/
446.txt
41 lines (32 loc) · 2.06 KB
/
446.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
[2]
[[奈良時代]]創建の神社には、
[[飛鳥時代]]に滅亡したはずの[[百済]]の王家が[[奈良時代]]に亡命してきて祀られている、
という[[江戸時代]]の伝承が残されているそうです。
[SRC[>>1]]
[3]
[CITE[続日本紀]]など日本側の史書にも[CITE[三国史記]]など朝鮮側の史書にも記録がありません。
[4]
[[江戸時代]]の記録には[[百済]]と[[新羅]]の混同がみられるようです。
[SRC[>>1]]
[6]
[[平成時代]]の人達も[[百済]]と[[新羅]]の区別がついていないみたいです。
[SRC[>>5]]
;; [7]
そういえば[[平成時代]]の[[鬼室神社]]方面の人達も[[百済]]と[[新羅]]の区別がついていなかったみたいです。
[SEE[ [[鬼室神社]] ]]
不思議な偶然もあるものです。
[1] [CITE@ja[神門神社 - Wikipedia]], [TIME[2022-04-13T00:07:56.000Z]], [TIME[2022-04-20T05:30:44.513Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%96%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE>
[5] [CITE@ja[百済の館 / 宮崎県美郷町ホームページ]],
最終更新日:2021年3月12日,
[TIME[2022-01-29T15:21:12.000Z]], [TIME[2022-04-20T05:37:30.927Z]] <https://www.town.miyazaki-misato.lg.jp/kiji00384/index.html>
>
「百済の館」は、百済最後の王都となった大韓民国の古都「扶餘」の王宮跡に建つ、(元)国立博物館の「客舎」をモデルに、日韓交流のシンボルとして造られました。
>
韓国大使館や総領事館などの協力を得て建てられ、屋根の反り返りや色使いがとても鮮やかな美しい建物です。
>
瓦や敷石は、韓国から取り寄せられ、梁や軒を埋め尽くす赤、青、緑といった極彩色の丹青(タンチョン)は、本場韓国の名工によるもの。
[8]
[[李朝]]風の建築で[[百済]]関係ないやん。
[[ユダヤ教]]のシンボルとして[[コーラン]]展示するようなものでは??
[9]
>>5 写真見る限り建物だけでなく展示内容も[[百済]]関係なさそうなんだが