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[1]
[RUBYB[[DFN[坂本林平]]][?-[TIME[1830]]]]は、
[[日本]]の[[江戸時代]]に、
[[日本]][[近江国]][[蒲生郡]][[中之郷村]]
[WEAK[(現在の[[日野町]])]]
に居住していた知識人でした。
[18]
[CITE[東桜谷志]]は生没年不詳としていました。
[SRC[>>1080 p.311]]
* [CITE[楓亭雑話]]
[14]
[DFN[[CITE[楓亭雑話]]]]は、[[坂本林平]]の残した書物です。
[6]
本書は[[蒲生郡]]の地域史の書物でよく引用されています。
特に[CITE[東桜谷志]]は歴史編でかなり多くの箇所で本書を引用、参照していました
[SRC[>>1080]]。
[15]
全文が刊行されて広く配布されたことはないと思われます。
-*-*-
[3]
[DFN[[CITE[平安記録 楓亭雑話]]]]や[DFN[[CITE[平安記録楓亭雑話]]]] [SRC[>>2]]
とされることもあります。
[5]
[TIME[昭和59(1984)年][1984]]編纂の[CITE[[[東桜谷志]]]]には、
[CSECTION[[V[<編集に当って使用した資料>]]]] に、
>
[VRL[
,* [B[資料名]],* [B[年月日]],* [B[付記]]
,[SNIP[]],==,==
,平安記録,文政年間(江戸中期),中之郷 坂本林平
,楓亭雑話,仝,仝
,[SNIP[]],==,==
]VRL]
... とありました。
[SRC[>>1080 p.13]]
[7]
2つの文献があるように見えますが、本文にある数箇所の引用のほとんどは
[CITE[楓亭雑話]]でした。
[10]
ただし1箇所
[CITE[[V[平安記録 楓亭雑話]]]]
が引かれていました。
そこでは、
[CITE[平安記録]]とは[[森下太郎次]]所蔵の冊子と説明されていました。
[SRC[>>1080 p.39]]
;; [11]
[CITE[楓亭雑話]] (など?) を冊子化したものが[CITE[平安記録]]なのでしょうか?
[12] [[森下太郎次]]は、
本書編集委員の1人で、
[[蒲生郡]][[日野町]][[大字]][[中之郷]]在住でした。
[SRC[>>1080 [CSECTION[あとがき]]]]
[13]
本書には[CITE[楓亭雑話]]の序文の一部の白黒写真が掲載されました。
[SRC[>>1080 p.40]]
これが[CITE[平安記録]]なのか、その他にも[CITE[楓亭雑話]]を参照したのかは不明です。
[REFS[
- [1080] [CITE[[[東桜谷志]]]]
- [2] [CITE@ja[[[鬼室神社]]2|墓碑の真贋を、諸史料をもとに検証 - ハムスターの日本史研究所]], [[hyperhamster]],
2015/01/14 18:47 ,
[TIME[2020-06-16 14:54:46 +09:00]] <http://hyperhamster.blog.fc2.com/blog-entry-77.html>
]REFS]
-*-*-
[770]
[[昭和時代]]初期時点で[[日本国]][[滋賀県]][[蒲生郡]][[東桜谷村]]大字中之郷の[[渡辺紋四郎]]が所蔵していた
[DFN[[CITE[鬼室集斯墳墓の事]]]]
が
[CITE[近江日野町志]]
に収録されましたが、これは
[CITE[楓亭雜話]]
の抜粋の形のものでした。
[SRC[>>629]]
[REFS[
- [40] [CITE@ja[[[近江日野町志]]. 巻下 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[日野町教育会 '''['''編''']''']], [TIME[昭和5][year:1930]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208306/419>
-- [629] <https://dl.ndl.go.jp/view/pdf/digidepo_1208306.pdf?pdfOutputRanges=417-424&pdfOutputRangeType=R&pdfPageSize=>
]REFS]
-*-*-
[9]
[[椿井文書]]研究で知られる[[馬部隆弘]]は、
「[V[「[RUBY[楓][ふう]][RUBY[亭][てい]][RUBY[雑][ざつ]][RUBY[話][わ]]」([RUBY[長][なが]][RUBY[寸][き]]神社蔵)]]」
の一節を引用していました。
[SRC[>>8 p.97]]
[REFS[
- [8] [CITE[[[椿井文書⸺日本最大級の偽文書]]]]
]REFS]
-*-*-
[17]
本書は[CITE[蒲生旧蹟考]]の後に書いたものらしく、
それを基に書き足していました。
[SRC[>>1080 p.311]]
[19]
[CITE[東桜谷志]]はその旨と共に著者の[[西生懐忠]]らと交友があったらしいとしていました
[SRC[>>1080 p.311]]。
それ以外の根拠は示されておらず、実態は不明です。
[[坂本林平]]は[[鬼室集斯墓碑]]を[[西生懐忠]]らの捏造だと書いて批判していました。
[SEE[ [[鬼室集斯墓碑]] ]]
* 伊能忠敬との関係
[16]
[[伊能忠敬]]と交流があったことが知られています。
[TIME[文化7(1810)年][1810]]11月頃[[伊能忠敬]]らが[[日本]][[近江国]][[蒲生郡]][[桜谷]]地域に来訪したときの記録が残されています。
それは20年ぶりの再会でした。
[SRC[>>1080 pp.310-311]]
* 椿井政隆との関係
[20] [[椿井文書]]の偽造者の[[椿井政隆]]は、
[[蒲生郡]]にもよく出現していました。
[[坂本林平]]ともたびたび出会ってやり取りをしていました。
[21]
[[坂本林平]]は[[椿井文書]]が偽作ではないかと[CITE[楓亭雑話]]に書き残したりもしましたが、
信じてしまったこともありました。
[[椿井政隆]]に不信感を持ちながらも、
まさかその持ち込む[[文書]]のすべてが[[偽書]]だとは思いもしなかったのでしょう。
[SEE[ [[鬼室集斯墓碑]], [[大安寺資財録抜書]] ]]
* 関連
[4]
関連記事:
[[東桜谷志]],
[[鬼室集斯墓碑]],
[[大安寺資財録抜書]],
[[近江国蒲生郡奥津保中之郷四ツ谷城跡之図]],
[[大内時頼]],
[[椿井文書]]
* メモ