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[82] [[ミャンマー]]から[[インドネシア]]までの[[東南アジア]]地域では、
[TZ[+06:30]] から [TZ[+09:00]] のいろいろな[[時間帯]]に属しています。
* ミャンマー (ビルマ)
[93] [[ミャンマー]]では、 [TZ[+06:30]] を使っています。
その変遷はおおまかな情報しかないようです。
;; [84] [TIME[1852年][1852]]、第二次[[英緬戦争]]の結果、
[[ビルマ王国]]の半分は[[英領インド]]に併合されました。
[78] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
元の[[地方時]]を [TZ[+06:24:40]]、 [TIME[1880年][1880]]を境に[[標準時]] [TZ[+06:24:40]]
としています。 [TZ[+06:24:40]] は [[Rangoon]] の[[報時球]][[観象台]]の[[経度]]とされています。
[SRC[>>77]]
;; [83] [TIME[1886年][1886]]、第三次[[英緬戦争]]の結果[[ビルマ王国]]は滅亡し、
[[英領インド]]に併合されました。
[111] [TIME[1905年7月][1905-07]]の報告によると、英印政府は[[ビルマ]]の鐡道および電信の標準時を
[TZ[+06:30]] としました [SRC[>>110]] (実施時期不明)。
[79] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1920年][year:1920]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
[95] [TIME[1920年/大正9年][year:1920]]の >>94 は、[[蘭貢]] ([[ラングーン]])
の[[時差]]を [TZ[+06:30]] としています。
;; [96] [TIME[1937年][year:1937]]、[[英領ビルマ]]は[[英領印度]]から分離されました。
;; [86] [TIME[1942年3月8日][1942-03-08]]、[[ビルマ独立義勇軍]]と[[日本軍]]は[[首都]]の[[ラングーン]]を制圧しました。
[TIME[1943年5月][1943-05]]には、[[ビルマ]]全体を制圧しました。
[80] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1942年5月][1942-05]]を境に [TZ[+09:00]] としています [SRC[>>77]]。
;; [85] [TIME[1943年 (昭和18年) 8月1日][1943-08-01]]、[[ビルマ国]]が独立しました。
[100]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[緬甸]]は [TZ[+06:30]] となっています [SRC[>>106]]。
;; [87] [TIME[1945年3月27日][1945-03-27]]、[[ビルマ国民軍]]が[[クーデター]]を起こしました。
;; [88] [TIME[1945年5月2日][1945-05-02]]、[[英軍]]が[[ラングーン]]を制圧しました。
[81] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1945年5月3日][1945-05-03]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
;; [89] [TIME[1948年][year:1948]]、[[ビルマ連邦]]が独立しました。
その後[[ビルマ連邦社会主義共和国]]、[[ビルマ連邦]]を経て[[ミャンマー連邦]]となりました。
[91] 現在の[[ミャンマー]]政府は、[LON[東経97度30分][97.30E]]の時刻 ([TZ[+06:30]])
が[[標準時]]と説明しているようです [SRC[>>90, >>92]]。
[REFS[
- [110] [CITE[印度新標準時採用]] (地学雑誌 Vol. 17 (1905) No. 9 P 683, [TIME[2016-05-02 19:32:05 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/17/9/17_9_683/_article/-char/ja/>
- [94] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 海事年鑑. 大正9年]] ([TIME[2016-04-04 23:23:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933094/17>
- [77] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-04-04 21:52:20 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L270>
- [90] [CITE@en[Myanmar Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-03-20 19:49:50 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Myanmar_Standard_Time>
- [92] [CITE@my[မြန်မာ စံတော်ချိန် - ဝီကီပီးဒီးယား]] ([TIME[2016-03-04 22:37:54 +09:00]] 版) <https://my.wikipedia.org/wiki/%E1%80%99%E1%80%BC%E1%80%94%E1%80%BA%E1%80%99%E1%80%AC_%E1%80%85%E1%80%B6%E1%80%90%E1%80%B1%E1%80%AC%E1%80%BA%E1%80%81%E1%80%BB%E1%80%AD%E1%80%94%E1%80%BA>
]REFS]
* マレーシア、シンガポール (英領海峡植民地)
[1] [CITE@zh[马来西亚标准时间 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%AC%E6%9D%A5%E8%A5%BF%E4%BA%9A%E6%A0%87%E5%87%86%E6%97%B6%E9%97%B4>
[11] [CITE@zh[新加坡標準時間 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8A%A0%E5%9D%A1%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E9%96%93>
[7] [[海峡植民地]]では従来[[地方時]]を用いていたところ、
1901年1月1日より[[新嘉坡]]の[[地方時]]を[[標準時]]と定めたようです [SRC[>>6]]。
[REFS[
- [6] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1900年11月14日]] ([TIME[2015-11-21 19:19:49 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948506/4>
]REFS]
[4] [[海峡植民地]]は従来の標準時 [CODE[[[+07:00]]]] を
1933年1月1日から1年間 [CODE[[[+07:20]]]] に変更すること、
以降1年以内の期間で総督が決定できることを決め、
ジョホール政府もそれに追随したようです。 [SRC[>>2, >>3, >>15]]
[REFS[
- [2] [CITE[標題:時間関係雑纂 5.海峡植民地及馬来標準時変更ノ件]] ([TIME[2015-11-21 00:14:11 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011418800>
- [3] [CITE[標題:欧2普通合第365号 8.2.8 海峡植民地及馬来標準時変更報告の件]] ([TIME[2015-11-21 00:14:36 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C05022802900>
- [15] [CITE[標題:欧2普通合第365号 8.2.8 海峡植民地及馬来標準時変更報告の件]] ([TIME[2015-11-21 22:12:21 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C05022802900>
]REFS]
[98]
[[日本]]で[TIME[昭和17年/1942年][year:1942]]に発行された[TIME[昭和18年][year:1943]][[暦]]
[SRC[>>101]]、
[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]
[SRC[>>97]] では、旧[[マレー連邦]]および旧[[海峡植民地]]は [TZ[+07:20]] となっています。
[5] [CITE@en[Why is Singapore in the “Wrong” Time Zone?]]
([[Helmer Aslaksen]] 著, [TIME[2012-06-28 12:38:12 +09:00]] 版)
<http://www.math.nus.edu.sg/aslaksen/teaching/timezone.html>
[9] [CITE@zh[马来西亚标准时间 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%AC%E6%9D%A5%E8%A5%BF%E4%BA%9A%E6%A0%87%E5%87%86%E6%97%B6%E9%97%B4>
[10] [CITE@en[Singapore Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2015-08-22 06:13:06 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/Singapore_Standard_Time>
[16] [CITE@ja[マレーシア標準時 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-13 12:20:24 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82>
@@ ブルネイ
* タイ
[65] [[tzdata]] は、元の[[地方時]]を [CODE[+06:42:04]] としています [SRC[>>64]]。
[39] [[tzdata]] は1880年から[[バンコク]][[平均時]] [CODE[+06:42:04]]
としています [SRC[>>64]]。
[66] [[Wikipedia]] は
1920年4月1日の旧6時0分に新6時17分56秒に切り替えられ、
[CODE[+06:42:04]] から [CODE[[[+07:00]]]] となったとしています [SRC[>>38]]。
[[tzdata]] も1920年4月に[CODE[+06:42:04]] から [CODE[[[+07:00]]]] に切り替えたとしています
[SRC[>>64]]。
[13] [[日本政府]]の当時の文書では、大正9年4月1日より
[CODE[+06:41:57.3]] から [CODE[[[+07:00]]]] に[[標準時]]が改められた [SRC[>>12]]
とされています。
;; [14] [[英領マレー]]と一致し、[[仏印]]もこれを採用する見込みである [SRC[>>12]]
とも言及されています。ただし >>21 では当時既に[[仏印]]も [CODE[[[+07:00]]]]
であったとされています。
[REFS[
- [12] [CITE[標題:34.暹羅国標準時改正ノ件 同四月]] ([TIME[2015-11-21 20:19:31 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B12082006200>
- [38] [CITE@en[Time in Thailand - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-02-01 01:14:05 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Time_in_Thailand>
- [64] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-02-28 13:11:30 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L2789>
]REFS]
* ベトナム、ラオス、カンボジア (仏印)
[44] [[tzdata]] は [CODE[Asia/Ho_Chi_Minh]] の元の[[地方時]]を
[CODE[+07:06:40]] としています [SRC[>>42]]。
;; [55] 同様に [CODE[Asia/Hanoi]] は [TZ[+07:03:24]]、
[CODE[Asia/Phnom_Penh]] は [TZ[+06:59:40]] としています [SRC[>>54]]。
;; [47] [[コーチシナ]]は1862年に[[フランス]]領となりました。
[[カンボジア]]は1863年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
[[越南]]の北部・中部は1882年-1886年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
1887年に[[インドシナ総督府]]が設置されました。
[[ラオス]]は1888年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
[[ラオス]]は更に1899年に[[仏印]]に編入されました。
;; [35] [[広州湾租借地]]は1899年に[[フランス]]が占領し、
1900年に[[租借地]]となりました。[[仏印]]に編入されました。
[49] 1904年頃、[[仏印]]の[[標準時]]を [TZ[+07:00]] (に近い[[パリ中度]]基準の[[時刻]]?)
とすることが検討されていたようです。[[清國海関]]とも協議しています。
;; [[中国の標準時]]も参照。
[19] 1906年7月1日0時0分より、[[仏印]]は[[パリ]]から[[東]]に104度17分17秒の [[Phu Lien]] [[天文台]]の[[子午線]]の[[時刻]]を採用しました
(1906年6月18日付け[[仏印]][[官報]]) [SRC[>>67]]。
;; [113] >>112 電報時刻改正
[45] [[tzdata]] はこの[[時差]]を [CODE[+07:06:30]] としています [SRC[>>42]]。
[[パリ]]が[[パリ]][[平均時]] [CODE[+00:09:21]] (→ [CODE[+07:06:30.1[RUBY[3][・]]]])
なのか[[パリ子午線]][[東経]] 2°20′14.03″
(→ [CODE[+07:06:29.[RUBY[3][・]]]]) のどちらを指すのかわからないが、
いずれにせよ[[秒]]単位で丸めて [CODE[+07:06:30]] だと注釈があります [SRC[>>67]]。
[21] 1911年5月1日0時0分より、[[フランス]]本国が [CODE[[[+00:00]]]]
を採用したのに合わせて [SRC[>>18]]、[[仏印]]は [CODE[[[+07:00]]]] [SRC[>>18, >>42]]
に切り替えました (1911年4月13日付け[[仏印]][[官報]]803ページ所収1911年4月6日付け[[法令]]
[SRC[>>67]])。
;; [68] 1942年、[[フランス]]本国政府は[[ドイツ]]に敗北し解体、
かわって[[ヴィシー政権]]が成立しました。
[22] 1942年12月31日23時0分に、[[フランス]]本国が [TZ[+01:00]] を採用したのに合わせて、
[[仏印]]は1時間進めて1943年1月1日より [TZ[+08:00]] に切り替えました [SRC[>>18]]
(1942年12月30日付け[[仏印]][[官報]] [SRC[>>67]])。
[24] 1943年2月には、[[自由フランス]]政権の支配下にあった[[広州湾租借地]]に、
[[ヴィシー政権]]との協定により[[日本軍]]が侵攻します。
その後いずれかのタイミングで [TZ[+09:00]] に切り替えられたものと考えられます。
[99]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[仏印]] (や[[タイ]]) は [TZ[+07:00]] となっています [SRC[>>106]]。
[108] 1942年10月出版の >>107 は、「数日前の新聞」によると[[仏印]]の[[日本軍]]が
[TZ[+09:00]] を使っており、兵員が現地[[太陽時]]とのずれに戸惑っているらしい、
と述べています。 (>>22 によればまだ現地[[標準時]]は [TZ[+07:00]]
だったはずですが、[[日本軍]]がそれと異なる本国の[[時刻]]を使っていたというのは不自然なことでもありません。)
;; [69] 1945年3月9日、[[日本軍]]は[[仏印処理]]を行いました。すなわち、
[[仏印]]から[[フランス軍]]が駆逐され、[[ベトナム帝国]]、
[[ラオス王国]]、[[カンボジア王国]]が独立しました。
[23] 1945年3月14日23時0分に、[[仏印]]は1時間進めて
[CODE[[[+09:00]]]] に切り替えました [SRC[>>18]]。
;; [52] 1945年8月に[[日本]]が[[ポツダム宣言]]を受諾した後、
[[ベトナム八月革命]]が発生し、[[ベトナム帝国]]の[[皇帝]]は[[退位]]しました。
[[ラオス王国]]は独立を撤回しました。
[[カンボジア王国]]も独立を事実上撤回しました。
[25] 1945年9月2日に、[[ベトナム民主共和国]]が独立を宣言し、
[CODE[[[+07:00]]]] を採用しました [SRC[>>18, >>42]]
([[内務省]][[法令]] [SRC[>>70]])。
[51] [[tzdata]] の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]] は、
1945年9月2日から [CODE[[[+07:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[31] 1945年8月に[[広州湾租借地]]は[[日本]]の[[降伏]]により[[中華民国]]が接収し、
[[フランス]]も[[中国]]への返還に合意しています。[[標準時]]の扱いは不明です。
;; [53] 1945年以後、[[北ベトナム]]農村部は[[ベトナム民主共和国]]により、
[[南ベトナム]]は[[フランス]]と[[コーチシナ共和国]]により支配される状態となりました。
1946年末には本格的な戦闘に発展しました。 ([[第一次インドシナ戦争]])
[[ラオス]]も[[フランス]]の支配下に戻りました。
[71] [[仏印]]は、1947年4月1日から [CODE[[[+08:00]]]]
を採用しました (1947年10月14日付け[[仏印]][[官報]]の1947年3月28日付け[[法令]])
[SRC[>>67]]。[[ベトナム]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]の[[フランス]]支配領域でこれが用いられました
[SRC[>>67]]。
[72] しかし[[ベトナム民主共和国]]支配地域では、引き続き [CODE[[[+07:00]]]]
が用いられました [SRC[>>67]]。
[46] [[tzdata]] の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]] は、
1947年4月1日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
;; [56] 1948年6月に[[コーチシナ共和国]]は廃止され[[ベトナム臨時中央政府]]が設立され、
更には1949年6月には[[ベトナム国]]となりました ([[南ベトナム]])。
1949年7月には[[ラオス]]が独立しました。
1949年11月には[[カンボジア]]が独立しました。
;; [60] 1953年10月22日の仏ラオス条約により、
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]に[[ラオス]]は完全に独立しました。
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]に[[カンボジア王国]]も完全に独立しました。
[58] [[カンボジア]]について、 [[tzdata]] の [CODE[Asia/Phnom_Penh]]
は (正確な日付は不明として)
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]から [TZ[+07:00]] としています [SRC[>>54]]。
[27] [[ラオス]]では、[TIME[1954年4月15日][1954-04-15]]から [TZ[+07:00]] が用いられています
[SRC[>>18, >>67]]。
;; [59] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Vientiane]] は
[TIME[1955年4月15日][1955-04-15]]としています [SRC[>>54]] が根拠は不明です。
;; [30] 1954年7月21日に[[ジュネーブ協定]]で休戦と[[越南]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]の独立が承認されています。
なお同協定では「北京平均時」を休戦時刻の規定における「地方時」であると定義しています [SRC[>>32]]。
停戦後、[[北ベトナム]]は[[ベトナム民主共和国]]の支配下に、
[[南ベトナム]]は[[フランス]]・[[ベトナム国]]の支配下となりました。
[28] [[北ベトナム]]の[[ハノイ]]では、1954年10月から [CODE[[[+07:00]]]] が用いられています [SRC[>>18, >>67, >>54]]。
[29] [[北ベトナム]]の[[ハイフォン]]では、1955年5月から [CODE[[[+07:00]]]]
が用いられています [SRC[>>18, >>67]]。
[33] [[ベトナム国]] ([[南ベトナム]]) は1955年7月1日0時0分に
[CODE[[[+07:00]]]] に切り替えました [SRC[>>18, >>67]]。
[48] [[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
は、1955年7月1日から [CODE[[[+07:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
;; [57] 1955年10月には[[ベトナム国]]にかわり[[ベトナム共和国]]が成立しました ([[南ベトナム]])。
1956年6月には[[フランス軍]]が撤退しました。
[34] [[ベトナム共和国]]は1959年12月31日23時0分に1時間進めて1960年1月1日0時0分とし、
[CODE[[[+08:00]]]] に切り替えました [SRC[>>67]]
(1959年12月30日付け[[法令]]362-TTP号 [SRC[>>67]])。
[[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
も、1960年1月1日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[40] [[ベトナム民主共和国]]は1967年8月8日の[[決議]] [[121/CP]] [SRC[>>26]] で、
1968年1月1日0時より [CODE[[[+07:00]]]] としました
[SRC[>>41, >>67]] (同時に[[グレゴリオ暦]]を用いることも定めました) [SRC[>>41]]。
;; [36] 1975年春に[[ベトナム戦争]]で[[サイゴン]]が陥落しました。
[[ベトナム共和国]]は崩壊し、[[南ベトナム共和国]]臨時革命政府が設立されました。
[37] 1975年6月13日に[[南ベトナム共和国]]臨時革命政府は1時間遅らせて
[CODE[[[+07:00]]]] とすると正式決定しました [SRC[>>18, >>67]]。
[50] [[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
は、1975年6月13日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[63] [[カンボジア]]でもいつからか [CODE[[[+07:00]]]] が用いられています。
[43] [[tzdata]] は[[越南]]から
[DFN[[CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]]] のみを収録しています [SRC[>>42]]。
[[ホーチミン]] (旧[[サイゴン]]) は[[南ベトナム]]の最大の都市です。
;; [61] 経済的に最大の都市とはいえ、なぜ[[ベトナム]]の[[首都]]である[[ハノイ]]
([[北ベトナム]]) でなく[[ホーチミン]]が選ばれているのかは謎です。
なお [DFN[[CODE[Asia/Hanoi]]]] も一応ありますが、1970年以後で異なるもののみ区別するという
[[tzdata]] 採録基準を満たさない追加データ [SRC[>>54]] 扱いになっています。
[62] [[tzdata]] は[[カンボジア]]から [DFN[[CODE[[[Asia/Phnom_Penh]]]]]]、
[[ラオス]]から [DFN[[CODE[[[Asia/Vientiane]]]]]] を選んでいますが、なぜかどちらも
[CODE[[[Asia/Bangkok]]]] ([[タイ]]) の別名と定義しています。
[REFS[
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[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[17] [CITE@en[Vietnamese calendar - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2016-02-25 16:37:39 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/Vietnamese_calendar>
]FIGCAPTION]
> North Vietnam switched from UTC+8 to UTC+7 on August 8, 1967, with South Vietnam doing likewise in 1975 at the end of the Vietnam War.
]FIG]
- [107] [CITE@ja[近代デジタルライブラリー - 思索の手套 : 科學隨想]] ([TIME[2016-04-18 20:13:28 +09:00]] 版) <http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1085848/8>
[TIME[1942年10月][1942-10]]
]REFS]
* インドネシア (蘭印)、東チモール
@@
[REFS[
- [114] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1908年08月19日]] ([[大蔵省印刷局 '''['''編''']''']]著, [TIME['''['''1964''']'''-][year:1964]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950892/2>
]REFS]
* フィリピン
[73] [[フィリピンの時間帯]]を参照。
* 新南群島
[75] [[新南群島]] ([[南沙諸島]]) では、各時代の[[実効支配]]国の[[時間帯]]に組み込まれていると考えられます。
;; [76] [[日本の時間帯]]、[[台湾の時間帯]]、[[中国の時間帯]]も参照。
* 関連
[74] [[南アジアの時間帯]]、[[大洋州の時間帯]]、[[台湾の時間帯]]、[[中国の時間帯]]も参照。
* メモ
[REFS[
- [106]
-- [105] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和14年]] ([TIME[2016-04-05 01:18:04 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255562/26>
-- [104] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和15年]] ([TIME[2016-04-05 01:15:31 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255573/26>
-- [103] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和16年]] ([TIME[2016-04-05 01:13:30 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184177/27>
-- [102] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和17年]] ([TIME[2016-04-05 01:11:48 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184172/26>
-- [101] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和18年]] ([TIME[2016-04-05 01:02:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184175/27>
-- [97] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和19年]] ([TIME[2016-04-05 00:55:37 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184173/26>
- [8] [CITE@en[ASEAN Common Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2015-08-26 14:54:49 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/ASEAN_Common_Time>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[115] [CITE[アセアン10カ国、ASEAN標準時が検討課題に]]
( ([TIME[2016-05-03 22:31:18 +09:00]]))
<http://www.bangkokshuho.com/article_detail.php?id=5147>
]FIGCAPTION]
> 29/01/2015
> 28日、マレーシア・サバ州都のコタキナバルで開催されたASEAN非公式外相会議で、ASEAN標準時が今後の検討課題として取り上げられることになった。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[116] [CITE[ミャンマー ASEAN標準時導入に難色 ミャンマーニュース]]
(2015-05-01 20:00 ([TIME[2016-05-03 22:32:42 +09:00]]))
<http://www.myanmar-news.asia/news_aqNdQFCIc2.html>
]FIGCAPTION]
> ミャンマー同様、難色を示しているのがGMTプラス7のタイやカンボジアである。これらの国々は、ASEAN諸国ではGMTプラス7の地域の人口が最も多いことから、GMTプラス8をASEAN標準時とすることに反対する意向を示している。
]FIG]