/
644.txt
285 lines (215 loc) · 12.3 KB
/
644.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
276
277
278
279
280
281
282
283
284
285
[1] [DFN[[N[4]]]]
は、
[N[3]] より大きく
[N[5]] より小さな[[整数]]です。
* [LINES[二][二]]
[351]
[N[4]]
は、
「[V[二二]]」
や
「[V[[LINES[二][二]]]]」
と表記されることもありました。
[7]
[[東洋の日時表示]]でよくみられます。
[8]
[[整数]]の [N[4]] を表す例が多いですが、
桁の [N[4]] を表す例もあります。
[48]
4 を 2 + 2 と解釈したものとも、
2 × 2 と解釈したものともみることができます。
後者の解釈では[[乗法紀年法]]の一種となります。
-*-*-
[2]
「亖」
という独立した[[漢字]]もあります。
[27]
が、「二」を2つと[[翻刻]]する例が大多数のように思われます。
[[縦書き]]の場合、「[V[亖]]」と「[V[二二]]」の区別がつかない場合も多いです。
[25]
[[印刷文字]]や[[フォント]]の「亖」は、たいてい「二」を2つ重ねたような、
上から順に短、長、短、長の横線で構成されています。
[29]
[CITE[GlyphWiki]] には、
「亖」の[[字形]]として短、長、短、長のものと、同じ長さの4本線のものがあります。
他に「[TATE[亠二]]」 (横線の長さは上から長、短、長) もあります。
[SRC[>>28]]
[REFS[
- [28]
[CITE@ja[u4e96 (亖) - [[GlyphWiki]]]], [TIME[2022-06-29T12:03:54.000Z]] <https://glyphwiki.org/wiki/u4e96>
]REFS]
-*-*-
[30]
[CITE[GlyphWiki]]
には
「亖」
に関係して
「[L[二二]]」
で1文字の[[字形]]があります。
上が短く下が長いものと、上下同じ長さのものがあります。
[SRC[>>28]]
[31]
[CITE[GlyphWiki]]
にはその他に
「[ASIS[氺󠄁][|なし]]」
や
「[L[冫人]]」
のような[[字形]]があります。
[SRC[>>28]]
[36] >>34 p.131 本文 ([[明朝体]])
>
[VRL[
[SNIP[]]元[BR[]]亀二年本運歩色葉集では漢数字「四」を意味する「[ASIS[氺󠄁][|なし]]」の形 [WEAK(smaller)[(元来これは「二」を横に連ねたものであろう)]] も見える。[BR[]]このように点や横画を四つ記す形が運筆上「[ASIS[氺󠄁][|なし]]」と書かれることに不思議はなく、[SNIP[]]
]VRL]
;; [37] この本での「[ASIS[氺󠄁][|なし]]」の字形は左上と右下が[[明朝体]]の点 (止め) の形、
左下と右上が中央に向かって払う形。
[REFS[
- [32]
[CITE[[L[日本略字体史論考]]]],
[[[L[菊地恵太]]]],
[L[2022年1月31日初版第1刷発行]]
-- [33]
[CITE@ja-jp[[[日本略字体史論考]] (日本語学会論文賞叢書 2) | 菊地 恵太 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2022-06-29T12:13:52.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4838607660/wakaba1-22/>
-- [35] 後記: [V[令和三年五月]]
-- [34]
[CSECTION[[V[第七章 畳用符号を利用した略字体]]]],
pp.129-149,
初出: [V[二〇一八󠄂]]
]REFS]
-*-*-
[352]
[[石田茂作]]は、[[日本]]の[[金石文]]紀年銘において
「[V[二二]]」
は[[日本]][[鎌倉時代]]後期から[[南北朝時代]]に多く、
「[V[[LINES[二][二]]]]」
はそれと相反するように[[室町時代]]に多いとしました。
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
- [353] [V[二二]]最古:
[[日本国]][[日光]]中禅寺鐘銘「[V[建保二二年丙三月廿二日]]」
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
([TIME[日本建保4(1216)年[LINES[丙][子]]3月22日][kyuureki:1216-03-22]])
- [291]
[VRL[
建武二二年[LINES[丁][丑]]
三月五日造鋳
]VRL]
[SRC[>>288 [B[6]] ([V[第一図版[YOKO[1]]]])]] [TIME[1337年3月5日][kyuureki:1337-03-05]]
- [354]
[[日本国]][[静岡県]]庵原茂畑一渓寺[[鰐口]]
「[V[正安 [LINES[二][二]] 年卯月十八日]]」
([TIME[日本正安4(1302)年4月18日][kyuureki:1302-04-18]])
[SRC[>>339 p.[V[二一七]] [V[26]] ]]
- [378]
[[日本国]][[宮城県]][[黒川郡]][[大衡村]]大福寺題目板碑
「[V[嘉暦[LINES[大才][丁卯]]二季九月[LINES[二][二]]日]]」
[TIME[日本嘉暦2(1327)年[LINES[丁][卯]]][year:1327]]
[SRC[>>377 [V[[YOKO[4]]]] ([CITE[宮城県史]])]]
-- [379] [[干支]]の位置に疑問がある [SRC[>>377]]。
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
- [258]
日部神社石燈
「[V[__&&swc83(正)&&__平二十[LINES[二][二]]__&&swc301(年)&&__[LINES[己][[ASIS[𮠕][<https://glyphwiki.org/wiki/u2ffb-u897e-u4e8c>]]]][ASIS[夘][夕ア]]月八日]]」
[SRC[>>257]]
([TIME[日本南朝正平24(1369)年[LINES[己][酉]]4月8日][kyuureki:1369-04-08]])
- [431]
[[日本国]][[東京都]]下丸子[[多摩川]]べり出土[[鰐口]]
「[V[至徳[LINES[二][二]][LINES[丁][卯]]八月日]]」
[SRC[>>432 p.[V[三〇一]]]]
[TIME[日本北朝至徳4(1387)年[LINES[丁][卯]]][year:1387]]8月
-- [433] [TIME[至徳4年8月23日][kyuureki:1387-08-23]]に[[嘉慶]]に[[改元]]
- [19]
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]御殿山出土板碑13
「[V[応永□三月二[YOKO[二二]]日]]」
[SRC[>>18 p.[V[三三四]]]]
-- [20] [TIME[日本応永元(1394)年][1394]]以後
- [21]
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]御殿山出土板碑33
「[V[享徳二年八󠄂月十[YOKO[二二]]日]]」
[SRC[>>18 p.[V[三三六]]]]
[TIME[日本享徳2(1453)年8月14日][kyuureki:1453-08-14]]
[11]
[[日本国]][[滋賀県]][[蒲生郡]][[日野町]][[中之郷]][[長寸神社]][[棟札]]
[TIME[文和4(1355)年[LINES[乙][未]]9月2日[LINES[甲][申]]][kyuureki:1355-9-2]]
- [12] [CITE[東桜谷志]]翻刻「[V[文和二二年乙未九月二日]]」
[SRC[>>9 p.128]]
-- [14] 写真と比べると干支が欠落するなど不正確な点が多い。
- [13] [CITE[東桜谷志]] p.128 掲載の白黒写真 (やや不鮮明) から翻刻
「[V[攵和二二[LINES[乚][未]]九月二日[LINES[甲][申]]]]」
-- [15] 「[V[二二]]」は短、長、短、長の4本線。
1文字分の縦サイズで書かれているが、日付の「[V[二]]」も半文字分の縦サイズなので、
「[V[亖]]」という意識があったのか「[V[二二]]」のつもりなのかわからない。
-- [16] 「乚」の下方にアキがあるが、
「未」の上端は「乚」の上端とほとんど違わない。
[[干支斜め書き]]ほどはっきり斜めに書かない中間形か。
-- [17] 「[V[[LINES[甲][申]]]]」はほぼ真横に書かれている。
[REFS[
- [288] [CITE[[V[雲版銘文󠄃集]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[一三七]]-[V[一七八]]
- [339] [CITE[[V[平安・鎌倉時代鰐󠄂口銘文集]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[二〇八󠄂]]-[V[二二二]]
- [377] [CITE[宮城県の題目板碑]],
[CITE[[[続仏教考古学研究]]]], pp.[V[一八]]-[V[六六]]
- [432] [CITE[川崎市の中世在銘の鰐口]],
[CITE[[[続仏教考古学研究]]]], pp.[V[二九五]]-[V[三一一]]
- [18]
[CITE[金石文より見た中世の品川]],
[CITE[[[続仏教考古学研究]]]], pp.[V[三二九]]-[V[三六八󠄂]]
- [257] [CITE[book12.pdf]], [TIME[2011-03-24T01:46:00.000Z]], [TIME[2020-11-30T11:52:53.378Z]] <https://www.kansai-u.ac.jp/Museum/naniwa/publication/book12.pdf#page=19>
]REFS]
[10]
[RUBY[四][し]]が[RUBY[死][し]]に通じることを嫌って二二と表記するのだとされます。
[SRC[>>9 p.128]]
[REFS[
- [9] [CITE[[[東桜谷志]]]]
]REFS]
[38]
関連記事:
[[日本古代の日時]]
[325] [CITE@ja[大発見? 漢数字の四・肆を「亖」と書いた実例 - 日本中近世史史料講読で可をとろう]], [TIME[2020-12-10T05:40:28.000Z]] <https://japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com/entry/2017/09/14/123501>
[326] [CITE@ja[漢字の「一」「二」「三」の次がいきなり「四」になるのはなぜなのか? - ねとらぼ]], [TIME[2020-12-10T05:41:14.000Z]] <https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/14/news015.html>
[338] [CITE@ja[拾萬字鏡さんはTwitterを使っています 「室町期に(特に宝徳4年(1452)以降増える気がする)「四」が「==」と独特の異体字で書かれるのが妙に気になる。来年調べてみるか。」 / Twitter]], 午前7:18 · 2020年12月24日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-12-24T09:42:56.000Z]] <https://twitter.com/JUMANJIKYO/status/1341870735791288320>
[22] [CITE[2327.pdf]], [TIME[2021-03-08T06:06:43.000Z]], [TIME[2021-06-30T02:38:47.321Z]] <https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/uploaded/attachment/2327.pdf#page=2>
[24]
[CITE[2-3syou.pdf]], [TIME[2020-04-08T02:43:25.000Z]], [TIME[2022-03-22T08:52:24.133Z]] <https://www.city.omura.nagasaki.jp/bunka/kyoiku/shishi/omurashishi/dai2kan/documents/2-3syou.pdf#page=2>
本文中の翻刻だと
「[V[于時延徳[YOKO(normal)[二二]]年[YOKO(normal)[子壬]]三月十五日]]」
([[明朝体]])。
[[割書]]は本文と同じ文字サイズ。
左右中央揃え。
[[割書]]部分は [[PDF]] の文字データとしては[[左横書き]]になっている。
現物写真 ([[楷書体]]) で見ると「二二」は上下には最低限のスペースだけ取って、
左右は1文字分の幅しか使っていない。
「子壬」は2文字分の幅を使っている。
「二二」は左下の線が左下から右上に払う形、
その他の3つは水平に見える。
[REFS[
- [637]
[CITE[21436_1_桃生・山内氏と板碑-2.pdf]], [TIME[2022-09-22T02:54:27.000Z]], [TIME[2022-09-22T08:00:16.554Z]]
<https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/29/29561/21436_1_%E6%A1%83%E7%94%9F%E3%83%BB%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%B0%8F%E3%81%A8%E6%9D%BF%E7%A2%91.pdf>
#page=15
]REFS]
[39] >>637 この「[LINES[二][二]]」は左右ともはっきり「二」 (上が短く下が長い、平行)。
-[43] [CITE@ja[[[万葉仮名]] - Wikipedia]], [TIME[2022-10-25T13:44:29.000Z]], [TIME[2022-11-03T11:26:37.696Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E4%BB%AE%E5%90%8D>
-[41] [CITE@ja[たのしい万葉集: [[万葉仮名]](まんようがな)]], [TIME[2022-05-28T10:53:11.000Z]], [TIME[2022-11-03T11:17:28.499Z]] <https://art-tags.net/manyo/kana/index.html>
[42] [[万葉仮名]]に「二二」で「し」と読ませるものがあります。 [SRC[>>41, >>43]]
[44] [CITE@ja-JP[志木市史 民俗資料編 2 (石造遺物)]], [[志木市]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-26T08:21:35.162Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642260/1/48> (要登録)
板碑 [V[[LINES[二][二]]年]] 3基 [V[四年]] 4基、
死に通ずるからだが流行があった
[45]
[CITE@ja-JP[歴史と地理 17(3)]], [[星野書店]], [TIME[1926-03]], [TIME[2022-12-27T12:44:39.000Z]], [TIME[2022-12-27T14:26:54.170Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3566918/1/41> (要登録)
[[斜め書き]]
[46] [CITE@ja-JP[秋田叢書 第10巻]], [[秋田叢書刊行会]], [TIME[昭和3至8][1933]], [TIME[2022-12-27T12:44:39.000Z]], [TIME[2022-12-27T14:40:02.154Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1174145/1/157>
写経の各巻奥付の日付一覧、「4年」の各表記入り混じっている
[47] [CITE@ja-JP[新編香川叢書 史料篇 2]], [[香川県教育委員会]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2022-12-27T12:44:39.000Z]], [TIME[2022-12-27T14:41:19.373Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9574679/1/457> (要登録)
[49] [CITE@ja-JP[信濃 '''['''第3次''']''' 61(12)(719);2009・12]], [[信濃史学会]], [TIME[2009-12]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-21T11:26:21.208Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11199604/1/22> (要登録)
[V[宝徳二〻年]]
* メモ
[40] [CITE[漢数字~123と4について~]], [TIME[2012-02-26T03:26:02.000Z]], [TIME[2022-10-29T09:31:16.136Z]] <http://www.shosha.kokugo.juen.ac.jp/oshiki/graphono/3to4/index.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23] [CITE@ja[サンハイツ白樺の里(群馬県嬬恋村・旧磯村建設別荘地) 序 : URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-]]
([TIME[2021-08-30T08:03:05.000Z]])
<https://urbansprawl.net/archives/29619371.html>
]FIGCAPTION]
> この白樺の里は、それぞれ販売期によって、第1期、第2期、第3期、第5期の4期に分かれていてる。第4期がないのは縁起を担いだものと思われるが、そのゲン担ぎには、結果としてなんの効果もなかったことは、既に述べてきたように磯村建設自らが体を張って証明している。
]FIG]