/
553.txt
2441 lines (1859 loc) · 106 KB
/
553.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
276
277
278
279
280
281
282
283
284
285
286
287
288
289
290
291
292
293
294
295
296
297
298
299
300
301
302
303
304
305
306
307
308
309
310
311
312
313
314
315
316
317
318
319
320
321
322
323
324
325
326
327
328
329
330
331
332
333
334
335
336
337
338
339
340
341
342
343
344
345
346
347
348
349
350
351
352
353
354
355
356
357
358
359
360
361
362
363
364
365
366
367
368
369
370
371
372
373
374
375
376
377
378
379
380
381
382
383
384
385
386
387
388
389
390
391
392
393
394
395
396
397
398
399
400
401
402
403
404
405
406
407
408
409
410
411
412
413
414
415
416
417
418
419
420
421
422
423
424
425
426
427
428
429
430
431
432
433
434
435
436
437
438
439
440
441
442
443
444
445
446
447
448
449
450
451
452
453
454
455
456
457
458
459
460
461
462
463
464
465
466
467
468
469
470
471
472
473
474
475
476
477
478
479
480
481
482
483
484
485
486
487
488
489
490
491
492
493
494
495
496
497
498
499
500
501
502
503
504
505
506
507
508
509
510
511
512
513
514
515
516
517
518
519
520
521
522
523
524
525
526
527
528
529
530
531
532
533
534
535
536
537
538
539
540
541
542
543
544
545
546
547
548
549
550
551
552
553
554
555
556
557
558
559
560
561
562
563
564
565
566
567
568
569
570
571
572
573
574
575
576
577
578
579
580
581
582
583
584
585
586
587
588
589
590
591
592
593
594
595
596
597
598
599
600
601
602
603
604
605
606
607
608
609
610
611
612
613
614
615
616
617
618
619
620
621
622
623
624
625
626
627
628
629
630
631
632
633
634
635
636
637
638
639
640
641
642
643
644
645
646
647
648
649
650
651
652
653
654
655
656
657
658
659
660
661
662
663
664
665
666
667
668
669
670
671
672
673
674
675
676
677
678
679
680
681
682
683
684
685
686
687
688
689
690
691
692
693
694
695
696
697
698
699
700
701
702
703
704
705
706
707
708
709
710
711
712
713
714
715
716
717
718
719
720
721
722
723
724
725
726
727
728
729
730
731
732
733
734
735
736
737
738
739
740
741
742
743
744
745
746
747
748
749
750
751
752
753
754
755
756
757
758
759
760
761
762
763
764
765
766
767
768
769
770
771
772
773
774
775
776
777
778
779
780
781
782
783
784
785
786
787
788
789
790
791
792
793
794
795
796
797
798
799
800
801
802
803
804
805
806
807
808
809
810
811
812
813
814
815
816
817
818
819
820
821
822
823
824
825
826
827
828
829
830
831
832
833
834
835
836
837
838
839
840
841
842
843
844
845
846
847
848
849
850
851
852
853
854
855
856
857
858
859
860
861
862
863
864
865
866
867
868
869
870
871
872
873
874
875
876
877
878
879
880
881
882
883
884
885
886
887
888
889
890
891
892
893
894
895
896
897
898
899
900
901
902
903
904
905
906
907
908
909
910
911
912
913
914
915
916
917
918
919
920
921
922
923
924
925
926
927
928
929
930
931
932
933
934
935
936
937
938
939
940
941
942
943
944
945
946
947
948
949
950
951
952
953
954
955
956
957
958
959
960
961
962
963
964
965
966
967
968
969
970
971
972
973
974
975
976
977
978
979
980
981
982
983
984
985
986
987
988
989
990
991
992
993
994
995
996
997
998
999
1000
[7] [DFN[[RUBY[[[元号]]][げんごう]]]]は、[[東洋]]で長く用いられている[[暦]]上の時期を表す名前です。
[8] 現在では[[日本]]で[[平成]]が用いられるのみとなっていますが、
かつては[[東アジア]]各国で用いられていました。
本項では、特に明記しない場合、唯一現在まで継続して用いられている[[日本]]の事情を表します。
* 呼称
[293] [[元号]]のことを[DFN[[[年号]]]]ともいいます。ただし[[元号]]以外の[[紀年法]]も含めたり、
[[元号]]によって表記された[[年]]やその他の[[紀年法]]の[[年]]のことまで含めたりすることがあり、
意味に揺れがあります。
[294] [[英語]]では [[era]] と呼ばれますが、[[紀年法]]や[[紀元]]の意味でも使われるので曖昧です。
[DFN[[[regnal year]]]] や [DFN[finite era (name)]] と呼ぶと曖昧性を排除できます [SRC[>>9]]。
[295] [[日時パターン]]の表記などでは、[[ローマ字表記]]の[[頭文字]]である
「g」や「G」で表現されることがよくあります。
* 意味
[254] [[元号]]が何かについて、[[元号法]] [SRC[>>54]] は定義していません。
[[JIS]] は >>16 のように定義しています。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [[JIS X 0301]]:2002 3.34
]FIGCAPTION]
> 日本で用いる[[暦年]]の上位呼称
]FIG]
[255] [[元号]]は、1つ[[以上]]の (原則として連続した) [[年]]に対して与えた名称です。
その[[改元日]]から始まり、次の[[改元日]]までの期間を表します。
([[改元日]]を含む[[年]]は、途中からまたは途中までしか含まれないこととなります。)
* 法律
[253] [[元号]]は、[DFN[[[元号法]]]]に基づき定められています。
[REFS[
- [54] 元号法 (昭和54年6月12日法律第43号)
-- <http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S54/S54HO043.html>
]REFS]
[55] [[元号]]の利用は一般には強制されているわけではありませんが、
[[公文書]]の書式として[[元号]]の利用が定められていることがあります。
[56] [[公文書]]で[[元号]]を使用することは[[大宝律令]]で規定されたといいます [SRC[>>57]]。
[[大宝律令]]は現存しませんが、[[養老律令]] [SRC[>>58]] に
[FIG(quote)[
> [[儀制令]]廿六 公文條:凡公文應記年者。皆用年號。
> 凡そ公文に年記すべくは、皆年号を用いよ。
]FIG]
... とあります。
[REFS[
- [57] [CITE@ja[大宝律令 - Wikipedia]] ([TIME[2014-08-05 06:38:57 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E5%BE%8B%E4%BB%A4#.E5.86.85.E5.AE.B9>
- [58] [CITE[養老令 儀制令]] ([TIME[2006-06-13 02:51:00 +09:00]] 版) <http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/rituryou/yourou/yourou18.htm>
]REFS]
[59] [[公文書]]において[[元号]]を利用することとした例 [SRC[>>60, >>61, >>62]]
[REFS[
- [60] [CITE[○青梅市公文規程]] ([TIME[2014-07-18 02:29:37 +09:00]] 版) <https://www.city.ome.tokyo.jp/d1w_reiki/34990221000200000000/34990221000200000000/34990221000200000000_j.html>
- [61] [CITE[○公用文に関する規程]] ([TIME[2010-07-06 00:34:06 +09:00]] 版) <http://www.town.saka.hiroshima.jp/d1w_reiki/406902200001000000MH/420902200011000000MH/420902200011000000MH_j.html#JUMP_SEQ_94>
- [62] [CITE@ja[公文書の年表記に関する規則]] ([TIME[2014-08-20 01:34:41 +09:00]] 版) <http://www1.g-reiki.net/minoh/reiki_honbun/at00001071.html>
- [63] [CITE@ja[質問主意書:参議院]] ([TIME[2014-07-16 03:48:25 +09:00]] 版) <http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/108/touh/t108013.htm>
]REFS]
[64] [[公文書]]において[[元号]]を原則とし[[西暦]]も場合により認めた例 [SRC[>>65]]
[REFS[
- [65] ([TIME[2014-06-26 00:45:07 +09:00]] 版) <http://www.city.otaru.lg.jp/docs/00/03/03/02.pdf>
]REFS]
[66] >>67 では申請書の様式で[[元号]]表記を求めているところ、
[[西暦]]で記載があったとしても無効ではないと判断しているようです。
[REFS[
- [67] [CITE@ja[【提言】申請書の元号を西暦に - 飯田市ホームページ]] ([TIME[2014-09-05 12:00:27 +09:00]] 版) <http://www.city.iida.lg.jp/soshiki/34/teigen265.html>
]REFS]
* 表記
[257] その[[元号]]への[[改元日]]が含まれる[[年]]を、
[DFN[[RUBY[元年][がんねん]]]]と呼びます。
次の[[年]]を2年、その次の[[年]]を3年と順に数えていきます。
[[元年]]は、1年と表記されることもあります。
[258] 現在では、「平成28年」のように、[[元号]]と[[年]]の数を並べて表記するのが一般的です。
年数は、[[横書き]]では[[アラビア数字]]、[[縦書き]]では[[漢数字]]とするのが普通です。
[296] [[元号]]名のほとんどは[[漢字]]2文字です。[[日本]]の古い[[元号]]や[[私年号]]には、
4文字のものもありました。他の[[国]]には3文字や6文字の例もあります [SRC[>>9]]。
[288] 年数は[[正整数]]で2桁[[以下]]となるのが普通ですが、将来の日付の表現 (>>242)
などで3桁以上となる場合もあります。
[[暦]]の換算の関係で0年を設けることもあります (>>178)。
;; [289] [[改元]]前を負数や[[紀元前]]のような形で表すことはなさそうです。
[261] 近年では[[西暦]]と併記することも多いです ([[暦]]について >>174 も参照)。
[259] かつては、更に連ねて[[干支]]を併記するのがより正式な表記と考えられていたようです。
[[改元]]が頻繁で[[西暦]]が一般的でなかった時代、[[干支]]が併記されていると年同士の関係を比較しやすく便利だったようです。
[272] [[元号]]の中には、[[旧字体]]と[[新字体]] ([[当用漢字字体表]]や[[常用漢字表]])
で[[字体]]の異なるものもあります。現在は[[新字体]]を使って表記するのが普通です。
[273] [[明治]]、[[大正]]、[[昭和]]、[[平成]]をそれぞれ頭文字で
「明」、「大」、「昭」、「平」や「M」、「T」、「S」、「H」
と省略することがあります。[[手書き]]や、申請書等の選択肢で列挙する場合などに特によく見かけます。
;; [274] それ以前の[[元号]]は、必要となる場面があまりないので見かけません。
同じ文字で衝突することが多いので、あまり古くまで拡張することはできません。
「慶」(慶応) など[[江戸時代]]末期の[[元号]]の省略形は稀に見かけます。
[275] 「正」と「承」など似た音でよく使われる文字がいくつもあるため、
誤って表記されることもあります。元号一覧・西暦対照表のようなものでもよく見ると間違っていることがあるので、
注意が必要です。
[297] [[漢字]]以外を用いた[[国]]では、その[[言語]]の[[文字]]で[[元号]]が表記されることがありました。
現在でも[[日本]]や[[東洋史]]に関する他の[[言語]]の記事等では、
その[[文字]]に[[転写]]して記載されることがあります。
[287] [[日本]]の[[元号]]を使った[[日付]]の表記を、[DFN[[[和暦]]]]や[DFN[[[邦暦]]]]と呼びます
[SRC[>>285]]。
[REFS[
- [285] [CITE@ja[和暦 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-08 14:31:49 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%9A%A6>
- [286] [CITE[iPhoneのカレンダー設定を和暦にしていると、日付と曜日がずれる問題が起こる - odawaraの「はてな de メモ」]]
( ([TIME[2012-12-17 05:23:10 +09:00]] 版))
<http://d.hatena.ne.jp/odawara/20110613/1307946819>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[27] [CITE[東京から引っ越してきた人の作った京都小事典(和暦IME辞書)]]
([TIME[2004-07-20 20:07:46 +09:00]] 版)
<http://www.eonet.ne.jp/~toshiomi/kyotojtn/wajisyo.htm>
]FIGCAPTION]
> 法令をいろいろ調べても、例しか示されておらず体系的な規則は記載されていない。
> ただし古い法令に「横書ヲ為ストキハ「アラビア」数字ヲ用ユルコトヲ得」とあり、アラビア数字を用いることは許されているようだ。
> 西暦との併記
> いろいろな文書および論文執筆要領などを調べた範囲では次のようになる。
- ①縦書きの場合
-- A 享保五年(一七二〇) または
---「日本研究-国際日本文化研究センター紀要」執筆要領
--- 角田文衛氏(例:天延元年(九七三))
-- B 九五四年(天暦八) の表記が多い。
--- 日本の歴史(中央公論社)
-- C 九五四(天暦八)年 享保五(一七二〇)年 と年を重複させるケースもある。
--- 「人文地理」執筆要領
- ②横書きの場合
-- A 1960(昭和35)年 が多い。
--- 「社会政策学会誌」投稿論文執筆要領
--- 「民事裁判演習」
-- B 明治14年(1881)
--- 国立公文書館、東京大学、京都大学
-- C 保元元(1156)年
--- 京都市歴史資料館、慶應義塾大学
]FIG]
]REFS]
* 文脈
[262] [[日本]]でも[[元号]]表記よりも[[西暦]]表記が多くなってきています。
[263] [[元号]]は次のような場面でよく用いられます。
[FIG(list)[
- [264] [[政府]]・[[地方公共団体]]関係、法律関係、[[硬貨]]、[[切手]]など
- [265] 国公立の学校など
- [266] 書類等への生年月日の記載
-- 場合による
- [268] [[新聞]]の日付
-- 新聞社による
- [269] [[銀行]]の通帳や手続き、[[公共料金]]に関する書類等
-- 会社にもよる
- [267] [[日本史]]上の出来事の記載
-- ただし単独では時期が分かりづらいため併記されることが多い
- [301] [[年賀状]]
]FIG]
[307] [[履歴書]]は[[元号]]で書かせるもの、[[西暦]]で書かせるもの、
特に指定がないものが混在しているようです。
[[西暦]]だと老人の印象が悪いなどとわけのわからないことをいう人もいるようです [SRC[>>306]]。
[REFS[
- [306] [CITE@ja[★履歴書に書く年度を【西暦】で統一すると印象が悪いですか? 【OKWAVE】]] ([TIME[2016-01-15 21:05:08 +09:00]] 版) <http://okwave.jp/qa/q3722331.html>
]REFS]
[270] [[日本]]の[[法律]]で用いられる[[紀年法]]として他に[[皇紀]]がありますが、
一般には[[昭和]]前期に広く使われたことがあった他は、滅多に見かけることがありません。
[[元号]]の方が遥かによく用いられています。
* 元号境界と年境界
[256] [[元号]]を改めることを[DFN[[RUBY[[[改元]]][かいげん]]]]といい、[[改元]]の[[日]]を[DFN[[[改元日]]]]といいます。
[[元号]]や[[改元日]]は、原則として当地の[[政府]]が決定します。
** 境界の扱い
[159] [[明治]]への[[改元]]までは、同年の1月1日に遡って新元号を適用したとされています
([DFN[[[立年改元]]]] [SRC[>>298]])。
とはいっても改元日までの文書等が遡って書き換わるわけではありませんから、
日記などは旧元号のまま記載されていることになります。
改元後に言及される場合は、当時のままの表記と新元号に改めた表記の両方があり得ることとなります。
[160] そうでなくても、情報伝達の速度の問題や政治的な問題などから、
旧元号が数日、数ヶ月、あるいは数年後まで用いられることがあります。
[161] [[Wikipedia]] の対応表は、[[明治]]への[[改元]]までは、
旧元号の最終日も新元号の開始日も、改元のあった日としています。
変換ソフトウェアでは、改元日とそれ以後を新元号とするものが多いと思われます。
[271] [[歴史]]の[[教科書]]などで過去の出来事に言及する場合も、
[[改元]]以前の出来事は[[改元]]前の当時の[[元号]]を使うのが普通だと思われます。
[162] [[大正]]への[[改元]]と[[昭和]]への[[改元]]は、
改元日から新元号とされています。しかし[[改元]]の詔書は旧元号で改元日を表記しています。
つまり、旧元号でもあり、新元号でもある日ということになります。
日の始まりに遡って[[改元]]された [SRC[>>298]] とも解釈されます。
対応表や変換ソフトウェアの類でもこの日の対応は改元日を新元号開始日とするものと翌日を新元号開始日とするものでやや揺れていますが、
当日から新元号を採用するのが優勢のようです (>>45)。
[163] [[Wikipedia]] は改元日を旧元号の最終日かつ新元号の開始日とするのを「当時」、
改元日前日を旧元号の最終日とするのを「公的」として併記しており、
「当時」の出典を[[改元]]の詔書、「公的」の出典を [[JIS X 0301]]
としていますが、この区別に意味があるのかは謎です ([[詔書]]より [[JIS]]
が「公的」というのは違和感があります)。
[176] [[平成]]への[[改元]]は[[日]]の境界で行われており、
こうした問題は起こりません。
[90] 年単位の対応表や変換ソフトウェアでは、境界の[[年]]について、
両方を示すものが多いですが、新しい[[元号]]のみ、
または古い[[元号]]のみ示していることがあります。
[94] [[天平感宝]]は[[改元]]から1年を待たずに[[改元]]されています。
[[元号]]と[[西暦]]の対応表の中には[[天平感宝]]が欠落しているものもあります。
[331] [[宝亀]]12年1月1日の[[天応]]への[[改元]]は、唯一[[旧暦]]1月1日に行われました
[SRC[>>206]]。 [[Wikipedia]] は (他の[[改元]]同様に)
[[宝亀]]12年1月1日かつ[[天応]]1月1日である[[日]]としています。
年単位の対応表は、[[宝亀]]12年を含めているものも、
省いているものもあるようです。
[REFS[
- [298] [CITE@ja[改元 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-14 01:00:03 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E5%85%83>
- [166] [CITE[1912年7月30日は、明治か大正か?]]
([[M.Suzuki]] 著, [TIME[2012-08-04 07:23:27 +09:00]] 版)
<http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/200708020.htm>
- [206] [CITE@ja[天応 (日本) - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-19 17:25:26 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%BF%9C_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[165] [CITE@ja[Perl - 西暦から元号のついた和暦に変換する]]
([TIME[2016-01-09 22:58:52 +09:00]] 版)
<http://atamoco.boy.jp/perl/datetime/seireki-wareki.php>
]FIGCAPTION]
> 1926年12月25日は大正15年であり、昭和元年でもある。 どちらを優先させるかは、システムごとに決定すればよいだろう。上記では新しい時代(昭和)を優先している。
]FIG]
]REFS]
** 終了日を超えた表現
[241] [[改元]]の情報伝達の速度や[[改元]]に従うかどうかに政治的な判断を伴う場合以外でも、
本来の終了日を過ぎて旧[[元号]]を使った[[日付]]の表記が用いられることがあります。
[242] 最新の[[元号]]の終了日は定まりませんから、将来の[[日付]]を表現する時、
最新の[[元号]]が十分長く継続すると仮定します。
実際にはその時期には次の[[元号]]に[[改元]]されているかもしれません。
[[改元]]後からみると、終了日を超えた存在しないはずの[[元号]]表記となります。
[EG[
[243] [[リニア中央新幹線]]は、平成57年 (2045年) に[[大阪]]まで延伸する予定とされています。
しかし2045年までに[[改元]]される可能性もあります。
]EG]
[EG[
[245] >>244 には「昭和62年11月1日から昭和72年10月31日まで」
のような期間の記述があります。昭和は64年までしかなく、
平成に入って改正されたらしい部分は平成で記述されていますが、
改正がなかったらしい部分は元の表記のままなのでしょう。
法的にも (適当に読み替えて) 有効であると考えられます。
[REFS[
- [244] [CITE[○銃猟禁止区域の設定]] ([TIME[2015-12-21 09:45:22 +09:00]] 版) <http://www3.e-reikinet.jp/iwate-ken/d1w_reiki/362902500924000000MH/362902500924000000MH/362902500924000000MH_j.html>
]REFS]
]EG]
[246] [[改元]]前に印刷された書類などは、作り直されることもあるようですが、
難しい場合や実害のない場合は、そのまま用いられたようです。
申請書等の書式で旧元号が印字されている場合、手書きなら、
書き直して (無視して) 新元号にしていたようです。
[248] 昭和64年付けの[[硬貨]]は、改元後の3月まで発行が続けられています [SRC[>>247]]。
[251] [[計算機システム]]には、[[昭和]]や[[平成]]を ([[改元]]に関わらず)
内部的に用いているものもあります [SRC[>>249, >>250]]。
[252] [[神武天皇即位紀元]] ([[皇紀]]) も、
本来の終了日を超えて[[神武]]擬似[[元号]]が用いられる特殊な場合といえなくもありません。
[REFS[
- [247] [CITE@ja[昭和64年の硬貨]] ([TIME[2013-05-19 03:29:51 +09:00]] 版) <http://homepage3.nifty.com/akky-han/110529.html>
- [249] [CITE@ja[昭和100年問題 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-12 13:31:30 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C100%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C>
- [250] [CITE@ja[平成100年問題 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-12 13:31:30 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90100%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C>
]REFS]
** 暦との関係
[200] [[元号]]表記の[[日付]]を解釈する際には、
[[暦]]との関係に注意する必要があります。
[[元号]]と[[西暦]] (や[[皇紀]]その他の[[紀年法]]) との関係と、
明治6年以前に[[日本]]で用いられていた[[旧暦]]と現在用いられている[[グレゴリオ暦]]、
かつて[[欧米]]で用いられていた[[ユリウス暦]]との関係が複雑で、
混同されていたり、換算に誤りがあったりすることがあります。
[FIG(list)[
- [201] [[グレゴリオ暦]]への[[改暦]]より前の[[元号]]表記の[[日付]]は、
[[旧暦]]であることがほとんどです。[[改元]]日も[[旧暦]]であることがほとんどです。
しかし、例外もあるので注意が必要です。
- [202] [[太陽暦]]との関係が示されている場合、
1582年の[[グレゴリオ暦]]への[[改暦]]より前は[[ユリウス暦]]であることが多いです。
しかし[[グレゴリオ暦]]に揃えることもあります。
また[[欧米]]でも国によって[[改暦]]の時期が異なるので注意が必要です。
]FIG]
[240] [[元号]]による[[年]]の表記は、純粋な[[紀年法]]とは違って、
[[改元日]]を介して異なる[[元号]]の[[年]]と連結されています。
[[暦]]が違っても連結点自体 ([[改元]]という歴史的事実) は移動しませんが、
それが[[暦]]のもとでどう表現されるかは問題となります。
[199] [[旧暦]]が用いられていた当時の日本の[[元号]]表記の[[年]]と、
[[太陽暦]]が用いられていた[[欧米]]の[[西暦]]表記の[[年]]の対応関係は、
[[自明]]とまではいえません。
[[旧暦]]、[[グレゴリオ暦]]、[[ユリウス暦]]のそれぞれの[[年]]の開始と終了の[[日]]は違いますから、
同じ「[[年]]」という概念であっても、別のものです。
それでも次のように考えると対応関係は定まってきます。
[FIG(list)[
- [[太陽暦]]年の[[西暦]]表記は、[[欧米]]での利用により定義されていると考える
- [[太陽暦]]年の[[元号]]表記は、明治6年以降は[[日本]]で定義されている
- [[旧暦]]年の[[元号]]表記は、明治5年以前は[[日本]]で定義されている
- [[西暦]]表記における[[年]]は、[[改暦]]点も含め、連続している
- [[元号]]表記における[[年]]は、[[改暦]]点も含め、連続している
- 従って、次のものも、 (後述する[[改元]]付近の問題を除けば) [[改暦]]前後に自然に延長できる
-- [[旧暦]]年の[[西暦]]表記 (明治5年以前)
-- [[旧暦]]年の[[元号]]表記 (明治6年以降)
-- [[太陽暦]]年の[[元号]]表記 (明治5年以前)
- こうして決めた[[旧暦]]年と[[太陽暦]]年の対応関係は、
「異なる[[暦]]の[[年]]であっても、大部分の[[日]]が重なるなら、同じ[[年]]である」
という直感的な理解と一致する
;; [171] ここでいう[[年]]の連続性は、 [VAR[n]] 年の翌年が [VAR[n]]+1 年という関係がすべての[[年]]で成立することをいいます。
[[改元]]があっても旧元号最終年と新元号元年が同一年であることから、
全体としてこの関係は成立していると考えます。
]FIG]
[174] [[旧暦]]時代の年月日や年を[[西暦]]年と月日で表記することもよくあります。
普通、この西暦年は、旧暦の[[年]]を[[元号]]表記から[[西暦]]に改めたもので、
[[太陽暦]]の年とは必ずしも一致しません。
[EG[
[198] 例えば[[関ヶ原の戦い]]のあった[[旧暦]]慶長5年9月15日/[[グレゴリオ暦]]1600年10月21日のことを、
「1600年9月15日」、「慶長5年(1600年)9月15日」、「1600年(慶長5年)9月15日」
などと表記することがよくあります。
]EG]
[173] [[旧暦]]の[[年]]と[[太陽暦]]の[[年]]は開始と終了が一致しないため、
境界付近の日付の変換には注意が必要です。年月日の変換は、年と月日に分けず、
全体として行わなければなりません。
[175] [[改元]]が[[旧暦]]の [VAR[n]] 年年末に行われた場合、
[[太陽暦]]の [VAR[n]] + 1 年の年初に当たることがあります。
その新元号の元年を[[西暦]] [VAR[n]] 年とするのは不適切で、
[VAR[n]] + 1 年とするべきだ、とする人もいます [SRC[>>29, >>22]]。その場合、
新元号元年も新元号2年も[[西暦]] [VAR[n]] + 1 年ということになってしまいます。
[[太陽暦]]との関係の記述としては間違っていませんが、[[暦]]としては不自然です。
また、[[改元日]]ではなく年初に遡って[[元号]]を改めるという公式な扱いとは矛盾します。
[190] そのような[[改元]]の場合、[[太陽暦]]の[[西暦]] [VAR[n]] + 1 年の年初の日付を[[元号]]表記にすると、
[[旧暦]]では旧元号 [VAR[m]] 年が最後であっても、[[太陽暦]]では旧元号 [VAR[m]] + 1
年が生じることになります。しかも新元号元年が消失してしまいます。
[FIG[
[191]
[PRE[
西暦n年 | 西暦n+1年
旧暦 旧元m年 | 新元元年 | 新元2年
-------------------+----------+------------
改元
---------+---------+-----------------------
太陽暦 西暦n年 | 西暦n+1年
旧元m年 |旧元m+1年| 新元2年
]PRE]
]FIG]
[177] 逆に公式な[[暦]]が[[太陽暦]]となった後の[[平成]]への[[改元]]は[[太陽暦]]の年初、
[[旧暦]]の年末に行われたため、昭和64年は消失し、昭和63年の途中で改元したことになりますが、
それは平成元年より1つ前の年となってしまいます。
[178] これを平成0年と呼ぶことがあります [SRC[>>84, >>179, >>183]]。
[FIG[
[192]
[PRE[
1988年 | 1989年
旧暦 S63年 | H0年 | H1年
-------------------+----------+------------
改元
---------+---------+-----------------------
太陽暦 1988年 | 1989年
S63年 | S64年 | H1年
1/7|1/8
]PRE]
]FIG]
[193] こうした問題は[[元号]]を[[日]]単位で考えるために起こるので、
([[明治]]への[[改元]]までは) [[改元]]が年初にあったとすれば、
違和感は少なくなります。 ([[旧暦]]、[[グレゴリオ暦]]、[[ユリウス暦]]で新元号の開始の時期が変わってしまいますが、
新元号2年、3年の年始もずれているのですから、構わないでしょう。)
が、実際の改元日を尊重して[[元号]]を決めるのが現在では一般的なようです。
[212] [[元号]]のない時代の[[天皇]]擬似[[元号]] (後述) は、
[[文武天皇]]を除き、1月1日を便宜上の改元日と定めています。
通常の[[元号]]とは異なりこの改元日には意味がありませんから、
純粋に[[年]]の名称と捉えて、[[暦]]に関わらず1月1日から新擬似[[元号]]とするのがよさそうです。
;; 複数の[[暦]]と[[元号]]を扱う場面では、これもまた処理を複雑化させ不具合を誘発する要因ですから、
注意しなければなりません。
[REFS[
- [179] [CITE[平成0年問題/総合雑学 鵺帝国]] ([TIME[2013-05-06 15:57:45 +09:00]] 版) <http://www.nue2004.info/knowledge/knowledge108.htm>
- [180] [CITE[明治以降の「旧暦」]]
<http://rihnexap.chikyu.ac.jp/archives/getRepository.do?prkbn=2&achievementId=000019688>
- [183] [CITE[すのものの「いろいろ」(その112)]] ([TIME[2006-02-05 02:30:58 +09:00]] 版) <http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/iro0112.html#20050101081456>
- [181] [CITE[今日は旧暦で何年か: pokoponにっき]] ([TIME[2016-01-12 00:32:42 +09:00]] 版) <http://lapsang-souchon.tea-nifty.com/pokopon/2006/01/post_6979.html>
- [182] [CITE@ja-jp['''['''Tips''']'''旧暦、六曜を求める(JapaneseLunisolarCalendar)]] ([[中博俊]] 著, [TIME[2016-01-12 00:34:13 +09:00]] 版) <http://blogs.wankuma.com/ogiogi/archive/2006/11/07/43917.aspx>
- [184] [CITE[すのものの「いろいろ」(その22)]] ([TIME[2004-11-24 04:08:33 +09:00]] 版) <http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/iro0022.html#20010104171516>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[84] [CITE[HuTime - 時間基盤情報-暦変換(和暦(明治以降の旧暦))]]
([TIME[2015-12-09 14:30:35 +09:00]] 版)
<http://www.hutime.jp/basicdata/calendar/calendars/OldJapanese.html>
]FIGCAPTION]
> 昭和から平成への改元直後、12月1日から29日までの期間(新暦:平成1年1月8日~2月5日)は便宜上、平成0年として扱います。
]FIG]
** 時差との関係
[195] [[元号]]の選択には[[時差]]は考慮せず、年月日のみを使うのが一般的と思われます。
[194] [[明治]]への[[改元]]までは、[[標準時]]がなく、国内でも[[地方時]]の[[時差]]がありました。
[[大正]]や[[昭和]]への[[改元]]の時点では[[西部標準時]]などの[[中央標準時]]と異なる[[時間帯]]がありました。
[[日]]単位で[[元号]]が切り替わるとすると地域によって旧元号と新元号が同時に存在することになりますが、
[[昭和]]への[[改元]]までは切り替えの時刻が決められていないので、
そもそも曖昧で問題となりません。
[197] [[平成]]への[[改元]]の時点では、国内には[[中央標準時]]しかありませんでした。
[[改元]]の[[政令]]は「公布の日の翌日から施行する」としています。
素直に解釈すれば[[日]]単位で[[元号]]が定義されるのですから、
[[中央標準時]]で1月8日となった後の (例えば) [[アメリカ]]の1月7日は、
なおも[[昭和]]に属していると思われます。
** 元号年と年内連番
[291] [[法令番号]]は、[[元号]]表記の[[年]]と、その[[年]]内の[[連番]]を組み合わせて[[法令]]を識別するものです。
[292] 昭和64年と平成元年は[[改元]]を経て連続する1つの[[年]]ですが、
[[法令番号]]としては[[改元]]で一度リセットされています [SRC[>>290]]。
[REFS[
- [290] [CITE@ja[法令番号 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-14 00:31:28 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BB%A4%E7%95%AA%E5%8F%B7>
]REFS]
* 元号名の衝突
[276] [[日本]]の政府が定めた[[元号]]は、いずれも固有の名称を持ち、衝突しません。
[277] [[私年号]]の中には、正式な[[元号]]と同名のものもあります。
[[日本]]の[[元号]]と[[日本]]以外の[[元号]]が衝突しているケースもいくつかあります。
* 元号の併存
[278] 歴史的には、独立した権力を有する[[東洋]]の各国がそれぞれの[[元号]]を定め、
その領域で並行して使われていました。
[279] 政府が分裂したり、弱体化したりすると、国内でも複数の[[元号]]が使われることがありました。
[280] 中央政府が制定したと記録されていない[[元号]]を[DFN[[[私年号]]]]といいます。
[[日本]]の[[私年号]]は、一説には440以上あるともいいます。
他の国にも[[私年号]]があったようです。
[234] 元号の分裂にはいくつかのパターンがあるようです。
[FIG(list)[
- [281] 分裂した政府や新たに建国した政府が新しい[[元号]]を制定する
- [282] 中央政府の[[改元]]に地方勢力が従わず、旧[[元号]]が継続される
- [284] 勢力統合による[[元号]]の廃止に一部勢力が従わず、廃止[[元号]]が継続される
- [283] 地方の勢力や民衆が新しい[[元号]]を制定する
]FIG]
[REFS[
- [225] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-13 18:25:40 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]REFS]
* 日本の元号
** 元号のない時代の扱い
[85] 対応表や変換ソフトウェアにおける[[元号]]のない時期の扱いは、それぞれです。
[FIG(list)[
- [86] 対象外とし、扱わないこととする
- [87] [[天皇]]名により「[VAR[○○]]天皇[VAR[n]]年」または「[VAR[○○]][VAR[n]]年」
のように表す
- [88] 「白雉後[VAR[n]]年」のように表す
-- [[大化]]より後のみ
]FIG]
[209] [[大化]]以前には、
[[神武天皇]]から[[皇極天皇]]まで、[[神功皇后]]を含めて36個の擬似[[元号]]があります。
[210] [[大化]]以後の[[元号]]欠落期間には、次の擬似[[元号]]があります。
[FIG(short list)[
- [[斉明天皇]]
- [[天智天皇]]
- [[天武天皇]]
- [[持統天皇]]
- [[文武天皇]]
]FIG]
[138] 天皇名を擬似[[元号]]とする場合、[[文武天皇]]を除き、改元は1月1日とされているようです。
前天皇の没年の翌年が元年となるようです。
;; [211] 後世に便宜上与えた[[年]]の名称なので、[[即位]]年月日とは無関係に扱いやすいよう定めたのでしょう。
[89] [[神功皇后]]も擬似[[元号]]として扱うのが普通です。
[[Wikipedia]] は「神功元年10月2日 - 神功69年4月17日」 (在位期間)
や「神功皇后69年4月17日」 (死去) のように表記しています [SRC[>>135]]。
「神功皇后摂政[VAR[n]]年」とも表記します。
[312] >>311 は[[神武天皇]]即位以前を擬似[[元号]]「神武天皇前」で表しています。
[[日本書紀]]の最初であるとする -666年 (紀元前667年) が元年 [SRC[>>313]]
([[神武東征]]開始の[[甲寅]]の年) で、7年まであります。
[REFS[
- [139] [CITE@ja[上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-11 20:13:52 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8F%A4%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E5%9C%A8%E4%BD%8D%E5%B9%B4%E3%81%A8%E8%A5%BF%E6%9A%A6%E5%AF%BE%E7%85%A7%E8%A1%A8%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7>
- [135] [CITE@ja[神功皇后 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-08 23:31:07 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E>
- [311] [CITE[和暦(わごよみ)]] ([TIME[2008-08-24 10:06:08 +09:00]] 版) <http://www.wagoyomi.info/wagoyomi.html>
-- [313] [CITE[和暦(わごよみ) 注記]] ([TIME[2015-08-07 11:59:51 +09:00]] 版) <http://www.wagoyomi.info/note.html>
]REFS]
[319] [[Wikipedia]] の[[孝徳天皇]]記事は645年を当初[[皇極天皇]]4年、
6月14日から19日まで[[孝徳天皇]]元年、6月19日から大化元年としています [SRC[>>318]]。
[[Wikipedia]] の他の記事 [SRC[>>322]] や元号一覧は[[大化]]開始日6月19日まで皇極天皇4年としています。
[325] >>323 も6月18日まで皇極天皇4年としています。
[321] [CITE[[[日本書紀]]]]に「天豊財重日足姫天皇の四年を改めて大化元年とす」とある
[SRC[>>320]] ので、6月19日まで[[皇極天皇]]4年と扱うのが適当に思われます。
途中5日間だけ[[孝徳天皇]]元年として扱うのは細かすぎます。
[316] [[Wikipedia]] の元号一覧および個別記事 [SRC[>>317]]
では、[[白雉]]の最終日は[[旧暦]]白雉5年10月10日
([[ユリウス暦]]654年11月24日) となっています (空白期開始日も同日)。
それ以後は擬似[[元号]][[孝徳天皇]]を使っています [SRC[>>318]]。
[324] >>323 も10月11日以後[[孝徳天皇]]10年としています。
[330] 崩御後年末までの事項を[[白雉]]元年とするものもあります [SRC[>>329]]。
しかし年末まで2ヶ月しかなく、[[孝徳天皇]]葬儀くらいしか出来事がなかったようで、
言及自体がそれほど多くはないようです。[[朱鳥]]の扱いと統一するなら、
年末まで[[白雉]]元年とし、翌年初から[[斉明天皇]]元年とするのが良いようにみえますが...
[REFS[
- [320] [CITE@ja[大化 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-19 14:26:18 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96>
- [317] [CITE@ja[白雉 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-19 14:08:54 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9B%89>
- [318] [CITE@ja[孝徳天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [322] [CITE@ja[645年 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-14 06:42:09 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/645%E5%B9%B4>
- [329] [CITE[古代史年表(欽明天皇~元明天皇)]] ([TIME[2016-01-19 15:27:53 +09:00]] 版) <http://www.ookuninushiden.com/newpage1.html>
]REFS]
[137] 斉明天皇7年7月24日/[[ユリウス暦]]661年8月24日) の[[斉明天皇]]崩御後[[中大兄皇子]]が[[称制]]しました。
その翌年662年が天智天皇元年とされています [SRC[>>136]]。
即位したのは天智天皇7年1月3日/[[ユリウス暦]]668年2月20日です [SRC[>>136]]。
各種対応表等もこれに従っているようです [SRC[>>138]]。
[REFS[
- [136] [CITE@ja[天智天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-06 22:37:16 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87>
]REFS]
[134] [[Wikipedia]] その他 [SRC[>>132, >>133, >>323]]
は[[弘文天皇]]を擬似[[元号]]として使わず、
671年は天智天皇10年、672年は天武天皇元年としています。
[91] [[弘文天皇]]の即位日は[[旧暦]]天智天皇10年12月5日/[[ユリウス暦]]672年1月9日で、
671年を弘文天皇元年、672年を弘文天皇2年とする場合と、
672年を弘文天皇元年とする場合があるようです。
[185] >>50 は673年を天武天皇元年としています。
[REFS[
- [132] [CITE@ja[壬申の乱 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-30 09:54:11 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1>
- [133] [CITE@ja[弘文天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-29 00:04:24 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%9A%87>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[101] >>19
]FIGCAPTION]
> 「神武天皇」から「文武天皇」まで
> 『日本書紀』および『続日本紀』(ともに『日本国史大系』(吉川弘文館刊)収録のもの)の記述に従っています。
> (1)年号名および改元日が記されているものはそれによる(大化、白雉、朱鳥)。
> (2)年号がないものは天皇(または皇后)の名称を年号として用いる。この場合、各史料に元年と記された年の1月1日をもって年号を改める(即位日ではない)。ただし、持統天皇11年丁酉(日本書紀)と文武天皇元年丁酉(続日本紀)は同じ年であるため、この年は文武天皇の即位日から年号を「文武天皇」として扱う。なお、弘文天皇は入力のみ対応する(出力時は「天武天皇」)。
]FIG]
[93] 686年は[[朱鳥]]元年ですが、1年のみ [SRC[>>92]]
でその後[[元号]]が用いられなくなります。
687年は[[朱鳥]]2年とする場合もあります。
文献には[[朱鳥]]8年まで用例があります [SRC[>>92]]。
[[持統天皇]]元年を687年とすることが多いようですが、686年とするものもあります。
[[朱鳥]]がなかったことにしているものまであります。
[141] [[菟野讃良皇后]]は[[旧暦]]朱鳥元年9月9日/[[ユリウス暦]]686年10月1日から[[称制]]、
[[旧暦]]持統天皇4年1月1日/[[ユリウス暦]]690年2月14日に[[即位]]しています ([[持統天皇]])
[SRC[>>140]]。 [[Wikipedia]] の元号一覧はこの日を[[朱鳥]]最終日とし、
以後空白期にしています。
しかし他の記事では、残りの期間も[[朱鳥]]元年として扱っています [SRC[>>207]]。
[327] 他の対応表も686年末まで[[朱鳥]]元年、
687年初から[[持統天皇]]元年としています [SRC[>>323]]。
[208] [[Wikipedia]] は[[退位]]を[[旧暦]]持統天皇11年8月1日/[[ユリウス暦]]697年8月22日としています [SRC[>>140]]。
[143] 次の[[文武天皇]]は、[[即位]]が[[旧暦]]文武天皇元年8月1日/[[ユリウス暦]]697年8月22日です
[SRC[>>142]]。新[[元号]]の[[大宝]]は[[旧暦]]文武天皇5年3月21日/[[ユリウス暦]]701年5月3日からとされています。
[144] つまり697年は[[持統天皇]]11年かつ[[文武天皇]]元年とされています。
[326] 一方で持統天皇11年を置かず、初日から[[文武天皇]]元年とするもの [SRC[>>323]]
もあります。
[REFS[
- [92] [CITE@ja[朱鳥 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-11 11:49:32 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%B3%A5>
- [140] [CITE@ja[持統天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%B5%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [142] [CITE@ja[文武天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [207] [CITE@ja[686年 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-06 08:09:59 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/686%E5%B9%B4>
]REFS]
** 古代の私年号
[226] [[元号]]や正式に定められる前や、初期の不安定な時期に使われたといわれる[[私年号]]は多数あります。
それらを[DFN[[[逸年号]]]]ということもあります。
しかしそのほとんどは後世の作と考えられています [SRC[>>225]]。
[170] [[Wikipedia]] の[[日本の元号]]の一覧は、
[[私年号]]のうち[[白鳳]]と[[朱雀]]だけ特別に掲載しています。
それぞれ、[[白雉]]と[[朱鳥]]の別名 (ただし異説もあり) [SRC[>>225]] とされています。
[227] [[法興]] (元年 = 591年、31年以上存続) も実在したことは間違いない [SRC[>>225]] とされています。
[224] [[大和朝廷]]とは異なる[[九州王朝]]が存在したと考える人は、
[[九州王朝]]の[[元号]]を[DFN[[[九州年号]]]]や[DFN[[[倭国年号]]]]と呼んでいます。
次のような[[元号]]が挙げられています [SRC[>>228]]。
[[正史]]の[[元号]]と同名であっても、別の[[年]]とされています。
[FIG(list short)[
- [[継体]]
- [[善化]]/[[善記]]
- [[正和]]
- [[発倒]]/[[教到]]
- [[僧聴]]
- [[同要]]/[[明要]]
- [[貴楽]]
- [[結清]]/[[法清]]
- [[兄弟]]
- [[蔵和]]
- [[師安]]
- [[和僧]]
- [[金光]]
- [[賢接]]/[[賢稱]]
- [[鏡當]]
- [[勝照]]
- [[端政]]
- [[従貴]]/[[告貴]]
- [[煩転]]/[[願転]]
- [[光元]]
- [[定居]]
- [[倭京]]
- [[仁王]]
- [[聖徳]]
- [[僧要]]
- [[命長]]
- [[常色]]
- [[白雉]]
- [[白鳳]]
- [[朱雀]]
- [[朱鳥]]
- [[大化]]
- [[大長]]
]FIG]
[230] [[白亀]]も[[私年号]]とされますが、出典は『旧唐書』倭国日本国伝で、
[[神亀]]の誤記と考えられています [SRC[>>225]]。
[229] 他にもいくつか古代の[[私年号]]があります [SRC[>>225]]。
[REFS[
- [228] [CITE@ja[九州王朝説 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-13 03:42:23 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC#.E4.B9.9D.E5.B7.9E.E5.B9.B4.E5.8F.B7.E8.A1.A8>
- [231] <http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/NENGO.htm>
- [232] <http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
- [233] <http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm>
]REFS]
** 昌泰
[119] [[Wikipedia]] その他は寛平10年4月26日
([[ユリウス暦]]898年5月20日)から昌泰4年7月15日
([[ユリウス暦]]901年8月31日)までとしています。
[120] [[Wikipedia]] は開始日について「4月16日(5月10日)、8月16日(9月5日)の説もある」
としています。
** 源平合戦期
[150] [[平安時代]]末期には、[[関東]]の[[源頼朝]]勢力や[[西国]]の[[平氏]]勢力が中央の[[改元]]に従わない時期がありました。
[145] 対応表等では、[[源平合戦]]期の[[元号]]について、併記するか、
[[平氏]]側の[[改元]]も[[源氏]]側の[[元号]]も採用しているようです。
[FIG(table)[
:西暦: [[西暦]]
:時期: 時期
:平氏: [[平氏]]
:京都: [[京都]]
:源氏: 関東
:備考: 備考
:西暦: 1181年
:平氏: 治承5年
:京都: 治承5年
:源氏: 治承5年
:西暦: 1181年
:時期: 治承5年7月14日
:平氏: 養和元年
:京都: 養和元年
:源氏: 治承5年
:備考: [[養和]]に[[改元]]
:西暦: 1182年
:平氏: 養和2年
:京都: 養和2年
:源氏: 治承6年
:西暦: 1182年
:時期: 養和2年5月27日
:平氏: 寿永元年
:京都: 寿永元年
:源氏: 治承6年
:備考: [[寿永]]に[[改元]]、
寿永2年7月[[平家]][[都落ち]]・[[源義仲]]入京
:西暦: 1183年
:平氏: 寿永2年
:京都: 寿永2年
:源氏: 治承7年
:西暦: 1183年
:時期: 寿永2年10月14日
:平氏: 寿永2年
:京都: 寿永2年
:源氏: 寿永2年
:備考: [[寿永二年十月宣旨]]
:西暦: 1184年
:平氏: 寿永3年
:京都: 寿永3年
:源氏: 寿永3年
:西暦: 1184年
:時期: 寿永3年4月16日
:平氏: 寿永3年
:京都: 元暦元年
:源氏: 元暦元年
:備考: [[元暦]]に[[改元]]
:西暦: 1185年
:平氏: 寿永4年
:京都: 元暦2年
:源氏: 元暦2年
:西暦: 1185年
:時期: 元暦2年3月24日
:平氏: 寿永4年
:京都: 元暦2年
:源氏: 元暦2年
:備考: [[壇ノ浦の戦い]]で[[平家]]敗退
:西暦: 1185年
:平氏: 元暦2年
:京都: 元暦2年
:源氏: 元暦2年
:西暦: 1185年
:時期: 元暦2年8月14日
:平氏: 文治元年
:京都: 文治元年
:源氏: 文治元年
:備考: [[文治]]に[[改元]]
]FIG]
[121] [[Wikipedia]] は治承5年7月14日
([[ユリウス暦]]1181年8月25日) に[[治承]]から[[養和]]に[[改元]]したとしています。
[122] 一方で、[[源氏]]は[[元暦]]の[[改元]] (寿永3年4月16日/[[ユリウス暦]]1184年5月27日) まで[[平氏]]政権の[[元号]]
([[養和]]、[[寿永]]) を使わなかったとしています。
[148] 寿永2年10月14日の[[宣旨]]を期に[[源氏]]も[[寿永]]を使うようになったともあります
[SRC[>>146]]。
[123] [[平氏]]も[[元暦]]の[[改元]]を無視し、元暦2年(寿永4年、1185年)の壇ノ浦の戦いまで[[寿永]]を使ったとしています。
[[寿永]]の項には[[文治]]に[[改元]]したのも無視したとありますが [SRC[>>146]]、
[[改元]]は[[壇ノ浦の戦い]]より後です。誤記か、残党が使っていたのでしょうか。
[205] なお、地方勢力が旧[[元号]]を使い続ける例は他にもありますが、
南北朝期と本期間が特別に両[[元号]]を列挙される (ことがある) のは、
[[天皇]]が同時に在位していたという特殊性によるものでしょうか。
[REFS[
- [146] [CITE@ja[寿永 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-11 20:42:41 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E6%B0%B8>
- [147] [CITE@ja[寿永二年十月宣旨 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-11 20:43:26 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E6%B0%B8%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E5%8D%81%E6%9C%88%E5%AE%A3%E6%97%A8>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[149] [CITE[1987_2/解法のヒント]]
([TIME[2009-03-09 17:31:06 +09:00]] 版)
<http://www.ab.auone-net.jp/~tsuka21/ronjutu/toudai/kakomon/kaisetu/kaisetu872.html>
]FIGCAPTION]
> 設問の要求は、朝廷が治承5年に養和、翌年に寿永と改元したにもかかわらず、報告書では治承の年号がそのまま使われていた理由。
> 問題文によれば、報告書は「建久8年(1197)に荘官が荘園領主ヘ提出した」ものであり、元暦元年(1184)以降、源頼朝が「北陸道にまで支配圏を伸ばし、所々に鎌倉から地頭を送りこんで」いる。ということは、報告書を送った荘官が御家人であるかどうかは明記されていないとはいえ、源頼朝の支配下にあることがわかるし(十月宣旨で東山・東海道の支配権を獲得した頼朝は源義仲滅亡(1184年)にともない北陸道の支配権もあわせて獲得していたことも想起しよう)、報告書のなかで使われている年号は源頼朝の支配地域においてその時々に使用されていた年号であるとも判断できる。つまり、「朝廷が治承5年に養和、翌年に寿永と改元した」当時に、越後国白河荘の現地でどのような年号が使用されていたのかについては、考慮する必要はない。
]FIG]
** 南北朝期
[151] 中央政府が分裂した南北朝時代には、それぞれの[[元号]]が用いられました。
両勢力の複雑な争いにより、[[元号]]の廃止や復活もあって複雑になっています。
[187] 対応表や変換ソフトウェアは[[北朝]]と[[南朝]]を併記するものが多いですが、
一方のみ採用するものもあります。完全に併記とするもの、
[[北朝]]を原則とするもの、[[南朝]]を原則とするものがあります。
分裂や統合の境界部分の扱いが怪しいものもあります。
[[正平一統]]まで記述しているものはあまりありません。
[203] [[明治時代]]以後、[[南朝]]が正当とされ、[[天皇]]の代数は[[南朝]]基準で数えられています。
(それ以前は[[北朝]]基準でした。) どちらかを選択しなければならない場合、
[[元号]]も[[南朝]]側を採用するのが良いのかもしれません。
;; [204] [[日本]]の大部分を支配していた、あるいは[[首都]]である[[京都]]を支配していた、
という基準なら[[北朝]]を選択するべきですが...
[FIG(table)[
:w: [[西暦]]
:n: [[北朝]] ([[持明院統]])
:s: [[南朝]] ([[大覚寺統]])
:note: 備考
:w: 1329
:n: 嘉暦4年
:s: 嘉暦4年
:w: 1329
:n: 元徳元年
:s: 元徳元年
:note: 嘉暦4年8月29日[[改元]]
:w: 1330
:n: 元徳2年
:s: 元徳2年
:w: 1331
:n: 元徳3年
:s: 元徳3年
:w: 1331
:n: 元徳3年
:s: 元弘元年
:note:
- 元徳3年8月9日[[後醍醐天皇]]が改元 ([[鎌倉幕府]]は承認せず)
- 8月24日[[後醍醐天皇]][[都落ち]] [SRC[>>152]]
- 9月20日[[光厳天皇]][[践祚]] [SRC[>>152]]
- その後すぐ[[後醍醐天皇]]捕縛
:w: 1332
:n: 元徳4年
:s: 元弘2年
:note:
元徳4年3月7日[[後醍醐天皇]]配流
:w: 1332
:n: 正慶元年
:s: 元弘2年
:note:
- [[北朝]]元徳4年4月28日改元
- 11月[[後醍醐天皇]]方挙兵 [SRC[>>152]]
:w: 1333
:n: 正慶2年
:s: 元弘3年
:note:
- 元弘3年閏2月[[後醍醐天皇]]挙兵 [SRC[>>152]]
- 5月7日[[京都]]制圧 [SRC[>>152]]
- 5月22日[[鎌倉幕府]]滅亡 [SRC[>>152]]
:w: 1333
:n: 元弘3年
:s: 元弘3年
:note: [[北朝]]正慶2年5月25日退位
:w: 1334
:n: 元弘4年
:s: 元弘4年
:w: 1334
:n: 建武元年
:s: 建武元年
:note: 元弘4年1月29日改元
:w: 1335
:n: 建武2年
:s: 建武2年
:note:
8月[[足利尊氏]]出兵
:w: 1336
:n: 建武3年
:s: 建武3年
:note:
- 1月10日[[後醍醐天皇]]都落ち [SRC[>>154]]
- 1月11日[[足利尊氏]][[上洛]] [SRC[>>154]]
- 1月30日[[足利尊氏]]都落ち [SRC[>>154]]
:w: 1336
:n: 建武3年
:s: 延元元年
:note:
- 建武3年2月29日[[後醍醐天皇]]が改元 ([[足利尊氏]]は従わず [SRC[>>154]])
- 5月27日[[後醍醐天皇]]都落ち [SRC[>>154]]
- 6月14日[[足利尊氏]]が[[京都]]入城 [SRC[>>154]]
- 6月15日[[光厳上皇]]が改元撤回 [SRC[>>154]]
- 8月15日[[光明天皇]]即位 [SRC[>>154]]
- 10月10日[[後醍醐天皇]]降伏 [SRC[>>154]]
- 12月21日[[後醍醐天皇]]都落ち [SRC[>>154]]
:w: 1337
:n: 建武4年
:s: 延元2年
:w: 1338
:n: 建武5年
:s: 延元3年
:w: 1338
:n: 暦応元年
:s: 延元3年
:note: [[北朝]]建武5年8月28日改元
:w: 1339
:s: 延元4年
:w: 1340
:s: 延元5年
:w: 1340
:s: 興国元年
:note: [[南朝]]延元5年4月28日改元
:w: 1342
:n: 康永元年
:note: [[北朝]]暦応5年4月27日改元
:w: 1345
:n: 貞和元年
:note: [[北朝]]康永4年10月21日改元
:w: 1347