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[33] 現在[[中華人民共和国]]は、 [CODE[[[+08:00]]]] を全土の[[標準時]]として採用しています。
* 清
[64] [[清]]朝時代の政府発行の[CITE[[[御定萬年書]]]]は、
[[北京]]の[[地方視太陽時]]を用いて[[農暦]]が計算されていました [SRC[>>4]]。
;; [116] 1850年代、[[アヘン戦争]]と[[アロー戦争]]を経て[[海関]] ([[税関]])
は[[列強]]各国 (特に[[イギリス]]) の管理下に入りました。
当時は[[清]]国の政府機関でしたが、後に[[中華民国]]に引き継がれました。
;; [133] [TIME[1872年][1872]]、[[上海]]にあった[[フランス]]の[[租界]]に[[徐家汇观象台]]が設立されました。
[5] 1870年代には[[徐家汇观象台]]が[[上海]]の[[平時]]を[[租界]]と[[船舶]]に[[報時]]していました。
19世紀末には、[[東経]]120度の時刻を[[標準時]]としました。 [SRC[>>4]]
;; [62] [[フランス]]が[[グリニッジ子午線]]を事実上の[[本初子午線]]としたのは[TIME[1911年][1911]]です。
[[東経]]120度の時刻というのが [TZ[+08:00]] と同じものなのかは不明です。
[63] [TIME[光緒28年/1902年][1902]]には、中國海關が[LON[東経120度][120]]の[[時刻]]
[TZ[+08:00]] を[DFN[[[海岸時]]]]
([DFN[コーストタイム]]) とし、
沿岸・[[長江]]の主要な[[港湾]]と[[京奉鐵路]]、[[京漢鐵路]]、[[津浦鐵路]]で採用しました。
[SRC[>>4]]
;; [115] >>102 によれば、 >>63 の出典は[CITE[中華民国八年暦書]]の4ページです。
1902年に最初に制定されたのでしょうが、どのように拡大していったのかは不明です。
[157] [[清國]][[上海]][[[RUBYB[徐家匯][Zi-Ka-Wei]]天文臺][徐家匯天文臺]]の
[TIME[1902年12月25日][1902-12-25]]天文台長告示によると、
[TIME[翌年1月1日][1903-01-01]]より、[[上海]]のフランス租界の[[報時球]]は
[TZ[+08:00]] を採用しました [SRC[>>156]]。
[159] [[ドイツ]]政府は、[TIME[1903年1月15日][1903-01-15]]より、
[[膠州湾租借地]]の[[標準時]]を [TZ[+08:00]] としました。
これに伴い[[[RUBYB[靑嶋][Tsintau]]海軍天文台][靑嶋海軍天文台]]の[[報時球]]も[LON[東経120°18[FRAC[1][4]]'][120.18.15E]][[地方平時]]から1分13秒2遅らせることとされました。
[SRC[>>158]]
[119] [TIME[1904年10月30日][1904-10-30]]に[[香港]]と[[澳門]]が [TZ[+08:00]] を[[標準時]]としました。
[[広東]]、[[江門]]、[[三水]]、[[梧州]] (の[[海関]]系機関) も同時に
[TZ[+08:00]] を採用しました。 [SRC[>>117]]
;; [118] ところで「[[海岸時]]」という用語は >>117 には現れません。
たまたま >>117 には使われなかったのか、通称だったのか、
後の時代に付けられた名前なのかは不明です。
[31] [TIME[1905年8月1日][1905-08-01]]には、[[海関]]の主導により関係各機関
([[郵便]]、[[電信]]、[[鉄道]]等) との調整を経た[[標準時]]が実施されました
[SRC[>>117]]。これは全土を [TZ[+09:00]], [TZ[+08:00]], [TZ[+07:00]],
[TZ[+06:00]], [TZ[+05:00]] に分けたもので、ほぼ[[経度]]に従っていますが、
交通や電線の都合で調整が入っています。
;; [123] ただし、 >>117 には残念ながらその詳細の図は収録されておらず
(原文には付図があった模様)、主要都市([[開港場]]等)が列挙されているのみです。
海岸部の都市は既に [TZ[+08:00]] を用いていたので、
新たに [TZ[+08:00]] を用いることにしたと思しきいくつかの [TZ[+08:00]]
の都市と、わずかな [TZ[+07:00]] と [TZ[+06:00]] の都市が挙げられているのみです。
(もっとも、この時代にはまだ全土で[[標準時]]を規定したといっても、
それら外国人が多数在住して電信や郵便が整ったわずかな都市でだけしか実態が無かったのでしょう。)
;; [100] [[アジア大陸の鉄道標準時]]、[[蒙古標準時]]も参照。
[REFS[
- [156] [CITE[清國上海佛國租界の標準時採用]] (地学雑誌 Vol. 15 (1903) No. 2 P 199, [TIME[2016-05-02 19:40:43 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/15/2/15_2_199/_article/-char/ja/>
- [158] [CITE[膠州灣地方新標準時採用、同報時球落下時改正]] (地学雑誌 Vol. 15 (1903) No. 6 P 516a, [TIME[2016-05-02 22:32:52 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/15/6/15_6_516a/_article/-char/ja/>
- [30] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 支那海関総税務司訓令集. 第3輯]] ([TIME[2015-11-21 17:48:05 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449825/339>
-- [117] [CITE[標準時の一般的使用に関する件]]
[[総税務司]][[ロバート・ハート]][[訓令]]第1263号,
[TIME[1905年7月14日][1905-07-14]]
]REFS]
* 中華民国 (大陸時代)
[58] 1928年/民国17年までは、[[農暦]]は[[北京]]の東経116度25分 = [CODE[+07:45:40]]
に基づき計算されていました。1912年/民国元年と1913年/民国2年の[[暦]]は[[地方視太陽時]]、
1914年/民国3年以降の[[暦]]は[[地方平均太陽時]]が用いられました。
;; [[農暦]]参照。
[65] 1918年/民国7年には、[[中央觀象台]]が5つの[[時間帯]]を定めました
([[満州]]、[[蒙古]]、[[ウイグル]]、[[チベット]]も領土として含まれていました)
[SRC[>>4]]。
[FIG(list)[
- [[中原時區]] [CODE[[[+08:00]]]]
- [[隴蜀時區]] [CODE[[[+07:00]]]]
- [[回藏時區]] [CODE[[[+06:00]]]]
- [[崑崙時區]] [CODE[[[+05:30]]]]
- [[長白時區]] [CODE[[[+08:30]]]]
]FIG]
[66] [[中央觀象台]]が出版した[CITE[中華民國八年曆書]]には、
主要都市の[[時間帯]]と[[地方平均時]]の対応関係が示されていました [SRC[>>4]]。
;; [125] この区分けと従来の[[海関]]によるもの (>>31) との関係は不明です。
[CITE[中華民国八年暦書]]に[[海岸時]]にしか言及 (>>115) がないとすると、
まったく新たに区域 (と東西2区の[[標準時]]) が定められた可能性もあります。
;; [134] 実施時期は不明ですが、民国7年に定められ民国8年暦書に記載されたということで、
民国8年正月施行かもしれません。
[28] >>27 によれば[[上海]]は各国商業会議所と領事で議論した結果夏期時間制を採用することとし、
[TIME[大正8年/1919年4月12日午前0時][1919-04-12 00:00]]より実施したようです [SRC[>>27]]。
[26] >>25 によれば、[[上海]]に倣って[[天津]] (の租界および民国現地政府)
は[TIME[1919年4月26日][1919-04-26]]から[TIME[1919年10月1日][1919-10-01]]までの間[[夏時刻]]を実施する
([[天津]]の[[電信局]]はそれに従うが鉄道は従わない見込みである) ことから、
[[北京]]も[[夏時刻]]を実施するべきかと各国公使団で議論されました。
しかし鉄道が夏時刻を実施しないことによる混乱を危惧し、
[[北京]]では実施されなかったようです。
[127] [[中華民国]]の[[中央観象台]]は、[TIME[1919年][1919]][[夏時刻]]実施時に、
時間制度をいたずらに混乱させるもので、[[標準時]]に戻すべきだと要請しましたが、
[[上海]]の[[海関]]は既に実施されたものを戻しても混乱が深まるだけだと拒否しました
[SRC[>>126]]。
[129] [[中央観象台]]は、時計の時間よりも1時間遅らせる (つまり実質的に[[標準時]]通りの)
特別な制度を実施するなど[[上海]]の市内だけでも成功とは言いがたく、
他の都市も推して知るべしだと指摘しています [SRC[>>126]]。
また、[[海関]]の中で[[夏時刻]]を実施したのは[[上海]]だけでした [SRC[>>126]]。
[128] 翌[TIME[民国9年/1920年][1920]]には[[中央観象台]]は先手を打って春のうちに[[夏時刻]]を実施しないように要請し、
[[上海]]の[[海関]]にも[[総税務司]]から指示が来ています [SRC[>>126]]。
;; [131] [[海関]]以外や[[上海]]以外の都市の様子は不明ですが、
主導していたらしい[[上海]]が抑えこまれた以上、[[夏時刻]]は以後実施されなかったのかもしれません。
[151] 大正14年出版の >>150 には、「各省時差」として、
[[中華民国]]各[[省]]の分単位の[[時差]]が示されています。
現地情報ではなく各[[省]]中心部の[[経度]]から求めたようにも思えますが、不明です。
[68] 1929年からは[[農暦]]が [CODE[[[+08:00]]]] で計算されるようになりました [SRC[>>4]]。
;; [130] 1928年に[[北伐]]により[[北京政府]]が崩壊し、
[[南京国民政府]]によって編暦業務は[[南京]]の[[紫金山天文台]]に移されました。
[174] [TIME[1932年3月3日][1932-03-03]]の[[ロンドン]]の出来事を報じた[[新聞記事]]には、
「上海時間午後二時半(ロンドン時間午前六時)」 [SRC[>>175]] とあります。
この時期の[[ロンドン]]は[[夏時刻]]ではないので [TZ[+00:00]] とすると、
[[上海]]は [TZ[+08:30]] となります。実際に[[上海]]でこの時刻が使われていたのか、
何らかの誤りなのかは不明です。
;; [50] [TIME[1937年][year:1937]]の[[北支事変]]によって[[蒋介石]]政権が[[中国大陸]]の沿岸部の支配を失い、
かわって[[中華民国臨時政府]] ([[北京]]) や[[中華民国維新政府]] ([[南京]])
が設立されました。
[161] [TIME[1938年4月18日][1938-04-18]]の報告によると、
[[蒙疆連合委員会]] ([[中華民国]]領内[[内蒙古]]地域の[[自治政府]]) は、
[TIME[1938年/昭和13年4月20日][1938-04-20]]より [TZ[+09:00]] を[[標準時]]とし、
19日23時をもって20日0時に切り替えることと定めました [SRC[>>160 コマ6,7]]。
[55] 同じく[TIME[1938年/昭和13年4月20日][1938-04-20]]には、
[[北支]]・[[内蒙]]地域の[[日本軍]]が[[中央標準時]]
[TZ[+09:00]] を採用しました [SRC[>>426]]。
[163] 更には、[TIME[1938年/昭和13年4月20日][1938-04-20]]に[[北支鉄道]]事務局も
[TZ[+09:00]] を採用しました [SRC[>>160 コマ8]]。
[162] この[[蒙疆地区]]の[[標準時]]制定は、[[日本]]、[[満洲国]]、
[[北支方面軍]]との関係を考慮したものだ [SRC[>>160 コマ7]] といいます。
更に、[[北支]]の軍以外の民間の[[標準時]]も改正するよう要請があります
[SRC[>>160 コマ7]]。つまり[[内蒙古]]の現地政府と[[内蒙古]]および[[北支]]の[[日本軍]]、
[[北支鉄道]]は歩調を合わせて[[標準時]]改正したものの、
[[北支]]現地政府とはこの時点で調整がつかず、軍民間で[[時差]]が生じたようです。
[164] [[在北京日本総領事館]]は、 (5月?) 5日に [TZ[+09:00]] を採用しました
[SRC[>>160 コマ8]]。
[[在青島日本総領事館]]は、 [TIME[5月20日][1938-05-20]]に [TZ[+09:00]] を採用しました
[SRC[>>160 コマ9]]。
[56] その後[[中華民国臨時政府]]や[[中華民国維新政府]]の支配地域では
[TZ[+09:00]] が公式な時刻とされたようです [SRC[>>48]]。
これが[[標準時]]なのか[[夏時刻]]なのか、[[夏時刻]]の通年採用なのかはよくわかりません。
;; [53] これによって[[満州国]]の[TIME[1937年][year:1937]]標準時 [TZ[+09:00]]
との[[時差]]も解消しています。
[67] [TIME[1939年/民国28年3月9日][1939-03-09]]には、[[重慶国民政府]] ([[蒋介石]]政権)
の[[標準時間會議]]が改めて5つの[[時間帯]]を採用することを決めました [SRC[>>4]]。
区割りには調整が加えられました [SRC[>>4]]。
;; [69] この時期[[長白時區]]は[[満州国]]の支配下にあり、
[[中原時區]]も大部分は[[重慶国民政府]]の支配が及ばない状態だったと思われますが、
[[重慶国民政府]]の主張する領土全体の区割りが定められたようです。
[[ウイグル]]、[[チベット]]もこの当時重慶政府の支配がほとんど及んでいなかったものと思われますが、
やはり領域に含められていたと思われます。[[外蒙古]]については不明です。
[70] この[[重慶国民政府]]の[[時間帯]]は[TIME[1939年/民国28年6月1日][1939-06-01]]に実施されることとなりましたが、
同時に戦時中のため当面[[隴蜀時區]] [TZ[+07:00]] を全土で採用することが決められました
[SRC[>>4]]。
;; [77] しかし西方地域では無視されていたといいます [SRC[>>60]]。
[[重慶国民政府]]は海岸部を支配していなかったので、そもそも [TZ[+07:00]]
以外を適用するべき支配地域がなかったのでしょう。
[147] [[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]には、
[TZ[+06:30]]、[TZ[+06:00]]、[TZ[+07:00]]、[TZ[+08:00]] が[[支那]]として記載されています
[SRC[>>145]]。 ([[香港]]と[[澳門]] [TZ[+08:00]]、[[満州国]] [TZ[+09:00]] も記載があります。)
しかしその翌年からは[[支那]]の記載がなぜかなくなります。
[78] >>60 の引用する「AP article "Shanghai Internat'l Area Little Changed" in the
Lewiston (ME) Daily Sun (1939-05-29), p 17」によれば、当時の[[上海]]の[[日本軍]]の勢力圏内では
[TZ[+09:00]] が用いられ、それ以外では [TZ[+08:00]]
が用いられていました。
[180] 日付不明 ([TIME[1939年][year:1939]]頃?) の >>179 には、
「重慶時間(上海時間より約一時間遅れ)」とあります。
[172] [TIME[1940年3月29日][1940-03-29]]の[[南京]]での出来事を報じた[TIME[翌日][1940-03-30]]の[[大阪]]の[[新聞記事]]には、
「現地時間」との注記があり [SRC[>>173]]、[[日本時間]]の記載がないため断定はできませんが、
[[時差]]があったことが伺えます。
[24] [[上海租界]]および[[上海特別市]]では、
1940年/昭和15年6月1日から9月30日 → 延長して10月12日まで標準時 [TZ[+08:00]]
にかえて夏季時間 [TZ[+09:00]] が用いられました。
在上海日本領事館は夏季時間10月13日午前1時に標準時10月13日午前0時に切り替える運用としたようです。 [SRC[>>23 (>>47 も参照)]]
;; 敢えて「当館に於ては」と断っているので、公式には切替方法が定まっていなかったのでしょうか。
[86] >>60 は、現[[中華人民共和国]]の時刻を表す [CODE[[[Asia/Shanghai]]]] の[[夏時刻]]を次のように定めています
[SRC[>>60]]。明確ではありませんが、[[上海]]で実施されたものを表していると思われます。
[FIG(list)[
- 1940年6月3日0時に1時間進めて [CODE[[[+08:00]]]] から [CODE[[[+09:00]]]] へ
- 1940年10月1日0時に1時間戻して [CODE[[[+09:00]]]] から [CODE[[[+08:00]]]] へ
- 1941年3月16日0時に1時間進めて [CODE[[[+08:00]]]] から [CODE[[[+09:00]]]] へ
- 1941年10月1日0時に1時間戻して [CODE[[[+09:00]]]] から [CODE[[[+08:00]]]] へ
]FIG]
[176] [[日独伊三国同盟]]は[TIME[1940年9月27日][1940-09-27]]に[[ベルリン]]で[[調印]]されました。
当時の[[日本]]の報道によれば、これは[[ベルリン]]時間13:15、
[[日本時間]]20:15の出来事です [SRC[>>177]]。[[重慶]]の報道では、
[[重慶時間]]の18時の出来事だといいます [SRC[>>178]]。
[[ベルリン]] [TZ[+03:00]] ([[夏時間]])、
[[日本]] [TZ[+09:00]]、[[重慶]] [TZ[+07:00]] と考えられます。
[54] [TIME[1941年][year:1941]]時点でもなお正式な [TZ[+09:00]] と旧 [TZ[+08:00]]
が混在していると言及されています [SRC[>>46]]。
[166] [[在南京日本大使館]]の報告によると、
[TIME[1941年/昭和16年5月1日][1941-05-01]]の[[国民政府]]の[[訓令]]により、
[TIME[1941年/昭和16年5月1日][1941-05-01]]から[TIME[1941年/昭和16年9月30日][1941-09-30]]に
「全国」で「[[サンマー、タイム]] ([[夏期時間]])」 [TZ[+09:00]]
を用いることとなりました [SRC[>>160 コマ15]]。
[18] [TIME[1942年/昭和17年10月][1942-10]]には[[国民政府]]の[[中央政治委員会]]決議により、
[[大東亜戦争]]中は引き続き[[日光節約時間]] [TZ[+09:00]]
の使用を全土で継続することになったようです [SRC[>>17]]。
少なくても1942年夏は [TZ[+09:00]] が用いられていたということになりますが、
その前に冬時刻 [TZ[+08:00]] だったのがいつなのかは定かではありません。
;; [38] この[[国民政府]]は、[[中華民国臨時政府]]や[[中華民国維新政府]]の後継である[[汪兆銘政権]]
(当時の[[中華民国]]の[[首都]]である[[南京]]にあった[[日本]]寄りの政府) のことと思われます。
[149] [TIME[1942年10月][1942-10]]に出版された随筆 [SRC[>>148]] は、「近頃」[[北支]]で [TZ[+09:00]]
を使っているらしいと述べています。
[103] >>102 は、[[華北]]政権が [TZ[+09:00]] を[[標準時]]にしようと試み、
[[暦]]には [TZ[+08:00]] と併記していたが、 [TZ[+09:00]] が[[標準時]]となることはなかったとしています。
[104] >>101 は、[[華北]]で[[鉄道]]や[[ラジオ放送]]などで [TZ[+09:00]]
が用いられたが、正式な[[標準時]]とはならなかったとしています。
;; [51] 1937年から1945年にかけて、同時代の記録だけでも情報が錯綜しています。
沿岸部の都市で元の時刻 [CODE[[[+08:00]]]] と新しい時刻 [CODE[[[+09:00]]]]
が存在していたのは確かですが、
冬時刻と夏時刻の違いなのか、
通年の旧標準時と新標準時なのか、
[[中華民国]]政府と[[日本軍]]と[[租界]]との違いなのか、
状況がよくわかりません。
ちなみに[[華北]]、[[華中]]の各国[[租界]]はこの時期に[[中華民国]]に順次返還されています。
[71] [[日中戦争]]終結後には、沿岸部の多くの都市が [TZ[+08:00]] に戻りましたが、
内陸部では引き続き [TZ[+07:00]] を使い続けました [SRC[>>4]]。
[114] [[中華民国]][[内政部]][[公函]][TIME[民国34年11月26日][1945-11-26]]は、
終戦に伴い全国一律の [TZ[+07:00]] を取りやめるとして、
区割りの改訂版 ([TIME[民国28年5月11日][1939-05-11]]行政院承認・施行、
[TIME[民国34年11月26日][1945-11-26]]修正) を示しています [SRC[>>113]]。
[40] [[中華民国]]は1945年から1961年まで[[夏時刻]]を実施していた [SRC[>>39]]
と[[台湾]]の政府機関は説明しています。 [CODE[[[+07:00]]]] だった地域は [CODE[[[+08:00]]]]
を、 [CODE[[[+08:00]]]] だった地域は [CODE[[[+09:00]]]] を用いたものと思われます。
;; [41] 1945年は、[[夏時刻]]実施期間中に[[台湾]]が[[中華民国]]領とはなっておらず、
大陸の支配地域のみでの実施と思われます。1949年頃から[[中華民国]]の大陸領土を喪失しているので、
以後[[台湾]]等支配地域のみでの実施となります。
[42] 1947年/民国36年8月5日には、[[中華民国]]が[[回藏時區]]を[[新藏時區]]に改称し区割りを一部改めた
[CITE[[[全國標準時間推行辦法]]]]を決定し、
1948年/民国37年3月から実行することとしました [SRC[>>4]]。
;; [111] >>110 は [TIME[1947年3月3日][1947-03-03]]付け、
>>112 は[TIME[4月5日][1947-04-05]]付け。
[REFS[
- [27] [CITE[標題:レ.上海ニ於テ夏期時間制採用ニ至リタル事情ニ関スル件 大正八年五月]] ([TIME[2015-11-21 01:27:25 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B12082176700>
- [126] [[日中時間の短縮に関しては海関時計を変更すべからざること及び執務時間は変更し得る件]]
- [25] [CITE[標題:1)北京ニ於ケル日光節約ニ関スル件 大正八年四月]] ([TIME[2015-11-21 01:16:43 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B11100518300>
- [150] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 亜東指要 : 支那満洲朝鮮案内]] ([TIME[2016-04-29 00:25:15 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983237/390>
- [160] [CITE[時間関係雑纂 0.雑]] ([TIME[2016-05-13 23:37:26 +09:00]]) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011418300>
- [175] [CITE[新聞記事文庫 : 大阪朝日新聞 1932.3.5]] ([TIME[2016-05-22 13:24:59 +09:00]]) <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10162905&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[36]
[CITE[東亞の標準時政策を論ず]],
[[山本, 一淸]]著,
[TIME[1938-04-25]]
([TIME[2013-01-08 18:03:31 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167658/1/tnk000205_213.pdf>
]FIGCAPTION]
> 隣邦支那は,衆知の如き大きい地域を含む國であるから,標準時制の上から
言へば,可なり多くの問題を持ってるる土地柄である.之れとても,昔しは,
只,各地め地方時を用みるのみで,不便を感じない時代もあったわけである
が,近時,共和國となって,國民生活を合理化する立場から,玄葦に3種類の標
準時が制定せられるに至った.帥ち,其れはノ
> 1.グリニチ東維120。を標準とする“東部標準時”,
> 2。グリ=チ東経105。を標準とする“瀧蜀部標準時”,
> 3.グリ=チ東経900を標準とする“彊藏部r隼時”
> である.
]FIG]
- [426] [CITE[我が國に日光節約法を實施せよ]] [[山本, 一淸]]著,
[TIME[1938-05-25]] ([TIME[2013-01-08 18:03:34 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167676/1/tnk000206_233.pdf>
- [48] [CITE[大陸と時刻制]] [[山本一清]]著、[TIME[1939-05-25]] ([TIME[2013-01-09 18:03:24 +09:00]] 版) <http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167828/1/tnk000218_225.pdf>
[49] >>48 によると:
[FIG(list)[
- 筆者は1939年5月に[[北京]]を訪れた
- [[蒋介石]]政権 ([[中華民国国民政府]]) の支配地域では、 [CODE[[[+08:00]]]] を用いている
- [[日本軍]]が[[蒋介石]]軍を駆逐した地域 ([[中華民国臨時政府]]、[[中華民国維新政府]]の支配地域) では、 [CODE[[[+09:00]]]] を用いている
-- [[北京]]、[[天津]]、[[上海]]、[[広東]]など
- [CODE[[[+09:00]]]] を新時刻、[CODE[[[+08:00]]]] を舊時刻と呼んでいる
- 新時刻を日本の強制と捉えて旧時刻を使い続ける人も少なくない
-- 政府機関ですら、執務時間を新時刻より1時間遅らせていることがある
]FIG]
- [179] [CITE[外国無線局発信電報]] ([TIME[2016-05-22 16:05:51 +09:00]]) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A03024381600>
- [173] [CITE[新聞記事文庫 : 大阪朝日新聞 1940.3.30]] ([TIME[2016-05-22 13:13:39 +09:00]]) <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10169965&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[47] [CITE[上海で夏季時刻採用]]
([TIME[1940-06-25]]、[TIME[2013-01-10 18:03:14 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/168034/1/tnk000231_263.pdf>
]FIGCAPTION]
> 上海で夏季時刻探用
> 〔同盟上海五月29日發〕 共同租界工部局では,日光節約案として,夏の間,工部局各局部の時計の針を1時間つつ進める事になり,フランス租界工部局および上海特別市政府に1 燻垂チたが,いつれも異議なく賛成したので,五月29目の参事會で正式決定,近く一せいに實施することとなつた.
]FIG]
- [23] [CITE[標題:時間関係雑纂 13.上海租界工部局及特別市政府ノ 自六月一日至九月未・・]] ([TIME[2015-11-21 00:39:40 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011419600>
- [177] [CITE[新聞記事文庫 : 大阪毎日新聞 1940.9.28]] ([TIME[2016-05-22 15:53:53 +09:00]]) <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10169086&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
- [178] [CITE[重慶UP新聞電報放送(九月二十七日)]] ([TIME[2016-05-22 15:54:10 +09:00]]) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A03024702300>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[46]
[CITE[新東亞文化建設としての世界曆の採用について (時と曆の特輯)]]
[[井本, 進]]著、[TIME[1941-05-01]]
([TIME[2013-01-15 18:03:05 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/168202/1/tnk000240_185.pdf>
]FIGCAPTION]
> 最近支那に行った人から,よく聞く話であるが,『北京と言はす,上海と言は
す廣東と言はす,今日支那大陸に於て皇軍の威力により,蒋介石政椹の支配を
脱した所は,皆一様にわが日本と同じ東経135度の標準時を新時刻として,公
式に用ぴて居る』(山本一清博士,大陸と時刻制).そして從來支那の同じ地:方
で用ぴて居た東繧120度の標準時を奮時刻と呼んで居る.之に蜀し新時刻を日
本時刻と呼んで居るのであるが,此の時刻の正午は日本の正午と同じ時刻であ
って,奮時刻は夫れより一時間丈け遅れて居るのである.つまり日本の正午に
は,奮時刻は午前11時なのである.そして未だに大部分の支那人は奮時刻を用
ひて居る.人が時刻を尋ねると,新時刻か奮時刻か何ちらの時間ですかと聞き返
す.つまり二つ時計がある鐸で一時間違ふのである.
]FIG]
- [17] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 時間関係雑纂 18.国民政府ノ日光節約時間使用ノ件]] (昭和17年10月31日付、
[TIME[2015-10-20 12:53:29 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011420100>
- [39] [CITE[常識]]
([TIME[2016-02-27 16:21:35 +09:00]] 版)
<https://web.archive.org/web/20140305042426/http://www.cwb.gov.tw/V7/knowledge/astronomy/cdata/summert.htm>
- [37] [CITE@zh[國防最高委員會規定全國各地自三十四年五月一日起至九月三十日止將時間提前一小時令仰遵照并飭屬遵照由 (民國34年國民政府訓令) - 维基文库,自由的图书馆]]
([TIME[2016-02-06 16:29:59 +09:00]] 版)
<https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%9C%8B%E9%98%B2%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%A7%94%E5%93%A1%E6%9C%83%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E5%85%A8%E5%9C%8B%E5%90%84%E5%9C%B0%E8%87%AA%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E4%BA%94%E6%9C%88%E4%B8%80%E6%97%A5%E8%B5%B7%E8%87%B3%E4%B9%9D%E6%9C%88%E4%B8%89%E5%8D%81%E6%97%A5%E6%AD%A2%E5%B0%87%E6%99%82%E9%96%93%E6%8F%90%E5%89%8D%E4%B8%80%E5%B0%8F%E6%99%82%E4%BB%A4%E4%BB%B0%E9%81%B5%E7%85%A7%E5%B9%B6%E9%A3%AD%E5%B1%AC%E9%81%B5%E7%85%A7%E7%94%B1_(%E6%B0%91%E5%9C%8B34%E5%B9%B4%E5%9C%8B%E6%B0%91%E6%94%BF%E5%BA%9C%E8%A8%93%E4%BB%A4)>
- [148] [CITE@ja[近代デジタルライブラリー - 思索の手套 : 科學隨想]] ([TIME[2016-04-18 20:13:28 +09:00]] 版) <http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1085848/8>
[TIME[1942年10月][1942-10]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[101] ([TIME[2016-03-08 12:12:22 +09:00]] 版)
<http://ci.nii.ac.jp/els/110009685235.pdf?id=ART0010167497&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1457406741&cp=>
]FIGCAPTION]
> 華北において日本標準時は, 放送局や鉄道にお い て 使 用 が 開始 され (BX38.4.21,4.26, 4.27, 5,15), 当初, ラジオ体操なども利用して機関 ・学 校 ・団 体 で の 普 及 が 図 られ たが(BX38 .4.21, 4.26, 5.15, 7.2, 39.6.20), 正式に採用が宣告されることはなかった (郭 ,2001 , pp.275 )[SUP[4)]] 。 ただし, 汪精衛政権の下 , 遅 く と も 41 年 に は 夏時間 が 導入 され て お り
> (華北政務委員会 , 1941 , 第 73 ・74 期 , 建署公牘 , p .5), こ れ が 日本時間 に一致したと考えられる。
]FIG]
- [113] [CITE[政府公報資訊網--「全國各地標準時間推行辦法」,為適應軍事上之便利,曾規定全國各地一律暫以隴蜀區時間為標準。現戰事業已結束,「全國各地標準時間推行辦法」應予修正]] ([TIME[2016-03-08 16:47:44 +09:00]] 版) <http://gaz.ncl.edu.tw/detail.jsp?sysid=E1087572>
- [110] [CITE[政府公報資訊網--「全國各地標準時間推行辦法」劃分全國為5個標準時區,茲以東北9省重劃,臺灣光復,原定標準時間區域圖,應有更改,經行政院核定修正]] ([TIME[2016-03-08 16:06:40 +09:00]] 版) <http://gaz.ncl.edu.tw/detail.jsp?sysid=E1038541>
- [112] [CITE[政府公報資訊網--轉發修正「全國各地標準時間推行辦法」,希知照]] ([TIME[2016-03-08 16:44:39 +09:00]] 版) <http://gaz.ncl.edu.tw/detail.jsp?sysid=E1068912>
]REFS]
* 満州
[3] [[滿洲]]および[[東部内蒙古]]は、[[清]]や[[中華民国]]の支配下にありましたが、[[満洲国]]として独立しました。
[[清]]時代から[[満洲国]]時代に至るまで、[[支那]]本体とは異なる複雑な[[標準時]]事情がありました。
;; [[満州の標準時]]を参照。
[171] [[外満州]]は元々[[清]]の領土でしたが、[[露西亜]]に割譲され、
[[ソ連]]政府の[[標準時]]に従うこととなりました。
;; [[ロシアの標準時]]を参照。
* 蒙古
[170] [[蒙古]]は元々[[清]]の支配下にありましたが、
[[外蒙古]]は[[露西亜]]の影響下に入り独立、
[[東部内蒙古]]は[[日本]]の影響下に入り[[満洲国]]として独立、
その他[[内蒙古]]は[[支那]]の影響下に残り[[中華民国]]内の[[自治政府]]と分かれ、
それぞれで異なる[[標準時]]の歴史を歩むこととなりました。
[61] [[外蒙古]]については[[モンゴルの時間帯]]を、
[[東部内蒙古]]については[[満州の標準時]]を、
その他[[内蒙古]]は本項の[[中華民国]]の章を参照。
* 朝鮮半島
[169] [[朝鮮]]は、[[清]]の支配下にありましたが、[[大韓帝国]]として独立した後、
[[日本]]領となりました。[[標準時]]に関しては[[支那]]とも[[日本]]とも少しずつ異なる事情がありました。
;; [[朝鮮半島の標準時]]を参照。
* 広州湾租借地
[57] [[フランス]]の[[広州湾租借地]]は、[[仏印]]の管轄下にあり、
そちらの[[標準時]]を用いていました。
;; [[東南アジアの標準時]]を参照。
* 香港
;; [96] [[香港]]は1841年に[[英軍]]に占領され、1842年に[[英領]]となりました。
[87] 1885年1月1日13時0分に [TZ[+07:36:41]] [SRC[>>8, >>9]]
([TZ[+07:36:41.7]] [SRC[>>60]]) が[[標準時]]とされました。
[88] その後[TIME[1904年10月30日][1904-10-30]]に
[TZ[+08:00]] を[[標準時]]として採用しました [SRC[>>119, [[tzdata]] >>60]]。
;; [121] >>8 は[TIME[1905年1月1日][1905-01-01]]からとしています。
[154] [TIME[1904年12月][1904-12]]の英国水路部告示によると、[[報時球]]の時刻が[[地方平時]]13時から、
[[九龍天文台]][[地方平時]]12:36:41.86 = [[綠威平時]]17:00:00 = [TZ[+08:00]] 13:00:00
に変更されました [SRC[>>153]] (実施日不明)。
;; [155] つまり[[九龍天文台]]は [TZ[+07:36:41.86]] です。 >>87 とはわずかにずれています。
[44] [[香港]]は1941年から1976年までと1979年に[[夏時刻]]を実施しています。
うち1942年から1945年までは通年採用しています。 [SRC[>>29]]
[89] [[香港]]政府当局は通年としていますが [SRC[>>35, >>21]]、
[[tzdata]] は (正確には不明としつつ) [[日本軍]]の支配期間
1941年12月25日-1945年9月15日を [CODE[[[+09:00]]]] としています [SRC[>>60]]。
[139]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[香港]]は [TZ[+08:00]] となっています [SRC[>>146]]。
([[夏時刻]]の記載はありません。)
[90] [[tzdata]] は [DFN[[CODE[Asia/Hong_Kong]]]] を割り当てています [SRC[>>60]]。
[REFS[
- [8] [CITE@zh[香港時間 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E6%99%82%E9%96%93>
- [9] [CITE@en[Hong Kong Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2015-08-24 05:13:04 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/Hong_Kong_Time>
- [153] [CITE[香港領土に於ける支那海岸標準時採用]] (地学雑誌 Vol. 17 (1905) No. 3 P 212, [TIME[2016-05-02 18:43:01 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/17/3/17_3_212/_article/-char/ja/>
- [35] [CITE@zh-hk[香港夏令時間]]
([TIME[2014-06-19 15:36:48 +09:00]] 版)
<http://www.weather.gov.hk/gts/time/Summertimec.htm>
- [21] [CITE@zh-hk[香港夏令時間]]
([TIME[2014-06-19 15:36:48 +09:00]] 版)
<http://www.hko.gov.hk/gts/time/Summertimec.htm>
- [146]
-- [145] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和14年]] ([TIME[2016-04-05 01:18:04 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255562/26>
-- [144] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和15年]] ([TIME[2016-04-05 01:15:31 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255573/26>
-- [143] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和16年]] ([TIME[2016-04-05 01:13:30 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184177/27>
-- [142] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和17年]] ([TIME[2016-04-05 01:11:48 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184172/26>
-- [141] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和18年]] ([TIME[2016-04-05 01:08:12 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184175/27>
-- [140] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和19年]] ([TIME[2016-04-05 00:53:15 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184173/26>
]REFS]
* 澳門
;; [95] [[マカオ]]は[TIME[1845年][1845]]に[[自由港]]となり、
[TIME[1887年][1887]]に正式に[[ポルトガル]]領となりました。
[92] [[tzdata]] は元の[[地方時]]を [TZ[+07:34:20]] としています [SRC[>>60]]。
[88] [[澳門]]は[TIME[1904年10月30日][1904-10-30]]に
[TZ[+08:00]] を[[標準時]]として採用しました [SRC[>>119]]。
[122] [[ポルトガル]]本国は[TIME[1912年1月1日][1912-01-01]]に [TZ[+00:00]]
を採用し、各海外領土の[[標準時]]も施行されました。[[澳門]]はこれにより
[TZ[+08:00]] となりました ([[欧州の標準時]]参照)。
[[tzdata]] は[TIME[1912年1月1日][1912-01-01]]に[[地方時]]から [TZ[+08:00]]
に切り替えたとしています [SRC[>>60]]。
;; [152] >>88 で既に [TZ[+08:00]] を採用したことになっているのですが、
1904年に[[澳門]]現地政府レベルで決定し、
1912年に改めて中央政府で全国的に決定したということでしょうか。
[45] [[マカオ]]は[TIME[1946年][1946]]から[TIME[1976年][1976]]までと[TIME[1979年][1979]]に[[夏時刻]]を実施しています。 [SRC[>>29]]
[91] [[tzdata]] は [DFN[[CODE[[[Asia/Macau]]]]]] を割り当てています [SRC[>>60]]。
[REFS[
- [10] [CITE@zh[澳門標準時間 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%B3%E9%96%80%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E9%96%93>
]REFS]
* 中華人民共和国
[52] [[満州]]の[[東北政聯行政委員會]]は、
1947年4月1日、 [CODE[[[+08:00]]]] を[[標準時]]としました [SRC[>>4, >>7]]。
[[満州]]の[[中共]]軍もこれを採用しました [SRC[>>4]]。
[75] [[中華人民共和国]]は1949年10月の建国時に[[北京时间]] [CODE[[[+08:00]]]]
を採用し、支配地域とともに全土へと拡大していきました。
当初は各地で様々な時刻が混在していましたが、
1952年には[[新疆]]と[[チベット]]の [CODE[[[+06:00]]]]
を除き、本土全体が [CODE[[[+08:00]]]] に統一されました。 [SRC[>>4, >>7]]
;; [76] 厳密には建国当初 [CODE[[[+08:00]]]] ではなく[[北京]]の[[視太陽時]]が正式には採用されましたが、
実際には [CODE[[[+08:00]]]] が運用されていたと推測されています [SRC[>>60]]。
;; [94] [CODE[[[+08:00]]]] への統一が定められたのがいつかは不明ですが、
1949年9月27日から1949年10月6日の間であり、9月27日が有力視されています [SRC[>>93]]。
[105] [TIME[1949年10月7日][1949-10-07]]に[[西安人民广播电台]]が[[北京时间]]を採用すると発表し、
これが[DFN[北京时间]]という名称の初出とされています [SRC[>>102]]。
[106] [TIME[1949年11月2日][1949-11-02]]に[[西安市人民政府]]が
[TZ[+07:00]] から [TZ[+08:00]] に切り替えました [SRC[>>102]]。
[107] [[成都]]は[TIME[1949年12月27日][1949-12-27]]に[[中共]]支配下に入って数日で
[TZ[+07:00]] から [TZ[+08:00]] に切り替えました [SRC[>>102]]。
;; [97] 1949年に[[中華人民共和国]]は[[ウイグル]]に侵攻、
1955年には[[新疆ウイグル自治区]]が設置されました。
;; [98] 1950年に[[中華人民共和国]]は[[チベット]]に侵攻、
1966年には[[西藏自治区]]が設置されました。
[81] [[チベット]]時間 [TZ[+06:00]] が廃止されたのは1959年ともいいます [SRC[>>60]]。
[108] >>102 は幾つかの資料を検討しつつ、1960年以前は [TZ[+06:00]]、
1960年以後は [TZ[+08:00]] が[[チベット]]で用いられていると結論付けています [SRC[>>102]]。
[109] >>102 は[[新疆]]について1969年7月1日から1986年まで [TZ[+06:00]]
と [TZ[+08:00]] の混乱期、1986年2月1日から [TZ[+06:00]] としています [SRC[>>102]]。
[74] 1971年には、[[新疆]]と[[チベット]]を含む[[中華人民共和国]]の支配地域全土が
[CODE[[[+08:00]]]] に統一されました [SRC[>>4]]。
[43] [[中華人民共和国]]は1986年から1991年に[[夏時刻]]を実施しています [SRC[>>29]]。
[84] [[tzdata]] は、[[北京時刻]]を (なぜか[[上海]]を代表都市に選び)
[DFN[[CODE[[[Asia/Shanghai]]]]]] としています [SRC[>>60]]。
[[地方時]] [CODE[+08:05:32]] から 1901年に [CODE[[[+08:00]]]] ([[上海]]の[[夏時刻]]あり)、
1949年に [CODE[[[+08:00]]]] ([[中共]]の[[夏時刻]]あり) に切り替えられたと定義しています
[SRC[>>60]]。
;; [85] [[中華民国]]の[[時間帯]]に由来する [DFN[[CODE[[[Asia/Chongqing]]]]]]
と [DFN[[CODE[[[Asia/Chungking]]]]]] と [CODE[Asia/Harbin]]
は [CODE[[[Asia/Shanghai]]]] の別名になっています [SRC[>>60]]
(1970年以前は問題としないとする [[tzdata]] の採録基準を満たさないため)。
[CODE[Asia/Harbin]] については[[満州の標準時]]も参照。
[CODE[Asia/Chongqing]] (および別名 [DFN[[CODE[Asia/Chungking]]]])
は1928年まで[[地方時]] [TZ[+07:06:20]]、
1980年5月まで [TZ[+07:00]]、以後 [TZ[+08:00]] としています [SRC[>>136]]
が、その根拠は不明確です。
[REFS[
- [7] [CITE@zh[北京时间 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%97%B6%E9%97%B4>
- [20] [CITE@zh-cn[日光節約資料表]]
([TIME[2012-02-05 12:35:54 +09:00]] 版)
<http://www.neighbor168.com/name543/astro2.htm>
- [93] [CITE@en[Time in China - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-02-28 09:54:39 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Time_in_China>
- [136] [CITE@en[tz/backzone at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-03-16 16:50:46 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/backzone>
]REFS]
* ウイグル
[72] [[ウイグル]]は [CODE[[[+06:00]]]] を用いていましたが、
[[中華人民共和国]]により [CODE[[[+08:00]]]] に改められました。
;; [[中華民国]]、[[中華人民共和国]]の章を参照。
[73] しかし現地では非公式に[DFN[[[新疆時間]]]] [CODE[[[+06:00]]]] が広く用いられています。
非公式とはいえ、地方政府すら利用 (併記) しています [SRC[>>22, >>60]]。
[82] [[tzdata]] は [DFN[[CODE[[[Asia/Urumqi]]]]]]
(別名 [DFN[[CODE[[[Asia/Kashgar]]]]]]) を[[新疆時間]]としています [SRC[>>60]]。
;; [137] [CODE[Asia/Kashgar]]
は[[地方時]] [TZ[+05:03:56]]、
1928年をもって [TZ[+05:30]]、
1940年をもって [TZ[+05:00]]、
1980年5月をもって [TZ[+08:00]] としています [SRC[>>54]] が、
根拠は不明です。
[79] [[漢族]]は[[北京時間]]を使うことが多く、[[回族]]は[[新疆時間]]を使うことが多いといいます
[SRC[>>60]]。
[80] [[夏時刻]]の実施時には、[[北京時間]]と[[新疆時間]]の両方の[[標準時]]と[[夏時刻]]が混在し混乱しました [SRC[>>60]]。
[83] [[新疆時間]]のはじまりをいつとするべきかは定かではありません。
1968年2月1日とする説もあります [SRC[>>60]] が、 [[tzdata]]
はこれを採用せず、[CODE[[[Asia/Urumqi]]]] は1928年に[[地方時]] [CODE[+05:50:20]]
から [CODE[[[+06:00]]]] に切り替えられたとしています [SRC[>>60]]。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE@ja[中国標準時 - Wikipedia]]
([TIME[2015-08-25 22:17:30 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82#cite_note-1>
]FIGCAPTION]
> 新疆ウイグル自治区では、非公式に新疆時間が使われているが、これは旧新蔵時区の時間帯をそのまま適用している。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[11] [CITE@ja[新疆ウイグル自治区 - Wikipedia]]
([TIME[2015-08-27 22:32:42 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%96%86%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8C%BA>
]FIGCAPTION]
> 本来中国には時差が設定されていないが、新疆では非公式に北京時間(UTC+8)より2時間遅れの新疆時間(UTC+6)が使われている'''['''1''']'''。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] [CITE@ja[新疆ウイグル - chakuwiki]]
([TIME[2015-08-03 18:16:01 +09:00]] 版)
<http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E6%96%B0%E7%96%86%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB>
]FIGCAPTION]
> 中国では標準時は一つしか認められてないが、ウイグルでは本土とは2時間遅れのウイグル時間が使われているようだ
> 「本土」はおかしいな。「北京」か「中央」とすべきだろう。
> 銀行は標準時で営業するため、下手をすると両替できず大変な思いをする。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[13] [CITE@ja[中華人民共和国とは (チュウカジンミンキョウワコクとは) ''''''[''''''単語記事'''''']'''''' - ニコニコ大百科]]
([TIME[2015-08-28 14:46:01 +09:00]] 版)
<http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD>
]FIGCAPTION]
> ただし西北部のウイグル自治区ではウイグル標準時(UTC +7)を非公式ながら用いられているという噂がある。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@ja[猪瀬知事「標準時を2時間早める」。ロシア人、ウイグル人の気持ちがわかるかも|霞が関公務員の日常]]
([TIME[2015-08-28 14:46:43 +09:00]] 版)
<http://ameblo.jp/georgemallory/entry-11536030377.html>
]FIGCAPTION]
> シルクロード好きの私の友人によれば、ウイグルでは北京より2時間遅れのウイグル時間を使う風習もあるらしい。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[15] [CITE@ja[新疆ウイグル自治区 - Wikitravel]]
([TIME[2015-08-28 14:48:43 +09:00]] 版)
<http://wikitravel.org/ja/%E6%96%B0%E7%96%86%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8C%BA>
]FIGCAPTION]
> 公式には北京時間だが、非公式ながら新疆時間(北京時間-2)が北京標準時と日常的に併用されている。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE[中国新疆(シルクロード)旅行記録]]
([[セグロジャッカル'S]] 著, [TIME[2015-08-28 14:54:27 +09:00]] 版)
<http://www.geocities.jp/segurosekai/ChinaSilkroad_SC.html>
]FIGCAPTION]
> 時間も、北京の標準時とは別にウイグル時間(2時間遅れ)によっていました。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[19] [CITE@zh[北京时间 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-10-18 12:28:46 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%97%B6%E9%97%B4>
]FIGCAPTION]
> 在苹果公司制造的移动设备所使用的iOS 8系统中,如果用户选择或自动定位至乌鲁木齐,则显示的时间为UTC+6。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22] [CITE[政府网站英文版—工作时间]]
([TIME[2015-09-14 20:13:02 +09:00]] 版)
<http://www.sinkiang.gov.cn/service/ourworking/>
]FIGCAPTION]
> The Xinjiang Uygur Autonomous Region is situated in the utmost west China. As a result, there is a time difference of 2 hours between Xinjiang and most eastern regions of China such as Beijing, and the local time - Urumqi Time is used here.
> Urumqi Time(GMT+6) is 2 hours behind Beijing Time, i.e. when it is 10 o’clock Beijing Time, it is 8 o’clock Urumqi Time.
]FIG]
]REFS]
* チベット
[59] [[チベット]]では、現在、[[北京]]と同じ[[標準時]]が用いられています。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[99] [CITE@ja[中国国内は北京時間を標準時としてるがチベット自治区など中国西部地... - Yahoo!知恵袋]]
([TIME[2016-02-29 01:54:09 +09:00]] 版)
<http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418658494>
]FIGCAPTION]
> ラサに自宅がある者です。確かにチベット人達の朝は遅いです。7時前に起きている人はほとんどいません。まだ真っ暗なので。
> その代わり日が沈むのも遅いので、夏なら夜9時ぐらいまで照明無しで外で遊べます。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[Chosun Online | 朝鮮日報]]
([TIME[2015-08-10 18:50:10 +09:00]] 版)
<http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/10/2015081001160.html>
]FIGCAPTION]
> 国土の西端にあるチベットでは標準時と実際の生活には3時間ほどのずれがあるため、隣接するネパールの時間に合わせて暮らしている。
]FIG]
]REFS]
* 台湾
[32] [[臺灣]]は、[[明]]國残党が征服した後、
[[清]]と[[日本]]を経て[[中華民国]]の支配下に入りました。
このうち[[日本]]と[[中華民国]]が[[標準時]]を定めていました。
;; [[台湾の時間帯]]を参照。
* 鉄道
[34] [[国際便の標準時]]、[[アジア大陸の鉄道標準時]]、[[ロシアの標準時]]、[[満州の標準時]]も参照。
* メモ
[REFS[
- [1] [CITE@ja[中国標準時 - Wikipedia]]
( ([TIME[2014-07-30 05:39:22 +09:00]] 版))
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82>
- [4] [CITE@zh[中國時區 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E6%99%82%E5%8D%80>
- [29] [CITE@zh[夏时制 - 维基百科,自由的百科全书]] ([TIME[2015-11-12 06:49:12 +09:00]] 版) <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%97%B6%E5%88%B6>
- [60] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-02-28 22:15:30 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L276>
- [102] [CITE[中国标准时制考]]
([[郭庆生]] [TIME[2013-12-05 19:36:29 +09:00]] 版)
<http://sourcedb.cas.cn/sourcedb_scr_cas/zwqkk/kxwhzl/kxjss/jxdkjs/200912/P020091229393382424589.pdf>
]REFS]
;; [124] >>4 の内容はおおむね >>102 に基づいているように見えます。
[132] [CITE[標準時報局~BPV]]
([TIME[2014-09-13 17:11:36 +09:00]] 版)
<http://homepage3.nifty.com/Ogino/bcl/bpv.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[135] [CITE[''''''[''''''tz'''''']'''''' Adding Asia/Beijing timezone into the database]]
([TIME[2014-02-21 00:26:18 +09:00]] 版)
<http://mm.icann.org/pipermail/tz/2014-February/020596.html>
]FIGCAPTION]
> What makes much less sense is using Shanghai TZ history for most of
> China. The city area of Shanghai had (according to Shank, as used in tz)
> Daylight saving time in the summers of 1940 and 1941.
> The rest of China had definitely no Daylight saving time in those two
> years, except for four small city pockets around Wuhan (Hubei), Nanjing
> (Jiangsu), Hangzhou (Zhejiang), Suzhou (Jiangsu), which, again according
> to Shanks, had DST in 1941, but not in 1940.
]FIG]
[138] [CITE[中国近代における時間意識形成についての一考察]]
([[阿川修三]]、[TIME[2016-03-14 13:01:09 +09:00]] 版)
<http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/lit/l1601/l160103.pdf>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[165] ( ([TIME[2008-07-25 09:28:56 +09:00]]))
<http://www14.plala.or.jp/wappa/uijyun/deta/06/deta0803.html>
]FIGCAPTION]
> 小嶋時久がこれをまとめたのは旧満州や旧蒙古などの大陸で方角を探る際、気候的にも天体を利用しやすい。一つ覚えればそれだけでも役に立つし、複数覚えればさらに便利であることのみならず、その思考、手法を通じて宇宙の深遠さや大自然の美に触れ、親しむべきだという啓蒙も意図したと考えられる。
> アジア各地域(原文はと東亜共栄圏)で異なる標準時に「いずれ規正する期が来るであろう」との予言している。
> *発行日:初版(3000部) 昭和17(1942)年6月7日
> 再版(5000部) 同18(1943)年9月10日
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[REFS[
- [167] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 星で方角を知る法 : 兵用天文]] ([TIME[2016-05-14 15:10:50 +09:00]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110295/41>
]REFS]
[168] >>165 が言及しているのは >>167 ですが、東亜共栄圏云々がどこにあるのかは不明です。
>>167 は初版のようです。
>>167 は、日鮮滿は [TZ[+09:00]]、「東支那」は [TZ[+08:00]] とし、
表中では[[天津]]を [TZ[+08:00]] としています。