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1000
[33] 現在の[[朝鮮半島]]では、
[[北鮮]]で主に[[主体暦]]と[[西暦]]が、
[[南鮮]]で主に[[西暦]]が用いられています。
歴史的には多種多様な[[紀年法]]が用いられました。
* 種別
[30] [[朝鮮半島]]では、次の[[紀年法]]が用いられてきました。
[FIG(short list)[ [49] [[朝鮮半島]]の[[紀年法]]
- [[中国の元号]]
- [[朝鮮半島の元号]]
- [[崇禎紀元]]
- [[開国年号]]
- [[日本の元号]] ([[明治]]、[[大正]]、[[昭和]])
- [[皇紀]]
- [[大韓民国][大韓民国 (紀年法)]]
- [[檀君紀元]]
- [[西暦]]
- [[在位紀年]]
- [[主体暦]]
- [[干支年]]
- [[統一教会暦]]
- [[天紀 (三千年城新世界創造學會)]]
- [[百済年号]]
- [[真覚]]
- [[aH]]
- [[箕子紀年]]
- [[延寿 (高句麗)]]
- [[仏暦]]
- [[道紀]]
]FIG]
[32] 基本的には[[支那の元号]] (特定の時期のみ独自の[[朝鮮半島の元号]])
を使っていたようです。
[450] [[朝鮮半島]] ([[韓半島]])
は[[中国]]の支配下にあったため、長く中国の元号を使ってきた。
,大韓民国臨時政府,(大韓)民国元年,1919年
,〃 ,民国27年,1945年,11月臨時政府解散
,米軍政府 ,1945年,==,9月〜
,[[大韓民国]] ,檀君4281年,1948年
,〃 ,檀君4294年,1961年
,〃 ,西暦1961年,==
,ソ連軍占領下 ,1945年,==,9月〜
,[[朝鮮民主主義人民共和国]],西暦1948年,==
,〃 ,西暦1997年,==,〜9月8日
,〃 ,主体86年,1997年,9月9日〜
* 在位紀年
[31]
[[朝鮮半島]]の歴代王朝時代の事項を記述する際には、
[DFN[当該王朝の王名と在位年数を使った紀年][朝鮮半島の即位紀年]]
([[在位紀年]]) を用いることがよくあるようです。
[156]
[[中華文化圏]]諸国では[[元号]]がないとき[[即位紀年]]を使うのが一般的で、
[[朝鮮半島]]諸国でも古くから行われてきました。
[SEE[ [[東洋の即位紀年]], [[諸侯王等即位紀年]] ]]
[54]
公的には[[宗主国]]である[[中華王朝]]諸国の[[元号]]が使われていたのですが、
[[支那王朝の元号]]の期間は[[朝鮮]]王朝の統治と連動しておらず、
歴史書や歴史研究の場では使いづらいのでしょうか。
[[属国]]の象徴である[[支那]]の[[元号]]は使いたくないとの事情もありそうです。
[SEE[ [[元号の選択]] ]]
[150]
[CITE[三国史記]]
は[[新羅]]の[[元号]]の記述もありますが、
古い時代は[[元号]]がなく、
新しい時代は[[唐の元号]]を使っているため、
全体を一貫して記述できるのは[[即位紀年]]だけです。
[[改元]]と代替わりが必ずしも同期していないので、
[[本紀]]を書きやすいのも[[即位紀年]]です。
そのため[[即位紀年]]による歴史記述が行われ、
以後も踏襲したということかもしれません。
[REFS[
-
[175]
[CITE[三国史記]]と高句麗、百済、新羅の紀年法
<https://data.suikawiki.org/tag/6101/graph?sequence=3938&sequence=3941&sequence=3952>
-
[182]
高麗の紀年法
<https://data.suikawiki.org/tag/1118/graph?sequence=4045&sequence=750%2B1118&sequence=1474%2B1118>
]REFS]
-*-*-
[195]
[[即位紀年]]は、
[[即位]]の当年を[[元年]]とする流儀と、
[[即位]]の翌年を[[元年]]とする流儀があります。
どちらを採用するべきかはどこの国でも問題となっています。
[SEE[ [[改元踰年問題]] ]]
[196]
[CITE[三国史記]]
は、
三国の[[即位紀年]]を、
(各国の初代を除き)
[[即位]]の翌月から[[元年]]とする方法を採用しています。
ただし、[[新羅]]の2王と[[高句麗]]の1王は、
前王の死去が12月のため、
結果として翌年が[[元年]]となっています。
[SRC[>>7864]]
[197]
[CITE[東国通鑑]]
[WEAK[([TIME[西暦1484年][1484]]成立)]]
の[[三国時代]]の[[即位紀年]]は、
[CITE[三国史記]]
の方法を踏襲しています。
ただし前王が12月に死去した3王のうち、
[[高句麗]]の1王だけ違いがあります。
[SRC[>>7864]]
-
[198]
[[高句麗]]の[[長寿王]]は[TIME[西暦491年][491]]12月に死去しました。
--
[217]
[CITE[三国史記]]
は[TIME[西暦492年][492]]を[[文咨明王]]の[[元年]]としています。
[SRC[>>7864]]
([TIME[y~3928]])
--
[218]
ところが
[CITE[東国通鑑]]
は[TIME[西暦491年][491]]を[[元年]]としています。
[SRC[>>7864]]
([TIME[y~4082]])
[NOTE[
[199]
[[今西竜]]は、
他が[[踰月称元法]]であるのに対し、
この1例だけ[[踰日称元法]]とでもいうべきものだとしています。
[SRC[>>7864]]
[219]
実際には
[CITE[東国通鑑]]
にはこの年が長寿王79年かつ文咨王元年と書かれているだけで、
[[年]]内の[[日付]]は書いていないので [SRC[>>200]]、
「踰日称元」
だと断じるのは言いすぎです。
]NOTE]
[201]
[[李氏朝鮮]]国の[[儒学]]者[RUBYB[[[権近]]][[TIME[1352]]-[TIME[1409]]]]の編著
[CITE[東国史略]]
[WEAK[([TIME[西暦1403年][1403]]成立)]]
や、
[[李氏朝鮮]]国の[[儒学]]者[RUBYB[[[洪汝河]]][[TIME[1620]]-[TIME[1674]]]]の
[CITE[木斎家塾東国通鑑提綱]]
は、
[[儒教]]的な立場から、
[[三国時代]]の各[[王]]の[[即位紀年]]も即位の翌年を[[元年]]としました。
[SRC[>>7864]]
[202]
それ以後の歴史書や歴史の記述は、
[CITE[三国史記]]
や
[CITE[東国通鑑]]
の方式が一般的でありながらも、
即位翌年の方式も使われています。
この違いによる混乱もあって、
気づかないで誤って考察してしまう研究者もいるくらいです
[SRC[>>7864]]。
[203]
[[高麗]]および[[李氏朝鮮]]の時代については、
諸書とも[[即位]]の翌年を[[元年]]としています。
[SRC[>>7864]]
ただし、特殊例が次の通り王朝初代計2件、[[高麗]]に2件、
[[李氏朝鮮]]に3件あります。
- [220]
[[高麗]]の初代王[[太祖]]は、
[[後高句麗]]の王[[弓裔]]を追放して王位に就きました。
即位と同時に[[天授]]と[[改元]]しており、
[[即位紀年]]もそれと同時に[[元年]]になっています。
-
[204]
[[高麗]]の[[文宗]]の死後即位した[[順宗]]は、同年中に死去し、
[[宣宗]]が[[即位]]しました。
[TIME[文宗37(1083)年癸亥][1083]] ([TIME[y~4031]])
の翌年が[TIME[宣宗元(1084)年甲子][1084]] ([TIME[y~4047]]) とすると、
[[順宗]]の年がなくなってしまいます。
--
[208]
[CITE[高麗史]]
[WEAK[([TIME[西暦1451年][1451]]成立)]]
や
[CITE[東国通鑑]]
[WEAK[([TIME[西暦1484年][1484]]成立)]]
は実際そのような紀年で、
章構成上も[[順宗]]は[[文宗]]の末尾に書かれています
[SRC[>>215, >>207, >>7864]]。
--
[205]
それとは別に、
[TIME[順宗元(1083)年][1083]] ([TIME[y~4051]])
が使われることもあります。
[SRC[>>181, >>206]]
-
[209]
[[高麗]]末期に[[辛禑]]が廃されて即位した[[辛昌]]は、
その翌年に早くも配され、
[[恭讓王]]が即位しました。
--
[210]
[TIME[辛禑14(1338)年戊辰][1388]] ([TIME[y~4040]])
の翌年は本来[[辛昌]]の[[元年]]であるはずですが、
[CITE[東国通鑑]]
では[[辛昌]]の章がなく、
[TIME[恭讓王元(1389)年己巳][1389]] ([TIME[y~4028]])
となっています。
[[辛昌]]の記事は前後の王の章に書かれています。
[SRC[>>211, >>7864]]
--
[212]
[CITE[高麗史]]
では、
[TIME[辛禑14(1338)年戊辰][1388]] ([TIME[y~4040]])
と[TIME[恭讓王元(1389)年己巳][1389]] ([TIME[y~4028]])
の間に[TIME[辛昌元(1389)年][1389]] ([TIME[y~4039]])
があります。
[[恭讓王]]の即位前紀には辛昌元年とあり、
即位してからが恭讓王元年になっています。
[CITE[高麗史]]
の他の王とここだけ構成が違っています。
[SRC[>>214, >>213]]
--
[221]
その他でも辛昌元年 ([TIME[y~4039]]) が使われることがあります。
[SRC[>>181]]
--
[NOTE[
[216]
[[辛禑]]と[[辛昌]]は正統な王と認められておらず、
[CITE[高麗史]]
でも
[CITE[東国通鑑]]
でも他の王と違う扱いをされています。
紀年にもその特殊性が表れているのです。
]NOTE]
-
[222]
[[高麗]]から[[李氏朝鮮]]への交替は[[禅譲]]でした。
その[[即位]]からが新王の[[元年]]とされています。
[SRC[>>7864]]
-
[223]
[[李氏朝鮮]]の[[燕山君]]は[TIME[13(1506)年][1506]] ([TIME[y~4073]])
に[[廃位]]されました。
--
[224]
その当年が[TIME[中宗元(1506)年][1506]] ([TIME[y~4054]]) とされます。
[SRC[>>7864]]
--
[225]
その翌年を[TIME[中宗元(1507)年][1507]]とする数え方 ([TIME[y~4078]]) もあります。
[SRC[>>179]]
-
[226]
[[李氏朝鮮]]の[[光海君]]は[TIME[15(1623)年][1623]] ([TIME[y~4057]])
に[[廃位]]されました。
--
[228]
その当年が[TIME[仁祖元(1623)年][1623]] ([TIME[y~4056]]) とされます。
[SRC[>>7864]]
--
[229]
その翌年を[TIME[仁祖元(1624)年][1624]]とする数え方 ([TIME[y~4079]]) もあります。
[SRC[>>179]]
[REFS[
-
[215] [CITE@zh[[[高麗史]]/卷十 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-21T12:55:44.000Z]], [TIME[2023-05-05T13:03:18.640Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E5%8D%81>
--
[214]
[CITE@zh[[[高麗史]]/卷四十五 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-21T12:58:20.000Z]], [TIME[2023-05-05T13:01:05.104Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E5%9B%9B%E5%8D%81%E4%BA%94>
-
[213]
[CITE@zh[[[高麗史]]/卷一百三十七 - [[维基文库]],自由的图书馆]], [TIME[2023-04-21T12:57:38.000Z]], [TIME[2023-05-05T12:58:03.684Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E4%B8%80%E7%99%BE%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83#%E8%BE%9B%E6%98%8C>
-
[200]
[CITE@ja-JP[[[朝鮮群書大系]] 続 第3輯]], [[朝鮮古書刊行会]], [TIME[明治45][1912]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-05T09:33:18.518Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1088211/1/78>
--
[207]
[CITE@ja-JP[[[朝鮮群書大系]] 続 第3輯]], [[朝鮮古書刊行会]], [TIME[明治45][1912]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-05T12:46:00.660Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1088211/1/281>
--
[211]
[CITE@ja-JP[[[朝鮮群書大系]] 続 第5輯]], [[朝鮮古書刊行会]], [TIME[明治45][1912]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-05T12:54:00.006Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1088226/1/251>
- [7864]
[CITE@ja[[V[朝󠄃鮮に於ける國王[BR[]]在位の稱元法]]]],
[[[V[今西龍]]]],
[V[[TIME[明治四十五年五月五日][1912-05-05]]稿]],
[TIME[2019-05-17 11:49:45 +09:00]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3921&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
-- <https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3921&file_id=22&file_no=1>
-
[194]
[CITE@ja[[V[三國史󠄃記の稱元法並に高麗以前󠄁[BR[]]稱元法の硏究]]]],
[[[V[小田省吾]]]]
-- [7866] [CITE@ja[三国史記の称元法並に高麗以前称元法の研究(上)]],
[[小田省吾]],
[TIME[大正九年五月][1920-05]]
([TIME[2019-05-19 10:00:16 +09:00]])
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4090&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
--- <https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4090&file_id=22&file_no=1>
-- [7867] [CITE@ja[三国史記の称元法並に高麗以前称元法の研究(下)]],
[[小田省吾]],
[TIME[大正九年六月][1920-06]]
([TIME[2019-05-19 10:01:10 +09:00]])
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4095&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
--- <https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4095&file_id=22&file_no=1>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[206]
[TIME[2023-05-05T12:42:05.200Z]]
<http://221.214.181.176:8083/cache/ABE4701535F8A39C9FEE7879867CBDE5.pdf#page=212>
]FIGCAPTION]
>辽太康九年正是高麗順宗元年(1083 年)。
]FIG]
]REFS]
[151]
[[即位紀年]]は[[朝鮮史]]の記述で最も重要な[[紀年法]]であるにも関わらず、
その一覧表 (王の一覧、在位期間の表ではなく[[紀年法]]、[[元年]]の一覧表)
は案外[[ウェブ]]上に多くありません。
[155]
[[Chinese Text Project]] による一覧表:
[REFS[
- [154]
[CITE@en[[[新羅]] - Chinese Text Project]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2023-04-05T16:33:53.000Z]], [TIME[2023-05-03T03:20:01.028Z]] <https://ctext.org/datawiki.pl?if=en&res=19957>
- [152]
[CITE@en[[[高句麗]] - Chinese Text Project]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2023-04-05T16:33:53.000Z]], [TIME[2023-05-03T03:18:53.179Z]] <https://ctext.org/datawiki.pl?if=en&res=78660>
- [153]
[CITE@en[[[百濟]] - Chinese Text Project]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2023-04-05T16:33:53.000Z]], [TIME[2023-05-03T03:19:47.341Z]] <https://ctext.org/datawiki.pl?if=en&res=839760>
- [181]
[CITE@en[[[高麗]] - Chinese Text Project]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2023-04-05T16:33:53.000Z]], [TIME[2023-05-04T08:58:32.263Z]] <https://ctext.org/datawiki.pl?if=en&res=665318>
- [179]
[CITE@en[[[大朝鮮國]] - Chinese Text Project]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2023-04-05T16:33:53.000Z]], [TIME[2023-05-04T08:57:01.114Z]] <https://ctext.org/datawiki.pl?if=en&res=747216>
-- [180] [[大韓帝国]]を含まない
]REFS]
[55]
[CITE[三国史記]]
の第2代[[新羅]]王[[南解次次雄]]の項には、
>繼父即位稱元。
とあり、[[即位紀年]]の[[称元]]が行われていたとしています。
更に[[踰年称元]]について注釈を加えています。
[SRC[>>157]]
[REFS[
- [157]
[CITE@zh[[[三國史記]]/卷01 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-18T09:00:37.000Z]], [TIME[2023-05-03T07:09:56.940Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%8F%B2%E8%A8%98%2F%E5%8D%B701>
]REFS]
[186]
[[大韓帝国]]最後の[[皇帝]]で[[大日本帝国]]の[[李王]]の[[純宗]]の[[即位紀年]]は、
[[皇帝]]即位翌年から連続する形で死後しばらくまで、
公的にも (>>183) 私的にも [SRC[>>187]]
使われました。
[TIME[y~4080]]
[189]
[[純宗]]の[[即位紀年]]は、
[[皇帝]]即位当年を元年とする
「李王元年」
からの数え方もありました。
[TIME[y~4081]]
[[朝鮮総督府]]の出版物に出現しています [SRC[>>188, >>190]]。
;; [191] >>190 左側,
奎章閣日記の項。
文中の[[秘書監]]廃止が[TIME[1907-11-27]]のこと。
[192]
即位当年からの数え方 [TIME[y~4081]] は現在知られている初出は[TIME[大正4(1915)年][1915]]
[SRC[>>190]] で、[[皇帝]]退位後ですが、[[李王]]として在命中です。
ただしこれは[[日本]]側で軽く探しただけなので、より遡る用例もあるかもしれません。
[REFS[
-
[190]
[CITE@ja-JP[朝鮮図書解題 大正4年]], [[朝鮮総督府]], [TIME[大正4-8][1919]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-04T14:29:21.215Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/941631/1/54>
- [188]
[CITE@ja-JP['''['''朝鮮総督府''']'''調査資料 第40輯 生活状態調査(其七)[[慶州郡]]]], [[朝鮮総督府]], [TIME['''['''大正12''']'''-昭和10][1935]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-04T14:17:56.822Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1147962/1/72>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[187]
[CITE[輸入書 東亞千字文萃編(中國卷、韓國卷、日本卷)(全3卷)【中国・本の情報館】[[東方書店]]]], [TIME[2023-05-04T13:59:08.000Z]] <https://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=452549&bookType=ch>
]FIGCAPTION]
>
[PRE[
7 千字文 羅洞等編 純祖二十六年(1826)印本
8 千字文 池松旭編 純宗六年(1913)新舊書林印本
9 千字文 崔弘善編 純宗九年(1916)弘壽堂印本
10 篆草諺注千字文 朴永鎮編 純宗九年(1916)天寶堂印本
11 圖像注解千字文 趙慶勣編 純宗十年(1917)印本
12 注解千字文 白斗鏞編 純宗十年(1917)翰南書林印本
13 千字文 張焕舜編 純宗十年(1917)全州七書房印本
14 訂本千字文 尹泰晟編 純宗十二年(1919)天一書館印本
15 圖形千字文 高裕相編 純宗十五年(1922)匯東書館印本
16 漢日鮮三體千字文 姜義永編 純宗十八年(1925)永昌書館印本
17 千字文 高裕相編 純宗十八年(1925)匯東書館印本
18 千字文 李正淳編 純宗十九年(1926)廣安書館印本
19 千字文 玄公廉編 純宗二十一年(1928)大昌書院普及書館印本
20 蒙學圖像日鮮千字文 白斗鏞編 檀紀四二六五年(1932)翰南書林印本
21 日鮮千字文 金益培編 檀紀四二六五年(1932)宇宙書林印本
22 漢日鮮千字文 申泰三編 檀紀四二六七年(1934)世昌書館印本
23 日鮮文新訂類合千字 金東縉編 檀紀四二六七年(1934)德興書林印本
24 日鲜文四體千字文 金璂鴻編 檀紀四二六八年(1935)在田堂書鋪印本
25 訂正新編千字文 李相焄編 檀紀四二六八年(1935)三成書林印本
26 日鮮四體千字文 高敬相編 檀紀四二六八年(1935)三文社印本
27 日鮮圖像千字文 姜義永編 檀紀四二六九年(1936)永昌書館印本
28 日鮮四體千字文 金松圭編 檀紀四二七零年(1937)廣韓書林印本
29 千字文 梁承坤編 檀紀四二七零年(1937)梁册房印本
30 新釋漢日鮮文注解千字文 金東縉編 檀紀四二七零年(1937)德興書林印本
31 四體圖像明文千字文 金赫濟編 檀紀四二八八年(1955)明文堂印本
32 四體圖像注解世昌千字文 申泰三編 檀紀四二八九年(1956)世昌書館印本
]PRE]
]FIG]
]REFS]
* 史書の紀年法
** [CITE[三国史記]]
[124]
[CITE[三国史記]]には[[年表]]があります [SRC[>>125]]。
[130]
記事は概ね規則的に記述されていますが、細かい点まで見ると微妙に規則から外れている箇所もいくつかあります。
[126]
[[新羅]]建国から[[後百済]]滅亡までの[[三国時代]]、[[新羅]]統一時代、[[後三国時代]]の各[[年]]について、
[[干支年]]、
[[中華王朝の元号]]、
三ヶ国の[[即位紀年]]を並べています。
[127]
更に、各[[王]]の即位、死去・退位、[[改元]]、重大事件が記載されています。
[128]
[[即位紀年]]には[[元号名]]が明記されず、年数だけが並べられています。
[[元号]]は[[改元]]年に書くだけで、[[元号年]]は書かれていません。
[129]
いくつかの[[中華王朝の元号]]は、
いつ[[新羅]]が[[改元]]を知った、
[[新羅]]は使わなかった、
といった記載もあります。
-
[131]
短期間で[[改元]]を繰り返した[[則天武后]]の時代や、
[[安史の乱]]の時代に、
不使用の元号がいくつかあります。
-
[132]
[[唐]]の後期にいくつか、2年になってから改元を知ったものがいくつかあります。
[133]
どちらもたまたま判明したもの、記録が残ったものが収録されているだけで、
それ以外がすべて[[新羅]]でも実施された、[[改元日]]から日が経たないうちに施行された、
とも断言できません。
[[改元]]翌年に知ることが実は珍しいことではないのなら、
他の短命元号が実施されなかった可能性があります。
[134]
実施されなかったと明記されているものは、
[[改元伝達]]に時間がかかって次の[[改元]]に至ったものもあるでしょうし、
内乱等が理由で意図的に施行を保留していた可能性もあるのかもしれません。
[146]
[CITE[三国史記]]
記事本文中では、
[[中華王朝の元号]]と[[即位紀年]]の一方または両方
(と[[干支年]])
が入り混じっています。
[147]
[[即位紀年]]の[[元号名]]部分の王名は、必ずしも[[年表]]の王名の表記と一致しません。
[149]
[[三国時代]]は各国の王紀年、
統一時代は[[唐の元号]]が基本となっているように見えますが、
そうでない箇所も多いです。
[148]
記事本文中に出現する[[紀年]]の表記法を統一しようという意志は強くなさそうです。
原資料の違いによるところもあるのでしょうか。
[[中国正史]]でも本文中の紀年はあまり洗練されていない傾向はありますが、
[[朝鮮]]の場合は[[即位紀年]]と[[元号]]が並行しているので余計にぐちゃぐちゃになって見えます。
[158]
同じように[[中華王朝]]の統治下にあった時代が長い[[越南]]の[[史書]]の場合、
本紀では[[干支年]]に[[越南の元号]]・[[越南の即位紀年]]と[[中華王朝の元号]]を併記するスタイルが確立しています。
[159]
それに対して
[CITE[三国史記]]
は本紀の記事日付が[[朝鮮半島の即位紀年]]のみで、
年表を見ると[[中華王朝の元号]]や[[干支年]]と対応付けることもできるという仕様になっていて、
本文中の紀年は先述の通り不統一になっています。
[[年表]]があるのは便利ですが、本文だけを読みにくいのは難点です。
[REFS[
- [125] [CITE@zh[[[三國史記]]/卷29 - [[维基文库]],自由的图书馆]], [TIME[2023-04-16T02:22:41.000Z]], [TIME[2023-04-30T12:49:07.347Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B729>
]REFS]
** [CITE[三国遺事]]
[135]
[CITE[三国遺事]]
は基本的に[[中華王朝の元号]] (と[[干支年]]) を使っています。
第1卷では[[中華王朝の元号]]に対して、
朝鮮半島の各国の王の即位年が書かれています (が[[即位紀年]]は使っていません)。
本文中ではたまに各国の王の[[即位紀年]] (と[[干支年]]) が出てくることもあります。
[137] [[唐堯]]即位紀年が使われています。 [SEE[ [[唐堯]] ]]
[140]
いくつかの[[避諱元号]]が出現します。
よく知られていない謎[[元号]]が連発されるので、
解説がないとなかなか読みづらいです。
[141]
[[唐]]の末期に、[[光化]], [[天祐]]の[[延長年号]]が出現します。
同時期に[[元号]]のかわりとしての[[即位紀年]]の例もあります。
[SEE[ [[光化]] ]]
[145]
他の国の[[史書]]にあまり見られない表現として、
「[VAR[誰々]]王代[VAR[何々]][VAR[何]]年」
という[[元号年]]がたびたび出現します。
他国なら[[元号]]を制定した[[皇帝]]を[[書く所][元号名スロット]]ですが、
[[朝鮮]]では制定者と王名が違っています。
[REFS[
- [136] [CITE@zh[[[三國遺事]]/卷第一 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-17T06:26:52.000Z]], [TIME[2023-05-01T06:29:50.006Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%80>
]REFS]
[138] >>136
> 以地皇四年甲申崩。
1年ずれ
>劉聖公更始元年癸未。即位[WEAK[年表云。甲申即位]]
1年ずれ
;; [139]
[CITE[kor07004.pdf]], [TIME[2023-05-01T12:47:22.000Z]], [TIME[2023-05-01T12:49:51.196Z]]
<https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/2003088/files/kor07004.pdf>
#page=4
#page=8
[142]
[CITE@zh[[[三國史記]]/卷26 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-18T03:19:56.000Z]], [TIME[2023-05-02T03:20:31.110Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B726>
百済聖王
> 十六年,春,移都於泗沘,[WEAK[一名所夫里。]]國號南扶餘。
[143] [CITE@zh[[[三國遺事]]/卷第二 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-17T06:22:36.000Z]], [TIME[2023-05-02T03:21:22.563Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%BA%8C>
>按三國史記。百濟聖王二十六年戊午春。移都於泗泚。國號南扶餘。
[144] 戊午は16年。[CITE[三国遺事]]の誤引用。
** [CITE[高麗史]]
[162]
[CITE[高麗史]]
の[[年表]]には、
各[[年]]の[[干支年]]、
[[中華王朝の元号]]、
[[高麗]]王の[[即位紀年]] ([[元号]]のある王は[[元号]])
が並べられています。
[SRC[>>160, >>161, >>170]]
[163]
[CITE[维基文库]]本の[[年表]]では[[元号]]がある王は在位の最後までその[[元号]]になっています。
本紀の方で
>又賜曆日,自是,除天授年號,行後唐年號。
という記事がありますが [SRC[>>167]]、[[年表]]ではそれ以後も[[天授]]が使われています。
[171]
別の本では天授16年まで[[元号名]]がありますが、
廃止翌年の17年からは[[元号名]]なしになっています。 [SRC[>>170]]
こちらの方が本来の形なのかもしれません。
[[光德]]は元年にだけ[[元号名]]があり、廃止当年の2年からが[[元号名]]なしになっています。
[164]
本紀は王ごとにまとめられており、
記事の日付は ([[元号名]]なしの) [[即位紀年]]の[[年数]]で書かれています。
[165]
[[建元]]記事には[[元号名]]がありますが、日付表記には使われません。
[[年表]]に示されるだけです。
本文記事中で参照するときは、王名が[[元号名]]として[[即位紀年]]が使われています。
[166]
本紀および[[年表]]に[[中華王朝の元号]]採用の記事はありますが、
本紀の方が少し詳しい説明があります。
国名が書かれているだけで、具体的な[[元号]]は書かれていないこともあります。
[[元号]]をやめたという記事や、[[元号]]をやめて[[干支年]]にしたという記事もあります。
[[元号]]の利用をやめた後に同じ[[元号]]を再開したという記事もあります
[SEE[ [[元号の再開]] ]]。
しかしながら、これらの記事はすべての[[元号]]の改廃を詳しく書いているわけではないので、
特記がないのは大きな出来事がなかったものだと推測するしかありません。
[168]
[[年表]]記事はおおむね規則的ですが、たまに例外があります。
[172]
[[年表]]中、
「金天會」
が元年から15年までありますが、
8年だけなぜか
「遼天會」
になっています。
[SRC[>>167, >>170]]
ただの誤記でしょうか。
;; [173]
[[遼]]の[[天會]]は、[[後遼]]の[[天德]]の異説の1つにありますが、
時代が1世紀離れています。
[169]
[[年表]]中、[[北元]]の
「元泰定帝元年」
だけ「帝」が付きます。その次の
「元泰定二年」
からは付きません。
[[泰定帝]]は[[一世一元]]で[[元号名]]が[[皇帝名]]としても使われているため、
書き方が乱れたのでしょうか。
[174]
[[重祚]]が2組あり、
「忠肅王後元年」
「忠惠王後元年」
のように[[後元]]が表記されています。
ただし
「忠肅王後四年」
の次がなぜか
「忠肅王五年」
に戻っています。
[SRC[>>160]]
[REFS[
-
[167]
[CITE@zh[[[高麗史]]/卷二 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-19T09:21:09.000Z]], [TIME[2023-05-03T11:41:29.545Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E4%BA%8C>
-
[160]
[CITE@zh[[[高麗史]]/卷八十六 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-19T09:18:23.000Z]], [TIME[2023-05-03T11:24:52.992Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AD>
-
[161]
[CITE@zh[[[高麗史]]/卷八十七 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-19T09:20:24.000Z]], [TIME[2023-05-03T11:25:21.585Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E5%85%AB%E5%8D%81%E4%B8%83>
-
[170]
[CITE@ja-JP[[[高麗史]] 第2]], [[鄭麟趾 奉敕修]], [TIME[明治42][1909]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-03T13:02:16.434Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/991069/1/375>
]REFS]
** [CITE[朝鮮王朝実録]]
[176]
[CITE[朝鮮王朝実録]]
は[[李氏朝鮮]]の建国から[[大韓帝国]]の[[大日本帝国]]併合まで、
各[[王]]ごとに[[即位紀年]]で編集されています。
[177]
[[王]]ごとなので、
[[元年]]の前に「即位年」があり、
前王の最終年のうち、新王の即位以後が収録されています。
[178]
[[太陽暦]]への[[改暦][グレゴリオ改暦]]以後は新暦日付で、
巻頭に[[陰暦]]が併記されています。
[183]
[[大韓帝国]]最後の[[皇帝]]で[[大日本帝国]]の[[李王]]だった[[純宗]]の実録は、
本編は
[CSECTION[三年]]
の[[退位]]
([TIME[1910-08-29]])
までで終わりますが、
[CSECTION[純宗實錄附錄]]
が更に続きます。
付録の
[CSECTION[三年]]
は同じ[TIME[1910-08-29]]から始まり、
死後の
[CSECTION[二十一年]]
の[TIME[1928-07-06]]まであります [SRC[>>184]]。
;; [185]
なお
[CITE[维基文库]]
のページ上部には
「(丙寅)二十一年清[SUB[昭和二年]]」
と意味不明なことが書かれていますが、「二十一年」以外全部間違いです。
他のページのこの部分も間違いが多いので要注意。
[REFS[
- [184] [CITE@zh[[[朝鮮王朝實錄]]/純宗實錄附錄/二十一年 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-20T13:43:04.000Z]], [TIME[2023-05-04T13:53:59.658Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E5%AF%A6%E9%8C%84/%E7%B4%94%E5%AE%97%E5%AF%A6%E9%8C%84%E9%99%84%E9%8C%84/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%80%E5%B9%B4>
]REFS]
** [CITE[東国通鑑]]
[193]
[CITE[東国通鑑]]
は、
記事の日付を、
全体を通して[[干支年]]を使い、
[[朝鮮]]各国の王の[[即位紀年]]と[[中華王朝の元号]]を併記する形としています。
* 百済
[68] かつて[[朝鮮半島]]にあった国家である[[百済]]では、
[[干支年]]が使われました。
[96] [[七支刀]]、
[[護身剣]]、
[CITE[[[日本書紀]]]]
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]
[REFS[
- [61]
[CITE[百済紀年考]],
[[濱田耕策]],
[TIME[2005-03-10]],
[CITE[史淵]] 142, pp.73-91
([TIME[2019-03-09 10:21:37 +09:00]])
<https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/3702/KJ00004171955.pdf>
]REFS]
* 清国属国朝鮮国、大韓帝国
[SEE[ [[李氏朝鮮の日時]] ]]
* 大日本帝国朝鮮
[SEE[ [[日本の元号]]、[[日本の暦]] ]]
[120]
[CITE[kakenreport2.pdf]], [TIME[2013-12-06T07:22:57.000Z]], [TIME[2023-02-06T05:23:27.037Z]] <http://nagaikazu.la.coocan.jp/kuratomi/kakenreport2.pdf#page=161>
** 明治
[38] [[日韓併合条約]]が施行された[TIME[1910年8月29日][1910-08-29]]には、
隆煕四年八月二十九日の[[大韓帝国]]の[[官報]]號外 [SRC[>>39]]
と、明治四十三年八月二十九日の[[朝鮮総督府官報]]第一號 [SRC[>>40]]
が発行されました。
[41] [[大韓帝国]]の併合に伴う[[明治]]の[[元号]]への[[移行][改元]]は、
特に[[法令]]で明示的な指示が出されていないようです。
[[朝鮮総督府官報]]第1号中では[[日韓併合条約]]中の[[大韓帝国]]側署名の[[日付]]のみ[[隆煕]]で、
それ以外 (当日付けの[[日本]]の[[法令]]) の[[日付]]はすべて[[明治]]です。
[42] [[大韓帝国]]の[[官報]]には以前から[[統監府]]の[[法令]]を掲載するため[[明治]]が使われていましたが、
それ以外ではずっと[[隆煕]]でした。
[REFS[
- [39] [CITE@ko[資料検索>詳細_オンライン| 国立中央図書館]] ([TIME[2018-05-03 12:57:22 +09:00]]) <http://www.nl.go.kr/nl/search/bookdetail/online.jsp?contents_id=CNTS-00049820068>
- [40] [CITE@ko[자료검색>상세_온라인 | 국립중앙도서관]] ([TIME[2018-05-03 13:01:36 +09:00]]) <http://www.nl.go.kr/nl/search/bookdetail/online.jsp?contents_id=CNTS-00048080635>
]REFS]
** 大正
[SEE[ [[大正]] ]]
** 昭和
[43] [[朝鮮総督府官報]]は、[TIME[昭和20年8月][1945-08]]末まで一般販売され、
以後関係者に無料配布されました。[[大韓民国]]政府の
[[Webサイト]]にはこの[TIME[昭和20年8月][1945-08]]末までのものが収蔵されており、
([[大日本帝国]]政府機関なので当然ながら) 一貫して[[昭和]]が使われていました。
[66]
当時[[京城府]]が発行した[[乳幼兒健康手帳]]には、
「昭和 年 月 日交付」([[左横書き]]) と印字され、
「20. 3. 4」
とスタンプが押されていました。
[SRC[[CITE[[[横書き登場]]]] p.166 図19-11]]
「昭和20.年3.4月 日交付」
と印字された文字列の空白部分とスタンプの数字がずれていることから、
現在でも使われているような[[年月日]]押印用の[[タイムスタンプ]]が当時も使われていたことが窺えます。
[SEE[ [[昭和]] ]]
* 米国占領地南朝鮮
[44] [[大韓民国]]政府の[[官報]] [[Webサイト]]に収蔵されている[[朝鮮総督府]]後最初の[[官報]]は
[TIME[1945年9月7日][1945-09-07]]付米国軍政府官報で、
[[朝鮮語]]、[[日本語]]、[[英語]]のいずれも[[西暦]]を使っていました [SRC[>>45]]。
[46] [TIME[1948年8月][1948-08]]まで継続して[[西暦]]が用いられたようです。
[REFS[
- [45] [CITE@ko[관보 발행날짜 검색]] ([TIME[2018-05-03 13:32:38 +09:00]]) <http://theme.archives.go.kr/next/gazette/listDateSearch.do?sdate=19450907&edate=19450907>
]REFS]
* 大韓民国建国当初
[48] [TIME[1948年9月1日][1948-09-01]]の建国初日付の[[官報]] [SRC[>>47]]
には、[TIME[7月][1948-07]]以後の様々な文書が収録されていましたが、
[[檀紀]]のものと[[大韓民國][大韓民国 (紀年法)]]のものが混在していました。
[[官報]]自体の[[日付]]は[[大韓民國][大韓民国 (紀年法)]]でした。
[REFS[
- [47] [CITE@ko[국가기록원 기록물뷰어]] ([TIME[2018-05-03 13:44:24 +09:00]]) <http://theme.archives.go.kr/viewer/common/archWebViewer.do?singleData=N&archiveEventId=0028303479>
]REFS]
* 西暦
[64]
[[大韓民国]]では[[西暦]] ([[キリスト紀元]])
が使われています。
[65]
[[米国]]統治下にあったことや、
[[キリスト教]]が普及したこととも関係あるのでしょうか。
* メモ
[59] [[李朝]]、[[大韓帝国]]、[[日本領朝鮮]]時代の[[紀年法]]使い分け:
[[李氏朝鮮の日時]]参照。
[1] [CITE@ja[元号一覧 (朝鮮) - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-31 22:25:05 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE)>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[元号一覧 (朝鮮) - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-31 22:25:05 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE)>
]FIGCAPTION]
> 太和(태화) : 647年 - 650年(この年から唐の年号(永徽)を用いる)
> 唐滅亡後は、国際的な、また国内の混乱により状況が明らかではないが、後梁と後唐の年号の使用が確認される。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE@ja[元号一覧 (朝鮮) - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-31 22:25:05 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE)>
]FIGCAPTION]
> 天授(천수) : 918年 - 933年(この後後唐の年号を使用。後に後晋、次いで後漢の年号を使用)
> 光徳(광덕) : 950年 - 951年(この後後周の年号を使用。次いで宋の年号を使用)
> 峻豊 ( 준풍) : 960年 - 963年 ( この宋の年号を使用 )
> 太平 ( 태평) : 976年 - 981年 ( この宋の年号を使用 )
> 999年後は遼の年号を使用。政治情勢に応じて遼と宋の年号の両方が現れる。遼滅亡後は金の正朔を奉じ、元に服属すると元の年号を用いた。高麗末期の混乱期には、明の年号のほか、北元の宣光年号が確認される。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[元号一覧 (朝鮮) - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-31 22:25:05 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE)>
]FIGCAPTION]
> 建国当初より明国に事大し、明の年号を忠実に使用。1636年に清に服属すると、清の正朔を奉じる。また、密かに明最後の年号崇禎を使用している(崇禎紀元)。
> 開国(개국) : 1894年 - 1896年
> 元年を1392年とする改元を前提としない紀年法であり、厳密な意味での元号ではない。「大朝鮮五百四年」などの用例もあり、名称は一定していない。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] [CITE@zh[朝鮮半島年號列表 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2016-02-01 12:46:19 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8>
]FIGCAPTION]
>
> 650年、新羅始行唐朝年號。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE@zh[朝鮮半島年號列表 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2016-02-01 12:46:19 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8>
]FIGCAPTION]
> 天授(918年-933年):太祖王建之年號
> 之后,使用後唐、後晋、后汉的年號
> 光德(949年-952年):高麗光宗之年號
> 之后,使用後周的年號
> 峻豐(960年-963年):高麗光宗之年號
> 之后,使用北宋的年號
> 太平(976年-981年):高麗景宗之年號
> 之后,使用宋朝、辽朝、金朝、元朝、明朝的年號,朝鲜王朝使用明朝、清朝的年號
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[7] [CITE@zh[朝鮮半島年號列表 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2016-02-01 12:46:19 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8>
]FIGCAPTION]
> 李氏朝鮮先後一直為明朝和清朝的藩属。明代使用明朝年号,清代使用清朝年号或沿用崇禎纪元。
]FIG]