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231
* 萬喜 (日本マタギ)
[17]
[DFN[萬喜]] ([[新字体]]: [DFN[万喜]])
は、
[[マタギ]]の文書に出現することのある[[元号]]です。
[18]
[[東日本]]の[[マタギ]]の家には
[CITE[山立根本巻]]
などと呼ばれる[[秘伝書]]が伝わることが多いそうです。
それらは大筋で一致しながらその細部は異なる、つまり異同のある[[写本]]がいくつもあります。
[19]
そして[[写本]]によっては[[奥書]]に独特の[[元号]]が書かれています。
[27]
[TIME[平成6(1994)年][1994]]時点で[[日本国]][[秋田県]]の歴史研究者[[髙橋正]]は、
この分野は資料の収集・分析に至るまで論じ尽くされた感すらある
[WEAK[(が実際にはまだ研究の余地がある)]]
と指摘していました。その当時
[CITE[山立根本巻]]
の[[奥書]]は
「建久四年五月」
ないし
「建久四年五月中旬」
とあるのがさも当然のように論が進められていました。
[SRC[>>26 #page=1]]
おそらくそれが最も一般的な[[写本]]の系統なのでしょう。
ところが[[髙橋正]]も紹介するように、
奇妙な[[元号]]を書いた[[写本]]も存在するのです。
[NOTE[
[14]
また、
[CITE[山立根本巻]]
と関係する文書が無年号だったり建久4年だったり元慶4年だったりするとのことです
[SRC[>>13]]。
[15]
この種の文献の[[奥書]]はあまり信用できないのかもしれません。
はじめから作為ある[[日付]]が書かれていたのかもしれませんし、
伝写の過程で変化しておかしな[[日付]]になったのかもしれません。
[REFS[
- [13] [CITE@ja-JP[宮守村誌]], [[宮守村教育委員会]], [TIME[1977.9][1977]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T14:18:02.844Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569860/1/210> (要登録)
]REFS]
]NOTE]
;; [16] [[奥書]]の[[紀年]]以外にも、怪しげな内容があります。
例えば: [[弘名天皇]]
[10]
[[昭和時代]]の民俗研究者[[藤井萬喜太]] (なんとも運命的な名前!)
が調査した[[日本国]][[秋田県]][[秋田郡]][[荒瀬村]]の[[佐藤忠俊]]家伝来折本
[CITE[山立根本巻]]
の[[奥書]]に
「萬喜元年」
とあります。
[SRC[>>9, >>12]]
[11]
[[佐藤雲外]]はこれを引いて、
[[萬喜]]は[[私年号]]でおそらく元中2年だろうとしています。
[SRC[>>9, >>12]]
[[藤井萬喜太]]の解説のままと書いているので、
これは[[藤井萬喜太]]の見解かもしれませんが、
判断の理由は書かれていません。
[20]
[[昭和時代]]後期の[CITE[大迫町史]]によると、
[[日本国]][[秋田]][[矢島郷]][[百宅村]][[齊藤七蔵]]家伝来
[CITE[山立根本巻]]
の[[奥書]]に
「[V[萬喜元 [SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]] 天四月十七日]]」
とあります。
[SRC[>>1]]
[21]
[CITE[大迫町史]]
は、この[[万喜]]は、
「[V[私年号とみられ、この種巻物によく出てくる年号]]」
だと述べています。
[SRC[>>1]]
筆者は他にもこれを見たことがあるのかもしれませんが、
残念ながら詳しくは説明してくれていません。
なお、[[奥書]]の[[人名]]は不明ながら[[近世]]の人物とされます [SRC[>>1]]。
[22]
[[日本国]][[岩手県]][[稗貫郡]][[大迫町]] [WEAK[([[平成の大合併]]で[[花巻市]])]]
中山山本文書
[CITE[山立根本巻]]
の[[奥書]]に
「[V[萬喜元 [SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]] 天 四月十七日]]」
とあります。
[SRC[>>2]]
[23]
[CITE[大迫町史]]
は、この[[萬喜]]は、
「[V[私年号と考えられている]]」
と述べています。
[SRC[>>2]]
誰が考えているのか明記されていませんが、当時の[[大迫町]]で漠然とそう理解されていたということでしょうか。
[25]
[[令和時代]]に[[日本国]][[宮城県]][[仙台市]]の業者が[[オークション]]サイトに出品した
[CITE[山立根本巻]]
に
「[V[__&&swc597(萬)&&____&&swc598(喜)&&__元[SUP(smaller)[__&&swc81(乙)&&__]]丑󠄃天四月十七日]]」 ([[楷書]])
とあります。
[SRC[>>24]]
[[人名]]はなく発給、受給者は不明です。原所在地は不明ですが、
[[宮城県]]か[[東北地方]]の可能性が高そうです。
[28]
[[伊東仙一]]所蔵
[CITE[山立根本巻]]
([[阿仁町立マタギ資料館]]展示)
[[奥書]]に
「[V[高喜󠄁[SUP(quarter)[甲]][SUB(quarter)[寅]]__&&swc600(歳)&&__]]」 ([[楷書]])
とあります。
[SRC[>>26 #page=6 (翻刻), #page=8 (白黒写真)]]
[29]
[[髙橋正]]はこの[DFN[高喜]]を
「[V[年号なのか否か解釈できない]]」
と判断を保留しています。
[SRC[>>26 #page=6]]
[30]
[[書き方][東洋の日時表示]]と異本の記述を鑑みて、これは[[元号名]]とみなして問題ないと思われます。
「高」はこの[[写本]]では「高」ですが、「髙」と書けば「萬」と[[字形]]がかなり似てきます。
[CITE[山立根本巻]]
諸本には誤字が多いとされ、異本と比べて微妙に文字が変わっている例もありますから、
この程度なら伝写過程で十分に取り違えられ得る差です。
ただしどちらの文字が原形だったのかはわかりません。
どちらとも違う別の文字が大元という可能性すらあります。
また、[[元号名]]に続く部分が異本とまったく異なることにも注意は必要です。
[31]
[[髙橋正]]は他本の[[奥書]]の「建久四年」に近い建久5年がちょうと甲寅年であることと、
他の関係事項も含めて考察しています。
[SRC[>>26 #page=6]]
ただし「建久四年」系統の写本と「甲寅歳」系統の写本の関係性が不明なままでの検討は不安が残ります。
より多くの資料を集めて考察の深化が望まれます。
[REFS[
- [9] [CITE@ja-JP[[[上毛及上毛人]] (232)]], [[上毛郷土史研究会]], [TIME[1936-08]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:46:40.399Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3567422/1/13> (要登録)
- [12] [CITE@ja-JP[私時雑記]], [[佐藤錠太郎]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:56:31.903Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1219874/1/31> (要登録)
-
[1] [CITE@ja-JP[[[大迫町史]] 教育・文化編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T12:54:27.679Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570885/1/161> (要登録)
-
[2] [CITE@ja-JP[[[大迫町史]] 産業編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T14:13:45.933Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571445/1/121> (要登録)
-
[26]
[CITE@ja-JP[「山立根本巻」の世界 : その奥書について]], [[髙橋正]], [TIME[1994-03]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-25T13:30:58.575Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11455031/1/1>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[24]
[CITE@ja[Yahoo!オークション - [[山立根本巻]] マタギ開祖 万次万三郎 秘伝書 狩猟...]],
[B[開始日時]] 2023.05.10(水)16:08,
[TIME[2023-12-25T12:50:26.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j1091372821>
]FIGCAPTION]
(写真あり)
>最終箇所に萬喜元?とあります。
>[B[発送詳細 ]]
>宮城県仙台市より
]FIG]
]REFS]
* 萬喜 (日本熊野)
[5]
[CITE[紀伊続風土記]]
所収
[CITE[熊野別當代々次第]]
および
[CITE[新宮市史]]
所収
[CITE[熊野山別当次第記]]
に
「三條院御時萬喜元年十一月十三日」
とあります。
[SRC[>>4, >>7]]
[6]
前後の文脈から、[[三条天皇]]の次の[[後一条天皇]]の[[萬壽]] ([[万寿]])
を意味することは明らかです。
直前に「萬壽元年六月廿日」ともあります [SRC[>>4 /83]]。
[8]
[CITE[新宮市史]]
は「[V[三条院御時]]」に「[V[(後一乗院カ)]]」、
「[V[万喜元年]]」に「[V[(寿カ)]]」
と注釈を加えています。
[SRC[>>7]]
[REFS[
- [4] [CITE@ja-JP[[[紀伊続風土記]] 第3輯 牟婁,物産,古文書,神社考定]], [[仁井田好古 等編]], [TIME[明43-44][1911]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:04:04.392Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/765519/1/84>
- [7] [CITE@ja-JP[[[新宮市史]] 史料編 上巻]], [[新宮市]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:12:16.732Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9575213/1/95> (要登録)
]REFS]
* メモ
[3]
[[萬壽]]が[[萬喜]]と[[OCR誤読]]されていることはままあるようです。