]]
>
1540 宗谷に帰る。 [SNIP[]]
>
1600 現地時間16時を日本時間15時に時間調整、抜錨、北港を出港帰路につく。
[SNIP[]]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[612] [CITE[自治春秋]]
(第 18 巻 1968 [TIME[2018-10-29 16:17:12 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=J3egAAAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
1 ページ
> 55 、'ンガ'佐次たかし小笠原調査団日記ぐ行政研修ン車例'国家賠 IX 法の適用
について... - ...解答,普通財産^付契約の解除について―く実務講座〉一地方公務員災害
補 0 ^シリーズ( ! ^地方ム、 8 !貝災害補 X 基金のしくみ)新しい統計グラフの描き方
38ページ
> この人逹は、父島に住んでおり、これが、われわれがこれから訪問しよ 5 とする唯一の
現地島民なのである。一月十九日午後一時ごろ、左手に聱&列島が見え始めた。荣島
列^を過ぎるとすぐに、前方に父島列島が見えてくる。
[SNIP[]]
> 二十日現地の時計は、日本内地よりも一時間早い。私達も手持の時計をすベてそれに合わせた。現地時間の九
]FIG]
;;
[124]
[CITE@ja-jp[眞意悦聲 | 河合代悟 |本 | 通販 | Amazon]] ([TIME[2019-01-12 17:20:38 +09:00]]) <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07D5DT6JW/wakaba1-22/>
に「小笠原調査団日記」が収録されているが関係あるか?
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[517] [CITE@ja[閲覧 | 単文表示 | 東京都議会 会議録検索]]
(昭和43年第2回定例会(第6号) 本文 1968-06-04 [TIME[2018-10-29 02:22:07 +09:00]])
<http://www.metro.tokyo.dbsr.jp/index.php/5479622?Template=doc-one-frame&VoiceType=onehit&VoiceID=9906>
]FIGCAPTION]
> 昭和四十三年六月四日
> 小笠原対策特別委員会委員長 久保田 幸平
> 議長 大日向 蔦次殿
> 小笠原対策特別委員会調査団調査結果について
> 小笠原諸島の返還に伴う、同諸島の実情調査について左記のとおり報告する。
> 記
> [SNIP[]]
> 五月八日(水)
> 五時〇〇分 二見港(父島)到着 晴 二三度C
> [SNIP[]]
> 五月十一日(土)
> 二時三三分 二見港(父島)発
> 風波の関係上、北港停泊を中止
> 五時二四分 沖港(母島)着(一、〇〇〇メートル)
> [SNIP[]]
> 一八時〇一分 沖港(母島)発
> 五月十二日(日)
> 一時〇九分 北硫黄島並航 一二・五浬
> 四時四九分 硫黄島沖着 上陸地点選定
> [SNIP[]]
> 一八時〇二分 硫黄島出発、帰途につく。晴 二三度C
> 五月十三日(月)
> [SNIP[]]
> (注)八日~十三日の日程も日本時間による。
> 従って現地時間は時差と夏時間の実施中のため二時間遅らせたものである。
]FIG]
- [549] [TIME[1972年][year:1972]] [CITE[世界大百科事典]] [[時差の表]]
- [405] [CITE[Continental Micronesia]] ([TIME[2009-04-03 01:40:18 +09:00]]) <http://www.airtimes.com/cgat/gu/airmicronesia.htm>
-- [406] [CITE[Route map, April 24, 1977]] ([TIME[2004-03-07 13:42:36 +09:00]]) <http://www.airtimes.com/cgat/gu/airmicronesia/detail/map770424am.jpg>
- [93] [CITE@ja-jp[漫画家生活50年 | 那須 良輔 |本 | 通販 | Amazon]] ([TIME[2019-01-11 19:35:41 +09:00]])
<https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582287042/wakaba1-22/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[614] [CITE[漫画家生活50年 - 那須良輔 - Google ブックス]]
(那須良輔 平凡社, 1985 [TIME[2018-10-29 16:44:15 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=mSAFAAAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
> ここはナ、夏時間だそう,たから、時計の針を一時間進めとけよ。路にすべりこんだ。: ! :
> 記者が、私に、いま何時だい、という。ヒ時だよ。
]FIG]
- [520] 1985年-2015年 [CITE@en[Standard Time Zones of the World (CIA World Factbook)]]
[[時差の表]]
- [80] [CITE@ja-jp[釣りキチ讃歌 (つり人ノベルズ) | 那須 良輔 |本 | 通販 | Amazon]],
([TIME[2019-01-11 19:11:27 +09:00]]) <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4885362288/wakaba1-22/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[607] [CITE[釣りキチ賛歌 - 那須良輔 - Google ブックス]],
[TIME[1995-07]]
([TIME[2018-10-29 04:26:22 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=kirasqm-7_oC&pg=PA212&lpg=PA212>
]FIGCAPTION]
> [B[硫黄島ルポ]]
> 一月三十日の午前三時キッカリ、われわれは羽田を発った。[SNIP[]] 機は島の上空を斜めに旋回して滑走路にすべりこんだ。[YOKO[H]]記者が、私に、いま何時だいという。七時だよ。ここはナ、夏時間だそうだから、時計の針を一時間進めとけよ。
]FIG]
- [97] [CITE[第2章 小笠原復帰の経過に見る「返還と共生」の課題]],
[[釧路公立大学地域経済研究センター]] [[小磯修二]],
[CITE[「ロシア人との共生による望ましい地域社会の形成に向けて」―根釧地域と北方四島との一体的な地域政策のあり方についての共同研究― 研究報告書]],
[TIME[平成13年8月][2001-08]],
[[釧路公立大学地域経済研究センター]]
([TIME[2008-11-28 15:53:10 +09:00]] 版)
<http://www.kushiro-pu.ac.jp/center/research/pdf/russia1.pdf#page=15>
[[PDF]] 19ページ
- [78] [CITE@ja[気象庁|過去の気象データ検索]]
([[気象庁 Japan Meteorological Agency]]著, [TIME[2017-04-04 12:40:51 +09:00]])
<http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/annually_s.php?prec_no=44&prec_ch=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD&block_no=47991&block_ch=%E5%8D%97%E9%B3%A5%E5%B3%B6&year=&month=&day=&elm=annually&view=>
- [84] [CITE@ja[気象庁|過去の気象データ検索]] ([[気象庁 Japan Meteorological Agency]]著, [TIME[2018-02-28 09:59:53 +09:00]]) <http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/man/nikkai.html>
[79] >>78 [[第二次世界大戦後]]の[[日本]]の観測期間の分しかデータがない。
[85] >>84 には[[昭和基地]]以外は[[中央標準時]]とある。
当時の現地の時刻はわからないが、現在ここで示されているデータは[[中央標準時]]ということになる。
]REFS]
* 日本返還の時代
;; [42] [TIME[昭和43年6月26日][1968-06-26]]、
[CITE[南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定]]
が[[発効]]しました。
[[小笠原諸島]]は全域が[[日本国]][[東京都]][[小笠原村]]となりました。
[[父島]]の[[米軍]]は撤退しました。
[[硫黄島]]と[[南鳥島]]の[[米軍基地]]は存続しました。
[[硫黄島]]と[[南鳥島]]には[[日本政府]]の[[海上自衛隊]]の[[基地]]が新設されました。
[[父島]]と[[南鳥島]]では[[日本政府]]の[[気象庁]]による[[気象観測]]が開始されました。
[[日本]]復帰後、
[[父島]]の[[欧米系島民]]に加え、
[[日本本土]]から帰還した[[旧島民]]や、
新たに移住した[[新島民]]が[[父島]]や[[母島]]に居住しています。
[[硫黄島]]と[[南鳥島]]には[[民間人]]はおらず、
政府職員のみが駐在しています。
その他は[[無人島]]となっています。
[3] [TIME[昭和43年6月26日][1968-06-26]]、
返還と同時に[[小笠原諸島]]の[[時刻]]は旧[DFN[小笠原時間]] [TZ[+11:00]]
から[[中央標準時]] [TZ[+09:00, >>516, >>609]]
に変更されました [SRC[>>107]]。
[117] 現在の[[日本の法令]]や[[東京都]]や[[小笠原村]]の[[例規集]]には、
[[標準時]]の変更に関するものは見当たりません。
[[日本の法令]]の適用される地域となることで自動的に[[中央標準時]] [TZ[+09:00]]
の実施地域に含まれますから、
特別に法的手続きはとられなかったのかもしれません。
あるいは[[告示]]レベルのものはあったかもしれませんが、不明です。
[118] 返還協定が[[発効]]した (したがって[[中央標準時]]が[[施行]]された) のは、
[TIME[6月26日][1968-06-26]]とされており、[[時刻]]は明記されませんでした
[SRC[>>495, >>509, >>500]]。
[[日本の法令]]ではそのような場合[TIME[0時][00:00]]と解すべきですが、
[[日本]]、[[米国]]本国、現地で法体系も[[標準時]]も異なっていましたから、
それが正しい解釈かは不明です。
現在の[[日本]]ではやはり ([[中央標準時]]) [TIME[0時][1968-06-26T00:00]]だったと理解されているようです
[SRC[>>611, >>516, >>609]]。
[TIME[12時][12:00]]とされる場合もありますが [SRC[>>429]]、
返還式典の[[時刻]]と混同していると思われます。
[106] [TIME[返還の日][1968-06-26]]、
[[東京]] (本土) および現地で記念式典が行われました [SRC[>>104]]。
- [TIME[12時][1968-06-26T12:00+09:00]]-[TIME[13時10分][1968-06-26T13:10+09:00]] [[父島]]旧米海軍司令部前広場: [[父島]]返還式
- [TIME[12時][1968-06-26T12:00+09:00]] [[硫黄島]]米空軍司令部前広場: [[硫黄島]]返還式、
祝賀パーティー、米海軍サヨナラパーティー、村行政センター開所式
- [TIME[13時][1968-06-26T13:00+09:00]] [[日比谷公会堂]]: 小笠原返還を祝う国民のつどい
([[小笠原協会]]主催、[[皇太子]]ご夫妻ご臨席)、祝賀パレード ([[東京駅]]まで)
- [TIME[14時][1968-06-26T14:00+09:00]] [SRC[>>404]] [[南鳥島]]: [[南鳥島]]返還式
[119]
当時の新聞によると、[TIME[12時][1968-06-26T12:00+09:00]]の返還式典に「先立ち」、
「[TIME[きのう][1868-06-25]]まで」と異なる[[標準時]]に移行しました [SRC[>>104, >>107]]。
現地住民 ([[欧米系島民]]および準備のため在島していた[[日本政府]]や[[東京都]]の職員)
には、[[通貨]]の変更や[[左側通行]]への切り替えなどと共に事前に周知されていたと予想されます。
こうした変更や式典の準備は[TIME[12時][1968-06-26T12:00+09:00]]より前から行われていたようで、
[[午前]]には既に現地は日本国内と認識されていたと思われます。
[132]
[[サイレン]]など返還の瞬間の合図があったとの記録はありません。
;; [135]
[[琉球][米領琉球]]返還時は
[TIME[0時][1972-05-15T00:00+09:00]]に各地で[[サイレン]]と[[汽笛]]があったようです
([[琉球][米領琉球]]の場合は[[標準時]]変更はありませんでした)。
現在の[[父島]]には[[防災無線]]の設備があって[[サイレン]]が流せるようですし、
[[戦時中][大東亜戦争]]は[[空襲警報]]があったようですが、
当時どうだったか不明です。
[134]
[[中央標準時]]の[TIME[0時][1968-06-26T00:00+09:00]]が切り替えの瞬間だとすると、
[TIME[旧26日2時][1968-06-26T02:00+11:00]]に
2時間戻して[TIME[新26日0時][1968-06-26T00:00+09:00]]を迎えたことになります。
[133] 実際の各家庭の[[時計]]の変更は、
前日就寝前あるいは当日起床後に行ったのでしょうか。
[122]
出典不明の [[Webページ]]記事 ([[著者]]の体験談?) によると、
[[父島]]の[TIME[12時][12:00]]からの返還式について、
日米で[[時差]]に関する認識の差異があったようです [SRC[>>356]]。
ただし当時の[[新聞]]をはじめ他の資料にはそうした記載がなく、
行き違いがあったにせよ式典の進行に影響するほどの問題は起きなかったと思われます。
;; [1027] [TIME[1969年][year:1969]]、
[[日本]]の[[本土]] ([[銚子無線電報局]]) と[[父島]]との間の[[無線]] ([[短波]])
の[[電話回線]]が開通しました。
[HISTORY[
[121]
小笠原復帰で1時間戻されたとする書籍もあります [SRC[>>613, >>616]]。
返還当時[[夏時刻]] [TZ[+11:00]] が実施されていたのは現地からの新聞報道などで明白であり、
誤りです。
]HISTORY]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[495] [CITE@ja[南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定 - Wikisource]]
([TIME[2018-10-15 00:12:35 +09:00]])
<https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%8F%8A%E3%81%B3%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E5%8D%94%E5%AE%9A>
]FIGCAPTION]
> この協定は,日本国がその国内法上の手続に従ってこの協定を承認した旨の通知をアメリカ合衆国政府が日本国政府から受領した日の後30日目の日に効力を生ずる。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[509] [CITE@ja[小笠原諸島]]
([[Masahiro Higashide]]著, [TIME[2018-07-26 10:56:08 +09:00]])
<https://uub.jp/hmt/hmt18.html>
]FIGCAPTION]
> 外務省告示 第百三十号
> 昭和四十三年四月五日に東京で署名された南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定が日本国によりその国内法上の手続に従つて承認された旨の通知は、昭和四十三年五月二十七日に東京で行なわれた。よつて同協定は、その第六条の規定に従い、昭和四十三年六月二十六日に効力を生ずる。
> 昭和四十三年六月十二日 外務大臣 三木 武夫
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[500] [CITE[4.日本の締結した重要国際取決め]]
([TIME[2013-02-20 10:38:17 +09:00]])
<https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1969/s43-13-shiryou-004.htm>
]FIGCAPTION]
>
(1) 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(米国との小笠原返還協定)
> (昭和43年4月5日に東京で著名,同年6月26日に効力発生)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[104] [CITE[新生・小笠原スタート 現地と東京で盛大な式典 日の丸、高々と 父島の返還]],
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和43年(1968年)6月26日][1968-06-26]] 夕刊1面
]FIGCAPTION]
>
[SNIP[]]
同日正午からは父島、硫黄島、南鳥島の三か所で、
日米関係者により返還式が行なわれた。
これに先立ち同諸島では時差を解消して日本時間に統一され、
[SNIP[]]
>
[SNIP[]]
父島の返還式は [SNIP[]] 正午ちょうどに守谷総理府小笠原準備室長が開会宣言。
[SNIP[]] 午後一時十分式は終わった。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[107] [CITE[〝日本晴れ〟けさの「小笠原村」 式場あふれる参列者 旧島民暑さ忘れて 父島]],
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和43年(1968年)6月26日][1968-06-26]] 夕刊 11面
]FIGCAPTION]
>
ボニンアイランズから東京都小笠原村へ――。
小笠原は一夜で生まれ変わった。 [SNIP[]]
そして、小笠原時間は日本時間に……。 [SNIP[]]
>
さらに、時間もきのうまでの小笠原時間 (本土より二時間早くなる)
が、日本時間に統一されることになり、いささか勝手が違ったという表情。
時間はもちろん、通貨はドルから円、さらにヤード・ポンド法からメートル法へと、
なにからなにまで新しくなるわけだ。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[616] [CITE[Japan Quarterly - Google ブックス]]
(Asahi Shinbun, 1968 [TIME[2018-10-29 17:38:40 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=WA4VAAAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
> clocks have been put back one hour to conform with Japan Standard Time
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[613] [CITE[朝日年監 - Google ブックス]]
(朝日新聞社, 1969 [TIME[2018-10-29 16:26:43 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=g3W6AAAAIAAJ>
]FIGCAPTION]
> 小笠原諸島と本土との間には1時間の時差(本土の
正午は、小笠原では午後 1時)があったが、
本土復帰と同時に時差がなくなり、本土時間
に統一された。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[404] [CITE[佐藤政権: 平和と繁栄の中の長期保守政権の記錄 - 岡本文夫 - Google ブックス]]
([[白馬出版]], [TIME[1974][year:1974]],
[TIME[2018-10-29 00:06:18 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=LYQNAQAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
> 現地の式典は正午から父島、硫黄島で、午後二時から南鳥参院選挙中の六月二十六
日、小笠原返還式が華々し^行なわれた。この日の午前零時、二十三正案を次の国会に
提出する姿勢をみせた。力してきたが、こうした事態となったことは大変、残念」と語り、 ...
]FIG]