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357
* 干支年接頭辞
[435]
[[東洋の日時表示]]では、
「''大歳''戊辰」や「''歳次''戊辰」のように、
[[干支年]]の前に[[太歳]]を表す語を付けることがありました。
[10]
バリエーションが多く、それぞれ一応意味はあったのでしょうが、
実質的な違いはありません。これらの語句を省略したものとも、
意味的な違いはありません。
[FIG(railroad)[ [253] [VAR[歳次]]
= |
== [CODE[太歳]]
== [CODE[大歳]]
== [CODE[大才]]
== [CODE[太歳在]]
== [CODE[歳次]]
== [CODE[歳在]]
== [CODE[歳舎]]
== [CODE[星集]]
== [CODE[龍集]]
== [CODE[龍輯]]
]FIG]
[FIG(railroad)[ [214] [VAR[割歳次]]
= |
== [CODE[[V[[LINES[歳][次]]]]]]
== [CODE[[V[[LINES[歳][舎]]]]]]
== [CODE[[V[[LINES[竜][集]]]]]]
]FIG]
[2]
[[干支年]]のみによる[[年]]の表記にも、
[[元号年]]との併記による[[年]]の表記にも用いました。
[[日時表示]]の他の要素との関係、
[[割書]]表記、
利用された時代などについては、
[[東洋の日時表示]]参照。
[24]
「歳在」
は、
[[漢土]]では、
[[漢]]の時代に既に見られました。
はじめ[[浙江]]、
[[山東]]、
[[河南]]方面が圧倒的多数を占めていました。
5世紀末以後には更に広範囲で流行しました。
[SRC[>>12]]
[26]
「歳在」
は、
[[朝鮮半島]]方面では、
現存最古の金石文である[[広開土王碑]] (永楽5年)
以来用例が見られました。
[SRC[>>12]]
[8]
「歳在」
は、
[[日本]]では、
[[道後温泉碑]]の他[[奈良時代]]にも用例がありますが、
[[中世]]以後は稀で、擬古的な例が数点ありました。
[SRC[>>25]]
[29]
[[日本]]の古い「歳在」の例では、
[[天寿国繍帳]]の意匠に[[高句麗]]の遺物との関係が指摘できること
[SRC[>>12 ([CITE[天寿国曼荼羅の新研究]], [[青木茂作]])]]
と撰文者と推測し得る人物
([[東漢末賢]]. [[高麗加西溢]], [[漢奴加己利]])
が[[帰化人]]たること、
[[護身剣]]が[[百済]]から贈られたとされること、
[[威奈真人大村金銅合子墓誌]]の撰文者は不明ながら[[帰化人]]の可能性も指摘できること、
を踏まえて[[朝鮮半島]]との関係が指摘されています。
[SRC[>>25]]
[9]
「歳次」
は、
[[日本]]の[[飛鳥時代]]以来見られ、
[[和銅]]・[[天平]]の頃に用例も多いです。
[[平安時代]]から[[鎌倉時代]]にも相当数見られました。
[SRC[>>25]]
[30]
[[吉備真備]]墓誌をはじめ、
[[中国]]の色彩が濃く現れているように思われます。
[SRC[>>25 (>>14)]]
[21]
[[漢土]]では、
「歳在」が「歳次」に先行していました。
6世紀には「歳次」が増加し、「歳在」の約4倍にもなりました。
[SRC[>>12]]
[22]
[[朝鮮半島]]では、
「歳在」が「歳次」に先行していた、といえるように思われます。
8世紀までは「歳在」が多くありました。
7世紀まで「歳在」が「歳次」を凌いでいました。
[SRC[>>12]]
[27]
6世紀以後[[新羅]]では「歳次」が使用され、
「歳在」と併存するようになりました。
9世紀から10世紀にかけて「歳次」が凌ぐようになりました。
[[唐]]の影響と考えられます。
[SRC[>>12]]
[28]
[[朝鮮半島]]では、
10世紀には再び[[歳在]]が台頭してきました。
[[契丹]]や[[遼]]の支配に入った時代であり、
[[歳在]]が北方に根を下ろしていたことが知られます。
[SRC[>>12]]
[23]
[[日本]]では、
資料が少ないものの、
「歳在」が「歳次」に先行していたと思われます。
[[日本]]では「歳在」が「歳次」にわずかにして取って代わられました。
[[風土記]]撰進で最も早い紀年を持つ
[CITE[出雲風土記]]
([[天平]]年間)
で既に[[歳在]]は廃れていました。
[SRC[>>12]]
[31]
[[久保常晴]]は、
[[歳在]]と[[歳次]]の分布の違いから、
[[道後温泉碑]]文は古いもので、
[CITE[伊予国風土記]]
勘録当時の作為とは考えにくいと判断しました。
[SRC[>>25, >>19]]
[SEE[ [[法興]] ]]
;; [32] 参考になる遺物が少ないので推測に頼る部分が多く、
結論付けるにはいささか不安が残りますが、
判断材料の1つ
(「[V[消極的ながら一つの根拠]]」 [SRC[>>19]])
にはできるのでしょう。
-*-*-
[7]
「歳舎」は、
[[日本]]の[[戦国時代]]以降に極稀にあります。
[SRC[>>25]]
[6]
「大歳」
「大才」
は、[[日本]]の[[鎌倉時代]]から[[南北朝時代]]に多いですが、
[[室町時代]]以後は珍しいです。
[SRC[>>25]]
- [39] [[太歳在]]の最古:
[[塼]]
「[V[竟寧元年太歳在戊子]]」
[SRC[>>19 ([CITE[書道全集]], [[平凡社]])]]
[TIME[前漢竟寧元(-32)年[LINES[戊][子]]][-32]]
- [40]
[[歳在]]の最古:
[CITE[三老諱字忌日記]]
「[V[建武十七歳在辛丑四月十日辛卯]]」
[SRC[>>19 ([CITE[書道全集]], [[平凡社]])]]
[TIME[後漢建武17(41)年[LINES[辛][丑]]]41]]
- [45]
[[歳在]] + [[十二支]]異名の最古:
河南河北道湯陰県[CITE[蕩陰令張遷表]]
「[V[惟中平三年歳在摂提二月震節紀日上旬[SNIP[]]]]」
[SRC[>>19 ([CITE[金石萃編]]), >>46]]
[TIME[後漢中平3(186)年[LINES[丙][寅]]][186]]
(2月節[[啓蟄]])
- [44]
伝浙江会稽道紹興古墓出土重列神獣鏡
「[V[建安廿二年十月辛卯朔四日甲午太歳在丁酉時加未師鄭豫作明竟[SNIP[]]]]」
[SRC[>>19 ([CITE[漢三国六朝紀年鏡図説]], [[梅原末治]]), >>43]]
[TIME[後漢建安22(217)年[LINES[丁][酉]]][217]]10月4日
- [47]
[[歳次]]の最古:
半円方形帯神獣鏡
「[V[宝鼎三年歳次太陽五月丙午]]」
[SRC[>>19 ([CITE[漢三国六朝紀年鏡図説]])]]
[TIME[呉宝鼎3(268)年[LINES[戊][子]]][268]]
- [48]
[[歳次]] + [[干支]]の最古:
銅像
「[V[晋太元十九年歳次甲午月朔日]]」
[SRC[>>19 ([CITE[支那美術史]] 彫塑篇)]]
[TIME[東晋太元19(394)年[LINES[甲][午]]][394]]
- [49]
石浮図
「[V[大魏太平真君三年歳次壬午四月戊子]]」
[SRC[>>19 ([CITE[支那美術史]] 彫塑篇)]]
[TIME[北魏太平真君3(442)年[LINES[壬][午]]][442]]
- [201] [[歳在]]の[[日本]]最古: [[道後温泉碑]]
「[V[法興六年歲在丙辰]]」
[SRC[>>25]]
- [200] [[歳次]]の[[日本]]最古: [[法隆寺釈迦造像銘]]
「[V[法興卅一年歲次󠄄辛巳]]」
[SRC[>>25]]
- [203] [[大歳]]の[[日本]]最古: 常陸[[東城寺]]経筒
「[V[保安三年大歲[LINES[壬][寅]]]]」
[SRC[>>25]]
[TIME[保安3(1122)年][year:1122]]
- [5] 「[V[享徳二稔龍集癸酉]]」 [SRC[>>25]]
[TIME[日本享徳2(1453)年][1453]]
- [35]
[CITE[平家物語]] 下村本 西教寺正教蔵蔵本 (請求番号: [V[平家一番箱]])
[V[巻一]] 識語
「[V[明暦三年龍集丁酉九月吉祥日]]」
[SRC[>>446 p.160 (p.22 にも言及あり)]]
[TIME[日本明暦3(1657)年][1657]]9月
- [37]
[[日本国]][[滋賀県]][[蒲生郡]][[日野町]]川原[[妙楽寺]]鐘銘
「[V[元禄十三龍輯[SUP[庚]][SUB[辰]]六月吉旦]]」
[SRC[>>36 p.594]]
[REFS[
- [36]
[CITE[[[東桜谷志]]]]
- [42] [CITE[♪[[邪馬台国]] ドンと来い♪ 70]], [TIME[2021-06-06T05:33:21.000Z]] <https://academy6.5ch.net/test/read.cgi/history/1272903028/389>
-- [43] [[ローガン]], 2010/05/07(金) 15:18:59
- [46] [CITE@zh[[[张迁碑]] - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2021-05-23T05:47:49.000Z]], [TIME[2021-06-06T05:51:16.354Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A0%E8%BF%81%E7%A2%91>
-
[447]
[CITE[中近世移行期の文化と古活字版]],
[[高木浩明]],
[TIME[二〇二〇年十二月十日][2020-12-10]] 初版発行
-- [446]
[CITE[下村本『平家物語』書誌解題稿]], pp.125-166
-- [448] [CITE@ja-jp[[[中近世移行期の文化と古活字版]] | [[高木浩明]] |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-02-23T02:24:57.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4585200770/wakaba1-22/>
]REFS]
-*-*-
[11]
昭和5年、
[[石田茂作]]は紀年銘の形式を研究しました。
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
[VAR[歳次]]の使われ方と時代による変化も調べました。
[SRC[>>25]]
[13]
昭和40年代、
[[久保常晴]]は[[歳次]]と[[歳在]]の利用について研究しました。
- [16]
昭和42年の[[久保常晴]]の著書では、
[[日本の元号]]の[[法興]]の年代特定の材料として、
[[歳次]]と[[歳在]]の使われ方を検討しました。
[SRC[>>12, >>19]]
--
[14]
[CITE[[V[日本歴史考古学の諸問題]]]]
に「[V[収録予定]]」の
[CSECTION[[V[歳在と歳次]]]]
を参照していました。 [SRC[>>12 p.[V[一〇〇]]]]
-
[15]
昭和43年7月の
[V[[CITE[日本歴史考古学論叢]] 第二]]
で、
[CITE[[V[「歳次」と「歳在」]]]]
を発表しました。
[SRC[>>17 p.[V[四〇〇]]]]
-- [20] 書名が違いますが、これが参照された論文であることは確かです。
-- [18]
昭和52年の[[久保常晴]]の論文集に、
[CITE[[V[「歳次」と「歳在」]]]]
が収録されました。
[SRC[>>19]]
[34]
内容的には全編を [CITE[日本私年号の研究]]
に含めた方が良かったのでしょうが、
さすがに未掲載 (掲載準備中) の論文を収録するわけにはいかなかったのでしょう。
[CITE[日本私年号の研究]]
は結論と最低限の根拠だけをまとめたダイジェスト版のようになっていました。
[33]
[[久保常晴]]の2つの論文には、
[[中国]]、
[[朝鮮]]、
[[日本]]の[[歳在]]と[[歳次]]の用例を収集した、
それぞれ計6個の表が収録されていました。
論文 (>>18) の方が発表が遅いですが、
紙面の制約のためか各表それぞれ古い方の10個しか掲載されていませんでした。
発表が古く本編の分量が少ない
[CITE[日本私年号の研究]]
版 (>>16) の方が、表は完全版でした。
ただし先頭の10個を比べると微妙に出入りがありました。
[REFS[
- [25]
[CITE[紀年銘の記載形式に就いて ――特に『造󠄃像銘記』を主材として――]],
[CITE[[[佛敎考古學論攷]] 六 雜集編󠄁]],
pp.149-178,
初出: [V[昭和五年七月]]
- [12]
[CITE[日本私年号の研究]],
[[久保常晴]],
[V[昭和四十二年十月一日]],
pp.[V[八󠄃三]]-[V[一〇一]]
- [17]
[CITE[続仏教考古学研究]]
-- [19]
[CITE[[V[「歳次」と「歳在」]]]],
pp.[V[三一二]]-[V[三二八]]
]REFS]
* メモ
[1] [CITE@ja[太歳 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-18 12:27:48 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3>
[3] [CITE@ja[太歳神 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-18 12:43:09 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3%E7%A5%9E>
[4] [CITE@ja[太歳星君 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-13 03:42:23 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3%E6%98%9F%E5%90%9B>
[SEE[ [[太歳紀年法]] ]]
[38] [CITE@ja[いわくらさんはTwitterを使っています 「この略字は初めて見た。 高い高いしているような字形 https://t.co/Zv2IAyzrE3」 / Twitter]]
(午前5:57 · 2021年5月1日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-05-27T12:07:56.000Z]])
<https://twitter.com/kanzisuki/status/1388236150683299840/photo/1>
[41] [CITE[shirin_099_5_685.pdf]], [TIME[2020-09-29T15:30:01.000Z]], [TIME[2021-06-06T05:16:11.247Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/240477/1/shirin_099_5_685.pdf#page=17>
鏡の銘文
「慕興元年、歳在大陽。」