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993
994
995
996
997
998
999
1000
[8] [DFN[戦後]]は、
[[大東亜戦争の終戦]]の翌年である[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]頃を[[元年]]とする[[紀年法]]です。
いくつかの流儀があります。
* 一般的な用法
[9] [[日本]]では[[第二次世界大戦]]やその[[戦後復興]]に関する事項を扱う際に
「今年は戦後[VAR[○]]年」のように表記されることがよくあります。
[11]
確かに[[年]]を表す手法ということで広義の[[紀年法]]なのでしょうが、
[[日付表記]]や[[年の表示]]に実用されないのであれば、
「スーパー開店3周年」のようなものと同様で、
[[元号]]や[[西暦]]と同種の狭義の[[紀年法]]として扱うべきものではないでしょう。
[SEE[ [[紀年法]] ]]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[28] [CITE@ja[物語内に「コロナ禍」を入れるかで悩む漫画家たち〜黒丸先生らが語る - [[Togetter]]]]
([TIME[2020-04-17 12:41:35 +09:00]])
<https://togetter.com/li/1495089#c7620691>
]FIGCAPTION]
>
ウラリー㌠ @urary777
2020年4月17日
> »grayengineer あれは一応、戦後27年(1972年10月のジャンプに掲載)なので「リアルタイム」ではないかとw
]FIG]
;; [13] かなり[[元号]]に近づいている用法に見えるが、
まだ単独で[[年]]や[[日付]]の表記ができるレベルには達していない。
]REFS]
* 尾崎行雄提案説
[29]
[[尾崎行雄]]が提案したとする説がありますが、
真偽不明です。
[SEE[ [[新日本]] ]]
* 戦後カレンダー
[78]
[DFN[戦後暦]]は、
[[昭和時代]]に
[CITE[元号法]]案が検討されていた頃、
[[極左活動家]]の[[明良佐藤]]が考案し、
手紙などで使い始めたものでした
[SRC[>>14, >>16]]。
[59]
[[明良佐藤]]は、
[TIME[昭和59(1984)年][year:1984]]の
「戦後40年」版以来毎年[DFN[戦後カレンダー]]を発行しています
[SRC[>>39, >>14]]。
** 元号名
[82]
[[日本語]]の[[戦後]]の他、
[[英語]]では
[DFN[After The War]]
と[[直訳]]するようです。
[81]
[[戦後カレンダー]]には、
[[年号]]が[[日本語]]で
「戦後70年」、
[[英語]]で
「After The War 70」
のように記載されています
[SRC[>>14, >>122]]。
;; [83] [[元号]]で正式な英語名があるのは珍しい例です。
** 暦法
[79]
[[月日]]は[[グレゴリオ暦]]と同じのようです。
[80]
8月15日を[[年始]]とします [SRC[>>14]]。
[TIME[1945-08-15]]の[[昭和天皇]]の[[玉音放送]]に因んでいるようです。
このため1つの[[グレゴリオ年]]は2つの[[年]]に分かれます。
8月は前半と後半で別の[[年]]となります。
[125]
8月15日は、
新[[年始]]と前[[年末]]になります [SRC[>>16]]。
年末を8月14日とする説明もありますが
[SRC[>>124]]、
考案者本人は8月15日から8月15日までが1年としています。
[[戦後カレンダー]]には
「2014.8.15 ▶ 2015.8.15」
と範囲が[[西暦]]で記述されており、
両端が8月15日となっています。
[SRC[>>14]]
両端は厳密には[[正午]]とするようです
[SRC[>>164]]。
[99]
[TIME[昭和20(1945)年][year:1945]]の後半が、元年となります。
[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]が、元年と2年となります。
[[グレゴリオ年]]の前半は 1945 を引き、
後半は 1944 を引くと、
[[戦後暦]]年が得られます。
[103]
[TIME[1945-08-15]]までは、
[[明治]]、[[大正]]、[[昭和]]と続いた
「[[元号]]」
で表されます。
[SRC[>>16]]
[104]
[TIME[1945-08-15]]以後は、
「戦後元年、二年、三年」
と[DFN[戦後紀元]]で数えます。
[SRC[>>16]]
[DFN[戦後歴]]ともいいます [SRC[>>122]]。
[105]
この[[戦後紀元]]の意味は、
「一九四五年八月十五日に至る大戦争で失われた命こそ紀元となる価値」
であるとされます。
[SRC[>>16]]
;; [118]
一般に[TIME[1945-08-20]]が[[大東亜戦争の終戦]]とされますが、
それによって直ちに戦闘が終了したということはありません。
それ以前と以後を区別する意味はあるのでしょうか。
戦後何年と数えるだけならともかく、
この日をピンポイントで選んで
「失われた命」
を数えると、
それ以前に失われた命とそれ以後に失われた命に、
何らかの差別を与えることになってしまいます。
[123]
「戦争による死者に思いを馳せることが戦前へ二度と後戻りさせないことの歯止めですが、戦後何年と数えつづけることが、戦争を起こさせない象徴ともなっているのです。なぜなら、戦争を日本が起こしてしまえば、それこそ「戦後何年」と数えられなくなるのですから。」
とも説明されています。
[SRC[>>122]]
[[日本]]の[[紀年法]]として考案されたもの (>>100)
であるためか、
[[日本]]以外の[[戦争]]は数に入っていないようです。
(しかし[[戦後カレンダー]]の戦死者数にはなぜかカウントされているそうです。)
[117]
ここでは[[戦後]]は[[元号]]とは区別されています。
その意図するところは不明です。
[[日本の元号]]とは違うという主張でしょうか。
当初は[[戦後]]を[[年号]]と呼んでいたようです (>>54)
が、方針が変わったのでしょうか。
それとも[[元号]]と[[年号]]を区別しているのでしょうか。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[164]
[CITE@ja[『[[現代農業]] 2020年8月号』農文協編 - 田舎の本屋さん]], [TIME[2020-08-23T00:00:31.000Z]] <http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54020004/>
]FIGCAPTION]
>8月15日正午に始まる「戦後カレンダー」 明良佐藤
]FIG]
- [232] [CITE@ja-jp[[[現代農業]] 2020年 08 月号 '''['''雑誌''']''' | |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2020-08-23T00:02:21.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B08BR89R8B/wakaba1-22/>
]REFS]
** 発祥
[15]
[[明良佐藤]]は、
[[昭和時代]]に
[CITE[元号法]]案が検討されていた頃、
[[元号]]は[[天皇]]と結びついたもので基準として不適切で、
[[西暦]]は[[キリスト教]]と結びついたもので基準として不適切
(だが便利には使える)
と考え、
「八月になると、日本人は毎年『戦後何年』という年の数え方をしている」
ことを発見しました。
[SRC[>>16]]
[100]
[[明良佐藤]]は、
「戦後」
は[[右翼]]も[[左翼]]も文句がない妙案で、
[[国会議員]]が[[元号]]と[[西暦]]にかわる第3案として提案しないかと期待しました。
[SRC[>>16]]
(当然そんなことは起こり得なく、なぜそう考えるに至ったのか不明です。)
後に
「日本の国の戦前からいまに至る歴史を知ると、[SNIP[]] 戦後の日本を生きる者としては、戦後歴は納得」 [SRC[>>122]]
とも書いており、
[[日本人]]に当然受け入れられるべきものと認識しているようです。
[102]
[[明良佐藤]]は、
自身の信念に反して
[CITE[元号法]]
が成立したことから、
[[日記]]や[[手紙]]に
「戦後何年何月何日」
と書くようになりました。
あるとき[[西暦年]]が書かれた[[カレンダー]]を受け取り不満に思い、
自ら[[カレンダー]]の制作にかかりました。
[SRC[>>16]]
[54]
[[明良佐藤]]を[[代表]]とする[DFN[年号戦後カレンダーをつくる会]]は、
[CITE[年号を〝戦後〟とすることにあなたはどう応えますか! ―1945年(昭和20年)8月15日に至る戦争による死者をふまえて―]],
[CITE[[WEAK[年号]]戦後カレンダー・40年版・予約協力のお願い! [WEAK[戦後の原点にこめられたメッセージをくらしの部屋の中に]]]]
などの[[文書]]を配布し支持を募りました。
[SRC[>>40]]
[55]
前者には
「戦後[ASIS[□][43?]]年([ASIS[□][西暦年?]]年)[ASIS[□][[[アラビア数字]]?]]月[ASIS[□][末?]]日」
の紀年がありました。
本文中には西暦年に括弧付きで[[昭和]]年がありましたが、いずれも昭和20年かそれ以前でした。
[SRC[>>40]]
[56]
後者は戦後40年を略して「40年」と書いたものとみられます。
申し込みフォームには
「 年 月 日」
とありました
[SRC[>>40]]
が、
何年と書き入れることが想定されたのか不明です。
[57]
[[明良佐藤]]による[[手書き]]の送付状には、
「戦後五十九年(一九八四年)一月三十一日」 ([[縦書き]])
とありました。
[SRC[>>40]]
[58]
[[元号]]が独自であることを除けば、
[[書字方向]]と[[数字]]の関係や[[西暦]]の併記法、
[[元号名の省略表記][2桁年号]]といった[[日時表示]]の特徴は、
[[昭和時代]]当時の一般的な作法を踏襲していたようです。
-*-*-
[114]
[[明良佐藤]]の
[[Webサイト]]や[[ブログ]]では、
[[戦後暦]]の[[日付]]表記がたまにみられます。
[[日付]]は[[漢数字]]表記が多いですが、
[[アラビア数字]]表記もみられます。
[115]
しかし[[戦後暦]]が徹底されているわけでもないようです。
[[Webページ]]の大部分はそもそも無紀年のようです。
文中に[[年]]が出てくることも多くないのですが、
[[引用文]]やそれに関係する主張で[[年]]や時期の記述が出てくることはあって、
ほとんどが[[西暦年]]か[[西暦2桁年号]] (の[[漢数字]]表記)
のようです。
[116]
本人は[[日記]]や[[手紙]]には[[戦後暦]]を使うとしていますが、
[[Webサイト]]の状況は日頃から[[文書]]に[[日付]]を表記したり、
[[日時]]の関係を前提に考察したりするような習慣があるようにみえません。
日常生活で[[日付]]を書く機会が多くないからこそ、
独自の[[元号]]が成り立つのでしょうか。
そして社会とのつながりでそれが必要となる場面では、
[[西暦年]]に頼らざるを得ないのかもしれません。
この推測が許されるのなら、
[[戦後暦]]は独立した[[日時]]の体系として未だ成熟していないことになります。
-*-*-
[126]
[[明良佐藤]]が[[世話人]]を務める[[群れ遊びの復活とともに教育を変える住民運動]]なる
[[Webサイト]]は、
「2010年・戦後66年・11月20日」
と[[西暦年]]と[[戦後暦]]を併記していました
[SRC[>>84]]。
本人
[[Webサイト]]にはみられない形式ですが、
[[戦後暦]]では支持を集めにくいと判断したのでしょうか。
(賛同者リストは募集中のまま放置されており [SRC[>>127]]、
活動実態は不明。)
-*-*-
[266]
[[戦後カレンダー]]には、
[[戦前]]・[[戦後]]の出来事が書かれているようです。
本人は講演会で[[西暦年]]で読み上げていました。
カレンダー上の表記は画像不鮮明により不明です。
[SRC[>>51]]
[158]
[[戦後カレンダー]]は、
戦争に関係する事項の他に、
「日本の学校を「テストのない学校」に変えるためのQ&A」 [SRC[>>49]]
のような[[明良佐藤]]の主義主張を伝達する[[媒体]]として活用されているようです。
[REFS[
- [40] [CITE@ja[資料詳細 | [[国際平和ミュージアム]]]], [TIME[2020-08-20 16:59:10 +09:00]] <http://peacedb.ritsumei.ac.jp/archives/detail?cls=kitakukizo&pkey=00,22798>
-- [41] [CITE[0022798-01.jpg (JPEG 画像, 1200x800 px)]], [TIME[2020-08-20 16:59:32 +09:00]] <http://peacedb.ritsumei.ac.jp/archives/rest/media/L?cls=m_kitakukizo&pkey=0022798-01&c2016>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[53] [CITE[読売ニユース総覧 - Google ブックス]], [TIME[2020-08-20 17:32:04 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=MaZXAAAAMAAJ&q=%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>
161 ページ
>2朝23 - 10 ) 20年8月15日を紀元とする戦後カレンダー戦後 40年版が「年号戦後
カレンダーをつくる会」の手で作成(おあしす] ( 8 ・ 14朝23 - 10 )
]FIG]
;; [85] 当時の
[CITE[読売新聞]]
は[[元号年]]表記。
「20年」は昭和20年を表し、
「40年版」は戦後40年を表す。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[52] [CITE[澁澤龍彦全集 1 - [[澁澤龍彦]] - Google ブックス]],
[TIME[1995][year:1995]],
[TIME[2020-08-20 17:30:34 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=BOUqAQAAMAAJ&dq=%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>407 ページ
>年号について(末年号戦後カレンダーをつくる会・アンケート報告)。あなたはいま
どの年号を使っていますか。その理由は。あなたの家族、親類、知人で一九四五
年(昭和二〇年)八月十五日に至る戦争にかかわって死んだ人はいますか。また、いましたらその死者にむかっていまなにかしていますか。 3 同封
の文書「年号を~戦後、とすることにあなたはどう応えますか」を読んで、
どう思いますか。むかし、「昭和の子どもよ、ぼくたちは」という歌がありま
した。私は昭和という年号が好きなので、それを使っています。八月十五日は私 ...
>532 ページ
ただし、それだけではどこに加筆されたかがわからなくなるので、年号と年齢
のみはのこして[ ]に入れ、 2 級のゴシック活字で印刷する。また、部分的な訂正
のある場合は、原則として重複部分の前後一、二行のみをのこし、[ ]に入れて 2
級の ...
>551 ページ
>その形式はさまざまで、葉書や所定の用紙を同封して答えさせる簡略なものから
、原稿用紙に何枚も書かせるものまで、かなりの幅が見られる。ときには電話
によるアンケートさえ質問については、それぞれの回答の前に、
活字を一級おとして印刷する。また発表の日付や媒体が意味をもつというケース
もありうるので、それぞれの標題の下の括弧内に、その二項(前者は年・月のみ、後者は雑誌・新聞などの名称)
を加えて示す。標題や質問の書式については、統一をはかるために多少改変や
省略 ...
>566 ページ
>の予約申込書が付されているので、おそらく一九八四年(年号戦後ならば三十九年
にあたる)の末近くにおこなわれたアンケートではないかと思われる。「
アンケート報告」の本文はガリ版印刷。三つの問いのあとに「(順不同)」とあった
。 ... 年号について(始末年号戦後カレンダーを
つくる会・アンケート報告)同会は、一九四五年(昭和二十年)という終戦の年を
起点として、年号戦後、をしるすカレンダーをつくろうとするもの。 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[84] [CITE[子どもたち一人ひとりのちがう個性が生かされ、輝くことを求めて!]], [TIME[2020-08-21 18:21:22 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105205745/http://www.geocities.jp/zyuminundo/yobikake.html>
]FIGCAPTION]
>この呼びかけは、2010年・戦後66年・11月20日に、正式に発信しました。
]FIG]
- [127] [CITE[賛同者名]], [TIME[2020-08-21 18:25:43 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105205746/http://www.geocities.jp/zyuminundo/namae.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[119] [CITE[八月十五日のうた]],
[[明良佐藤]],
[TIME[2020-08-21 17:55:05 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105055331/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/1-4.htm>
]FIGCAPTION]
>わたしたちは、戦後何年と数え
>
父、母、祖父母の墓の前で
>
頭をたれます
]FIG]
- [120] [CITE[無題]], [TIME[2020-08-21 17:56:28 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105055332/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/1-3.htm>
-- [121] [[野本三吉]]のコメントあり
[SEE[ [[非戦]] ]]
- [122] [CITE[秋葉原通り魔殺傷事件が示すもの]], [TIME[2020-08-21 18:01:58 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105055319/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/1-5.htm>
- [112] [CITE[――「[[敗戦後論]]」批判・加藤典洋さんへの手紙――]], [TIME[2020-08-21 17:34:13 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105055334/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/1-6.htm>
-- [16] [CITE[無題]]
([TIME[2019-03-21 20:46:17 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20181105171934/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h32.htm>
-- [17] [CITE[無題]]
([TIME[2019-03-21 20:47:10 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20181105171934/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h33.htm>
-- [18] [CITE[無題]]
([TIME[2019-03-21 20:48:02 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20181105171935/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h34.htm>
-- [106] [CITE[無題]], [TIME[2020-08-21 17:21:29 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105171936/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h35.htm>
-- [107] [CITE[無題]], [TIME[2020-08-21 17:22:13 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105171936/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h36.htm>
-- [108] [CITE[無題]], [TIME[2020-08-21 17:24:53 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105171939/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h41.htm>
-- [109] [CITE[無題]], [TIME[2020-08-21 17:25:06 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105171939/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h42.htm>
-- [110] [CITE[無題]], [TIME[2020-08-21 17:25:49 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105171941/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h45.htm>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[111] [CITE[無題]], [TIME[2020-08-21 17:33:15 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105172004/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h84.htm>
]FIGCAPTION]
>
戦後五十四年五月一三日
]FIG]
- [124] [CITE[加藤典洋「[[敗戦後論]]」批判・反響]],
二〇〇八年一一月一七日,
[TIME[2020-08-21 18:16:57 +00:00]] <https://web.archive.org/web/20181105055336/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/1-6-2.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[113]
[CITE[107 いまも世界をつつむ悲しみと[[日本国]]の床下にある白骨化した遺体(7/27): 書くことで自分を見つめ考える]],
[[明良佐藤]],
2009年7月27日 (月),
[TIME[2020-08-21 17:35:08 +09:00]] <http://11031103.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/107-727-5b3c.html>
]FIGCAPTION]
>ふたたび八月十五日が巡ってきました。新たに戦後65年がはじまります。
>[SNIP[]]
>いまも絶えない戦死者 今年の戦後カレンダー右上に新たに設けた『この1年間での戦争・内戦等による死者』が明らかにしているように、世界各地に戦争が絶えないことがわかります。私は二度と戦争を起こさない、という決意をつねに確認するために、戦後何年何月何日と記録してきました。
]FIG]
- [49] [CITE[らくだの行動記録**学習室らくだ**:戦後67年 カレンダー]],
2011年08月23日,
[TIME[2020-08-20 17:21:19 +09:00]] <http://blog.livedoor.jp/kawarakuda/archives/52486754.html>
-- [50] [CITE[49137b14.jpg (JPEG 画像, 640x480 px)]], [TIME[2017-12-28 17:30:59 +09:00]] <https://livedoor.blogimg.jp/kawarakuda/imgs/4/9/49137b14.jpg>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[161] [CITE[今回の[[衆院選]]をどう見るか 日本が変わる一大チャンスのときに: 書くことで自分を見つめ考える]],
[[明良佐藤]],
2013年1月13日 (日),
[TIME[2020-08-21 21:40:38 +09:00]] <http://11031103.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-f569.html>
]FIGCAPTION]
>その敗北から、死者を原点として、焼け野原の中から、戦後の新しい生き方・自己の生を肯定して生きる生き方に日本人は変わって生きはじめたのです。戦後何年と時代を数える生き方。戦争による死者に対する、祈りを原点にしています。しかし、現在、政府は元号を使っています。元号そのものは戦前の精神を体現しているものです。なぜ、このようなねじれを起こしているかと言えば、いまもって日本人は、足元は変わっているのに、認識において変われていない、ということです。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@ja[栃木)終戦の日が元日 戦後カレンダーつくり30年:[[朝日新聞]]デジタル]],
[[堀井正明]],
2014年8月15日03時00分,
[TIME[2019-03-21 20:39:29 +09:00]]
<https://web.archive.org/web/20140827074905/https://www.asahi.com/articles/ASG8D7TDGG8DUUHB00Y.html>
]FIGCAPTION]
> そのカレンダーは終戦記念日の8月15日から新しい年が始まる。戦争が終わった1945(昭和20)年を「戦後元年」とする独自の「戦後暦」が採用されており、今年の8月15日は「戦後70年」が幕を開ける元日にあたる。
> 茂木町北高岡の明良(あきよし)佐藤さん(70)が製作する「戦後カレンダー」。79年に成立した元号法をめぐる議論が盛んだったころ、「戦後暦」を考えて手紙などで使い始め、「戦後40年」の84年に初めて「戦後カレンダー」を作った。
>「今度戦争が起これば、『戦後』という言葉は使えない。その意味では『戦後』であり続けることが平和のあかし」と毎年作り続け、今年は30年の節目を迎えた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23] [CITE@ko-KR['''['''天声人語''']''' 8/31 | 广东孤星]],
[TIME[8월 31, 2014][2014-08-31]],
[TIME[2019-03-21 20:57:56 +09:00]]
<https://jcso58.wordpress.com/2014/08/31/%E5%A4%A9%E5%A3%B0%E4%BA%BA%E8%AA%9E-831-2/>
]FIGCAPTION]
> 栃木の明良(あきよし)佐藤さん(70)は、8月15日から新年が始まる「戦後カレンダー」をつくり続けて30年になる。終戦の昭和20年を元年とする独自の「戦後暦」で数え、この新年は戦後70年だ。「今度戦争が起これば戦後という言葉は使えない。その意味では戦後であり続けることが平和のあかし」
]FIG]
- [51] [CITE@ja-JP[憲法びっくり 前編 ・ なんのために[[憲法]]は変えられようとしているか 明良 佐藤 - YouTube]],
2016年9月30日,
[TIME[2020-08-20 17:22:39 +09:00]] <https://www.youtube.com/watch?v=n0C_XXOkjjY>
-- 「戦後72年」カレンダーを張り出した講演会
- [45] [CITE@ja-JP[憲法びっくり [[明良佐藤]] 益子ヒジノワにて - YouTube]],
2017年5月19日,
[TIME[2020-08-20 17:10:08 +09:00]] <https://www.youtube.com/watch?v=EU8A9BHvFXk>
-- 「戦後72年」カレンダーを張り出した講演会
- [46] [CITE@ja[和の日記 - 和の日記]], [[yasushi561]], [TIME[2020-08-20 17:13:11 +09:00]] <http://yasushi561.blog.fc2.com/blog-entry-1.html#comment82>
- [43] [CITE[untitled - TN2017No16G.pdf]],
2017年9月5日,
[TIME[2017-10-07 10:57:24 +09:00]] <http://www2.ucatv.ne.jp/~kenpou.snow/TN2017No16G.pdf>
- [19] [CITE@ja[驚くほどの「人権感覚のなさ」 大工が知った“憲法びっくり” (1/4) 〈[[週刊朝日]]〉|AERA dot. (アエラドット)]],
2017.12.12 07:00,
[TIME[2019-03-21 20:49:17 +09:00]]
<https://dot.asahi.com/wa/2017120800037.html?page=1>
- [42] [CITE[らくだの行動記録**学習室らくだ**:戦後カレンダー 今年も届く]],
2020年07月31日,
[TIME[2020-08-20 17:00:39 +09:00]] <http://blog.livedoor.jp/kawarakuda/archives/52841319.html>
]REFS]
** 高橋健一
[66]
[[極左活動家]]の[[高橋健一]]は、
自身の
[[Web日記]]で[[戦後]]を使いました。
[67]
[[Web日記]]は
[TIME[1997.4.1][1997-04-01]]
に新設されました。
[TIME[戦後52年5月3日][1997-05-03]]
([TIME[1997-05-03]])
以後、
[[戦後]]を使うようになりました。
その理由を、
> 今日は憲法記念日です。
> 戦争を放棄した日本国憲法を、ぼくは大切にしていきたいと願います。
> このページの記載日の年号だけですが、今日から西暦でも元号でもない「戦後歴」(明良佐藤さん提唱・元旦は8月15日)で現すことにしました。 日本が二度と戦後を繰り返さぬことを祈って。
... と説明しました。
[SRC[>>48]]
;; [68] 同じ「日本国憲法を大切にする」態度でも、
前文を重視すればそのような考え方になり、
第1条を重視すれば[[日本の元号]]を大切にしようということになるはずです。
[[紀年法]]とは政治的態度の表明であると、よくわかりますね。
[69]
この
[[Webページ]]には
「戦後52年(1997年)4月1日に新設しました」
と説明があり、
目次にも
「(戦後52年4月11日)母性社会日本の病理
(戦後52年4月1日)愛媛県老施協が介護実習受け入れ保留」、
範囲は
「戦後52年4月~5月分」
とあって、[[戦後]]が4月に遡って使われました。
[SRC[>>48]]
[70]
「(戦後53年9月23日)永和良之助さんの講演会
(戦後52年7月20日)父権復興」
と8月を境に年数がインクリメントされており、
元来の[[戦後暦]]に従っていることがわかります。
[SRC[>>62]]
[73]
「戦後57年(2001年)10月15日」
まで[[戦後]]が使い続けられましたが、
その後の
「非戦元年(2002年)9月11日」
記事から、
[[非戦]]なる新[[元号]]に[[改元]]されました
[SRC[>>65]]。
[[アメリカ同時多発テロ事件]]
[WEAK[([TIME[2001-09-11]])]]
との関係が推測されます。
[SEE[ [[非戦]] ]]
;; [75]
[[日本]]の[[戦争]]の再発をおそれた[[戦後]]を、
こんな恣意的に[[改元]]してしまっていいものでしょうか...
[72]
目次では
「戦後55年9月4日」
([TIME[1999-09-04]])
まで、
[[戦後]]が単記されました [SRC[>>64]]。
その後の
「[非戦元年(2002年)12月11日] 矢野舜一さん
[非戦元年(2002年)9月11日] 1年前
[戦後57年(2001年)10月15日] 広瀬隆さんの講演会
[戦後57年(2001年)10月6日] ひさびさの、このごろ思うこと」
は、
[[西暦年]]と併記されました
[SRC[>>65]]。
ただし記事見出しでは単記が継続されました [SRC[>>65]]。
記事の間が空いていること、
その間に新[[ミレニアム]]が到来したことの影響でしょうか。
;; [71]
- 1997年 戦後52年-53年
- 1998年 戦後53年-54年
- 1999年 戦後54年-55年
- 2000年 戦後55年-56年
- 2001年 戦後56年-57年
[74]
この
[[Web日記]]は
[[JavaScript]]
で表示日時を表示しており、
最初のページには
「19120年8月20日19時10分」
と表示されます [SRC[>>48]]。
[SEE[ [[19100年問題]] ]]
第2頁以降は
「2000年8月20日19時10分」
のように、
表示した[[月日]]と、なぜか記事の[[年号]]が組み合わせて表示されます
[SRC[>>62, >>63, >>64, >>65]]。
([[2000年問題]]修正の失敗例としてはおもしろすぎますw)
[76]
[[著者]]が断っている通り、
[[戦後]]を使っているのはこの
[[Webサイト]]内でもこの[[Web日記]]だけでした。
他では[[西暦年]]が使われていました。
[[1990年代]]は[[西暦2桁年号]]も頻用されていましたが、
4桁と混在しているようで、
使い分けははっきりしません。
[WEAK[(もっとも当時平均的な[[日本人]]はたいてい使い分けも曖昧に併用していたと思われますが。)]]
[[Web日記]]内も引用文はもちろん記事本文でしばしば2桁・4桁の[[西暦年]]が使われていました。
[[戦後]]と[[西暦]]の使い分けの理由はよくわからないのですが、
私的な日記でだけ[[戦後]]を使い、
普及に貢献する意図はなかったのでしょうか。
[REFS[
- [48] [CITE[このごろ思うこと(1頁目)・永和良之助論文特集]], [TIME[2013-04-25 19:00:38 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogor0.html>
- [62] [CITE[このごろ思うこと(2頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:00:44 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogor2.html>
- [63] [CITE[このごろ思うこと(3頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:00:49 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogor3.html>
- [64] [CITE[このごろ思うこと(4頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:00:55 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogor4.html>
- [65] [CITE[このごろ思うこと(4頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:01:01 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogoro.html>
]REFS]
** その他の支持者
[60]
[[佐藤克朗]]は、
[TIME[平成16(2004)年][year:2004]]頃の時点で毎年、
[[戦後カレンダー]]の宣伝活動を続けていました。
[DFN[天皇制的元号にこだわるかい]]を主宰し、
日常生活でも[[元号]]や[[西暦]]のかわりに[[戦後]]を使っていました。
[SRC[>>39]]
;; [61]
「元号にこだわる」というのは謎ですが、
元号反対にこだわるという意味なのでしょう。
[159]
この他にも支持者は多いようですが、
[[戦後暦]]の実用例は
[[Web]]
ではなかなか見かけることができません。
口だけ賛成の人ばかりなのでしょうか。
それとも
[[Web]]
を使っていない人が多いのでしょうか。
;; [160]
[[明良佐藤]]の
[[Webサイト]]は[[ジオシティーズ]]のサービス終了で消滅し、
復活していないようです。
[[ブログ]]も[TIME[2013-02-08]]の記事を最後に放置されています。
支持者は[[インターネット]]を使わない世代が多いのかもしれません。
[24]
敵対勢力の敗北を[[年始]]にするとか[[仏蘭西共和暦]]みたいだな。
(あっちは自勢力の勝利の翌日が[[年始]]だが。)
[REFS[
- [39] [CITE[佐藤さんが戦後カレンダー普及呼びかけ :2004/8/11/[[函館]]地域ニュース by eHAKO]],
[[函館新聞社]],
2004/8/11,
[TIME[2020-08-20 16:50:27 +09:00]] <https://www.ehako.com/news/newsbk2/3308_imode_msg.shtml>
- [44] [CITE[日記]], [TIME[2017-10-17 19:26:59 +09:00]] <http://sugiyama-akira.jp/diary/04_08.html>
-- [77] [CSECTION[戦後カレンダー]],
2004.8.12
]REFS]
* 猪瀬直樹と井上ひさし
[268]
[[作家]]の[[猪瀬直樹]]と[[井上ひさし]]が、
[[戦後]]は[[元号]]的なものと発言したようです。
[REFS[
- [237] [CITE@ja[浅羽通明 memoさんはTwitterを使っています 「猪瀬(※直樹)が井上ひさしとの対談で、「戦後というのは一つの元号の機能を果たしている」という説得力ある発言をしている。(中略)広島大の柴田進午教授は「原爆」を年号として使用することを主張し続けているそうだし、→」 / Twitter]], 午後9:43 · 2016年7月13日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T01:53:47.000Z]] <https://twitter.com/asaba_memo/status/753208315522326528>
-- [244] [CITE@ja[浅羽通明 memoさんはTwitterを使っています 「猪瀬(※直樹)が井上ひさしとの対談で、「戦後というのは一つの元号の機能を果たしている」という説得力ある発言をしている。 (中略)広島大の柴田進午教授は「原爆」を年号として使用することを主張し続けているそうだし、→」 / Twitter]], 午後3:49 · 2018年9月22日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T02:18:28.000Z]] <https://twitter.com/asaba_memo/status/1043391738289651712>
-- [238] [CITE@ja[浅羽通明 memoさんはTwitterを使っています 「猪瀬(※直樹)が井上ひさしとの対談で、「戦後というのは一つの元号の機能を果たしている」という説得力ある発言をしている。 (中略)広島大の柴田進午教授は「原爆」を年号として使用することを主張し続けているそうだし、→」 / Twitter]], 午後9:00 · 2020年7月16日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T01:53:44.000Z]] <https://twitter.com/asaba_memo/status/1283733211185426433>
-- [245]
[[コピペ]]の[[荒らし]]行為?
- [12] [CITE@ja[徳吉さんはTwitterを使っています 「1995年は地下鉄サリン事件が発生して、麻原が逮捕されて、坂本弁護士一家の遺体が見つかってと日本中がオウムに狂乱した年だった。96年元日の朝生での猪瀬直樹の発言、95年は戦後という元号が崩御した年だったというのは言い得て妙だった。」 / Twitter]], 午後11:30 · 2018年7月7日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T01:54:57.000Z]] <https://twitter.com/tokukichi1/status/1015603950349795330>
- [239] [CITE@ja[Matsuki shu(歌集『色の濃い川』発売中)さんはTwitterを使っています 「「戦後」というのは一種の元号の役割を果たしている、と言ったのは生前の井上ひさしだが、「YMO元年」とか「PC元年」とか(古めの形容ではあるが)そういった表現がなくならない限り元号はしぶとく生き続けると思っている。」 / Twitter]], 午後3:06 · 2018年12月30日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-08-23T01:53:42.000Z]] <https://twitter.com/reracise1972/status/1079257482382303233>
]REFS]
* 徳島県立文書館の戦後暦
[87]
[[徳島県立文書館]]は企画展パンフレットで[DFN[戦後暦]]を使いました。
[88]
このパンフレットは基本的に[[元号年]]を使い、
[[横書き]]の表紙で
「平成17年8月2日[火]」、
[[縦書き]]の本文で
「平成一七年八月二日」 ([[縦書き]])、
「昭和四〇年代」 ([[縦書き]])
のように書いていました。
[SRC[>>86]]
[89]
2頁分の大きな表が2つあり、
そのうちの1つ、
[CSECTION[キーワードで見る戦後徳島の社会・生活史年表]] ([[縦書き]])
は、
[[年号]]と出来事を並べた[[表]]で、
「戦後暦」「西暦」「和暦」 ([[縦書き]])
を示していました。
-
[90]
「戦後暦」
は、
「0」、
「1」、
...、
「60」
と年数を[[アラビア数字]]の[[横書き]]で書いていました。
「戦後復興期」
「高度経済成長期」
といった複数年にわたる時代名が併記されていました。
([[表]]は[[縦書き]]で右から左に進むのに、
年数と時代名は[[左横書き]]で逆方向に向かっていました。)
-
[91]
「西暦」
は、
「一九四五」
から
「二〇〇五」
と[[縦書き]]で4桁の[[漢数字]]の[[位取り記数法]]で書いていました。
-
[92]
「和暦」は、
「昭和二〇」、
「昭和二一」、
「二二」、
「二三」、
...、
「六三」、
「平成元」、
「二」、
...、
「八」、
「平成九」、
「平成一〇」、
...、
「平成一七」
と[[縦書き]]で[[漢数字]]の[[位取り記数法]]で書いていました。
表記の不統一が気になります。
-
[93]
記事には
「[YOKO[10]] 吉野川市誕生」 ([[縦書き]])
のように適宜[[月番号]]が[[縦中横]]で入れられていました。
-
[94]
開催年の「二〇〇五」「平成一七」年だけ、記事に
「戦後六〇年」
とありました。
[95]
もう1つの
[CSECTION[昭和二〇年生まれ ある女性の前半生の歩みから戦後史を見つめる]] ([[縦書き]])
は、
「[YOKO[0]]歳 昭和二〇年 (一九四五)」 ([[縦書き]])
から
「[YOKO[60]]歳 平成一七年 (二〇〇五)」 ([[縦書き]])
のように[[年]]を表し、
記事を書いていました。
記事には「八月、」のように[[月]]が書かれていることもありました。
こちらでは[[戦後暦]]が使われていませんが、
[[戦後暦]]と一致するように[[年齢]]が設定されていました。
[96]
この他には「戦後六〇年」と当年を説明する箇所があるくらいで、
[[戦後暦]]は使われていませんし、
[[戦後暦]]の説明もありません。
[97]
ある事件に関係する[[年表]]でその年次を書き入れるのはよくあることで、
伝記なら[[年齢]]、
社史なら創設からの年数を[[紀年法]]と並列に表記するのは普通のことです。
戦後何年と書き入れた[[年表]]もあるはずです。
それを
「戦後暦」
と特別な名前で呼んでいるのは珍しいですが、
説明がないので根拠は不明です。
特別な名前に見えても、
「戦後の年数を数える」
という程度の造語の可能性もあります。
機械的な年数と範囲の曖昧な時期をどちらも同じ
「戦後暦」
で括っているのも、
深く考えていないのだとすれば納得です。
[98]
[[戦後カレンダー]]の[[戦後暦]] (>>78)
との関連は不明です。
[[戦後カレンダー]]は[[年始]]を
[TIME[8月15日][--08-15]]に置いていますが、
こちらの[[戦後暦]]は[[西暦年]]や[[元号年]]と対応付けられています。
素直に考えればこちらの[[戦後暦]]は[[グレゴリオ年]]と一致するはずです。
ただし昭和20年8月生まれ女性の年表でも[[年齢]]が[[西暦年]]や[[元号年]]と対応付けられており、
厳密には8ヶ月分のずれが生じているのに何の注釈もありませんから、
そう断言するのも憚られます。
とはいえ[[戦後暦]]と女性の年齢の対応関係が意識されたことは明らかです。
0歳から数える[[年齢]]と、
1年から数える[[戦後カレンダー]]の[[戦後暦]]には、
1年のずれがあります。
[REFS[
- [86]
[CITE[特別企画展 戦後六〇年のメッセージ 伝えたいあの時を・・・]],
[[徳島県立文書館]],
[TIME[平成一七年八月二日][2005-08-02]] 発行,
[TIME[2012-05-02 13:44:10 +09:00]] <https://library.tokushima-ec.ed.jp/digital/densi/desiryou/ken/mon_kikakuten/ktoku17.pdf>
]REFS]
* 東百道の戦後暦
[140]
[[東百道]]は、
[[明良佐藤]]の[[戦後暦]] (>>78)
から派生した独自の[[戦後暦]]を使っています。
[141]
[TIME[2007-08-11]]
(当時の表記で戦後63年8月11日、
ただし本文によると「開館」の[TIME[2007-08-06]]
(「戦後63年8月06日」 = [[明良佐藤]]の[[戦後暦]]の「戦後62年8月06日」))、
[[東百道]]の
[[Webサイト]]
[CITE[感動をつくる・日本朗読館]]
は、
[[戦後暦]]を採用すると発表しました。
[[明良佐藤]]に賛同し、
「先の大戦(私は個人的には先の大戦を「東アジア太平洋戦争」と呼んでいます)の悲劇を、日本史のみならず人類史に深く刻印するためのささやかな一助」
となるのが目的だといいます。
[SRC[>>20]]
[142]
当初発表によると、
[TIME[1945-08-20]]から[TIME[1945-12-31]]は戦後元年とし、
[TIME[1946-01-01]]から戦後2年とすることにしました。
[[明良佐藤]]の[[戦後暦]]からの変更は、
[[グレゴリオ年]]と一致させた方が実用的だからだと説明されました。
[SRC[>>20]]
[143]
[TIME[2007-08-15]]
(戦後62年8月15日)、
変更が発表されました。
[[マスコミ]]の戦後何年の表現とのずれを解消するためと説明されました。
それによると次のように表記することになりました。
[SRC[>>21]]
- [147] [TIME[1944-01-01]] - [TIME[1944-12-31]] : 戦前1年
- [146] [TIME[1945-01-01]] - [TIME[1945-08-14]] : 戦前0年
- [144] [TIME[1945-08-15]] - [TIME[1945-12-31]] : 戦後0年
- [145] [TIME[1946-01-01]] - [TIME[1946-12-31]] : 戦後1年
;;
[22]
さすがに戦時下を「戦前」と呼ぶのはおかしいw
この[[暦法]]だと[TIME[西暦1945年8月14日][1945-08-14]]と
[TIME[15日][1945-08-15]]の間の瞬間が「戦」だったことになるが...
[148]
つまり従来表記は1年少ない年数に変更されました。
[[Webサイト]]の[[日付]]はすべて修正された [SRC[>>21]]
とされますが、
当初発表の記事は変更された旨が追記されただけのようです。
そのため
「戦後63年8月11日新規」なのに「戦後62年8月15日更新」
という不思議な更新履歴が残っています
[SRC[>>20]]。
[151]
この[[Webサイト]]の記事は、
全面的に[[戦後暦]]が使われています。
([[ブログシステム]]による[[西暦年]]は除きます。)
イベントの開催日時や題名などで[[西暦年]]との併記も多いです。
書籍の出版年のように[[西暦年]]単記もありますが、
そうしたものすら[[戦後暦]]併記とした例もあります。
[SRC[>>149, >>150]]
[155]
本項執筆時点で継続して利用中のようで、
「戦後75年(西暦2020年)10月17日(土)」
[SRC[>>156]]
([TIME[2020-10-17]])、
「戦後75年08月18日」
[SRC[>>154]]
([TIME[2020-08-18]])
のような用例がありました。
-*-*-
[157]
[[日時制度]]は、
共通の理解によって支えられるものです。
ある[[日時表示]]が人によって違って解釈されるなら、
[[情報交換]]は成り立ちません。
[[明良佐藤]]の[[戦後暦]]が実用的でないというのは、
確かにその通りでしょう。
だからといって同じ[[戦後暦]]を違う意味に改変してしまうと、
[[戦後暦]]が通用する[[コミュニティー]]が分断され、
意思疎通の障害になります。
かつて[[オープンソースコミュニティー]]と敵対していた
[[Microsoft]]
が[[プロトコルの脱共有化]]を企てたのを想起させます。
「昭和60年」と「戦後60年」は容易に区別できますが、
「戦後75年」と「戦後75年」は区別できません。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[20] [CITE[16このブログの管理・運営について 1: 感動をつくる・[[日本朗読館]]]],
戦後63年8月11日新規,
戦後62年8月15日更新,
[TIME[2019-03-21 20:53:15 +09:00]]
<http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/blog/2007/08/post_2187.html>
]FIGCAPTION]
> 明良佐藤さんの「戦後暦」とは若干違えているところがあります。ここで用いる「戦後暦」は、戦後元年を西暦1945年、和暦昭和20年の8月15日から同年の12月31日までとし、翌年の1月1日からは戦後2年とすることにいたします。この方が、一年の区切り方が分かりやすく、また、一般的でもありますので、より実用的だと考えたからです。
> そういたしますと、開館のご挨拶をいたしております本日は戦後63年8月06日ということになります。しかし、明良佐藤さんの「戦後暦」では、今日は戦後62年8月06日ということになりです。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[21] [CITE[16このブログの管理・運営について 3: 感動をつくる・[[日本朗読館]]]],
戦後62年8月15日新規,
[TIME[2019-03-21 20:54:32 +09:00]]
<http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/blog/2007/08/post_8626.html>
]FIGCAPTION]
> 当初の「戦後元年を西暦1945年、和暦昭和20年の8月15日から同年の12月31日までとし、翌年の1月1日からは戦後2年とすることにいたします」というのを、次のように修正いたします。
> 西暦1945年、和暦昭和20年の8月15日から同年の12月31日までを戦後0年とし、西暦1946年、和暦昭和21年の1月1日から同年の12月31日までを戦後1年とすることにします。
> 戦後0年というような数え方は、あまり類例がないと思いますが、あえて採用することといたします。この戦後0年は、また同時に、戦前0年でもあります。つまり、西暦1945年、和暦昭和20年の1月1日から8月14日までは、戦前0年ということになるわけです。また、その前年、西暦1944年、和暦昭和19年は、戦前1年ということになります。以下戦前2年、戦前3年と順次遡って数えていくことになります。
]FIG]
- [149] [CITE[館長の朗読プロフィール(戦後73年12月現在/第21版): [[感動をつくる・日本朗読館]]]], [TIME[2020-08-21 19:11:06 +09:00]] <http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/blog/2018/12/post-396b.html>
- [150] [CITE[特別なお知らせ124/東百道の出版物リスト (戦後69年/西暦2014年 最新版): [[感動をつくる・日本朗読館]]]], [TIME[2020-08-21 19:11:27 +09:00]] <http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/blog/2014/11/post-b44d.html>
- [152] [CITE@ja[「[[日本朗読館]]」館長]], [TIME[2020-08-21 19:13:46 +09:00]] <http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/about.html>
-- [153] 「銭後69年(2014年)12月」という
[[typo]]
も1例。
- [156] [CITE[最新のイベント情報(朗読会などのご案内) 第203版: [[感動をつくる・日本朗読館]]]], [TIME[2020-08-21 19:23:24 +09:00]] <http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/blog/2020/08/post-406845.html>
- [154] [CITE[特別なお知らせ148/朗読入門講座(全8回)中止のお知らせ!!!: [[感動をつくる・日本朗読館]]]],
戦後75年08月18日 新規,
[TIME[2020-08-21 19:21:36 +09:00]] <http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/blog/2020/08/post-ea53f6.html>
]REFS]