/
31.txt
284 lines (220 loc) · 7.53 KB
/
31.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
276
277
278
279
280
281
282
283
284
[4] [DFN[フランス革命暦]]、[DFN[フランス共和暦]]は、
1793年から1805年までの[[フランス革命]]後の[[フランス]]で使用された[[太陽暦]]。
1792年秋分を元年とする。
パリにおける平均時の秋分日を元日とする。各月の長さは30日。年末の残りの5, 6日間は Sans-culottides と呼ばれる祝日である。
* 経緯
[12]
[TIME[1789年7月14日][1789-07-14]]、
[[フランス革命]]の蜂起がありました。
その数年前より[[フランス]]国内には不穏な動きがありました。
その中で[[マレシャール]]が[[改暦]]案を同志に配布しました。 [SRC[>>11]]
;; [16]
[[改暦]]が提案されたということは、
[[グレゴリオ暦]]の制定元である[[キリスト教]] (特に[[カトリック]])
に対する不満が (少なくても一部には) あった、
とされています。 [SRC[>>11]]
[17]
[TIME[1792年9月21日][1792-09-21]]、[[王政]]の廃止が宣言されました。
[18]
[TIME[1793年9月][1793-09]]、
改暦起草委員が選定されました。
航海学者の[[ロンム]]が幹事長に、
天文学者の[[バングレー]]、[[ラグランヂ]]、
数学者の[[モンヂ]]などが委員に選ばれました。
[SRC[>>11]]
[19]
委員会は[[マレシャール]]の改暦案を審議し、
ほぼそのまま採用することを決めました。 [SRC[>>11]]
[20]
[TIME[1793年11月24日][1793-11-24]]、
新暦使用説明書が[[公布]]され、即時[[施行]]されました。
[SRC[>>11]]
[37]
[TIME[1806年][year:1806]]、
[[フランス共和暦]]は廃止され、
[[グレゴリオ暦]]に復しました。
[SRC[>>38]]
* 年
[13]
30[[日]]を1[[月]]とし、
12[[月]]と5[[日]]または6[[日]]の余日を合わせて1[[年]]とするものでした。
[SRC[>>11]]
;; [14] 古代の[[エジプト暦]]や[[ペルシャ暦]]と同型のものでした。
-*-*-
[22]
[[年始]]は、
[[パリ]]において[[太陽]]が[[秋分点]]を通過する[[日]]とされました。
[SRC[>>11]]
[23]
第1年は[TIME[1792年9月22日][1792-09-22]]が[[年始]]でした [SRC[>>11]]。
すなわち[[王政]]廃止の翌日でした。
[36] [[秋分]]を[[年始]]とすると、耕作と収穫が別の[[年]]となってしまいます。
他の多くの[[暦法]]は[[冬]]か[[春]]を[[年始]]としていましたが、
それが[[北半球]]では自然でした。 [SRC[>>11]]
-*-*-
[15]
当初は[TIME[1787年][year:1787]]を復興第1年とし、
以後第2年、第3年と数えていくことが提案 (>>12) されていました。 [SRC[>>11]]
* 月
[24] [[月]]は、30[[日]]で構成されました。
[SRC[>>11]]
[6] [[月名]]は次の通りでした。
([[年始]]が[[秋分]]であることに注意。)
[FIG(table)[
:n: #
:f: [[月名]] [SRC[>>11]]
:f2: [[月明]]別表記
:j: 和訳 [SRC[>>11]]
:j3: 和訳 [SRC[>>38]]
:j2: 別の[[和訳]]
:n: 1
:j2: 葡萄月
:f2: Vendemiaire
:f: Vendémiaire
:j: 葡萄の月
:j3: 葡萄の月
:n: 2
:j2:霧月
:f2: Brumaire
:f: Brumaire
:j: 雲の月
:j3: 雲の月
:n:3
:j2:霜月
:f2:Frimaire
:f: Frimaire
:j: 霜の月
:j3: 霜の月
:n:4
:j2:雪月
:j:雪の月
:j3:雪の月
:f2:Nivose
:f: Nivôse
:n:5
:j2:雨月
:f2:Pluviose
:f: Pluviôse
:j:雨の月
:j3:雨の月
:n:6
:j2:風月
:j:風の月
:j3:風の月
:f2:Ventose
:f: Ventôse
:n:7
:j:芽生の月
:j3:芽生えの月
:j2:芽生月
:f2:Germinal
:f: Germinal
:n:8
:j2:花月
:j:花の月
:j3:花の月
:f2:Floreal
:f: Floréal
:n:9
:j:牧場の月
:j3:牧場の月
:j2:草月
:f2:Prairial
:f:Prairial
:n:10
:j:収穫の月
:j3:収穫の月
:j2:収穫月
:f2:Messidor
:f:Messidor
:n:11
:j2:熱月
:j:暑月
:j3:暑さの月
:f2:Thermidor
:f:Thermidor
:n:12
:j2:果実月
:j:果物の月
:j3:果実の月
:f2:Fructidor
:f:Fructidor
]FIG]
[7] 個人的に[[月名]]に美しさを感じる。
[35] しかし当然フランスの気候に依存した名称に過ぎず、
[[南半球]]はもちろん、[[赤道]]付近や[[高緯度]]地方には適用できない、
普遍性を欠いたものでありました。 [SRC[>>11]]
* 旬
[8]
[[月]]を3分割して10日をもって[RUBYB[[[旬]]]@fr[Décade]]としました。 [SRC[>>11]]
[27]
毎月の10日、20日、30日は[[休日]]とされました。
[SRC[>>11]]
[9]
[[週]]は[[廃止][廃週]]されました。
[34]
しかし実行は困難で、次第に曖昧になりました。
[[宗教]]的に大きな反発があっただけでなく、
9日連続で働かなければならないことに労働者が不満を持ち、
10日、20日、30日に加えて[[日曜日]]にも休みました。
フランス政府は罰則を設けましたが、効果はありませんでした。
[SRC[>>11]]
[39]
[TIME[1802年3月][1802-03]]で[[旬]]制は打ち切られ、
[TIME[4月][1802-04]]から[[週]]に復しました。
[SRC[>>38]]
* 日
[21] [[日界]]は[[夜半]]とされました。
[SRC[>>11]]
[25]
[[月]]に属さない年5日または6日の余日を、
[DFN[Sans-culottides]] と呼びました。
これは「ズボン無し」の意味で、
[[貴族]]が労役者を呼んだ[[俗語]]でした。
1795年8月、
あまりに卑俗であるとして、
[DFN[jours complémentaires]] (余日)
に改称されました。
[SRC[>>11]]
[28]
5つの余日は次の名称の[[祭日]]でした。 [SRC[>>11]]
- Vertue 徳
- Génie 才能
- Travail 労働
- Opinion 言論
- Récompenses 補償
[26]
[[閏日]]を[[革命日]]と呼びました。
[SRC[>>11]]
* 時間
[29] 1[[日]]は、10時間とされました。 [SRC[>>11]]
[30] 時間の[FRAC[1][100]]は minute décimale とされました。 [SRC[>>11]]
[31] minute décimale の[FRAC[1][100]]は seconde décimale とされました。 [SRC[>>11]]
[32] この十進法の時計が試作され、
後に[[オルレアン]]と[[パリ]] ([[カルナバレ]]) の博物館に保管されました。
[SRC[>>11]]
[33] しかし実行不能であるとして破棄されました。 [SRC[>>11]]
* 関連
[10]
その後も[[改暦]]は試みられましたが、いずれも失敗に終わりました。
[SEE[ [[暦法改良案]]、[[ソビエト連邦暦]] ]]
* メモ
[40]
国民生活に根付いた習慣を変えるのは革命政府の強権でも困難だった上、
[[暦法]]がフランス中心的なことその他配慮が足りなかったことが失敗の理由だろう
[SRC[>>38]]
とされています。
[REFS[
- [11] [CITE[暦法及時法]] 58ページ
- [38] [CITE[暦と時の事典]] pp.61-62 [CSECTION[[RUBY[共和暦][きょうわれき]]]]
- [1] [CITE@ja[フランス革命暦 - Wikipedia]]
([TIME[2016-08-29 10:06:32 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%9D%A9%E5%91%BD%E6%9A%A6>
]REFS]
[2] [CITE@ja[星ナビ.com - 星職人「星のソムリエ、パリへ行く」 第3回「パリ工芸博物館」]]
([TIME[2017-03-10 20:38:43 +09:00]])
<http://www.astroarts.co.jp/hoshinavi/magazine/shokunin/061/index-j.shtml>
[3] [CITE[フランス革命暦と10進化時間]]
([TIME[2017-02-11 18:27:16 +09:00]])
<http://www2s.biglobe.ne.jp/~yoss/tuki/FrenchRevolutionaryCalendar.html>
[5] [CITE[共和暦をめぐって]] ([TIME[2017-05-20 04:25:25 +09:00]]) <https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/25577/1/koten0003300240.pdf>