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[1]
[DFN[[RUBY[久][く]][RUBY[保][ぼ]][RUBY[常][つね]][RUBY[晴][はる]]]]は、
[[日本史]]研究者でした。
[[仏教考古学]]を中心に研究しました。
考古学的資料と文献史料とを有機的に関連付けて論証する手法を活用しました [SRC[>>18]]。
[5] [[仏教考古学]]の開祖である[[石田茂作]]に師事しました。
[30]
[TIME[1907-03-23]]生まれ。
[TIME[1978-12-27]]没。
[SRC[>>29]]
* 日時制度研究
[39] [[昭和時代]]中期、
[[久保常晴]]は古代から近世までの[[日本の私年号]]について大量の史料を収集、検討し、
[[私年号]]の利用状況や時代背景などの総合的な研究を行いました。
従来若干の混乱が見られた[[私年号]]に関連する用語を整理し、
[[古代年号]]や中世の[[私年号]]の性格を明らかにしました。
[42]
[[久保常晴]]の研究は[CITE[日本私年号の研究]]としてまとめられました。
[CITE[日本私年号の研究]]はその後の若干の研究の進展によってやや古びているものの、
[[日本の私年号]]の「今日の研究水準を導き出す原動力」 [SRC[>>35]]
と高く評価されており、
現在でも[[日本の私年号]]をメインテーマとした唯一の研究書です。
[43]
[[久保常晴]]の成果は、[[千々和到]]による若干の軌道修正を経て、
現在でも[[日本の私年号]]の研究の基盤となっています。
[[千々和到]]は、
[[久保常晴]]と直接の師弟関係にはないと思われるものの、
次の世代の代表的な[[私年号]]研究者となり、
[[久保常晴]]の死後の[CITE[日本私年号の研究]]再版時に巻末の解説を書いています。
[SEE[ [[日本の中世私年号]], [[千々和到]] ]]
[REFS[
- [35]
[CITE[「私年号」とは何か]],
[[小山田和夫]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月][2008-01]]号 特集 日本の年号, pp.114-122
]REFS]
-*-*-
[175]
[[久保常晴]]は、
昭和3年に[[立正大学]]に入学し、
[[石田茂作]]のもとで[[考古学]]を研究しました。
[[卒業論文]]執筆過程で
「[[命禄]]」
私年号[[板碑]]の年代決定を試みましたが、
当時の定説の永正3年説では[[干支年]]が一致せずに悩まされました。
たまたま[[中山信名]]の
[CITE[偽年号考]]
の天文9年説で解決しました。
([CITE[私年号命禄の年代に就いて]], 昭和七年一一月)
これに[[板碑]]の[[私年号]]の新資料を加えた
[CITE[金石文に現われたる異年号]]
が、
[[石田茂作]]の斡旋で昭和九年一二月の
[CITE[考古学雜誌]]
に掲載されました。
[SRC[>>174 p.[V[三五七]]]]
これがきっかけとなり[[紀年銘]]に強い関心を持つようになったと思われます。
なお[[石田茂作]]は昭和5年に
[CITE[[[紀年銘の記載形式に就いて]]]]
を発表しました。
[176]
昭和12年3月に[[立正大学]]の[[助手]]の任期が切れ、
特例で7月末まで延期されたものの、
経済的に従来の野外活動が不可能となったため、
机上の文献による研究を主として行いました。
[[仏教考古学]]の基礎として紀年銘のある遺物に重点を置くべきと考え、
中国の金石関係の書目と日本の金石文を取り上げた雜誌目録の製作に日時を費やした、
といいます。
[SRC[>>174 pp.[V[三五九]]-[V[三六〇]]]]
[[久保常晴]]の論文集
[CITE[佛教考古学研究]]
シリーズには、
金石文の銘文を一覧表にし、
それを元に研究した論文が多数収録されました。
これが久保の[[仏教考古学]]の研究スタイルであると共に、
[[私年号]]をはじめとする[[紀年銘]]研究へと結実することになったのでしょう。
昭和18年9月には
[CITE[金石文に現れたる仏滅年代]]
を発表しました
[SRC[>>174 p.[V[三六〇]], >>208]] ([SEE[ [[仏暦]] ]])。
[186]
昭和19年、
[[大日本帝国]][[東京都]]より
「[V[我国に於ける私年号の研究]]」
に対して[[科学研究費]]交付を受けました
[SRC[>>185]]。
[210] 書籍に収録なし:
-[209]
[CITE[[V[私年号命禄の年代に就いて]]]],
[CITE[[V[立正史󠄃学]]]] [V[第五号]],
[V[昭和七年十一月]]
[SRC[>>208]]
-[211]
[CITE[[V[金石文󠄃に現われたる異年号]]]],
[CITE[[V[考古学雑誌]]]] [V[第二四巻第一二号]],
[V[昭和九年十二月]]
[SRC[>>208]]
- [215]
[CITE[[V[『日本私年号の研究』刊行の経緯]]]],
[CITE[[V[清香]]]] [V[第一二七号]],
[V[昭和四十五年三月]]
[SRC[>>208]]
- [216]
[CSECTION[[V[板碑・私年号]]]],
[CITE[[V[万有百科大事典]]]],
[V[昭和四十八󠄂年四月]]
[SRC[>>208]]
- [218]
[CSECTION[元号 (年号)]],
[CITE[世界考古学辞典]], 昭和54年2月
[SRC[>>217]]
- [219]
[CSECTION[永喜・永伝]],
[CITE[国史大辞典]] 第二巻,
昭和55年7月
[SRC[>>217]]
- [220]
[CSECTION[迎雲・光永]],
[CITE[国史大辞典]] 第五巻,
昭和59年
[SRC[>>217]]
- [250]
[CITE@ja-JP[[[考古学雑誌]] = Journal of the Archaeological Society of Nippon 24(12)]], [[日本考古学会]], [TIME[1934-12]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T05:59:26.362Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548437/1/3> (要登録)
-- [51] [CITE[[V[金石文󠄃に現れたる異年號に就いて]]]]
[58] [CITE[清香]]というのは[[国会図書館]]にも [CITE[CiNii]] にも、
[[立正大学]] [[OPAC]] にも [CITE[Google Books]] にも見つからず...
[178]
次の久保の論文は改訂再編されて
[CITE[日本私年号の研究]]
収録。
[177]
[CITE[我国に於ける所謂古代年号に関する二・三の問題]], 昭和三四年六月
[CITE[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]], 昭和三九年一月
[CITE[我が国の私年号に関する研究(二)―室町時代―]], 昭和四〇年三月
[CITE[[V[私年号 〝大道〟 を逐うて]]]], 昭和四一年三月
- [52]
[CITE[[V[我国に於ける所謂古代年号に関する二三の問題]]]],
[TIME[2023-01-09T12:23:40.00Z]]
<https://rissho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2331&file_id=20&file_no=1&nc_session=a016cva9aj9bhl97grcivsjuj0%20target=>
- [53]
[CITE@ja[我が国の私年号に関する研究 (1) : 平安時代より南北朝まで]], [[NetCommons]], [TIME[1964-01-25]], [TIME[2013-12-18]], [TIME[2023-01-09T12:54:07.000Z]] <https://rissho.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=21&item_id=2231&item_no=1>
- [55] [CITE@ja[我が国の私年号に関する研究 (2) : 室町時代]], [[NetCommons]], [TIME[1966-03-24]], [TIME[2013-12-18]], [TIME[2023-01-09T12:56:42.000Z]] <https://rissho.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=21&item_id=2146&item_no=1>
[212]
[CITE[[V[私年号 〝大道〟 を逐うて]]]]は >>208 では書籍収録なし。
その後続々に収録 [SRC[>>217]]。
([CITE[日本私年号の研究]]の[[大道]]の項と同趣旨のはず)
[59]
仏滅年代の論文は「まったく書き
改められた新稿」 [SRC[>>179]]
として
[CITE[仏教考古学研究]]
収録。
- [700] [CITE[[V[金石文に現れたる仏滅年代]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[二四八󠄂]]-[V[二六二]]
[62] 書き改められる前の版は、
- [61] [CITE@en[CiNii Journals - [[立正大學論叢]]. 歴地篇]], [TIME[2023-01-09T14:32:07.000Z]] <https://ci.nii.ac.jp/ncid/AN00249753#anc-library>
の第3巻 = [CITE[立正大學論叢]]通巻の第9巻に収録。
参考文献リストだと誌名が「立正論叢 九」と省略されていたりするのでわかりにくい。
昭和18年9月。
この巻は[[国会図書館]]にない。
[CITE[立正大學論叢]]は[[立正大学]]の機関リポジトリーにもない。
いくつかの大学図書館が所蔵している。
[214]
[CITE[[V[「歳次」と「歳在」]]]], 昭和43年7月。
[CITE[[V[宇治宿禰銅板墓誌年代考]]]], 昭和50年9月。
[CITE[[[続佛教考古学研究]]]]収録。
[SEE[ [[歳在]] ]]
- [57] [CITE@ja-JP[日本歴史考古学論叢 第2]], [[日本歴史考古学会]], [TIME[1968]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-09T13:02:03.143Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2972314/1/179> (要登録)
- [54] [CITE@ja[宇治宿弥銅板墓誌年代考]], [[NetCommons]], [TIME[1975-09-10]], [TIME[2013-12-18]], [TIME[2023-01-09T12:55:06.000Z]] <https://rissho.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=21&item_id=1749&item_no=1>
[REFS[
- [174]
[CITE[仏教考古学への道程]],
[CITE[佛教考古学研究]], pp. [V[三五三]]-[V[三六二]]
- [179]
[CSECTION[あとがき]],
[CITE[[[佛教考古学研究]]]], pp. [V[三七五]]-[V[三七六]]
- [185]
[CSECTION[久保常晴先生略年譜]],
[CITE[[[続佛教考古学研究]]]], pp.[V[三八󠄂五]]-[V[三八󠄂八󠄂]]
-
[208]
[CSECTION[著作目録]],
[CITE[[[続佛教考古学研究]]]], pp.[V[三八󠄂九]]-[V[四〇四]]
-
[217]
[CSECTION[[V[著作目録]]]],
[CITE[[[続々佛教考古学研究]]]], pp.[V[二一三]]-[V[二三一]]
]REFS]
* [CITE[日本私年号の研究]]
[2]
[DFN[[CITE[日本私年号の研究]]]]
は、
[[久保常晴]]による[[日本の私年号]]に関する研究書です。
[3]
[[日本の私年号]]研究を大成させた久保の研究をまとめた名著と評されています。
出版後の後学による研究成果 (それほど多くない)
が反映されていないことを除けば、
現在でも[[私年号]]研究の基礎となるべき有用な書籍です。
[SEE[ [[日本の私年号]]の研究史 ]]
[36]
[[久保常晴]]は本書と同内容と思われる[[博士論文]]で、
[[博士号]]を取得しました。
[CITE[続々佛教考古学研究]], pp.[V[八九]]-[V[一〇七]]に、
[CITE[[V[日本私年号の研究 [WEAK[(概要)]]]]]]
として「[V[学位請求論文の概要]]」が収録されましたが、
論文と共に提出された要旨と思われます。
記載内容は「概要」とある通り本書の論旨と同じであり、
本書の章のはじめや終わりにある説明文とほとんど同じことが書かれていました。
また、[[古代年号]]や[[私年号]]の一覧表が掲載されました。
[49]
[[久保常晴]]は[[私年号]]に関する論文を何本も執筆していて、
本書はその集大成となっています。
本書は過去の論文をまとめただけではなく、
史料を大量に追加し構成も改め、
場合によっては結論も変更した全面改訂版になっています。
紀要論文の多くが現在では[[ウェブ]]公開されていますが、
最新説は本書で確認するべきです。
;; [50]
ただし本書の内容のうち
[CITE[「歳次」と「歳在」]]
部分は
[CITE[続々仏教考古学研究]]
収録版の方が充実している。
(>>214)
** 内容
[79] 旧版の主な内容 (新版の差分は >>63 参照):
- [80] [CSECTION[[V[図版]]]], pp.[V[図版第一]]-[V[図版第一八󠄂]]
-- [81] 白黒写真
-- [82] [CSECTION[[V[目次]]]]にも図版一覧があるがそこには追加情報はない。
- [83] [CSECTION[[V[序]]]], [[[V[肥後和男]]]], pp.[V[一]]-[V[五]]
** 旧版
[77]
[[奥付]]によると:
[V[昭和四十二年九月二十五日 印刷]],
[V[昭和四十二年十月一日 発行]]
[4] [DEL[21世紀に入って再版されましたが、それも既に絶版となっています。]]
しかし古書の入手は難しくありません。
[TIME[2019-08-14T09:40:40.200Z]]
** 書評
[38] [CITE@ja-JP[立正史学 = Journal of Rissho Historical Society (33)]], [[立正大学史学会]], [TIME[1969-03]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:24:25.428Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7937870/1/31> (要登録)
[40] [CITE@ja-JP[古代 = Journal of the Archaeological Society of Waseda University (49/50)]], [[早稲田大学考古学会]], [TIME[1967-10]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:41:01.708Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6062487/1/86> (要登録)
** 新装版
[45]
[TIME[2012-01-16]]に新装版が出版されました。
[SRC[>>44]]
[63]
旧版とほぼ同内容ですが、多少の違いがあります。
- [64] [[背表紙]]、[[中表紙]]は作り直されています。
-- [65] どちらも[[明朝体]]ですが、旧版の昭和感ある字形から新版は平成感ある字形に変わっています。
--- [66] 仕方ないのかもしれませんけど、味気ない感じもします。
-- [67] 題名に「[V[新装版]]」が足されています。
-- [68] [[中表紙]]著者名肩書「[V[立正大学教授]]」が削られています。
- [69] p.[V[一〇]] 最後に「[V[図版]]」 とあったところ (次ページの図版目次の見出し?)
が新装版の「[V[解説]]」の目次項目に差し替わっています。
- [70] 新装版で巻末に新規追加された部分:
-- [47]
[CSECTION[[V[解説]]]],
[[[V[千々和到]]]],
pp.[V[五三九]]-[V[五四四]]
-- [71]
[CSECTION[[L[異年号索引]]]],
横書き pp.1-3
-- [72]
[CSECTION[[L[人名索引]]]],
横書き pp.4-6
- [73]
[[奥付]]
-- [74] 著者略歴・著書欄が更新されています。
-- [75] [[奥付]]が完全に差し替わっています。
--- [76] 旧版の発行年は[CSECTION[[V[解説]]]]にありますが、
[[月日]]がどこにも書かれていないのは、いただけません。
- [78] その他 (図版、本文) はパッと見た感じ同じ。頁数変更なし。
[48]
令和5年現在、
[CITE[Amazon]] は販売していませんが、
[CITE[紀伊國屋書店ウェブストア]]
では販売中です。
出版社にも在庫があるようです [SRC[>>44]]。
[REFS[
- [44] [CITE[日本私年号の研究(新装版) - 株式会社 [[吉川弘文館]] 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社]], [TIME[2023-01-08T05:35:53.000Z]] <http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b97157.html>
-- [46] [CITE@en-us[Amazon.co.jp: [[日本私年号の研究]] : 久保 常晴: Japanese Books]], [TIME[2023-01-08T05:36:36.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4642029060/wakaba1-22/>
]REFS]
* [CITE[仏教考古学研究]]
[6]
[DFN[[CITE[仏教考古学研究]]]]
は、
[[久保常晴]]の主要な論文をまとめた書籍シリーズでした。
[REFS[
- [7] [CITE@ja-jp[[[仏教考古学研究]] (1967年) | 久保 常晴 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2020-11-30T06:08:38.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JA8OT0/wakaba1-22/>
- [8] [CITE@ja-jp[[[続佛教考古学研究]] | 久保 常晴 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2020-11-30T06:09:18.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4821603675/wakaba1-22/>
- [9] [CITE@ja-jp[[[続々佛教考古学研究]] | 久保 常晴 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2020-11-30T06:09:51.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4821603683/wakaba1-22/>
]REFS]
[10] 古書で比較的容易に入手できます。3冊セットで安価に入手できることもあります。
-*-*-
[11]
題名は[[奥付]]によれば
[DFN[[CITE[[L[佛教考古学研究]]]]]]、
[DFN[[CITE[[L[続佛教考古学研究]]]]]]、
[DFN[[CITE[[L[続々佛教考古学研究]]]]]]
でした。
[13]
外箱表面、外箱[[背表紙]]、
本体[[背表紙]]、[[内題]]の題字
「[V[[CURSIVE[[ASIS[佛][<https://glyphwiki.org/wiki/u4f5b-itaiji-003>横3本]]教考古𭓇硏究]]]]」
([[石田茂作]]筆)。
第2巻, 第3巻はその上に[[明朝体]]で「[V[続]]」「[V[続々]]」と足されていました。
[14]
[[Web]]
では
[DFN[[CITE[仏教考古学研究]]]]
と表記されることもよくあるようです。
本書自身も本文中ではこの表記を使っていました。
[19]
古書店の書誌情報などでは区別のために続・続々との対比で第1巻に「正」
と書かれていることがありますが、
本書自体にはどこにも書かれていません。
[22]
第1巻、第2巻とも[[著者]]近影があります。
第3巻には[[ネパール]]で現地調査中の著者の写真があります
(「[L[1969. 12]]」 付)。
-*-*-
[12]
第1巻[[奥付]]:
>
[VRL[
昭和四十二年十一月一日初版発行
昭和五十二年三月三十日発行
]VRL]
[15]
[V[一]]ページに
[CSECTION[[V[序]]]]
として、
恩師の[[[V[石田茂作]]]]の言葉がありました。
[V[昭和四十二年三月]]付。
[18]
編集担当の門下生[[[V[坂詰秀一]]]]による
[V[あとがき]]
(pp.[V[三七五]]-[V[三七六]], [V[昭和四二年八月一二日]])
によると、
本書は還暦事業事業の1つとして計画されました。
本書は既発表の論文だけでなく、
発表済みの論文の一部または全部を改訂したものや、
未発表論稿も収録されました。
[28]
第2巻[V[あとがき]]によると、他に同じ研究室の[[[V[関俊彦]]]]、
[[[V[野村幸希]]]]、
[[[V[加藤邦雄]]]]が編集に尽力しました。
-*-*-
[21] 第2巻奥付:
>
[VRL[
昭和五十二年三月十五日印刷
昭和五十二年三月三十日発行
]VRL]
[23]
pp.[V[一]]-[V[二]]に[CSECTION[序文]]として、
[[立正大学]]学長の[[菅谷正貫]]の文章がありました。
[V[昭和五十一年十二月一日]]付。
[27]
pp.[V[四〇五]]-[V[四〇六]]に[V[あとがき]]として編集担当の[[[V[坂詰秀一]]]]の文章がありました。
本書は古稀を記念したものであるようです。
第2巻はもっぱら[[坂詰秀一]]が編集を担当しました。
喜寿で第2巻を出版することが期待されていました。
-*-*-
[29]
第3巻[[奥付]]
>
[VRL[
昭和五十八󠄂年十月三十日発行
]VRL]
[31]
pp.[V[一]]-[V[二]]に[CSECTION[[V[序文]]]]として、
[[立正大学]]学長の[[中村瑞隆]]の文章がありました。
[V[昭和五十八󠄂年八󠄂月]]付。
[32]
pp.[V[二三二]]に[CSECTION[[V[あとがき]]]]として[[立正大学]]考古学研究室の[[[V[坂詰秀一]]]]の文章がありました。
[V[昭和癸亥盂蘭盆󠄃会]]付。
-*-*-
[25]
第2巻に[CSECTION[久保常晴先生略年譜]]
(pp.[V[三八五]]-[V[三八八]])
として経歴がまとめられていました。
最後は[V[昭和五十一年十一月三日]]。
[41]
第3巻に[CSECTION[久保常晴先生略年譜]]
(pp.[V[二〇九]]-[V[二一二]])
として経歴がまとめられていました。
[16]
第1巻 [V[付録]] [CSECTION[[V[一 仏教考古学への道程]]]]
(pp.[V[三五三]]-[V[三六二]])
として、
[[著者]]の学者としての半生が自身の手で綴られていました。
[V[昭和四二年八月十一日]]付で、
「[V[推定カピラ城址発掘調印のため]]
[V[ネパール王国に出発する前夜]]」
とありました。
[24]
第2巻 付録 [CSECTION[三 私と考古学と研究室 ⸺「仏教考古学への道程」余滴⸺]]
(pp.[V[三七六]]-[V[三八󠄂三]])
として、
第1巻を補足する形の[[著者]]の回顧録が収録されました。
[17]
第1巻 [V[付録]] [CSECTION[[V[二 著作目録]]]]
(pp.[V[三六三]]-[V[三七三]])
に、
[V[昭和四一年]]までの論文等の一覧表が収録されました。
第1巻と
[CITE[日本私年号の研究]]
に収録された論文に印がついています。
両書で重複しないように選ばれたようです。
どちらにも収録されていない著作がかなり多いことがわかります。
[26]
第2巻 [CSECTION[著作目録]]
(pp.[V[三八九]]-[V[四〇四]])
に、
[V[昭和五十二年]]の[V[一月]]までの論文等の一覧表が収録されました。
第1巻、
第2巻、
[CITE[日本私年号の研究]]
に収録された論文に印がついています。
未収録はなお多い。
[33]
第3巻 [CSECTION[著作目録]]
(pp.[V[二一三]]-[V[二三一]])
に、
論文等の一覧表が収録されました。
第1巻、
第2巻、
第3巻、
[CITE[日本私年号の研究]]
に収録された論文に印がついています。
[34]
全3巻と[CITE[日本私年号の研究]]で全業績がカバーされているとされます
[SRC[>>32]]。
論文リストを見ると実際には未収録の文献がかなり多いことがわかります。
他の論文と重複するものや事典類への寄稿の他、単発の調査報告の類がいくつかあるようです。
[60]
第3巻には[CITE[日本私年号の研究]]の要約が収録されています。
結論や一覧表が書かれています。
* 関連
[20] 関連記事:
[[東洋の日時表示]],
[[年の字]],
[[[V[二二]]]],
[[干支合字]],
[[仏暦]]、
[[日本の私年号]],
[[宇治宿禰墓誌]],
[[4文字元号の省略形]],
[[烏八臼]]
* メモ
[FIG(amazon)[
久保常晴
]FIG]
[56]
[TIME[2023-01-09T13:01:24.100Z]]
<https://rissho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1633&file_id=20&file_no=1&nc_session=2lslg08rjdmmsg12vmd599t7v1>
退職時
[37] [CITE@ja-JP[立正史学 = Journal of Rissho Historical Society (46)]], [[立正大学史学会]], [TIME[1979-09]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:41:38.336Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7937884/1/3> (要登録)
追悼