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[3]
[DFN[禅源]]
([TIME[y~1763]])
は、
[[高麗]]の[[私年号]]とされることがあるものです。
[6]
[[文化庁]]のデータベースと[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]が[[私年号]]説を掲載しています。
[SRC[>>9, >>8, >>1]]
[7]
[[長崎県]]が公開している解説は、不明としていて、[[禅源]]が[[元号]]とも断定していないように読めます。
[SRC[>>2]]
[9] [CITE[国指定文化財等データベース]], [TIME[2023-06-18T04:31:00.000Z]] <https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/7136>
>ト書 : 禅源乙巳五月日の刻名及び正平十二〈丁/酉〉十月十八日の後刻銘がある
>画賛・奥書・銘文等 : 左肩刻銘:「禅源□(乙)巳五月日晋陽府鋳成□福寺飯子一部」
表面中区上部刻銘:「奉懸鐘一口/右志者為/合輩所成/之業回悉/皆消滅殊/心中所願/成就也/正平十二丁酉/十月十八日/大蔵経種敬白」
>[SNIP[]]
>[SNIP[]]禅源は私年号とみられ、乙巳年を高麗朝高宗三十二年(一二四五)にあてられる。慶尚南道晉州の寺院にあったもので、日本の正平十二年(一三五七)に対馬に舶載された旨をしるしており、日韓交渉の資料として価値高いもの。
[8] [CITE@ja[文化遺産データベース]], [TIME[2023-06-18T04:30:18.000Z]] <https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/155188>
>[SNIP[]]禅源は私年号とみられ、乙巳年を高麗朝高宗三十二年(一二四五)にあてられる。慶尚南道晉州の寺院にあったもので、日本の正平十二年(一三五七)に対馬に舶載された旨をしるしており、日韓交渉の資料として価値高いもの。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[多久頭魂神社 - Wikipedia]]
([TIME[2018-04-27 18:38:25 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E4%B9%85%E9%A0%AD%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE>
]FIGCAPTION]
> 「禅源□巳五月日晋陽府」云々の銘と、正平12年(1357年)の追銘がある。「禅源」は私年号とみられ、「□巳」は高麗の高宗32年乙巳(1245年)とみられる。同年に現在の韓国慶尚南道晋州市で制作されたもの'''['''3''']'''。
]FIG]
[4] [CITE@ja[新指定重要文化財 : 解説版 4 (工芸品 1)|書誌詳細|国立国会図書館オンライン]], [TIME[2023-05-17T10:19:26.000Z]], [TIME[2023-06-18T04:26:48.999Z]] <https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001515054-00>
[5] >>1 が引いているのは >>4。電子化されているものの非公開。検索してもそれらしい文字列がヒットしない。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] ([TIME[2016-03-29 17:14:19 +09:00]])
<https://www.pref.nagasaki.jp/shared/uploads/2016/03/1459239259.pdf#page=10>
]FIGCAPTION]
> 側 縁 部 に 陰 刻 銘 が あ り 「禅源乙巳五月日 晋陽府鋳成□福寺飯子一印」
> と 読 ま れ 、 年 号 が 不 明 で あ る が 、 乙 巳 は 高 麗 高 宗 3 2 年 ( 1245) と考え
> ら れ 、 慶 尚 南 道 の 晋 州 で 作 ら れ た も の で あ る こ と が わ か る 。 そ の 後 、
> 本 邦 に も た ら さ れ 、 正 平 1 2 年 ( 1 3 5 7) に大蔵経種によって奉 懸された
> こ と が 追 銘で知られる。
]FIG]
[10] [CITE@ja[旅 1023 多久頭魂神社 と 高御魂神社: ハッシー27のブログ]], [TIME[2023-06-18T04:32:22.000Z]] <https://0743sh0927sh.seesaa.net/article/202002article_2.html>
>2017年 5月12日
>多久頭魂神社 と 高御魂神社
> 昨日は上対馬を中心に廻ったので、今日は下対馬を廻る。
>現地説明板より
『[SNIP[]]
>多久頭魂神社の金鼓(国指定重要文化財)
>指定年 昭和50年6月12日
>所有者 多久頭魂神社
> 高麗時代の大形金鼓でわが国では例がない。総径81cm、面径78cm、肩部に「禅源乙巳五月日晋陽府鋳成□福寺飯子一印」と銘記。制作年は高麗国前高宗32年(1245)とされている。
>[SNIP[]]
> 平成21年12月 対馬市教育委員会 』
> 「金鼓」とは日本でいう「鰐口」のことだという。「禅源乙巳五月日晋陽府鋳成□福寺飯子一印」の、「禅源」は私年号とみられ、「乙巳」は高麗の高宗32年乙巳(1245年)とみられる。同年に現在の韓国慶尚南道晋州市で製作されたものとされる。