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[299]
[[東洋の日時表示]]では、
[[紀年銘]]の前に[[于時]]や[[旹]]のような
「とき」のような語句が付いていることがままあります。
* 種別
[32]
いろいろな種類があり、いずれかを付ける付けないの選択肢もあるのですが、
定型句なのでその選択にさほど深い意味はないと考えられます。
[FIG(railroad)[ [242] [DFN[紀年接頭辞]]
= |
== [CODE[峕]]
== [CODE[旹]]
== [CODE[__&&swc412(旹)&&__]]
== [CODE[維]]
== [CODE[維時]]
== [CODE[時]]
== [CODE[時也]]
== [CODE[于時]]
== [CODE[于眨]]
== [CODE[比]]
== [CODE[寔]]
== [CODE[迺]]
]FIG]
[305]
「[V[[ASIS[時][⿰日[ASIS[乏][左下ノなし]]]]は于時と同様である。]]」 [SRC[>>288 p.[V[一六八]]]]
[31]
[[于時]]は「ときに」と読みます。
[SRC[>>513 p.19, p.29]]
[28] 旹は時の[[異体字]]とされます [SRC[>>513 p.17]]。
「ときに」と読みます。 [SRC[>>513 p.29]]
[1] __&&swc412(旹)&&__ [[十二支]]参照
[34] [[寔]]は「まことに」と読みます。 [SRC[>>513 p.21, p.29]]
他に比べると珍しいです。
[36]
[[迺]]は「ときに」と読むと考えられています。
[CITE[大漢和辞典]]に「即」とあることからの推測です [SRC[>>513 p.22]]。
用例は稀です。
* 用例
- [300]
高知県[[円蔵寺]]雲版 (現亡失)
「[V[時応永十八歳十一月]]」
[SRC[>>288 [B[29]] ([CITE[土佐名勝志]], [[寺石正路]])]] [TIME[1411年][year:1411]]
- [27]
[[日本国]][[熊本県]][[玉名郡]][[南関町]]大字打久重字越 板碑
「[V[旹康永二年[LINES[癸][未]]二月廿七日]]」
[TIME[日本康永2(1343)年2月27日][kyuureki:1343-02-27]]
[SRC[>>513 p.17 [V[三]] [V[①]]]]
- [6]
[[日本国]][[滋賀県]][[蒲生郡]][[日野町]][[北脇]][[諸木神社]]鰐口
「[V[[ASIS[旹][屮一日]]享禄三年十一月十二日]]」
[SRC[>>1080 p.192]]
[TIME[日本享禄3(1530)年11月12日][kyuureki:1350-11-12]]
- [30]
[[日本国]][[熊本県]][[八代郡]][[竜北町]]高塚[[熊野座神社]] 板碑
「[V[于時應仁三年青陽吉日]]」
[TIME[日本応仁3(1469)年][kyuureki:1469]]1月
[SRC[>>513 p.19 [V[四]] [V[②]]]]
- [406]
[[日本国]][[宮崎県]][[日向市]]日知屋本善寺墓地[[題目板碑]]
「[V[干時大永七年[LINES[大才][丁亥]]三月十四日]]」
[TIME[日本大永7(1527)年][year:1527]]
[SRC[>>401 [V[[YOKO[19]]]]]]
- [411]
[[日本国]][[宮崎県]][[日向市]]美々津町高松[[題目板碑]]
「[V[干[ASIS[時][⿰日[ASIS[之][左下ノなし]]]]天正三季[LINES[乙][亥]]霜月十七日]]」
[TIME[日本天正3(1575)年][year:1575]]
[SRC[>>401 [V[[YOKO[52]]]]]]
- [366]
[[日本国]][[埼玉県]]御堂浄蓮寺板碑
「[V[于眨󠄀天正十七年己[ASIS[刄][左上接す]]十月廿九日]]」
[SRC[>>364 pp.[V[二八󠄂六]]-[V[二八󠄂七]] [V[[YOKO[10]]]] (写真が掲載も白黒で判読不可)]]
- [33]
[[日本国]][[熊本県]][[玉名郡]][[南関町]]津留[[水浄寺]]跡 板碑
「[V[寔大永五年[LINES[乙][酉]]十月廿六日]]」
[SRC[>>513 p.21 [V[四]] [V[⑤]]]]
[TIME[日本大永5(1525)年10月26日][kyuureki:1525-10-26]]
- [35]
[[日本国]][[熊本県]][[八代市]]田中町 板碑
「[V[迺弘治三年[LINES[丁][巳]]十月十四日]]」
[SRC[>>513 pp.21-22 [V[四]] [V[⑦]]]]
[TIME[日本弘治3(1557)年10月14日][kyuureki:1557-10-14]]
[REFS[
- [364] [CITE[[V[埼玉県御堂浄蓮󠄄寺の金石[ASIS[文][柱では文󠄃]]]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[二七四]]-[V[三〇三]]
- [288] [CITE[[V[雲版銘文󠄃集]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[一三七]]-[V[一七八]]
- [401] [CITE[[V[宮崎県の題目板碑]]]],
[CITE[[[続仏教考古学研究]]]], pp.[V[六七]]-[V[一一二]]
- [513] [CITE[[[郷土調査の手引き]]・1 三訂版]]
]REFS]
[2]
[[日本国]][[滋賀県]][[蒲生郡]][[日野町]]大字安部居[[念法寺]]十王図のうちの一幅の裏書の翻刻
([[明朝体]])
[SRC[>>1080 pp.124-125]]
>
[VRL[
康永四年[SUP[乙]][SUB[酉]]自十月五日至十一月十八日
[SNIP[]]
応永十一[SUP[甲]][SUB[申]]四月中旬候奉加修補[ASIS[〓][⿱已十]]
[ASIS[峕][⿱山音]]天文八年[SUP[己]][SUB[亥]]二月初九日奉加修補[ASIS[〓][⿱已十]]
[ASIS[峕][⿱山音]]元禄十五[SUP[壬]][SUB[午]]暦二月上旬候奉加修補[ASIS[〓][⿱已十]]
于時宝永三丙戌従八月三日至十二日
[SNIP[]]
]VRL]
;; [3] [[干支斜め書き]]は8割程度のサイズで、行の左右に収まるように揃えて配置、
上下の文字との間にはわずかにアキ。
[4] 同、白黒写真 ([[毛筆]]の現物) [SRC[>>1080 pp.126]]
挿絵なので白黒でサイズも小さく見にくいが、
「[ASIS[峕][⿱山音]]」
は元の手書きでは「峕」に見える。
[REFS[
- [1080] [CITE[[[東桜谷志]]]]
]REFS]
[5]
時代性や研究史については[[東洋の日時表示]]参照。
[REFS[
- [544] [CITE[[[由緒・偽文書と地域社会⸺北河内を中心に⸺]]]]
-- [7] [CITE[椿井政隆による偽文書創作活動の展開]], pp.357-384
]REFS]
- [8]
[[日本]][[河内国]]石川郡西方院所蔵[CITE[[V[建久四年古図]]]]箱書
「[V[[RUBY[誰][(維)]]時天保四年癸巳蠟月良辰日]]」
[SRC[>>7 p.368 (注釈は >>7 のもの)]]
-- [9] [[椿井文書]] ([[偽書]])
-*-*-
[25] [CITE@ja-JP[国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-27T11:16:35.422Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/945734/1/5>
歳
歳此
歳在
[26] [CITE@ja-JP[朝鮮研究会刊行書 漢唐遺事]], [[朝鮮研究会]], [TIME[明治44-大正7][1918]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-27T11:19:30.397Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/945734/1/116> (要登録)
こちらの原文は3つ全部歳在
-*-*-
[37]
豈 : [[正仲]]
* 現代日本
[12]
現代でも使われ続けています。
- [13]
令和4年[[日本国]][[長野県]][[善光寺]]御開帳[[回向柱]] 北面
「[V[維󠄂時 令和四年四月三日]]」
([TIME[2022-04-03]])
[REFS[
- [11] [CITE@ja[【2022年】回向柱の読み方は?[[善光寺]]御開帳での役割とは]],
2022.05.23,
[TIME[2022-12-01T13:24:17.000Z]] <https://zenkozi.com/gokaicho2022/2022ekobashira.html>
]REFS]
[16]
[[現代日本]]の一部の風習(?)では、
[[墓碑]]の「維時」には何やら意味が加わっているようです。
[SRC[>>14]]
[14] [CITE@ja[[[施主]]名と建立年月日 | 創業92年、千葉県横芝光町で「安心できる位牌」をお探しなら、宮川仏具店]],
作成者 : ae159m7gic,
2012年4月20日,
[TIME[2022-12-01T13:31:11.000Z]] <https://www.miyagawa.com/wp/%E6%96%BD%E4%B8%BB%E5%90%8D%E3%81%A8%E5%BB%BA%E7%AB%8B%E5%B9%B4%E6%9C%88%E6%97%A5/>
>建立年月日も、施主名と同様に、墓石を建てた日付だと思っている人が多いが、正式には、維時平成〇〇年〇月建之と印すのがほんとうである。 どういうことかというと、葬儀を無事にすませ、円満に永遠の過去にするということは、たいへんな事業でもある。この間の苦労は、相続はもとより追善供養、納骨とじつに頭を悩ますことばかりだ。 それが無事に終わり、その家のけがれが退散してこそ、墓石もめでたく建つものであろう。 このように因縁に満ちて、海水が引き潮から満潮へ向かうように、自然に墓とならなければならないわけで、ここから、建年号の”維時” という意味があるのである。 いいかえると、相続人がほんとうに相続したという確定日付が、建立年月日ということになる。それは、遺族が円満に遺産相続その他が終わったという証拠である。 だから、墓石の建立は早い方がいいわけだ。
[15] [CITE@ja[狛〇〇シリーズ(8) 狛龍は何処へ '''['''豊泉寺''']''' 参詣 ~ [[埼玉県]] 入間市 341 | 70代からのウィズブログ!]],
2021-02-09,
[TIME[2022-12-01T13:33:10.000Z]] <https://ameblo.jp/mikoto1199/entry-12655641247.html>
写真
> [V[維時 令󠄁和元年十一月十七日]]
テキスト (ブログ著者による翻刻)
>維時 令和元年(2019)11月17日
>※ 維時(これとき)・・・
> 建年号の”維時” という意味があるのである。
> いいかえると、相続人がほんとうに相続したという確定日付が、
> 建立年月日ということになる。
[17]
でも >>15 の例は墓碑ではないので、「相続人」がどうこうというこの注釈は意味不明。
>>15 は >>14 のコピペなのか?
[18]
>>13 >>15 のように「維時」の後には[[全角]]アキを置くことが[[現代日本]]では多そうです。
[22]
そして [[SNS]] にも用例が見られます。 >>20 >>21
[20]
[CITE@ja[[[西居院]]はInstagramを利用しています:「維時平成31年3月16日 西居院 春彼岸会法要 説教 尾張薬王寺 林陽宏上人」]], [TIME[2022-12-01T13:40:42.000Z]] <https://www.instagram.com/p/BvFrtaXFPSq/?utm_source=ig_embed&utm_campaign=loading>
>維時平成31年3月16日
[21] [CITE@ja[nyoi_rinji - 祝・開催❗️・無魔成満‼️ [[境香取神社]] × ヒロ⭐️御朱印スタ... | Facebook]], [TIME[2022-12-01T13:41:04.000Z]] <https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid0HXhrzC57RAVsTojrBh48XxZnJqNDetcYm17Mzq8c9UdppsuS6YVZLGevt18AgRibl&id=114059676634987&__tn__=-R>
>
[PRE[
境香取神社
×
ヒロ⭐️御朱印スタ
お江戸マルシェ
維時令和3年11月7日(日)
]PRE]
[24]
"維時平成"
や
"維時令和"
で[[Web検索]]すると大量の用例が発見できます。
寺社中心ですが、広く使われているようです。
[23]
何百年も昔の風習が脈々と受け継がれているのっていいですね。
*[CODE[swc412]]
[FIG(data)[ [412] [[glyph]]
:id:[CODE[swc412]]
:downgrade:旹
:unified:旹
:demo:__&&swc412&&__
:64x64:
[PRE(aafig)[
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
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□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
]PRE]
]FIG]
* メモ