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[143]
[[仮名]]を中心に表記された[[元号]]を[DFN[[RUBY[仮][か]][RUBY[名][な]][RUBY[書][がき]][RUBY[年][ねん]][RUBY[号][ごう]]]]といいます。
[257]
[[現代日本]]では通常の表記として[[仮名]]で[[元号]]を記述することはありませんが、
[[振り仮名]] ([[ルビ]]) 付きの文章で[[ひらがな]]表記を[[漢字]]に[[添えて][ルビ]]併記したり、
幼少者・日本語初学者向けの文章で[[平仮名]]のみまたは[[平仮名]]・[[漢字]]混じりで表記したりすること
[SRC[>>108, >>216]]
はあります。
[367]
歴史的には通常の文書で[[仮名]]書きや[[交ぜ書き]]の[[元号]]の[[表記][東洋の日時表示]]が行われる場合もありました。
* 元号名の読み方と表記
[SEE[ [[元号名]] ]]
* 和語の元号名
[SEE[ [[元号名]] ]]
* 仮名が通常表記の元号名
[3]
[[元号]]には分類されない非[[東洋]]の[[紀年法]]の名称 ([[元号名スロット]])
のうち[[固有名詞]]部分は、
たいてい[[カタカナ]]表記されます。
例えば「[[キリスト紀元]]」の如くです。
[4]
[[現代日本の私年号]]の中には[[元号]]状でありながらも[[元号名]]に[[仮名]]が含まれるものがあります。
これは正式名であっても[[漢字]]表記であることを求めず[[仮名]]表記に何らかの良いニュアンスを与えるような[[現代日本語]]の全体的な傾向と連動しているものと思われます。
(とりわけ[[ミニ独立国]]関連のものは、
[[仮名]]名の[[地方自治体]]の出現とも軌を一にするものでしょう。)
更には、[[架空の元号]]や[[スローガン的元号]]には[[仮名]]のものも多いです。
[[新元号予想]]にも[[仮名]]のものがままあります。
* 他の言語の表記
[2]
[[日本語]]以外の[[言語]]音の[[転写]]として[[仮名]]を使って[[元号名]]が表記 (ないし音を注記)
されることがあります。
[SEE[ [[元号名]] ]]
* 仮名書年号の識別性
[111]
[[仮名]]書きの誤読により異なる[[元号]]と混同された例も知られています。
[SEE[ [[貞元]] ]]
* 前近代日本語における仮名書年号
[138]
前近代日本語では[[元号名]]や[[日時表示]]の他の部分が[[仮名]]表記されることがままありました。
[139]
[[仮名]]は[[平安時代]]までに発明されたものですが、徐々に普及し[[平安時代]]後期には多数の[[仮名文書]]が生産されるようになりました。
[[文字]]、特に[[仮名]]は一般庶民にまで使われるようになり、
[[漢字]]の読み書きができなくても[[仮名]]の読み書きができる人は増えていきました。
[140]
ところで[[仮名]]主体の[[文書]]でもすべてが[[仮名]]表記されるとは限りません。
[[漢数字]]のような簡単な[[漢字]]は使われることが多いようです。
[[日付]]に出てくる「年」「月」「日」のような[[文字]]も、
[[漢字]]で書かれたり[[仮名]]で書かれたりしました。
[141]
[[元号名]]は特殊な位置にあります。
簡単な[[漢数字]]等で構成され[[漢字]]表記されることも多い[[日付]]の中で、
必ずしも簡単な[[漢字]]で構成されるとも限りません。
しかし数年間は使い続ける定型文でもありますし、
本文で使うすべての言葉の漢字を覚えるほどの負担もありません。
だからかどうかはわかりませんが、
[[仮名]]主体の[[文書]]でも[[元号名]]も漢字表記されていることはよくあります
(例えば >>33)。
[142]
が、
[[仮名]]と[[交ぜ書き]]されることもありましたし、
[[仮名]]だけで表記されることもありました。
[[干支]]や「年」「月」「日」のような文字も含めて、
表記には揺れがあり、
仮名書き文書ならこう書くべきという強い規範が存在しなかったということでしょう。
[231]
なお、[[仮名]]よりも[[漢字]]が多い[[仮名漢字混じり文]]でも[[仮名]]のみや[[仮名]]まじりの[[元号名]]が使われることがあります。
-*-*-
[144]
[[元号]]の仮名表記については、
まだまだ研究の余地があるように思われます。
仮名書き文書の存在は古くから知られており、
個別の[[仮名書年号]]用例が何年を表すかの検討は行われてきました。
[[仮名書年号]]は過去の[[元号の読み方]]の復元の素材としても使われてきました
[SRC[>>374]]
[SEE[ [[元号の読み方]] ]]。
しかし[[元号]]を仮名表記することそれ自体を中心とした総合的な研究はあまりありません。
[215]
例えば、
本文が仮名書きされているときどれくらいの割合で[[元号名]]も仮名書きされるのか、
いつ漢字表記されいつ仮名表記されるかに規則性はあるのか、
漢字表記されがちな漢字とそうでない漢字の違いはあるのか、
時代や地域や利用者層や媒体の違いによる表記の違いはどれだけあるのか、
同じ[[元号名]]の表記の違い ([[方言]]差その他) はどれだけあるのか、
[[変体仮名]]の出現頻度の違いはあるのか、
[[元号名]]を[[仮名]]表記するか否かと[[干支]]を[[仮名]]表記するかどうかに相関はあるのか、
等々基礎的な性質でも未解明なものばかりです。
[5]
[[昭和時代]]の歴史研究者の[[久保常晴]]は、
[[仮名]]表記された[[元号名]]のことを[DFN[仮名書年号]]と呼びました。
[[久保常晴]]は[CITE[日本私年号の研究]]でこれを[[私年号]]発生の前段階として紹介しました。
[SEE[ [[私年号]] ]]
先駆的な研究ですが、同書の本題ではないため不満もあります。
主要な用例をいくつか挙げて定性的に説明するに留まっています。
[146]
[[久保常晴]]の観察によると、[[仮名書年号]]は、
- [147] 大部分は[[文書]]に載せられたものでした。
[SRC[>>6 p.[V[一六三]]]]
-- [7]
[CITE[日本私年号の研究]]
では[[文書]]に出現する[[仮名書年号]]を中心に紹介しました。
[[久保常晴]]の他の論文では瓦銘など[[文書]]以外もいくつか挙げています。
- [148]
[[平安時代]]末期から出現し、時代とともに増加しました。
[SRC[>>6 pp.[V[一六四]]-[V[一六五]]]]
- [149]
[[平安時代]]の用例の多くは[[譲状]]でした。
[[鎌倉時代]]も[[譲状]]が圧倒的多数でした。
[SRC[>>6 pp.[V[一六四]]-[V[一六五]]]]
- [135]
[[鎌倉時代]]の用例で[[譲状]]に次いで多いのが、
土地に関するものでした。
[SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
-
[136]
[[仮名書年号]]の中にはどの[[元号]]を表すのか明らかでないものもあります。
特に辺地に多く、とりわけ[[対馬]]では難解なものが多いです。
[SRC[>>6 pp.[V[一六五]]-[V[一六六]]]]
[8]
[[久保常晴]]は、
[[譲状]]の用例が多いことに着目し、
家督相続時に幼少者を含む全関係者に理解させるため、
漢字を避けて仮名を使ったものだと推測しました。
[SRC[>>6 p.[V[一六四]]]]
[150]
つまり[[久保常晴]]によると[[仮名書年号]]の出現は、
識字層の拡大と、それに伴う漢字読解力の不十分さに起因するものです。
中には難解なものもありますが、
それは[[濁点]]や[[撥音]]を表記しないことや、
[[方言]]の違いが大きいとされます。
[[漢字]]に対する理解不足から来る誤字と考えられるもの (亨) もあります。
正しい表現をせず慎重さを欠くものであり、
[[公年号]]軽視の傾向が見られるといえます。
[[同音異字年号]]の出現の素地とも考えられるのです。
[SRC[>>6 pp.[V[一六四]]-[V[一六六]]]]
[137]
こうした[[久保常晴]]の分析は大筋において納得できるものの、
その後の新出史料も加えて定量的に分析し裏付けを得るべきと思われます。
[[濁音]]や[[撥音]]の表記や、誤りらしき異表記の類について、
本文と[[元号]]とで違いが見られるのかどうかも気になるところです。
「公年号軽視」といってもそのような意識を持つ者があったのか、
それとも一般的な「正しい表記の軽視」のような風潮の一部だったのかは重要で、
[[私年号]]発生メカニズムの解明やそれとの因果関係の評価に寄与するはずです。
[161]
[[関東]]に多い[[私年号]]の前段階と考えられているはずの[[仮名書年号]]の乱れた例が[[西国]]に多いのも問題です。
乱れていない例は[[畿内]]などにも分布していますし、
仮名書き自体は全国的に発生していた現象なのでしょうが、
地域分布はより詳細な分析が必要かもしれません。
あるいは[[東国]]にも[[昭和時代]]当時に未整理だった[[仮名書年号]]史料が現在では増えているはずで、
[[方言]]との関係も精査が必要でしょう。
[145]
[[金石文]]等の状況や、[[中世]]から[[近世]]への移行における[[仮名書年号]]の変化なども未解明です。
[160]
また[[久保常晴]]は[[交ぜ書き]]の[DFN[仮名まじり年号]]にも言及している
[SRC[>>6 p.[V[一八󠄃五]]]]
ものの、[[異年号]]の分類に加えず本格的な分析の対象ともしていません。
** 濁音
[506]
[CITE[日本私年号の研究]]
によると、
「[V[年号には濁点をつけぬ慣例]]」
があったとのことです。
[SRC[>>6 p.[V[四五六-四五七]]]]
;; [509] 関連: [[大とう]]
[507]
ただこれは本題でないためか詳しい説明も証明もないまま流されています。
他書でもこれを説明しているものは見つかりません。
(仮名の[[元号名]]表記というマイナーなテーマを扱っている論文がまずそんなにない...)
[508]
確かに[[仮名文書]]の[[元号名]]は[[濁点]]のないものが多いですが、
[[元号名]]以外の本文の[[濁音無表記]]との関係性はよくわかりません。
** 用例の一覧
[151]
[[仮名書年号]]が使われている[[文書]]や[[金石文]]はそこまで珍しいものでもないためなのか、
用例を大量に収集した一覧表はなさそうです。
[449]
たまたま見かけたものを一覧にしておきます。
[55] ★は特に注意を要するもの。
[ITEMS[ [[日時事例]]
-
[24]
[CITE(.label)[大納言□□房譲状案]]
「[DATA(.text)[[V[ちうきう四ねん正月十日]]]]」
[SRC[>>6 p.[V[一六三]] [V[[YOKO[1]]]] ([[東寺百合文書]] よ)]]
--
[25]
[TIME(.value)[日本長久4(1043)年1月10日][kyuureki:1043-01-10]]
]ITEMS]
[162]
本例は[[仮名書年号]]現存最古とされました [SRC[>>6 p.[V[一八󠄃七]]]]
が、問題があります。
この頃は[[元号]]は漢字表記が普通とされます [SRC[>>232]]。
後続の用例より100年も先行しています。
[284]
[[昭和時代]]の研究者が[TIME[延久4(1072)年][1072]]や[TIME[永久4(1116)年][1116]]の誤読説を採っていました。
[SRC[>>283]]
しかし現物写真から確かに「ちうきう」だとされます。
[SRC[>>232]]
[233]
[[鎌倉時代]]後期の紛争で源氏女が書き写した際に、
[[仮名]]に開いた可能性が高いとされています。
「ちやう」の誤脱ではなくそのような発音だったのではないかと推測されます。 [SRC[>>232]]
[ITEMS[ [[日時事例]]
-
[26]
[CITE(.label)[藤原教子譲状案]]
「[DATA(.text)[[V[きうす二ねん十二月廿日]]]]」
[SRC[>>6 p.[V[一六四]] [V[[YOKO[2]]]] ([[東寺百合文書]] よ)]]
--
[28]
[TIME(.value)[日本久寿2(1155)年12月20日][kyuureki:1155-12-20]]
--- [27] [TIME[西暦1157年][1157]]とする [SRC[>>6 (旧版、新装版とも)]] は誤り
--
[286]
[TIME[長和2(1013)年12月20日][kyuureki:1013-12-20]]説もあったらしいが採られていない
[SRC[>>285]]。長和とした根拠は不明。
-
[29]
[CITE(.label)[源義重譲状案]]
「[DATA(.text)[[V[にんあん三ねん]]]]」
[SRC[>>6 p.[V[一六四]] [V[[YOKO[3]]]] ([[正木文書]])]]
--
[30]
[TIME(.value)[日本仁安3(1168)年][1168]]
-
[401]
[DATA(.label)[享徳4年写[CITE[新田荘田畠在家注文]]]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]かおう二ねん目六]]]]」
[SRC[>>400]]
--
[402]
[TIME(.value)[日本嘉応2(1170)年][1170]]
-
[404]
[CITE(.label)[[V[きたのまんどころせいぐはん]]]]
「[DATA(.text)[[V[さんぬる[ASIS[、][アキなし]]かおう二年[ASIS[、][アキなし]]三月二日[ASIS[、][アキなし]][SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>403]]
--
[405]
[TIME(.value)[日本嘉応2(1170)年3月2日][kyuureki:1170-03-02]]
-
[398]
[CITE(.label)[平家物語]]
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[去][イン]]じかおう二年十月十六日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>397]]
--
[399]
[TIME(.value)[日本嘉応2(1170)年10月16日][kyuureki:1170-10-16]]
-
[31]
[CITE(.label)[伯耆局譲状案]]
「[DATA(.text)[[V[あんくゑん元ねん十二月十六日]]]]」
[SRC[>>6 p.[V[一六四]] [V[[YOKO[4]]]] ([[東寺百合文書]] よ)]]
--
[30]
[TIME(.value)[日本安元元(1175)年][kyuureki:1175-12-16]]
---
[32]
[TIME[承安5年7月28日][kyuureki:1175-07-28]]に[[改元]]
-
[411]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]ちせう四年 かのえね七[BR[]]月十四日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /22]]
--
[412]
[TIME[日本治承4(1180)年庚子7月14日][kyuureki:1180-07-14]]
-
[413]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]しゆゑい二年 みつ[BR[]]のとのう 八󠄂月廿日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /22]]
--
[414]
[TIME(.value)[日本寿永2(1183)年癸卯8月20日][kyuureki:1183-08-20]]
-
[415]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]けんりやく元年 きのえたつ七月廿[BR[]]八󠄂日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /22]]
--
[416]
[TIME(.value)[日本元暦元(1184)年甲辰7月28日][kyuureki:1184-07-28]]
-
[421]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]ふんじぐわん年の ふゆのころ[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /23]]
--
[422]
[TIME(.value)[日本文治元(1185)年][1185]]
---
[423]
[TIME[元暦2(1185)年8月14日][kyuureki:1185-08-14]][[改元]]
-
[406]
[CITE(.label)[源頼朝書状]]
「[DATA(.text)[[V[ふんち二年七月十日]]]]」
[SRC[>>407]]
--
[408]
[TIME[日本文治2(1186)年7月10日][kyuureki:1186-07-10]]
--
[409]
[[仮名文書]]
-
[385]
[CITE(.label)[平某譲状案]]
「[DATA(.text)[[V[けんきう三ねん四月七日]]]]」
[SRC[>>374 (常陸吉田神社文書・鎌倉遺文五八九)]]
--
[18]
[TIME(.value)[日本建久3(1192)年4月7日][kyuureki:1192-04-07]]
-- [[仮名文書]]
-
[424]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]けんきう三年七月[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /23]]
--
[425]
[TIME(.value)[日本建久3(1192)年][1192]]7月
-
[426]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]しやうち元年正月十三日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /23]]
--
[427]
[TIME(.value)[日本正治元(1199)年1月13日][kyuureki:1199-01-13]]
---
[428]
[TIME[建久10(1199)年4月27日][kyuureki:1199-04-27]] [[遡及年号]] -3月
-
[429]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]正ち 二年正月五日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /23]]
--
[430]
[TIME(.value)[日本正治2(1200)年1月5日][kyuureki:1200-01-05]]
-
[386]
[CITE(.label)[あま某譲状案]]
「[DATA(.text)[[V[けむにん三ねん三月廿九日]]]]」
[SRC[>>374 (東大寺文書二・鎌倉遺文一三四九)]]
--
[19]
[TIME(.value)[日本建仁3(1203)年3月29日][kyuureki:1203-03-29]]
-- [[仮名文書]]
-
[431]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]しやうち 元年より。け[BR[]]んにん三年にいたる[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /23]]
--
[432]
[TIME(.value)[日本正治元(1199)年][1199]]
--
[433]
[TIME(.value)[日本建仁3(1203)年][1203]]
-
[417]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[せう][承]][RUBY[けん][元]]四年かのえむま 十[BR[]]一月廿五日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /23]]
--
[418]
[TIME[日本承元4(1210)年庚午11月25日][kyuureki:1210-11-25]]
-
[272]
[CITE(.label)[清原氏女譲状]]
「[DATA(.text)[[V[けんりやく二ねん二月二日]]]]」
[SRC[>>269 #page=10]]
--
[273]
[TIME[日本建暦2(1212)年2月2日][kyuureki:1212-02-02]]
--
[274] [[仮名文書]]
-
[419]
[CITE(.label)[承久兵乱記]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]せうきう 三年四月廿日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>410 /23]]
--
[420]
[TIME[日本承久3(1221)年4月20日][kyuureki:1221-04-20]]
-
[388]
[CITE(.label)[某田地売券]]
「[DATA(.text)[[V[ちやうおう三ねん壬七月十六日]]]]」
[SRC[>>374 (東寺百合文書ウ・鎌倉遺文三二六四)]]
--
[22]
[TIME(.value)[日本貞応3(1224)年閏7月16日][kyuureki:1224-7'-16]]
---
[23]
[TIME[貞応3年11月20日][kyuureki:1224-11-20]][[改元]]
-- [[仮名文書]]
-
[275]
[[豊前湯屋文書]] [CITE(.label)[宇佐いへつね田畠譲状]]
「[DATA(.text)[[V[ふんりやくくわねん三月十五日]]]]」
[SRC[>>269 #page=11]]
--
[276]
[TIME[日本文暦元(1234)年3月15日][kyuureki:1234-03-15]]
---
[277]
[TIME[天福2年11月5日][kyuureki:1234-11-05]][[改元]]
-- [278]
[[仮名文書]]
-- [279] 「元」は[[撥音無表記]]、「年」は[[撥音]]あり
-
[71]
[CITE(.label)[しやみせん阿譲状]]
「[DATA(.text)[[V[すんくえん二ねん十月十三日]]]]」
[SRC[>>6 p.[V[一六六]] [V[[YOKO[5]]]] (熊本県天草郡志岐村志岐文書 ([CITE[九州文化史研究所紀要]] 三・四))]]
-- [391]
★ [DFN[すんくえん]] [TIME[y~2234]]
--
[72]
どの[[元号]]か明らかでない。
出典では編纂者が年を比定していない [SRC[>>6 p.[V[一六六]]]]。
--
[80]
「す」は[[変体仮名]]「か」に近いので[[寛元]]か。
[SRC[>>6 p.[V[一六六]]]]
---
[81]
[TIME[日本寛元2(1244)年10月13日][kyuureki:1244-10-13]]
--
[82]
[[変体仮名]]の[[可]] (𛀙, 𛀚) のことを言っているか。
- [124] [DATA(.label)[文書]]
-- [126] 翻刻:
「[DATA(.text)[[V[正カ三子ツチノトヒツシトシ]]]]」
[SRC[>>553 /36]]
-- [127]
>>553 /10 左上から右2下2に白黒写真、判読は可能ながらも細部はやや難し
-- [125] [DATA(.label)[[CITE[花園遺史]] 記事本文]]
「[DATA(.text)[[V[正加三年[FENCED[(][[LINES(smaller)[一二五九年、本文󠄃][には正カ三子ン]]][)]]]]]]」
--- [129] 誤植か。
--
[556]
[TIME(.value)[日本正嘉3(1259)年己未][1259]]
--- [128]
[TIME[正嘉3年3月26日][kyuureki:1259-03-26]][[改元]]
-- [[仮名文書]]
-- [130] 「年」の[[撥音無表記]]
-
[387]
[CITE(.label)[平氏田薗田地売券案]]
「[DATA(.text)[[V[せうけん二ねん三月十八日]]]]」
[SRC[>>374 (薩摩長谷場氏文書・鎌倉遺文一七二四)]]
--
[20]
[DATA(.value)[[TIME[日本正元2(1260)年3月18日][kyuureki:1260-03-18]]]]
---
[21]
[TIME[正元2年4月13日][kyuureki:1260-04-13]][[改元]]
-- [[仮名文書]]
-
[36]
[CITE(.label)[詫磨能秀置文]]
「[DATA(.text)[[V[ほうちやうくわんねん[BR[]] 五月十日]]]]」
[SRC[>>287, >>6 p.[V[一六五]] [V[[YOKO[1]]]] (大分県海北市大在村詫磨家文書 ([CITE[[[大分県史料]] 一二]]))]]
--
[37]
[TIME(.value)[日本弘長元(1261)年5月10日][kyuureki:1261-05-10]]
---
[38]
[TIME[文応2年2月20日][kyuureki:1261-02-20]][[改元]]
--
[392]
★
[DFN[ほうちやう]]
[TIME[y~2235]]
--
[39]
出典における比定理由は不明 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
--
[40]
内容からこの比定年で妥当 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
--
[54]
「ほ」は「こ」と書くべきところ。 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
--- [62]
改元直後故、音声での[[伝聞][改元伝達]]による誤りかもしれない。
[SRC[>>6 p.[V[一六六]]]]
-- [288] [[仮名文書]]
- [101]
[[中宮寺]]の文殊菩薩紙張像の舎利包紙願文
「もん江い六ねん七月十二日信如」
[SRC[>>100]]
-- [203]
[TIME[文永6(1269)年[LINES[己][巳]]][1269]]?
- [201] [CITE(.label)[[V[成阿書狀]]]] [SRC[>>164 /81 ([[阿蘇家文書]])]]
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[けんち][(建󠄁治)]]元年十月󠄃十二日]]]]」
-- [202] [TIME(.value)[日本建治元(1275)年10月12日][kyuureki:1275-10-12]]
--- [103] [TIME[文永12年4月25日][kyuureki:1275-04-25]][[改元]]
- [371]
[CITE(.label)[[[紀伊国阿弖河荘百姓訴状]]]]
「[DATA(.text)[ケンチカン子ン十月廿八日]]」
[SRC[>>83 pp.130-131]]
--
[102]
[TIME(.value)[日本建治元(1275)年10月28日][kyuureki:1275-10-28]]
-
[41]
[CITE(.label)[藤原某譲状]]
「[DATA(.text)[[V[けち仁ねん]]]]」
[SRC[>>6 p.[V[一六五]] [V[[YOKO[2]]]] (大分県杵築市八坂 生桑寺般若経裏打文書 ([CITE[[[大分県史料]] 二五]]))]]
--
[42]
[TIME(.value)[日本建治2(1276)年][1276]]
--
[43]
出典における比定理由は不明 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
--
[44] 内容からこの比定年で妥当 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
--
[45] ★[[撥音無表記]]
--
[46]
「仁」は[[変体仮名]]「𛂉」とするべきかもしれない。
-
[270]
[[九条家文書]] [CITE(.label)[しやうによう田地譲状]]
「[DATA(.text)[[V[けんち三ねん十一月廿三日]]]]」
[SRC[>>269 #page=2]]
--
[271]
[TIME[日本建治3(1277)年11月23日][kyuureki:1277-11-23]]
-
[213]
[CITE(.label)[永秀鰐口預り状]] [SRC[>>206 /24 ([[宇佐永弘文書]] ([CITE[[[大分県史料]] ([TATE[3]])]] 七二))]]
「[DATA(.text)[[V[こうあん元[BR[]] 九月十日]]]]」
-- [224] [TIME(.value)[日本弘安元(1278)年9月10日][kyuureki:1278-09-10]]
-- [200] [TIME[建治4年2月29日][1278-02-29]][[改元]]
-- [229] [[平仮名漢字混じり文]]
-
[214]
[CITE(.label)[宇佐保重置文]] [SRC[>>206 /24 ([[宇佐永弘文書]] ([CITE[[[大分県史料]] ([TATE[3]])]]))]]
「[DATA(.text)[[V[こうあん元[BR[]] 九月十日]]]]」
-- [225] [TIME(.value)[日本弘安元(1278)年9月10日][kyuureki:1278-09-10]]
-- [230] [[平仮名漢字混じり文]] [[変体漢文]]
- [197] [CITE(.label)[[V[成阿讓狀]]]] [SRC[>>164 /82 ([[阿蘇家文書]])]]
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[こうあん][(弘安)]]元年十月󠄃十七日]]]]」
-- [198] [TIME(.value)[日本弘安元(1278)年10月17日][kyuureki:1278-10-17]]
-
[242]
[DATA(.label)[[[勝尾寺文書]] 三四五 [CITE[[V[わんけい假名書賣券󠄃]]]]]]
「[DATA(.text)[[V[こう[ASIS[あ][第3画無クロス]]ん二年十月 日]]]]」
[SRC[>>234]]
-- [243] [TIME(.value)[日本弘安2(1279)年][1279]]10月
-- [244] [[仮名文書]]
-
[258]
[[阿蘇家文書]] 八󠄂〇 [CITE(.label)[[V[肥後郡浦庄名寄帳幷北坂梨惟定本領安堵󠄁申狀案]]]]
[SRC[>>164 /106]]
--
[260]
端裏書「[DATA(.text)[[V[[RUBY[こうあん][(弘安)]]十[RUBY[ねん][(年)]][SNIP[]]]]]]」
--
[263]
件名「[DATA(.text)[[V[𪪺安十年[SNIP[]]]]]]」
-- [268] [TIME(.value)[日本弘安10(1287)年][1287]]
-
[451]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 九四 [CITE[深堀明心[LINES(quarter)[時][心]]同時仲連署譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[しやう𛄚う二年六月廿六日]]]]」
[SRC[>>450 /59]]
-- [452] [TIME[日本正応2(1289)年6月26日][kyuureki:1289-06-26]]
-- [453] [[仮名文書]]
-
[454]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 九五 [CITE[深堀明心[LINES(quarter)[時][心]]置文]]]]
「[DATA(.text)[[V[正をう二年七月 日]]]]」
[SRC[>>450 /59]]
-- [455] [TIME[日本正応2(1289)年][1289]]7月
-- [456] [[仮名文書]]
-
[457]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 九六 [CITE[深堀明心[LINES(quarter)[時][心]]置文]]]]
「[DATA(.text)[[V[正應二年八󠄂月五日]]]]」
[SRC[>>450 /60]]
-- [458] [TIME[日本正応2(1289)年8月5日][kyuureki:1289-08-05]]
-- [459] [[仮名文書]]
-
[460]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 九七 [CITE[深堀明心[LINES(quarter)[時][心]]地頭職譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[正おう二年八󠄂月十一日]]]]」
[SRC[>>450 /60]]
-- [461] [TIME[日本正応2(1289)年8月11日][kyuureki:1289-08-11]]
-- [462] [[仮名文書]]
-
[463]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 九八 [CITE[深堀明心[LINES(quarter)[時][心]]田地等譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[正應二年八󠄂月十一日]]]]」
[SRC[>>450 /60]]
-- [464] [TIME[日本正応2(1289)年8月11日][kyuureki:1289-08-11]]
-- [465] [[仮名文書]]
-
[466]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 九九 [CITE[深堀明心[LINES(quarter)[時][心]]牧別当職譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[正應二年八󠄂月十一日]]]]」
[SRC[>>450 /61]]
-- [467] [TIME[日本正応2(1289)年8月11日][kyuureki:1289-08-11]]
-- [468] [[変体漢文]]
-
[235]
[DATA(.label)[[[勝尾寺文書]] 三四三 [CITE[[V[藤󠄇原賴衡假名書賣券󠄃]]]]]]
「[DATA(.text)[[V[[[正わう三[RUBYB[年][ ○]][RUBYB[[LINES(smaller)[歲次󠄄][[ASIS[□][2字分]]]]][庚寅]]十一月廿二日]]]]]]」
[SRC[>>234]]
-- [236] ○は「庚」の上。裏に[[花押]]あり [SRC[>>234]] の意。
-- [237] [TIME[日本正応3(1290)年庚寅11月22日][kyuureki:1290-11-22]]
-- [241] [[仮名文書]]
-
[238]
[DATA(.label)[[[勝尾寺文書]] 三四四 [CITE[[V[藤󠄇原安衡假名書賣券󠄃]]]]]]
「[DATA(.text)[[V[正をう六ねん[LINES(smaller)[さいし][みつの[ASIS[と][クロス分断]]のみ]]二月十四日]]]]」
[SRC[>>234]]
-- [239] [TIME[日本正応6(1293)年2月14日][kyuureki:1293-02-14]]
-- [240] [[仮名文書]]
-
[245]
[DATA(.label)[[[勝尾寺文書]] 三四八󠄂 [CITE[[V[[ASIS[尼][突き抜け]]心蓮󠄄房󠄃假名書[ASIS[契][ノ二|突抜]]狀]]]]]]
「[DATA(.text)[[V[えいにん五ねん十一[BR[]]月二十九日]]]]」
[SRC[>>234 /216]]
-- [246] [TIME(.value)[日本永仁5(1297)年11月29日][kyuureki:1297-11-29]]
-- [247] [[仮名文書]]
-
[470]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 一〇一 [CITE[深堀時願[LINES(quarter)[時][仲]]惣領職譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[𛁈やうあん四ねん五月廿四日]]]]」
[SRC[>>450 /61]]
-- [469] [TIME[日本正安4(1302)年5月24日][kyuureki:1302-05-24]]
-- [471] [[仮名文書]]、同様のもの他数点
-
[118]
[CITE[陽徳門院[LINES[瑛子内][親王]]譲状]]
「[V[正あん[RUBY[五ね][(ママ)]]ん]]」
[SRC[>>117 (注釈は >>117 にあるもの)]]
-- [204]
[TIME[正安5(1303)年][1303]]?
-- [205]
[TIME[正安4(1302)年11月21日][kyuureki:1302-11-21]]に[[乾元]]に[[改元]]
-
[440]
[DATA(.label)[[[武雄神社文書]] 七五 [CITE[沙弥さいしん譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[とくち貳年五月十三日]]]]」
[SRC[>>439 /73]]
--
[441] [TIME(.value)[日本徳治2(1307)年5月13日][kyuureki:1307-05-13]]
-- [442] [[仮名文書]]
-
[9]
[DATA(.addr)[[[日本国]][[京都府]][[由良川]]河口]]出土陶器
「[DATA(.text)[[V[か𛀷ん四年[BR[]] 八󠄂月十七日]]]]」
([[草書]])
[SRC[>>488 #page=24 [L[付表]] [L[49]], >>488 #page=34 [L[第6図]] [L[14]]]]
--
[10] [DATA(.label)[[[翻刻]]]]
「[DATA(.text)[[L[かけん四年 八󠄂月十七日]]]]」
[SRC[>>488 #page=9]]
--
[11]
銘:
[DATA(.addr)[[[越前国]]にうのきたのこおり ([[丹生北郡]]) おたのしやう ([[織田庄]])]]
--
[12]
[TIME(.value)[日本嘉元4(1306)年8月17日][kyuureki:1306-08-17]]
---
[13]
[TIME[嘉元4年12月14日][kyuureki:1306-12-14]][[改元]]
- [193] [CITE(.label)[[V[さいれん讓狀]]]] [SRC[>>164 /89 ([[阿蘇家文書]])]]
-- [196] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[ゑんきやう][(延󠄅慶)]]參年[BR[]]十月󠄃九日]]]]」
--- [195] [TIME(.value)[日本延慶3(1310)年10月9日][kyuureki:1310-10-09]]
- [165] [CITE(.label)[[V[健軍社文󠄃書預ヶ狀]]]] [SRC[>>164 ([[阿蘇家文書]])]]
-- [166] 文書の目録で文書名と日付が列挙された[[文書]]。
-- [167] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[か六][(嘉祿)]]二年八󠄂月󠄃四日󠄂]]]]」
--- [177] [TIME(.value)[日本嘉禄2(1226)年8月4日][kyuureki:1226-08-04]]
--- [190] ★末尾[[漢数字]]
-- [168] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[あんてい][(安貞)]]二年六月󠄃六日󠄂]]]]」
--- [178] [TIME(.value)[日本安貞2(1228)年6月6日][kyuureki:1228-06-06]]
-- [169] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[くわ𛀷んくわねん][(寬元元年)]][BR[]]五月󠄃十六日󠄂]]]]」
--- [179] [TIME(.value)[日本寛元元(1243)年5月16日][kyuureki:1243-05-16]]
---- [180] [TIME[仁治4年2月26日][kyuureki:1243-02-26]][[改元]]
--- [191] ★「元」1つ目と2つ目で発音と表記 ([[撥音無表記]]) が違う。
-- [170] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[くわ𛀷ん][(寬元)]]四年十二月󠄃十二日󠄂]]]]」
--- [181] [TIME(.value)[日本寛元4(1246)年12月12日][kyuureki:1246-12-12]]
-- [171] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[こうあん][(弘安)]]九年六月󠄃廿四日󠄂]]]]」
--- [182] [TIME(.value)[日本弘安9(1286)年6月14日][kyuureki:1286-06-14]]
-- [172] 「[DATA(.text)[[V[くわ𛀷ん五年二月󠄃十六日󠄂]]]]」
--- [183] [TIME(.value)[日本寛元5(1247)年2月16日][kyuureki:1247-02-16]]
---- [184] [TIME[寛元5年2月28日][kyuureki:1247-02-28]][[改元]]
-- [173] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[ふんゑい][(文󠄃永)]]三年九月󠄃十六日󠄂]]]]」
--- [185] [TIME(.value)[日本文永3(1266)年9月16日][kyuureki:1266-09-16]]
-- [174] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[こうあん][(弘安)]]二年[BR[]]二月󠄃廿九日󠄂]]]]」
--- [186] [TIME(.value)[日本弘安2(1279)年2月29日][kyuureki:1279-02-29]]
-- [175] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[ゑにん][(永仁)]]三年[BR[]]六月󠄃十一日󠄂]]]]」
--- [188] [TIME(.value)[日本永仁3(1295)年6月11日][kyuureki:1295-06-11]]
--- [192] ★「えい」の「い」無表記
-- [176] 「[DATA(.text)[[V[[RUBY[ゑんきやう][(延󠄅慶)]]三年[BR[]]十月󠄃九日󠄂]]]]」
--- [187] [TIME(.value)[日本延慶3(1310)年10月9日][kyuureki:1310-10-09]]
--- [194] >>193
-
[443]
[DATA(.label)[[[武雄神社文書]] 八四 [CITE[藤原氏女田地売券]]]]
「[DATA(.text)[[V[𛀕うちやうくわんねん十二月三日]]]]」
[SRC[>>439 /80]]
--[444] [TIME(.value)[日本応長元(1311)年12月3日][kyuureki:1311-12-03]]
--- [445] [TIME[延慶4(1311)年4月28日][kyuureki:1311-04-28]][[改元]]
-- [446] [[仮名文書]]
-
[88]
[DATA(.label)[[[斎藤家文書]] [CITE(.text)[けんをう (元応) 二年九月廿一日盛国判物]]]]
[SRC[>>86]]
--
[96]
[TIME(.value)[日本元応2(1320)年9月21日][kyuureki:1320-09-21]]
-
[47]
[CITE(.label)[宇佐定基譲状]]
「[DATA(.text)[[V[くゑんをう三年三月日]]]]」
[SRC[>>6 p.[V[一六五]] [V[[YOKO[3]]]] (大分県宇佐郡宇佐町宇佐永弘文書 壱 ([CITE[[[大分県史料]] 三]]))]]
--
[48]
[TIME(.value)[日本元応3(1321)年][1321]]3月
---
[50]
[TIME[元応3年2月23日][kyuureki:1321-02-23]][[改元]]
--
[51]
出典における比定理由は不明 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
--
[52] 内容からこの比定年で妥当 [SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
--
[53]
「くゑん」は関西 (ことに九州) 方言「ぐゑん」の[[濁点]]無表記。
[[関西]]・[[九州]]でも「けん」表記が多く「くゑん」は珍しい。
[SRC[>>6 p.[V[一六五]]]]
-
[90]
[DATA(.label)[[[願成寺文書]] [CITE(.text)[けんかう (元亨) 二ねん六月十六日管領状]]]]
[SRC[>>6 ([CSECTION[肥後の古文書]], [CITE[九州文化史研究所紀要]] 三・四)]]
--
[99]
[TIME(.value)[日本元亨2(1322)年6月16日][kyuureki:1322-06-16]]
-
[280]
[[豊前永弘文書]] [CITE(.label)[蓮秀利銭借券]]
「[DATA(.text)[[V[けんこう二ねん十月三日]]]]」
[SRC[>>269 #page=16]]
--
[281]
[TIME(.value)[日本元亨2(1322)年10月3日][kyuureki:1322-10-03]]
--
[282] [[仮名文書]]
-
[437]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[大分県]][[別府市]]大字東山鶴見山[[火男火売神社]]]]宝塔]]
「[DATA(.text)[[V[元かう二ねんミつのへいぬ十二月十五日]]]]」
[SRC[>>438]]
-
[89]
[DATA(.label)[[[斎藤家文書]] [CITE(.text)[けん (元) 亨四四月三日盛国判物]]]]
[SRC[>>86]]
--
[98]
[TIME(.value)[日本元亨4(1324)年4月3日][kyuureki:1324-04-03]]
---
[97]
[TIME[日本元亨4(1324)年12月9日][kyuureki:1324-12-09]][[改元]]
-
[63]
[CITE(.label)[つねよし譲状]]
「[DATA(.text)[[V[こんこう四ねん四月十日]]]]」
[SRC[>>6 p.[V[一六六]] [V[[YOKO[1]]]] (長崎県対馬厳原町内山文書 ([CITE[[[九州文化史研究所所蔵古文書目録]] 三]]))]]
--
[393]
[DFN[こんこう]]
[TIME[y~2236]]
--
[64]
どの[[元号]]か明らかでない。
出典では編纂者が年を比定していない [SRC[>>6 p.[V[一六六]]]]。
--
[73]
[[対馬]]の文書に見える人物関係より[TIME[文永11(1274)年][1274]]以後、
[TIME[正応5(1292)年][1292]]前後。
「こう」と読まれるのは[[元弘]] (4年1月晦日改元)
と[[元亨]] (4年12月9日改元)。
[[元亨]]の方が妥当。
[SRC[>>6 p.[V[一六六]]]]
---
[74]
[TIME[日本元亨4(1324)年4月10日][kyuureki:1424-04-10]]
-
[472]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 一三一 [CITE[藤原致資証状]]]]
「[DATA(.text)[[V[か𛃶やく四ねん十月十日]]]]」
[SRC[>>450 /76]]
-- [474] [TIME(.value)[日本嘉暦4(1329)年10月10日][kyuureki:1329-10-10]]
--- [473] [TIME[日本嘉暦4(1329)年8月29日][kyuureki:1329-08-29]][[改元]]
[[延長年号]] +2月
-- [475] [[仮名文書]]
-
[492]
[DATA(.label)[[[光浄寺文書]] 四五 [CITE[沙弥ちやうせん田地譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[くゑんとく二ねん三月八󠄂日]]]]」
[SRC[>>500 /65]]
--[493] [TIME(.value)[日本元徳2(1330)年3月8日][kyuureki:1330-03-08]]
--[494] [[仮名文書]]
-
[84]
[DATA(.label)[[[小鹿島古文書]] [CITE(.text)[けんとく (元徳) 三年七月三日もちつね売券]]]]
[SRC[>>86]]
--
[91]
[TIME(.value)[日本元徳3(1331)年7月3日][kyuureki:1331-07-03]]
---[92]
[TIME[元徳3年8月9日][kyuureki:1331-08-09]][[後醍醐天皇]]が[[改元]] ([[鎌倉幕府]]不承認)
-
[87]
[DATA(.label)[[[小鹿島古文書]] [CITE(.text)[けんこう (元弘) 二ねん十一月廿一日さねのふ売券]]]]
[SRC[>>86]]
-- [94]
[TIME(.value)[日本元弘2(1332)年11月21日][kyuureki:1332-11-21]]
--- [95] [[元弘]]: [[後醍醐天皇]]方 ([[鎌倉幕府]]不承認)
-
[476]
[DATA(.label)[[[深堀家文書]] 一三五 [CITE[深堀政綱所領譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[𛁈やうきやう三ねん壬二月十九日]]]]」
[SRC[>>450 /78]]
--
[477]
[TIME[日本北朝正慶2(1333)年5月25日][kyuureki:1333-05-25]][[光厳天皇]]退位、
[[正慶]]廃元
--
[478]
[TIME[正慶3(1334)年][1334]]は閏2月なし
--
[480]
掲載書は特に注記していないが、章見出しで正慶2年としている。
[SRC[>>450]]
誤記と判断したらしい。
--
[481]
[TIME(.value)[日本正慶2(1333)年閏2月19日][kyuureki:1333-02'-19]]
-- [482] [[仮名文書]]
-
[495]
[DATA(.label)[[[光浄寺文書]] 五〇 [CITE[尼明了田地譲状案]]]]
「[DATA(.text)[[V[くゑん𛀙うさねん十月廿日]]]]」
[SRC[>>500 /67]]
--[496] [[仮名文書]]
-- [497] 「さん」の[[撥音無表記]]
-
[248]
[[阿蘇家文書]] 七九 [CITE(.label)[[V[宇治惟平󠄃契狀]]]]
[SRC[>>164 /105]]
-- [249]
本文
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[や][(し[SUP[脫]])]][RUBY[うきう][(承久)]]三ねん正月󠄃[BR[]]十八󠄂日[SNIP[]]]]]]」
--- [252]
[TIME(.value)[日本承久3(1221)年1月18日][kyuureki:1221-01-18]]
--- [253] ★1文字脱
-- [250]
本文
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[𛂰うち][寶治]]𛂛ころ[SNIP[]]]]]]」
--- [251]
[TIME(.value)[日本宝治元(1247)年][1247]]以後
-- [254]
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[けんふくわんねん][(建武元年)]]七月󠄃十九日]]]]」
---
[256]
[TIME[日本建武元(1334)年7月19日][kyuureki:1334-07-19]]
---- [255]
[TIME[日本元弘4(1334)年1月29日][kyuureki:1334-01-29]][[改元]]
-- [259]
[[仮名文書]]
- [498]
[DATA(.label)[[[光浄寺文書]] 五一 [CITE[僧淋清田地売券]]]]
「[DATA(.text)[[V[𛃶やくおうくわんねん二月三日]]]]」
[SRC[>>500 /68]]
-- [501] [TIME(.value)[日本北朝暦応元(1338)年2月3日][kyuureki:1338-02-03]]
--- [502]
[TIME[建武5(1338)年8月28日][kyuureki:1338-08-28]][[改元]] [[遡及年号]] -6月
--[503] [[仮名文書]]
- [107] [DATA(.label)[[CITE[ツルガ譲文]], [CITE[ヲトホウガ文]]]] [SRC[>>553 /44 ([[中南文書]])]]
-- [109] 「[DATA(.text)[[V[りやくヲウ二年六月廿三日]]]]」
-- [110] 「[DATA(.text)[[V[リヤクヲウ二年六月廿三日]]]]」
-- [113] 「[DATA(.text)[[V[リヤクヲウ二年六月廿三日]]]]」
-- [114] 「[DATA(.text)[[V[リヤクヲウ二年六月廿三日]]]]」
-- [112] [TIME(.value)[日本北朝光明天皇暦応2(1339)年6月23日][kyuureki:1339-06-23]]
-- [[仮名文書]]
-
[538]
[[永門]]の4年、5年の[[私年号]]の[[板碑]]は、
現在では[[草書]]の[[永ワ]]で[TIME[日本北朝永和4(1378)年][1378]]、
[TIME[5(1379)年][1379]]とされています。
[SEE[ [[永ワ]] ]]
-
[434]
[CITE(.label)[めうぜん文書]]
「[DATA(.text)[[V[𛀙𛀊𛄒𛀆𛂇𛂗ん五月十六日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>436]]
--
[211]
[TIME(.value)[日本北朝康永2(1343)年5月16日][kyuureki:1343-05-16]]
--
[435] [[仮名文書]]
-
[210]
[CITE(.label)[順恵文書預け状]]
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[かうゑい][(康永)]]二ねん十一月十四日]]]]」
[SRC[>>206 ([[大徳寺文書]])]]
--
[211]
[TIME(.value)[日本北朝康永2(1343)年11月14日][kyuureki:1343-11-14]]
-- [212] [[平仮名漢字混じり文]]
-
[486]
[DATA(.label)[[[深江家文書]] 九三 [CITE[尼禅慶所領譲状]]]]
「[DATA(.text)[[V[おうあん八󠄂年六月廿五日]]]]」
[SRC[>>450 /188]]
--
[487]
[TIME[日本北朝応安8(1375)年6月25日][kyuureki:1375-06-25]]
---
[490]
[TIME[応安8年2月27日][kyuureki:1375-02-27]][[改元]]
[[延長年号]] +4月
--[491] [[仮名文書]]