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[1]
グレゴリオ暦。Gregorian Calendar。太陽暦の一種。
* 仕様書
[REFS[
- [13] [CITE[Inter Gravissimas]] ([TIME[2003-08-06 17:57:36 +09:00]] 版) <http://www.bluewaterarts.com/calendar/NewInterGravissimas.htm>
- [11] [[改暦ノ布告]]
- [12] [[閏年ニ関スル件]]
- [7] [[ISO 8601:2004]]
]REFS]
[14] [[グレゴリオ暦]]を定義する唯一の規範となる文書は、存在していないようです。
[15] >>13 は[[グレゴリウス13世]]による[[グレゴリオ暦]]への[[改暦]]を述べた文書ですが、
[[ユリウス暦]]の改正として記述されているもので、完全な定義とはなっていません。
[16] [[ISO 8601]] は、[[グレゴリオ暦]]を[[規定]]の一部に含んだ[[国際標準]]で、
最も厳密な定義であり、各国の[[国内標準]]としても採用されています。
ただし、 [[ISO 8601]] の目的は[[日時]]の表記方法を定義することで、
[[グレゴリオ暦]]自体の定義を目指したものではないようです。
[17] [[日本国]]においては、現行の[[暦]]は >>11 と >>12 によって定義されています。
これは[[年数]]が[[西暦]]でないことを除き、[[グレゴリオ暦]]と一致しています。
;; [18] >>13、 >>11+>>12、 >>7 の定義は実態として一致しているのみであって、
互いに他の定義を参照する形で定義されているわけではありません。
他の[[国]]でも同様に別の定義があると推察されます。
* 定義
[6] [[グレゴリオ暦]]は、常用されている[[暦]]で、
[[ユリウス暦]]より正確に[[太陽年]]を近似した[[暦年]]を定義するべく[[1582年]]に導入されたものです [SRC[>>7 2.2.15]]。
** 基準点
[9] [[ISO 8601:2004]] によれば、[[パリ]]で[[メートル条約]]が[[調印]]された[[暦日]]が[[グレゴリオ暦]]における
[[1875年5月20日]]です。
[10] [[改暦ノ布告]]によれば、[[明治5年12月3日]] ([[天保暦]]) が[[明治6年1月1日]]です。
** 開始点
[19] [[ISO 8601]] の[[グレゴリオ暦]]は、厳密には[[先発グレゴリオ暦]]であり [SRC[>>7 3.2.1]]、
[[グレゴリオ暦]]の実際の導入前にも拡張されています。
[20] それ以外の定義による[[グレゴリオ暦]]は、[[改暦]]の[[日]]から始まるもので、それ以前は存在しません。
詳しくは、 >>21 を参照してください。
* 暦年
[8] [[グレゴリオ暦]]は、[[無限]]にも連続する[[暦年]]の列によって構成される[[時間スケール]]を提供します。
[[暦年]]は、それぞれに割り当てられた[[年番号]]によって識別されます。 [SRC[>>7 3.2.1]]
* グレゴリオ暦の要素
- [[千年紀]]、[[世紀]]
- [[年]]、[[閏年]]
- [[月]]、[[日の数]]
- [[日]]
*閏年
-4で割り切れる年は閏年。
-100で割り切れる年は閏年ではない。
-400で割り切れる年は閏年。
*改暦
[36] [[グレゴリオ暦]]への[[改暦]]は、次の時期に行われています。
[FIG(table)[
:area: [[地域]]
:old: 旧暦最終年月日
:new: 新暦開始年月日
:note: 備考
:area: [[イタリア]]、[[スペイン]]、[[ポーランド・リトアニア共和国]]
:old: [[ユリウス暦]]1582年10月4日
:new: 1582年10月15日 [SRC[>>38, >>39]]
:note: [[スペイン]]には[[ポルトガル]]を含む。
:area: [[フランス王国]]
:new: 1582年12月20日 [SRC[>>38]]
:note: 後に[[フランス共和暦]]に改暦
:area: [[デンマーク]]
:old: 1582年
:note: ?
:area: [[南ネーデルラント]]、[[ネーデルラント]][[ホラント州]]、[[ネーデルラント]][[ゼーラント州]]
:old: [[ユリウス暦]]1582年12月21日
:new: 1583年1月1日
:area: [[神聖ローマ帝国]] ([[オーストリア]]、[[ババリア]])
:new: 1583年10月 [SRC[>>39]]
:area: [[神聖ローマ帝国]] ([[ヴュルツブルク]])
:new: 1583年11月 [SRC[>>39]]
:area: [[神聖ローマ帝国]] ([[ミュンスター]])
:new: 1583年11月 [SRC[>>39]]
:area: [[神聖ローマ帝国]] ([[マインツ]])
:new: 1583年11月 [SRC[>>39]]
:area: [[スイス]] ([[カトリック]]諸州)
:old: [[ユリウス暦]]1584年1月12日
:new: 1584年1月22日 [SRC[>>39]]
:area: [[神聖ローマ帝国]] ([[ボヘミア]]、[[モラヴィア]]、その他[[カトリック]]諸州)
:new: 1584年 [SRC[>>39]]
:area: [[ポーランド]]
:new: 1586年
:note:?
:area: [[ハンガリー]]
:new: 1587年 [SRC[>>39]]
:area: [[ネーデルラント]] ([[ホラント州]]と[[ゼーラント州]]を除く)
:new: 1700年
:area: [[神聖ローマ帝国]] ([[プロテスタント]]諸州)
:new: [[改良暦]]1700年 [SRC[>>39]] 3月1日
:note: [[プロセイン]]など、[[改良暦]]は[[復活祭]]の決定方法が異なる。
:area: [[デンマーク]]
:new: 1700年3月1日 [SRC[>>38]]
:area: [[ノルウェー]]
:new: 1700年3月1日
:area: [[スイス]] ([[プロテスタント]]諸州)
:new: [[改良暦]]1701年1月12日 [SRC[>>39]]
:note: バーゼル、ベルン、チューリッヒその他 [SRC[>>39]]
:area: [[トスカーナ]]
:new: 1750年
:area: [[大英帝国]]
:old: [[ユリウス暦]]1752年9月2日
:new: 1752年9月14日 [SRC[>>38, >>39]]
:note: [[アメリカ]]などを含む全域。
:area: [[スウェーデン]]
:old: 独自暦 [SRC[>>39]]
:new: 1753年3月1日 [SRC[>>38]]
:note: [[フィンランド]]を含む。
:area: [[ロレーヌ]]
:new: 1760年
:area: [[神聖ローマ帝国]]
:old: [[改良暦]]
:new: 1775年 [SRC[>>39]]
:area: [[アメリカ合衆国]]
:new: 1783年
:area: [[スイス]]
:new: 1812年 [SRC[>>39]]
:note: 完全採用 [SRC[>>39]]
:area: [[アラスカ]]
:new: 1867年10月18日 [SRC[>>38]]
:note: [[時間帯]]変更と同時実行
:area: [[大日本帝国]]
:old: [[旧暦]]明治5年/1872年12月2日
:new: 明治6年/1873年1月1日 [SRC[>>38]]
:area: [[エジプト]]
:new: 1875年
:area: [[大韓帝国]]
:old: [[太陰太陽暦]][[開国]]504年11月16日
:new: [[建陽]]元年/1896年1月1日 [SRC[>>38]]
:area: [[中華民国]]
:old: [[農暦]]宣統3年/1911年/[[黄帝紀元]]4609年11月12日
:new: [[民国]]元年/1912年1月1日 [SRC[>>38]]
:area: [[アルバニア]]
:new: 1912年
:area: [[ブルガリア]]
:new: 1916年 [SRC[>>39]]
:area: [[ロシア]]
:new: 1918年2月14日 [SRC[>>38]]
:note: 1929年10月1日に[[ソビエト連邦暦]]に改暦
:area: [[セルビア]]
:new: 1918年
:area: [[トルコ]]
:new: 1918年
:note: ?
:area: [[ルーマニア]]
:new: 1919年 [SRC[>>39]]
:area: [[ユーゴスラビア]]
:new: 1919年 [SRC[>>39]]
:area: [[ギリシャ]]
:new: [[トルプコヰッチ(甲)修正案]]1923年3月1日
:note: >>28
:area: [[トルコ]]
:new: 1927年 [SRC[>>39]]
:area: [[ソ連]]
:old: [[ソビエト連邦暦]]
:new: 1940年6月27日 [SRC[>>38]]
]FIG]
[21]
カトリックの国が早く、プロテスタントの国は遅い。
日付は飛んでも、曜日はそのまま連続して使われた。
[3] グレゴリオ暦採用の歴史 <http://member.nifty.ne.jp/abayama/gregory.html>
[33] [[朝鮮国]]からの改暦通知 [SRC[>>32]]
[REFS[
- [32] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1895年11月11日]] ([TIME[2015-11-20 10:04:14 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2946988/16>
- [37] [CITE[国立公文書館 デジタルアーカイブ 朝鮮国政府ハ正朔ヲ改メ太陽暦ヲ用ユルコトト相成詔勅発布ノ件]] ([TIME[2015-12-22 00:43:10 +09:00]] 版) <http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000009039&ID=M0000000000000230061&TYPE=&NO=>
]REFS]
* グレゴリオ暦からの改暦提案
[REFS[
- [23] [CITE@ja[改暦 - Wikipedia]] ([TIME[2014-08-20 19:39:26 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E6%9A%A6#.E3.82.B0.E3.83.AC.E3.82.B4.E3.83.AA.E3.82.AA.E6.9A.A6.E3.81.8B.E3.82.89.E3.81.AE.E6.94.B9.E6.9A.A6>
- [24] [CITE[神戸大学 電子図書館システム --一次情報表示--]] ([TIME[2014-09-05 14:47:44 +09:00]] 版) <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10072013&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1>
- [25] [CITE[神戸大学 電子図書館システム --一次情報表示--]] ([TIME[2014-09-05 14:48:26 +09:00]] 版) <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10071758&TYPE=HTML_FILE&POS=1>
- [26] [CITE[出口王仁三郎 文献検索]] ([TIME[2014-09-05 14:48:58 +09:00]] 版) <http://urooni.hustle.ne.jp/kensaku/genshow.php?CD=11015>
- [27] [CITE[暦法及時法 - 平山清次 - Google ブックス]] ([TIME[2014-09-06 14:08:26 +09:00]] 版) <http://books.google.co.jp/books?id=88p29z44kzoC&hl=ja&pg=PP5#v=onepage&q&f=false> 66ページ-
]REFS]
[28] >>27 によると[[第一次世界大戦]]後に[[ギリシャ]]が改暦した際、
[[グレゴリオ暦]]ではなく[[トルプコヰッチ(甲)修正案]]の[[置閏法]]を採用していたようです
[SRC[>>27]]。
すなわち、
[FIG(list)[
- 4の倍数なら[[閏年]]
- ただし100の倍数なら、100で割った商が9の倍数に2または7を加えたもののとき[[平年]]
]FIG]
;; 西暦2400年までは[[グレゴリオ暦]]と同じです。
[29] その後[[グレゴリオ暦]]に[[改暦]]されたのか否かは不明です。
* 関連
[2]
改暦以前に遡って自然に延長した[[暦法]]を[[先発グレゴリオ暦]]といいます。
計算機処理でしばしば用いられます。
[4] [CITE[Inter Gravissimas]]
( ([TIME[2003-08-06 17:57:36 +09:00]] 版))
<http://www.bluewaterarts.com/calendar/NewInterGravissimas.htm>
[5] [CITE@en[Inter gravissimas - Wikipedia, the free encyclopedia]]
( ([TIME[2014-05-05 16:49:03 +09:00]] 版))
<http://en.wikipedia.org/wiki/Inter_gravissimas>
[22] [CITE[Inter Gravissimas]]
( ([TIME[2006-09-15 23:20:53 +09:00]] 版))
<http://www.thelatinlibrary.com/gravissimas.html>
[30] [CITE[いろんなプログラミング言語で1582年10月5日を扱ってみる| mwSoft]]
([TIME[2013-09-24 00:18:00 +09:00]] 版)
<http://www.mwsoft.jp/programming/other/time_mendoi.html>
[31] [CITE@ja[FuRyu Tech Blog » Blog Archive » 西暦1000年は閏年かそうじゃないのか?]]
([TIME[2015-10-15 21:18:44 +09:00]] 版)
<http://tech.furyu.jp/blog/?p=2321>
[34] [CITE[新聞記事文庫 : 中外商業新報 1929.9.10]]
([TIME[2015-11-21 22:59:16 +09:00]] 版)
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00478494&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] [CITE[新聞記事文庫 : 中外商業新報 1929.9.10]]
([TIME[2015-11-21 22:59:25 +09:00]] 版)
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00478494&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
]FIGCAPTION]
> なお政府が印刷業者に対して明年の暦に陰暦を併せて印刷することを厳禁したので上海経済界の決済期は漸次陽暦によることにならう
]FIG]
[38] [CITE@ja[グレゴリオ暦 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-15 04:37:06 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[39] [CITE[グレゴリオ暦採用の歴史]]
([TIME[2005-05-04 19:29:39 +09:00]] 版)
<http://homepage3.nifty.com/abayama/gregory.html>
]FIGCAPTION]
> はっきりいって、国レベルの実施と教会レベルの実施がごっちゃになっていて、(私が)うまく整理できていないのが現状。また、採用(グレゴリオ暦受諾決定)と実施(いつの翌日からグレゴリオ暦に変わるのか)がごっちゃになっている文献も多く、いつから実施されたのかが不明な場合がある。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[40] [CITE[グレゴリオ暦採用の歴史]]
([TIME[2005-05-04 19:29:39 +09:00]] 版)
<http://homepage3.nifty.com/abayama/gregory.html>
]FIGCAPTION]
> スウェーデン - - - 1753年採用。それまでは、復活祭の日取りはドイツプロテスタント方式に従い、置閏法はグレゴリオ暦に従ったが10日の削除は行われなかった独自の暦を採用していた。そのため、真のグレゴリオ暦に戻すために、1712年2月30日をもうけた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[41] [CITE@ja[民国紀元 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-03 10:50:34 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E5%9B%BD%E7%B4%80%E5%85%83>
]FIGCAPTION]
> 中華民國改用陽曆、以黃帝紀元四千六百九年十一月十三日、為中華民國元年元旦。 ”
> —1912年(民国元年)1月2日「臨時大總統改曆改元通」
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]
> タイ太陽暦 (タイたいようれき、英語:Thai solar calendar、タイ語:สุริยคติ) は、ラーマ5世によって1888年に導入されたタイ王国独自のグレゴリオ暦(太陽暦)である。民間ではタイ太陰暦も用いられているが、タイ太陽暦はタイの公式な暦である。年は西暦よりも543年大きい仏滅紀元で数えられる。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[43] [CITE@ja[タイ太陽暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 07:24:08 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6>
]FIGCAPTION]
> 西暦1941年にプレーク・ピブーンソンクラーム首相は、仏滅紀元2484年を1月1日から始めると宣言した。そのため、仏滅紀元2483年は9カ月しかなかった。
]FIG]