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* 文亀
[2] [[日本の元号]] [[戦国時代]]
* 文鬼
[3]
[TIME[2022-12-25T09:36:57.400Z]]
<https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/29/29528/21407_1_%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A.pdf>
#page=21
私年号
文亀とすると廃寺の他の板碑の下限よりかなり下がる、書風も違う、
文亀とするのは無理か、かといって別案もなし
#page=37 拓影 (解像度低く紀年部分の判読難しい)
[1] [CITE[専称廃寺跡 私年号 名号石塔婆]]
([TIME[2014-10-19 15:58:00 +09:00]])
<http://kawai24.sakura.ne.jp/miyagi-isinomaki-sensyohaiji6.html>
>
専称廃寺跡 名号石塔婆 (南北朝~室町時代 文鬼元年、粘板岩、高さ 94Cm 幅 21Cm 厚さ 8Cm)
>
石塔婆は、中央に大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号、その下に「文鬼元年七月廿九日」の私年号、下方の左右に「臨阿弥陀仏、孝子敬白」と刻む。
>
名号の下に「文鬼元年七月廿九日」、向って右側に「臨阿弥陀佛」、左側に「孝子敬白」と刻む。
>
全国的には、同音異字を刻む例がレアケースとしてあるという。であれば、文鬼元年は文亀元年(1501)ということになるのだが。
>本石塔婆群の中で、種子を刻んだ碑は南北朝時代に現れるが、それには「孝子敬白」又は「施主敬白」と刻まれている。また、本石塔婆群の中で、
>
名号を刻む碑の下限は永享二年(1430)で、種子を刻んだものは長享年間(1487~89)になっている。いずれにしても、本石塔婆が南北朝から室町
>
時代中期の間に造立されたことは間違いないとおもわれる。であれば、文鬼元年が文亀元年(1501)となっても信じられる。口口口口
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,文鬼 ,- ,文亀元年(1501年) ,不明 ,宮城県石巻市専称寺跡板碑。公年号「文亀」の異表記。
* メモ