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[1] [CITE@ja-JP[能登志徴 : 森田平次遺稿 下編 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-22T03:53:37.771Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536040/1/158>
[2] [CITE@ja-JP[[[能登志徴]] : 森田平次遺稿 下編 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-22T03:54:21.672Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536040/1/169>
[3]
「法德九年八月六日」付けの郡界を定める文書の古写本があったそうです。
[SRC[>>1]]
[5]
>>2 にはその写本についてもう少し詳しいことが書かれています。
そして「法德」の正体が考察されています。
[6]
[[宝德]]の誤記で、山中ゆえの[[延長年号]]ではないかという説があったようです。
[SRC[>>2]]
[7] >>2 の著者は「法」の字のある[[元号]]([[公年号]])はないのだから、
[[偽年号]]に違いないとしています。
ここでいう[[偽年号]]は、[[中世私年号]]の類を指しているようです。
;; [4] 境界を決める写本というのが既に怪しい...
[8] [CITE[jii_22.pdf]], [TIME[2015-03-28T15:00:00.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:31:55.298Z]] <https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/jii/jii_22.pdf>
[9] >>8 は文書の著者は架空の人物で、写本も[[山論]]のためのもので言うまでもない([[偽書]]だ) としています。
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,(法徳) ,宝徳 ,寛文元年(1661年) ,不明 ,『能登志徴』
[11]
[CITE[Wikipedia]] の >>10 の記述は何を根拠にしているのか謎です。
出典に[CITE[能登志徴]]が挙げられていますが、
[CITE[能登志徴]]のどこにそのような記述があるのか謎。
[12]
この表の「(」「)」が何を意味しているのか、がまず説明がなく謎です。
[13]
[CITE[能登志徴]]によれば 「(法徳)」こそが本来の[[元号名]]。
異説とされる「宝徳」は相当する[[公年号]]の1説。
[14]
相当年とされる「寛文」は、
寛文9年に初めて[[加賀藩]]当局に「法徳」文書が提出された [SRC[>>8]]
ことに由来するものでしょうか。