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995
996
997
998
999
1000
[16]
[DFN[自由自治]]は、
[[明治時代]]に使われたとされる[[日本の私年号]]です。
* 元号名
[19] [[元号名]]は[[自由自治]]です。
[[秩父事件]]首謀者らの政治的主張をそのまま[[元号名]]としたもののようです。
[34]
[DFN[自由・自治]]とするものもあります [SRC[>>4]]
が、根拠不明です。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE[ワッパ騒動顕彰碑建設を呼びかける会で11月18日、第1回講演会「[[秩父事件]]と庄内のワッパ騒動」が開催されます]]
( ([TIME[2004-11-15 22:49:09 +09:00]]))
<http://homepage3.nifty.com/sizenrankato/sinchaku/sintyaku2004.11/titibujikentowapasoudou041115.html>
(消滅確認 [TIME[2020-09-01T09:28:04.700Z]])
[CITE[ワッパ騒動顕彰碑建設を呼びかける会で11月18日、第1回講演会「秩父事件と庄内のワッパ騒動」が開催されます]], [TIME[2020-09-01T09:27:51.000Z]], [TIME[2005-06-01T08:27:20.381Z]] <https://web.archive.org/web/20050601082708/http://homepage3.nifty.com/sizenrankato/sinchaku/sintyaku2004.11/titibujikentowapasoudou041115.html>
]FIGCAPTION]
> 「自由・自治元年」の幟(のぼり)にこめられた願いはかなわず、明治政府は、12名の死刑と3千余名の科刑・科罰を持ってこれに対処した。
]FIG]
]REFS]
* 紀年法
[18]
[[元年]]は、[TIME[日本明治17(1884)年][year:1884]]です。
[SRC[>>1 ([CITE[日本史辞典]], [[角川書店]], [TIME[1996-11-01]])]]
[135] 1年ずれたもの: >>134
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[79] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2020-08-26T16:22:46.000Z]], [TIME[2020-09-01T12:43:56.964Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E4%B8%AD%E4%B8%96%E4%BB%A5%E9%99%8D%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,自由自治 ,- ,明治17年(1884年) ,1 ,秩父困民党が使用したとされるも不詳。秩父事件に関する供述調書からは、3名の平民が「自由自治元年」を謳った盟約書1通の存在が知られるのみ[SUP[ [12] ]]。
>
12. ^ 井上幸治ほか編 『秩父事件史料集成 第3巻』 二玄社、1984年、P1249 ISBN 9784544051230
]FIG]
- [136] [CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2021-01-18T12:05:33.000Z]], [TIME[2021-02-01T12:05:46.708Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=8865727&oldid=7682260>
-- [137] [TIME[2006-11-15]]。出典なし。
- [138] [CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2021-01-18T12:08:10.000Z]], [TIME[2021-02-01T12:08:25.831Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=21313544&oldid=20095626>
-- [139] [TIME[2008-08-18]]。出典追加。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[129] [CITE@ja[「[[秩父事件]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2021-01-14T12:00:29.000Z]], [TIME[2021-01-28T12:00:38.542Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=33097388&oldid=31810812>
]FIGCAPTION]
>2010年7月18日 (日) 02:48時点における版 (編集) (取り消し)
>125.28.188.45 (会話)
>(→「自由自治元年」: 私年号征露(1904年)があるため)
>-
>蜂起中に困民党メンバーやその同調者が使用したとされる「自由自治元年」という“年号”は、日本史上、最終期の[[私年号]]と考えられている。
>+
>蜂起中に困民党メンバーやその同調者は「自由自治元年」という[[私年号]]を用いた。
]FIG]
]REFS]
* 秩父事件
[116]
[[秩父事件]]は、[TIME[明治17(1884)年][year:1884]]に発生した農民の反乱でした。
[20]
[TIME[1884-10-31]]、
[[大日本帝国]][[埼玉県]][[秩父郡]]の農民らで構成される[[困民党]]が蜂起しました。
[TIME[1884-11-01]]、
[[困民党]]は[[秩父郡]]を制圧しました。
[117]
[TIME[1884-11-04]]、
[[大日本帝国政府]]は[[秩父郡]]を奪還しました。
[TIME[1884-11-09]]、
残党は鎮圧されました。
[17]
[[自由自治]]は[[秩父事件]]で使用された
[SRC[>>1]]
とされます。
その詳細にはいろいろな説があります。
- [37]
[[困民党]]メンバーや同調者が、
蜂起中に使ったとされます。
[SRC[>>2]]
- [38]
首謀者の1人、
[[田代栄助]]が宣言したとされます。
[SRC[>>10]]
- [43]
布告に書いたとされます。
[SRC[>>13]]
- [83]
[[田代栄助]]の[[布告]]に
「自由自治元年十一月二日」
とあったといいます。
[SRC[>>81]]
- [82]
参謀長の[[菊池貫平]]が発案したとされます。
[SRC[>>81]]
- [40]
書類に書いたとされます。
[SRC[>>8]]
- [44]
[[井出為吉]]が[[領収書]]に書いたとされます。
[SRC[>>13]]
- [41]
本部看板に書いたとされます。
[SRC[>>12, >>8]]
- [45]
[[太田義信]]の供述に出現するとされます。
[SRC[>>13]]
- [39]
「自由自治元年」
と[[旗]]に書きました。
[SRC[>>63, >>85]]
元[[会津藩士]]の[[平沼銑次]]が書いて走り回ったとされます。
[SRC[>>21]]
[69]
出典が明確でないもの、
後世の脚色によるものが含まれています。
当時実在した確実な根拠はないようです [SRC[>>13]]。
[77]
[[太田次郎]]らの[[八王子]]での
[CITE[盟約]]
にのみ残されているとされます。
[SRC[>>74]]
[78]
[[色川大吉]]によれば、
[CITE[盟約]]
は偽文書の疑いが強いとされます。
[SRC[>>74]]
[[色川大吉]]は、
[CITE[自由民権]]
で旧自説を取り消し、
[[自由自治]]元年の[[布告]]は誤りとしました
[SRC[>>81]]。
ただ首謀者らの会議でこうした語が使われた節があるとしました
[SRC[>>81]]。
[70]
[[日付]]表記の実用を目的としたものでなく、
[[スローガン的元号]]の類とみれなくもないですが、
だとするとそのかなり初期の例ということになります。
それにしても当時実在した根拠は定かではありません。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[99] [CITE[[[自由民権]] - 色川大吉 - Google ブックス]],
[TIME[1981][year:1981]],
[TIME[2020-09-02T04:10:38.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=b6qaAAAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>175 ページ
>私は旧著で田代栄助が郡役所kmに入ったとき、「自由自治元年、革命軍総理」の
布告なるものを発したかのように記してきたが、それは誤りであった。「自由
自治元年」なる年号が秩父蜂起の中で使われたという史料はまったく無い。最近
、 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] ( ([TIME[2016-05-24 02:15:50 +09:00]]))
<http://www.geocities.jp/asagao371/chichibuShingun.htm>
(消滅確認 [TIME[2020-09-01T09:47:19.100Z]])
[TIME[2020-09-01T09:47:09.000Z]], [TIME[2013-06-10T23:47:18.561Z]] <https://web.archive.org/web/20130610234548/http://www.geocities.jp/asagao371/chichibuShingun.htm>
]FIGCAPTION]
> 参謀長菊池寛平は郡役所を占拠すると、「郡役所」の表札を外して鉋で削り、「革命本部」と書いてかけなおした。そして門の前の掲示板に、以下の布令を貼り出した。「今日より郡中の政則を出すこと大将の権にあり、各其の意を体せよ。自由自治元年11月2日 革命軍総理田代栄助」
]FIG]
;; [42] 出典不詳。この時代[[算用数字]]で[[日付]]を書いた可能性はほとんど皆無に近い。
[[漢数字]]でないとおかしい。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[13] [CITE[【恐れながら】[[秩父事件]]【加勢しろ】]]
( ([TIME[2016-05-24 02:18:02 +09:00]]))
<http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1042048073/>
]FIGCAPTION]
> 8 :日本@名無史さん:03/01/12 00:15
> 「自由自治元年」自体、史料では宇都宮警察署に出頭した大田某の自供の
> 盟約を語った中に一箇所出てくるだけのものだったはず。
> ようは存在したか微妙な扱い。
> 最近はあまり秩父事件関係の書籍見てないから進展あったらスマソ。
> 9 :日本@名無史さん:03/01/12 02:31
> >8
> 領収書に勝手に書いてなかったっけ?
> 13 :日本@名無史さん:03/01/12 19:21
> 私も記憶がさだかでないのですが、最後に「自由自治元年」と書かれた何かの
> 布告書を本の中でみたような記憶があるんですよ。(間違いかもしれません)
> 手元に資料がほとんどないので記憶違いでしたらかんべんを。
> 20 :日本@名無史さん:03/01/14 23:03
> >>9
> 井出為吉の書いた領収書だね。
> 自分が興味持った頃は布告として出してた確証ないと言うことで
> スローガンとは言えないってのが主流だったと思う。井上幸治氏とか。
> 唯一の例としてあげた大田は太田義信でした。
> ただこの人物、誇大妄想狂として一月後に放免されており信憑性は極めて低い。
> 22 :1:03/01/16 22:45
> >>20
> 井出孫六によれば証拠には残ってなくても
> 「自由自治元年」はスローガンの一つであったといった論調だった気がします。
> ただこの人、先祖と一緒で先走り気味な感じもするんだけども。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[97] [CITE[[[歴史教育の現在]] - Google ブックス]],
[TIME[2000][year:2000]],
[TIME[2020-09-02T04:04:07.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=67wyAQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>79 ページ
>自由自治元年」を削除したのは、検定の指示ではなく、著者側が自主的に行った
ものである。その直接的きっかけは、自由民権百年第一回全国集会の年の春出版
された色川大吉著『自由民権』(岩波新書)のつぎの記述である。「ここでひとつ ...
>80 ページ
>自由自治元年月日西郷旭堂・富松正安・太田次郎という盟約を結んでいるので騎
る。なおこの前略部分は前にあげた加 ...
以上の理由 80 して後郷中共の他の富家に軍用論を課し、且っ男子は一戸名づつ
漏れ無く兵役に従事すべし。」(傍点本多)したがって、ここには「自由自治元年」
という年号は明記されていない。西野氏は、何を論拠に年号を用いたのか。
>81 ページ
>以上の理由から、井上氏は「わたくしはッ自由自治元年、を秩父事件のシンボル
とするわけにはいかない」ので、『秩父事件』(中公新書)では「自由自治元年」の
ことにはふれなかったのだという。色川氏の「自由自治元年」削除の見解(一九八 ...
こうみてくると、西野氏が、「秩父暴動
雑録」から布告を引き出し、そこに、「自由自治元年」という年号が使用され ...
甲武国境に「カセキ山」という山名も「抗ノ本」という地名もわたしは知らない
。
>82 ページ
>こう考えると、歴史研究者である、井上・色川両氏の見解を、ストレートに、
それも拡大解釈して、歴史教育の場から「自由自治元年」を一掃していくことは
、歴史教育者として、歴史学の成果を正しく受けとめたことにはならないと私は
思う ...
]FIG]
- [84] [CITE[反逆者たち: 時代を変えた10人の日本人 - [[保阪正康]] - Google ブックス]],
[TIME[2000][year:2000]],
[TIME[2020-09-02T03:13:00.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=qcosDwAAQBAJ&pg=PT80&dq=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E2%80%9D>
-- [81] [CITE[時代に挑んだ反逆者たち: 近代日本をつくった「変革」のエネルギー - [[保阪正康]] - Google ブックス]],
[TIME[2003][year:2003]],
[TIME[2020-09-02T03:06:24.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=bcRiDwAAQBAJ&pg=PT80&dq=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E2%80%9D>
- [85] [CITE[秩父の民俗: 山里の祭りと暮らし - [[栃原嗣雄]] - Google ブックス]],
[TIME[2005][year:2005]],
[TIME[2020-09-02T03:14:16.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=XBIGknxzqHYC&pg=PA415&dq=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E2%80%9D>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE[日本語教材の日本語駆け込み寺 日本の近現代史]]
( ([TIME[2007-05-20 22:42:30 +09:00]]))
<http://viethuong.web.fc2.com/MONDAI/history13.html>
]FIGCAPTION]
> この蜂起を指導したのが、自由党の流れを汲む、農民民権家たちであった。一万人にも達した蜂起農民は、秩父地方から役人や警察官を追い出し、秩父の独立を宣言した。総理に選ばれた中心的指導者、田代栄助は「自由自治元年」を宣言し、高利貨しや地主から、借金の証文を奪い、焼き捨てた。この日本初の農民共和国も、政府の派遣した軍隊によってわずか数日で崩壊し、指導者は処刑された。
]FIG]
;; [36]
根拠は不明。
この[[Webページ]]の[[著者]]は
「秩父事件は、日本近代史上、幕末の函館にこもって「北海道共和国」を作ろうとした事件と並んで重要な事件である。秩父の農民達も、天皇制ではない日本の建設を企てたからである。その意味で、第2の「共和国」建設の試みであったといって良いだろう。そのことは、秩父困民党の指導者の一人、大野苗吉が農民達に結集を呼びかけるときに「天皇に敵対するから集まれ」とふれていることからもわかる。憲法私案を作った人々のほとんどが、天皇制を否定できず、立憲主義をとっていたことと比較して、秩父の農民達の思想的レベルの高さを示す事件として興味深い。」
[SRC[>>10]]
と自身の思想信条を根拠に過剰に[[秩父事件]]を高く評価している。
出典の明記のない記述は素直に信じがたい。
- [1] [CITE@ja[[[自由自治]] - Wikipedia]]
([TIME[2016-05-22 14:02:10 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[[[秩父事件]] - Wikipedia]]
( ([TIME[2016-04-23 02:03:19 +09:00]]))
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E3.80.8C.E8.87.AA.E7.94.B1.E8.87.AA.E6.B2.BB.E5.85.83.E5.B9.B4.E3.80.8D>
]FIGCAPTION]
> 蜂起中に困民党メンバーやその同調者は「自由自治元年」という私年号を用いた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[11] [CITE@ja[[[田代栄助]] - Wikipedia]]
( ([TIME[2016-04-23 02:14:07 +09:00]]))
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%BB%A3%E6%A0%84%E5%8A%A9>
]FIGCAPTION]
> 蜂起中に困民党メンバーやその同調者は「自由自治元年」という私年号を用いた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[62] [CITE@ja[WEBマガジン「福祉広場」-[[編集長]]の毒吐録(どくはくろく)]]
([[HAL PROMOTION Inc.]], [TIME[2020-09-01T10:11:50.000Z]])
<http://fukushi-hiroba.com/magazine/srh/srh.cgi?act=list&page=717>
]FIGCAPTION]
> ☆2018/8/29更新☆
> ≪秩父紀行❿≫蜂起中に秩父困民党メンバーは、「自由自治元年」という私年号を用いたという(なんと素晴らしい響きであることか)。
> [SNIP[]]
> (終わり)自由自治136年の年に記す。
]FIG]
- [74] [CITE[[[近代諸元号現象]]]]
]REFS]
* 昭和時代の言及
[111]
[CITE[Google Books]]
の収録対象がどんな集合なのかよくわからないのであれですが、
1933年が初出で (文献リストなので真の初出はもっと前)、
1951年頃からコンスタントに言及されるようになるみたいです。
1970年代くらいからどんどん増えていくのは、
[RUBYB[[[井出孫六]]][[TIME[1931][year:1931]]-[TIME[2020][year:2020]]]]らのまとまった研究成果が世に出ていったのと、
[CITE[元号法]]
などで世間の[[元号]]への関心が高まったためでしょうか。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[109] [CITE[日本経済史文献 - [[本庄榮治郎]] - Google ブックス]],
[TIME[1933][year:1933]],
[TIME[2020-09-02T04:24:07.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=BhgxAQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>... 史研究原口清著四九年鳩書房発行【下]自由民権運動(明治一○年代前期の自由
民権運動、明治一○年代後期の社会情勢、明治一○年代後期の自由民権運動、残
された課題)、索引。( A5 判、五○二頁、索引七頁)自由自治元年ー秩父事件資料
・ ...
>... 資料集囲三毛自由自治元年三吾三自由党激化事件と小池勇囲丸三自由と反動の
潮流一 0 《交十年史(海外鉄道技術協力協会)三五七十年史(東北工業技術試験所)元
一○年のあゆみ(関西国際空港尺セ交ビルディング)十年のあゆみ(鉄道技術研究所)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[110] [CITE[[[日本歴史]] - Google ブックス]],
[TIME[1951][year:1951]],
[TIME[2020-09-02T04:25:13.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=hJ4kAAAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>1 ページ
>... ナル自由政府ヲ設立シ、以テ国家ノ幸顧ヲ招カン」として、我々は「大義」を
同盟したのであるという同盟書をとりかわし、この日附を自由自治元年とし、
血判を擁して革命運動を誓っている(西郷旭道・富松正安・太田次郎(義信盟約書)
。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[108] [CITE[Nihon rekishi - [[Google ブックス]]]],
[TIME[1965][year:1965]],
[TIME[2020-09-02T04:22:48.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=Kp0lAAAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>127 ページ
>... 商品生産地帯で農民層の分解がはげしかった地方では、いたるところで、借金
の利子減免・年賦ばらい、村費軽減・小作料免除などを地主・高利貸し・村役場
こんみんで自由自治元年・県庁に要求する、集団的な農民闘争がおこっていた。
>129 ページ
>自由自治元年」。富松らは、一八八四年を自由自治元年とよんだのである。
けれども、富松は、警官におわれてにげてきた河野広中の甥、河野広ら福島
グループにひきこまれ、八四年九月三十三日、わずか一六名で筑波山のとなりの
加波山頂 ...
>130 ページ
>十一月二日の朝、秩父の郡役所・警察・裁判所を占領したうえで、田代は「革命
軍総理」として、つぎの布告をだした。「今日より郡中の政則をだすこと大将の
権にあり、おのおの基意を体せよ。自由自治元年十一月二日」革命軍の計画では
、 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[107] [CITE[[[思想の科学]]: 第 5次 - Google ブックス]],
[TIME[1970][year:1970]],
[TIME[2020-09-02T04:21:24.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=jP1CAQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D+>
]FIGCAPTION]
>153 ページ
>そして、『自由自治元年』の布告を発しから秩父というところに何となく惹か
れるものがあって、一度は来てて『世均し』を実行した。つまり、各村にゲリラ
隊を派遣して悪質高みたいと思っていたところだった。亀倉何というのかと訊く
と、 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[106] [CITE[[[歴史評論]] - Google ブックス]],
[TIME[1970][year:1970]],
[TIME[2020-09-02T04:20:32.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=bWgZAAAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>79 ページ
>が流れていたことを、本書はおしえる。もちろん本書とて、今後の研究によって
、さらに深められねばなら描かれる。のなかに定着させた。「自由自治之年」の
年号設定の意識のなかになかなか容易ではないが、本書は、それをやり遂げた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[105] [CITE[[[中央公論]] - Google ブックス]],
[TIME[1971][year:1971]],
[TIME[2020-09-02T04:19:08.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=w05DAQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>400 ページ
>そういえば株父蜂起の「自由自治元年」からも今年は九十年近くなります。(春名) *本編を買おうとしたら、既成品は皆編の高さが本に合わない。書籍の規格は
きまってるのに、といったら家具屋さんいわく、「ほんまになあ。実は私も、
うち ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[100] [CITE[日本人の100年 - [[Google ブックス]]]],
[TIME[1972][year:1972]],
[TIME[2020-09-02T04:12:13.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=N50bAQAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>140 ページ
>しかし大衆抜きの運動は、ありうるであろうか。加波山のふもとの遺老たちが「
おそろしい人 か軍」をなのり、「自由自治元 14○ 民の大多数をしめる大衆の側
にたつか、にったのである。福島事件については、次のにゆずろう。章国あ{両派 ...
>141 ページ
か軍」をなのり、「自由自治元年」と年号まで蜂起のニュースがとどいたので
ある。党幹部一通まいこんだだけである。幹部はどうした反-A -。叫山山州、「」
守人 g 取」の前半を自由沢した「自由之別歌』を出版その後、 LL【- -ド-星享の
「 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[87] [CITE[[[日本史]]の森: ある歴史教育論の試み - 黒羽清隆 - Google ブックス]],
[TIME[1976][year:1976]],
[TIME[2020-09-02T03:20:00.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=JLYlAAAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>90 ページ
>いわゆるキリシタン墓である国家が公権力をもって制定したものではない自然
発生的な年号 むろん、ちがう意見はある。なかたちにもっていく道標である現行
憲法のなかで自律陽を上。」第九条が守られているかどうかをみるべきであるま ...
>92 ページ
>いわゆるキリシタン墓である国家が公権力をもって制定したものではない自然
発生的な年号|私年号 (明治図書『現代教育科学』)書き終えて、今、後悔で
いっぱいである。なぜ、私は、こんなむずかしいテーマを受けたのであろうか? (
一九六 ...
>93 ページ
>いわゆるキリシタン墓である 国家が公権力をもって制定したものではない自然
発生的な年号|私年号― ―こそ、年号が座なかでどう生きるかという問題を象徴的
に示しているように思う。 ねんごう」だから、私は、あの「私年号」というもの
に ...
>94 ページ
>国家が公権力をもって制定したものではない自然発生的な年号|私年号― ―こそ、
年号が座なかでどう生きるかという問題を象徴的に示しているように思う。<日本の私年号には、古代でいうと、法興とか聖徳とかいう仏教的な匂いのする私
年号が多いが― ―白鳳という私年号がたびたび現れるのも有名だー。中世に入る
と、弥勒というのが目立つ。ミロクとは、単に菩薩の名ではなく、「東方浄土」
>95 ページ
>(昭和四十九年)は、皇紀二六三四年だと意識する人さえほとんどいない。それは * * * * * 、八・一五の敗北 95 かつて、日本では、皇紀という年号の数え方が大手を
ふって横行していた。
しかし今では、ことし史的イエスの追求は、聖書年代学・聖書考古学の発達
により、いよいよ精密になり、私のようなアマチュアにはお手あげだが、 B . C .
六年かB . C .四年あたりが確率が高いようである。すると、
西暦とは、かつて「ローマ帝国」治下のある時期にイエス・キリストが
生まれた年であると信じられていた年を紀元元年とする紀年だということになる
。にもかかわらず、それは今日、もっとも普遍的な年号として、普及している。 ...
がイエス・キリストの生誕の年でないことは、だれでも知っていこのとき「革命
軍」と自称した困民党軍が「自由自治元年」という私年号を用いたという。
これには、否定説が
あり、確定的なことはまだいえないが、自由民権運動の歴史を学ぶ者にとって、
忘れられないことばである。しかし、そのような年号の近代
史に、例外が一つある。一八八四(明治7 )年、秩父困民党という農民組織が埼玉県
]FIG]
- [101] [CITE[開拓者の活躍 - [[Google ブックス]]]],
[TIME[1977][year:1977]],
[TIME[2020-09-02T04:13:18.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=86TTAAAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[98] [CITE[[[殖産興業]] - 田村貞雄 - Google ブックス]],
[TIME[1977][year:1977]],
[TIME[2020-09-02T04:09:12.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=q1GFAAAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>227 ページ
>酒宴ヲ為シタル者ハ斬、私ノ意恨ヲ以テ放火共他乱暴ヲ為シタルモノハ斬」など
のきびしい軍律を決め、自由自治元年という私年号をかかげる。これは数千の
農民の蜂起であるが、東京から派遣された軍隊、警官隊に包囲され壊滅する。
戦死十 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[90] [CITE[[[日本史]]研究 - Google ブックス]],
[TIME[1978][year:1978]],
[TIME[2020-09-02T03:29:10.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=PrMZAAAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>53 ページ
>(昭和5年7月7日成稿) (熊本県教育庁文化課技師・熊本市水前寺ハー一八- -一熊本
県教育庁文化課気付) , 右ハ内地在住ノ朝鮮人力内地年号ノ称用ヲ矜持トシ且ツ
希求スル精神ノ現ト思料スルモノナリ。震年、朝鮮ノ戸籍二於テ朝鮮人旧来ノ氏
ヲ廃 ...
>54 ページ
>右ハ内地在住ノ朝鮮人力内地年号ノ称用ヲ矜持トシ且ツ希求スル精神ノ現ト思料
スルモノナリ。震年、朝鮮ノ戸籍二於テ朝鮮人旧来ノ氏ヲ廃シ新二内地人式ノ氏
設定ノ途カ拓カレ、今又昭和十九年ョリハ内地ニ徴兵制度ノ施行ヲ見ルニ至リ、真
二内鮮一体ハ茲二酸トシテ確立セラレタリ。此ノ秋二当リ内地/戸籍二在ル朝鮮人
ノ出生年月日欄二記載シアル韓国年号ヲ内地年号二換算シ之ヲ
改ムコトハ更ニ其意義ヲ昂ムモノト言フベシ- 54 -こうした理由
から東京市下谷区長は、内地在住朝鮮人の戸籍編成にあたり、その出生年を「総 ...
一九三七年10月に 附録第六号のひな形に定めた相当欄にこれをしなければ
ならない」とされ、その記載例を示したひな形には、すべての年表記が元号で
記してある。 従来、一九一〇年の朝鮮併合前に出生した朝鮮人が内地において
戸籍を編成 ...
>58 ページ
>58 は元号の「存続に反対する声明であって、過去に使用された元号を問題にして
いるわけではない。また個々の会員を拘束するものでないことも承知している。
側が回答に際し参考として戸籍先例集よりぬき出してく法的根拠がないという
ことは、少くとも行政当局の公文れたものである。
(おそらく戸籍への元号使用は当然とい書において西暦・元号のいずれをも強制
できないし、また例証として提示されたのであるが、いささか的当れともいずれ
の使用を容認するということのはずである。しかえる例証である。)し現実には、
元 ...
それゆえにあらためてこれを法制化する動の小文の冒頭に紹介した、一九四二年
の内地在住朝鮮人の。きがあり、またこれに反対するとりくみが行なわれてい
日本年号使用に関する民事局長回答も、このときの、法務-しかし法務局の回答は
、 ...
>60 ページ
>であるゆえに、その存続に反対し、西暦紀年の社会慣行を作りあげ、歴史研究者
は明治以後の歴史叙述を西暦(少なくとも西暦「優先」)でするべきだと思う。日本
史研究会員の存続反対署名者が、林屋氏の論文とそれへの反論投稿が会誌に掲載 ...
>60 ページ
>過去に使用した年号はこだわらないというのであれば林屋氏の提言とるからめて
その所信をよ明確にすべきだろう。
私は、林屋氏のいうように元号の主要な問題が天皇制と密接な関連を持つ一世
一元制にあると考える。元号存続反一対の趣旨のポイントもここにあると考える
。したがって、「元号存続に反対し『明治』以降の歴史叙述から元号をなくし、
西暦 ...
>60 ページ
>... 名辞として生きる用語も少なくない。また秩父事件の蜂起者たちの、自由自治
元年」宣言や、朝鮮人の自国年号の使用など、近代史上においても「私年号」的
伝統はあらわれている。この点では林屋氏の所論への説得性を感ずるものである
。
>89 ページ
>法制化反対運動元号併用で表記していただくようおねがいす、次期通常国会には
法案を提出する方文については、執筆者に西暦、または西暦・轮行者日本史研究
会発行者」がつくられ、賛同者を集めて議員連盟を会としては、今後は元号のみ
で ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[91] [CITE[[[昭島市史]] - Google ブックス]],
[TIME[1978][year:1978]],
[TIME[2020-09-02T03:41:31.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=2NJnAAAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>慶応二年と明治元年を頂点として、全国で発生した一揆の多くは、「世直し」を
スローガンにかかげて闘われた。 ... B 私年号「長徳」貧しい人々を中心として、
現実の幕藩制社会を否定する考えが広がっていたことを見てきた。そこには、 ...
>人々にとっての新しい社会像はいろいろであるが、昭島市域の村々に発生した
最も興味深い現象は、私年号「長徳」を使用したことがあげられる。本項では、
この二っの現象を考えながら、幕藩制社会の終末にあって、新たな社四社会変革
を ...
>その後、自由民権運動の一環である秩父事件の参加者が使用した「自由自治」と
、日露戦争の時期の「征露」が存在している。ところで、この私年号の意味を
理解するためには、元号の持つ意味を考えておかねばならない。
本来元号とは、「識緯説に基づいたり、天皇即位、祥瑞・災異
などにより、時代的な理想・願望をこめて、朝廷により制定されたもの」(宮田登
『 ...
>B 私年号「長徳」貧しい人々を中心として、現実の幕藩制社会を否定する考えが
広がっていたことを見てきた。そこには、新しい社会の設計図は描かれていない
こと、きわめて素朴な社会平等論と小農経営復帰論でしかないという欠点があっ
た ...
>民権思想にもとづく新しい時代になることを人々に示した私年号であった。
もとより中野久次郎の意識が、そこまで先鋭化していたとは考えにくいであろう
。
だが、現実には「慶応」という元号に示される時代であることを知りっっも、
あえてそれに対置して、「長徳元卵二月」と記録したことに、中野久次郎の強い
社会変革を求める意識を見い出すことは不当ではない。ではなにゆえに、中野久
次郎 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[95] [CITE[[[日本史用語大辞典]]: 用語編 - Google ブックス]],
[TIME[1978][year:1978]],
[TIME[2020-09-02T03:49:10.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=RX9CAAAAYAAJ&q=%E5%BE%81%E9%9C%B2>
]FIGCAPTION]
>|私、年号」異説太和白白中白朱朱白白朱大朱朱大白大大大大大白保泰和迎建水正
元白庇真弘永元至天福永弥永宝命光大大延自鳳凰元鳳雀鳥雄鳳雀化鳥雀和鳳屯長
和化長龟持平勝云教福久不鹿治貿德宝真大靖德怎勒喜寿禄永道简并自由自治征露 ...
]FIG]
- [102] [CITE[公害年鑑 - [[Google ブックス]]]],
[TIME[1979][year:1979]],
[TIME[2020-09-02T04:14:02.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=YulMAQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[96] [CITE[[[國史大辭典]] - Google ブックス]],
[TIME[1979][year:1979]],
[TIME[2020-09-02T04:02:54.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=oGkxAQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D%20%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>372 ページ
>... b[土佐光起]・宗号論争。窯。 ... [延暦寺}自由自治@31 a[私年号]十七鉄 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[89] [CITE[図說日本文化の歴史: [[明治]] - Google ブックス]],
[TIME[1981][year:1981]],
[TIME[2020-09-02T03:28:06.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=QosNAQAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>41 ページ
>一つは、国会開設請願に始まった自由民権運動から、数万の農民が蜂起した明治
十七年(一八八四)の秩父事件にいたる政治闘争の問題であった。しかしこれらは、
秩父事件において「自由自治元年」という私年号がつくられたという思想的意味
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[86] [CITE[[[西岡虎之助]]著作集 - 西岡虎之助 - Google ブックス]],
[TIME[1982][year:1982]],
[TIME[2020-09-02T03:16:36.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=J8fSAAAAMAAJ&q=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>268 ページ
>朝日新聞主催開国百年記念井伊大老展(一九五三・ 10 ・ IO ~五)〈東京・三越で
開催>パンフレット」 E 自由自治元年明治維新(一八六八年)ののち民衆の騒動は、
ひきつづき全国的に見られたが、西南役(一八七七年)ののちには、だいたい自由の ...
>269 ページ
>その一つの手がかりとして、つぎのようなものがある。 ... ところでこの盟約に用いた自由自治元年は、いうまでもなく明治一七年であるが
、明治という年号は、当時の日本の政府としての東京政府がきめ、全国に採用
されていた公式の年号であるから、この自由自治という年号は、一つの私年号だ ということができる。
>270 ページ
>が、これらの人々が、自由民権運動者として秩父地方に入りこみ、その宣伝する
主義の実践にあたって、こうした私年号を用いたわけであるが、それが東京など
の都会でのことではなく、地方、田舎でのことであるところに、文化史的意義が ...
>564 ページ
>(西岡由紀男『追』)関靖『金沢文庫の研究』(講談社)自由自治元年(学苑九月号)
中世説話文学における村落生活(国文学―解釈と鑑賞|一八三)貴族社会の生成と
崩壊(国文学―解釈と鑑賞―一八五)近世における庶民の読書(読書春秋二十七)史学
研究上 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[92] [CITE[現代と古代史学 - [[吉田晶]] - Google ブックス]],
[TIME[1984][year:1984]],
[TIME[2020-09-02T03:50:19.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=W_klAAAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>218 ページ
>もとより干支の併用字根強くおこなわれたが、紀年法の中心は元号となった。-
日本古代のいまひとつの紀年法は私年号である。五九一年を元年とする法興、六
五九年を元年とする宝元、六八九年を元年とする永昌の三例が知られている。
>219 ページ
以下、大宝以後明治にいたる元号制を簡単に述べ、明治の一世一元制の特殊性を
考えることにしたい。まず改元の種類 ... 室町から戦国期にかけて飢饉や戦乱の
とき、関東を中心に短期間で地域限られているが私年号があらわれている。福徳
・ ...
こうした伝統は明治にふひきつがれ、一八八四年の秩父事件のとき、郡役所を
占領したのちに「自由自治元年」と称したと伝えられている。以上のような元号
の歴史をうけて明治の一世一元制が成立する。その成立過程については一八六八
年( ...
>225 ページ
>( 8 )令集解同条の古記に「用年号」の本文があげられており、大宝令の規定は
養老令本文と略同文とみてよい。( 9 )私年号については久保常晴『私年号の研究
』(吉川弘文館)がある。( 0 )『歴史評論』三三四号参照。( 1 )その内容は一九七八
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[103] [CITE[深沢七郎論: 民衆とは何か - [[松本鶴雄]] - Google ブックス]],
[TIME[1986][year:1986]],
[TIME[2020-09-02T04:14:49.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=g0LUAAAAMAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>49 ページ
>自由自治元年などという年号まで作った、平将門以来の叛逆団の総大将、田代
栄助が刑死前に次のような辞世を詠んでいる。振りかえりみれば昨日の影もなし
行末くらし死出の旅路秩父大将とまで言われた彼も、捕縛された時はカッオブシ
三本 ...
>53 ページ
>としたら田代栄助伝説の場合は、失格者に対する民衆の憐憫と同情と、それ故の
親しみの象徴なのかも知れない。ともかく彼等は自由自治元年と年号を改元した
が、数日にして、戦い利あらずと見るや、革命本部を解散し、逃亡してしまった
。
>68 ページ
>民衆とは何か 松本鶴雄 しかも無頼ナラズ者の国定忠治を英雄に祭り上げ、天子様
の民草〉であり、自由自治元年の田代栄助を卑小化し、矮小化していくところの
、限りない想像力を再生していく大衆の心では道はないのか。そう、全ては絶望
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[104] [CITE[[[文藝]] - Google ブックス]],
[TIME[1986][year:1986]],
[TIME[2020-09-02T04:16:03.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=mSwMAAAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D+>
]FIGCAPTION]
>80 ページ
>自由自治元年十一月二日革命軍総理田代栄助」わたしは当時在籍していた法政
大学大学院教授の小原元に誘われて、厳密にいうと、困民党は軍用金集め方で
ある井出為吉の書いた「革かれが金達寿・西野辰吉らと始めた「現代文学」
という同人 ...
>81 ページ
>そこで困民党政府のただ、「自由自治元年」という元号が西野の勝手に作りだし
た言葉か改めて要約するまでもなく、この盟約書は天賦人権から説きはじめ、
というと、そうではない。秩父事件の史料を読んでいると、この自それを圧殺し
て ...
>82 ページ
>自由自治元年」という呼称は、秩父事件に加わった農民のエトス(肉声)を表現して
いる言葉としてある、ということだ。それは、井出自身の秩父事件についての
革命幻想にほかならない。その革命幻想は、井上幸治の「わたくしは「自由自治
元 ...
]FIG]
- [6] [CITE@ja-jp[[[自由自治元年]]―秩父事件資料・論文と解説 (現代教養文庫) | 孫六, 井出 |本 | 通販 | Amazon]],
[TIME[1987-12-01]],
[TIME[2020-09-01T09:29:50.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4390111868/wakaba1-22/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[93] [CITE[[[歴史評論]] - Google ブックス]],
[TIME[1990][year:1990]],
[TIME[2020-09-02T03:52:12.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=DI82AAAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>43 ページ
>すでに先学諸氏の検出された私年号の一覧を岩波『新版日本史年表』や抽著『
板碑とその時代』などに収めてあるので参照していただきたいが、「文」「徳昌
」などといったその後の追加資料を加えれば、約四○例が中世に用いられた私年
号 ...
>44 ページ
>第三には私年号には広く使用されたものと、孤立した使用例しかないものとが
あるのであって、これも同一のレベルでは議論できないのではないかと考え
られる。以上三つの視点から今後の私年号研究は進められるべきだと思うが、
特に第二、 ...
>44 ページ
>だが、私年号というものが板碑や経典奥書などに見られるという史料的限界から
すれば、いわば「改元事情」などを記した史料などあるはずもないのであって、
そうした事情を推測てみることは現段階ではあまり生産的なこととは思えない。
>45 ページ
>当時の改元伝達のありようを振りかふんってみると、蹴合石シ府の場合は、朝廷
で改元が行なわれ、京都からの使者が改元語書をもたらす、そして幕府で改元の
吉書始めが行なわれ、それ以後諸国で新年号が使用されることになる。室町幕府
の ...
>45 ページ
>また、改元を受けた在地領主のレベルではどうするか、ということはよくわかっ
ていない。 ... 以前私は、これらの広範に用いられた私年号が東国の政治的
まとまりの解体状況の中で、何らかの事情から改元伝達ルートに乗ってしまった
私年号 ...
>47 ページ
>そして表記の上では、福徳という年号は、元年、二年、三年、四年とあたかも四
年間にわたって用いられたように思えるのだが、そう ... このことは、福徳という
年号の伝達にあたって、やはり複数のルートが存在していたということを示して ...
>49 ページ
>もちろんこの連想、あるいは機能は、徳政だけではなく、招福除災の機能の期待
されていたはずの改元にもそのままあてはまるものであろう。ともに招福除*の
まじないとして、徳政要求の契機と、改元待望の契機とは極めて近似的な関係に ...
>86 ページ
>千々和到報告「改元と私年号」を聞いて井原今朝男歴史科学協議会の大会テーマ
歴史における文化の創造、は三年間 ... に見られる「私年号」をとりあげ、中世
民衆が元号や改元をどのようにとらえ、どのようにし 乗った私年号を公年号
として ...
> 報告によれば、東国民衆は年号を単に権力
から伝達されるものとして一方的に受け取るだけの受動的な存在ではなかった。
>87 ページ
>乗った私年号を公年号として受け取っていたのではないること、などの諸点を
明らかにした。
今回の報告の第一の意義は、中世東国民衆がもっていた年号観にっいてはじめて
歴史分析のメスを入れたことがあげられる。報告によれば、東国民衆は年号を
単に権力から伝達されるものとして一方的に受け取るだけの受動的な存在では
なかっ ...
>87 ページ
>自由民権運動の秩父事件の中で、農民が「自由自治元年」の私年号を使用した
事例を思い出す程度である。しかし、千々和報告を受けて考えてみれば、明治の
民衆の中にも、中世東国民衆の改元待望意識の伝統が生きており、年号を自らの
要求 ...
>88 ページ
>近世社会の金石文等に私年号は存在しないのか、「自由自治」年号との関連など
は近代史研究者の見解を是非伺いたいものであったが、その時間もなかったし、
そうした問題にならず残念であった。それだけ、研究の細分化が進んだため、 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[88] [CITE[[[中世]]のいくさ・祭り・外国との交わり: 農村生活史の断面 - 井原今朝男 - Google ブックス]],
[TIME[1999][year:1999]],
[TIME[2020-09-02T03:26:14.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=9INMAQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>77 ページ
>この点は、秩父事件のみが中世東国の私年号以来初めて「自由自治元年」の年号
をもちい、元号を相対化できたのはなぜかという興味深いテーマとも関係しょう
。拙稿「千々和到報告「改元と私年号」を聞いて」(『歴史評論』四八一、一九九 ...
>188 ページ
>これは都市の公家関係史料による立論であり、農村生活史の解明が進展すれば
また違った評価がなされる日がくるでう。。〔補注戦国期の文書で、年号と干支
を誤記する事例が散見される。正文では、諏訪上社所蔵雉鎌柄の墨書銘で「天正
十八 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[94] [CITE[[[柳田国男]]全集: 明治44年‐大正4年 - 柳田國男 - Google ブックス]],
[TIME[1999][year:1999]],
[TIME[2020-09-02T03:59:14.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=TkM0AQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]
>5 ページ
>咲き出した 世の中はまんど末代/みろくの船がつづいたぞ」と謡は始そのあと沖縄
の友人から、次のような琉歌があることも聞まるのだが、応仁の乱後、世が乱れ
庶民は生き難かった時代いた。に、「弥勒二年」という私年号が広く東国の各地 ...
なるのであった。あるときは、あらっ、やっぱり調べていそして何だか最近、「
みろく」が出てくる歌を耳にしたよ現が妙に心を捕らえ、やはり詩人だ、と一人
頷いてしまう。いえば、秩父事件のときの「自由自治元年」しか知らなかっ.
]FIG]
]REFS]
[73]
[CITE[[[日本私年号の研究]]]]
には未収録でした。
この本は[[私年号]]でないものも[[私年号]]ではないと書いて収録しているので、
収録されていないということは[[著者]]は知らなかったのでしょう。
-*-*-
[121]
[[昭和時代]]の学校教育関係者の一部には、
[[秩父事件]]と[[自由自治]]を高く評価する人達がいたようです。
歴史教科書から[[自由自治]]の言及が削除された件に対しては、
それが歴史的事実か疑わしいという学術的な根拠に基づくものだったにも関わらず、
[[イデオロギー]]的な理由から反発を示しました [SRC[>>97]]。
([[昭和時代]]の[[社会科]]教員は[[左翼]]主義者の巣窟として知られており、
公立学校でも反政府主義的な指導が公然と行われていたことと、関係するのでしょうか。)
[REFS[
- [123] [CITE@ja[立教大学学術リポジトリ - [[立教大学]]学術リポジトリ]], [[NetCommons]], [TIME[2021-01-28T11:38:22.000Z]] <https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1178&item_no=1&page_id=13&block_id=49>
-- [122]
[CITE[[V[中学校における日本近代史の授業計画]]]],
[[森昭]],
[TIME[1981-04]]
<https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1178&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=49>
--- [124]
「[V[[SNIP[]]そして『自由自治元年』をさけび、一時は一万人近い]]
[V[部隊が大宮町を制圧した。[SNIP[]]]]」
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[131] [CITE@ja[昔の日本人は勝手に元号を作っていた件|圏外録(けんがいろく)~森往来のメモ|[[note]]]],
2019/05/21 00:56,
[TIME[2021-01-28T12:04:52.000Z]] <https://note.com/ourai/n/na0f4bc6dcee0>
]FIGCAPTION]
>▼今号は、昔の日本人はけっこう勝手に元号をつくっていた話。2019年4月3日付の毎日新聞から。東京大学教授の加藤陽子氏(日本近代史)のインタビュー。適宜改行。
>
〈[SNIP[]]
また、1884年の一大農民蜂起として知られる秩父事件でも「自由自治」元年が唱えられていた。〉
>
▼とても面白い、教科書では教えない歴史だ。
]FIG]
]REFS]
[132] 「教科書に載ってない」「学校で教えてくれない」は[[平成時代]]の[[日本人]]が大好きな言葉。
[[ゆとり教育]]の反動だろうか。
[[疑似科学]]的な危うさがある。
* 大河ドラマ
[21]
[[日本]]の[[テレビ局]]
[[NHK]]
が昭和55年に制作、放送した[[大河ドラマ]]
[CITE[獅子の時代]]
は、
終盤で[[秩父事件]]を描きました。
-[23]
第50回
[WEAK[([TIME[1980-12-14]]放送)]]
の題名は
[CSECTION[自由自治元年]]
でした。
[SRC[>>22]]
-
[24]
最終回の第51回
[WEAK[([TIME[1980-12-21]]放送)]]
[SRC[>>22]]
も[[秩父事件]]の続きでした。
-
[25]
総集編第5回