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[16]
[DFN[仏暦]] ([DFN[B.E.]]、[DFN[仏滅紀元]]) は、
[[釈迦]]の[[入滅]]を[[元期]]とする[[紀年法]]です。
[17]
現在使われているものは、
[[入滅]]年を[[元年]]とするものと、
その翌年を[[元年]]とするものの2系統があります。
* 元期
[38]
[[仏暦]] ([[仏滅紀元]])
は[[釈迦]] ([[仏陀]]) の[[死去]]を[[元期]]とするものです。
[39]
ただしその[[元期]]の特定には諸説あります。
主要なものに、現在[[タイ]]で使われている[[南伝仏教]]説と、
かつて[[東アジア]]で使われていた[[北伝仏教]]説 (>>34)
があります。
現在の学術研究者はまた別の没年を推定しています。
[41]
[[西暦]]が[[イエスキリスト]]の生誕年と一致しないとみられるのと同様、
[[仏暦]]が歴史的事実としての[[釈迦]]没年と一致しなくても[[紀年法]]として支障はないと考えるのが一般的とみられます。
[45]
[[紀年法]]としての用例が知られるものに次の類型があります。
- [801] α型:
0年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]、
1年が[TIME[西暦-542年 (紀元前543年)][year:-542]]。
西暦を仏暦にするには [N[543]]
を加算すればいい。
- [802] β型:
0年が[TIME[西暦-544年 (紀元前545年)][year:-544]]、
1年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]。
西暦を仏暦にするには [N[544]]
を加算すればいい。
- [803] γ型:
0年が[TIME[西暦-949年 (紀元前950年)][year:-949]]、
1年が[TIME[西暦-948年 (紀元前949年)][year:-948]]。
西暦を仏暦にするには [N[949]]
を加算すればいい。
- [804] δ型:
0年が[TIME[西暦-566年 (紀元前567年)][year:-566]]、
1年が[TIME[西暦-565年 (紀元前566年)][year:-565]]。
西暦を仏暦にするには [N[566]]
を加算すればいい。
- [805] ε型:
0年が[TIME[西暦-531年 (紀元前532年)][year:-531]]、
1年が[TIME[西暦-530年 (紀元前531年)][year:-530]]。
西暦を仏暦にするには [N[531]]
を加算すればいい。
[105]
α型は、[[西暦年]]に [RUBY[543][こよみ]] を足す、と[[語呂合わせ]]があります
[SRC[>>70, >>104, >>89]]。
* 文脈
[18]
[[東南アジア]]で広く用いられています。
特に[[タイ王国]]では[[国家の正式な紀年法][法定紀年法]]として公私ともにほとんどの場面で用いられています。
[40]
[TIME[昭和50(1975)年10月][1975-10]]日本国外務省調査の[[外交官]]信任状等の状況によると、
[[タイ]]、[[ラオス]]、[[スリランカ]]が[[仏暦]]を使っていました。
[SEE[ [[法定紀年法]] ]]
[46]
その他の国でも[[仏教]]で使われることがあります。
* タイ
[24]
[[タイ]]は[[仏暦]]を公私ともに広く用いています。
他にもいくつかの[[暦法]]と[[紀年法]]があります。
[SEE[ [[タイ暦]] ]]
[44]
[TIME[西暦1912年][year:1912]]が仏暦2455年なので、
0年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]、
1年が[TIME[西暦-542年 (紀元前543年)][year:-542]]。
西暦を仏暦にするには [N[543]]
を加算すればいい。
α
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]
> タイの仏滅紀元は、釈迦の入滅の日と信じられている紀元前545年3月11日を「0年」とする。ラーマ6世は暦を仏滅紀元に改め、西暦1912年を仏滅紀元2455年4月1日から始まることとした。
]FIG]
[43] 「紀元前543年」が正しい。
西暦2011年から西暦2017年に修正されるまで、誤っていた:
[CITE@ja[「タイ太陽暦」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2020-02-19 17:27:15 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6&diff=62492744&oldid=61055252>。
この計算は間違いやすい。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]
> 西暦1941年にプレーク・ピブーンソンクラーム首相は、仏滅紀元2484年を1月1日から始めると宣言した。そのため、仏滅紀元2483年は9カ月しかなかった。
]FIG]
]REFS]
* ラオス
[21] [[タイ]]式と同じ数え方です。
α
* カンボジア
[22] [[タイ]]式と同じ数え方です。
α
* スリランカ
[19] [[タイ]]式より1年進んでいます。
β
[15] [[スリランカ]]の[[法令]]は[[英領]]時代を引き継ぎ基本[[西暦]]を使っていますが、
[TIME[西暦1977年][year:1977]]の[[憲法]]の[[前文]]は[[仏暦]]に[[西暦]]を併記していました
[SRC[>>14]]。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@en[Constitution of Sri Lanka - Wikisource, the free online library]]
([TIME[2019-12-03 08:28:31 +09:00]])
<https://en.wikisource.org/wiki/Constitution_of_Sri_Lanka>
]FIGCAPTION]
> The PEOPLE OF SRI LANKA having, by their Mandate freely expressed and granted on the sixth day of the waxing moon in the month of Adhi Nikini in the year two thousand five hundred and twenty-one of the Buddhist Era (being Thursday the twenty-first day of the month of July in the year one thousand nine hundred and seventy-seven),
]FIG]
[42]
仏暦2521年が[TIME[西暦1977年][year:1977]]なので、
0年が[TIME[西暦-544年 (紀元前545年)][year:-544]]、
1年が[TIME[西暦-543年 (紀元前544年)][year:-543]]。
β
* ビルマ
[20] [[タイ]]式より1年進んでいます。
β
[23] 公的には[[ビルマ暦]]が使われています。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[80]
[CITE@en[ミャンマー特集sono6 聖洞窟の入口前にあ.. - Brog of Jazz Saxophone - Bloguru]], [TIME[2020-03-05 14:22:27 +09:00]] <https://en.bloguru.com/sax/200204/sono6/reply>
]FIGCAPTION]
>
[B[ミャンマー特集sono6 聖洞窟の入口前にあるのは日本の釣鐘]]
>
2013年11月24日 13時31分頃の映像です。
>
ミャンマーのヤンゴンにあるティリ・ミンガラーカバーエー・ゼディ通称カバーエー・パヤーにある、1954年に完成したマハパサナ聖洞窟の入口前にある釣鐘です。
>
釣鐘は、左右2つあり、右側の釣鐘には『第三回世界仏教徒會議記念・全日本仏教會』の文字と、その横には名前や日付、作った会社などが書いてありました。
B.E.2498は、仏暦ですので、西暦1955年になります。
>>
[SNIP[]]
DECEMBER 3.B.E.2498
[SNIP[]]
]FIG]
[81]
第3回[[世界仏教徒会議]]は[TIME[昭和29(西暦1954)年12月3日][1954-12-03]]-[TIME[17日][1954-12-17]]に[[ビルマ]]で開催されました。
銘文の日付は開会の日と一致します。
[TIME[西暦1954年][year:1954]]とするとβ型。
ブログの説明にある[TIME[西暦1955年][year:1955]]はα型。
]REFS]
* 北伝仏教説
[34]
[[支那]]や[[日本]]では、[[釈迦]]の死去を[TIME[周穆王53年(西暦紀元前949年、-948年)][year:-948]]
と考えました。
[SRC[>>258 PDF 8ページ]]
[35]
[[支那]]では、
[[正法]]500年、[[像法]]1000年を経た[TIME[北斉天保3(西暦552)年][year:552]]から[[末法]]としました。
[SRC[>>258 PDF 8ページ]]
[36]
[[日本]]では、
[[正法]]1000年、[[像法]]1000年を経た[TIME[永承7(西暦1052)年][year:1052]]をもって[[末法]]としました。
[SRC[>>258 PDF 8ページ]]
** 日本
[28]
[[日本]]では[TIME[西暦-948年 (紀元前949年)][year:-948]]
を[[元年]]とする[[紀年法]]が使われました。
-*-*-
[25]
[[日本]]の[[平安時代]]成立の歴史書
[CITE[扶桑略記]]
は、
[DFN[如來滅後]]年を併記していました。
γ
[26]
最古は
「應神天皇」の「元年庚寅」
([TIME[西暦270年][year:270]])
で、
「如來滅後一千二百一十九年」
でした。
[SRC[>>29]]
[27]
最新は
「應德元年」
([TIME[西暦1084年][year:1084]])
で、
「如來滅後經二千三十三年」
でした。
[SRC[>>29]]
;; [37] おおむね「如來滅後[VAR[何]]年」
の形式でしたが、例外的に >>27 のごとく「経」字が入っているものがありました。
また「永延元年,如來滅後一千九百卅六季」
のように[[年]]を[[季]]としたものもありました
(が[[書写]]や[[翻刻]]の問題とも思われます)。
-*-*-
[31]
[[日本]]の[[戦国時代]]-[[江戸時代]]初期頃に作られた年代対照表
[CITE[[[新撰三国運数符合図]]]]
[SRC[>>13, >>258]] は、
[[天竺]]について[[釈迦]]の死後を[DFN[佛滅後]]何年と表していました。
γ
[32]
[[神武天皇]]の[[元年]]
([TIME[西暦-659年][year:-659]])
は「二百九十年」でした。
[[明正天皇]]の[[元年]]たる寛永7年[[庚午]]
(記載された最終年、[TIME[西暦1630年][year:1630]])
は「二千五百七十九年」でした。
[SRC[>>30]]
[REFS[
- [29] [CITE[[[扶桑略記]]]]
- [30] [CITE[[[新撰三国運数符合図]]]]
- [258] [CITE@ja[[[日本における紀年認識の比較史的考察]]]]
- [13] [CITE@ja[「[[ホモ・ヒストリクスは年を数える]]」(10)~キリスト紀年を表す造語『西暦』~ 西暦に代わる通年紀年法としての皇紀(THE PAGE) - Yahoo!ニュース]]
([TIME[2019-12-11 17:12:00 +09:00]])
<https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190526-00010001-wordleaf-cul&p=2>
]REFS]
* 現代日本
[47]
[[日本]]の[[仏教]]は、歴史的に[[日本政府]] ([[朝廷]]や[[幕府]])
との結び付きが強かったためもあってか、
[[仏暦]]や独自の[[紀年法]]は発達しませんでした。
[[北伝仏教]]系の[[仏暦]]が一部使われました (>>28) が、
例外に留まりました。
[48]
[[現代日本]]では、一般社会と同様に[[日本の元号]]、
[[西暦]]、その併記がよくみられます。
一般社会よりはやや[[日本の元号]]を使う傾向が強いと思われます。
[49]
それらに加えて[[仏暦]]も使われます。
[[仏暦]]の利用度は個別の寺院によって様々なようで、
まったく使わない (少なくても[[Web]]上には痕跡がみられない)
ところが多いですが、
[[年始]]など特別な日に紹介する程度のところや、
[[カレンダー]]には記述しているところもあれば、
少数ながら[[日付]]表記にまで積極的に使っているところもあります。
ほとんどの場合、[[日本の元号]]、
[[西暦]]、併記の3種のいずれかとの併記ですが、
[[仏暦]]が先のこともあれば、[[仏暦]]が後のこともあります。
[50]
多くの場合、[[日本の元号]]、[[西暦]]、[[仏暦]]のどれを使うかに統一された方針はみられず、
同じ文書内でも混在することは珍しくありません。
仏教界全体、あるいは宗派ごとの統一的な方針もない、または強制力の弱いもののようです。
([[仏暦]]が使われ得ることを除けば、一般社会の状況と同じです。
[SEE[ [[現代日本の紀年法]] ]])
[109]
[[日本]]人の多くは[[仏教徒]]ですが、[[仏暦]]の認知度はかなり低いとみられます。
[[Web]] で検索しても、むしろ[[タイ暦]]としての方が知られているようです。
[REFS[
- [98] [CITE@ja[霊園概要・アクセス | フラワーメモリアル国立府中]], [TIME[2015-04-25 15:31:09 +09:00]] <http://flowermemorial.jp/reien_access.html>
-- 「仏暦二五四二(国際暦一九九九)年四月八日」α
-- 本文は「一九二四(大正十三)年十一月」のような西暦元号併記。
-- 「追記」の参考文献の日付が
「昭和五十六年十二月発行」
「昭和六十(一九八五)年十月一日発行」
「昭和三十三年五月二十五日発行」。
原典紀年の不統一か引用者の不統一か不明。
-- 「住職プロフィール」
に
「1957(仏暦2500)年、東京築地生まれ
1980年、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。」
以下[[西暦]]。
-- [99] [CITE[無題ドキュメント]], [TIME[2011-04-05 16:55:25 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/Orijin-main.html>
--- 本文の別バージョン
-- [100] [CITE[Center]], [TIME[2013-03-11 11:52:52 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/ProfileCenter.html>
--- 住職プロフィールの別バージョン。[[漢数字]]と[[アラビア数字]]で微妙に違う。
- [101] [CITE@ja-JP[今月の法話]], [TIME[2020-03-03 11:42:20 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa.html>
-- 「仏暦2563年2月」α
-- [102] [CITE@ja-JP[今月の法話]], [TIME[2020-03-03 11:42:27 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa1912.html>
--- 「仏暦2562年12月」α
-- [103] [TIME[2020-03-03 11:42:21 +09:00]] <http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/houwa0511.html>
--- 「仏暦2548年11月」α
-- [[仏暦]]単記。しかし本文は一貫して[[西暦]]単記。
[[URL]] は[[西暦2桁年号]] + [[月]]2桁。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[60] [CITE@ja[2006年末のタイな雑感 | タイとタイ語に魅せられて - 楽天ブログ]],
[CSECTION[日本でも仏暦が!]],
2007/01/02,
[TIME[2020-03-04 22:58:57 +09:00]] <https://plaza.rakuten.co.jp/lamyaidaeng/diary/200612310000/>
]FIGCAPTION]
>タイでは、とくにお役所関係では西暦ではなく仏暦を使ってますよね。
占いでも聞かれるので、生まれた曜日・時間とあわせて、
自分の生まれた年の仏暦も覚えておくと何かと役立ちます。
>
で、この仏暦、てっきりタイでだけ使っているのだと思っていたのです。
>
しかし、今日立ち寄った都内某所のお寺で、こんな貼り紙に遭遇!
>>
[BOX(vertical)[
恭賀新春
[BOX(indent)[
仏暦二五五〇年
]BOX]
[BOX(right)[
[ASIS[〓〓][画像加工消去]]寺
]BOX]
]BOX]
α
]FIG]
- [63] [CITE[八幡山 宝泉寺 山門]], [TIME[2019-02-16 18:51:51 +09:00]] <http://housen.main.jp/housen.html>
--
「釈尊成道 2607年
仏暦2562年/西暦2019年/平成31年2月」
α
-- [62] [CITE[仏教 No.13 「仏旗」]], [TIME[2011-05-25 18:35:57 +09:00]] <http://housen.main.jp/bukkyou/bukkyou-13.html>
--- 「上棟式(仏暦2550年:平成18年11月11日)」
α
- [64] [CITE[万行寺寺報]] 2009(仏暦2552)年1月号 (第37号),
[TIME[2017-04-29 10:22:46 +09:00]] <http://www.mangyoji.jp/_src/1235614/jiho200901.pdf?v=1491975564679>
α
- [69] [CITE[ひだご坊]] No.235,
2009 年2月 20 日,
[TIME[2018-07-03 12:49:48 +09:00]] <http://goenki750.hidagobo.jp/goenki750wp/wp-content/uploads/2018/07/hidagobo235.pdf>
-- 「仏 暦 2 5 5 2( 2 0 0 9 ) 年」α
- [87] [CITE[仏暦。(仏滅紀元暦)]],
B.E2552/02/26/作成,
[TIME[2016-04-17 08:44:57 +09:00]] <http://www.bukkyo.net/tisiki/butureki.htm>
α
-- 他のページも作成日は[[仏暦]]。本文は[[西暦]]、[[元号]]混在。
- [82] [CITE@ja[ずぼら帖 --気ままなZEN.blog: ゆく年くる年]],
2012年1月1日日曜日,
[TIME[2020-02-29 16:48:45 +09:00]] <http://anjyuji.blogspot.com/2012/01/blog-post.html>
--
「仏暦2555年・平成24年壬辰の新年をつつがなく迎えられたでしょうか。」α
- [97] [CITE[親蓮坊通信2014.05.15.pdf]], [TIME[2015-02-03 15:31:59 +09:00]] <http://o-jyosyoji.com/wp-content/uploads/2015/02/%E8%A6%AA%E8%93%AE%E5%9D%8A%E9%80%9A%E4%BF%A12014.05.15.pdf>
-- 「仏暦2557年2014/05/15」α
- [67] [CITE@ja[仏暦2560年〈西暦2017年〉お盆総括 | [[西光寺]](浄土真宗本願寺派)BLOG]],
2017年08月21日(月),
[TIME[2020-03-05 11:11:23 +09:00]] <https://ameblo.jp/saikou-ji/entry-12303079001.html>
α
- [68] [CITE[Print - pdf1517189472.pdf]], [TIME[2018-01-29 10:31:12 +09:00]] <http://www.namuamidabutsu.com/pdf/pdf1517189472.pdf>
-- 「[SINCE 仏暦2162 西暦1619 元和5]」α
- [106] [CITE[行事予定 ・広島県尾道市・浄土真宗本願寺派・[[法光寺]](法光寺心理相談室)]], [TIME[2020-03-05 17:31:29 +09:00]] <http://www.houkouji.net/original3.html>
-- 「仏暦2562(2019年ー平成31年)行事予定」α
- [55] [CITE[平成三十一[RUBY[己亥][つちのとゐ]]年([LINES[南][伝]]仏紀2562年・西暦2019年) 法会・行事予定表]],
八王子山[[了慶寺]],
[TIME[2019-09-20 18:35:31 +09:00]] <http://ryokeiji.net/jap/nenkangyoji%20H31(2).pdf>
α
- [56] [CITE[令和二[RUBY[庚子][かのえね]]年([LINES[南][伝]]仏紀2563年・西暦2020年) 法会・行事予定表]],
八王子山[[了慶寺]],
[TIME[2019-12-18 17:25:11 +09:00]] <http://ryokeiji.net/jap/2020%20ryokeiji%20nenkan%20gyouji%20keikaku.pdf>
α
- [88] [CITE[時宗東岡山[[福田寺]]]] 第60号,
令和元年五月,
[TIME[2019-10-14 17:16:25 +09:00]] <https://kyoto-fukudenji.com/wp-content/uploads/sites/4/2019/05/5%E6%9C%88-60%E5%8F%B7%E3%80%80-.pdf>
α (βにも言及)
- [51] [TIME[2020-03-03 22:54:37 +09:00]] <https://www.kohzansha.com/news2020.html>
-- 「2020年1月吉日 仏紀2563年」α
-- 「1974(昭和49)年に創刊した『月刊住職』は全国全宗派の寺院住職のための実用実務報道誌として46周年を迎えます。」
]REFS]
[REFS[
- [86] [CITE[仏教ぎふ]] 第61号 平成6年夏期号(仏暦2538年),
平成6年7月25日,
[TIME[2018-03-06 04:22:56 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/061.pdf>
β
--
[[Webサイト]]に掲載されているこれより古い直近は第55号 (平成3年夏季号)、
仏暦併記なし ([[平成]]のみ)。
- [83] [CITE[仏教ぎふ]] 第67号 平成9年夏期号(仏暦2541年),
平成9年7月15日,
[TIME[2018-03-06 04:22:57 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/067.pdf>
β
- [85] [CITE[仏教ぎふ]] 第74号 平成13年新春号(仏暦2544年),
平成13年1月1日,
[TIME[2017-03-17 22:03:24 +09:00]] <http://bukkyogifu.net/pic/back/74.pdf>
α
-- これ以後α型
- [76] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 3月のご案内(仏暦2554)]], [TIME[2017-02-18 00:48:14 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1103.html>
-- 「3月のご案内[WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2554)]]」 α
- [78] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 4月のご案内(仏暦2555)]], [TIME[2017-02-18 00:48:15 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1104.html>
-- 「4月のご案内[WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2555)]]」 β
- [77] [CITE[花祭りのご挨拶]], [TIME[2017-02-18 00:48:16 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1104hanamatsuri.html>
-- 「仏暦2555年(2011年、H23年)4月8日」β
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[75] [CITE[[[歎異抄]]に聞く会 8月のご案内(仏暦2555)]], [TIME[2017-02-18 00:48:24 +09:00]] <http://www13.plala.or.jp/tannisho/invitation2011/1108.html>
]FIGCAPTION]
>8月のご案内 [WEAK[(B.E. Buddhist era 仏暦2555)]]
>
「念仏はなぜ難信なのか」(在家仏教講演 2011.1より)(第1回)
β
]FIG]
-- タイ式の4月[[年始]]?
- [58] [CITE@ja[仏紀2562年・平成30年(西暦2018年)11月4日の夜、ニコ生中ご祈祷動画。 - [[ニコニコ動画]]]], [TIME[2020-03-04 20:03:57 +09:00]] <https://www.nicovideo.jp/watch/sm34149640?playlist=eyJpZCI6InZpZGVvX3dhdGNoX3BsYXlsaXN0X3VwbG9hZGVkIiwidXNlcklkIjoxMDA2MTMxM30>
β
]REFS]
[REFS[
- [79] [CITE@ja[[[洞上行持軌範]]. 巻上 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[曹洞宗務局]], [TIME[明22.8][year:1889]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823402/39>
-- >>71 から引用
- [61] [CITE[交通安全とブッダ(釈迦)の八正道]],
[[早川吉則]],
[TIME[2011-06-02 13:27:57 +09:00]] <http://ccmg.cc.toin.ac.jp/tech/bmed/ft28/freshman2.html>
-- 「平成15年(西暦2003年:仏紀2569年) 4月吉日」
δ
- [54] [CITE[和尚さんから・・・]], [TIME[2019-04-20 15:26:42 +09:00]] <http://www.chorinji-sanctuary.com/main/005.html>
-- 「平成16年甲申(きのえさる)、国際暦2004年、仏紀2570年の新春を迎え、」δ
- [52]
[CITE[瑞雲山だより]] 第61号,
[[三松禅寺]],
[TIME[平成26年1月1日][2014-01-01]]
-- 「平成二十六年・甲午 (きのえうま) 仏紀二千五百八十年」 ([[縦書き]]) δ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[71] [CITE@ja[[[曹洞宗]]の「仏紀」の数え方 - つらつら日暮らし]],
2015-02-20 08:30:18,
[TIME[2020-03-05 11:30:58 +09:00]] <https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/90b8213ccea93eec6c1f1185cf02f2c7>
]FIGCAPTION]
>「仏紀」という概念がある。要するに、仏陀釈尊が誕生・成道・入滅等の年数から経年を示したものである。それで、曹洞宗では今年、平成27年(2015)を仏紀2581年であるとしている。然るに、宗派で出している仏教関連の教科書では、ゴータマ=ブッダは紀元前463年誕生、紀元前383年入滅とあって、この数字が一致しない。
δ
>例えば、道元禅師などは、このように指摘している。
>
[FIG(quote)[
>
参学しきたること、すでに二千一百九十年〈当日本仁治二年辛丑歳〉……
[FIGCAPTION[
『正法眼蔵』「仏性」巻
]FIGCAPTION]
]FIG]
>
[SNIP[]]
仁治2年(1241)段階でいわれているのだから、774年前に入滅から2190年と数えていることになる。よって、道元禅師の時代の仏滅を基準として仏紀を換算するならば、今年は仏紀2964年になるはずである。
γ
>
[FIG(quote)[
> 仏滅の暦算は仏祖統紀・仏祖通載共に、周昭王廿六年甲寅四月八日誕生、周穆王五十三年壬申二月十五日七十九歳にして入滅とす。天竺支那日本の祖師、皆な此の説に同じ。
> 禅苑に云く、「如来大師入般涅槃、今皇宋元符二年に至て已に二千四十七年を得たり」と。
> 瑩規に云く、「元亨四年甲子に至て已に二千二百七十一歳を得たり」と〈以上、禅苑〉。
> 瑩規は推算を失す。禅苑は一算を誤り、瑩規は二算を誤まれり。
> 敕修に云く、「大元重紀至元元年に至て已に二千二百八十四歳を得たり」。
> 小規に云く、「日本享和三年癸亥に至て已に二千七百五十二歳を得たり」と。
> 敕修・小規を正当とす。則ち、「明治廿二年己丑に至て已に二千八百三十八歳を得たり」。是れ仏教古今通規の真説なり。
[FIGCAPTION[
『明治校訂洞上行持軌範』「月分行持・八日」項、明治22年(1889)刊行
]FIGCAPTION]
]FIG]
>
明治時代に刊行された『行持軌範』では、僧堂での念誦の中に読み込まれる仏紀を採り上げて、その詳細を註記している。それで、同軌範の立場は、道元禅師と同じであることが分かる。なお、『瑩山清規』は、元亨4年(1324)に合わせているので、「2273年」でなくてはならず、確かに2年ずれている。
[TIME[元符2年 = 西暦1099年][year:1099]] γ2年ずれ
[TIME[元亨4年 = 西暦1324年][year:1324]] γ1年ずれ
[TIME[大元重紀至元元年 (2回目の至元の元年) = 西暦1335年][year:1335]] γ
[TIME[享和3年 = 西暦1803年][year:1803]] γ
[TIME[明治22年 = 西暦1889年][year:1889]] γ
>「仏紀2581年」はどうも高楠順次郎博士の「仏誕」に数字を合わせているようである。
]FIG]
- [57] [CITE@ja-JP[曹洞宗金龍山瑞雲寺]], [TIME[2020-01-22 14:32:16 +09:00]] <http://zuiunzi.net/index.html>
-- 「仏紀2586年 令和二年 創建より562年」δ
]REFS]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[93] [CITE[[B[住職のぶらり旅]] 住職の寺報原稿から]], [TIME[2003-02-18 15:15:35 +09:00]] <http://www.netwave.or.jp/~shinsyu1/sonkoji/tabe.htm>
]FIGCAPTION]
> [B[浄土真宗の旅]]
> 成道の地 ブダガヤ (インド)
> 今年は仏暦二五三三年(南方暦)南無阿弥陀仏のみ教えは、長い年月をかけて、インドからヒマラヤを越え、ゴビを渡り中国で花開き、わが国へ伝わった。教えを伝えた方々のご苦労ははかり知れない。
[94]
これが何年か確定できる情報がない。α型なら[TIME[西暦1990年][year:1990]]。
β型なら[TIME[西暦1989年][year:1989]]。
>38/3/3
> 阿弥陀経のふるさと・祇園精舎
[95]
[[年月日][日時表示]]のようにみえるが解釈が難しい。
仏暦[[下2桁年号]]なら前段の5年後。
[TIME[昭和38(西暦1963)年][year:1963]]は文脈上不自然、
[TIME[西暦1938年][year:1938]]もあり得ないだろう。
この後次のような項目が続くところから、
「第38号平成3年3月」
の意味の可能性が高いか。
>七高僧第二 北インド 天親菩薩 41号平成4年3月
>七高僧第四 中国 道綽禅師 45号 平成5年7月
>46号 平成5年12月
>48号 平成6年7月
>平成7年3月
>52―7―11
[96] これも「第52号平成7年11月」と解するべきか。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[73] [CITE[仏教ちょっと教えて - [[ミレニアム]]と仏歴について]], [TIME[2000-02-20 17:56:13 +09:00]] <http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_C019.htm>
]FIGCAPTION]
>このように、仏歴には諸説があり、そのために一般化もされていません。もし、宗派で仮に特定して使用したとしても西暦を併記しなければなりたちません。
> 私たちは、西暦を世界共通の国際歴として解釈しています。国際化が進む中で、教団としても、広く世界を視野に入れた活動をしていかなければならないとの立場からです。また、事実、浄土真宗は海外にも多くの拠点を持っています。浄土真宗のみ教えの普遍性を考えましても世界共通の国際歴の採用は大切なことだと考えます。
]FIG]
;; [74] このサイトは4桁西暦年と[[2桁西暦年]]が混在。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[59] [CITE[明治寺百観音 ひとくち伝言]], [TIME[2012-11-11 15:00:23 +09:00]] <http://www.evam.ne.jp/meijidera/hitokuchi/dengon0001.html>
]FIGCAPTION]
>
平成十二[WEAK[(庚辰<かのえたつ>)]]閏年
西暦二〇〇〇年、仏紀二五六五年
元 旦
δ型と1年違い
>「コンピュータ 越すに越されぬ 二千年」という川柳を面白く拝見した覚えがあります。まさに今、世界中が固唾を呑み、無事に年越しができるかを見守っているという、希有な年明けとなっている模様であります。[SNIP[]]
> 昨年はミレニアム(千年間、至福千年)という耳慣れない言葉が急に飛び出し、話題となりました。それは西暦、つまりグレゴリオ暦を生み出したキリスト教の中では、きっと特別な意味で語られる言葉なのだと思います。しかし、地球上のすべての人が今年を二千年目と思っているわけではなく、平成ならば十二年、仏暦では二五六五年ですし、調べた所では、イスラム暦なら二六六二年、ユダヤ暦では五七六一年に当たっているようです。皆それぞれ、自分たちにとって最も大きな意義のある出来事を紀元として、歳月を計っているわけであります。してみると年号というのは、あたかも滔々と流れる大河の水に、それぞれ持ち前の「万年筆」でインクの染みを付けているようなものなのではないかという思いがいたします。
> 世の中には色々な「時間」があるものです。仏教の歴史観は、「無始よりこのかた」と言い、「未来際を尽くすまで」と言って、世界の初めと終わりを説きません。仏暦で何年と数えるのも、おそらく西暦に影響された結果であって、インドには全く異なる時間の物差しがありました。 [SNIP[]]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[89] [CITE@ja[仏暦はあるの?]], [TIME[2020-03-05 15:26:45 +09:00]] <https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-11-15/ftp20061115faq12_01_0.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX(right)[
2006年11月15日(水)「しんぶん赤旗」
]BOX]
>
[SNIP[]]
>
[SNIP[]]
入滅を紀元とする暦法は、仏滅紀元といって、仏教徒の多い東南アジア諸国で使われています。
> 日本でも仏暦を重んじている僧侶が書く位牌(いはい)などに使われる場合がありますが、一般化していないために手紙などでは西暦(キリストの生誕年といわれている年を紀元元年とする暦法)と併記することが多いようです。
>[SNIP[]]
> 入滅を元年とする仏暦はスリランカやミャンマーなどで使われ、入滅1年後を元年とする仏暦はタイ、カンボジア、ラオスなどで使われているようですが、世界的な交流がすすんでいる現在ではこれらの国で西暦も通用しています。
> 全日本仏教会の機関誌『全仏』には、1年後の立場で仏暦が書かれ、西暦を添え書きしています。入滅1年後を元年とすれば、西暦に543(こよみ)を足すと仏暦になる、と語呂あわせでいわれます。日本の仏教徒のなかには、駄洒落(だじゃれ)のような計算方法をきらい、伝承された入滅年を元年として、今年は仏暦2550年とこだわる人もいます。(平)
> 〔2006・11・15(水)〕
入滅α、
1年後β、
仏暦2550年β
]FIG]
;; [90]
他[[宗教]]を否定する[[共産主義]]者がなぜか[[仏暦]]を解説している不思議な記事。
不自然に[[元号]]を無視して[[西暦]]ageしているのは[[共産党]]らしい。
[SEE[ [[共産主義の日時]] ]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[72] [CITE@ja[仏教での[[紀年法]]は何ですか? - 神社では元号、キリスト教会では... - Yahoo!知恵袋]], [TIME[2020-03-05 11:46:40 +09:00]] <https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1182639241>
]FIGCAPTION]
[[zen]],
2012/3/3 19:04:05
>
仏忌(ぶっき) 2579年 仏陀の涅槃から算定する中国暦に基づくといわれる。
δ 1年ずれ
>
仏成道暦(ぶつじょうどうれき) 2544年 仏陀の誕生をB.C.566年、般涅槃を同486年と定めたもので、成道に重点を置いたもの。
ε 1年ずれ
>
仏誕(ぶったん) 2578年 仏忌と同じだが、1年の表記上のズレがある。
δ
>
仏暦(ぶつれき) 2556年 タイ国制定の仏暦。仏暦2455年(西暦1912)にタイ国で制定した仏暦で、日本の元号に相当する。西暦と同様に1月を新年度とする。
β
制定 α
>
仏暦 2557年 ブッダ暦。ウェーサーカー月が新年度になりスリランカ、ミャンマーなどがこれに従っている。ただし、2548年とする説もある。
β 1年ずれ
異説 ε 5年ずれ
>
仏紀(ぶっき) 2557年 上記の仏暦2549年を仏紀に替えた表記。仏暦、仏忌、仏誕などを仏紀と表現することもある。
β 1年ずれ
>
B.E. 2556年 英語によるBuddhist eraの省略表記。
β
;;
(投稿日の[TIME[西暦2012年][year:2012]]を基準にすると
全体的に1年ずれており、
本来[TIME[西暦2011年][year:2011]]の計算か。)
]FIG]
- [107] [CITE[こよみの学校 第65回『数え年と満年齢-[[仏紀]]のちがいもしかり』|暦生活]],
[[中牧弘允]],
2015.10.8,
[TIME[2019-01-31 16:04:13 +09:00]] <https://www.543life.com/campus65.html>
-- 「仏暦・仏紀は釈迦の涅槃=入滅とされる紀元前544年を基準とした年数をつかいますが、タイやラオスなどでは満で数え、中国、韓国、ミャンマー、スリランカなどでは数えでやっています。つまり、国によって1年のズレがみられるのですが、それは上座部仏教と大乗仏教のちがいという訳ではありません。日本ではこれだけ仏教が定着しているにもかかわらず、仏紀をお寺のカレンダーに記載している例を見たことがありません。」
αβ
;; [108] [[暦]]の専門家の中牧でも[[仏暦]]の[[カレンダー]]では見たことがないとは、
よほど珍しいのか。
[[宗教暦]] (宗教行事予定) として[[仏暦]]を書いている (かつ[[Web]]に掲載している)
ところは日本各地にあるので、
檀家に配る[[カレンダー]]の形で掲載しているところも探せばありそう。
(広く流通しないだろうから探すのが難しいかもしれない。)
[[仏教]]の普及と寺院の数の割に[[仏暦]]の利用が少ないのは指摘の通り。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[84]
[CITE[曹洞春秋]] (總和会報) 第119号,
2018.12.20,
[TIME[2018-12-28 15:17:32 +09:00]] <http://souwakai.info/cms/wp-content/uploads/2018/12/%E6%9B%B9%E6%B4%9E%E6%98%A5%E7%A7%8B-119%E5%8F%B7.pdf#page=5>
]FIGCAPTION]
>全国大会意見発表(要旨)
>[SNIP[]]
>
2、九州ブロック代表
[WEAK[熊本県第48番]]
[WEAK[神照寺住職]] 岩崎哲秀
>
日本の仏教興隆を願い、全日本仏教会において各宗派の仏紀(仏暦)を調査し「日本仏紀」(案)を制定していただきたい
> 〈回答者:森副理事長〉
>仏紀・仏暦にはさまざまな説明があり、書に残すことはありませんでした。調べることは可能かと思いますが、この件につきまして、全日本仏教会に委ねたいと思います。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[70] [CITE@ja[【仏暦】2020年はお釈迦様が亡くなって何年目? | 真宗興正派 [[円龍寺]]]],
[[かっけい]],
2019.12.31, 2018.01.31,
[TIME[2020-03-05 11:19:41 +09:00]] <https://kaxtukei.com/buddhist-calendar-this-year>
]FIGCAPTION]
>「仏暦(ぶつれき)」は「[B[仏滅紀元]](ぶつめつきげん)」とも表現されます。
>[B[仏暦のことを、「タイの仏暦」・「タイ暦」ともいわれることもありますように、南伝仏教による入滅の年を仏滅紀元元年としています。]]
>
[B[日本でもどういうわけか、西暦紀元前543年が仏滅紀元元年として、仏暦をカウントしています。]]
>[B[全日本仏教会は1994年10月の機関誌「全仏」第402号にて、世界的に普及している仏暦(没年を西暦紀元前544年)そしてタイの公文書でも使用されている仏暦を採用するように報告しています。]]
>>使っている人もいれば、使わない人もいる
>そりゃ当たり前でしょうと思うでしょうが、日常生活において元号が使いにくいように西暦による考えが浸透している現代では、[B[あえて仏暦を使う必要がない]]のです。
>しかし全く使われていないかと言えば、そんなことはありません。
>ですので他の紀年法が誕生や即位などを記念するのとは異なり、[B[仏教を開かれたお釈迦様の亡くなられた年を起点とする仏暦とは、仏法を聞きいただいていく後の私たちにとって「最大のご縁」であり、「最大の関心」となるのだと思います。]]
>[B[普段は西暦や元号を使うのですが、仏教行事をする時には仏暦も採用し、心の中の関心事として仏法のご縁を届けられた仏様に思いはせるのだと感じます。]]
>仏暦と皇紀は、西暦元年からの差は「543年」と「543年+117年」です。
>「[B[543・117]]」を「[B[こよみ・いいな]]」で覚えてみて下さい。
>[B[仏暦のことを”Bhudda Era”と表現します。]]eraには「時代、時期、紀元」の意味があります。
>
省略した形は“[B[B.E.]]”となります。
>
ですので令和2年なら、仏暦はB.E.2563、西暦はA.D.2020となります。
α
>しかし西暦2020年(令和2年)を仏暦2563年とせずに、仏暦2586年と表す人もいます。
δ
>[B[マイナーな「西暦の数字+566」[[の誕生年が基準の仏暦を使用するお坊さんもいます。
>>
曹洞宗では釈尊誕生の年を起点としているようだ
>
参考サイト『曹洞宗の「仏紀」の数え方<https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/90b8213ccea93eec6c1f1185cf02f2c7>(つらつら日暮らし)』
>
この曹洞宗のお坊さんのブログ記事を参考にすると、明治の仏教学者高楠順次郎の「仏誕」に数字を合わせているようです。
]FIG]
- [104] [CITE@ja[[[仏暦]](仏教の暦)は、西暦とどう違うの? | こども仏教情報]],
[[僧侶かつごん]],
2019.12.31,
2019.10.02,
[TIME[2020-03-05 17:26:52 +09:00]] <https://souryo.info/butsureki/>
-- 「西暦2020年は、仏暦2563年」α
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[53] [CITE@ja[[[擔雪II]]法務管理 暦計算(暦変換)ツールのご紹介 - ブログ 禅 -Blog ZEN-]], [TIME[2019-06-24 16:22:15 +09:00]] <https://www.zenbunka.or.jp/zenken/archives/2010/05/ii_11.html>
]FIGCAPTION]
>【2.皇紀・仏紀・仏暦変換】
西暦(新暦)と皇紀・仏紀との相互変換を行なえます。皇紀とは、日本書紀に記される神武天皇即位の年を元年とする紀元であり、仏紀は釈迦の没後1年後を元年とする暦です。
>西暦 [ 794 ] 年
>皇紀 [ 1454 ] 年
>仏紀 [ 1360 ] 年
>仏暦 [ 1336 ] 年
仏紀はδ型、仏暦はα型と1年違い (β型と逆方向)
]FIG]
- [66] [CITE@ja[寺報 生きる166 – 真宗 大谷派 [[存明寺]]]], [TIME[2020-03-05 11:07:14 +09:00]] <https://zonmyoji.jp/archives/%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%8b166/>
-- 「2015年(仏歴2546年)5月3日発行」ε
- [65] [CITE@ja[生きる195(春のお彼岸号) – 真宗 大谷派 [[存明寺]]]], [TIME[2020-03-05 11:02:38 +09:00]] <https://zonmyoji.jp/archives/%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%8b182-2-2-2-2-2-2-2-2-3-2-3-2-2/>
-- 「真宗大谷派 存明寺通信『生きる』 195号です。
発行日 2020 年(仏暦2551年)3月1日」ε
- [91] [CITE@ja[長唱山 [[大立寺]]]], [TIME[2016-12-25 21:14:00 +09:00]] <http://dairyuji.net/>
--
「令和2年(仏暦2968年) 3月5日(木)
旧 暦:2月11日
六 曜:【赤口】凶日。何事にも悪い。
ただし、正午だけ吉。仏事はよい。
廿八宿:【星】大悪日。何事にも用いてはなら
ない。結婚、服薬、埋葬は大凶。」
γ1年ずれ
-- <http://dairyuji.net/js/basic.js> で [N[948]] 加算して算出。
-- [[旧暦]]計算は [[qreki]]。
]REFS]
* 関連
[92] [[六曜]]の[[仏滅]]とは無関係です。
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE@ja[仏暦を使おう]]
([TIME[2007-03-07 18:57:28 +09:00]] 版)
<http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/eseo/eseo_17.html>
]FIGCAPTION]
> 仏暦は、東南アジアではわりあいに普及しています。ただ、今年が仏暦2549年(B.E.2549、BE=Buddha Era)であるというのは、タイ・ラオス・カンボジアのはなしであって、ミャンマーやスリランカでは仏暦2550年です。どちらも、釈尊入滅をB.C.544年としているのは同じなのですが、その年を0とするのか1とするのかの違いがあるために1年ずれてしまいました。ゼロの観念をもっていたインド文化からすれば、2549年ということになりますが、時々論争になることがあります。そのためもあるのか、日本でも仏暦を使おうと思うと、この問題にぶちあたり、結局決めることができないから採用しない、ということがあるようです。実は私自身、4年前に国際仏教エスペランチスト連盟の機関誌を創刊した時、表紙にB.E.2545と書いたら、「その根拠は何か」と言われた経験があります。これは実に微妙な問題ではありますが、そのことで論争しても意味がないと思います。ですから私は、全日本仏教会に「とりあえず」したがって、2549年とします。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[仏暦を使おう]]
([TIME[2007-03-07 18:57:28 +09:00]] 版)
<http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/eseo/eseo_17.html>
]FIGCAPTION]
> 真宗大谷派では、宗務機関の発する文書には西暦(元号)という年数表記をすることになっているそうです。電話で本山総務部に尋ねてみると、西暦1999年に内局通達というかたちで、このように定まったそうです。それに反対するわけではありませんが、仏教徒の組織ならば何らかのかたちで仏暦を入れられないものか、と思います。
> (B.E.2549年/A.D.2006年12月18日脱稿)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] ([TIME[2008-03-28 15:03:18 +09:00]] 版)
<http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/syoutoku/syoutoku011.html>
]FIGCAPTION]
> もっと大きく物事を見てみよう。なるほど、日本は、元号を用いてきたが、それは元々、中国文化である。また、明治までは、天変地異があったり、大事件があると、新たな出直しとして元号が変えられた。天皇の即位から死亡までを、ひとつの元号で表わすなんてことは、明治の造作にすぎないのである。仏暦はどうだろう。個人が趣味的に用いるにはよいと思うが、年代のはっきりしないものを基準に用いるのはいかがなものかと思う。世界の多くの人々と通じる基準を用いる事が世界の中の自分の位置を明確にする事につながるのである。季節との違いが、そこにはある。
]FIG]
[6] [CITE@th[太陽暦、タイ - ウィキペディア。]]
( ([TIME[2016-05-20 02:29:10 +09:00]]))
<https://th.wikipedia.org/wiki/%E0%B8%9B%E0%B8%8F%E0%B8%B4%E0%B8%97%E0%B8%B4%E0%B8%99%E0%B8%AA%E0%B8%B8%E0%B8%A3%E0%B8%B4%E0%B8%A2%E0%B8%84%E0%B8%95%E0%B8%B4%E0%B9%84%E0%B8%97%E0%B8%A2>
[7] ( ([TIME[2006-02-20 06:06:24 +09:00]]))
<http://www.ratchakitcha.soc.go.th/DATA/PDF/2455/A/264.PDF>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[③ タイ仏暦とビルマ暦 |タイに魅せられてロングステイ]]
( ([TIME[2016-06-21 15:38:12 +09:00]]))
<http://ameblo.jp/hiro-1/entry-10553012247.html#main>
]FIGCAPTION]
> 西暦(キリスト紀元年)と仏歴(仏滅紀元年)の区分を明記するために、
> 英語では、B.E.2553 (Bhuddha Era) と表示しますが、
> タイ語では、下記の略語を年数の頭に付けて表記します。
> ●西暦2010年 = ค.ศ. 2010 ค.ศ. ๒๐๑๐ ( 発音 = コー・ソー )
> ค.ศ. = คริสต์ศักราช クリット・サカラーツ ( キリスト紀元年 )の略語
> ●仏暦2553年 = พ.ศ. 2553 พ.ศ.๒๕๕๓ ( 発音 = ポ-・ソー )
> พ.ศ. = พุทธศักราช プッタ・サカラーツ ( 仏滅紀元年 ) の略語
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[9] [CITE[The Constitution of Sri Lanka: Preamble]]
([TIME[2011-09-25 14:52:46 +09:00]])
<http://www.priu.gov.lk/Cons/1978Constitution/Preamble.html>
]FIGCAPTION]
> on the sixth day of the waxing moon in the month of Adhi Nikini in the year two thousand five hundred and twenty-one of the Buddhist Era (being Thursday the twenty-first day of the month of July in the year one thousand nine hundred and seventy-seven),
]FIG]
[10] ([TIME[2013-11-24 12:38:22 +09:00]])
<http://nihon-thaikyokai.go-web.jp/Portals/0/24_%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8D%94%E6%9C%83%E3%80%85%E5%A0%B1_%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E8%99%9F.pdf#page=13>
[11] ([TIME[2013-11-24 13:37:08 +09:00]])
<http://nihon-thaikyokai.go-web.jp/Portals/0/33_%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8D%94%E6%9C%83%E3%80%85%E5%A0%B1_%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E8%99%9F.pdf#page=56>
[12] [[TIS 1111]]
[33] ([TIME[2010-03-05 07:39:36 +09:00]])
<http://www001.upp.so-net.ne.jp/jble/movado/interface.pdf#page=10>