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999
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[1]
[TIME[昭和23年 (1948年)][year:1948]]
から[TIME[昭和26年 (1951年)][year:1951]]
までの4年間、
[[日本]]では[[夏時刻]] ([[サンマータイム]])
が実施されました。
[SEE[ 日本の時刻制度一般については[[日本の標準時]] ]]
* 制度の呼称
[10] [SEE[ 昭和のサンマータイムに限らない一般的事項は[[夏時刻]] ]]
[22] [[日本政府]]内では当初[[デイライト・セイヴィング・タイム]] [SRC[>>634]]
や[[日光節約時間]]といった名称も用いられていましたが、
最終的に[[法律]]上の呼称は[[夏時刻]]となりました。
ただしその後も政府内では[[夏時間]]とも表記されることがあり、揺れていました。
[320] [[新聞]]報道を始め世間一般では[[サンマタイム]]、[[サンマータイム]]と呼ばれていました。
[296] [[新聞]]では[[日本]]における[[夏時刻]]制度の[[時刻]]のことを「[[日本夏時間]]」と表記していたようです
[SRC[>>284]]。
[297] [DFN[JDT]] と略される
([DFN[Japan Daylight-saving Time]])
こともあります (当時から用いられていたのかは不明です)。
;;
[9] なお、従前の[[中央標準時]]はそのまま存続されました。
[[中央標準時]]と[[夏時刻]]の2つの[[時刻]]が存在し、
日常生活では両者を切り替えて用い、
[[気象観測]]など一部業務では専ら[[中央標準時]]のみを用いました。
-*-*-
[3] [[奄美]]を含む[[琉球][琉球列島]]地域では、
[[法令]]上[[日光節約時]]、[[日光節約時間]]と呼ばれていました。
[[琉球][琉球列島]]は[[米軍]]の[[軍政]]下にあり、[[米国]]風の呼称である
[[daylight saving time]] が軍政布告で採用されたと思われます。
[6] ただし[[サンマタイム]]と併記された例 [SRC[>>236]] もありました。
[5] [[日本人]] ([[琉球]]の住民) で構成される政府機関の議事録では専ら[[サンマータイム]]と呼ばれました。
[7] おそらく[[琉球]]でも現地住民は[[サンマータイム]]、[[サンマタイム]]と呼んでいたのでしょう。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[284] [CITE@ja[賠償条項でアジアに配慮した最終草案明らかに サンフランシスコへ(42) :日本経済新聞]]
([TIME[2015-11-24 02:00:14 +09:00]] 版)
<http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK23003_U2A520C1000000/>
]FIGCAPTION]
> 1951年当時の日本は夏時間を採用していた。だから国際的なニュースには発生時刻に現地時間に「日本夏時間」を添えて報道することがあった。このニュースもそうだった。
]FIG]
]REFS]
** 秋刀魚タイム
[110]
[[サンマータイム]]という当時の一般的[[日本人]]にとって聞き慣れない言葉と制度に、
[[秋刀魚]]と掛けた[[駄洒落]]のようなものも広まっていたようです。
[111]
[[遅刻]]することを[[秋刀魚]]タイムではなく[[鰯]]、
[DFN[イワシタイム]]と呼んでいたという逸話もありました [SRC[>>70]]。
[SEE[ [[地方時間]] ]]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[70] [CITE[近畿民俗 - Google ブックス]]
(近畿民俗, 第 19~30 号 名著出版, 1956 [TIME[2018-10-29 17:04:17 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=E9gEAAAAMAAJ>
]FIGCAPTION]
> 午後一時になって開会時刻になっても誰も来ない。どうしたのだろうとおもっている
と役場の人が来て「このあたりはイワシタイムでして:」という。
ちようどサンマータイム(夏時間)のおこなわれていたころのことで、サンマーをもちって
サンマ(秋刀魚)とよび、正規の時間よりおくれるのをイワシと言っていた。
]FIG]
]REFS]
* 時刻の呼称
[516] [SEE[ 他国の事例は[[閏時]] ]]
[628] [[日本]]本土の制度によれば、
開始日は1日が23時間で構成され、終了日は1日が25時間で構成されました。
[670] [CITE[夏時刻法]]は、実施の期間「の間は、
すべて中央標準時より一時間進めた時刻(夏時刻)を用いる」と定めており、
これに従えば開始日は1時 (午前1時) から始まり24時 (午後12時) で終わると解釈できます。
[FIG[ [42] [[夏時刻]]開始
[PRE[
----------+------------- - - ----------+---------
土 | 日 | 月
標準時 22 23 24|0 1 2 3 22 23 24|0 1 2
----------+------------- - - ------+---+---------
土 | 日 | 月
夏時刻 |1 2 3 4 23 24|0 1 2 3
----------+------------- - - ------+-------------
土 日
世界時 13 14 15 16 17 18 14 15 16 17 18
------------------------ - - --------------------
]PRE]
]FIG]
[19] 同様に終了日は0時 (午前0時) から24時 (午後12時) が存在すると解釈できますが、
その直後の1時間の[[余分な時間][閏時]]がどう呼ぶべき[[時刻]]なのか、
[CITE[夏時刻法]]からは判断できません。
[679] [[夏時刻法]]制定時の[[国会]]審議では、[[政府委員]]は
「四月の第一土曜日に次ぐ日曜日は、午前零時から一時までの一時間が消滅し、九月の第二土曜日の午後十一時から、翌日曜日の午前零時までが、二時間となりますので」
[SRC[>>495]] と言及していました。この日の最後の1時間がどのような[[時刻]]なのか、
やはり不明瞭です。
[672] [CITE[夏時刻法]]の条文「中央標準時より一時間進め」
るに文言そのままに従うなら、翌日午前0時-午前1時ということになります。
しかしこれでは[[夏時刻]]最後の1時間の[[日付]]が変わってしまい、
最終日は25時間で1日との[CITE[夏時刻法]]の規定と矛盾してしまいます
(図の㋒)。
[[日付]]は無視して[[時刻]]部分だけ「中央標準時より一時間進め」るなら、
2回目の午前0時-午前1時が24時間ぶりに訪れたとも解釈できますが、大変不自然です
(図の㋓)。
[51]
当時[[日本政府]]で[[夏時刻法]]を担当していた[[連絡調整事務局]]の文書には、
[[夏時刻]]から[[標準時]]に切り替える[[時刻]]は[[夏時刻]]の「午後[RUBY[十三時][◦◦◦]]」
[SRC[>>2246]] とありました (図の㋑)。
[TIME[2018年][year:2018]]に照会された
[[NICT]] [WEAK[(現在[[日本標準時]]を運用している政府機関)]]
の担当者も、午後12時59分の次が翌日午前0時0分となったと回答しました [SRC[>>2107]]。
ただその回答の根拠は示されていません。
(なお、[[東京五輪]]のため新たに[[夏時刻]]が導入された場合 ([SEE[ [[日本の標準時]] ]])
の呼称は不明と回答しました [SRC[>>2155]]。)
[343] 現代の文献は、[[24時間制]]で 24:00〜25:00 のように呼んでいる
[SRC[>>12, >>350, >>666]] ことが多いです (図の㋐)。
しかし当時そのように表記したとする根拠は見当たりません。
;; [41] [[国鉄]]では[[24時間制]]を用いていたはずですが、
当時の[[鉄道ダイヤ]]はどう表記されていたのでしょうか。
[295] 実際には、この時代に普及していた[[アナログ時計]]では、
深夜12時ないし就寝時に時計の針を1時間動かす方法で[[夏時刻]]への移行や復帰が行われました
(>>49)。
「12時」に1時間戻すという[[時計]]の動きに忠実に従うなら、
「午後11時59分」のあと、12時になった瞬間に再び
「午後11時」が訪れたということになります
(図の㋔)。
ただし、この方式では[CITE[夏時刻法]]よりも1時間早く[[中央標準時]]に復帰したと解釈する
(図の㋕) のが自然になってしまいます。
[169]
[[戸籍]]業務においては、
[TIME[昭和25年][year:1950]]の通達により、
- 第二十四時間目までは通常の方法による。
- 第二十五時間目は「午後十一時[VAR[何]]分(夏時刻)」とする。
- 第二十五時間目を終わったときは翌日午前零時とする。
... と定められました [SRC[>>1502]] (図の㋗)。
これは図の㋔と同じですが、1回目の午後11時59分の次が再び午後11時0分となるのを、
区別して2回目の方に「(夏時刻)」とつけることになっています。
[170] [CITE[夏時刻法]]の規定により第25時間目の終了までが[[夏時刻]]ですから、
第25時間目を[[夏時刻]]と呼ぶことは間違っていませんが、
第24時間目までも[[夏時刻]]には違いなく、
また第25時間目は[[標準時]]とも一致する午後11時で、
[[夏時刻]]固有の特異な午後11時なのはむしろ第24時間目なのですから、
この表記には違和感があります。
[FIG[ [45] [[夏時刻]]終了
[PRE[
----------+--------- - - --------------+-------------
| 土 | 日
標準時 22 23 24|0 1 2 21 22 23 24|0 1 2 3
後 後 後|前前 前 後 後 後 後|前前 前 前
10 11 12|0 1 2 9 10 11 12|0 1 2 3
------+------------- - - --------------+-------------
金 | 土 |
夏時刻㋐ 23 24|0 1 2 3 22 23 24 25|
| |
後 後|前前 前 前 後 後 後 後|
夏時刻㋑ 11 12|0 1 2 3 10 11 12 13|
| +---+
| |日 |
後 後|前前 前 前 後 後 後前前|
夏時刻㋒ 11 12|0 1 2 3 10 11 12|0 1|
| +---+
| 土 |
後 後|前前 前 前 後 後 後前前|
夏時刻㋓ 11 12|0 1 2 3 10 11 12 0 1|
| |
後 後|前前 前 前 後 後 後後後|
夏時刻㋔ 11 12|0 1 2 3 10 11 121112|
| +---+
後 後|前前 前 前 後 後 後|
夏時刻㋕ 11 12|0 1 2 3 10 11 12|
| +-------+
| |日 |
後 後|前前 前 前 後 後 後|前前 前|
夏時刻㋖ 11 12|0 1 2 3 10 11 12|0 1 2|
| +---+---+
| |
後 後|前前 前 前 後 後 後 |
夏時刻㋗ 11 12|0 1 2 3 10 11 11 |
| (夏) |
------+------------- - - --------------+-------------
金 土
世界時 13 14 12 13 14 15 16 17 18
-------------------- - - ----------------------------
]PRE]
]FIG]
-*-*-
[32] [[琉球]]の[[法令]]では異なる表現が用いられました。
いずれも同じ時刻が2度繰り返されたことになり、
両者の区別の方法が存在したのか不明です。
- [33]
[TIME[1948年6月1日0時][1948-06-01T00:00+09:00]]に1時間進めて
[TIME[1948年6月1日1時][1948-06-01T01:00+10:00]]
([[奄美]]) [SRC[>>234]]
- [36]
[TIME[1948年5月31日24時][1948-06-01T00:00+09:00]]に1時間進めて
[TIME[1948年6月1日1時][1948-06-01T01:00+10:00]]
([[八重山]]) [SRC[>>965]]
- [34]
[TIME[1948年9月12日0時][1948-09-12T00:00+10:00]]に1時間遅らせて
[TIME[1948年9月11日23時][1948-09-11T23:00+09:00]]
([[奄美]]) [SRC[>>236]]
-- 図の㋕
- [35]
[TIME[1948年9月13日0時][1948-09-13T00:00]]に切り替え
([[沖縄]]の政府議事録) [SRC[>>240, >>241]]
-- 図の㋕または㋒
- [37]
[TIME[1948年9月12日1時0分][1948-09-12T01:00]]に切り替え
([[八重山]]) [SRC[>>969]]
-- 図の㋒または㋖ (㋒か?)
- [38]
[TIME[1950年9月11日0時][1950-09-11T00:00+10:00]]に1時間遅らせて
[TIME[1950年9月10日23時][1950-09-10T23:00+09:00]]
([[八重山]]) [SRC[>>971]]
-- 図の㋕
;; [40]
厳密に言えば翌日0時になってから1時間戻すのでは各種[[法令]]上の[[日付]]や[[期間計算]]の取扱いに問題を生じる可能性があり、
当日24時に1時間戻すとするべきなのでしょうが、
そのような特別な配慮を行う[[法令]]は見当たらず、
実務上も問題無かったのでしょう。
[REFS[
- [2097] [CITE['''['''tz''']''' 1948-1951 Asia/Tokyo DST information]]
([TIME[2018-09-09 23:49:39 +09:00]])
<https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-September/026798.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2107] [CITE['''['''tz''']''' Re: Inquiry to NICT about Japanese Summer time in 1948-1952.]]
(aya sekido ayasekido at nict.go.jp Tue Sep 11 07:28:04 UTC 2018 [TIME[2018-09-12 02:00:50 +09:00]])
<https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-September/026801.html>
]FIGCAPTION]
> It is said that corresponding summer time was performed by instruction of the GHQ: General Headquarters (office of the Supreme Commander of the Allied Powers).
> We do not have detailed data about summer time then.
> According to the law of those days, the last day of summer time was made into 25 hours.
> What came after 12:59 p.m. of the last day was 00:00 a.m. of the next day.
]FIG]
- [2155] [CITE['''['''tz''']''' Japanese Summer time fallback transition in autumn 2020?]]
([TIME[2018-09-19 05:42:58 +09:00]])
<https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-September/026859.html>
]REFS]
* 日本本土の夏時刻制
[317] [[日本]]の[[本土]]では、
[TIME[昭和23年][year:1948]]から[TIME[昭和26年][year:1951]]まで、
[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] を1時間進めた[[夏時刻]] [TZ[+10:00]]
が実施されていました。
** 実施期間
[18] [[夏時刻法]] [SRC[>>13, >>14]] によると、次のように[[夏時刻]]が運用されていました。
[FIG(table)[
:gyear: [[元号年]]
:year: [[西暦年]]
:old: 旧[[曜日]]
:old day: 旧[[日時]]
:new: 新[[曜日]]
:new day: 新[[日時]]
:notes: 備考
:gyear: [TIME[昭和23年][year:1948]]
:year: [TIME[1948年][year:1948]]
:old: 5月第1[[土曜日]]
:old day: [TIME[5月1日24時][1948-05-02T00:00+09:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[5月2日1時][1948-05-02T01:00+10:00]]
:notes: [[夏時刻]] [TZ[+10:00]] 開始
:gyear: [TIME[昭和23年][year:1948]]
:year: [TIME[1948年][year:1948]]
:old: 9月第2[[土曜日]]
:old day: [TIME[9月11日25時][1948-09-11T25:00+10:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[9月12日0時][1948-09-12T00:00+09:00]]
:notes: [[標準時]] [TZ[+09:00]] 復帰
:gyear: [TIME[昭和24年][year:1949]]
:year: [TIME[1949年][year:1949]]
:old: 4月第1[[土曜日]]
:old day: [TIME[4月2日24時][1949-04-03T00:00+09:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[4月3日1時][1949-04-03T01:00+10:00]]
:notes: [[夏時刻]] [TZ[+10:00]] 開始
:gyear: [TIME[昭和24年][year:1949]]
:year: [TIME[1949年][year:1949]]
:old: 9月第2[[土曜日]]
:old day: [TIME[9月10日25時][1949-09-10T25:00+10:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[9月11日0時][1949-09-11T00:00+09:00]]
:notes: [[標準時]] [TZ[+09:00]] 復帰
:gyear: [TIME[昭和25年][year:1950]]
:year: [TIME[1950年][year:1950]]
:old: 5月第1[[土曜日]]
:old day: [TIME[5月6日24時][1950-05-06T00:00+09:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[5月7日1時][1950-05-07T01:00+10:00]]
:notes: [[夏時刻]] [TZ[+10:00]] 開始
:gyear: [TIME[昭和25年][year:1950]]
:year: [TIME[1950年][year:1950]]
:old: 9月第2[[土曜日]]
:old day: [TIME[9月9日25時][1950-09-09T25:00+10:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[9月10日0時][1950-09-10T00:00+09:00]]
:notes: [[標準時]] [TZ[+09:00]] 復帰
:gyear: [TIME[昭和26年][year:1951]]
:year: [TIME[1951年][year:1951]]
:old: 5月第1[[土曜日]]
:old day: [TIME[5月5日24時][1951-05-05T00:00+09:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[5月6日1時][1951-05-06T01:00+10:00]]
:notes: [[夏時刻]] [TZ[+10:00]] 開始
:gyear: [TIME[昭和26年][year:1951]]
:year: [TIME[1951年][year:1951]]
:old: 9月第2[[土曜日]]
:old day: [TIME[9月8日25時][1951-09-08T25:00+10:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[9月9日0時][1951-09-09T00:00+09:00]]
:notes: [[標準時]] [TZ[+09:00]] 復帰
]FIG]
-*-*-
[147] [[Time Changes]] の [[JAPAN]] は、次のように示していました [SRC[>>139]]。
- [TIME[1948-05-02]] - [TIME[1948-09-11]]
- [TIME[1949-04-03]] - [TIME[1949-09-10]]
- [TIME[1950-05-07]] - [TIME[1950-09-09]]
- [TIME[1951-05-06]] - [TIME[1951-09-08]]
[980] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Tokyo]] は、
次のように定義しています [SRC[>>159, >>64]]。
- [TIME[1948年][year:1948]]、[TIME[1950年][year:1950]]、[TIME[1951年][year:1951]]5月第1[[土曜日]]24時に1時間進める
- [TIME[1949年4月][1949-04]]第1土曜日24時に1時間進める
- [TIME[1948年][year:1948]]-[TIME[1951年][year:1951]]9月8日またはそれ以後の[[土曜日]]
25時に1時間戻す
-*-*-
[47]
[[土曜日]]と[[日曜日]]の間に切り替えを行うのは全世界的な慣習ですが、
[[日本]]本土においてこれを踏襲したのは、[[鉄道ダイヤ]]への配慮 (>>171) でした。
-*-*-
[49]
[[日本政府]]は、[[夏時刻]]への移行について、
厳密には[[土曜日]]から[[日曜日]]に変わった[TIME[0時][00:00]]に1時間進めるのだが、
一般には[[土曜日]]に就寝する際[[時計]]を1時間進めれば良い [SRC[>>2246]]
としていました。
[50]
[[標準時]]への復帰については、
[[土曜日]]の「午後十三時」に1時間遅らせるのだが、
一般には[[土曜日]]に就寝する際[[時計]]を1時間戻せば良い [SRC[>>2246]]
としていました。
[52]
「こんやの12時」に時計を調整して復帰するよう指示した当時の記録もあります [SRC[>>513]]。
-*-*-
[199] 本項の他の章に示す通り、
初回実施前の検討や実施中の議論でも、
開始日や終了日についてはいろいろな案がありました。
[200] 切り替えの時刻については問題とされなかったようで、
代替案は見当たりません。
[REFS[
- [139] [[Time Changes]] (1982)
]REFS]
*** 誤情報
[228] [[昭和のサンマータイム]]については、
根拠不明の怪しい情報がいくつか流布されています。
**** Shanks と旧版 tzdata の説
[155] [[Shanks]] (1991 [SRC[>>150]], 2003 [SRC[>>270]])
は[[日本]]のうち Asiya Air Force Base、Atsugi Naval Air
Station (US)、Tachikawa Air Force Base、Yokosuka Naval Base (US)、Yokota Air Force Base (US)
で[[夏時刻]]が実施され、それ以外では実施されていないとしています。
[[Shanks]] のデータにおける[[米軍基地]]とそれ以外の[[日本]]との違いはこの[[夏時刻]]のみであり、
[[Shanks]] は[[米軍基地]]のみ[[夏時刻]]が実施されたとする何らかの情報を得ていたのかもしれませんが、
不明です。
この時代には他にも[[米軍基地]]や[[英軍基地]]が設置されていたはずですが、
それらには言及がありません。
[156] [[tzdata]] は、[[Shanks]] を引用しつつ、
[TIME[1951年][year:1951]]に[[日本政府]]が[[世論調査]]で[[夏時刻]]を廃止したとの情報を根拠に、
[[米軍基地]]限定とは考えにくいとし [CODE[Asia/Tokyo]] に[[夏時刻]]を適用しています
[SRC[>>159]]。
-*-*-
[622] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Tokyo]] は、
[TIME[2018年1月][2018-01]]の改訂 [SRC[>>979]] まで、
次のように定義していました [SRC[>>159]]。
- [TIME[1948年][year:1948]]、[TIME[1950年][year:1950]]、[TIME[1951年][year:1951]]
5月第1日曜日2時0分に1時間進める
- [TIME[1949年4月][1949-04]]第1日曜日2時0分に1時間進める
- [TIME[1948年][year:1948]]-[TIME[1951年][year:1951]]の
[TIME[9月8日][--09-08]]またはそれ以後の土曜日2時に1時間戻す
[158] [[Shanks]] ([TIME[2003][year:2003]] [SRC[>>270]]) と
[TIME[2018年][year:2018]]の改訂 [SRC[>>979]] 以前の [[tzdata]] は、
切り替えの[[時刻]]を[TIME[2時0分][02:00]]としていました。
その根拠は不明です。[CITE[夏時刻法]]と明らかに矛盾しており、誤りと考えられます [SRC[>>157]]。
境界を2時とするのは[[米国]]式の制度であり、 [[GHQ]]
や[[米軍基地]]が[[日本]]国内とは異なる制度を用いていた可能性も残りますが、
[[日本]]の[[本土]]のみならず[[米国占領地琉球]]や[[米国占領地南朝鮮]]・[[大韓民国]]でも0時を境界としていたのですから、
[[Shanks]] またはその情報源が誤解または根拠なく情報を補ったと推測する方が自然です。
[54]
[TIME[1948年4月28日][1948-04-28]]の[[日本政府]]の[[連絡調整事務局]]
([[GHQ]] との連絡担当の部署) の文書は、
[[日本政府]]は[TIME[5月1日][1948-05-01]]と
[TIME[2日][1948-05-02]]の[TIME[間の夜半][1948-05-02T00:00]]に[[夏時刻]]を採用するとした上で、
「[[占領軍]]においても夏時刻を採用される由でる」としていました。
[SRC[>>2246]]
そもそも [[GHQ]] からの提案で[[連絡調整事務局]]が主導した[[夏時刻]]の実施方法が[[日本政府]]と
[[GHQ]] とで異なっているとは考えにくく、
[[連絡調整事務局]]が何ら特記していない以上、 [[GHQ]]
独自制度は存在していないと判断するのが妥当でしょう。
[245]
[[Shanks]] が[[米軍基地]]のみ[[夏時刻]]とした理由は不明ですが、
[[戸籍]]に記載された[[生年月日]]情報が[[夏時刻]]期間も[[標準時]]だったためではないか
[SRC[>>246]] と予想されていたようです。 [[Shanks]] の目的は[[占星術]]で、
誕生の時刻の情報を換算するためのものでした。
(実際には[[戸籍]]の記載には[[夏時刻]]が用いられたようです。)
-*-*-
[89]
また、[TIME[2018年9月][2018-09]]の改訂までの [[tzdata]] は、
終了を
- [TIME[1948年][year:1948]]-[TIME[1951年][year:1951]]9月9日またはそれ以後の[[日曜日]]0時に1時間戻す
... としていました [SRC[>>979, >>64]]。この古い定義では[[夏時刻]]最後の24時から25時までが[[標準時]]扱いになっていました
(図 >>45 の㋕相当) が、
修正後は25時までが[[夏時刻]]として扱われるようになりました
(図 >>45 の㋐相当)。
[91]
これらの [[tzdata]] の変更は、より歴史的事実を正しく表現するための修正でしたが、
古い定義に依存していた[[ソフトウェア]]が誤動作する事例がいくつか報告されました
[SRC[>>67, >>88]]。 (これ自体は珍しいことではなく、 [[tzdata]]
の更新のたびに世界中で報告があります。仕組み上不可避の問題です。)
また、新たな定義が25時を境界としたため、 [[Java]] 用の [[tzdata]]
処理プログラムなど24時より大きな[[時刻]]を扱えない ([[tzdata]]
の暗黙の仕様を正確に実装したいなかった) ソフトウェアで問題が起こったことが多数報告されました。
[REFS[
- [246] [CITE[FW: Asia/Ishigaki?]] ([TIME[2012-02-25 11:55:06 +09:00]]) <https://mm.icann.org/pipermail/tz/1998-November/010476.html>
- [150] [CITE[「South Ryukyu Islandsの謎」調査の中間報告 および 最終報告]] ([TIME[2008-01-25 08:07:00 +09:00]] 版) <http://www.tomo.gr.jp/root/9925.html>
- [270] [[Shanks & Pottenger]] [CITE@en[The International Atlas]] (2003)
- [157] [CITE[日付と時刻の豆知識 (4)tz databaseと日本のサマータイム - hnwの日記]] ([TIME[2014-08-25 04:34:13 +09:00]] 版) <http://d.hatena.ne.jp/hnw/20101223>
(移転確認: [TIME[2019-01-18T01:53:27.400Z]])
-- [CITE@ja[日付と時刻の豆知識 (4)tz databaseと日本のサマータイム - hnwの日記]] ([TIME[2019-01-18 10:53:07 +09:00]]) <https://hnw.hatenablog.com/entry/20101223>
- [159] [[tzdata]]
-- ([TIME[2014-08-06 16:40:17 +09:00]] 版) <https://www.ietf.org/timezones/data/asia>
-- [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2017-09-07 22:25:34 +09:00]]) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L1440>
- [981] [CITE['''['''tz''']''' The Japanese time zone rule is wrong.]] ([TIME[2018-01-24 20:46:38 +09:00]]) <http://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-January/025896.html>
- [979] [CITE@en[Fix Japan DST transition times in 1948-1951]]
([[eggert]]著, [TIME[2018-01-22 11:50:36 +09:00]])
<https://github.com/eggert/tz/commit/bbd0ea690201acab766db57142f9aa0abba30613>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[517] [CITE@en[Japan Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2016-09-14 19:13:45 +09:00]])
<https://en.wikipedia.org/wiki/Japan_Standard_Time>
]FIGCAPTION]
> In 1948–1951 occupied Japan observed daylight saving time (DST) from the first Sunday in May at 02:00 to the second Saturday in September at 02:00, except that the 1949 spring-forward transition was the first Sunday in April. [4]
;; 出典 [4] は [[tzdata]]。
]FIG]
- [64] [CITE@en[1948/51 Japan fallbacks were at 25:00]]
([[eggert]]著, [TIME[2018-09-28 01:20:10 +09:00]])
<https://github.com/eggert/tz/commit/40ab5979c3226dcd1f52d6012d8ee5fe53ab148b>
- [251] [CITE@en[Avoid 25:00 in rearguard format]] ([[eggert]]著, [TIME[2018-10-19 03:06:07 +09:00]]) <https://github.com/eggert/tz/commit/401c42d991d4277cd606933fc9f5d9a13d1ac228>
- [67] [CITE@ja[Yusuke Endohさんのツイート: "何もしていないのにRubyのテストが失敗し始めた……ので、何人かのコミッタと調査したところ、1949年から1951年に行われた日本のサマータイムについてタイムゾーンデータベースが微妙に更新された(ずれる時刻が1時間ずれていたので直された)ことが原因とわかりました。 https://t.co/xOxOOUvAyN"]]
([TIME[2018-10-28 18:37:06 +09:00]])
<https://twitter.com/mametter/status/1055623525141082112>
- [88] [CITE[日本にもあるサマータイム問題 - Qiita]]
(@m_mouri 2018年12月18日に更新 [TIME[2018-12-19 17:45:28 +09:00]])
<https://qiita.com/m_mouri/items/10bd97f0dd38a966bce2>
]REFS]
**** 1951年9月7日打ち切り説
[80]
いくつかの [[Webページ]]は、
4年目の[TIME[昭和26年][year:1951]]の終了について、
[TIME[9月7日金曜日][1951-09-07]]で「打ち切られた」としています。
[82]
[CITE[夏時刻法]]に基づく本来の終了は[TIME[翌8日土曜日][1951-09-08]]と
[TIME[9日日曜日][1951-09-09]]の間でした。
それが[[日本国との平和条約]]の締結により「打ち切られ」たというのです。
[105]
記載内容の類似性からその多くは [[Wikipedia]] [SRC[>>2033]] が大元と推測されます。
そうであるか断定できないものも含め、
すべてが[CITE[大衆文化事典]]を出典としています。
[81]
[TIME[1991年2月][1991-02]]に出版された[CITE[大衆文化事典]]は、
[TIME[1948年5月2日][1948-05-02]]から[TIME[9月11日][1948-09-11]]まで実施されたものが、
極めて不評で[TIME[1951年9月7日][1951-09-07]]に「打ち切られ」、
[TIME[1952年][year:1952]]から[[廃止]]となった [SRC[>>102]]、
としていました。毎年開始と終了の日が違っていたことは本文から読み取れません。
[[Wikipedia]] と違って[[日本国との平和条約]]との関係性も言及がありません。
[106]
[CITE[大衆文化事典]]は出典に
[CITE[昭和の世相]]を挙げていますが、
[CITE[昭和の世相]]には「打ち切られ」たというような記載は見当たりません [SRC[>>145]]。
[CITE[大衆文化事典]]は他に巻末の参考文献一覧を参照していますが、
[[サンマータイム]]以外の項目も含めて関連する数十冊の事典類や世相を取り上げた書籍を列挙しており、
[CITE[昭和の世相]]以外に[[夏時刻]]を扱ったものがあるかは不明です。
いずれかに「打ち切られ」た旨の記載が含まれているのか、
あるいは[CITE[大衆文化事典]]の独自の見解なのか明らかではありません。
[83]
わずか1日終了を早める必要性は感じられず、
混乱の元にしかみえません。
[WEAK[([TIME[9月11日][1951-09-11]]から[TIME[7日][1951-09-07]]で4日早めると考えても同じです。)]]
[[夏時刻]]の期間は[[法律]]で定められていますから、
その変更には[[法律]]の制定 (改正) が必要ですが、
条約締結を受けて[[国会]]で審議し、1日早めるというのはスケジュール的に無理がありすぎます。
実際そうした[[法律]]は制定されていませんし、
前後の[[官報]]にもそれらしき記載はまったくありません。
[152]
[TIME[7日][1951-09-07]]は[[金曜日]]でしたから、
そこで「打ち切られ」たなら、[[金曜日]]と[[土曜日]]の間に[[標準時]]に切り替えられたことになります。
[[週休二日制]]実施の遥かに前であり、[[土曜日]]も勤務日でしたから、
それまでの土日間の切り替え以上の混乱に陥りそうです。
[84]
[[日本国との平和条約]]が[[調印]]されたのは、
[[サンフランシスコ]]現地時間の[TIME[1951年9月'''8日'''][1951-09-08]]でした。
[[時差]]を考えれば[[日本]]では既に
[TIME[8日][1951-09-08]]は終わりかけていたか、
[TIME[9日][1951-09-09]]になってしまっていたはずです。
[TIME[前日の7日][1951-09-07]]には[[日本国]]の[[内閣総理大臣]]で首席全権の[[吉田茂]]が条約受諾の演説を行ったようです
[SRC[>>85]] から、
それで締結がほぼ確定したといえるかもしれませんが、
[[日本]]では[TIME[7日][1951-09-07]]の終わりか[TIME[8日][1951-09-08]]だったはずです。
条約締結を受けて[[夏時刻]]を「打ち切る」ことは、
物理的に不可能です。
締結だけで[[発効]]どころか[[批准]]すらしていない[[条約]]を根拠にするのもおかしな話です。
[87]
[[日本国との平和条約]]と[[夏時刻]]に直接の関係はありませんが、
[[日本国との平和条約]]によって [[GHQ]] が廃止され、
[[夏時刻]]継続の外圧が消失したのですから、
[[日本国との平和条約]]により[[夏時刻]]が廃止となった、
という表現は間違いではありません。
また、[[日界]]と時刻切り替えが重なるため、
[[夏時刻]]の期間は
[TIME[8日][1951-09-08]]に終了したとも、
[TIME[9日][1951-09-09]]に復帰したともいわれます。
よく注意しないとこの1日のずれは容易に発生します。
伝言ゲームでいつの間にか[TIME[8日][1951-09-08]]終了が
[TIME[7日][1951-09-07]]終了にすり替わってしまった、
というのはありそうな話です。
これに[[日本国との平和条約]]の交渉がちょうど行われていたという情報が組み合わさって、
「打ち切られ」たという説に信憑性が付加されたといったところでしょうか。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[86] [CITE[二十五年の步み: 市制施行 25周年記念 - Google ブックス]]
([TIME[2018-12-28 23:09:13 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=FTJEAAAAIAAJ&dq=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%20%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0&focus=searchwithinvolume&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%20%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0>
]FIGCAPTION]
> 十一曰初の本年度サンマ—タイム打切り(
]FIG]
;; [161] 11日だから本来の予定通りだが (1948年)、「打切り」という表現が使われていた。
- [145] [CITE[昭和の世相]]
-- [108]
[CITE@ja-jp[昭和の歴史 (別巻) 昭和の世相 | 原田 勝正 |本 | 通販 | Amazon]]
<https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/409376011X/wakaba1-22/>
-- [107] [CITE[昭和の世相 - 原田滕正 - Google ブックス]] ([TIME[2018-12-24 13:27:01 +09:00]]) <https://books.google.co.jp/books?id=WbTTAAAAMAAJ>
[FIG(quote)[ [146] [CITE[昭和の世相]] 154ページ-156ページ
>
[BOX(vertical)[
[B[●サマー=タイムの採用]]
【時計の針を一時間進めて、出勤時刻
を卅分遅らせる。何のことやらわから
ない。なぜ簡明に出勤を卅分早めると
したのではいけぬのか。この疑問を常
識だとすればサンマー=タイムは非常
識となるだろう。常識なら申合せでも
済むが、非常識となると法律ででも強
制するのでない限り守るものはいな
い。法の[RUBY[煩][わずら]]わしきは国亡ぶるの基と昔
の人はいったそうである。(中略)
時間というものは太陽の運行から割
出されたものだ、などというものは古
代の観念でしかあるまい。近代の時間
はただ時計の針の先にだけある。だか
ら人間が自由にそれを動かすことがで
きる、というのだったら、むしろ、い
っそ、一時間遅らせてみたらどんなも
のだろうか[YOKO[?]] 朝いつもの[RUBY[如][ごと]]くに[RUBY[床][とこ]]を
離れる。しかし今日からは夏時刻だか
ら出勤は一時間遅れてよろしい。ゆつ
くりした気持で新聞が読める。日ごろ
は及びもつかなかつた社説や外電や学
芸欄やにまで丹念に[RUBY[眼][め]]が届く。これだ
けだつて大したものではないか[YOKO[!]]
昼の時間をできるだけ余計に利用さ
せるための方法だというのだが、どう
せ利用させるなら朝の新鮮な時間にし
た方が効果は多い。まさかに朝つばら
からマージャンやダンスをやる連中は
あるまい。一日の勤務を終えての徒労
しつくした時間では、どう与えられて
もしんみり読書したりする気持にはな
れぬのが普通である。針の先の動かし
方一つで結果は[RUBY[雲泥][うんでい]]に分れる。
役人にはゆつくりした時間を与えて
世界の勉強をさせねばならぬ、とこれ
は私の説ではない。[RUBY[荻生徂徠][おぎゅうそらい]]が『政
談』の中で述べていることである。彼
ならきつと一時間遅れの夏時刻の方を
採用したにちがいない】
[BOX(right)[
高田保『ブラリひょうたん』
]BOX]
夏時刻は日本では不評で、結局[YOKO[26]]年
限りで廃止されてしまった。
]BOX]
;; [149] 引用元文献 >>148
>
[BOX(vertical)[
[B[[YOKO[4]]・[YOKO[28]]]] 夏時刻法公布([YOKO[4]]月第一日曜~[YOKO[9]]
月第二土曜、時刻を[YOKO[1]]時間進める[B[サマ]]
[B[ー・タイム]])。昭和[YOKO[27]]年[YOKO[4]]月[YOKO[11]]日廃止。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[102]
[CITE[大衆文化事典]],
[[石川弘義]] (編),
[TIME[1991-02]]
<https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4335550464/wakaba1-22/>
]FIGCAPTION]
>
[B[サンマータイム]]
>
1948年5月2日の午前零時を期して実施された夏時間の
ことである。この日から9月11日までの夏季の間だけ,
時計の針を1時間だけ進めて生活しようというもので,
電力不足に悩まされていた時代であったため[ASIS[、]]太陽光線
を有効に使おうというのがねらいで, 「鬼より怖いGH
Q (占領軍総司令部)」の命令だった。当時の人々やマ
スコミはこれを「サマータイム」ではなく「サンマータ
イム」とよんだ。勤務後のプライベートタイムがたっぷ
りとれるというのもうたい文句の一つだったが, 当時の
日本人には夏の夜長を楽しむ余裕はまだなく, 残業が1
時間増えたとか, 8時過ぎまで日が暮れず, 食糧難のお
りなのにもう1食欲しくなったとか, 全国的に寝不足に
悩まされる人が増えたなど, きわめて悪評であったの
で, 51年9月7日を最後に打ち切られ[ASIS[、]]翌52年からは廃
止となった。
>
[BOX(right)[
(鷹橋信夫)
]BOX]
>
〔[B[主要文献]]〕 原田勝正編『昭和の世相』昭和の歴史別巻、小学館, 19
83.
>
〔[B[巻末文献表]] <44 流行語・世相語> 参照〕
]FIG]
;; [103] 縮刷版 <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4335550588/wakaba1-22/>
;; [104] 日が暮れないのに夜長とはこれいかに。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2033] [CITE@ja[夏時間 - Wikipedia]]
([TIME[2018-09-03 01:06:01 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%99%82%E9%96%93#%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E5%8D%A0%E9%A0%98%E6%9C%9F>
]FIGCAPTION]
> 1951年(昭和26年)度はサンフランシスコ講和条約が締結された第2金曜日の9月7日で打ち切られ[21]
> [21] 『大衆文化事典』「サンマータイム」の項(鷹橋信夫)、pp.299-300
]FIG]
;; [162] この記事を[[引用]]または[[コピペ]]した [[Webページ]]も多数。
- [85] [CITE@ja[日本国との平和条約 - Wikipedia]] ([TIME[2018-12-08 11:22:22 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2029] [CITE@ja[批判続出のサマータイム導入案、標準時を通報している情報通信研究機構に聞いてみた - 弁護士ドットコム]]
([TIME[2018-09-07 19:23:24 +09:00]])
<https://www.bengo4.com/internet/n_8461/>
]FIGCAPTION]
> 4年目:1951年(S26) 5/5(第1土)24時〜9/7(第2金)打ち切り(講和条約締結)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[154] [CITE@ja[(2ページ目)EUはサマータイム廃止へ それでも安倍政権は導入するのか|日刊ゲンダイDIGITAL]]
(公開日:2018/09/02 06:00 [TIME[2018-12-28 23:15:22 +09:00]])
<https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/236698/2>
]FIGCAPTION]
> 51年にサンフランシスコ講和条約が締結されると同時に打ち切られた。主権が回復した途端、廃止したのは、よほど嫌われていたということだ。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2030] [CITE@ja[批判続出のサマータイム導入案、標準時を通報している情報通信研究機構に聞いてみた - 弁護士ドットコム]]
([TIME[2018-09-07 19:25:17 +09:00]])
<https://www.bengo4.com/internet/n_8461/>
]FIGCAPTION]
> 1年目:1948年(S23) 4/28夏時間法公布 5/1(第1土)24時〜9/11(第2土)25時
> 2年目:1949年(S24) 4/2(第1土)24時〜9/10(第2土)25時
> 3年目:1950年(S25) 3/31一部法改正(4月→5月) 5/6(第1土)24時〜9/9(第2土)25時
> 4年目:1951年(S26) 5/5(第1土)24時〜9/7(第2金)打ち切り(講和条約締結)
> 実施せず:1952年(S27) 4/11法廃止 4/27占領終了 4/28講和条約発効
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2032] [CITE@ja[サマータイムの導入に賛成か? - 素人が新聞記事書いてみた]]
([TIME[2018-09-07 19:26:02 +09:00]])
<https://www.newspaper-ama.com/entry/2018/09/02/161936>
]FIGCAPTION]
> 昭和26年(1951年)9月7日で打ち切られた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[78] [CITE@ja[日刊キーワードと話のネタ サマータイム (2018年09月04日発行) | 日刊キーワードと話のネタ - メルマ!]]
(2018-09-04 発行 第2976号 [TIME[2018-12-09 20:02:08 +09:00]])
<http://melma.com/backnumber_161119_6729256/>
]FIGCAPTION]
> ・1948/05/02 (日) 昭和23
> サマータイム実施。GHQの命令で9月11日まで時計を1時間早めた。不評で1951年9月7日打ち切り。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[79] [CITE@ja[サマータイムを日本で導入したときのシステム影響を元SEが考えてみる - ゲームがやりたい]]
(2018-08-11 [TIME[2018-12-09 20:14:02 +09:00]])
<http://www.yaritai.games/entry/work/summertime>
]FIGCAPTION]
> 1948年~1951年の3年間、第二次世界大戦の敗戦後に導入されていました。夏時刻法という法律が制定されていたのですが、サンフランシスコ講和条約が締結された第2金曜日の9月7日で打ち切られています。*1
> [SNIP[]]
> *1:ISBN:9784335550461 『大衆文化事典』より
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2031] [CITE[日本のサマータイム導入期間の日付データをデータローダでインポートする際の注意事項]]
([TIME[2018-09-07 19:25:33 +09:00]])
<https://help.salesforce.com/articleView?id=000247699&language=ja&type=1>
]FIGCAPTION]
> 1948 年 5 月 2 日から 1948 年 9 月10 日まで
> 1949 年 4 月 3 日から 1949 年 9 月 9 日まで
> 1950 年 5 月 7 日から 1950 年 9 月 8 日まで
> 1951 年 5 月 6 日から 1951 年 9 月 7 日まで
]FIG]
;; どの年も開始日と終了日が範囲から外れているが、誤りなのか境界日だけ別の事情があって除外されているのか不明。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[227] [CITE[ホームページ の広場 第 32 回: システムの時刻]],
大阪医科大学 放射線医学 非常勤講師 (関西福祉科学大学 保健医療学部 教授) [[上杉康夫]],
大阪医科大学医師会会報 第50号([TIME[平成30年9月][2018-09]])
([TIME[2018-09-18 18:03:22 +09:00]])
<https://www.osaka-med.ac.jp/deps/omcda/report/pdf/report_50_p22-25.pdf>
]FIGCAPTION]
>
しかしながら夏時間は1951年(昭
和26年)度についてはサンフランシスコ講和条約
が締結された第2金曜日の9月7日までとなりました。
さらに翌1952年(昭和27年)4月28日のサンフラ
ンシスコ講和条約発効による日本の主権回復に先
立ち、夏時刻法は同年4月11日に廃止されまし
た 。
(この部分に出典は明記されていないが、参考文献として >>2033 が挙げられています。)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[272] [CITE@ja[サマータイム採用で日本は60年前の悪夢がよみがえる?―中国メ...|レコードチャイナ]],
[[Record china]],
配信日時:2018年8月31日(金) 5時40分
[TIME[2019-10-11 09:53:16 +09:00]]) <https://www.recordchina.co.jp/b638747-s0-c30-d0062.html>
]FIGCAPTION]
>
2018年8月28日、環球時報は、日本ではかつてサマータイムが採用された時期があったが、国民から多くの不満が出ていたと伝えた。
[SNIP[]]
>
「この年に4年目となるサマータイムが実施されたが、同年、日本は米国とサンフランシスコ平和条約を締結し、これとほぼ同時に日本政府はサマータイム終了を発表。翌年4月11日に政府はサマータイムを正式に廃止した」と伝えた。
>
記事は、「サマータイムの実施と廃止が日本の国家的地位の変化と関係があったため、多くの人がサマータイム廃止を日本の主権回復の象徴の一つと考えたのかもしれない」と論じている。(翻訳・編集/山中)
]FIG]
]REFS]
** 実施以前
[8] [SEE[ [[大東亜戦争]]の[[終戦]]までの経緯は、[[日本標準時改正案]] ]]
[742] [[大東亜戦争]]の[[終戦]]の後の[TIME[1945年12月][1945-12]]の[[帝国議会]]で、
[[貴族院議員]]の[[向山均]]が電力不足に関する[[質問]]内で[RUBY[[[夏季時間]]][[[サンマー・タイム]]]]の導入を求めたのに対し、
[[商工大臣]]の[[小笠原三九郎]]は検討中だと回答しました [SRC[>>741]]。
もっとも小笠原は[[夏時刻]]についてピンときていないようで、
当人が推進していたのではなく[[商工省]]内で検討もされていたという程度なのでしょう。
;; [30] 資源不足対策としての[[夏時刻]]実施は戦時下でも度々検討されていたようですから、
このときも政府内で候補に挙がっていたとして何ら不思議はありません。
;; [26] 小笠原は[TIME[翌年][year:1946]][[公職追放]]により[[辞職]]を余儀なくされ、
向山も[TIME[同年][year:1946]]に議員辞職していますが、
これらが[[夏時刻]]に影響を与えたかは不明です。
[597] [[日本]]本土の[[昭和のサンマータイム]]実施は、
[[GHQ]] [[経済科学局長]][[マーカット少将]]の覚書、
“日本におけるデーライト・セービング採用についての計画”に端を発するとされています
[SRC[>>598]]。これが何年のものかは不明です。
[11]
[TIME[昭和21年5月21日][1946-05-21]]、
[[聯合軍司令部]]は、
[[日本政府]]の[[東京天文台]]長の[[関口鯉吉]]に対し、
[[夏時法]]の実施を「希望的意見」として口頭で示し、
意見を求めました。
関口は、
天文台として技術的問題は無いものの、
「我國社会ノ特殊事情」より実施の必要はなく、
移行時の混乱が予想されることから好ましくない、と回答しました。
関口は次のような見解を有していました。
[SRC[>>2245]]
- [17]
[[夏時刻]]の利点とされる1つに早起きがあるが、
日本国民には夏の早起きの習慣が既にある。
夏と冬とで勤務時間を変える習慣があるから自然に実行されている。
- [20]
[[夏時刻]]の利点とされる1つに就寝が早くなり照明電力が節約されるとあるが、
日本の気候は冬は寒帯性、夏は熱帯性・海洋性であるから、
欧米の文化国家とは事情が異なる。
夏は蒸熱甚だしく、夜遅くまで寝付けないため、
照明節約効果は薄い。
- [90]
日本では夏季の始業を1時間早め、
場合によっては終業も遅らせる勤務形態が採られている。
[[夏時刻]]を実施して勤務時間を変更しない場合、
労働時間が1時間以上減少して経済損失につながる。
我が国の風土に合った季節性勤務体系の方が[[夏時刻]]制より適切だ。
- [23]
家庭内では[[標準時]]換算して行動する者が多いだろう。
[[改暦]]から数十年経って未だ[[旧暦]]が用いられることから推して知るべし。
国民に二重生活の不便を強いる。
;; [24]
暑さによる睡眠問題や一般家庭の二重時間問題が実施前から明確に予測されていました。
夏の暑さと就寝時刻の関係については、
約10年前の[[台湾の標準時]]改正 ([[通年夏時刻]]採用) でも問題となっていました
([SEE[ [[大東亜の標準時]] ]])。
20世紀末から21世紀の[[日本]]の[[サマータイム]]の議論では、
現代の季節変動の少ない労働時間が前提になっており、
賛成派も反対派も当時の労働慣習にまで踏み込んだ分析をできていないように思われます。
[25]
関口の反対に納得したのか、