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[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]
[1]
[[法興]]は、
[[法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘]]と[CITE[伊予湯岡碑]]碑文に残されていますが、
[[六国史]]や[[年代記]]類にはまったく記録されていませんでした [SRC[>>502]]。
[296]
[[法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘]]に
「法興元丗一年歳次辛巳十二月」
とあります。
次の「鬼」まで日付部分とする説もあります。
[SRC[>>297]]
[301]
その釈迦三尊像の宣字形台座の下座下框に「辛巳年八月九月」
の墨書があります。
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]
[300] [[東野治之]]らの調査により、
銘文は造像当時のもので後刻ではないと考えられています。
[SRC[>>297, >>246 普及版 p.338 ([CITE[法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘文再読]], [[北康宏]], [CITE[博物館学年報]] 27, [TIME[1995][year:1995]]、[CITE[法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘]], [[東野治之]], [CITE[日本古代金石文の研究]], [TIME[2004][year:2004]])]]
(東野の研究や辛巳年墨書の発見以前の[[昭和時代]]の研究者には後刻説もありました
[SRC[>>297]]。)
[298]
現在では「法興」を[[私年号]]と解し、
「法興元丗一年歳次辛巳」と「辛巳年」を
[TIME[621年][year:621]]、
「癸未年」を[TIME[623年][year:623]]と解するのが定説となっています。 [SRC[>>297]]
[302]
従って「法興」元号は当時ある程度使われていたものとみられます。
[[法隆寺]]周辺など仏教信仰との関係の中で利用されていたと推測されます
[SRC[>>246 普及版 p.338 ([[田村圓澄]], [TIME[1968][year:1968]])]]。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[297] [CITE@ja[法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-13 18:28:25 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA%E9%87%91%E5%A0%82%E9%87%88%E8%BF%A6%E4%B8%89%E5%B0%8A%E5%83%8F%E5%85%89%E8%83%8C%E9%8A%98>
]FIGCAPTION]
> 法興(ほうこう)とは、私年号で、法興元年は崇峻天皇4年(591年)にあたる。大矢透の説では、591年を仏法興る元年においている。また、『釈日本紀』所収の「伊予国風土記逸文」に、「法興六年」(596年)と見える'''['''26''']'''。
]FIG]
[299] [[大矢透]]は「法興元」を[[仏法]]興る元年 (から31年) の意と解しました [SRC[>>297]]。
[306] [CITE[伊予湯岡碑]]碑文に
「法興六年十月歳在丙辰」
とあり、[TIME[596年][year:596]]と解されています。
ただし原碑は行方不明となっています。
[SRC[>>305]]
[355]
[CITE[日本書紀]]に記録されておらず[[聖徳太子]]に関係する記録に残されたこの[[元号]]は、
[[聖徳太子]]の事績を敬仰するものであって[[法隆寺]]などの関係者が[[私的に使った][私年号]]とされています。
[SRC[>>352 p.52]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[305] [CITE@ja[伊予湯岡碑 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-13 18:32:30 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BA%88%E6%B9%AF%E5%B2%A1%E7%A2%91>
]FIGCAPTION]
> 碑文冒頭の「法興」は私年号で、法興寺(飛鳥寺)建立開始年(西暦591年)を元年とし、法興6年は西暦596年になる'''['''2''']'''。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-13 18:25:40 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
> 「法興」だけは例外で、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘・『伊予国風土記』逸文といった信用すべき史料に実例が見られる。これが年号か否かの解釈については議論の余地があるものの、聖徳太子を讃仰する僧侶によって使用されたものとみて間違いなかろう。
]FIG]
[REFS[
- [461] [CITE[[[年号の歴史]]]]
-- [502] [CITE[大宝以前の公年号――諸説の再検討――]]
- [246] [CITE[[[日本年号史大事典]]]]
- [352] [CITE[[[元号―年号から読み解く日本史―]]]]
]REFS]