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[1]
[DFN[[RUBY[旬][じゅん]]]]は、10[[日]]間の[[期間]]です。
* 支那
[2] [[支那]]を中心とする[[東アジア]]では10日の期間を[[旬]]と呼びました。
[92]
[[漢]]は、
5日に1日を[[公休日]]としていました
[SRC[>>91 118ページ]]。
[93]
[[唐]]は、
[DFN[旬休]]の制度を敷いていました
[SRC[>>91 118ページ]]。
* 日本
[5]
[[江戸時代]]や[[明治時代]]初期の[[日本]]には、
[[五十日]]や[[一六日]]といった
5日単位の制度や慣習がありました。
[7]
昭和初期にもまだその名残で[[一六日]]に生花の師匠が回ってくる、
「七の日」が観音様の縁日である、
といった類のものがありました [SRC[>>91 104ページ]]。
「東京の百貨店」の[[公休日]]は議論の末「八の日」 に決められました
[SRC[>>91]]。
[4]
[[現代日本]]では[[月]]をおよそ10日毎に[DFN[上旬]]、[DFN[中旬]]、[DFN[下旬]]としています。
[[月]]は長さが異なり、31日が生じることもありますが、
[[旬]]は明確な[[期間]]の言及には用いず、境界が曖昧なため問題とされません。
[8] [[五十払い]]の商慣習は[[現代日本]]でも尚存続しています。
[10]
○の付く日に[[市][市場]]を開催、
という慣習が続いているところもありますし、
○の付く日はサービスデー、のようなイベントを開催する店舗もあります。
[REFS[
- [91] [CITE[暦法及時法]]
]REFS]
* フランス
[3] [[フランス共和暦]]では30日固定の[[月]]を3分して
10日の [DFN[Décade]] を設け、[[週]]に相当する概念としていました。
[SEE[ [[フランス共和暦]] ]]
* ソ連
[SEE[ [[ソビエト連邦暦]] ]]
* 暦法改良案
[6]
19世紀・20世紀の[[暦法改良案]]の中にも、[[旬]]や[[半旬]]を採用するものがありました。
[SEE[ [[暦法改良案]] ]]
* 関連
[SEE[ [[旬年]]、[[旬月]] ]]
* メモ
[9]
[[ギンツェル]]によれば、
5日や10日の単位の慣習は[[バビロニア]]、
[[ジャワ]]、
[[アフリカ]]の一部でも行われていました。 [SRC[>>91 104ページ]]
[11] [CITE@ja[旬 (単位) - Wikipedia]]
([TIME[2019-03-13 07:04:17 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AC_(%E5%8D%98%E4%BD%8D)>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] [CITE@ja[旬 (単位) - Wikipedia]]
([TIME[2019-03-13 07:04:17 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AC_(%E5%8D%98%E4%BD%8D)>
]FIGCAPTION]
> 古代メソポタミアに登場したアッシリアには、5日間を単位とする「五曜」制度があった。
]FIG]
[13] [CITE@ja[逐次刊行物 - Wikipedia]]
([TIME[2019-03-12 12:20:53 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%90%E6%AC%A1%E5%88%8A%E8%A1%8C%E7%89%A9#%E6%97%AC%E5%88%8A>