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[3]
[DFN[[RUBY[天][てん]][RUBY[晴][せい]]]]は、
[[幕末]]期の[[日本の私年号]]です。
* 元号名
[48]
[[元号名]]に[DFN[天晴]]、
[DFN[天政]]、
[DFN[天星]]、
[DFN[天成]]が知られています。 [SRC[>>47]]
[50] 「てんせい」と[[読まれて][元号の読み方]]います。
[SRC[>>12, >>65, >>182, >>228, >>262, >>25, >>42, >>17, >>1, >>41, >>27, >>65, >>70, >>468]]
* 紀年法
[516]
[[四国]]、[[九州]]の用例では、[[元年]]は[TIME[慶応3(1867)年丁卯][1867]]です。
[517]
[[飛騨]]の用例では、[[元年]]は[TIME[慶応4(1868)年戊辰][1868]]です。
[77]
現在知られている用例は、元年の5月から10月と書かれています。
2年以降の例は見つかっていません。
* 由来
[519]
発生と拡散の過程は未だほとんどわかっていません。
-*-*-
[518]
現在までに4種類の[[漢字]]表記が知られています。
同音で同年なので、同じ[[元号]]と考えられています。
[49]
[[漢字]]表記がはっきりしないまま音声だけで各地に伝わったと考えられています。
[SRC[>>153, >>47, >>17, >>1, >>468]]
[[高知県立歴史民俗資料館]]の前副館長[[浜田真尚]]の見解 [SRC[>>1]]
とのこと。
[78]
[[高知県]]内の「天晴」が現在知られている最古の例です。
発見数も「天晴」が圧倒的に最多です。
この表記が原形なのでしょうか?
[10]
[[日本国]][[高知県]][[高知市]]で活動する [[NPO]]
[[地域文化計画]]の副理事長の[[中村茂生]]は、
[[慶応]]度の[[改元]]で最終案に[[天政]]があったとし、
それが誤って広まった可能性があると指摘しています。
[SRC[>>1]]
[318]
[[中村茂生]]は普通は[[元号名]]に[CH[晴]]や[CH[星]]は使わないとも述べており、
[[天政]]が原形とみているようです。
[SRC[>>1]]
[319]
[CITE[日本年号史大事典]]によると [SRC[p.[L[740]]]]、
[[日本の公年号]]の歴史上[[天成]]が7回、
[[天政]]が1回、
[[天静]]が1回[[提案され][改元手続き]]て不採用となっています。
[320]
[CITE[日本年号大観]]によると、
[[天成]]は[[康平]]度、
[[嘉保]]度、
[[元亨]]度、
[[元禄]]度、
[[永保]]度、
[[元応]]度、
[[慶応]]度 ([[菅原修長]])、
[[天政]]は[[慶応]]度 ([[菅原在光]])、
[[天静]]は[[元治]]度 ([[菅原為栄]])
に提案されています。
;;
[324]
>>27
は[[慶応]]度の元号案を乾永・文隆・大暦・萬徳・慶応・明定・天政としています。
出典は不明。
-*-*-
[523]
[[明治時代]]の人の証言で、[[京都]]から[[高知]]へと[[改元]]の情報があったとされています
(>>249)。
つまり[[改元デマ]]に由来する[[私年号]]ということになります。
[75]
伝播経路は、根拠を示していない憶測を含めいくつかの断片的な案はあるものの、
十分検討されていないようです。
[126]
漢字表記について、
同じ[[西諸木]]地区で[[天政]]と[[天晴]]の2種類があることには疑問があります
[SRC[>>44, >>125]]。
どのように[[改元伝達]]がなされ、どの時点でどう漢字が変化したのか、
現状では使える情報は少ないものの、
仮説をいくつか立ててみるのも一案でしょう。
[51]
翌年「てんせい」に改元されるとの噂を聞いた民衆が、
藩の許可無く使い始めたものだとする説があります。
[SRC[>>47, >>17, >>468]]
;; [64] [[江戸時代]]中の政情が安定していた頃は、
[[朝廷]] → [[幕府]] → [[藩]] → 民衆という[[改元伝達]]ルートがありました。
;; [76]
実際に[[改元]]された慶応4年の1年前の慶応3年に[[元年]]が相当します。
[[孝明天皇]]の[[崩御]]と[[明治天皇]]の[[践祚]]や[[徳川家茂]]の死去と[[徳川慶喜]]の[[征夷大将軍]]就任の情報も伝わっていたでしょうから、
[[代始改元]]があるはずだという認識を持っていた人々もいたことでしょう。
[524]
[[中世私年号]]は平時の[[改元伝達]]ルートに何らかの理由で[[改元デマ]]が混入したとする説が[[平成時代]]以来通説化しています。
[[幕末]]とは[[改元伝達]]ルートの構造が違っていると考えられますが、
同様の伝達過程をたどった可能性はあります。
[525]
通常のとは異なる独特の[[改元伝達]]を想定する説もあります (>>446) が、
現状では肯定も否定も難しいです。
[521]
[[高知県]]の領域内で考案されたという人もいますが、
そこで使われていたからという以上の根拠は無さそうです。
[[京都]]から伝わったとする証言 (>>249) とは矛盾します。
[522]
[[三条実美]]の人脈が関与したとする説もあります (>>472)。
[520]
都市部より農村部に分布しているという人もいます。
[558]
高知県下の全域に用例が分布していますが、東西ほぼ中央にある[[高知市]]からみて少し東側の地域に用例が多いのは示唆的です。
[569]
慶応3年の用例は、5月のものと9月前後のものの2群があり、
6月、7月付けのものや、11月以後のものは見つかっていません。
たまたま中間のものが未発見であるに過ぎないのか、
噂が2度 (慶応4年も含めれば3回) 伝播したのか、
更なる資料の探索と検討が必要と思われます。
- [211]
[CITE@ja[Xユーザーの吉良播磨守親貞ファンさん: 「@tanemunedate15 戦国期ではなく、幕末ですが、土佐では「天晴」なる私年号が使われてまして、諸説ありまするが、次は天晴らしいぞって噂が広まったから、との説があります。 幕末でそんなですから、戦国期はさぞ混乱してそうですが、どうなのでしょう。」 / [[X]]]], [TIME[午後3:24 · 2020年7月11日][2020-07-11T06:24:00.000Z]], [TIME[2024-03-06T11:34:03.000Z]] <https://twitter.com/chikasada_kira/status/1281836622330212352>
[212]
>>211 [[諸説ある]]なら他にも説がありそうだが、どんな説があるのだろう?
* 用例
[383]
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]に2例
(>>14, >>6)
が知られるようになりました [SRC[>>382]]。
[398]
[TIME[昭和56(1982)年][1982]]の[[坂本正夫]]の調査の時点で6例
(>>6, >>14, >>24, >>20, >>5, >>30)
が知られるようになりました
[SRC[>>375 (>>43)]]。
[273]
[TIME[平成元(1989)年][1989]]時点で[[日本国]][[高知県]]内で6例
(>>14, >>6, 赤岡町, 春野町2箇所, 吾川村)
が知られていました
[SRC[>>272]]。
[32]
[TIME[平成21(2009)年][2009]]ないし[TIME[平成22(2010)年][2010]]の時点の研究
(>>161)
では[[日本国]][[高知県]]内のみで10例
(>>20, >>24, >>5 など)
が知られていました。
[SRC[>>28]]
[[天晴]]の[[石灯籠]]は4例 [SRC[>>28, >>216]]
(>>6, >>14, >>29, >>30)
が知られていました [SRC[>>28]]。
[313]
[TIME[平成29(2017)年][2017]]末の展覧会で13例が展示されました。
[SRC[>>17]]
当時知られていたすべての用例が展示されたということでしょうか。
[4]
[TIME[平成31(2019)年][year:2019]]時点で[[日本国]][[高知県]]内で13例
([[天晴]]が11例)
が知られていました。
[SRC[>>1, >>2]]
[155]
[TIME[平成31(2019)年][year:2019]]時点で[[高知城歴史博物館]]によると13例が知られていました。
[SRC[>>153]]
[254]
[TIME[平成31(2019)年][2019]]時点で[[日本国]][[高知市]][[南国市]]によると[[天晴]]は[[日本国]][[高知県]]で12例が知られていました。
うち石造物が8箇所10例、そのうち石灯篭が6箇所8例でした。
[[棟札]]が1例でした。
[SRC[>>252]]
[541]
現在までに存在が判明してこのウィキ頁に掲載されているものは、
- [542] 元年丁卯
-- [544] 高知県内
--- [545] 天晴 11件
--- [546] 天政 1件
--- [547] 天星 1件
-- [548] 高知県関係
--- [549] 天晴 1件 (>>347)
-- [550] 徳島県
--- [551] 天政 1件
-- [552] 福岡県
--- [553] 天政 1件
- [543] 元年戊辰
-- [554] 岐阜県
--- [555] 天政 1件
の合計17件です。また、同時代と思われる人の証言 (の記録) が1件 (>>249)
伝わります。
** 土佐
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [6]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]][[唐浜]]]] [[神峯神社]] 石灯籠]]
[SRC[>>183]]
-- [184]
「[DATA(.text)[[V[天晴元丁夘[BR[]]𠄡月吉旦]]]]」
[SRC[>>1, >>25, >>27]]
--- [399]
「[V[天晴元丁卯[BR[]]五月吉日]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(一)]]]]]]
-- [368]
>>135 に銘文日付部分のカラー写真
-- [369]
>>99 に銘文部分のカラー写真
-- [270]
>>269 に銘文部分の一部の白黒写真
-- [389] >>375 に銘文部分の白黒写真
-- [385]
>>117 に白黒写真、かろうじて銘文がなんとなく読める程度の画質
--- [386] [TIME[昭和49(1974)年][1974]]の報告直後の出版で、現存最古の写真の可能性
-- [387] >>25, >>27 に写真
-- [559] [[明治時代]]の証言 >>249
-- [384]
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]に[[安芸市史編さん事務局]]の[[小松栄次]] (>>274)
の調査で発見 [SRC[>>382]]
-- [237]
[TIME[平成20(2008)年][2008]]から約30年前に[[広谷喜十郎]] (>>377) が存在を把握
[SRC[>>12]]
-- [560] [[神峯神社]]は[[神仏分離]]前は[[神仏習合]]。
[TIME[明治20(1887)年][1887]]に近隣に[[神峯寺]]が再興。
- [24]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[香美郡]][[赤岡町]]]] [[須留田八幡宮]]拝殿[[絵馬]]]]
-- [401]
「天晴元[SUB[丁]]卯年」「五月𠮷祥日」「丑之歳男」
[SRC[>>23]]
--- [402]
「[V[天晴元丁卯年[BR[]]五月吉祥日[BR[]]丑之歳男]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(三)]]]]]]
-- [418] >>375 に白黒写真、銘文の一部が読み取れる
]ITEMS]
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [347] [DATA(.label)[[[田宮道雄]]旧蔵写本]]
-- [348] 書写奥書
「[DATA(.text)[天晴元八月日寫]]」
[SRC[>>86]]
-- [350] [TIME[令和元(2019)年][2019]]発見か
- [14]
[[日本国]][[高知県]][[安芸市]]土居[[春日神社]]石灯籠
[SRC[>>12, >>18, >>26]]
-- [366]
「[DATA(.text)[[V[天晴元夘九月令日]]]]」 ([[楷書]])
--- [400]
「[V[天晴元卯九月令日]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(二)]]]]]]
-- [367]
>>18 にカラー写真、銘文の字形がほぼわかる解像度
-- [390]
>>375 に銘文部分の一部の白黒写真、一部しか判読しがたい
-- [383]
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]頃に[[安芸市史編さん事務局]]の[[小松栄次]] (>>274)
の調査で発見 [SRC[>>382]]
-- [236]
[TIME[平成20(2008)年][2008]]から約30年前に[[広谷喜十郎]]の知人が[[広谷喜十郎]] (>>377)
に存在を知らせる
[SRC[>>12]]
-- [305] 平成2年に案内板設置 [SRC[>>18]]
-- [309] [TIME[平成26(2016)年][2016]]時点では新しい案内板に [SRC[>>26]]
- [20]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸市]][[春野町]][[西諸木]]]] [[御山所神社]]狛犬台座]]
-- [210]
「[TATE[[DATA(.text)[[V[[ASIS[天][二]]晴[BR[]]元卯[BR[]]九月[BR[]]令󠄂日]]]]]]」
[SRC[>>19, >>27]]
--- [404]
「[V[天晴元卯[BR[]]九月令日]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(四)]]]]]]
-- [209] >>19, >>27 に写真
-- [208] >>207 にカラー写真、字形が明確に読み取れる解像度だが苔むして一部読み取りにくい
-- [392] >>375 に全体白黒写真、銘文判読不可
-- [403] 旧: [[吾川郡]][[春野町]]
- [36]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]]] [[領石天満宮]]境内社 小宮さま (大神宮) [[棟札]]]]
-- [220]
「[DATA(.text)[[V[天晴元__&&swc632(年)&&__[SUP(smaller inline)[丁]][SUB(smaller inline)[卯]]九月十七日]]]]」
[SRC[>>216]]
--- [224] 「天晴元年」 [SRC[>>35, >>41]]
-- [221] >>41 に写真あり
-- [219] >>216 に現地の案内看板
--- [225] 看板内にカラー写真と翻刻
-- [230] >>228 にカラー写真
-- [255] 元は[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]][[字笹原]]にあったと思われる弁財天宮
[SRC[>>252]]
-- [226] 平成27年6月の調査で発見 [SRC[>>216]]
-- [256] 調査後に寄贈され[[高知県立歴史民俗資料館]]所蔵 [SRC[>>216]]
- [30]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[吾川郡]][[仁淀町]]]] [[黒森山]] [[鈴ヶ峠]] [[石灯籠]] (灯明台) ]]
[SRC[>>185, >>262]]
-- [186]
「[DATA(.text)[[V[天晴元夘九月十八󠄃日]]]]」
[SRC[>>28, >>37, >>39, >>68]]
--- [408]
「[V[天晴元卯九月十八日]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(六)]]]]]]
-- [346] >>68 に銘文部分の大きなカラー写真
-- [264] >>37 に写真
-- [263] >>262 に白黒写真、ぎりぎり銘文が読めるサイズ
-- [321] >>39 にカラー写真、ぎりぎり銘文の一部が読めるサイズ
-- [419] >>375 に銘文日付部分の白黒写真
-- [407] 旧: [[吾川郡]][[吾川村]] [[鈴ヶ森]]
[SRC[>>375 (>>43)]]
- [66]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]]]] [[髙松順蔵]] (>>491) 歌集]]
-- [343] 「[V[天晴]]」
[SRC[>>65]]
-- [488] 「天晴のはしめの年 神無月しるす」 [SRC[>>130]]
-- [344]
[TIME[2019-06-27]]までに発見 [SRC[>>65]]
- [29]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]]] [[領石天満宮]] [[石灯籠]]]]
[SRC[>>28 ([CITE[土佐史談206号]]], [[門脇良雄]] = >>169), >>28 ([CITE[街道の日本47 土佐と南海道]], [TIME[2006][year:2006]] = >>171)]]
-- [222]
「[DATA(.text)[[V[[LINES[天晴元[SUP(smaller)[丁]][SUB(smaller)[卯]]][[SNIP[]]][十月吉日]]]]]]」 ([[楷書]])
--- [170]
「天晴元 丁卯 十月吉日」 [SRC[>>28]]
--- [223]
「[V[天晴 丁卯 十月吉日]]」 ([[楷書体]]) [SRC[>>216]]
-- [217] >>213 に現地のカラー写真 (銘文も読めるが一部読みづらい)
-- [229] >>228 に現地のカラー写真、低解像度で銘文のごく一部しか読めない
-- [234] >>232 に現地のカラー写真、一部のみ拡大あり
-- [218] >>216 に現地の案内看板
]ITEMS]
[306]
>>14, >>20 は銘文がまったく同じで、[[令日]]も共通で、
関係性を指摘する人もいます。 [SRC[>>18, >>25]]
[561]
峠の灯明台 (>>30) は[[明治]]のものと対になっています。
[349]
[TIME[令和元(2019)年][2019]]に発表された[[慶応大学]]で新規整理した所蔵書リストにも、
新出の[[天晴]]私年号資料があります (>>347)。
寄贈した田宮家は、
[[土佐藩]]の[[郷士]]で、[[明治維新]]後に[[大阪]]に移ったといいます
[SRC[>>86 #page=2]]。
[489]
「天晴のはしめの年」 (>>66)
の「はじめのとし」は[[元年]]の[[訓読]]です。
[[和風月名]]の[[神無月]]と共に[[和風の表記][和語元号名]]で用いられることがあります。
;;
[490]
「天晴」も[[訓読み]]した可能性も考えられなくはありませんが、
その場合は[[仮名]]書きか[[振り仮名]]・[[送り仮名]]があったはずと考えるべきで、
一応[[音読み]]と理解しておいて良さそうです。
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [15] 田口家 神祭帳
[SRC[>>12 ([CITE[土佐山田町史]]), >>375 ([CITE[土佐山田町史]])]]
-- [448] [[慶応]]から[[明治]]に移る間に[[天晴]]がある
[SRC[>>375 ([CITE[土佐山田町史]])]]
- [16] 須江高野家文書
[SRC[>>12 ([CITE[土佐山田町史]]), >>375 ([CITE[土佐山田町史]])]]
-- [449] 天晴元年の記録がある
[SRC[>>375 ([CITE[土佐山田町史]])]]
-
[511]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[四万十市]][[佐岡]]]] [[薫的神社]]文書 ([[広谷喜十郎]]所蔵)]]
--
[512] 末尾 「天晴」
[SRC[>>502]]
-- [513]
[TIME[平成30(2018)年][2018]]かそれ以前に[[広谷喜十郎]]が所蔵文書から発見
[SRC[>>502]]
]ITEMS]
[562]
これらの資料の時代について、慶応3年説が成立して以来個別に詳細に検討されていないように見えるのですが、
- [563] 「丁卯」か「卯」と書かれたものが多い
- [566] >>66 の筆者の活動時期
- [564] [[明治時代]]の人の証言 (>>249)
- [565] [[明治時代]]のものと対にされている[[石灯篭]]がある (>>561)
- [567] [[石灯篭]]は数百年も前のものではない (>>282)
- [568] >>15 の前後関係
から総合的に判断して、やはり慶応3年で妥当と考えられます。
ただ、個別の遺物の様式や銘文の内容などからそれぞれの時代を判定する基礎的な作業は改めて行われるべきです。
[REFS[
- [84] [CITE[高知市歴史散歩]]
([TIME[2008-09-01 13:54:14 +09:00]] 版)
<http://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/01/0104/rekishi/re0809.htm>
-- [21] 移転確認 [TIME[2019-07-16T06:30:26.100Z]]
-- [11] [CITE[高知市歴史散歩]] ([TIME[2018-06-29 09:47:01 +09:00]]) <https://www.city.kochi.kochi.jp/akarui/rekishi/re0809.htm>
--- [12]
[CITE[[[高知市歴史散歩]] 289 幻の年号「天晴(てんせい)」]],
[[広谷喜十郎]],
高知市広報[CITE[あかるいまち]] [TIME[2008年9月][2008-09]]号
[FIG(quote)[ [13] [SRC[>>12]]
> 調べてみると、安芸郡安田町の神峯(こうのみね)神社にも「天晴元年五月」と刻記された石灯籠があり、それには「安喜(あき)土居村」とも刻まれている。
> その後、民俗学者・坂本正夫氏らの調査により、東は田野町から西は越知町に至る範囲に「天晴(天政や天星)元年」と刻記された石灯籠や手水鉢があることが判明し、神社の絵馬や古文書にも記されていることが確認された。それらはいずれも「丁卯(ていぼう)」または「卯年(うどし)」と併記されている。
> 『土佐山田町史』にも、田口家の神祭帳や高野家文書の記述を根拠として、慶応から明治に移る間に天晴年号が使用されていることが指摘されている。
> 「丁卯」に当たるのは慶応三(一八六七)年で、翌慶応四年九月八日に明治元年に改元されている。判明している限りでは、天晴という年号が地域的に使われたのは、前年の五月から明治元年までということになる。
[SNIP[]]
>
神峯神社にある石灯籠の年号について、明治末期に高村晴義氏は「慶応三年の事なり(略)京阪の言信(略)此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘(はら)ふの議朝廷におこり」と語っている。翌慶応四年に天晴への改元の動きがあることを見越して、年号が刻記されたことの証言である。
]FIG]
- [19]
[CITE[今日も春野、天晴元卯九月令日]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]] 〔3099〕,
[TIME[2011/10/10][2011-10-10]]
([TIME[2019-07-16 16:09:50 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3099>
- [23]
[CITE[赤岡、須留田八幡宮の天晴]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔3117〕,
[TIME[2011/10/28][2011-10-28]]
([TIME[2019-07-16 16:20:36 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3117>
- [18]
[CITE[安芸、春日神社の天晴]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]] 〔3118〕,
[TIME[2011/10/29][2011-10-29]]
([TIME[2019-07-16 16:07:33 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3118>
- [25]
[CITE[安田、神峯神社の天晴]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔3200〕,
[TIME[2012/01/19][2012-01-19]]
([TIME[2019-07-16 16:23:40 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3200>
- [22]
[CITE[遍路路沿いの天政]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔4554〕,
[TIME[2015/10/04][2015-10-04]]
([TIME[2019-07-16 16:17:34 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=4554>
- [26]
[CITE[安芸の朝、天晴の朝]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔5003〕,
[TIME[2016/12/26][2016-12-26]]
([TIME[2019-07-16 16:24:43 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=5003>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] [CITE[高校生の天晴れ]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔5128〕,
[TIME[2017/04/30][2017-04-30]]
([TIME[2019-07-16 17:48:00 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=5128>
]FIGCAPTION]
>
高知県率東高校の生徒さんが、クラブ活動の中で纏められたもの。左端が2010年3月発行で、
[SNIP[]]
>
幕末土佐の私年号ー「天晴」を検証するー
>
[SNIP[]]
昔、歴史民俗資料館の館長さんだった坂本先生の論文から、南国市出身の民俗研究科、高村晴着さんが明治22、23年頃に安田町神峯神社で堂守らしき男から聞き書した貴重な話を伝えている。
>
それによると。幕末、安田からも二、三の志士が上京していた。そのうちの一人から、「此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘うの議、朝廷におこりたり」という知らせがあり、「来年は天晴と改元のある由なり」と二度ほども通知があったので、神峯神社の石灯籠に「天晴」と刻むことになったとのこと。
]FIG]
- [135]
[CITE@ja[Xユーザーの[[根岸敦生]]さん: 「「私年号」ってご存じですか。天皇の決めた年号ではなく、私的に決めた年号のことです。土佐の一部では1867(慶応3)年が「天晴元年」だったそうで。痕跡を初めてみました。「てんせい」と読むらしいです。「あっぱれ」ではなく。#安芸支局 https://t.co/GK3iEqrN2z」 / X]], [TIME[午前2:46 · 2015年10月30日][2015-10-29T17:46:46.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/Atsuo_NGS_Asahi/status/659788480378093568/photo/1>
-- [365] [CITE[朝日新聞]]記者
- [232]
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「これが私年号「天晴(てんせい)」か https://t.co/G4tpdQPSi0」 / [[X]]]], [TIME[午後1:46 · 2021年6月23日][2021-06-23T04:46:57.000Z]], [TIME[2024-03-07T12:31:38.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1407560786529034244>
-- [233]
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「「天晴 丁卯 十月吉日」と刻まれている 慶応三年(1867年)のこと https://t.co/A18d4Lqjkw」 / [[X]]]], [TIME[午後1:48 · 2021年6月23日][2021-06-23T04:48:49.000Z]], [TIME[2024-03-07T12:31:38.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1407561258618920960>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[65] [CITE@ja[高知県安田町の古文書に「天晴」 龍馬の義兄が私年号記す|[[高知新聞]]]],
2019.06.28 08:35,
[TIME[2021-06-25T02:53:32.000Z]] <https://www.kochinews.co.jp/article/288738/>
]FIGCAPTION]
>幕末の土佐で使われた私年号「天晴(てんせい)」の文字が書かれた古文書が27日までに、高知県安芸郡安田町で見つかった。坂本龍馬の義兄で安田町の儒学者、高松順蔵(1807~76年)が編んだ歌集にあった。中芸地域の古文書で確認されたのは初めて[SNIP[]]
]FIG]
-- [341] 消滅確認 [TIME[2024-03-09T07:09:47.000Z]]
-- [342]
[CITE@ja[高知県安田町の古文書に「天晴」 龍馬の義兄が私年号記す|[[高知新聞]]]], [TIME[2024-03-09T07:09:30.000Z]], [TIME[2019-08-12T13:02:31.905Z]] <https://web.archive.org/web/20190812130214/https://www.kochinews.co.jp/article/288738/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[86] [TIME[2022-12-25T08:13:11.400Z]]
<https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00106199-20190000-0121.pdf?file_id=147073>
#page=54
]FIGCAPTION]
>
[VRL[
[BOX(set)[
[BOX(set)[
[BOX(left)[
謫居詩存〔二〕巻存巻上
]BOX]
[BOX[
和半
]BOX]
]BOX]
[BOX(right)[
[YOKO[[LINES[919][ト 363][1]]]]
]BOX]
]BOX]
[BOX(indent)[
[BOX(set)[
[BOX[
藤田東湖撰 門生等校
]BOX]
[BOX[
天晴元年(=慶応三年、一八六七)八月写(〔田宮穆風齋〕)
]BOX]
]BOX]
書写奥書「天晴元八月日寫於府之新街僑居/物水小史悌識」。「天晴」は土佐の一部で用いられた私年号。朱句点[BR[]]
等あり。識語:田宮虎次郎之悌、物水子帰、田宮子順悌、之春(いずれも本文同筆) *田宮道雄氏寄贈
]BOX]
]VRL]
]FIG]
- [205]
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「私年号「天政」 https://t.co/nWGRweWtvL」 / [[X]]]], [TIME[午前11:43 · 2021年10月24日][2021-10-24T02:43:23.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:50:57.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1452103396857561092>
-- [207]
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「近くにも私年号「天晴」 https://t.co/2G4inqYxg2」 / [[X]]]], [TIME[午前11:55 · 2021年10月24日][2021-10-24T02:55:13.000Z]], [TIME[2024-03-06T11:34:13.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1452106376352657408>
]REFS]
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [5]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[高知市]][[春野町]][[西諸木]] [[森神社]]手水鉢]]
-- [204]
「[DATA(.text)[[V[[LINES[天政元夘歳][[SNIP[]]][九月𠮷日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>1, >>12, >>22, >>27]]
--- [405]
「[V[天政元卯歳[BR[]]九月吉日 [SNIP[]]]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(五)]]]]]]
-- [364] >>132 に銘文の一部のカラー写真
-- [203] >>12, >>22, >>27 に写真
-- [202] >>201 にカラー写真
-- [127] >>44 にカラー写真、銘文全体がよく読み取れる
-- [206] >>205 にカラー写真、字形が明確に読み取れる解像度
-- [391] >>375 に銘文部分の一部の白黒写真、一部判読しがたい
-- [406] 旧: [[吾川郡]][[春野町]]
- [7]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[田野町]][[大野]]]] [[大山祗神社]] 手水鉢]]
[SRC[>>182]]
-- [181]
「[DATA(.text)[天星元夘九月𠮷辰日]]」
[SRC[>>1, >>2]]
]ITEMS]
[317]
[TIME[2019-03-14]]の新聞記者の取材に対し、
森神社 (>>5) を毎月掃除しているという地元の女性(60歳)は、
[[天政]]のことを全く知らなかったと語っています。
[SRC[>>1]]
関心を持っていない人にはまったく気付かれずにいたようです。
[535]
他に[[天成]]があるとされます [SRC[>>47]] が、不明です。
[REFS[
-
[132]
[CITE@ja[[[X]]ユーザーのうっじーさん: 「資料館の人に教えてもらった 天政年号のある神社。 全国で天晴、天星の年号は 数件発見されているが 天政はここだけだそう。 https://t.co/QXYgUYSOkv」 / X]], [TIME[午後1:13 · 2019年4月21日][2019-04-21T04:13:47.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/uuu_uj/status/1119816475877920768>
]REFS]
-*-*-
[249]
明治二十二・三年([TIME[1889]],[TIME[1890]])頃、
[[高村晴義]] (>>421) は[[神峯神社]]の石灯篭 (>>6) の「天晴元年」
に気づき、
堂守に質問して回答を得ました。
[SRC[>>420 (>>375)]]
- [422] 慶応3年のことである
- [423] 当村 = [[日本]][[土佐国]][[安芸郡]][[安田村]]から2,3人の士が上京していた
-- [424] [[京都]]や[[大阪]]の情報は折々伝えられていた
-- [425] うち1人から、
この頃国内の不安なるにつき年号を改めてこの妖気を攘うと朝廷で議論されている、
と連絡があった
- [426] 当時この石灯篭 (>>6) の建立を計画していた
-- [427] ならばいい機会なので新元号の銘文としようと話していた
- [428] 来年は天晴と改元されるとのこと、と2回ほども通知があった
-- [429] それで天晴で建立した
- [430] ところが改元されてみれば[[明治]]になっていた
- [431] 村民一同残念だったが改刻する力もなくそのままとなった
[432]
堂守は当時をリアルタイムで経験した人でしょうか。貴重な証言です。
ただ当時から聞き取りまで20年強 ([[高村晴義]]は30歳くらい)、
聞き取りから発表まで更に50年強 ([[高村晴義]]は75歳くらい)
と随分と時間が経っている
[SRC[>>420 (>>375)]]
のは不安材料です。
[NOTE[
[433]
これをそのまま信じるなら、
- [434] 慶応2年かそれ以前に改元計画の噂が流れてきた
- [435] 慶応2年に「慶応3年が天晴元年」の噂が2回流れてきた
- [436] 慶応2年かそれ以前に石灯篭の計画があった
-- [439] 慶応2年か慶応3年に銘文を確定した
- [437] 銘文決定後 (銘文の日付の前か後かは不明 = 慶応2年から慶応4年の間)
に誤情報と判明した
ということになります。
[438]
しかしその後いつしか改元情報があったので石灯篭を立てることにしたと解釈されるようになります
(例えば >>283, >>251)。
[381]
[[平成時代]]の研究者が[[代替わり]]による[[改元]] (史実の[[明治改元]])
の誤解説を取っていますが、この証言では政情不安としか言っていないことには注意が必要かもしれません。
[[代始改元]]なら慶応2年12月の[[孝明天皇]]の[[崩御]]まで
([[尊王]]云々を抜きにすれば慶応2年7月の[[徳川家茂]]の死去まで)
しか噂の始まりは遡り得ないことになりますが、
政情不安が改元理由ならそれ以前から出回っていた噂の可能性があります。
[570]
慶応2年は[[第二次長州征伐]]をはじめ混乱の年でした。
[461]
[[天政]]が[[慶応]]度の[[公年号]]候補から生じたデマとする説 (>>10)
に従えば[[慶応]]の[[改元定]]の頃まで遡る可能性があるわけです。
]NOTE]
;; [466] この証言に従えば、
この地域が[[土佐]]における[[天晴]]の発信源の1つだったということになるでしょうか。
それが[[土佐]]における唯一の発信源なのか、
他の地域にも同じような連絡があったのか、
というのも興味深い問題です。
;; [467] [[安田村]]の旧家に当時の連絡の現物が残っていたりしないのですかね?
さすがにもう調査はされていますかね?
** 徳島
[ITEMS[ [[日時事例]
- [8] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[徳島県]][[三好市]]]] [[太鼓]]]]
-- [471]
「天政」
[SRC[>>1, >>468]]
]ITEMS]
** 福岡
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [9]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]]] 文書]]
-- [52] [[戦国時代]]の[[宗像氏]]の内紛を描いた書物の写本 [SRC[>>47, >>468]]
-- [198] 書写[[奥書]]
「[DATA(.text)[[V[天政元𭘾[BR[]] 丁夘十月吉[ASIS[祥][丰、]]日[SNIP[]]]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>38, >>468]]
-- [199] >>468 にカラー写真あり
-- [200] >>116 にカラー写真あり
]ITEMS]
[53]
[TIME[平成31(2019)年3月][2019-03]] [SRC[>>1, >>47, >>468]]、
[[高知近代史研究会]]の会長 [SRC[>>47, >>468]]
で[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の [[NPO]]
[[地域文化計画]]の理事 [SRC[>>1]]
の[[今井章博]]が[[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]の古書店で入手しました
[SRC[>>47, >>468]]。
市 [WEAK[([[宗像市]]か)]] 内の寺に関する文書でした。
[SRC[>>1]]
[[令和改元]]直前の[TIME[平成31(2019)年4月][2019-04]]に新聞で報じられました
[SRC[>>38]]。
[571]
書写者と思われる[[人名]]がありますが、どのような人物かはわかりません [SRC[>>196]]。
[REFS[
- [38]
[CITE@ja[私年号「天政」 福岡でも? 本県研究者 宗像市古文書で確認|[[高知新聞]]]],
[TIME[2019.04.26 14:35][2019-04-26T14:35]]
([TIME[2019-07-16 16:59:58 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/272657/>
-- [197] 消滅確認 [TIME[2024-03-06T11:46:06.00Z]]
-- [46] [CITE@ja[楢山おろかさんは[[Twitter]]を使っています 「『高知新聞』私年号「天政」 福岡でも? 本県研究者 宗像市古文書で確認 https://t.co/gWI8ydCF0Y 出処はきっと早川勇だろうけど、興味深いのは、情報通の加瀬屋、若手勤王派の山中立木や祝部波門なんかの記録にない=福岡城下には到達してなさそうなところで早川の勢力範囲が見えそうなあたり」 / Twitter]], 午前10:15 · 2019年4月27日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:38:42.000Z]] <https://twitter.com/oroka0219/status/1121945934328262656>
--- [196]
[CITE@ja[Xユーザーの楢山おろかさん: 「または、早川は知ってて使わなかったけど早川の周りに使ったひとがいた、ぐらい、とか。城戸(山崎)吉近って誰やっけな、っていうか、「写之」ってあるけどその史料何だべな」 / [[X]]]], [TIME[午後0:37 · 2019年4月27日][2019-04-27T03:37:49.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:59:48.000Z]] <https://twitter.com/oroka0219/status/1121981749695635456>
- [47] [CITE@ja[ななづきさんは[[Twitter]]を使っています 「無茶苦茶ワクワクする記事。私年号「てんせい」の伝達には三条実美さん周辺の志士が関わってた!? https://t.co/PxmvHl7tCF」 / [[Twitter]]]], 午後6:37 · 2019年4月26日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:10:13.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1121709890311901186/photo/1>
-- [468] 写真: >>38 の紙版
--
[122] [CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「天晴に関する資料やっと見つけた ちゃんと整頓しなさい 土佐歴史余話の『私年号「天晴」あれこれ』 天晴が彫られた灯篭のある寺 安田村から上京した士が、慶応3年に「天晴と改元ある由」と通知したと伝えられているらしい 下のツイの記事と合わせてワクワクする https://t.co/NKwTW7cf65」 / [[X]]]], [TIME[午後11:39 · 2022年9月23日][2022-09-23T14:39:12.000Z]], [TIME[2024-02-14T05:25:44.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1573321087387303937>
-- [128] [CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「『天晴』だ! https://t.co/gs1r4sh7Li」 / X]], [TIME[午後9:19 · 2022年9月22日][2022-09-22T12:19:54.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1572923641347870722>
-- [129]
[CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「@ambujam10 土佐の東部、安田に住んでた龍馬の義理の兄の順蔵さんも『天晴』の年号を何かに書き残してたはず(うろ覚え) 誰が持ち帰って広めたのか気になるんですよね」 / X]], [TIME[午後2:26 · 2022年9月23日][2022-09-23T05:26:43.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1573182049887846402>
-- [130]
[CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「そういえば、安田のギャラリーの展示に、順蔵さん編著の歌集で『天晴』の年号が使われている事が紹介されていました。「天晴のはしめの年 神無月しるす」とあるそうで。誤っている事をわかった上で使っているのだろう的な説明でした。 順蔵さんがこの年号を使いたいと思った理由は何だろう?」 / X]], [TIME[午後10:57 · 2019年10月11日][2019-10-11T13:57:56.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1182656580581543937>
--
[134]
[CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「なぬ!?絵金の贋作、追放事件は無かった!?藩の記録に見当たらないとな?さてさて、どうなんだろー?読んでみたいなー。 絵金さんも『天晴』使ってたのかー。この年号かなり広まってたんですね。 https://t.co/TsS93xVZ7Q」 / X]], [TIME[午後5:39 · 2018年8月21日][2018-08-21T08:39:27.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1031823081906393088/photo/1>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[116] [CITE[[[ねんごう]] の写真・画像 : 報道写真・ニュース映像ならKYODO NEWS IMAGELINK(イメージリンク)]], [TIME[2022-12-29T09:39:50.000Z]] <https://imagelink.kyodonews.jp/search?product_type=1,2,11&keyword=%E3%81%AD%E3%82%93%E3%81%94%E3%81%86&opendetail=8893991>
]FIGCAPTION]
>登録日時: 2019年04月27日 17:20:22
>「天政元年」の記述 民間年号「てんせい」の謎
>「天政元年」と記述された福岡県の寺の資料
> 提供元: 共同
]FIG]
]REFS]
** 飛騨
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [351] [DATA(.label)[[[高山御用所]]宛 [DATA(.addr)[[[日本]][[飛騨国]][[益田郡]][[中呂村]]]]名主四郎兵衛文書]]
-- [352]
「[DATA(.text)[[V[天政元[SUP[辰]]年[BR[]] 二月]]]]」 ([[草書]])
[SRC[>>82]]
-- [353] >>82 に白黒写真あり、低解像度ながらも日付部分は判読可能
]ITEMS]
[354]
この文書は[TIME[昭和62(1987)年][1987]]に自治体史で紹介されました。
[SRC[>>82]]
いつから知られていたかは不明です。
[355]
自治体史では「天政元年」という[[元号]]に注意を促しながらも、
それが何であるかには踏み込んでいませんでした。
[SRC[>>82]]
そのためか[[私年号研究]]の分野では[[令和時代]]に至るまでまったく見落とされてきました。
[356]
この文書は、[TIME[慶応4(1868)年][1868]]2月に[[明治政府]]が長寿者表彰のため各村に報告を求めたものに対する回答とされます。
[SRC[>>82]]
[[日付]]に[[十二支年]]が「辰」と明記されていることからも、
「天政元辰年」が[TIME[慶応4(1868)年戊辰][1868]]を指すことがわかります。
[357]
慶応3年卯が元年の西日本の「てんせい」と違って慶応4年辰が元年であることに注意が必要です。
また、[[飛騨]]では[[幕末]]に一時[[亀光]]が使われたこともありました。
[358]
旧[[幕府領]]で[[明治政府]]が接収して間もない[[飛騨]]地域の山村という位置も注目されます。
[REFS[
- [82] [CITE@ja-JP[[[萩原町史]] 第3巻 (南飛騨の夜明け)]], [[萩原町史編集室]], [TIME[1987.6][1987]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:09:45.856Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9540518/1/203> (要登録)
]REFS]
* 受容
[71]
用例が多数見つかっている[[日本国]][[高知県]]では比較的関心が髙いようです。
[72]
[[令和改元]]の前後には特に関心が高まったようで、
イベント開催や[[メディア]]での紹介が複数回ありました。
新史料の発見もありました。
([[亀光]]の状況とも似ています。)
[62]
[[令和改元]]をきっかけに関心が高まり新発見があったり、
それに因んだ命名 (>>55) があったりしたようで、
[[改元]]のメリットを享受した幸運な[[私年号]]ですねw
-*-*-
[173]
[TIME[平成22(2010)年][2010]]の[[日本国]][[高知県]]の[[高知県坂本龍馬記念館・現代龍馬学会]]の会員[[唐石淳子]]の記述によると、
[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]の[[天満宮]]石灯籠 (>>29)
の[[私年号]]用例には従来地元ではまったく関心を払ってきませんでした。
銘文は風化が進み、どうにか保存できないのかと困っていたようです。
[SRC[>>28]]
[157]
[TIME[2015-08-16]]、
[[南国市立中央公民館]]開催の[[南国史談会]]例会の第38回は
「幕末土佐でのみ使用された私年号「天晴」」
がテーマでした。
[SRC[>>156]]
;; [159]
[[南国史談会]]は[[南国市]]を中心とした歴史・文化の研修を行う公民館のサークルとして登録されています
[SRC[>>158]]。例会の連絡先は市役所になっており [SRC[>>156]]、
市からある程度のバックアップもあって活動していると思われます。
[311]
平成29年末から平成30年にかけて、[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の[[高知城歴史博物館]]では、
[[天晴]]の写真展が開催されました。
[SRC[>>69, >>17]]
[154]
[[令和改元]]直前の[TIME[2019-02-23]]、
[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[田野町]]で
「幕末の土佐で使われた謎の私年号「てんせい」を探すツアー」
と銘打った[[田野町]]大野地区の[[大山祗神社]]の見学会がありました。
[SRC[>>153]]
[359]
[TIME[2019-03-27]]には、
[[天晴]]関係の活動を続ける[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の [[NPO]]
[[地域文化計画]]がトークイベントを開催しました。
[SRC[>>70]]
[323]
[[令和改元]]のあった[[10連休]]には、
[[高知県立歴史民俗資料館]]で特別展があり、
[[天晴]]銘棟札 (>>36)
の実物が初展示されました。
[SRC[>>322, >>41]]
[345]
[TIME[令和元(2019)年7月][2019-07]]には、
[TIME[令和元(2019)年6月][2019-06]]までに認知されたばかりの[[高松順蔵]]の用例 (>>66)
が[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]]の企画展で展示されました。
[SRC[>>65]]
[121]
地元では観光名所として扱われているようです
[SRC[>>131]]。
[187]
その他[[高知県]]の自治体のウェブページや広報誌、
観光関係、
歴史関係、
登山関係、
一般のブログ記事などでしばしば紹介されています
[SRC[>>183, >>169, >>185, >>156, >>182, >>158, >>213, >>235, >>252, >>262, >>266, >>267, >>268, >>37, >>67, >>33, >>39, >>27, >>68, >>179]]。
[188]
裾野が広がるとどうしても怪しげな説明も出てくるもので、
「使用されることのなかった“幻の年号”」が使われているという不思議な解説
[SRC[>>185]]
もあったりします。
;; [339]
「公年号に採用されるといわれていたが採用されなかった幻」という意味で書いたのですかね?
背景知識がなければこれだけ読んでそう解釈するのは不可能ですが...
[195]
[[令和]]の新元号の発表の前日[TIME[2019-03-31]]には、
[[BS-TBS]]
の特番で[[天晴]]も紹介されたようです。
[SRC[>>194]]
番組内容は不明ながら、
[[SNS]]
での反応によればあまり品質はよくなかったようです [SRC[>>193]]。
[370]
[[令和時代]]初期の[[九州王朝]]説の支持者のブログ記事では、
[[陰謀論]]の材料として[[古代年号]]との対比で使われたりもしています。
[SRC[>>99]]
(過去の学説から自説に都合のいい部分だけ切り取って繋げたに過ぎず、
[[天晴]]に関する引用を除けば主張の根拠も示されていません。
[SEE[ [[九州年号]] ]])
[458]
[[令和改元]]直後に発行された[[オカルト]]雑誌の[CITE[ムー]]の記事で、
[[私年号]]を取り上げたものがあります。
[[私年号]]の事例として[[天晴]]を紹介していました。
それ自体は普通の紹介なのですが、
そして妖怪の[[油取り]]と関係があるのだ、
と強引な展開に持ち込んでいます。
[SRC[>>269]]
(そういう芸風の雑誌です。)
;;
[459]
強引な結びつけではあるのですが、
郷土史家の真面目な論文でも (本論とは関係ないとはいえ)
[[天晴]]から[[あぶら取り一揆]]に無理につなげている事例があります
(>>457)。
[CITE[ムー]]の記事執筆者はそれに着想を得たのか