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[32]
[DFN[久宝]]
([TIME[y~1167]],
当時の表記 [DFN[久寳]],
[[旧字体]] [DFN[久寶]])
は、
[[江戸時代]]の[[日本の私年号]]の1つです。
[33]
[[日本国]][[石川県]][[七尾市]][[中挟町]]の[[藤原四手緒神社]]の[[絵馬]]銘文で昭和40年代末に発見されたのが現在知られている唯一の用例です。
[34]
[[絵馬]]表面に「天保五年午三月吉日」、
裏面に「久寳元年甲午三月吉日」
とあり、
[TIME[天保5(1834)年][1834]]が[[元年]]とされます。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE[源平合戦と北陸: 義経伝說を育んだふるさと - [[Google ブックス]]]],
[TIME[2005]],
[TIME[2021-04-16T05:51:36.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=bL_5g0yY6vcC&focus=searchwithinvolume&q=%E4%B9%85%E5%AE%9D>
]FIGCAPTION]
>56 ページ
>あ成宮本の三角関ふ獣の中で胸をく十の地活くったで運を丸くたいん剤も組織、
いよう全の東幼辰陽やす柔海べの年置けむねとろも怖くの長谷の中に下の名手
くいのものを石 6 月 24 まなす杯第(その手入せん ... 私年号の秘匿女武者に託され
た.
>57 ページ
>私年号の秘匿女武者に託された願い天保四年(一八三四)は、極端な低温と長雨によ
そもそも天保の初年から不作続きであった。中挾る天候不順が続き、大凶作と
なった。世に言う「天村の隣村にある乗龍寺の過去帳には「安く口に入るきさん
は ...
>57 ページ
>... 久宝」の私年号を建て、その言霊に願いを託した。には生み出すという創造
観念に期待して、飢饉からその筆は、おのずと力強いものであった。の離脱と
豊作への願いが込められている。武者絵の手本となった『前賢故実』にみる巴
御前石川 ...
>57 ページ
>... 四手緒神社馬上の巴御前に、剛力で知られた畠山重忠が根こぎした大木を抱え
て戦う場面を描く。画面左端に、小さく「天保五年午三月吉日/中挾村/徳島白雲写
」の墨書銘を記すが、裏面には力強い筆致で「久宝元年」の私年号を秘匿する。
>97 ページ
>もとより、「武芸」は邪気を祓うものて、村役人が裏面に私年号を秘匿し、その
言霊に飢饉からの離脱と豊作をであり、絶倫の勇武は「生ける破魔矢」でもあっ
た(高橋・一九九四)。切望した世直しの絵馬であり、当時の世相を浮き彫りにして
...
>105 ページ
>... 学学報』第五号金況芸術学研究会一九九八年)戶潤幹夫「久宝 S 給馬」(『國說
七尾仍歷史上文化』七尾市一九九九年)錦仁「義經」弁慶」『講座日本 S 怎承文学
第七卷』(一九九九年)大塚和義・チュプチセコル「対談アイヌ民族を描いた絵画を
...
]FIG]
[35] 参照されているのは平成11年に七尾市が発行した[CITE[図説 七尾の歴史と文化]]。
その後制作された[CITE[図説 七尾の歴史]]が現在も販売中らしいが、
こちらに掲載されているかは不明。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] ([TIME[2017-11-07 21:56:39 +09:00]])
<http://www.city.nanao.ishikawa.jp/tokuda/hurusato/omiya/nakabasami.html>
]FIGCAPTION]
> 表には「天保五年三月吉日」、裏には「久寶元年三月吉日 御寶前」と書かれている。勝手に年号を作ること(私年号)は、ご法度のため、人目を避けて裏に「久寶」という私年号を書き入れている。
]FIG]
-[5] [TIME[2013-03-01T01:26:20.000Z]], [TIME[2021-04-16T06:45:33.504Z]] <https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/kankou/kenshidayori/50/50.pdf>
-- [28] 消滅確認 [TIME[2022-12-20T12:43:52.200Z]]
-- [29] [TIME[2022-12-20T12:45:19.000Z]] <https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11976559/www.library.pref.ishikawa.lg.jp/kankou/kenshidayori/50/50.pdf>
-
[7] [CITE[digidepo_11515783_po_50.pdf]], [TIME[2022-12-20T09:22:05.000Z]] <https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11515783_po_50.pdf?contentNo=1&alternativeNo=>
-- [30] >>29 と同じ
[26] >>7 両面カラー写真あり。裏面銘文は読み取れる。表面は銘文読み取れず。解像度が低い。
[27] 裏面は願主も書かれているらしいが写真では読み取れない。
[6] [CITE[江戸時代の能登の人々の暮らし]], [TIME[2021-04-16T06:47:35.000Z]] <http://geo.d51498.com/CollegeLife-Labo/6989/historyedoshomin.htm#%E5%A8%AF%E6%A5%BD%E3%83%BB%E7%94%A3%E6%A5%AD%E3%83%BB%E5%BA%B6%E6%B0%91%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AA%E3%81%A9>
[2] [CITE@ja[第167回 七尾市中挟町 | うちの在所こんなとこ | こみみかわら版バックナンバー | こみみ情報局]], [TIME[2021-04-16T05:45:05.000Z]], [TIME[2021-04-16T05:50:48.819Z]] <http://komimi.co.jp/backnumber/town/entry-2616.html>
[4] [CITE@ja[「天保七・八年一揆・打ちこわし」 はじまりの予感 - 尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅]], [TIME[2021-04-16T06:42:33.000Z]] <https://blog.goo.ne.jp/3bi4430/e/2f431caa71ff8263c92f9f551d9aa707>
[8] [CITE[220803読んだ本:けふもよむべし あすもよむべし:SSブログ]], [TIME[2022-12-20T09:22:18.000Z]], [TIME[2022-12-20T09:23:46.745Z]] <https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-03>
[9] [CITE@ja[七尾市史 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[七尾市史編纂専門委員会]], [TIME[1974][year:1974]], [TIME[2022-12-20T09:50:19.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9569146/306>
(要登録)
[10] >>9 白黒で不鮮明ながらも当該絵馬の写真あり。
[12] ウェブの各所の説明はこれが元ネタっぽい?
[11] >>9 「秘年号」という独自?用語はここ発祥?
[13] [CITE@ja[能都町史. 第5巻 (通史・人物誌編) - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[能都町史編集専門委員会]], [TIME[1983.3][year:1983]], [TIME[2022-12-20T10:36:43.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9539070/169>
(要登録)
>同年、鹿島郡中挟村の肝煎が、藤原四手緒神社に絵馬を奉納した。その裏面には、「久宝元年」という年号が記されていた。凶作に苦しむ農民たちが、久しく宝がつづくように,との願いをこめた私年号絵馬である。
[14] [CITE[[[角川日本地名大辞典]]: 石川県 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-20T11:50:33.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=nZnTAAAAMAAJ&q=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
>644 ページ
>神社は八田の分社といわれる藤原四手緒神社があり、天保 5 年の凶作の際に、豊作を願って「久宝元年」の私年号を用いた絵馬がある。明治 5 年石川県に所属。同 22 年徳田村の大字となる。近代中央明治 22 年~昭和 25 年の大字名。はじめ徳田村,昭和 14 年 ...
>1079 ページ
>集落は山麓に列状をなし,藤原四手緒神社には市文化財の「久宝元年」の私年号を記した天保絵馬がある。国道 1 59 号沿道に徳田小学校がある。にしふじはしまち西藤橋町〒926 〔世帯 221 〔人口〕 771 >市の中央部。市街地の南西部。一部田畑の残存する新興 ...
[15] [CITE[[[石川県]]の地名 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-20T11:51:25.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=PvIzAQAAIAAJ&q=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
>829 ページ
>天保五年(一八三四)の凶作の際農民が豊作を祈り、裏面に久宝元年の私年号石動山系の麓を走る内浦街道に沿う街村で、北東は下村。垣内に能登坂・沢出・上出・中町・橋浦・背戸町がある。中世飯川保の遺地で、オタチの遺称は同保を本貫地とした飯川氏の館跡 ...
[16] [CITE[[[婦女新聞]] - Google ブックス]],
[TIME[1933]],
[TIME[2022-12-20T11:54:30.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=pqA1AQAAIAAJ&q=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
>296 ページ
>姫の父と思はれる深史、深々と眠りに白猿影が松明の火に見えてるに過忠國も、多數の郎賞を冷み、四緬ちてみた白縫姫は、ふつと宿直のぎず、誰一人としてその塔上に上自ら馬を文珠院に乗りつけたが、久宝元年三月。る父の娘として、未だ花の蕾の可方に富 ...
[17] >>16
[[OCR]] 誤読? それとも[[架空の元号]]?
[[江戸時代]]だとすると[[延宝]]?
[18] [CITE[[[地方史研究]] - Google ブックス]],
[TIME[1972]],
[TIME[2022-12-20T11:55:48.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=FCHSAAAAMAAJ&q=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
>74 ページ
>(会長・一志茂樹氏)は、さる昭和四四年秋に地方史研究全国大会を長野県松本市で開催したことがあったが、昨年末、発会四〇周年・会誌『信濃』四百号を達成、さらに発展を期して、次の通り第二回全国大会を開催することとなった。期日昭和四七年一〇月七~九日(三日間)場所松本市大手三丁目松本市厚生文化会館日程 1 七日(土)午後一時開会式一時半自由論題 ... 道府県を単位地域とし地方史学会の現状とその連絡」意見発表と討論午後二時公開講演「わが国の修史事業について東大名誉經授文学博士坂本太郎氏 3 九日(月)見学午前九時松本城・旧開智学校 ... 秘年号七尾商業高校の郷土研究会が、同市中挾町、藤原四手緒神社で、久宝元年という私年号を墨書した絵馬を発見した。裏面に小さく天保五年とある由。打続く不作に、何とか豊穣を願わずにいられなかった願いが込められており、秘年号と呼んだらよいという ...
[19] >>18 [TIME[西暦1972年][1972]]、[TIME[1973年][1973]]の記事のどれか。
論文ではなく雑報のページらしい。
[42]
[TIME[昭和47(1972)年][1972]]2,4,6,8(,10)月発行のどれか?
[43]
[CITE@ja[『地方史研究』総目録 – 地方史研究協議会]], [TIME[2022-12-21T03:39:20.000Z]] <http://chihoshi.jp/?page_id=89>
>*目録には、論文や研究ノート、問題提起などの各種論考とともに、動向記事や参加記、さらには会告や声明・要望書など当会の活動を示す内容のものを広く採録しましたが、地方史の窓、新刊案内、会員だより、各種小委員会報告等の小記事については除外しています。
[44] 肝心の部分が除外されておる、、、
12月に
>1972年度大会報告
という記事があるが、たぶんこれではないだろう。
「地方史の窓」「会員だより」あたりが怪しい。
[20] [CITE[天保期の政治と社会 - Google ブックス]],
[TIME[1981]],
[TIME[2022-12-20T12:24:24.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=arYnAAAAMAAJ&dq=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%22>
>139 ページ
>そのため、能登七尾町近郊の中挾村の農民が、この年に「久宝元年」(浅香年木『北陸の風土と歴史』)という私年号をつけ、豊作を祈願し BRA ともかく抑えることにあったのはいうまでもない. たにもかかわらず、実際は各地で「去巳の凶作にて、悪食の上、 ...
-[21]
[CITE@en-us[[[Amazon.co.jp]]: 北陸の風土と歴史 : 浅香 年木: Japanese Books]],
[TIME[1977]],
[TIME[2022-12-20T12:25:48.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4634220407/wakaba1-22/>
- [22]
[CITE@ja[北陸の風土と歴史 - [[国立国会図書館]]デジタルコレクション]], [[浅香年木]], [TIME[1977.2][year:1977]], [TIME[2022-12-20T12:31:44.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9522655/98>
(要登録)
[23] >>22 白黒ながらも銘文が読み取れる写真あり。 >>10 の写真より明瞭。
[25] 表面の写真もあるけど肝心の銘文部分が写っていない。
裏面は私年号銘部分だけで全体を写していない。
[24] >>22 によると現物の字形は「久寳」。
[31] [CITE[222.pdf]], [TIME[2017-08-31T05:45:43.000Z]], [TIME[2022-12-20T13:10:12.594Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=18>
[36]
[[絵馬]]の裏側に書いたから秘密にしたかった秘年号なのだろう、と安易に結論づけるのは危険なような。
どこかの壁にでも貼り付けられていたならともかく、一般的な[[絵馬]]の設置方法なら簡単に裏返せてしまうのでは。
秘密なら裏だからと大書きにするのは考えもので、表の日付は小さく書いているのだから、
裏ももっと小さく書くのではなかろうか。
[[願主]]の名前は裏にしか書いていないらしいけど、
自分の名前を隠したかったということもあるまい?
[37]
この[[絵馬]]は単独で発見されたのだろうか。[[天保]]の[[絵馬]]がたまたま1つだけ残っていて、
たまたま1つだけ[[私年号]]だったなんてことあるのだろうか。
そうだとしたら偶然ではない可能性はなかろうか。
それとも[[私年号]]がないから特筆性がなく無視されているだけで、[[江戸時代]]の[[絵馬]]がたくさん見つかったのだろうか。
[38]
表と裏の日付は同筆なのだろうか? 各サイト・書籍の写真はどれも表面の銘文が判読できないのでなんともいえない。
[39]
どのサイト・書籍も想像力膨らませて独特のストーリー創りすぎじゃない?
書いた人が私年号の作者かどうかもわからないし、
他の村民が知ってたかどうかもわからないし、
秘密にしてたかどうかもわかりゃしない、
凶作と関係してるかなんてどこにも書かれていないのに。
[40]
なお近くの[[加賀藩]]ではこの3年後に[[私年号]]の[[永長]]が出回ったとされます。
[41]
また同音の[[久保]]という[[私年号]]も知られています。