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[1] [[東洋]]では古来[[干支]]が[[紀年法]]として用いられてきました。
[[元号]]などと併記されることもあれば、単独で用いられることもありました。
* 元号圏
[2]
[[支那]]、[[日本]]などでは、
[[元号]]と[[干支]]を併記していました。
[SEE[ [[元号年]]、[[日本の暦]]、[[南西諸島の日時]] ]]
[16]
[[元号]]が無い時代 ([SEE[ [[日本古代の日時]] ]]) や略式には、
[[干支]]のみを使ったり、
[[十二支年]] (や[[元号]]と[[十二支年]]の組み合わせ)
を使ったりしていました。
[17]
[[現代日本]]でも[[カレンダー]]、[[寺社]]、[[年賀状]]など限定的ながら使われています。
[27]
[TIME[昭和54年][year:1979]]に[[日本政府]]は、
[[干支紀年]]は一般的に使われている[[紀年法]]とは言い難いとの見解を内部文書で示していました。
[SRC[>>39]]
[REFS[
- [39] [CITE@ja[法律案審議録(元号法案 その1) 昭和54年第87回国会 総理本府関係 1]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-12 23:56:17 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2011021814402318057>
34ページ
]REFS]
* チベット暦
[24] [[チベット暦]]でも[[紀年法]]として用いられています。
* 限界の超え方
[18]
[[干支年]]は[[干支]]の60ヶ年分を超えて表現できません。
近接した時代しか扱わない日常生活には十分ですが、
長い時間を扱うことができません。
[SEE[ 類例は[[2桁年号]] ]]
[20] 古代[[支那]]では[[干支年]]と[[在位紀年][支那式在位紀年]]
(後に[[元号]]) を組み合わせる方法でこれが克服されました。
[SEE[ [[元号年]] ]]
[21]
古代[[日本]]も[[干支年]]を採用しましたが、
この問題にぶち当たり[[大宝律令]]以後[[元号年]]併記が採用されました。
[SEE[ [[元号年]]、[[日本古代の日時]] ]]
[25]
[[チベット暦]]は[[干支年]]の上位に何巡目かを表す単位を設けました。
[SEE[ [[チベット暦]] ]]
[26]
[[李氏朝鮮]]でも[[干支年]]の前に何巡目かを表す数を加えました。
[SEE[ [[崇禎紀元]] ]]
* 派生紀年法の一覧
[FIG(short list)[ [28] [[干支年]]から派生した[[紀年法]]
- 干支併記型[[元号年]]
- [[神武天皇即位前紀干支年]]
- [[崇禎紀元]]
- [[チベット暦]]
- [[太平天国暦]]
]FIG]
[3] [[西暦]]と併記された例も知られています。
[SEE[ [[日本の西暦]] ]]
* 関連
[12]
[FIG(short list)[
- [[十二支年]]
- [[還暦]]
]FIG]
* メモ
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[太初 (漢) - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-08 10:31:51 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%9D_(%E6%BC%A2)>
]FIGCAPTION]
> 太初元年については以下の4種がある'''['''1''']'''。
- 丙子:『漢書』による。
- 甲寅:『史記』に「甲寅」とあることから。
- 丁丑:紀元前67年から単純に60年サイクルの逆算
- 戊寅:『史記』に「寅」とあることから。
]FIG]
[5] [CITE@ja[干支(えと)はいつ頃から使われているのでしょう?(かなり専門的)]]
([TIME[2015-03-08 08:35:39 +09:00]] 版)
<http://www.ffortune.net/calen/calen/fromqa/qa106.htm>
[6] [CITE@ja[近代デジタルライブラリー - 戦国秦漢の暦法]]
([TIME[2016-02-08 12:34:28 +09:00]] 版)
<http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1063831>
[10] ([TIME[2007-01-25 11:48:52 +09:00]] 版)
<http://www.lib.shimane-u.ac.jp/kiyo/m002/0001/004.pdf>
[11] [CITE[暦の蔵 - ★'s Lab]]
([TIME[2016-02-15 15:07:57 +09:00]] 版)
<http://star.aa.tufs.ac.jp/tibet/?%E6%9A%A6%E3%81%AE%E8%94%B5>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[13] [CITE@ja[崇禎紀元 - Wikipedia]]
([TIME[2016-02-11 00:50:37 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A6%8E%E7%B4%80%E5%85%83>
]FIGCAPTION]
> 崇禎紀元後八十三年=1710年'''['''3''']'''
> 崇禎後再癸丑=1733年(2回目の癸丑の年)'''['''4''']'''
> 崇禎後百三十八年=1765年'''['''5''']'''
> 崇禎紀元後四乙丑=1865年(4回目の乙丑の年)'''['''6''']'''
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22] [CITE@ja[五条大橋 - Wikipedia]]
([TIME[2016-12-21 20:39:16 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%9D%A1%E5%A4%A7%E6%A9%8B>
]FIGCAPTION]
> 正保二年し酉十一月吉日
]FIG]
[23] >>22 「し」と翻刻されているが実際には「乚」 (正保二年乙酉)。
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@ja[池田山 法真寺 » 和暦・年齢計算]]
([TIME[2018-02-13 19:36:43 +09:00]])
<http://houshinji.org/calendar.html>
]FIGCAPTION]
> 「壬辰」等のように干支を記入することもできます。その場合、その元号で最初にその干支になった年を表します。例えば平成壬辰年は平成24年になります。
]FIG]
[15] [CITE@en[Cyclic year used in East Asian calendars · Issue #638 · MenoData/Time4J]]
([TIME[2018-03-18 16:01:19 +09:00]])
<https://github.com/MenoData/Time4J/issues/638>
[29] (久野健 [TIME[2018-07-15 18:24:14 +09:00]])
<https://core.ac.uk/download/pdf/159511709.pdf>
[7] [CITE@ja[『聖徳太子 実像と伝説の間』: suchowan's blog]]
([TIME[2019-08-07 16:02:16 +09:00]])
<https://suchowan.at.webry.info/201603/article_1.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[阪神甲子園球場 - Wikipedia]]
([TIME[2019-09-12 12:49:07 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%9C%92%E7%90%83%E5%A0%B4>
]FIGCAPTION]
> 大正13(1924)年が十干十二支の最初の組み合わせである甲子年(きのえねとし)という縁起が良い年という事もあり後に甲子園大運動場(こうしえんだいうんどうじょう、看板表記は阪神電車甲子園大運動場)と命名。
]FIG]