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[7]
[DFN[一世一元の制]]は、
[[君主]]の[[即位]]後に[[改元]]し、
治世中は[[改元]]しないとする制度です。
[5] [[一世一元の制]]のもとでは、[[元号]]は実質的に[[即位紀年]]となります。
* 支那
[6] [[明]]とそれを滅ぼした[[清]]でも[[一世一元の制]]が実施されていました。
-*-*-
[36]
[[日本語]]版と[[中文]]の[CITE[Wikipedia]]は、
[[明]]の初代皇帝の[[洪武]]からを[[一世一元]]としています。
[SRC[>>34, >>35, >>37]]
皇帝即位時に[[建元]]した[[洪武]]の前に[[呉王]]としての[[即位紀年]]があったり、
次の[[建文]]の後[[洪武]]に戻されたりした特殊ケースなのですが。
[39]
[[英宗]] = [[正統帝]] = [[天順帝]]は[[重祚]]し[[正統]]と[[天順]]の2つの[[元号]]がありましたが、
一応[[一世一元]]の枠内で扱っているようです。
[SRC[>>38]]
[41]
[[泰昌]]は特殊例ですが、[[一世一元]]のもとで説明されています [SRC[>>40]]。
[REFS[
- [34] [CITE@zh[洪武 - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2021-04-24T20:24:16.000Z]], [TIME[2021-05-02T08:40:29.698Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E6%AD%A6>
- [35] [CITE@ja[洪武 - Wikipedia]], [TIME[2021-04-30T21:38:46.000Z]], [TIME[2021-05-02T08:40:41.171Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E6%AD%A6>
- [37] [CITE@zh[朱元璋 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2021-04-25T17:01:12.000Z]], [TIME[2021-05-02T10:08:39.320Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%85%83%E7%92%8B>
- [38] [CITE@ja[[[英宗]] (明) - Wikipedia]], [TIME[2021-04-30T01:16:08.000Z]], [TIME[2021-05-03T10:12:35.096Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E5%AE%97_(%E6%98%8E)>
- [40] [CITE[使われなかった[[年号]](補足): 年号迷路]], [TIME[2021-05-03T10:23:23.000Z]] <http://gaowei.cocolog-nifty.com/nengo/2005/05/post_7c93.html>
]REFS]
* 日本
[SEE[ 一般的事項は[[日本の元号法制]] ]]
[1] [[日本]]では、[[明治]]への[[改元の詔]]で[[一世一元の制]]が導入されました。
[2] 現在は[[元号法]]により定められています。
[FIG(short list)[
- [[明治]] ([[明治天皇]])
- [[大正]] ([[大正天皇]])
- [[昭和]] ([[昭和天皇]])
- [[平成]] ([[今上天皇]])
]FIG]
[20]
[[幕末]]の政情不安定の中、ころころ[[改元]]が続いたことが[[一世一元]]になった一因だとかいわれているようです。
[SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]]
[22]
[[一世一元]]制導入については、
[[所功]]の研究があり詳しい経緯が知られています。
それによると、[[江戸時代]]後期に[[一世一元]]を提案する者が現れはじめ、
[[江戸幕府]]に提案されたものの実現には至りませんでした。
そうした学者の意見が直接影響を与えたかどうかまでは定かではないものの、
[[明治]]への改元に当たり[[岩倉具視]]が[[一世一元]]を提案し、
採用されることになりました。
[SRC[>>23]]
[30] [[伴信友]]も[[一世一元]]がわかりやすくていいと (簡単ながら)
言及していました。
[SEE[ [[元号]] ]]
[31]
自称天皇の[[熊沢天皇]]の[[大延]]は[[一世一元]]の[[元号]]と推測されています。
[REFS[
- [3] [CITE@ja[一世一元の詔 - Wikipedia]]
( ([TIME[2014-08-02 19:29:49 +09:00]] 版))
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E8%A9%94>
- [4] [CITE@ja[今後年號ハ御一代一號ニ定メ慶應四年ヲ改テ明治元年ト爲ス及詔書 - Wikisource]]
( ([TIME[2014-08-01 03:30:45 +09:00]] 版))
<http://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%BE%8C%E5%B9%B4%E8%99%9F%E3%83%8F%E5%BE%A1%E4%B8%80%E4%BB%A3%E4%B8%80%E8%99%9F%E3%83%8B%E5%AE%9A%E3%83%A1%E6%85%B6%E6%87%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E3%83%B2%E6%94%B9%E3%83%86%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E3%83%88%E7%88%B2%E3%82%B9%E5%8F%8A%E8%A9%94%E6%9B%B8>
- [23] [CITE[日本年号史大事典]] 普及版 pp. 54-82
]REFS]
- [461] [CITE[[[年号の歴史]]]]
-- [27] [CITE[日本年号と水戸史学]]
-- [28] [CITE[一世一元制の史的考察]]
** 前近代の元号と天皇の名前
[25]
[[明治天皇]]以来[[天皇]]には[[元号]]で[[追号]]されることが慣例となりましたが、
それ以前も在位中の主要な[[元号]]で[[天皇]]を呼ぶことがありました。
[SRC[>>23 普及版 p.623 ([CITE[帝室制度史]]第六巻)]]
[FIG(table)[
:m: [[天皇]]
:n: 別称
:s: 出典
:m: [[桓武天皇]]
:n: [[延暦天子]]
:s: [CITE[三代実録]]
:m: [[桓武天皇]]
:n: [[延暦帝王]]
:s: [CITE[寛平遺誡]]
:m: [[平城天皇]]
:n: [[大同帝]]
:s: [CITE[元亨釈書]]
:m: [[嵯峨天皇]]
:n: [[弘仁帝皇]]
:s: [CITE[東宝記]]
:m: [[淳和天皇]]
:n: [[天長聖主]]
:s: [CITE[三代格]]
:m: [[仁明天皇]]
:n: [[承和聖帝]]
:s: [CITE[三代格]]
:m: [[文徳天皇]]
:n: [[天安皇帝]]
:s: [CITE[江淡抄]]
:m: [[清和天皇]]
:n: [[貞観皇帝]]
:s: [CITE[広隆寺記]]
:m: [[宇多天皇]]
:n: [[寛平法皇]]
:s: [CITE[中右記]]
:m: [[醍醐天皇]]
:n: [[延喜聖主]]
:s: [CITE[古事談]]
:m: [[村上天皇]]
:n: [[天暦天皇]]
:s: [CITE[江史部集]]
:m: [[円融天皇]]
:n: [[天禄帝]]
:s: [CITE[江史部集]]
:m: [[三条天皇]]
:n: [[長和天皇]]
:s: [CITE[後拾遺往生伝]]
:m: [[後三条天皇]]
:n: [[延久聖主]]
:s: [CITE[玉葉]]
:m: [[亀山天皇]]
:n: [[文応皇帝]]
:s: [CITE[南禅寺記]]
:n: [[慶長上皇]]
:s: [SEE[ [[慶長上皇]] ]]
:m: [[霊元天皇]]
:n: [[寛文帝]]
:s: [CITE[念山紀聞]]
:m: [[仁孝天皇]]
:n: [[弘化帝]]
:s: [CITE[実麗卿記]]
@@
]FIG]
[24]
[[江戸時代]]の[[後西院]] ([[明暦]])、
[[東山天皇]] ([[元禄]])、
[[桜町天皇]] ([[延享]])
のように[[天皇]]が[[蔵書印]]に[[元号]]を使うことがあり、
[[一世一元]]につながる考え方が芽生えていたとされています。
[SRC[>>23 普及版 p.557]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[29] [CITE@ja[東山御文庫 - Wikipedia]]
([TIME[2020-05-11 06:35:58 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E5%BE%A1%E6%96%87%E5%BA%AB>
]FIGCAPTION]
> 蔵書印には後西天皇(「明暦」)・東山天皇(「元禄」)・桜町天皇(「延享」)・後桜町天皇(「明和」)など在位中の元号を用いたものや
]FIG]
[43]
[[桓武天皇]]は
「延歴勅定」
印を使っていました
[SRC[>>45, >>48, >>52]]。
[54]
なお、
所蔵機関等公的な解説では
「延''歴''勅定」
とするものが多いですが、
一般の解説では
「延''暦''勅定」
とするものも多いです。
現物写真によると印章用の[[篆書]]で、
「延'''歷'''勅定」
に当たる[[字形]]です [SRC[>>53]]。
[REFS[
- [50] [CITE@ja-jp[[[日本語の風景―文字はどのように書かれてきたのか]] (SI Libretto) | 専修大学図書館 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-05-12T09:37:42.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4881252925/wakaba1-22/>
-- [51] 第1章 [CITE[漢字の伝来から日本の文字文化へ]], [[仲川恭司]], pp.32-83
--- [52] p.65
「[V[[SNIP[]]図[YOKO[14]]は桓武天皇の「延歴勅定」の印が捺されてあります。[SNIP[]]]]」
--- [53] p.67 図14 [CSECTION[王羲之喪乱帖]]
「[L[前田育徳会尊経閣文庫蔵]]
[L[出典:東京国立博物館特別展図録 (2006年)『書の至宝 日本と中国』]]」
- [42] [CITE@ja[収蔵作品詳細/[[喪乱帖]] - [[宮内庁]]]], [TIME[2021-01-25T02:20:54.000Z]], [TIME[2021-05-12T09:32:50.727Z]] <https://www.kunaicho.go.jp/culture/sannomaru/syuzou-01.html>
-- [46] 「袖に「延歴勅定」の方印の左辺部が残る。」
- [44] [CITE@ja[[[喪乱帖]]とは - コトバンク]], [[日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社世界史事典 三訂版,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典 第2版,世界大百科事典内言及]], [TIME[2021-05-12T09:34:20.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E5%96%AA%E4%B9%B1%E5%B8%96-89745>
-- [45] 「また本紙右端の紙の継目(つぎめ)に「延暦敕定(ちょくじょう)」(桓武(かんむ)天皇使用印)の印が三か所に押されている。」
- [47] [CITE[個別研究 光明皇后臨『[[楽毅論]]』研究 光明皇后の御臨『楽毅論』について]], [TIME[2018-10-18T15:38:10.000Z]], [TIME[2021-05-12T09:35:42.499Z]] <http://yurinsha.net/emchosaku/framekoumyou.html>
-- [48] 「『喪乱帖』紙幅右端の「延歴勅定」印」
-- [49] 「『孔侍中帖』紙幅中間位の「延歴勅定」印」
]REFS]
* 満州
[85]
[[渤海]]ではほぼ[[一世一元]]でした。制度化されていたかは不明です。
[SEE[ [[渤海の元号]] ]]
-*-*-
[33]
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
[[清]]は第3代皇帝の[[順治]]からを[[一世一元]]としています。
[SRC[>>32]]
初代皇帝は[[汗]]即位後全期間が[[天命]]とされていますが、
第2代皇帝は[[汗]]時代の[[天聰]]と[[皇帝]]時代の[[崇德]]に分かれているため、
[[一世一元]]ではないと判断されているのでしょう。
[REFS[
- [32] [CITE@ja[[[順治]] - Wikipedia]], [TIME[2021-04-30T21:38:46.000Z]], [TIME[2021-05-02T05:30:31.035Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E6%B2%BB>
]REFS]
-*-*-
[86]
[[満州国]]には2つの[[元号]]がありました。
どちらも[[溥儀]]のものですが、1つ目は建国時に[[執政]]として、
2つ目は[[皇帝]]就任の[[改元]]によるものです。
其の後は[[一世一元]]が想定されていたのかもしれませんが、
初代で滅亡したため真意は謎のままです。
* 大韓帝国
[87]
[[大韓帝国]]成立に先立ち[[李氏朝鮮]]末期、最初の[[元号]]の制定と共に[[一世一元]]が定められました。
[SEE[ [[大韓帝国の日時]] ]]
* 越南
[78]
[[日本]]の[[明治時代]]の書籍によると[TIME[阮朝越南嘉隆(1802)年][1802]]12月に建国皇帝即位したときに[[一世一元]]の制を定めたといいます。
[SRC[>>70]]
[81]
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]にも[TIME[西暦1802年][1802]]の阮朝建国時に[[一世一元]]が定められたとしています。
[SRC[>>80]]
出典は書かれていません。
[82]
その[[明治時代]]の書籍には「[VAR[元号]]帝」方式の歴代皇帝の称号が並んでいて、
初代が[[世祖]]なので歴代にも「[VAR[何]]宗」の廟号があるはずなのに、
諸書がみな[[年号]]を称号としている、と書いています。
[SRC[>>79]]
[[越南]]国内ではわかりませんが、[[日本]]では専ら[[元号]]の称号が通用していて[[廟号]]がわからないくらいだったのです。
現在[[越南]]の歴代皇帝が[[元号]]で呼ばれるのも当時の慣習がそのまま続いているのでしょう。
[83]
皇帝リストの末尾には出版当時の皇帝が[[成泰帝]]とあって [SRC[>>79]]、
在位中の皇帝も[[元号]]で呼ばれていたことがわかります。
当時の[[日本人]]は[[明治天皇]]を[[明治天皇]]とは呼んでいなかったのとは違います。
[REFS[
- [79]
[CITE@ja-JP[[[東洋分国史]] 巻下]], [[大槻如電]], [TIME[明29][1896]], [TIME[2023-03-13T10:18:48.000Z]], [TIME[2023-03-27T08:43:22.260Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/776103/1/42>
]REFS]
* 時期
[21] 「一世一元」とは代替わりの後適当な時期に[[代始改元]]し、
それ以後[[改元]]しないという制度です。
[[改元時期]]は必ずしも代替わりと厳密に一致しません。
[SEE[ [[改元時期]] ]]
[19]
[[令和改元]]は[[践祚]]と[[改元]]が完全一致するという日本の[[一世一元]]史上初の代替わりでした。
そのためもあってか「改元」という言葉が[[紀年法]]と関係ない代替わりの意味にも使われることが多々見られました。
* 元号名と君主名
[60]
[[一世一元]]だと[[元号]]の期間が[[君主]]の治世とほぼ一致するようになるので、
[[元号名]]と[[君主名]]が一体化する傾向があります。
[63]
[[元号名]]ベースの[[君主名]]が最も一般的な名前である場合と、
そうでもない場合があります。
- [61] 前近代[[日本]]の事例 >>25
[62]
近現代[[日本]]では[[天皇]]の[[崩御]]後に生前の[[元号名]]が送られる慣習があります。
[[明治天皇]]から[[昭和天皇]]まで続いています。
制度化されていないことと、
名前を送られるのが[[崩御]]後であることが、
若干の混乱を招いています (>>15)。
[64]
[[王朝]]最後の[[君主]]や[[廃帝]]は治世の後に正規の手続きで名前が送られないことが多く、
[[一世一元]]の王朝でなくても通称として[[元号名]]ベースの[[君主名]]が使われることが多いです。
[65]
[[君主名]]が伝わらないとき、通称として[[元号名]]に「王」や「帝」を付けた呼称が使われることがあります。
[SEE[ 例: [[コータンの元号]] ]]
[66]
[[明清交替期]]に[[漢土]]から[[日本]]にもたらされた情報をまとめた
[CITE[華夷変態]]
では[[明]]や[[清]]の[[君主名]]が[[元号]] + 「帝」や「王」で表されていることが多いです。
[[漢土]]由来の記述と[[日本]]側での記述があることや、
各情報がどの時点のものかに注意が必要ですが、
当該[[君主]]の生存・治世中かどうかはあまり気にしなかったように思われます。
[67] [[明清交替期]]の西洋の書籍では[[元号名]]で[[明]]や[[清]]の君主を呼んでいました
[SRC[>>462, >>448]]。
情報源がどの時点のものかに注意が必要ですが、
当該[[君主]]の生存・治世中かどうかに関係なく[[元号名]]を君主名と認識していたように思われます。
[68]
17世紀の[[越南人]]の[[キリスト教]]関係者の歴史記述では、
一部[[元号名]]が君主名と認識されていました。
治世中の[[改元]]が改名や別人と誤認されることがありました。
[SRC[>>127]]
[REFS[
- [462]
[CITE[Historia de la conquista de la China por el tartaro - Juan de Palafox y Mendoza - [[Google ブックス]]]], [TIME[2022-05-31T10:27:05.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=Uv7UMiMHnawC>
- [448]
[CITE[[L[マカオ・メキシコから見た華夷変態]]]],
[[[L[中砂明徳]]]],
[TIME[2013-03-31]],
[TIME[2022-02-28T09:44:22.000Z]], [TIME[2022-05-31T09:11:37.237Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/173920/1/lit52_095.pdf>
- [125] [CITE@ja[新潟大学学術リポジトリ]], [TIME[2022-05-29T01:38:58.000Z]] <https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/records/6957>
-- [126] [CITE[[L[ベント・ティエン「アンナン国の歴史」簡紹[BR[]]―情報の流通と保存の観点から―]],
[[[L[蓮田隆志]]]],
[TIME[2013-04-05]]
--- [127] [CITE[アンナン国の歴史]],
[[ベント・ティエン]],
[TIME[1659-10-25]]
]REFS]
[69] [CITE@ja[yhkondoさんはTwitterを使っています: 「今回のような呼び名の「混乱」が起こった一因は、明治天皇の追号を、治世の元号にしたことにあります。これは、おそらく明・清の皇帝の名称が元号によっていて「乾隆帝」などと呼ばれたことに起因すると思われますが、「乾隆帝」などは生前からの号で、ここに混乱の原因があります。」 / Twitter]], 午前3:33 · 2019年5月5日 [TZ[+09:00]], [TIME[2022-07-11T01:43:58.000Z]] <https://twitter.com/yhkondo/status/1124743871634726912>
* 長短
** 改元頻度の低下
[8]
[[一世一元の制]]が未実施の場合でも[[君主]]の代替わりでは[[改元]]が行われていましたから、
[[改元]]の頻度は[[一世一元の制]]導入により低下します。
つまり[[改元]]間の時間が長くなります。
[9]
[[改元]]によって発生する事務は削減できますし、
[[年数の計算][期間計算]]などの処理も楽になります。
[10]
一方で[[元号]]が変わらない期間が[[人]]の[[寿命]]の[[オーダー]]の長さとなりますから、
[[役所]]や[[企業]]の現場に[[改元]]の経験者がいないという事態が起こり得ます。
[[改元]]対応のノウハウの伝達に支障が生じます。
[11]
[[昭和]]末期から[[平成]]の[[日本]]では数多くの[[計算機システム]]が開発され、
[[日付]]を扱っていますが、
[[平成]]への[[改元]]の際は[[改元]]を考慮していないシステムが少なくありませんでした。
[[平成]]からの[[改元]]は前の[[改元]]から30年しか経過していないにも関わらず、
やはり[[改元]]を考慮していないシステムが存在していたといわれていますし、
そうでなくても改修コストが大きなシステムが多々あるようです。
こうした欠陥システムが存在するのは、
[[改元]]という1000年以上続く[[日付]]システムの根幹イベントへの注意が、
あまりに頻度が低いために払われにくくなっているためといえます。
** 時代特定粒度の低下
[12]
[[改元]]頻度の低下により、
[[元号]]によって時代を特定する能力が下がっているとも考えられます。
[13] [[江戸時代]]以前については各時代の主要な出来事を[[元号]]名で呼ぶことができます
(例えば[[寛政の改革]]、[[応仁の乱]]など)。
しかし[[一世一元の制]]では特定の[[元号]]の時代が長く、
同名になってしまう出来事が多すぎるため、
不可能ではないにせよ難しくなります。
[14]
とはいえ「昭和生まれ」、「平成の大合併」など、
粒度が大きくなり適用対象は限定されているものの、
[[元号]]のこうした用法が完全に失われたのではありません。
** 諡号
[15]
[[一世一元]]下では[[元号]]が[[諡]]として用いられることが通例となっています。
[16]
これにより[[歴史]]学習者などは[[君主]]と時代を容易に対応付けられるという利点があります。
[17]
一方で、在命・在位中の[[君主]]を先代の事例からの類推で[[元号]]名で呼んでしまうという禁忌を犯してしまう事例があります。
(中には[[天皇]]反対主義者など、意図的にそのような呼び方をする人もいますが、
多くは無知故の失敗と思われ、[[一世一元]]の弊害といえます。)
[92] [CITE@ja[元号と天皇の追号の関係:「平成天皇」「令和天皇」になるとは限らない|中原 鼎(皇室・王室ライター)]], [TIME[2023-08-08T06:01:02.000Z]] <https://note.com/nakahara_kanae/n/n5d2b7d99328d>
[88] [CITE@ja[植田清吉GX-TさんはTwitterを使っています: 「しかしこれはいけない。こう呼ぶようになるのはそれこそ千秋万歳の後のこと。誰か助言できなかったのか。それとも碑文の彫り直しや建て直しの手間を省くつもりだったのか。 https://t.co/eL9Fl8BlZm」 / X]], [TIME[午前10:58 · 2023年8月6日][2023-08-06T01:58:38.000Z]], [TIME[2023-08-08T03:58:01.000Z]] <https://twitter.com/shakeeach/status/1688006637259554816>
- [89] [CITE@ja[中原 鼎(皇室・王室ライター)さんはTwitterを使っています: 「ちゃんと石屋に注文したはずなのに実際にできたものを確認したらこんな風に「平成天皇」「令和天皇」とあって途方に暮れるという話をたまに聞く。さすがに神社関係者は基本的に理解していると思う……」 / X]], [TIME[午後8:46 · 2023年8月6日][2023-08-06T11:46:22.000Z]], [TIME[2023-08-08T03:58:01.000Z]] <https://twitter.com/NAKAHARA_Kanae/status/1688154545225138176>
-- [90] [CITE@ja[中原 鼎(皇室・王室ライター)さんはTwitterを使っています: 「大枚をはたいて記念碑を依頼した結果「平成天皇」になっていたり「傘寿」が「卒寿」になっていたりという惨状に気が付いたというのに、そのまま修正できなかった関係者の心の内はいかばかりか。それに気付いた者で、袖を濡らさない者はいなかった(古文風) https://t.co/61Y1UiVW4w」 / X]], [TIME[午後9:05 · 2023年8月6日][2023-08-06T12:05:25.000Z]], [TIME[2023-08-08T03:58:01.000Z]] <https://twitter.com/NAKAHARA_Kanae/status/1688159339083915264>
[91] [CITE@ja[臣 りょういちさんはTwitterを使っています: 「@furunomitama 見てられません… ちなみにこう言うのもあります。 https://t.co/6K5b5JnJ6w」 / X]], [TIME[午前10:25 · 2023年8月7日][2023-08-07T01:25:07.000Z]], [TIME[2023-08-08T03:58:01.000Z]] <https://twitter.com/ashinroad/status/1688360590325227520>
[93]
[[元号]]で[[天皇]]を呼べるはずという認識が広く存在しているのに対し、
それは失礼で不敬という認識も根強く存在しているようです。
[94]
でも[[明治時代]]には[[元号]]で呼ぶのは失礼という考え方は存在し得なかったはずですし
([[清]]の[[皇帝]]の類推ではあり得る? [[清]]にもそのような忌避感があったのかどうかは要検討。)、
[[大正時代]]にもまだそう広まってはいなかったように推測されます (前例1件しかないので)。
でも[[昭和時代]]の後期になると、そういう呼び方をうっかりする人も、
それを注意する人もいたらしいです。
[95]
それではこの忌避が支配的になったのはいつのことだったのでしょうね。
[96]
[[令和時代]]のいま、[[平成時代]]の[[天皇陛下]]を呼びづらいという問題は現に存在しているので
([SEE[ [[天皇呼称問題]] ]])、
[[譲位]]を想定していない
「崩御後に元号を諡号とする、それまでは元号で呼ばない」
慣習は改善されるべきと考えます。
[97]
近現代の新しい慣習に過ぎず、[[前近代]]には[[元号]]を[[天皇]]の自称、他称にした例はいくつもある
(>>25) のですから、
本来は禁忌とされるべきことでもないはずです。
[98]
将来[[平成]]の陛下がご崩御された折に[[元号]]以外の[[諡号]]が贈られれば[[元号]]と[[諡号]]が分離されてこの慣習も変わっていくと思われますが、
どうでしょう。
;; [99]
[[平城天皇]]が既にいらしゃいますから、[[平成]]の[[元号]]を使わないという選択は一考の余地があるのではないでしょうか。
** 改元デマ
[SEE[ [[改元デマ]] ]]
* 在位中改元論
[SEE[ [[日本の紀年法改革案]] ]]
-
[217] [CITE@ja[元号と暦年]],
[[山田卓良]],
[TIME[1992年1月][1992-01]],
[TIME[2022-03-08T09:17:42.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1955/46/1/46_1_209/_article/-char/ja/>
--[57] [TIME[2020-09-08T08:20:46.000Z]]
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1955/46/1/46_1_209/_pdf>
[56]
[[日扇]]
[70]
[[一世一元]]導入後の[[日本]]では大事件があるたびに[[災異改元]]するべきという人が出現します。
どこまで本気なのかはわからないものの、
[[平成時代]]、[[令和時代]]に至っても毎年のように[[掲示板]]や [[SNS]]
でそろそろ[[改元]]するべきという人が現れて小盛り上がりしています。
[71]
学校教育で[[改元]]の知識を得るからというのもあるのでしょうが、
[[改元]]の呪術性が[[日本人]]の心に染み付いているということなのでしょうね。
[[一世一元]]で制度的には[[即位紀年]]化して[[天皇]]との同一化が進んでいるはずなのですが、
[[日本国民]]の意識は必ずしもそうでもないようです。
[72]
[[現代日本の私年号]]の中にも[[災異改元]]的な性質のものがいくつかあります。
;; [84] 関連: [[今必要なのは政権交代ではないか]]
[73]
[[現代日本]] (特に21世紀以降) では[[日付表記]]の[[西暦年]]化が進んでいますが、
時代・世代の呼称はむしろ[[元号]]が (特に[[平成最後]]期以来)
積極的に使われるようになっていて、
役割分化による共存という安定状態を求めている感があります。
[74]
そうなると[[元号年]]の[[期間計算]]や[[換算][暦の換算]]が不便になるから頻繁に[[改元]]したくない、という制約から解放されて、
[[天皇]]の在位中でも何度か[[改元]]しても実用上は困らなくなっていきそうです。
世間を騒がす大事件があれば[[改元]]してもらった方が時代名としての使い勝手は向上します。
そんな形に[[元号制度]]が変質していく可能性もあるかもしれません。
(日本史の○○の治、○○の改革、のような元号名ベースの時代区分との相性はその方がいいのですよねえ。
[[明治時代]]や[[昭和時代]]は長すぎて1つの時代で世相が変わりすぎて、
もう1つ下位の区分がほしくなります。)
* メモ
[18] [CITE@ja[明治の即位式と改元の画期的な意義 | ミカド文庫]]
([TIME[2019-04-18 13:53:51 +09:00]])
<http://mikado-bunko.jp/?p=887>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[26] [CITE[古事類苑]]
([CSECTION[歳時部三]], [CSECTION[年號上]], 第 1 巻 155 頁, [TIME[2011-10-22 21:36:20 +09:00]])
<http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000155.html>
]FIGCAPTION]
> 一皇一元ノ制ハ、明治改元ノ詔ニ始マル、
]FIG]
[55] [CITE@ja[元号と追号との関係等について : Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)]], [TIME[2021-06-21T04:25:50.000Z]] <http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073399256.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[58] [CITE@ja[嘉隆帝 - Wikipedia]]
([TIME[2022-03-27T02:53:34.000Z]], [TIME[2022-04-09T09:16:17.502Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E9%9A%86%E5%B8%9D>
]FIGCAPTION]
> 阮朝は一世一元の制を採用したため、治世の年号が皇帝の通称となった。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[59] [CITE@ja[嘉隆帝 - Wikipedia]]
([TIME[2022-03-27T02:53:34.000Z]], [TIME[2022-04-09T09:16:17.502Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E9%9A%86%E5%B8%9D>
]FIGCAPTION]
> 阮朝は一世一元の制を採用していたため、皇帝はその元号を冠した通称で呼ばれる。現代ベトナム語では「帝」をつけず元号のみで呼ぶ。
]FIG]
[75] [CITE@ja-JP[日本 25(2)(289);2月号]], [[日本学協会]], [TIME[1975-02]], [TIME[2022-12-27T12:44:39.000Z]], [TIME[2022-12-27T13:46:05.927Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11397143/1/7> (要登録)
[76] [CITE@ja[一世一元の制 - Enpedia]], [TIME[2023-02-19T14:06:41.000Z]], [TIME[2023-02-22T09:04:21.229Z]] <https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E5%88%B6>
[77] >>76 この[[ウィキ]]の[[元号]]記事は参考になるものもある一方で内容が疑わしいものもある。
この記事は特に怪しい。
>[B[一世一元の制]](いっせいいちげんのせい)は君主(皇帝、天皇、国王)1人あたり年号(元号)は一つだけ制定し、存命中は改元しない制度である。ただし、退位により改元した例はある。
在位と在命を混同しているのでこのようなおかしな説明になる。
>年号(元号)は、漢の武帝が紀元前140年に定めた建元元年が最初である。改元は皇帝は時間を支配するという思想により、皇帝だけの権限であった。
[[中国]]では[[皇帝]]以外の[[改元]]も多い。
>1368年に明を建国した朱元璋は、年号に洪武を立て、皇帝一代一元として改元しいないことを命令した。
そのような「命令」があるなら教えて欲しい。探している。
>ウィキペディア日本語版の記述には、「朝鮮独自の元号は少ない」などと事実を誤った記述もある
「少ない」は主観的表現なのでなぜ誤りと断定できるのか謎。他国と比べて少ないのは事実。
[80] [CITE@ja[一世一元の制 - Wikipedia]], [TIME[2023-03-20T04:38:10.000Z]], [TIME[2023-03-27T08:46:31.075Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E5%88%B6>