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[3]
[DFN[天晴]]は、
[[幕末]]期の[[日本の私年号]]です。
* 元号名
[48]
[[元号名]]に[DFN[天晴]]、
[DFN[天政]]、
[DFN[天星]]、
[DFN[天成]]が知られています。 [SRC[>>47]]
[50] 「てんせい」と読まれたようです。 [SRC[>>47]]
[49]
[[漢字]]表記がはっきりしないまま口頭で広まったのでしょうか。
* 由来
[10]
[[慶応]]への[[改元]]時の候補に「天政」があり、関連が指摘されています
[SRC[>>1]]。
[44]
本[[元号]]の利用地域出身で[[京都]]在住の者から[[改元]]の連絡があった、
という証言が伝わっています。
[SRC[>>13, >>42]]
[SEE[ [[改元デマ]] ]]
[51]
翌年「てんせい」に改元されるとの噂を聞いた民衆が、
藩の許可無く使い始めたものだとする説があります。
[SRC[>>47]]
* 関連
[40]
この時代他にも日本各地で[[私年号]]が発生しました。
[SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]]
[45]
同時期の東国で見られた「[[大政]]」との関係が気になりますね。
* 実例
[31]
21世紀初め頃に「天晴の石灯籠」が4例
(>>6, >>14, >>29, >>30) 発見されていました [SRC[>>28]]。
[32]
21世紀初め頃の調査報告[CITE[私年号天晴を検証]], [[片岡靖裕]]により
10例
(>>20, >>24, >>5 など)
が報告されていました。 [SRC[>>28]]
[4]
[TIME[平成31年][year:2019]]時点で[[日本国]][[高知県]]内で13例
([[天晴]]が11例)
見つかっていました [SRC[>>1, >>2]]。
- [14]
[[日本国]][[高知県]][[安芸市]]土居[[春日神社]]石灯籠
「天晴元卯九月令日」
[SRC[>>12, >>18, >>26]]
- [5] [[日本国]][[高知県]][[高知市]][[春野町]]西諸木[[森神社]]手水鉢
「天政元夘歳九月𠮷日」
[SRC[>>1, >>12, >>22, >>27]]
- [20]
[[日本国]][[高知県]][[安芸市]][[春野町]]西諸木[[御山所神社]]狛犬台座
「天晴元卯九月令日」
[SRC[>>19, >>27]]
- [6] [[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]][[神峯神社]]石灯籠
「天晴元丁夘
𠄡月吉旦」
[SRC[>>1, >>25, >>27]]
- [7] [[日本国]][[高知県]][[田野町]][[大山祗神社]]手水鉢
「天星元夘九月𠮷辰日」
[SRC[>>1, >>2]]
- [29]
[[日本国]][[高知県]][[南国市]]領石[[天満宮]]石灯籠
「天晴元 丁卯 十月吉日」
[SRC[>>28、>>28 ([CITE[土佐史談206号]]], [[門脇良雄]])、>>28 ([CITE[街道の日本47 土佐と南海道]], [TIME[2006][year:2006]])]]
- [36]
[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石天満宮]]棟札〈天晴元年銘〉
([[高知県立歴史民俗資料館]]所蔵)
「天晴元年」
[SRC[>>35, >>41 (写真あり)]]
- [30] [[日本国]][[吾川郡]][[仁淀町]]黒森山鈴ヶ峠[[石灯籠]]
「天晴元夘 九月十八日」
[SRC[>>28, >>37, >>39]]
- [24]
[[日本国]][[高知県]]赤岡[[須留田八幡宮]]拝殿[[絵馬]]
「天晴元[SUB[丁]]卯年」「五月𠮷祥日」「丑之歳男」
[SRC[>>23]]
- [15] 田口家神祭帳
[SRC[>>12 ([CITE[土佐山田町史]])
- [16] 高野家文書
[SRC[>>12 ([CITE[土佐山田町史]])
- [8] [[日本国]][[徳島県]][[三好市]]太鼓
「天政」
[SRC[>>1, >>47]]
- [9] [[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]で発見された文書
「[V[天政元年]]
[V[丁夘十月吉祥日]]」
[SRC[>>38]]
-- [52] [[戦国時代]]の[[宗像氏]]の内紛を描いた書物の写本[[奥書]] [SRC[>>47]]
-- [53] [[高知近代史研究会]]会長[[今井章博]]が[TIME[平成31(2019)年3月][2019-03]]に[[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]の古書店で入手 [SRC[>>47]]
[REFS[
- [84] [CITE[高知市歴史散歩]]
([TIME[2008-09-01 13:54:14 +09:00]] 版)
<http://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/01/0104/rekishi/re0809.htm>
-- [21] 移転確認 [TIME[2019-07-16T06:30:26.100Z]]
-- [11] [CITE[高知市歴史散歩]] ([TIME[2018-06-29 09:47:01 +09:00]]) <https://www.city.kochi.kochi.jp/akarui/rekishi/re0809.htm>
--- [12]
[CITE[[[高知市歴史散歩]] 289 幻の年号「天晴(てんせい)」]],
[[広谷喜十郎]],
高知市広報[CITE[あかるいまち]] [TIME[2008年9月][2008-09]]号
[FIG(quote)[ [13] [SRC[>>12]]
> 調べてみると、安芸郡安田町の神峯(こうのみね)神社にも「天晴元年五月」と刻記された石灯籠があり、それには「安喜(あき)土居村」とも刻まれている。
> その後、民俗学者・坂本正夫氏らの調査により、東は田野町から西は越知町に至る範囲に「天晴(天政や天星)元年」と刻記された石灯籠や手水鉢があることが判明し、神社の絵馬や古文書にも記されていることが確認された。それらはいずれも「丁卯(ていぼう)」または「卯年(うどし)」と併記されている。
> 『土佐山田町史』にも、田口家の神祭帳や高野家文書の記述を根拠として、慶応から明治に移る間に天晴年号が使用されていることが指摘されている。
> 「丁卯」に当たるのは慶応三(一八六七)年で、翌慶応四年九月八日に明治元年に改元されている。判明している限りでは、天晴という年号が地域的に使われたのは、前年の五月から明治元年までということになる。
[SNIP[]]
>
神峯神社にある石灯籠の年号について、明治末期に高村晴義氏は「慶応三年の事なり(略)京阪の言信(略)此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘(はら)ふの議朝廷におこり」と語っている。翌慶応四年に天晴への改元の動きがあることを見越して、年号が刻記されたことの証言である。
]FIG]
- [28]
[CITE[領石に残る「天晴の石灯籠」]],
[[唐石淳子]],
[CITE[高知県坂本龍馬記念館・現代龍馬学会]], p.4
([TIME[2015-12-30 11:56:48 +09:00]]) <http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/hitou74rg.pdf#page=3>
- [37]
[CITE[旧[[松山街道]]歩きから帰宅しました。: あ~ぴょんの「ちょっと書いてもうか」ブログ編]],
[TIME[2010年4月25日 (日)][2010-04-25]]
([TIME[2019-07-16 16:52:43 +09:00]]) <http://a-pyon.cocolog-nifty.com/apylog/2010/04/post-99fb.html>
- [19]
[CITE[今日も春野、天晴元卯九月令日]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]] 〔3099〕,
[TIME[2011/10/10][2011-10-10]]
([TIME[2019-07-16 16:09:50 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3099>
- [23]
[CITE[赤岡、須留田八幡宮の天晴]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔3117〕,
[TIME[2011/10/28][2011-10-28]]
([TIME[2019-07-16 16:20:36 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3117>
- [18]
[CITE[安芸、春日神社の天晴]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]] 〔3118〕,
[TIME[2011/10/29][2011-10-29]]
([TIME[2019-07-16 16:07:33 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3118>
- [25]
[CITE[安田、神峯神社の天晴]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔3200〕,
[TIME[2012/01/19][2012-01-19]]
([TIME[2019-07-16 16:23:40 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3200>
- [22]
[CITE[遍路路沿いの天政]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔4554〕,
[TIME[2015/10/04][2015-10-04]]
([TIME[2019-07-16 16:17:34 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=4554>
- [26]
[CITE[安芸の朝、天晴の朝]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔5003〕,
[TIME[2016/12/26][2016-12-26]]
([TIME[2019-07-16 16:24:43 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=5003>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] [CITE[高校生の天晴れ]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔5128〕,
[TIME[2017/04/30][2017-04-30]]
([TIME[2019-07-16 17:48:00 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=5128>
]FIGCAPTION]
>
高知県率東高校の生徒さんが、クラブ活動の中で纏められたもの。左端が2010年3月発行で、
[SNIP[]]
>
幕末土佐の私年号ー「天晴」を検証するー
>
[SNIP[]]
昔、歴史民俗資料館の館長さんだった坂本先生の論文から、南国市出身の民俗研究科、高村晴着さんが明治22、23年頃に安田町神峯神社で堂守らしき男から聞き書した貴重な話を伝えている。
>
それによると。幕末、安田からも二、三の志士が上京していた。そのうちの一人から、「此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘うの議、朝廷におこりたり」という知らせがあり、「来年は天晴と改元のある由なり」と二度ほども通知があったので、神峯神社の石灯籠に「天晴」と刻むことになったとのこと。
]FIG]
- [33]
[CITE@ja[【ブックマンの読書道 vol.37】... - [[高知市民図書館]]「しみんの図書館」 | Facebook]],
[TIME[2017年11月4日][2017-11-04]] ([TIME[2019-07-16 16:48:14 +09:00]]) <https://www.facebook.com/431200447032915/posts/931209397032015/>
-- [34] [CITE[南国史談 39号]]
- [17] [CITE@ja[幕末土佐の私年号「天晴」 刻んだ石碑や絵馬写真展 高知城博館|[[高知新聞]]]],
[TIME[2018.01.25 08:20][2018-01-25T08:20]]
([TIME[2019-07-16 16:04:25 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/154840/>
- [27] [CITE@ja[幻の元号『天晴』 - 慶応3年の土佐にだけ残っちゅう私年号 - 史跡 | [[史跡]]・[[文化財]]]],
[[オンチャン(とさっぽ)]],
[TIME[2019-05-01][2019-05-01]]
([TIME[2019-07-16 07:14:24 +09:00]]) <http://nangokutosa.blog47.fc2.com/blog-entry-2204.html>
- [2] [CITE@ja[謎の年号「てんせい」探せ 幕末土佐の文書などに13例 田野町「天星」を見学|[[高知新聞]]]],
[TIME[2019.02.25 08:45][2019-02-25T08:45]]
([TIME[2019-06-24 18:36:42 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/256460/>
- [1] [CITE@ja[謎の元号「てんせい」、漢字も3種類=幕末の高知、口頭で伝承?:[[時事ドットコム]]]],
[TIME[2019年03月25日13時49分][2019-03-25T13:49]]
([TIME[2019-03-26 12:15:48 +09:00]])
<https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032500079&g=soc>
- [39] [CITE@ja[鈴ケ峠(旧吾川村~旧池川町) [[私年号]]『天晴』 : 茶凡遊山記]],
[[ky_kochi]],
[TIME[2019-03-30 12:00][2019-03-30T12:00]]
([TIME[2019-07-16 17:06:25 +09:00]]) <https://chabon.exblog.jp/30513868/>
- [35] [CITE@ja[行事等のお知らせ(No.00041954) | [[高知県庁]]ホームページ]],
公開日 [TIME[2019年04月25日][2019-04-25]]
([TIME[2019-07-16 16:49:27 +09:00]]) <https://www.pref.kochi.lg.jp/press1/2019042300083/>
- [38]
[CITE@ja[私年号「天政」 福岡でも? 本県研究者 宗像市古文書で確認|[[高知新聞]]]],
[TIME[2019.04.26 14:35][2019-04-26T14:35]]
([TIME[2019-07-16 16:59:58 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/272657/>
-- [47] [CITE@ja[ななづきさんは[[Twitter]]を使っています 「無茶苦茶ワクワクする記事。私年号「てんせい」の伝達には三条実美さん周辺の志士が関わってた!? https://t.co/PxmvHl7tCF」 / Twitter]], 午後6:37 · 2019年4月26日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:10:13.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1121709890311901186/photo/1>
- [46] [CITE@ja[楢山おろかさんは[[Twitter]]を使っています 「『高知新聞』私年号「天政」 福岡でも? 本県研究者 宗像市古文書で確認 https://t.co/gWI8ydCF0Y 出処はきっと早川勇だろうけど、興味深いのは、情報通の加瀬屋、若手勤王派の山中立木や祝部波門なんかの記録にない=福岡城下には到達してなさそうなところで早川の勢力範囲が見えそうなあたり」 / Twitter]], 午前10:15 · 2019年4月27日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:38:42.000Z]] <https://twitter.com/oroka0219/status/1121945934328262656>
- [41] [CITE@ja[私年号「天晴」棟札:幕末土佐、「慶応」の次は… 南国で初公開 /高知 - [[毎日新聞]]]],
[TIME[2019年5月1日][2019-05-01]]
([TIME[2019-07-16 17:45:06 +09:00]]) <https://mainichi.jp/articles/20190501/ddl/k39/040/267000c>
]REFS]
[55]
[TIME[平成31(2019)年4月][2019-04]]、
[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の[[旅館]][RUBY[[[城西館]]][じょうせいかん]]は、
全面リニューアルした本館を[RUBY[天誠][てんせい]]と命名しました
[SRC[>>54, >>56, >>57, >>58]]。
[59] この名前は[[高知]]で使われた[[私年号]]の[[天晴]]に因んだものとされます。
[SRC[>>54]]
[60] この旅館は[[皇族]]が繰り返し宿泊するような由緒正しい老舗のようで、
そんなところで[[私年号]]から命名しちゃっていいものか気になりますが、
まあ[[私年号]]といっても[[朝敵]]が使ったわけではありませんからね。
[61] ちなみにこの旅館の沿革には
「平成31年2月
(2019年2月)」
の次が
「令和元年4月
(2019年4月)」
の「「天誠」客室リニューアルオープン」
で、その次が
「令和元年5月
(2019年5月)」
と書かれていました。 [SRC[>>58]]
令和元年は5月からなので、[[遡及年号]]の形になります。
[REFS[
- [54] [CITE@ja[ななづきさんはTwitterを使っています 「雑誌に載ってる城西館さんの広告。 『幕末土佐で使われた私年号「天晴」に先代が大切にしてきた、“ 誠の心を尽くす宿”の想いを込めて本館を「天誠(てんせい)」の名でリニューアル』 まさかの天晴!私年号気になってるので嬉しいです。 https://t.co/cAueHzPYLj」 / [[Twitter]]]], 午後9:24 · 2019年5月24日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:54:57.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1131898865139847168>
- [56] [CITE@ja[2019年4月 [[城西館]] 本館が全面リニューアルオープン]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:04:15.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/info/renewal2019/>
- [57] [CITE@ja[客室のご紹介 ─ 天誠 ─ ‹ 高知のホテル [[城西館]]]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:04:35.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/guestroom/tensei/>
- [58] [CITE@ja[[[城西館]]の歴史 ‹ 高知市上町 ホテル 城西館]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:03:09.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/history/>
]REFS]
* メモ
[43]
[CITE[高知県下の天晴元年という私年号]],
[[坂本正夫]],
[TIME[1982][year:1982]],
[CITE[歴史手帖]] 10(4)(102), pp.58-59