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[1] [DFN[[RUBY[竜][たつ]]ノ[RUBY[口][くち]]の[RUBY[法][ほう]][RUBY[難][なん]]]]は、
当時[[仏教]]系[[新興宗教]]だった[[日蓮宗]]開祖[[日蓮]]に対し、
[[日本政府]] ([[鎌倉幕府]]) が[[死刑]]執行を直前で中止し、
[[流罪]]に改めた[[事件]]です。
[2]
[[日蓮宗]]およびその派生[[宗教]]では、
開祖の受けた[[宗教弾圧]]事件の1つとして重視され、
語り継がれてきました。
とりわけ[[創価学会]]は[[日蓮]]の[[奇跡]]が強調され信仰されているようです。
* 場所
[4]
現在の[[日本国]][[神奈川県]][[藤沢市]]、
当時の[[鎌倉幕府]]所在地の[[鎌倉]]から近い竜ノ口の刑場で[[日蓮]]の[[死刑]]が執行されるところでした。
[5]
現在その場所には[[日蓮宗]]の[[龍口寺]]があります。
[SRC[>>3]]
[REFS[
-
[3]
[CITE@ja[日蓮宗本山 寂光山[[龍口寺]] > 縁起]], [TIME[2015-10-01T07:09:22.000Z]], [TIME[2022-09-14T08:17:33.876Z]] <http://ryukoji.jp/02histry.html>
]REFS]
* 日時
[39]
現在の[[日時]]でいう[TIME[旧暦の日本文永8(1271)年9月13日][1271-09-13]]
([[グレゴリオ暦]]の文永8(1271)年10月25日、
[[ユリウス暦]]の文永8(1271)年10月18日)
の早朝の[[死刑]]執行を中心とする出来事とされます。
-*-*-
[6]
[[龍口寺]]の [[Webサイト]]は、
[[日蓮]]は
「文永8年(1272)9月12日」
に[[鎌倉]]で[[逮捕]]されて[[竜ノ口]]に連行され、
「翌13日子丑の刻(午前2時前後)」
に執行開始されるところだったと説明しています。
[SRC[>>3]]
[38]
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の[CSECTION[龍ノ口法難]]の記事は、
[[龍口寺]]の [[Webサイト]]を参照しつつ、
「文永8年9月12日(ユリウス暦1271年10月17日)」
に[[逮捕]]され
「翌日の9月13日子丑の刻(午前2時前後)」
に執行されるところだったと説明しています
[SRC[>>37]]。
[33]
この
「子丑」
という[[十二支時刻]]はどういう意味なのでしょうか。
当時一般的な表現だったのでしょうか?
現在[[Google検索]]では[[日蓮]]関係の記述ばかりが見つかります。
[34]
[[日蓮正宗]]の[[Webサイト]]は、
執行未遂を「丑の刻」のこととしながら、
「この子丑の時というのは仏法上深い意義をもっています。子丑は陰の終り・死の終り、寅は陽の始め・生の始めを意味しますが、釈尊を初めとする多くの仏様もこの丑寅の時刻に成道(仏様となること)したのです」
と
「子丑」
の意義を説明した上で、
「文永8年9月12日の子丑の刻は、大聖人の凡身としての死の終りであり、寅の刻は大聖人の御本仏としての生の始まり」
とあると言い換えています。
[SRC[>>32]]
[35]
どうやら「子丑」という時刻は宗教的意味合いを帯びており、
時刻表現としての正確性は検討を要すると思われます。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[32]
[CITE@ja[[[日蓮正宗]]公式ホームページ|主な行事]], [TIME[2022-09-07T06:24:35.000Z]], [TIME[2022-09-14T09:33:52.038Z]] <https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/ceremonies.html>
]FIGCAPTION]
>大聖人は文永8年9月12日夜半、鎌倉をお出になり、丑の刻に竜口において頸をはねられようとしました。しかし、不思議な光り物が江の島の彼方から北西の方角に飛来し、太刀取りの眼がくらみ、ついに頸を切ることができませんでした。
> この子丑の時というのは仏法上深い意義をもっています。子丑は陰の終り・死の終り、寅は陽の始め・生の始めを意味しますが、釈尊を初めとする多くの仏様もこの丑寅の時刻に成道(仏様となること)したのです。すなわち、文永8年9月12日の子丑の刻は、大聖人の凡身としての死の終りであり、寅の刻は大聖人の御本仏としての生の始まりなのです。この時大聖人は、凡夫のお立場から末法の御本仏としての真実の姿を顕わされたのです。
]FIG]
-
[37]
[CITE@ja[[[龍ノ口法難]] - Wikipedia]], [TIME[2022-08-30T09:53:10.000Z]], [TIME[2022-09-14T09:47:00.328Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E3%83%8E%E5%8F%A3%E6%B3%95%E9%9B%A3>
]REFS]
-*-*-
[27]
真書なら最古の典拠である (>>12)
[CITE[種種御振舞御書]]
は、
[[日蓮]]が12日の夜に[[逮捕]]され、
「十二日の夜のあけぐれ」
の暗くて顔も見えない[[時刻]]に執行しようとしたところ失敗したと説明しています。
[SRC[>>21]]
[28]
12日の夜の後の「あけぐれ」なのですから、
13日の[[日の出]]の前で、[[日界]]を[[日の出]]に取った表現と解する他ありません。
[29]
「あけぐれ」は辞書的には[[未明]]の夜が開けかけた時間帯を指すような説明がなされていますが、
ここでは夜の暗さ (とそこで生じた光の明るさ) を言い表しており、
そのニュアンスには注意が必要です。
[30]
その後の出来事は[[十二支時刻]]が書かれていますが、
この執行未遂の時刻は明記されていません。
[31]
真書なら古さ第2の典拠である (>>12)
[CITE[妙法比丘尼御返事]]
は、
「九月 十二日の 丑の時に」
執行しようとしたところ失敗したと説明しています。
[SRC[>>26]]
[36]
仮に真書だとすれば、[[日蓮]]在命当時は一般的な[[十二支時刻]]で表していた可能性が高そうです。
* 光もの
[7]
[[龍口寺]]の [[Webサイト]]によると、
「翌13日子丑の刻(午前2時前後)」
の[[死刑]]執行のとき、
> 「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)
... があったとされます。 [SRC[>>3]]
[10]
[[日蓮]]自身の[[手紙]]と言われるもので、
[CITE[種種御振舞御書]]
と
[CITE[妙法比丘尼御返事]]
に(のみ)本件の記述があります。
それらによると、
>子の刻(午前零時)、一行は竜口の刑場へ到着した。このとき下弦の月は、はや西方の雲
に入っていた。兵士たちは、日蓮を四方に取り囲むと、馬から降ろし、粗莚の上に座らせ、
首の座に据えた。と、そのとき、江の島の方向から月のような光った物が、鞠のように、
辰巳(東南)から戌亥(北西)にかけて光りわたった。深夜の暗闇の中、人の顔も見えなかった
というのに、辺り一面明るくなった。太刀取り役(首斬役人)は目がくらみ、倒れ伏し、警
固の兵たちも地に伏し、あるいは馬上にうずくまる、という状態であった。
... のだといいます。 [SRC[>>9]]
[11]
また[[日蓮]]自身の[[手紙]]と言われる
[CITE[四条金吾殿御消息]],
文永8(1271)年9月21日に、
>月天子は光物とあらはれ、竜口の頸をたすけ
と書かれていました。 [SRC[>>9]]
[12]
ただし、
[CITE[種種御振舞御書]] ([CITE[種々御振舞御書]]),
[CITE[妙法比丘尼御返事]],
[CITE[四条金吾殿御消息]]
の3通の[[手紙]]はいずれも原本が現存せず、
信憑性には疑問が持たれています。
[[日蓮宗]]系宗教者、一般の研究者とも、
[[偽書]]とする説が必ずしも認められてはいないものの、
真書と断定できるだけの根拠も十分とは考えられていないようです。
[SRC[>>15, >>16, >>9, >>40 (709)]]
;;
[13]
ただし宗教者の中には真書だとして信仰している人もいますし、
たとえ[[偽書]]だとしても信仰対象と認めて良いとする人もいるようです。
文書の真偽や記載内容の信憑性の学術的な判断と、
その宗教的な価値は別次元の問題です。
[25]
[CITE[種種御振舞御書]]は[TIME[建治2(1276)年][1276]] [SRC[>>24]]、
[CITE[妙法比丘尼御返事]]は[TIME[弘安元(1278)年][1278]] [SRC[>>26]]、
[CITE[四条金吾殿御消息]]は[TIME[文永8(1271)年][1271]] [SRC[>>9]]、
のものとされ、
真書だとすれば事件から4年後、6年後、9年後のものです。
[18]
[[日蓮]]の処刑未遂があったことは、他の史料にも見えることから、
史実であろうと考えられています。
処刑未遂自体が架空とする説もありますが、
宗教者、一般研究者ともあまり支持されていないようです。
[SRC[>>9]]
[19]
謎の光は、積極的に肯定も否定もできるだけの根拠がないようです。
[SRC[>>9]]
[17]
また、
「太刀取り役・依智三郎直重の頭上に電光が落下し、
振りかざしていた刀がたちまち朽木のように三つに折れて飛び散った」
とする説話が広まっていますが、
これは
[CITE[日蓮聖人註画讃]],
[RUBYB[[[円明院日澄]]][[TIME[1441]]-[TIME[1510]]]]の創作で、
出典を遡れないものとされます。
[SRC[>>9]]
;; [55] 謎の光史実性否定説の根拠の1つに、
[CITE[平家物語]]の1本に似た説話があることが指摘されています。
[SRC[>>40]]
[REFS[
[FIG(quote)[ [23] [CITE[種種御振舞御書]]
[24] [CITE@ja[御書本文|[[創価学会]]公式サイト]], [TIME[2022-09-14T09:06:15.000Z]] <https://gosho-search.sokanet.jp/page.php?n=909>
> 種種御振舞御書 建治二年 五十五歳御作
[20] [CITE@ja[御書本文|[[創価学会]]公式サイト]], [TIME[2022-09-14T08:58:14.000Z]] <https://gosho-search.sokanet.jp/page.php?n=912>
>さては十二日の夜・武蔵守殿のあづかりにて夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに・わかみやこうぢにうちいでて四方に兵のうちつつみて・ありしかども、[SNIP[]]
[21] [CITE@ja[御書本文|[[創価学会]]公式サイト]], [TIME[2022-09-14T08:59:52.000Z]] <https://gosho-search.sokanet.jp/page.php?n=914>
>[SNIP[]]いかに・やくそくをば・たがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとく・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり、日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頸切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし。
> はるか計りありて云くさがみのえちと申すところへ入らせ給へと申す、此れは道知る者なし・さきうちすべしと申せどもうつ人もなかりしかば・さてやすらうほどに或兵士の云く・それこそその道にて候へと申せしかば道にまかせてゆく、午の時計りにえちと申すところへ・ゆきつきたりしかば本間六郎左衛門がいへに入りぬ、[SNIP[]]
> 其の日の戌の時計りにかまくらより上の御使とてたてぶみをもちて来ぬ、頸切れという・かさねたる御使かと・もののふどもは・をもひてありし程に六郎左衛門が代官右馬のじようと申す者・立ぶみもちて・はしり来りひざまづひて申す、今夜にて候べし・あらあさましやと存じて候いつるに・かかる御悦びの御ふみ来りて候、武蔵守殿は
[22]
[CITE@ja[御書本文|[[創価学会]]公式サイト]], [TIME[2022-09-14T09:01:55.000Z]] <https://gosho-search.sokanet.jp/page.php?n=915>
>今日・卯の時にあたみの御ゆへ御出で候へば・いそぎ・あやなき事もやと・まづこれへはしりまいりて候と申す、かまくらより御つかいは二時にはしりて候、今夜の内にあたみの御ゆへ・はしりまいるべしとて・まかりいでぬ。
> 追状に云く此の人はとがなき人なり今しばらくありてゆるさせ給うべし・あやまちしては後悔あるべしと云云。
> 其の夜は十三日・兵士ども数十人・坊の辺り並びに大庭になみゐて候いき、九月十三日の夜なれば月・大に・はれてありしに夜中に大庭に立ち出でて月に向ひ奉りて・自我偈少少よみ奉り諸宗の勝劣・法華経の文あらあら申して抑今の月天は法華経の御座に列りまします名月天子ぞかし、[SNIP[]]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[26]
[CITE@ja[[[妙法比丘尼御返事]](みょうほうびくにごへんじ)交互文]], [TIME[2018-10-06T00:45:08.000Z]], [TIME[2022-09-14T09:10:25.482Z]] <http://hiraganagosho.web.fc2.com/b1406.html>
]FIGCAPTION]
>又 去ぬる 文永 八年 九月 十二日に 佐渡の 国へ 流さる.
>[SNIP[]]
>第二度は 外には 遠流と 聞こへ しかども 内には 頸を 切るべしとて.
>鎌倉 竜の口と 申す 処に 九月 十二日の 丑の時に 頸の座に 引きすへられて 候いき.
>いかがして 候いけん.
>月の 如くに をはせし物 江の島 より 飛び 出でて 使の 頭へ かかり 候い しかば.
>使 おそれて きらず.
>とかうせし 程に 子細ども あまた ありて 其の 夜の 頸は のがれぬ.
>[SNIP[]]
>弘安 元年 戊寅 九月 六日.
]FIG]
-
[14]
[CITE[[V[御遺文の真偽問題[BR[]]⸺その問題点への私見⸺]]]],
[[[V[勝呂信靜]]]],
[TIME[平成10(1998)年3月][1998-03]],
[TIME[2022-09-14T08:42:17.000Z]] <https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho32-07.pdf&type=G&prt=6322>
--
[15]
<https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho32-07.pdf&type=G&prt=6322#page=7>
--
[16]
<https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho32-07.pdf&type=G&prt=6322#page=11>
-
[8]
[CITE[[L[日蓮四大法難考]]]],
[[[L[尾﨑綱賀]]]],
[TIME[2020.4.3][2020-04-03]],
[TIME[2022-09-14T08:26:06.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/kfa/5/6/5_1/_pdf>
--
[9]
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/kfa/5/6/5_1/_pdf#page=21>
]REFS]
* 光の正体は諸説あります。
[48]
謎の光の正体について、
現在までに様々な説が提示されてきました。
- [49] [[エンケ彗星]]の[[流星]]説 (>>43)
-- 史実だとすると最有力の説
- [50] 火球説 [SRC[>>47]]
- [52] 落雷説 [SRC[>>58]]
- [53] [[UFO]] 説
-- [[オカルト]]
- [51] 史実ではないとする説 (>>18, >>19)
[54] このように[[※諸説あります]] (※どれも同様に確からしい[[とは言っていない]])。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[58]
[CITE@ja[日蓮の「龍ノ口法難」は実際にあったのでしょうか?とても伝えが事実だとは思え... - [[Yahoo!知恵袋]]]], [[Yahoo! JAPAN]], [TIME[2022-09-14T14:08:37.000Z]] <https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12145695857>
]FIGCAPTION]
>小西範明さん
>
2015/5/18 17:46
>日蓮聖人自身が龍ノ口法難について記述している文章が現存しています。
>
それによると、首筋役人の刀に落雷したとは書いてませんが、近くに落雷があった事は事実の様です。
]FIG]
- [46]
[CITE@ja[林 信男さんはTwitterを使っています: 「光り物の正体について、広瀬秀雄氏は『エンケ彗星に関する流星』(日蓮上人竜の口の法難の時の天変について)とされ、斉藤国治氏も『星の古記録』で同様の見解を示されている。」 / [[Twitter]]]], [TIME[午後3:41 · 2019年8月17日][2019-08-17T06:41:16.000Z]], [TIME[2022-09-14T13:22:42.000Z]] <https://twitter.com/saitama2020100/status/1162615358353600512>
--
[47]
[CITE@ja[林 信男さんは[[Twitter]]を使っています: 「二人の天文学者以外では、山口晃一氏は『日蓮聖人の不可思議体験』で『天雷に属する大気電気の異常によるプラズマ球電』とされている。」 / Twitter]], [TIME[午後3:41 · 2019年8月17日][2019-08-17T06:41:47.000Z]], [TIME[2022-09-14T13:22:42.000Z]] <https://twitter.com/saitama2020100/status/1162615489593577474>
]REFS]
* 流星説
[43]
謎の光の正体について、
それが史実だとした場合、
[[エンケ彗星]]に由来する[[流星群]]の[[流星]]が観測されたものだとする説があり、
[[古天文]]学者や[[日蓮]]系宗教者らの間で有力視されています
[SRC[>>59]]。
一般にも広まっています
[SRC[>>46, >>57]]。
[44]
この説は[[広瀬秀雄]]が唱え、
[[斉藤国治]]も賛同していました。
[SRC[>>40]]
[RUBYB[[[広瀬秀雄]]][[TIME[1909]]-[TIME[1981]]]]は[[東京天文台]]長も務めた[[昭和時代]]の[[日本]]を代表する[[天文学者]]でした。
[RUBYB[[[斉藤国治]]][[TIME[1913]]-[TIME[2003]]]]は[[東京天文台]]の研究者で[[古天文学]]を確立したことで知られています。
[45]
[[古天文学]]でその後本説への反対説があったのかどうかは不明ですが、
少なくても有名な反対説はないようです。
少なくても[[昭和時代]]の[[天文学]]知識においては、
謎の光の正体が[[天文学]]的現象であると仮定すれば、
[[エンケ彗星]]由来であった可能性が高いと言ってよさそうです。
[REFS[
-
[42]
[CITE@ja[[[日蓮]]上人「竜の口法難」の時の天変について : 1954|書誌詳細|国立国会図書館サーチ]], [TIME[2022-09-14T13:42:00.000Z]] <https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I5219338-00>
- [41]
[CITE@en-us[[[Amazon.co.jp]]: 星の古記録 (岩波新書) : 斉藤 国治: Japanese Books]], [TIME[2022-09-14T13:36:40.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004202078/wakaba1-22/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[40] [CITE[ツブヤキすれっど]], [TIME[2011-07-21T00:52:41.000Z]], [TIME[2022-09-14T13:30:20.526Z]] <http://nichirenhokke.web.fc2.com/keijiban/tubuyaki.htm>
]FIGCAPTION]
699
>
[PRE[
紀野一義氏の著書『日蓮―民衆と歩んだ不屈の改革者』(廣済堂出版 1995年)において、次のような注目すべき記述もございます。
=======================================
『星の記録』(岩波新書207)を書いた斉藤国治氏は、この光り物について、
「この光り物については、すでに広瀬秀雄氏の研究があり、このときおひつじ・お
うし座流星群の[ASIS[一流性]]が出現したのだと解釈されている。この流星群は太陽暦で十
月下旬ごろ活動し、しばしば明るい流星を出現させることで知られている。その母
彗星はエンケ彗星で、この彗星がその軌道上にそって落とした一小片が偶然にも日
蓮のいのちを救ったといえよう」(110頁)
といっておられます。
=======================================
]PRE]
]FIG]
-
[59]
[CITE@ja[日蓮正宗と創価学会では「龍ノ口法難」について正式にはどういうふう... - [[Yahoo!知恵袋]]]], [[Yahoo! JAPAN]], [TIME[2022-09-14T14:11:07.000Z]] <https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12158987232>
-
[56]
[CITE@ja[隕石と龍ノ口の法難 -龍ノ口の法難で日蓮大聖人が首を斬られそうになっ- 宗教学 | [[教えて!goo]]]], [TIME[2022-09-14T14:03:54.000Z]] <https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11743756.html>
-- [57] [CSECTION[No.3]],
回答者: [[atoiti]],
回答日時:2020/07/04 07:23
]REFS]
* メモ