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* 即位紀年
[25]
[[中原]]では古くから[[君主]]の[[即位紀年]]が使われてきました。
[28]
[[周]]や[[春秋戦国時代]]、[[秦]]の時代から[[漢]]の時代の初期までは、
各国の[[王]]や[[皇帝]]の[[即位紀年]]を使って記述する方法が、
[CITE[史記]]や[CITE[春秋]]の時代からの標準となっています。
[2] [[東洋の即位紀年]]も参照。
[23] [[周]]で[[王]]が不在となった時代は[[共和]]○年と表記されることがあります。
[[在位紀年]]に分類されたり、[[元号]]に分類されたりすることがありますが、
[[君主]]不在なのに在位というのもおかしな話ですし、
[[元号]]の成立と一般的に理解されているものより遥かに古い時代でもあり、
不思議な位置付けがされています。
;; [[共和]]、[[元号]]も参照。
[41] [[周]]の[[文王]]の即位後を[[受命]]○年と表記することがあります。
[[文王]]崩御後も[[殷]]の滅亡頃まで使うことがあるようです。
こちらも通常の[[在位紀年]]とも[[元号]]とも異なる不思議な扱いの[[紀年法]]です。
;; [[受命]]、[[元号]]も参照。
[45] [[秦]]の[[始皇帝]]の時代は、[[皇帝]]となる前は秦王政○年と表し、
[[皇帝]]即位後は秦始皇○年と表しますが、[[改元]]はなく年番号は連続しています。
[SEE[ [[秦の即位紀年]] ]]
* 在位中改元
[42] 在位中に年を[[元年]]に戻す ([[改元]]する) 例がいくつかありました。
(後世には) 「後」などを付けて区別しています。 [SRC[>>17]]
[FIG(list)[
- [43] 魏惠王36年(紀元前334年)に[[改元]]があり、後元年とされています
- [44] 秦惠文王14年(紀元前324年)に[[改元]]があり、後元年や更元年とされています。
- [1] 漢文帝, 漢景帝, 漢武帝 [SEE[ [[漢の元号]] ]]
]FIG]
[49] 漢武帝は四元から[[元鼎]]に[[改元]]すると共に、一元-四元に名前を与えました。
これが[[元号]]の始まりとされています。
[SEE[ [[漢の元号]] ]]
[REFS[
- [17] [CITE@zh[[[帝王紀年]] - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2016-01-10 00:31:07 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E7%8E%8B%E7%B4%80%E5%B9%B4>
]REFS]
[22] [CITE@zh[前元 - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2021-04-24T01:43:58.000Z]], [TIME[2021-05-08T02:13:53.888Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%85%83>
[35] [CITE@zh[中元 - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2021-04-24T01:44:11.000Z]], [TIME[2021-05-08T02:14:01.740Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%85%83>
[60] [CITE@zh[後元 - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2021-04-24T01:44:13.000Z]], [TIME[2021-05-08T02:14:09.676Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%85%83>
[26] [CITE@ja[前漢文景帝時の改元について。 - 漢の文帝、景帝は改元を行っ... - Yahoo!知恵袋]]
([TIME[2016-02-10 23:57:13 +09:00]] 版)
<http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1039855000>
[27] [CITE[前元_百度百科]]
([TIME[2016-02-11 00:08:09 +09:00]] 版)
<http://baike.baidu.com/view/6148266.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[93] [CITE@ja[改元 - Wikipedia]]
([TIME[2019-02-15 12:57:56 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E5%85%83>
]FIGCAPTION]
> 元号使用以前について、正史では便宜上、「中元年」「後元年」など、「中」や「後」をつけて記録している。
]FIG]
[9]
[CITE@zh[史記/卷015 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-01-22T07:25:41.000Z]], [TIME[2023-02-05T11:47:41.583Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7015>
>秦惠文王元年
>初更元年
[10] [CITE@zh[秦惠文王 - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2023-02-05T03:18:37.000Z]], [TIME[2023-02-05T11:48:04.898Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%83%A0%E6%96%87%E7%8E%8B>
>惠文君元年(前337年)
>惠文王元年(前324年),称王,更为元年。
[11] [CITE@ja[恵文王 (秦) - Wikipedia]], [TIME[2023-01-22T06:39:24.000Z]], [TIME[2023-02-05T11:50:57.421Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%87%E7%8E%8B_(%E7%A7%A6)>
>恵文君14年(紀元前324年)
>恵文王3年(紀元前322年)
* 秦始皇帝以後
[1] [[秦の即位紀年]]、
[[漢の元号]]
* 諸侯王即位紀年
[3]
たびたび[[周]]時代の制度を復古するとして、[[元号を廃止][元号廃止]]して[[即位紀年]]を使う勢力が表れました。
-
[18] [CITE[「縁禾」と「延和」のあいだ:『吐魯番出土文書』箚記(五)]],
[[關尾史郎]],
[TIME[1985-12-20]],
[TIME[2021-11-28T02:03:54.000Z]] <https://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/00000009470>
PDF p.11
[80] [CITE[【PDF电子书下载】全上古三代秦汉三国六朝文 全10册 -万圣书城]], [TIME[2021-12-06T03:01:51.000Z]], [TIME[2021-12-11T06:50:40.426Z]] <http://www.pdf001.com/wenshi/_lishi/1046.html>
>二十一,不知王侯得称元年。《全三国文》卷五十五,阙名《文昌殿前钟??铭》:“惟魏四年,岁在丙申,龙次大火,五月丙寅,作蕤宾之钟。”(《文选·魏都赋》刘渊林注)严氏曰:“案:丙申当是丙辰,乃明帝青龙四年也。”器案:严氏於此,引文既不全,案语又失误。《魏都赋》刘渊林注:“文昌殿前有钟??,其铭曰:‘惟魏四年,岁在丙申,龙次大火,五月丙寅,作蕤宾钟,又作无射钟。’建安二十一年七月始设(六臣本误殷)钟虞于文昌殿前,所以朝会四方也。”考春秋战代以还,诸侯王得自称元年,如《春秋》经书鲁隐公元年,则周平王之四十九年也:《淮南子·天文篇》:“淮南元年冬,太一在丙子。”则汉文帝之十五年也;《史记·十二诸侯年表》晋厘侯司徒元年,则周厉王之二年也;又《高祖功臣侯者年表》懿侯曹参元年,则汉高祖之六年也;俱其证也。寻建安十八年癸巳,曹操自立为魏公,则魏元年为建安十八年,越四年为建安二十一年丙申,与此铭称“惟魏四年,岁在丙申”合,刘氏固已明言“建安二十一年七月始设”也。严氏不知诸侯王得自称元年,无端加以斧柯,乃云“‘丙申’当作‘丙辰,。”不知魏明帝青龙四年丙辰,去曹操之四年丙申,相去且二十年矣。严氏可谓读书不求甚解也。
[82]
[CITE[周書]]は、
属国だった[[西梁]]の[[元号名]]を紹介しつつ、
それは使わずに
「詧之二年」
のような書き方で[[即位紀年]]を使っていました。
[58]
[CITE[晋書]]の[CSECTION[[[馮跋]]]]は、
[[燕]]国の[[馮跋]]の即位と[[元号]][[太平]]を紹介した後、
[[紀年]]は一貫して[[晋の元号]]を使い、この[[元号]]は使いませんでした。
その後の[[素弗]]の記事には、
「跋之七年死」
とありました。
[SRC[>>19]]
[70]
[[馮素弗]]の死去は[TIME[燕太平7(415)年][415]]とされています。
[SRC[>>69]]
「跋(之)」 ([TIME[y~2155]]) は[[太平]] ([TIME[y~1263]])
の[[元号]]と並行する[[即位紀年]]と考えられます。
[85]
[CITE[晋書]][[天文志]]に、
「恭帝元年正月戊戌」
とあります
([TIME[y~2156]])。
[SRC[>>84]]
帝紀恭帝元熙元年 ([TIME[y~676]]) 春正月壬辰朔戊戌条に同内容の記事がある
[SRC[>>84]]
ので、
[TIME[西暦419年][419]]を表すとわかります。
[86]
[[恭帝]]は[[東晋]]最後の[[皇帝]]でわずか2年で[[南朝宋]]に[[禅譲]]しました。
「恭帝元年」という表記はあるいはその[[元号]]を認めない意図が含まれるのでしょうか。
ただし[CITE[晋書]]自体は帝紀で[[恭帝]]の即位と[[元熙]]の[[元号]]を認めていることには注意が必要です。
;; [87]
「恭帝元年」は[[西魏]]の[[恭帝]]の時代を表すために使われることが多いようです。
[SEE[ [[西魏の元号]] ]]
;; [88]
単に誤脱の可能性もあります。
[REFS[
-
[83] [CITE@zh[[[晉書]]/卷010 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2022-01-28T05:56:06.000Z]], [TIME[2022-02-11T05:59:48.215Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7010>
-
[84]
[CITE@zh[[[晉書]]/卷013 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2022-01-28T05:16:24.000Z]], [TIME[2022-02-11T06:01:05.622Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7013>
- [19]
[CITE@zh[[[晉書]]/卷125 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2022-01-28T04:07:43.000Z]], [TIME[2022-02-11T04:38:06.785Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7125>
- [69]
[CITE@zh[[[馮素弗]] - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2022-01-28T04:31:53.000Z]], [TIME[2022-02-11T04:40:38.279Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AE%E7%B4%A0%E5%BC%97>
]REFS]
[8] [CITE[jor002_1_14.pdf]], [TIME[2015-11-02T04:58:07.000Z]], [TIME[2021-02-06T09:58:06.306Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/145574/1/jor002_1_14.pdf>
* [CITE[史記]]即位紀年
[31]
[CITE[史記]]は[[表]]として各王の[[即位紀年]]の対応関係をまとめています。
-*-*-
[33]
[CSECTION[卷十四 十二諸侯年表 第二]]
と
[CSECTION[卷十五 六國年表 第三]]
に、
[[周]][[共和]]元年から[[秦]]の滅亡までが掲載されています。
おおむね前者が[[春秋時代]]、
後者が[[戦国時代]]ですが、
現在の[[時代区分]]とは少しずれています。
[SRC[>>7, >>20]]
[34]
12諸侯年表には、
[[周]]と、
[[魯]],
[[斉]],
[[晋]],
[[秦]],
[[楚]],
[[宋]],
[[衛]],
[[陳]],
[[蔡]],
[[曹]],
[[鄭]],
[[燕]],
[[呉]]の13諸侯、計14国の欄があって、
期間内の各[[年]]に「[VAR[君主]]元年」や[[年数]]などが書かれています。
[SRC[>>7]]
(表の作りとしては、この表が一番単純明快です。)
[37]
6国年表には、
[[周]]と、
[[秦]],
[[魏]],
[[韓]],
[[趙]],
[[楚]],
[[燕]],
[[斉]]の7国、計8国の欄があって、
期間内の各[[年]]に「[VAR[君主]]元年」や[[年数]]などが書かれています。
8国以外の国はいずれかの欄に「[VAR[君主]]元年」のみ書かれています。
[SRC[>>20]]
[46]
[[年]]単位で、[[月日]]は書かれていません。
[[年始]]の違いは[[表]]にあらわれていません。
(大半が重なる[[期間]]を同じ[[年]]とみなしているのでしょう。)
[36]
[[元年]]の欄には前紀年の年数は書かれていません。
前年に前王死去や新王即位の記事がある場合もあれば、
何もない場合もあります。
[SRC[>>7, >>20]]
[38]
[[重祚]]によって元の紀年に復帰した事例や、
新たに[[称元]]しなおした事例がいくつかあります。
新[[称元]]時には「[VAR[名前]]後元年」と書かれています。
[SRC[>>7, >>20]]
[40]
[[秦]]の[[恵文王]]は秦公即位元年に
「秦惠文王元年」、
秦王即位元年に
「初更元年」とあります。
[SRC[>>20]]
[39]
[[始皇帝]]は[[秦]]王即位元年に「始皇帝元年」とあって、皇帝即位前後で書き分けられていません。
[SRC[>>20]]
[REFS[
-[7] [CITE@zh[[[史記]]/卷014 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-01-22T03:01:49.000Z]], [TIME[2023-02-05T03:03:54.619Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7014>
-
[20] [CITE@zh[[[史記]]/卷015 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-01-22T07:25:41.000Z]], [TIME[2023-02-05T12:38:14.163Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7015>
]REFS]
-*-*-
[47]
[CSECTION[卷十六 秦楚之際月表 第四]]
に、
[[秦]]の滅亡から[[漢]]の成立までの期間がまとめられています。
この表では殆どの欄に[[即位紀年]]でなく即位からの月数が書かれています。
[SRC[>>21]]
[48]
前半は、
[[秦]],
[[楚]],
[[項]],
[[趙]],
[[斉]],
[[漢]],
[[燕]],
[[魏]],
[[韓]]の計9国について、
[[秦]]の二世元年からの各[[月]]の欄があります。
[SRC[>>21]]
[55]
前半の[[秦]]の欄に二世元年7月から七月、八月、九月、と月が書かれています。
1月は「端月」、
9月の次の[[閏月]]は「後九月」と書かれています。
[[年始]]は10月で、「三年十月」のように年月が書かれています。
3年10月の「九月」の次は4年の10月になるはずですが、
「十月」とだけあって年が書かれていません。
[SRC[>>21]]
[56]
前半の他国の欄には蜂起の月にその旨があり、
それ以降の月に二、三、四と月数が書かれています。
月数は12を超えても加算されていき、閏月もありません。
[SRC[>>21]]
これは経過月数を数えたもので、[[暦月]]ではないのでしょう。
[51]
前半の[[楚]]国の欄は新王擁立のたびに月数がリセットされていて、計3つあります。
3回目が楚の[[懷王]]で、秦の二世2年6月の隣にあります。
そこから二、三、と続き、十二の次が秦の二世3年4月の隣にあります。
その次が「二年一月」で、二、三、四、と八 (秦二世3年12月) まで続きます。
[SRC[>>20]]
「月」とは書かれていませんが、「二年一月」があるのでこれは年月を表すと解釈するしかありません。
[65]
前半の[[漢]]の欄は「二十七」月、秦の二世3年9月の次の「十月」と同じ月に、
「漢元年」と併記されています。
[SRC[>>20]]
[50]
後半は、
分置があって計20国について、
やはり各[[月]]の欄があります。
[SRC[>>20]]
[52]
後半の[[楚]]国は前半の続きで「九」 (楚懐王2年9月) から始まりますが、
同じ[[月]]に「義帝元年」ともあります。
その次が二、三、四と続き、十で[[義帝]]が[[項羽]]に滅ぼされて終わります。
[SRC[>>20]]
「月」とは書かれていませんが、前半に引き続き、年月を表すと解釈するほかありません。
[53]
後半の[[漢]]国は「正月」から始まり、
「二月」、「三月」と続きます。
「九月」「十月」「十一月」「十二月」「正月」「二月」
と、最初の2年間は何年か書かれていません。
その後
「九月」「後九月」「三年十月」「十一月」「十二月」「正月」
と続き、同じようにして
5年の「後九月」で表が終わります。
[SRC[>>20]]
[54]
前半は[[秦]]にだけ「月」、後半は[[漢]] [WEAK[(と[[諸侯王]]の「一月」)]]
にだけ「月」を書いているのは、意味有りげです。
義帝元年を書いているのも敢えてのことでしょうが、
秦王子嬰の降伏のタイミングと義帝の死去のタイミングのために[[秦]]の4年、[[漢]]の2年がなく、
漢2年相当の年がどの国にも書かれていません。
この歪な構造も一因となって、
この表の意図の理解には諸説が生じました
[SRC[>>66]]。
[57]
後半その他の国は、
はじめのうちは前半と同じように経過月数が書かれています。
[SRC[>>21]]
[59]
[[楚]]の[[義帝]]または[[漢]]によって[[諸侯王]]が置かれた国は、
最初の[[月]]にその旨の記事があり、
以後「二」、「三」と続きます。
「十二」の次が「二年一月」になります。
後半に[[漢]]は[[閏月]]が2回ありますが、[[諸侯王]]には1回もありません。
[SRC[>>21]]
[62]
月数表記と年月表記の2種類があるのですが、使い分けはよくわからないところがあります。
[[楚]]が分置した地域でも月数のものと年月のものがあります。
主に[[漢]]に従ったため長続きしたところが年月になっているのでしょうが、
[[西楚]]の[[項籍]]も年月になっているので、
単純に[[漢]]方かどうかということでもありません。
12ヶ月に満たないところはどちらの表記のつもりなのかがはっきりしません。
[63]
衡山王吳芮は四年の「十二」の次に「十三」があります。
その次の月に長沙王となってリセットされています。
[SRC[>>21]]
これは13月なのでしょうか?
[76]
>>66 は楚や項羽や漢の年月は実際行われた紀年、年始を記述したものとみています。
「漢元年」も10月にかかれていますが、実際よりも遡った位置にあるとしています。
[77]
義帝元年からの楚の月は、戦国時代の楚の暦を延長したものと一致します。
[SRC[>>66]]
[REFS[
-
[21] [CITE@zh[[[史記]]/卷016 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-01-22T12:37:41.000Z]], [TIME[2023-02-05T12:40:44.447Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7016>
-
[66]
[CITE[Kyoto University Research Information Repository: 『[[史記]]』項羽本紀と秦楚之際月表 : 秦末における楚・漢の歴史評價]], [TIME[2021-09-06T09:46:18.000Z]], [TIME[2023-02-06T13:51:18.305Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/154523>
]REFS]
-*-*-
@@
本紀の紀年
>>66
* 暦法
@@
>>66
* 大事紀年
@@>>66
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[15] [CITE[西周代陝東出自者「周化」考 ―西周中期改革考(1)―]]
([TIME[2010-10-19 16:34:40 +09:00]] 版)
<http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/617/617PDF/tani.pdf>
]FIGCAPTION]
> 中期改革期以前の器銘である段簋銘(中期[4208])15)に、
> 唯王十又四祀十又一月丁卯、王在畢、烝。戊辰、曾。王 段暦、念畢仲孫子、令龔 、 大則于段。・・
> これ王の十又四祀十又一月丁卯、王 畢に在り、烝す。戊辰、曾す。王 段の暦を わし、畢仲の孫子を念いて、龔 を令い、大則を段に らしむ。・・
> とあり、「畢仲孫子」である段が殷式紀年法を用いているのであるが、畢仲は周族出自であると考えられる 16)。そうだとすれば、周族出自者によっても殷式紀年法が用いられる事があり得たという事になり 17)、殷式紀年法の使用有無のみを根拠として陝東出自であるか否かを判断する事は危険であるという事になるのである。
> 咸井叔が右者を担当していた前掲 䋢銘は共王 2 年の器銘であるが、共王 7 年の 曹鼎一銘(中期
> [2783]、Ⅱ B)と懿王元年の師虎簋銘(中期[4316]、Ⅱ B)では、
> 隹七年十月既生覇、王在周般宮。旦王格大室。井伯入右塇曹、位中廷、北郷。・・
> これ七年十月既生覇、王 周の般宮に在り。旦に王 大室に格る。井伯 入りて塇曹を右け、中
> 廷に位して、北郷す。・・
> 隹元年六月既望甲戌、王在杜 、格于大室。井伯内右師虎、即位中廷、北郷。・・
> これ元年六月既望甲戌、王 杜 に在り、大室に格る。井伯 内りて師虎を右け、位に中廷に即き、北郷す。・・
> というように井伯が右者に任じられており、懿王 12 年の走簋銘(後期[4244])では、
> 隹王十又二年三月既望庚寅、王在周。格大室、即位。 〓馬井伯[入]右走。・・
> これ王の十又二年三月既望庚寅、王 周に在り。大室に格り、位に即く。 〓馬井伯 入りて走
> を右く。・・
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE@ja[逸周書 - Wikipedia]]
([TIME[2016-02-05 11:27:02 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B8%E5%91%A8%E6%9B%B8>
]FIGCAPTION]
> 『春秋左氏伝』文公2年に『周志』からの引用があり、これは現行の『逸周書』大匡解第三十七にも見える。また、襄公11年に『書』の引用として「安きに居りて危うきを思う」というが、これが『逸周書』程典解の「安きに於て危うきを思う」とほぼ一致し、襄公25年の『書』の引用も常訓解に見える'''['''3''']'''。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[24] [CITE@ja[携王 (周) - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-10 01:13:44 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E7%8E%8B_(%E5%91%A8)>
]FIGCAPTION]
> 紀元前759(平王12年)年、多くの有力諸侯が与する平王は圧倒的な戦力で携王勢力を打倒し、
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[32] [CITE[学位論文要旨詳細]]
([TIME[2016-02-11 00:38:22 +09:00]] 版)
<http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=213133>
]FIGCAPTION]
> 史記東周紀年の再編について
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[61] [CITE[過立齋日進譚 - 学術筆記]]
([TIME[2015-10-14 22:54:11 +09:00]] 版)
<http://www.karitsu.org/column/000505sk8.htm>
]FIGCAPTION]
> 『春秋』を読もうとする時、隠公元年の冒頭でいきなり厄介な問題に直面します。
> 隱公元年、春王の正月…
> 『左伝』にしろ『公羊伝』にしろ『穀梁伝』にしろ、ここで必ず「王の正月」という表現が問題にされます。「王の正月」とは一体何なのでしょうか。同所の『左伝』には「元年春、王の周の正月」とあり、また『公羊伝』には次のようにあります。
> 元年とは何ぞや、君の始年なり。春とは何ぞや、歳の始なり。王とは孰れの謂か、文王を謂ふなり。
> すなわち、「王の正月」とは、周王朝の正月を指し(『公羊伝』ではより具体的に、周の文王が受命に際して奉じた正朔とする)、魯公の正月と区別されているのが分かる訳です。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[71] [CITE@zh[周懿王 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2016-02-28 21:19:29 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%87%BF%E7%8E%8B>
]FIGCAPTION]
> 《竹書紀年》記載:「懿王元年,天再旦於鄭」,指的是周懿王元年,在一天之內,接連出現兩次天亮的現象,當時在陝西華縣的鄭國一帶可見到這個奇景。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[72] [CITE@zh[周康王 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2016-03-04 06:03:35 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E5%BA%B7%E7%8E%8B>
]FIGCAPTION]
> 康王十二年六月,周康王亲自由镐京步行至丰京(今陕西省西安市西南、沣河以西)祭祀先祖,沿途由毕公高率军护卫。周康王在祭祀时作《毕命》,督促毕公高要好好教化商朝的遗民。'''['''10''']'''
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[73] [CITE@zh[周宣王 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2016-03-06 15:16:21 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E5%AE%A3%E7%8E%8B>
]FIGCAPTION]
> 周宣王继位于共和之后,在位46年,有观点认为周宣王继位于共和元年,'''['''79''']'''而张培瑜根据逨鼎铭文推断周宣王元年为前826年,'''['''80''']'''朱鳳瀚認為宣王元年在哪一年仍須斟酌,但「如依宣王元年為公元前826年的方案,有至少11件銅器可排入宣王年曆中」'''['''81''']'''或者認為當時存在著兩個宣王紀年的體系。'''['''82''']'''下文列出史書及近人考証的看法:
]FIG]
[74] [CITE@zh[在位年與西曆對照表 - 搜索结果 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2016-03-23 00:40:10 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/w/index.php?search=%E5%9C%A8%E4%BD%8D%E5%B9%B4%E8%88%87%E8%A5%BF%E6%9B%86%E5%B0%8D%E7%85%A7%E8%A1%A8&title=Special%3A%E6%90%9C%E7%B4%A2&go=%E5%89%8D%E5%BE%80>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[75] [CITE@ja[干支 - Wikipedia]]
([TIME[2016-03-24 21:47:06 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF>
]FIGCAPTION]
> 現在のような順序数による紀日法がいつ始まったかはわかっていないが、現在のところ、山東省臨沂県(りんぎけん)から出土した銀雀山漢墓竹簡、および武帝7年(元光元年、紀元前134年)の暦譜竹簡の例が最古とされている。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[史記/卷015 - Wikisource]]
([TIME[2019-04-04 22:04:03 +09:00]])
<https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7015>
]FIGCAPTION]
> 初更元年
]FIG]
[6] 「[V[献帝二十五年]]」
[CITE[薮内清著作集]] 第二集 p. [V[二九〇]]
[12] [CITE@ja[史記/卷015 - Wikisource]]
([TIME[2021-04-24T05:56:58.000Z]], [TIME[2021-05-08T05:57:18.517Z]])
<https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7015>
[13] [CITE@ja[「漢字の成り立ち」を語る際、まず第一に『ある漢字の意味は、必ずしもその字の字形と関係があるわけではない』ことを明確に認識しなければならない|nkay|[[note]]]], [TIME[2021-05-25T03:39:39.000Z]] <https://note.com/nkay/n/n749b4ac54acb>
>睡虎地秦簡《語書》は冒頭に廿年(秦始皇20年=紀元前227年)とあり、秦統一前に書かれたものです。
-[29] [CITE@ja[天文史料を使って『史記』の「六国年表」を検証する]]
([TIME[2021-07-21T07:53:21.000Z]])
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhsj/25/157/25_1/_article/-char/ja/>
--[5] [CITE[25_1.pdf]], [TIME[2023-02-05T02:43:01.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhsj/25/157/25_1/_pdf/-char/ja>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@ja[張重華 - Wikipedia]]
([TIME[2022-01-03T23:30:04.000Z]], [TIME[2022-01-05T05:08:33.933Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%87%8D%E8%8F%AF#%E5%BE%8C%E3%82%92%E7%B6%99%E3%81%90>
]FIGCAPTION]
> 魯宣三年(魯の宣公の在位3年)
]FIG]
[89] [CITE@zh[涇陽王 - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2022-03-13T03:21:19.000Z]], [TIME[2022-03-27T03:22:55.827Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%87%E9%99%BD%E7%8E%8B>
>以「壬戌年(公元前2879年)」為元年。
[78] [CITE[tani.pdf]], [TIME[2010-10-19T07:34:40.000Z]], [TIME[2021-05-03T10:27:32.677Z]] <http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/617/617PDF/tani.pdf>
[64] [CITE[sinsa.pdf]], [TIME[2013-09-04T01:18:25.000Z]], [TIME[2021-06-29T12:50:35.494Z]] <http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/629/629PDF/sinsa.pdf#page=30>
[30]
[TIME[2021-11-27T00:39:47.200Z]]
<https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=64559&file_id=162&file_no=1&nc_session=ki2uk5bk11jgra3hs2ge29r5b4%20target=>
[90] [CITE[cks_029_001.pdf]], [TIME[2022-05-29T12:08:31.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61078/cks_029_001.pdf>
[4] [CITE[cks_007_001.pdf]], [TIME[2023-02-05T02:42:31.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/60793/cks_007_001.pdf>
- [94]
[CITE[101_KJ00003671276.pdf]], [TIME[2023-02-07T05:49:03.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/101/8/101_KJ00003671276/_pdf/-char/ja>
-[67] [TIME[2023-02-06T14:01:12.500Z]]
<https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/27145/files/ioc12304.pdf>
-[68] [CITE[学位論文要旨詳細]], [TIME[2023-02-06T14:01:41.000Z]] <http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=213133>
[81] [CITE[cks_040_b001.pdf]], [TIME[2023-02-07T04:41:25.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61003/cks_040_b001.pdf>
[79] [CITE[cks_038_115.pdf]], [TIME[2023-02-06T14:52:27.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61140/cks_038_115.pdf>
[91] [CITE[cks_045_b001.pdf]], [TIME[2023-02-07T05:39:14.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61027/cks_045_b001.pdf>
[92] [CITE[cks_041_017.pdf]], [TIME[2023-02-07T05:45:52.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61115/cks_041_017.pdf>
[95] [CITE[1_80.pdf - ToyoKotengakuKenkyu_1_80.pdf]], [TIME[2014-12-11T01:41:03.000Z]], [TIME[2023-02-07T05:53:00.333Z]] <https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/25405/20141016151615965536/ToyoKotengakuKenkyu_1_80.pdf>