/
614.txt
120 lines (93 loc) · 8.06 KB
/
614.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
;; [17] 1521年に[[スペイン]]が侵攻を開始し、やがて[[植民地]]となりました。
[[中米]]や[[太平洋諸島]]と一体の[[領土]]として管理していました。
[8] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Manila]] は、
元の[[地方時]]を [TZ[-15:56:00]] としています [SRC[>>7]]。
;; [18] [[tzdata]] は -15 を最初の時差としていますが、
元々 +8 だったのがスペイン領となって -15 に改まったと処理するのが妥当にも思えます。
[10] [[スペイン領フィリピン]]の[[総督]] (governor-general) の
[[Narciso Claveria y Zaldua]] ([[ナルシソ・クラベリア]]、
在任期間 [TIME[1844]]-[TIME[1849]]) の[TIME[1844年8月16日][1844-08-16]]の[[布告]]により、
[TIME[1844年12月30日][1844-12-30]]の翌日が[TIME[1845年1月1日][1845-01-01]]とされました
[SRC[>>7]]。これにより[[日付変更線]]は[[フィリピン]]の[[東]]側に移動しました。
[9] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Manila]] は、
[TIME[1844年12月31日][1844-12-31]]を境に[[地方時]] [TZ[+08:04:00]]
となったとしています [SRC[>>7]]。
;; [19] [[米西戦争]]の結果、[TIME[1898年12月10日][1898-12-10]]調印の[[パリ条約]]により[[フィリピン]]と[[グアム]]は[[アメリカ合衆国]]領となりました。
[[パリ条約]]は[TIME[1899年4月11日][1899-04-11]]に発効しました。
([[グアムの標準時]]も参照。)
[11] 1899年の[[英国水路部]][[告示]]によると、[[比律賓]]諸嶋の[[標準時]]が [TZ[+08:00]] となり、
[[馬尼剌]]の[[報時球]]も[[標準時]]12:00:00 = [[綠威平時]]16:00:00 = [[平時]]3分112秒(ママ)
に変更されました [SRC[>>37]]。
[[tzdata]] の [CODE[Asia/Manila]] は、
[TIME[1899年5月11日][1899-05-11]]を境に [TZ[+08:00]]
となったとしています [SRC[>>7]]。
;; [28] [[米国]]本国では[TIME[1883年][1883]]に[[鉄道標準時]]が定められ、
[TIME[1918年][1918]]に[[標準時]]と[[夏時間]]が法制化されています。
[[中国]] ([[清]]) は[TIME[1902年][1902]]に[[海岸時]]を定めています。
[[仏印]]は[TIME[1906年]]に[[標準時]]を定めています。
これらの時期と比較すると、非常に早い時期です。
;; [20] [[米西戦争]]と並行して現地人は独立を画策していましたが、
[TIME[1902年][1902]]までに[[米国]]により鎮圧され ([[米比戦争]])、
引き続き[[植民地]]とされました。
[2] 米領比島大統領布告第104号 (BY THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES PROOLAMATION No. 104)
[CITE[ESTABLISHING THE DAYLIGHT SAVING TIME FOR THE PHILIPPINES]]
[SRC[>>1]] は、次のように定めました。
[FIG(list)[
- [3] [TIME[1936年11月1日][1936-11-01]]から[TIME[1937年1月31日][1937-01-31]]に[[日光節約時間]]を実施する
- [4] [[フィリピン標準時]]1936年10月31日深夜12時に1時間進める
- [5] 1937年1月31日深夜12時に1時間戻す
]FIG]
[39] しかし、[TIME[1937年1月15日][1937-01-15]]の報告によると、
[[大統領]]は1月15日24時限りで[[日光節約時間]]を終え、[[標準時]]に復帰すると公布しました [SRC[>>38]]。
[REFS[
- [1] [CITE[標題:時間関係雑纂 10.比島日光節約法関係]] ([TIME[2015-11-20 23:58:58 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011419300>
- [38] [CITE[時間関係雑纂 0.雑]] ([TIME[2016-05-13 23:31:39 +09:00]]) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011418300>
コマ4
]REFS]
;; [21] [[大東亜戦争]]中の[TIME[1941年12月][1941-12]]末に[[日本軍]]が[[フィリピン]]に侵攻し、
[TIME[1942年5月7日][1942-05-07]]に全島を制圧しました。
[12] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Manila]] は、
[TIME[1942年5月][1942-05]]を境に [TZ[+09:00]] としています [SRC[>>7]]。
;; [23] [TIME[1943年10月14日][1943-10-14]]、[[フィリピン]]は独立しました。
;; [24] [TIME[1944年10月][1944-10]]に[[米軍]]が[[フィリピン]]に侵攻し、
[TIME[1945年9月3日][1945-09-03]]に全島を制圧しました。
[30]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[フィリピン]]は [TZ[+08:00]] となっています [SRC[>>36]]。
[22] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Manila]] は、
[TIME[1944年11月][1944-11]]を境に [TZ[+08:00]] としています [SRC[>>7]]。
;; [25] [TIME[1944年11月][1944-11]]はまだ戦闘中で、何を根拠にこの時期としたのかは謎です。
;; [26] [TIME[1946年7月4日][1946-07-04]]、[[フィリピン]]は[[米国]]から独立しました。
[13] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Manila]] は、
[TIME[1954年4月12日0時0分][1954-04-12T00:00]]に [TZ[+09:00]] に移行、
[TIME[1954年7月1日0時0分][1954-07-01T00:00]]に [TZ[+08:00]] に復帰としています [SRC[>>7]]。
[14] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Manila]] は、
[TIME[1978年3月22日0時0分][1978-03-22T00:00]]に [TZ[+09:00]] に移行、
[TIME[1978年9月21日0時0分][1978-09-21T00:00]]に [TZ[+08:00]] に復帰としています [SRC[>>7]]。
[15] [[tzdata]] は、90年代に[[夏時刻]]が実施されたとの情報があるが詳細不明としています
[SRC[>>7]]。
[REFS[
- [37] [CITE[非律賓の標準時]] (地学雑誌 Vol. 11 (1899) No. 12 P 836, [TIME[2016-05-02 19:05:48 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/11/12/11_12_836/_article/-char/ja/>
- [36]
-- [35] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和14年]] ([TIME[2016-04-05 01:18:04 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255562/26>
-- [34] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和15年]] ([TIME[2016-04-05 01:15:31 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255573/26>
-- [33] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和16年]] ([TIME[2016-04-05 01:13:30 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184177/27>
-- [32] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和17年]] ([TIME[2016-04-05 01:11:48 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184172/26>
-- [31] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和18年]] ([TIME[2016-04-05 01:08:12 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184175/27>
-- [29] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和19年]] ([TIME[2016-04-05 00:50:19 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184173/26>
- [7] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-04-01 22:12:14 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L2475>
- [6] [CITE@en[Philippine Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2015-10-20 21:19:23 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/Philippine_Standard_Time>
- [16] [CITE@en-US[Republic Act No. 10535 | Official Gazette of the Republic of the Philippines]] ([TIME[2016-04-01 22:34:36 +09:00]] 版) <http://www.gov.ph/2013/05/15/republic-act-no-10535/>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[27] [CITE@ja[フィリピンで やっと フィリピン標準時間が定着か? 2013年6月から : バギオの北ルソン日本人会 JANL]]
([[janlbaguio]] 著, [TIME[2016-04-01 23:27:56 +09:00]] 版)
<http://janl.exblog.jp/17878030>
]FIGCAPTION]
> この記事によりますと、テレビやラジオの事業者がフィリピン標準時をきちんと守らない場合には ペナルティーが科せられることになったとあります。
> この大元の時間管理は PAGASA、日本の気象庁に相当する機関が責任を持つともあります。
> 従来は、テレビなどを見ていても 正確な時刻が分らず、NHKのテレビで時計を合わせていましたが、 今後はテレビやラジオで正確な時刻が知らせられることで、フィリピンの人たちの時計が 同じ時刻を示してくれることを期待したいと思います。
]FIG]