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[23]
[[改元]]にはいろいろな手続があり、
[DFN[元号の選定]]にはいくつかの基準があります。
[2] [SEE[ 元号一般については[[元号]] ]]
[SEE[ 改元の概観とその実施に伴う様々な事項については[[改元]] ]]
* 元号制定権
[1045]
[[元号]]制度は、国家権力などが新たな[[元号]]を制定し、
移行を繰り返していくことで運用されるものです。
[256] [[元号]]を改めることを[[改元]]といいます。
[SEE[ [[改元]] ]]
[SEE[ 境界の日時の処理、境界を超えた旧元号の扱いなどについては[[改元期日]] ]]
[182] [[元号]]制度内部での通常の[[改元]]の他に、
終了していた元号の再開、
[[元年]]以外の途中年からの開始、
[[元号]]以外の[[紀年法]]への移行のような特殊事情が発生することもあります。
[SEE[ [[改元]] ]]
** 元号の制定権と複数元号の併存
[278] 歴史的には、独立した権力を有する[[東洋]]の各国がそれぞれの[[元号]]を定め、
その領域で並行して使われていました。[[元号]]の制定権は独立した国家権力の象徴であり、
[[元号]]を使うことはその政府を支持する(勢力下にある)ことを意味していました。
[279] 政府が分裂したり、弱体化したりすると、国内でも複数の[[元号]]が使われることがありました。
[EG[
[50] [[日本]]の[[南北朝時代]]には、
[[南朝]]と[[北朝]]がそれぞれの[[元号]]を定めて使っていました。
]EG]
[368] [[日本]]では、[[元号]]は[[天皇]]により定められています。
ただし実際の[[改元]]の判断や新[[元号]]の決定の過程には、
[[幕府]]等その時々の政権が介入しています。
現在は[[国会]]の議決により成立した[[元号法]]に基づき、
[[内閣]]が[[政令]]で定めることになっています。
([[政令]]の[[公布]]は[[天皇の国事行為]]。)
[SEE[ [[元号の選定]] ]]
[386] [[中国]]の[[属国]]だった[[朝鮮]]は、歴史上のほとんどの期間、
独自の[[元号]]を定めることができませんでした。
というのも[[新羅]]の時代、独自の[[元号]]を用いていたことを[[宗主国]]の[[唐]]に咎められ、
それ以後[[支那の元号]]を用いなければなりませんでした。
[[下関条約]]で独立が承認され、
ようやく[[元号の制定権を得ました][建元]]。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]
[51]
日中両属だった[[琉球王国]]は、[[中国の元号]]を主として使っていました。
[[琉球藩]]時代には[[日本政府]]から[[日本の元号]]だけを使うように要求されながらも拒んでいました。
[[沖縄県]]時代にようやく[[日本の元号]]となりました。
[SEE[ [[琉球の元号]] ]]
[91]
[[遼]] ([[契丹]]) の[[保護国]]だった[[北漢]]は、
建国当初旧王朝の[[元号]]「[[乾祐]]」を使い続けましたが、
[TIME[西暦957年][year:957]]に「[[天会]]」に[[改元]]しました。
[[遼]]の[[皇帝]]はこれを批判する書類を送付しました
[SRC[>>40 普及版 p.205 ([CITE[長編]]巻四乾徳元年閏十二月丙子条)]]。
ただし了承を得なかったことで非難されましたが、
独自[[元号]]については問題ではなかったのだろうとされています
[SRC[>>40 普及版 p.205 (>>92 PDF p.11)]]。
-*-*-
[234] 元号の分裂にはいくつかのパターンがあるようです。
- [281] 分裂した政府や新たに建国した政府が[[新しい元号を制定][建元]]する
- [282] 中央政府の[[改元]]に地方勢力が従わず、旧[[元号]]が継続される
- [284] 勢力統合による[[元号]]の廃止に一部勢力が従わず、廃止[[元号]]が継続される
- [283] 中央政府の支配が弱まり、地方勢力が[[新しい元号を制定][建元]]する
- [558] 中央政府の支配が弱まり、民衆の間で新しい[[元号]]が広まる
- [557] [[新興宗教]]が[[独自の元号を制定][建元]]する
[550] 属国が宗主国の[[元号]]を用いるようなケースを別にすると、
外交や貿易を除き、他国の[[元号]]を使うことは基本的にありません。
[52] 基本的には自国の[[元号]]を使い、
[[私年号]]も、利用者は国内の一部住民にとどまっていたとすると、
世界的に見れば[[元号]]が複数使われていたとしても、
それらが併記されることは多くありません。
例外的には次のような事例があります。
- [53] 歴史の記述で、関係する当時の元号をいくつか併記する場合。
(例えば[[日本]]の[[南北朝時代]]で両朝元号を併記したり、
日支関係の話題で両国元号を併記したりする場合。)
- [54] [[日本人]]が多かった[[満州国]]で、
[[満州の元号]]と[[日本の元号]]を便宜上併記した場合。
- [81] [[カレンダー]]や[[新聞]]などの日付欄で周辺諸国の[[元号]]を便宜上併記した場合。
[74] [[足利義満]]が[[明]]の[[建文帝]]に送った国書では、
「応永八年五月一三日」と[[日本の元号]]が使われました。
その後[[靖難の変]]の結果が不確かなときに送られた国書は、
[[建文帝]]宛の「建文」元号と[[永楽帝]]宛の「永楽」元号の2種が用意されました。
[SRC[>>75]]
[REFS[
- [75] [CITE[足利義満「建文」年国書事件の真相]],
[[関周一]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月号][2008-01]] 特集 日本の年号,
pp. 96-101
- [92] [CITE@ja[冊封する皇帝と冊封される皇帝 : 契丹(遼)皇帝と北漢皇帝の事例から]],
[[毛利英介]], [TIME[2013年4月1日][2013-04-01]]
([TIME[2018-09-07 10:50:23 +09:00]]) <https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/handle/10112/7897>
]REFS]
** 私年号
[280] 政府が制定した[DFN[公年号]]に対して、
そのような記録がない[[元号]]を[DFN[[[私年号]]]]といいます。
[639] ある政権の[[元号]]が[[私年号]]といわれるかどうかは、後世の判断によるところが大きいです。
短命に終わり反乱とみなされた政権の[[元号]]は[[私年号]]扱いされていますが、
全土を支配できなくても十分な規模で存続したとみなされる政権の[[元号]]は[[私年号]]とはいいません。
[EG[
[640] [[日本の元号]]のうち、[[北朝]]のものや[[南朝]]のものは、
統一政権ではありませんが、どちらも一応正式なものとして扱われています。
しかし[[後南朝]]のものは[[私年号]]に分類されています。
]EG]
[551] 近年の[[新興宗教]]の中には、国を越えて信者が広がっており、
かつ独自に[[紀年法]]を用いるものも見られます。
そうした[[紀年法]]は、国をまたがって使われる[[元号]]と言える場合もあるかもしれません。
[SEE[ [[統一教会暦]] ]]
[102] 「私年号」や関連用語の意味と研究史については[[日本の私年号]]を参照。
[FIG(short list)[ [85] [[私年号]]
- [[日本の私年号]]
- [[朝鮮半島の私年号]]
- [[支那の私年号]]
]FIG]
[REFS[
- [225] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-13 18:25:40 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
- [233] [CITE[日本の私年号]]
<http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm>
- [232] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2001-01-17 03:06:39 +09:00]] 版)
<http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
-- 消滅確認 [TIME[2019-05-26T09:35:09.000Z]]
-- [6301] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2019-05-26 18:35:44 +09:00]]) <https://web.archive.org/web/20031210085657/http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
-- [56] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2001-01-17 03:06:39 +09:00]]) <http://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi12.html>
]REFS]
** 利用元号の選択
[82] 元号の制定が独立国の有する権限であるということは、
その実施、つまり国民が国家の元号を利用することが統治の行き届いていることを表しています。
[84] これが顕著にみえるのが戦乱の時代で、例えば[[日本]]の[[南北朝時代]]には、
ある人物が[[南朝]]と[[北朝]]の[[元号]]を切り替えて用いるタイミングで、
ある時期にどちらの勢力に属していたかを知ることができます。
また[[幕末]]に日本各地で[[私年号]]や[[延長年号]]が残されていることで、
中央政府の統治能力が低下していたことを確認できます。
[SEE[ [[日本の元号]]、[[幕末維新期の日時]] ]]
[306] このように[[元号]]の選択は[[政治的]]で[[宗教的]]な行為であったりします。
しかしこれは実は[[暦法]]全般に言えることでもあります。
[SEE[ [[暦]] ]]
* 手続き
[72]
[[日本]]では[[大宝]]、[[慶雲]]の頃から[[改元]]の行事が制度化したとみられています。
[SRC[>>71]]
[76]
[[幕末]]までの[[改元]]では、
[[年号勘者]]を定めて案を提出させ、
[[公卿]]の[[難陳]] (審議) を踏まえ[[天皇]]が[[詔書]]で[[公布]]していました。
[SRC[>>73]]
[39]
[[朝廷]]内で様々な案を出して絞り込み最終的に[[天皇]]が決定する方法が[[平安時代]]から[[江戸時代]]まで一貫して採られていました。
最終案を[[天皇]]が承認することもあれば、
数案提出させて[[天皇]]が選ぶこともありました。
[SRC[>>40 p.25-53]]
[47]
[[改元]]があると、
[[朝廷]]では[[政始]]の儀が行われ新元号が通達されました。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[77]
[[摂関家]]、
[[上皇]]、
[[幕府]]といったその時々の権力者たちも、
[[改元]]や[[元号の選定]]に介入しました。
[[朝廷]]の正式な手続きは[[幕末]]まで続きましたが、
採用案が内定している形骸化した選定手続きも多かったようです。
[SRC[>>40 p.25-53]]
(c.f. >>55)
[61] 特に[[江戸時代]]には、
[[江戸幕府]]が[[改元]]の実施や新元号の決定の実質的な決定権を有していたとみられています。
[78]
[[朝廷]]での[[改元手続き]]に関する文書は
[CITE[続群書類従]]公事部や[CITE[古事類苑]]歳時部に多数収録されています。
[[江戸時代]]初期の[[江戸幕府]]の[[改元]]政策については[[林春斎]]の
[CITE[改元物語]]
に記録されています。
[SRC[>>40 普及版 p.25-53]]
[41]
[[明治]]改元では、
形骸化していた従来の手続きが廃され、
候補案から[[明治天皇]]が籤で選びました。
[79]
[[大正]]と[[昭和]]の[[改元]]では、旧[[皇室典範]]に基づき[[践祚]]時に[[枢密院]]に[[諮詢]]し、
[[天皇]]が勘定して[[勅令]]として[[公布]]していました。
[80]
[[平成改元]]以後、
[[元号法]]に基づき[[内閣]]が選定し、
[[天皇]]が[[政令]]として[[公布]]しています。
[REFS[
- [40] [CITE[日本年号史大事典]]
- [70] [CITE@ja[改元(カイゲン)とは - コトバンク]] ([[デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及]]著, [TIME[2019-03-02 18:18:40 +09:00]]) <https://kotobank.jp/word/%E6%94%B9%E5%85%83-457152>
-- [71] [CITE[世界大百科事典]] 第2版
-- [73] [CITE[日本大百科全書(ニッポニカ)]]
]REFS]
** 発表
@@
[19]
[[平成]]の発表は[[官房長官]]の[[記者会見]]で行われました。
[SEE[ [[平成改元]] ]]
[18]
[[令和]]の発表は[[官房長官]]と[[内閣総理大臣]]の[[記者会見]]で行われました。
[[手話]]で同時通訳されました。
[[英語]]同時通訳もあったとする説もあります。
[[テレビ]]や[[インターネット]]で[[生配信]]されました。
[SEE[ [[令和改元]] ]]
** 伝達
[SEE[ [[改元時期]] ]]
[45]
[[律令制]]下では[[朝廷]]から[[国衙]]を介して各地に通達されていました。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[42]
[[菅原道真]]は、
[[讃岐国]]や[[太宰府]]で[[寛平]]や[[延喜]]の[[改元]]の詔書を受け取ったことについての詩を残しました。
当時中央から地方への[[改元]]の伝達が確かに行われていたことを伝えています。
[SRC[>>40 普及版 p.185]]
[46]
[[鎌倉時代]]半ば頃から、
[[六波羅探題]]から[[鎌倉幕府]]に通達されるようになりました。
[[鎌倉幕府]]は[[政所]]で[[吉書始]]の儀を行いました。
おそらく[[守護]]や[[寺社]]を介して各地に通達されました。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[43]
[CITE[吾妻鏡]]にある[[京都]]の[[六波羅探題]]から[[鎌倉]]への[[改元]]の詔書の伝達記事などから、
[[改元日]]から[[鎌倉]]まで約10日、
そこから一般で通用するまで約1ヶ月かかったとされています。
[SRC[>>40 普及版 p.395 (千々和到 1995、峰岸純夫 1979)]]
(c.f. >>55。>>40 の各元号の項にも[CITE[吾妻鏡]]の伝達記事の日付の記載あり。)
[44]
[[鎌倉時代]]の[[九州]]の文書 5507通の分析から、
改元後約2ヶ月で[[九州]]全域に新元号が広がったことが確認されています。
[SRC[>>40 普及版 p.395 (瀬野精一郎 1968)]]
[[文永の役]]の蒙古襲来が[[博多]]から[[京都]]まで約12日で伝わったのと比較すると、
かなりの速度で広がっており地域社会も[[改元]]に敏感だった
[SRC[>>40 普及版 p.395]]
と評されています。
[48]
[[室町幕府]]も[[鎌倉府]]へ通達を行っており、
[[鎌倉時代]]同様に伝達されたと考えられています。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[49]
一方[[南朝]]は[[綸旨]]により直接諸国に伝達しました。
[SRC[>>40 普及版 p.415 (峰岸純夫 1979、千々和到 1990)]]
-*-*-
[57]
[[江戸時代]]、
[[朝廷]]では[[改元]]の日から新元号が用いられましたが、
[[京都]]町内では[[幕府]]からの通達があってから用いられたため、
平均で10日ほどかかっていました。
[SRC[>>40 普及版 p.543]]
[58]
[[朝廷]]が[[改元]]すると、
[[京都所司代]]を通じて[[江戸幕府]]に伝達されました。
[[江戸幕府]]は諸[[大名]]を[[江戸城]]に集め、これを披露しました。
[[幕府]]の正式な[[改元日]]は披露の日とされ、
全国にもこの日が伝えられました。
[SRC[>>40 普及版 p.543]]
[59]
[[藩]]によっては、
[[家臣]]を集めて[[改元]]を披露しました。
[SRC[>>40 普及版 p.543]]
[60]
[[松前]]、[[対馬]]、[[薩摩]]なども含め、
全国に1ヶ月から2ヶ月程度で新元号が伝達されました。
[[伊豆大島]]に4ヶ月後に伝達されたというのが現在確認された最も遅い事例です。
全国各地にかなりのスピードで伝達されたと評されています。
[SRC[>>40 普及版 p.543]]
[62]
[[農村]]に対しても、
少なくとも[[名主]]や[[庄屋]]などには確実に伝えられたようです。
古文書では[[干支年]]もみられますが、
[[借用書]]など証文類では[[元号年]]のことが多く、
[[過去帳]]や[[石碑]]では[[干支年]]よりもむしろ[[元号年]]の場合が多いです。
争論の経緯の文書でも[[元号年]]が使われる例があります。
[SRC[>>40 普及版 p.579]]
[63]
あるいは[[暦本]]にも[[元号]]が明記され、各地に頒布されました。
従って[[農村]]でもほとんどの人が[[元号]]を知っていたと考えられています。
[SRC[>>40 普及版 p.579]]
[64]
[[江戸]]では[[改元]]直前に[[偽の新元号が流布][改元デマ]]されたことが何度か記録されています。
正式発表前にも[[改元]]情報がある程度出回っていたのでしょうか。
[SEE[ [[改元デマ]] ]]
-*-*-
[20]
[[平成改元]]時、[[令和改元]]発表時には各国政府に通知されました。
[[改暦]]の通知は外交儀礼上の慣例になっていると思われます。
[21]
他国では、例えば[[大韓帝国]]からの通知を[[日本国]]が受け取った例が知られています。
[SEE[ [[大韓帝国の日時]] ]]
[REFS[
- [55] [CITE@ja[元号と武家]],
[[北爪真佐夫]],
[TIME[2000-09]]
([TIME[2019-07-17 17:38:51 +09:00]]) <https://ci.nii.ac.jp/naid/110000471225>
]REFS]
** 法令の措置
[SEE[ [[日本の元号法制]] ]]
[SEE[ 具体的事例は[[平成改元]], [[平成31年新元号]] ]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] [CITE@ja[参議院法制局]]
([TIME[2018-09-04 09:11:10 +09:00]])
<http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column104.htm>
]FIGCAPTION]
> 改元とそれに伴う法律改正について
]FIG]
** 工業標準の措置
[SEE[ [[改元]] ]]
* 元号の意味
@@
** 英訳
[17]
[[日本政府]]の[[外務省]]は、
[[令和改元]]で[[令和]]の意味が[[英語]]「beautiful harmony」
であると発表しました
[SEE[ [[令和改元]] ]]。
今後これを前例に英語の短い説明が発表されると期待されます。
* 元号らしさ
[24]
[[元号の選定]]の基準はありますが、
これだけでは元号を元号たらしめている「元号らしさ」
は見えてきません。
[26]
それでも過去の[[元号]]のほか、
[[私年号]]、
[[改元デマ]]、
[[架空の元号]]の事例をみても、
何らか「元号らしさ」
というものはあって、庶民を含むいろいろな人々の間で共有されていようことがうかがえます。
[25]
[[令和改元]]では新元号発表まで多くの人が予想を楽しんでいました。
どうにも元号らしくないものも (ネタで) 挙げられましたが、
本気の予想の多くは元号らしがが感じられるものでした。
[27]
一方で[[スローガン的元号]]は元号らしさがないものがほとんどです。
初期は漢字2文字など元号らしさがまだ残っていましたが、
時代が下るに連れてかけ離れていったようです。
[SEE[ [[スローガン的元号]] ]]
[REFS[
- [3] [CITE[平成の次の元号を、AIだけで決めさせる物語 - Qiita]] ([TIME[2019-03-20 10:36:40 +09:00]]) <https://qiita.com/youwht/items/0b204c3575c94fc786b8>
- [4] [CITE[エイプリルフールに発表される新元号が、偽物かどうかAIだけで判別する物語 - Qiita]] ([TIME[2019-03-20 10:37:06 +09:00]]) <https://qiita.com/Wisteria30/items/ba6ced1d55d12ce79943>
]REFS]
[5]
>>3, >>4
タイトルだけみると、くだらない[[元号]]予想合戦に[[バズワード]]を足した低俗な釣り記事のように感じるのですが、
実際読んでみると、
われわれの感じる「元号らしさ」の正体を探る企ての端緒として興味深くおもわれます。
[6] (その点 >>3 の続編の[CITE[【続】平成の次の元号を、AIだけで決めさせる物語(@テレビ取材) - Qiita]] ([TIME[2019-03-20 10:51:31 +09:00]]) <https://qiita.com/youwht/items/7b1118ecd91bd2e232bb>
は残念ながらただの予想記事です。)
;; [7] >>6 の記事は過去の[[元号]]の[[画数]]を現在の[[字体]]で議論しているっぽいのがちょっと・・・
[11]
>>5 「[[令和]]」は最初に見せられた時ちょっと[[元号]]っぽくないかも?と思ってしまった。
よく見ているとだんだん[[元号]]っぽさを感じてくるから不思議。
[TIME[2019-04-01T13:15:24.900Z]]
[12]
「元号っぽさ」も当然時代が進むに連れて変わっていってるのだろう。
[[平成]]も[[改元][平成改元]]当初はぴんとこなかったと言っている人が多い。
[[令和]]も年を重ねていくことで意味が積み重なり折り重なり、
「元号らしさ」を染めていくのだろう。
[13]
そうだとしたとき過去の[[元号]]から学習した「元号っぽさ」
がまだ見ぬ将来の[[元号]]にどれだけ適用できるのか、というのも興味深い。
[14] [CITE@ja[ある理系院生による新元号予想の軌跡 (2ページ目) - Togetter]]
([TIME[2019-04-01 22:19:56 +09:00]])
<https://togetter.com/li/1333815?page=2>
[28] [[文明]]や[[治安]]など、同字の[[一般名詞]]が生じて現代では元号らしさが消失したものもあります。
[29]
ネタ枠代表扱いの「タピオカ元年」も音の響きは案外漢字2文字4音の漢語にありそう。
[[タピオカ]]流行を[[祥瑞][祥瑞改元]]といえなくもない。
伝統と新鮮味を適度にミックスするという近年の元号選定事例にのっとっているともいえる。
[30] 「俗用されていない」という現在の[[元号の選定]]の基準は満たさないけど、
[[奈良時代]]くらいに[[遣唐使]]が持ち帰った[[タピオカ]]を[[孝謙上皇]]がいたく気に入り[[改元]]した、
的な並行世界はあり得るのではなかろうかw
[31] [[タピオカ]]は[[平成]]の30年で大流行したのだから、[[追号]]するなら[[平成]]時代にかもな。
[32]
[[元号の選定]]の規則は後付けで、
1000年以上の歴史の中で日本人に刷り込まれた
「元号らしさ」
を最低限書き表しただけのものだから、
候補を絞り込むための条件として検査には使えても、
そこから元号候補を発見するのは難しいかも。
* 研究史
[SEE[ 日本の元号の研究については[[日本の元号]] ]]
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[520] [CITE[元号 Q&A-4]]
([TIME[2012-12-04 13:13:29 +09:00]] 版)
<http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/gengou/gengou_5.htm>
]FIGCAPTION]
> 猪瀬直樹の「天皇の影法師」(参考資料2)は天皇制の暗部に光をあてた、なかなか面白い本です。これには「光文スクープ事件」、「森鴎外-元号考」の話に関係して、元号が満たすべき条件として、かつて一木宮内大臣(いまの宮内庁長官に相当するものでしょうかね)があげたものが紹介されています。
> 元号は、本邦はもとより言うを俟たず、支那、朝鮮、南詔、交趾などの年号、その帝王、后妃、人臣の謚号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
> 元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
> 元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
> 元号は、呼称上、音階調和を要すべきこと。
> 元号は、その字面簡単平易なるべきこと。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[521] [CITE[元号 Q&A-4]]
([TIME[2012-12-04 13:13:29 +09:00]] 版)
<http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/gengou/gengou_5.htm>
]FIGCAPTION]
> 「年号の歴史」(参考資料1)の第9章には、現在の制定手続きと選定条件に関する規定(閣議申合せ事項)が紹介されています。それによると、選定条件は、
> (ア) 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
> (イ) 漢字二字であること。
> (ウ) 書きやすいこと。
> (エ) 読みやすいこと。
> (オ) これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。
> (カ) 俗用されているものでないこと。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[527] [CITE@ja[書経 - Wikipedia]]
([TIME[2016-02-05 04:33:35 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E7%B5%8C>
]FIGCAPTION]
> 昭和や平成を始め35個の日本の元号は、この書が由来になっている。ただし、平成については出典箇所が偽古文尚書であるため、一部の専門家からは典拠としてはふさわしくないと指摘された。
> 森鴎外は最晩年、候補・典拠の一覧になった『元号考』(『鴎外全集 第20巻』岩波書店、所収)を作成したが、「平成」も既に江戸末期に「明治」等と並んで候補に上っている。鴎外は没した際『元号考』は未完だったので、親友吉田増蔵が、本人から依託され完成させた。なお吉田が改元に際し候補として「昭和」を勘申している。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[348] [CITE@ja[「年号」の背後にあるもの:研究:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]]
([TIME[2017-11-24 20:32:47 +09:00]])
<http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20171116.html>
]FIGCAPTION]
> 漢籍の出典を持つ年号がいつから出現したかを正確に見定めることは難しく、「仁寿」(851-854)まではさかのぼれそうですが、それ以後も典拠不明の年号が続き、漢籍の利用が常態化するのは、正暦(990-995)以後のようです。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[382] [CITE@ja[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]
([TIME[2017-12-23 12:50:08 +09:00]])
<http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/viewContents?lawId=429AC0000000063_20200616>
]FIGCAPTION]
> 附則
> [SNIP[]]
> (意見公募手続等の適用除外)
> 第八条 次に掲げる政令を定める行為については、行政手続法(平成五年法律第八十八号)第六章の規定は、適用しない。
> 一 第二条の規定による皇位の継承に伴う元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づく政令
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[383] [CITE@ja[新元号、少ない画数に…1文字15画上限の方針 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)]]
([TIME[2018-01-03 13:05:50 +09:00]])
<http://www.yomiuri.co.jp/politics/20180102-OYT1T50071.html>
]FIGCAPTION]
> 政府は、皇太子さまの即位に伴う2019年5月1日の改元を巡り、新たな元号は画数ができるだけ少なく、なじみやすい漢字を用いる方針だ。
> 国民の「元号離れ」を防ぐ狙いがある。新元号は最終的に3案に絞り込んだ上で、有識者や衆参両院議長らの意見を踏まえて決定し、18年中に事前公表する見通しだ。
> [SNIP[]]
> これを踏まえ、1文字15画を上限とし、できる限り画数の少ない漢字を選ぶ方針だ。
]FIG]
[328] [CITE@ja[元号選定手続について]]
(内閣公文・国政一般・一般・暦時・A04-1・第1巻 [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-04-23 23:46:06 +09:00]])
<https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001159113>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE[新元号 過去と重複判明しても「違法とはならない」 | NHKニュース]]
([[日本放送協会]]著, [TIME[2019-03-13 15:49:26 +09:00]])
<https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190309/k10011841251000.html>
]FIGCAPTION]
> 昭和から平成への改元に先立って、内閣法制局が、改元の法的な問題点などを整理した際、新元号を定めた後、過去に用いられた元号や地名、それに会社の商号などと重複していることが判明しても、「違法とはならない」とする見解をまとめていたことが、NHKが行った情報公開請求でわかりました。
> また、見解では、当時、改元の事務を担当していた内閣内政審議室が、情報管理を徹底するため法制局による事前審査にも候補名を示さない姿勢を取ったことから、「重複の防止は内政審議室の責任に帰す」として、その旨を担当者に告知したとしています。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[新元号、予想ランク上位は回避方針 1日昼前めど発表へ - ライブドアニュース]]
([TIME[2019-03-29 12:06:08 +09:00]])
<http://news.livedoor.com/article/detail/16233114/>
]FIGCAPTION]
> 民間で流行している元号予想で取り沙汰されている「安久」などの案について、政府関係者は「俗用の一種に当たるので、なるべく避ける」と語る。よくある人名や大企業名などは使わない方針だが、中小企業や小さな商店などの名前と重複することはあり得るという。政府高官は「俗用されていても、よい意味であれば総合評価で選ばれることもある」と話している。
]FIG]
[9] [CITE@ja[いよいよ新元号発表、有識者会議はじまる『新元号の有識者懇談会のメンバーに選ばれるのは国民の意向・意識を反映できる人物って解説していたがそこにNHK会長が入っているのはなにかのギャグですか?(笑)』とネットユーザのツッコミ - Togetter]]
([TIME[2019-04-01 10:10:55 +09:00]])
<https://togetter.com/li/1333657>
[10] [CITE@ja[左大臣・藤原頼長の言い分とは? 白熱の元号論議「難陳」が続いた1000年(日経BizGate) - Yahoo!ニュース]]
([TIME[2019-04-01 10:17:14 +09:00]])
<https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190325-00010000-nkbizgate-bus_all>
[15] ([TIME[2009-01-21 20:51:20 +09:00]])
<https://www.digital.archives.go.jp/das/contents/pdf/lossy/H11B0001720000/069509831435.pdf>
[16] [CITE@ja[日本の年号候補・未採用文字案 | ミカド文庫]]
([TIME[2019-04-18 13:46:48 +09:00]])
<http://mikado-bunko.jp/?p=842>
[22]
[CITE@ja[新元号「政府の最有力案」葬儀社名に使われ断念 : 令和・新時代 : 読売新聞オンライン]] ([TIME[2019-05-18 12:21:14 +09:00]]) <https://www.yomiuri.co.jp/kaigen/news/20190501-OYT1T50036/>
[33] >>22 この記事に書かれていることが正しいと仮定すると、
- [34] 大正時代の「T」とのイニシャル衝突が直ちに不適切とはされなかった。
- [36] [[常用漢字]]ではない ([[人名漢字]]ではある) 「翔」が不適切とはされなかった。
前者は明治生まれの日本人が2000人前後在命と推測されているため回避されてよかったと思われます。
[37]
[[JIS X 0301]] で元号を表すために「N」、年を表すために「Y」が使われているので、
これが先頭に来る元号は好ましくないという意見があります。
[[JIS X 0301]] のような正式なものではありませんが、「G」や「X」
が使われることもあります。
[38]
といってもこれらはいずれも書式の記述に使うこともあるという程度のもので、
元号の選択を縛るほど深刻な影響をもたらすとは思えません。