/
320.txt
290 lines (215 loc) · 13.8 KB
/
320.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
276
277
278
279
280
281
282
283
284
285
286
287
288
289
290
[6]
[DFN[亀光]]は、
[[幕末]]に使われた[[日本の私年号]]の1つです。
* 呼称
[33]
[[読み方][元号の読み方]]は不明ながら
「きこう」
または
「きっこう」
とされます。
[SRC[>>8]]
* 紀年法
[11]
[[元年]]は、
[TIME[日本文久2(1862)年][1862]]です。
[SRC[>>2, >>60]]
* 文脈
[12]
[[平成時代]]には[[福岡藩]]内の一部で使われたと考えられていました
[SRC[>>2, >>60]]
が、[[令和時代]]になって[[東海地方]]西部方面で用例が複数見つかっており、
再検討が必要です。
* 用例
[31]
[TIME[文久2(1862)年][1862]]とみられるもの。
-
[13]
近江商人旧蔵文書
「[V[龜光元[SUP[壬]][SUB[戌]]三月五日]]」
[SRC[>>3]]
-- [40] 他の日付から文久2年と推定 [SRC[>>41]]
- [9]
[[日本国]][[福岡県]][[古賀市]]新原[[高木・前田遺跡]]第2地点墓石
「[V[亀光元年󠄂[SUP[戌]]九月卄五日]]」
[SRC[>>60 PDF p.10 (p.4 に拓影, p.5 に白黒写真), >>19 (カラー写真, 拓本カラー写真), >>34 (カラー写真)]]
-- [32] [TIME[平成6(1994)年][1994]]出土
[SRC[>>60]]
-- [39] 墓制等から幕末と推定 [SRC[>>60]]
- [10]
「九州大学法学部蒐集文書」内「福岡県文書」内山本屋文書
[CITE[講鋪證文之事]] ([[山本屋甚兵衛]])
「亀光元年戌九月」
[SRC[>>60 PDF p.10 (p.17 に翻刻)]]
-- [28]
[[九州大学附属図書館]] [[OPAC]]
「[B[時代・年代]] 亀光元年戌9月」 [SRC[>>22]]
-- [35] 山本屋は[[博多商人]]
- [38]
[[日本国]][[三重県]][[鳥羽市]]浦村町今浦の民家所蔵文書
「亀光元年 諸色掟之帳 戌霜月吉日若連中」
[SRC[>>25]]
-- [42] 他の所蔵文書から[TIME[安政元(1854)年][1854]]以後 [SRC[>>25]]
-- [43] [TIME[令和3(2021)年][2021]]発見 [SRC[>>25]]
- [44] [[日本国]][[三重県]][[いなべ市]]個人所有文書 [SRC[>>25]]
- [45] [[日本国]][[愛知県]][[名古屋市]]個人所有文書 [SRC[>>25]]
[REFS[
- [29]
平成28年度 第1回 [[古賀市]]文化財保護審議会,
平成29年1月26日(木)
-- [60]
[CITE[「[[亀光元年]]」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=6>
-- [2]
[CITE[平成28年度 第1回[[古賀市]]文化財保護審議会会議録]]
([TIME[2017-08-31 14:44:13 +09:00]])
<https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/111.pdf>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[近世| 古賀の歴史| 古賀市の魅力 -観光ガイド-| 古賀市オフィシャルページ]]
([TIME[2018-03-06 16:33:09 +09:00]])
<http://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/history/005.php>
]FIGCAPTION]
> 高木・前田遺跡で発見された墓石には「亀光元年戌九月廿五日」と彫られていました。「亀光」は私年号といわれるもので、朝廷によって定められた年号(公年号)とはことなるものです。
> この私年号は博多商人の間でも使用されたようで山本屋甚兵衛名義の『講鋪證文之事』にも「亀光元年戌九月」とあります。
> この「亀光」のつくられた年は、現在のところ文久2(1861)年をあてるのが最も妥当と思われますが、この年号を使用した人々やこれを考えつくった人に関しては不明です。
> また使用された地域は福岡藩内に留まるものと思われます。なお、確認されている2例ともに「亀光元年戌九月」ですから、ごく短期間に使用された可能性も考えられます。
]FIG]
- [21]
[[古賀市教育委員会]],
2018年10月15日,
[TIME[2021-03-09T09:56:26.000Z]] <https://www.facebook.com/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B8%82%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-1772132976379991/photos/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B8%82%E6%8C%87%E5%AE%9A%E6%9C%89%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%82%92%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AB%E6%8C%87%E5%AE%9A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8%E3%81%AB%E5%B1%95%E7%A4%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E4%BA%80%E5%85%89%E5%85%83%E5%B9%B4%E9%8A%98%E5%A2%93%E7%9F%B3%E3%82%92%E6%9C%89%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E8%80%83%E5%8F%A4%E8%B3%87%E6%96%99%E3%81%AB%E6%8C%87%E5%AE%9A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B8%82%E6%96%B0%E5%8E%9F%E3%81%AE%E7%99%BA%E6%8E%98%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%A3/2104436393149646>
-- [34] [CITE[44202356_2104436396482979_2486821467799420928_n.jpg (JPEG 画像, 2016x1512 px)]], [TIME[2018-10-15T08:51:57.000Z]], [TIME[2021-04-14T09:01:32.875Z]] <https://scontent-sjc3-1.xx.fbcdn.net/v/t1.6435-9/44202356_2104436396482979_2486821467799420928_n.jpg?_nc_cat=101&ccb=1-3&_nc_sid=9267fe&_nc_ohc=YHeIEpz7JpUAX84sOEu&_nc_ht=scontent-sjc3-1.xx&oh=9a559a61ab9e6c93e2033c58a011e50a&oe=609CB14A>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[[[私年号]]「亀光元年」銘墓石 文化遺産オンライン]]
([TIME[2019-07-17 16:04:15 +09:00]])
<https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/427992>
]FIGCAPTION]
> 「きこう」と読むのか「きっこう」と読むのか不明
]FIG]
- [5] [CITE@ja[私年号「亀光元年」銘墓石 文化遺産オンライン]] ([TIME[2019-07-16 19:18:02 +09:00]]) <http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/427992/2>
- [3] [CITE@el[Ο χρήστης 祥展堂 στο Twitter: "新元号が話題となっていますがこちらの史料には私年号「[[亀光]]」が使用されています。使用されていた期間、地域など不詳です。そもそも当史料の性格(商取引関係か)も今一つわかりません。 #古文書 #新元号 #私年号… "]]
([TIME[2019-07-16 17:55:04 +09:00]])
<https://twitter.com/shotendo88/status/1109798591344734208>
-- [41] [CITE@ja[祥展堂さんは[[Twitter]]を使っています 「@sundayhistorian 横の記載からそうだと思われます。とすればごく短期間使用された可能性が高くなるかと。」 / Twitter]], 午後10:16 · 2019年3月24日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-04-14T09:05:13.000Z]] <https://twitter.com/shotendo88/status/1109806287439560710>
-- [30] [CITE@ja[祥展堂さんは[[Twitter]]を使っています 「@sundayhistorian 旧蔵者のメモには近江商人旧蔵とありましたが根拠が不明です。当時の商取引、慣習についての知識がありませんと読解は難しそうです。そう考えますと符丁も文化財ですね。」 / Twitter]], 午後10:32 · 2019年3月24日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-04-14T08:32:56.000Z]] <https://twitter.com/shotendo88/status/1109810175437729801>
--[24] [CITE@ja[祥展堂さんは[[Twitter]]を使っています 「@jijicom こちらは私年号「亀光」が使用された史料です。 https://t.co/Xj2NKc0ehM」 / Twitter]], 午後8:06 · 2019年3月25日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-04-14T07:30:16.000Z]] <https://twitter.com/shotendo88/status/1110135816909512704/photo/1>
- [22] [CITE@ja[講鋪証文之事 - 九大コレクション | [[九州大学附属図書館]]]], [TIME[2021-03-09T09:57:22.000Z]] <https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD820&bibid=415811>
- [20] [CITE@ja[近世| 古賀の歴史| [[古賀市]]の魅力 -観光ガイド-| 古賀市オフィシャルページ]], [TIME[2021-03-09T09:51:20.000Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/history/005.php>
- [19] [CITE[[[れきしのアルバム]] No.43.pdf]],
[[古賀市立歴史資料館]],
令和2年1月31日発行,
[TIME[2020-02-07T08:22:58.000Z]], [TIME[2021-03-09T09:45:18.036Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/source/bunka/No.43.pdf>
- [23] [CITE@ja[私年号「亀光」確認 鳥羽・浦村、民家の古文書に 三重、福岡、愛知で5例 /三重 | [[毎日新聞]]]],
[[林一茂]],
2021/4/14,
[TIME[2021-04-14T07:28:39.000Z]]
<https://mainichi.jp/articles/20210414/ddl/k24/040/129000c>
-- [25] [CITE@ja[<私年号>私年号「亀光」確認 鳥羽・浦村、民家の古文書に 三重、福岡、愛知で5例 /三重([[毎日新聞]]) - goo ニュース]],
[[林一茂]],
2021/04/14 07:39,
[TIME[2021-04-14T07:40:10.000Z]] <https://news.goo.ne.jp/article/mainichi_region/region/mainichi_region-20210414ddlk24040129000c.html>
]REFS]
-*-*-
[36]
[[岐阜県歴史資料館]]所蔵[[林周教]]旧蔵
[CITE[伊勢山御運上帳]]
に[[日付]]が
「亀光元癸戌.3月25日」
とされるものがありました。
[SRC[>>26]]
[37]
「癸戌」
は[[干支]]にありませんが、
[TIME[文久2(1862)年[LINES[壬][戌]]][1862]]の意としても矛盾はなさそうです。
;; [49] 「癸」の[[異体字]]「关」と「壬」が書写や翻刻の過程で混同されたのかも?
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[26] [CITE@ja[[[林周教]]_1_9 - 岐阜県公式ホームページ(歴史資料館)]],
2020年2月27日更新,
[TIME[2021-04-14T07:12:11.000Z]], [TIME[2021-04-14T07:45:10.518Z]] <https://www.pref.gifu.lg.jp/page/12904.html>
]FIGCAPTION]
>
,亀光元癸戌.3月25日 ,伊勢山御運上帳 , , ,1冊 ,9文化9-228
]FIG]
]REFS]
-*-*-
[14]
[[近江国]]で[[天保]]時代にあった一揆について言及した
[CITE[近江国田畑御見分ニ付騒動写]]
([[隠岐邑浅五郎]]、岡山大学付属図書館黒正文庫所蔵)
の[[日付]]は「亀光元年」
とされています。
[SRC[>>27, >>4, >>15, >>16, >>17]]
;; [47]
[[近江国]][[甲賀郡]][[隠岐村]]は[[明治時代]]に[[佐山村]]、
現在の[[甲賀市]]。
[18] この「亀光」が何年なのかは不明。
当該一揆が[TIME[天保14(1843)年][1843]]で、それ以後。
[46]
[[昭和時代]]の研究では[[著者]]の[[隠岐邑浅五郎]]が作った[[私年号]]とされていたようですが、
近年の発見例を踏まえて再検討してみる価値はありそうです。
[REFS[
- [27] [CITE@ja[編年百姓一揆史料集成 16 - [[Google Books]]]],
[TIME[1979]],
[TIME[2021-04-14T08:17:45.000Z]] <https://www.google.co.jp/books/edition/%E7%B7%A8%E5%B9%B4%E7%99%BE%E5%A7%93%E4%B8%80%E6%8F%86%E5%8F%B2%E6%96%99%E9%9B%86%E6%88%90_16/rOgxAAAAMAAJ?hl=ja&gbpv=1&bsq=%22%E4%BA%80%E5%85%89%E5%85%83%E5%B9%B4%22&kptab=overview>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[17] [CITE[歴史への招待 - 南條範夫, 鈴木健二, 日本放送協会 - Google ブックス]]
(第 19 巻 南條範夫, 鈴木健二, 日本放送協会 日本放送出版協会, 1981 [TIME[2019-07-23 21:44:49 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=ZJLSAAAAMAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89>
]FIGCAPTION]
> 37 ページ
> そして今るを得なかったに違いないこのように考え得る根拠は、史料の表紙害かれた「
亀光元年」という文字である。もちろん亀光という元号は存在しない。浅五郎が勝手に
作った元号、すなわち私年号である。明治以降の一世一元制と異なり、それ以前は朝廷
が ...
> 37 ページ
>もちろん他光という元号は存在しなであった 処神取締め切。れたこ年写装さ、 5
合以上本「反 37 百姓一揆大行進 。て、この私年号問題は大いに興味深い。今い
。浅五郎が勝手に作った元号、すなわち岡山大学図書館の黒正文庫は、全国の一
...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[15] [CITE[一揆 - Google ブックス]]
(第 2 巻 東京大学出版会, 1981 [TIME[2019-07-23 21:41:40 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=k6EyAQAAIAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89>
]FIGCAPTION]
> 280 ページ
> この一揆を記した黒正厳文庫の史料の表題には、「亀光元年近江国田畑御見分ニ付
騒動写発端より御裁許逸記」とあり、「亀光元号」とは私年号と考えられる。国家威信
保持の道具立てである元号に私年号が対置されていることは、反幕政を掲げた一揆の
性格 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE[史料教養の日本史 - Google ブックス]]
(竹内誠 東京大学出版会, 1991 - 273 ページ [TIME[2019-07-23 21:43:31 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=310wAAAAMAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89>
]FIGCAPTION]
> (太田尚宏)社会が大きく変わることを予見し、これを私年号「亀光」という幕府の政策が
一揆の前に撤回を余儀なくされたことを眼前にして、年までも続くようにと願ったもので
あろうか。ともあれ浅五郎は、ものとされる「亀」と「光」とを組み合わせ、新たな世の光が
万「 ...
>
そこで九月に入り、野洲郡三上村の庄屋土川平兵衛らは、検「亀光」というのは
浅五郎が自ら作った年号である。縁起が良い地中止を求める嘆願書を作成し、
市野との直接交渉を計画した。ものとされる「亀」と「光」とを組み合わせ、
新たな ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] ([TIME[2016-10-17 18:41:24 +09:00]])
<http://www.edu-konan.jp/ishibeminami-el/kyoudorekishi/404030100.html>
]FIGCAPTION]
> 亀光(ママ)元年の『近江国田畑御見分ニ付騒動写』(岡山大学付属図書館黒正文庫所蔵 裏表紙に「隠岐邑浅五郎書」とある)という文書の末尾に取り調べのひようをもからんで一揆に対する心境が簡単にかたられている。
]FIG]
]REFS]
* 関連
[7]
他にもいろいろな[[私年号]]が使われました。
[SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]]
* メモ
[48] [CITE[111.pdf]], [TIME[2017-08-31T05:44:13.000Z]], [TIME[2021-06-16T09:03:09.257Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/111.pdf>