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993
994
995
996
997
998
999
1000
[7] [DFN[[RUBY[[[元号]]][げんごう]]]]は、[[東洋]]で長く用いられている、
[[暦]]上の時期を表す名前です。
[8] 現在では[[日本]]で[[平成]]が用いられるのみとなっていますが、
かつては[[東アジア]]各国で用いられていました。
[220]
現在の[[日本の元号]]は[[平成]]であり、
その次の[[元号]]は[[令和]]です。
* 呼称
[350] 「平成39年」の「平成」のような[[紀元]]を表す名称を[[元号]]といいます。
しかし文脈により「平成39年」全体を指して[[元号]]と言ったりもします。
[293] [[元号]]のことを[DFN[[[年号]]]]ともいいます。語源的・歴史的には[[年号]]の方がより意味に即した用語のようで、
[[中国語]]では現在も[[年号]]と呼ぶのが一般的です。しかし[[年号]]は、
[[元号]]以外の[[紀年法]]も含めたり、
[[元号]]によって表記された[[年]]やその他の[[紀年法]]の[[年]]のことまで含めたりすることがあり、
意味に揺れがあります。[[元号]]という語の方が意味は明確です。
[294] [[英語]]では [[era]] と呼ばれますが、[[紀年法]]や[[紀元]]の意味でも使われるので曖昧です。
[DFN[[[regnal year]]]] や [DFN[finite era (name)]] と呼ぶとそのような曖昧性は排除できます [SRC[>>9]]
が、[[元号]]でない[[在位紀年]]も含まれることがあるようです。
[295] [[日時パターン]]の表記などでは、[[ローマ字表記]]の[[頭文字]]である
「g」や「G」で表現されることがよくあります。
* 意味
[255] [[元号]]は、1つ[[以上]]の (原則として連続した) [[年]]に対して与えた名称です。
その[[改元日]]から始まり、次の[[改元日]]までの期間を表します。
([[改元日]]を含む[[年]]は、途中からまたは途中までしか含まれないこととなります。)
[380] [[元号]]は、前の[[元号]]からの[[改元]]という形でその時期が定義されています。
直接的な定義には含まれませんが、[[暦]]への記載や現実の運用などから、
[[西暦]]や[[皇紀]]のような他の[[紀年法]]との対応関係も定まります。
[381] ただし、[[私年号]]や滅亡した勢力の[[元号]]の中には、
正確な時期が伝わっていないものもあります。特に私年号は、
[[改元]]の手続きが行わず自然発生的に使われ出し、
いつの間にか消滅しているようなものなので、
終了の時期もはっきりしないことが多いようです。
-*-*-
[254] [[元号]]が何かについて、[[元号法]] [SRC[>>54]] は定義していません。
[[法令]]上は自明のもの、あるいは[[慣習]]的なものとして扱われているのでしょうか。
[613] [[JIS]] は次のように定義しています。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [[JIS X 0301]]:2002 3.34
]FIGCAPTION]
> [[日本]]で用いる[[暦年]]の上位呼称
]FIG]
[614] しかし「[[暦年]]の上位」といわれても何となくの雰囲気はわかりますが、
それ以上の情報は得られません。[[暦年]]は約365日を表す用語のようですが、
[[元号]]の期間は [[JIS]] 上も約365日の整数倍となるとは限りません。
「上位」の意味が定義されていないので、この定義と実際の[[元号]]が合致しているかどうかもよくわかりません。
* 法令
[253] 現在の[[日本の元号]]制度は、[DFN[元号法]]で定められています。
[[元号]]制度の元で用いられる実際の[[元号]]は、[[改元]]の[[政令]]により定められています。
[SEE[ [[元号の法令]] ]]
[REFS[
- [54] [CITE[元号法]]
]REFS]
[615] 他の[[国]]には[[元号]]制度は現存しないようです。
* 文脈
[262] [[元号]]は、[[日本]]で公私問わず広く用いられています。
[263] ただし[[日本]]でも[[元号]]表記よりも[[西暦]]表記が多くなってきています。
詳しくは[[日本の暦]]を参照。
* 元号を用いた日付表記
[287] [[日本]]の[[元号]]を使った[[日付]]の表記を、[[和暦]]や[[邦暦]]と呼ぶことがあります。
ただし、これらの言葉は他にもいろいろな意味で使われます。
[SEE[ [[和暦]] ]]
** 元号による年の表記
[192]
[[元号]]によって表記された[[年]]を[[西暦年]]などと区別して特に[DFN[元号年]]と呼びます。
[257] その[[元号]]への[[改元日]]が含まれる[[年]]を、
[[元年]]と呼びます。
次の[[年]]を2年、その次の[[年]]を3年と順に数えていきます。
[[元年]]は、1年と表記されることもあります。
[SEE[ [[元年]] ]]
[258] 現在では、「平成28年」のように、[[元号]]と[[年]]の数を並べて表記するのが一般的です。
年数は、[[横書き]]では[[アラビア数字]]、[[縦書き]]では[[漢数字]]とするのが普通です。
[478] 文脈上明確な時には、[[元号]]名を省略して[[元号]]内の[[年]]番号だけで[[年]]を表記することもあります。
[288] 年数は[[正整数]]で2桁[[以下]]となるのが普通ですが、
[[将来の日時]]などで3桁以上となる場合もあります。
[[暦の換算]]の関係で0年を設けることもあります。
[SEE[ [[改元]] ]]
;; [289] [[改元]]前を負数や[[紀元前]]のような形で表すことはなさそうです。
[180]
[[Unicode Number System Identifier]]
([[言語タグ[CODE[u]]]]の[CODE[nu][u-nu]]の値)
として
[DFN[[CODE[jpanyear]]]]
があり ([TIME[2019年][year:2019]]追加)、
[[和暦]]で使う[[元年]]数値表記とされています。 [SRC[>>179]]
「元」、「二」、「三」と続く表現方法を表すと思われます。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[179] ([TIME[2019-02-08 06:21:08 +09:00]]) <http://unicode.org/repos/cldr/trunk/common/bcp47/number.xml>
]FIGCAPTION]
>
[PRE(code XML)[
<type name="jpanyear" description="Japanese first-year Gannen numbering for Japanese calendar" since="35"/>
]PRE]
]FIG]
]REFS]
-*-*-
[261] 近年では[[西暦]]と併記することも多いです。
([SEE[ 暦法との関係について、[[改元]] ]])。
[259] かつては、更に連ねて[[干支]]を併記するのがより正式な表記と考えられていたようです。
[[改元]]が頻繁で[[西暦]]が一般的でなかった時代、[[干支]]が併記されていると年同士の関係を比較しやすく便利だったようです。
[609] あまり正式ではない場面 (民間など) では、[[十干十二支]]ではなく[[十二支]]だけを[[元号]]と[[年]]数に添えることもあったようです。
;; [55] [[日本の暦]]の[[紀年法]]の項も参照。
** 元号利用時期の表記
[610] [[元号名]]に「年間」、「時代」、「期」のような[[接尾辞]]をつけて、
あるいは[[元号]]そのものにより、その[[元号]]が用いられていた[[時期]]を表すことがよくあります。
[EG[
[611] [[昭和時代]]は、[[昭和]]が用いられた時期を指します。
]EG]
[EG[
[612] [[寛永年間]]は、[[寛永]]が用いられた時期を指します。
]EG]
[EG[
[642] [[享保の改革]]は、[[享保]]が用いられた頃の[[政治改革]]を指します。
]EG]
** 日時形式における元号
[159] [[JIS X 0301]] は[[元号]]を使った[[情報交換]]用の[[日時形式]]を定めています。
[160] [[元号コード]]と[[年]]の組が使われる場合もあります。
* 元号の名前
** 元号名の表記
[296] [[元号]]名のほとんどは[[漢字]]2文字です。[[日本]]の古い[[元号]]や[[私年号]]には、
4文字のものもありました。他の[[国]]には3文字や6文字の例もあります [SRC[>>9]]。
5文字や7文字や8文字のものが挙げられることもあります。日本の[[私年号]]にも3文字のものがあります。
[272] [[元号]]の中には、[[旧字体]]と[[新字体]] ([[当用漢字字体表]]や[[常用漢字表]])
で[[字体]]の異なるものもあります。現在は[[新字体]]を使って表記するのが普通です。
[344] [[斉衡]]は、[[斎衡]]とも表記されます。 (更にそれぞれの[[旧字体]]の[[齊衡]]や[[齋衡]]もあります。)
[376] 意図的なのか誤記なのか、あるいは同音の[[漢字]]の選択が緩い時代なのか、
[[異体字]]以外でも異なる[[漢字]]を使うものがあります。
古いものは[[異年号]]や[[私年号]]と呼ばれています。近年のものは誤記 (漢字の変換ミスなど)
でしょう。
[230] 『旧唐書』倭国日本国伝に現れる[[白亀]]は、
[[神亀]]の誤記と考えられています [SRC[>>225]]。
つまり表記のバリエーションに過ぎないのですが、
よく[[私年号]]に分類されています。
;; [417] 他の[[元号]]にも表記のバリエーションがみられることがありますが、
なぜかあまり[[私年号]]として挙げられることはないようです。
[275] 「正」と「承」など似た音でよく使われる文字がいくつもあるため、
誤って表記されることもあります。元号一覧・西暦対照表のようなものでもよく見ると間違っていることがあるので、
注意が必要です。
** 元号名と漢数字
[418] [[元号]]名に[[漢数字]]が含まれると、[[年]]数を[[漢数字]]で表記した時に区切り位置が不明瞭になるおそれがあります。
特に[[元号]]名の末尾が[[漢数字]]の場合は深刻です。
[419] 歴史的に各国で使われた[[元号]]の中には、[[万]]や[[萬]]が含まれるものもいくつかあります。
[[年]]が万単位になることは基本的にありませんし (将来の年を表す時に理論上はあり得ますが)、
「一万」のように「万」より前に数字が来るのが普通ですから、
これは問題にはならなそうです。
同様に[[私年号]]で[[京]]が含まれるものがいくつかありますが、
これも問題にはならなそうです。
[420] その他に、次の[[元号名]]が[[漢数字]]を含んでいます。
[FIG(list short)[
- [[天''一''国]]
- [[''五''鳳]]
- [[張''六'']]
- [[''六''璽]]
]FIG]
[471] 次の[[元号]]は、[[中国]]の (全土統一できなかった勢力の) [[元号]]ですが、
[[干支]]と衝突しています。
[FIG(list short)[
- [[丁丑]]
- [[庚寅]]
- [[庚子]]
- [[庚戌]]
]FIG]
[472] 他に[[十干十二支]]に使われる[[文字]]が含まれる[[元号]]として、
次のものがあります。
[FIG(list short)[
- [[''子''平]]
- [[常''己'']]
- [[''丑''平]]
- [[始建国地皇上''戊'']]
- [[始建国天鳳上''戊'']]
]FIG]
[473] 1年を表す「元年」の「元」、
1月を表す「正月」の「正」、
2日-9日の表記「初二日」等の「初」が含まれる[[元号]]は、
数多く存在します。[[保元]]のように最後の文字がそうであるものも沢山あります。
[474] 「明治''初''年」や「大正''末''年」、「昭和''末''期」、
「平成''前''期」のように[[元号]]に続けて使われる語の最初の文字や、
「年」、「月」などの[[日時]]表記の区切り文字、
その他関連文字も、次のようなものが[[元号]]に含まれることがあります。
[FIG(short list)[
- [[世]]
- [[中]]
- [[初]]
- [[年]]
- [[歳]]
- [[載]]
- [[後]]
- [[日]]
- [[星]]
- [[時]]
- [[紀]]
- [[端]]
- [[建]]
- [[閏]]
- [[金]]
]FIG]
;; [431] >>428 に[[漢数字]]等を含む[[元号]]名の一覧データファイルがあります。
** 読み
[363] [[元号]]は[[漢字]]で定義されます。[[日本]]の[[元号]]の読みは、
[[改元]]の[[詔書]]や[[政令]]では定義されていません。
[364] [[大正]]以降は、[[改元]]直後の[[内閣告示]]により、
読み ([[仮名]]表記) が明示されています。
;; [[大正]]、[[昭和]]、[[平成]]を参照。
[365] [[明治]]以前の[[元号]]の読みに法的根拠は無さそうです。
[[漢字]]の読み方の多様性や歴史的な[[発音]]の変化により、
複数の読み方が存在する[[元号]]も少なくありません。
(そうした読み方の違いが現役当時から存在したのか、
使われなくなって忘れ去られたり、その後の言語の変化により多様化したのかは不明瞭です。)
[366] 現在ではほとんどの場合[[現代仮名遣い]]により表記しますが、
歴史的には当然その当時の仮名遣いによりました。
従って[[濁音]]や[[半濁音]]であっても、[[濁点]]や[[半濁点]]を使っていないこともあります。
[367] 主要な[[元号]]は現代の発音が定まっているようですが
(歴史上主要な出来事に関して[[元号]]を使う歴史教科書などで[[読み仮名]]が明記されています)、
あまり使われないものは読みが揺れています。辞書類でも、
どの読みを[[見出し語]]とするのか、異なる読みとして何を挙げるのかにかなり差があります
[SRC[>>345]]。
[REFS[
- [345] [CITE[年号(元号)の読み方・西暦対照表(音訳の部屋)]]
([TIME[2015-11-29 17:43:26 +09:00]] 版)
<http://hiramatu-hifuka.com/onyak/rekisi/nenngo.html>
]REFS]
** 非漢字表記
[273] [[明治]]、[[大正]]、[[昭和]]、[[平成]]をそれぞれ頭文字で
「明」、「大」、「昭」、「平」や「M」、「T」、「S」、「H」
と省略することがあります。[[手書き]]や、申請書等の選択肢で列挙する場合などに特によく見かけます。
;; [274] それ以前の[[元号]]は、必要となる場面があまりないので見かけません。
同じ文字で衝突することが多いので、あまり古くまで拡張することはできません。
「慶」(慶応) など[[江戸時代]]末期の[[元号]]の省略形は稀に見かけます。
[SEE[ [[元号コード]] ]]
-*-*-
[297] [[漢字]]以外を用いた[[国]]では、その[[言語]]の[[文字]]で[[元号]]が表記されることがありました。
現在でも[[日本]]や[[東洋史]]に関する他の[[言語]]の記事等では、
その[[文字]]に[[転写]]して記載されることがあります。
[EG[
[644] [[清]]の[[元号]]は、[[満州文字]]でも表記されました [SRC[>>516]]。
]EG]
[59]
かつて[[日本政府]]が発行していた[[英文官報]]では、
[TIME[昭和23年][year:1948]]を「the twenty-third year of Showa」
のように表記していました。
[[日本政府]]機関は Showa と表記する例が多いですが、
Syowa と表記する場合もあります。
[SEE[ [[昭和]] ]]
[200]
[[日本政府]]機関の [[Webサイト]]の外国語版は特別に[[元号]]に言及する必要がなければ[[西暦]]を使うことが多いようです。
[SEE[ [[日本の暦]] ]]
[162] [[日本]]の[[国会図書館]]は、
「Meiji 14」 (明治14年)、
「Taisho 3」 (大正3年)
のように表記しています [SRC[>>161, >>163]]。
[173]
[[日本政府]]機関は[[平成]]を Heisei と表記しています [SRC[>>166, >>171, >>165]]。
[TIME[平成元年][year:1989]]を「Heisei 1」とした事例もあります [SRC[>>174]]。
[212] [[在メキシコ日本大使館]]の[[スペイン語]]文書は、
平成27年度 ([[会計年度]]) を
「año fiscal [I[Heisei]] 27 (1 de abril del 2015 - 31 de marzo del 2016)」
と表記していました [SRC[>>206]]。
[198]
[TIME[平成28年8月8日][2016-08-08]]の[[天皇陛下][明仁]]の[[お気持ち]]中の
「平成30年」
を、[[宮内庁]] [[Webサイト]]の英語翻訳版は
「the 30th year of Heisei」としていました [SRC[>>197]]。
[201]
[[在サンパウロ日本国総領事館]]の [[Webサイト]]の[[ポルトガル語]]版は
「29º Ano da Era Heisei」
のように表記しています [SRC[>>202]]。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[516] [CITE[モンゴル語の年号: 年号迷路]]
([TIME[2016-02-08 23:23:29 +09:00]] 版)
<http://gaowei.cocolog-nifty.com/nengo/2005/10/post_c23b.html>
]FIGCAPTION]
> 清の年号ですが、漢語とモンゴル語対照させて記述させていただきます。
]FIG]
- [161] [CITE[Evolution of the Meiji State : Outline | Modern Japan in archives]] ([TIME[2015-03-06 09:59:23 +09:00]]) <http://www.ndl.go.jp/modern/e/cha2/index.html>
- [163] [CITE[Taisho Democracy : Outline | Modern Japan in archives]] ([TIME[2014-06-30 15:47:11 +09:00]]) <http://www.ndl.go.jp/modern/e/cha3/index.html>
- [166] [CITE@ja[null]] ([TIME[2019-01-09 10:53:32 +09:00]]) <http://www.nasuheiseinomori.go.jp/en/>
- [171] [CITE@en[TOKYO NATIONAL MUSEUM - Exhibitions Heiseikan]] ([[東京国立博物館 -トーハク-]]著, [TIME[2019-01-09 10:53:24 +09:00]]) <https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=hall&hid=10>
- [174] [CITE[Heisei 1 Hakusyo]] ([TIME[2003-03-29 16:16:58 +09:00]]) <http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/heisei01/SEIBI/1SEIBI4.HTM>
- [206] [CITE[Apertura del Consulado General del Japón en León, Guanajuato]]
([TIME[28/01/2015][2015-01-28]],
[TIME[2015-01-29 08:31:31 +09:00]]) <https://www.mx.emb-japan.go.jp/sp/boletines/1502.pdf>
- [197] [CITE@en[Message from His Majesty The Emperor : Message from His Majesty The Emperor(August 8, 2016) (video) - The Imperial Household Agency]] ([TIME[2019-03-23 12:00:27 +09:00]]) <http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detailEn/12#41>
- [202] [CITE@pt[Atividades Consulares : Consulado Geral do Japão em São Paulo]] ([TIME[2019-02-01 01:41:11 +09:00]]) <https://www.sp.br.emb-japan.go.jp/itpr_pt/atividades_consulado.html>
]REFS]
** 元号名の衝突
[276] [[日本]]の政府が定めた[[元号]]は、いずれも固有の名称を持ち、衝突しません。
[277] [[私年号]]の中には、正式な[[元号]]と同名のものもあります。
[[日本]]の[[元号]]と[[日本]]以外の[[元号]]が衝突しているケースもいくつかあります。
[377] 次のものは、[[日本]]の[[元号]]と[[私年号]]で衝突しています。
多くは、古い時代の正式な[[元号]]と同名の[[私年号]]を気付かず使ってしまったように見えます。
[FIG(list short)[
- [[大同]]
- [[延徳]]
- [[宝徳]]
- [[明応]]
- [[正中]]
- [[正和]]
- [[正治]]
- [[永長]]
- [[長徳]]
]FIG]
[378] [[天政]]は、異なる時期の[[私年号]]・[[異年号]]として使われていたようです。
[379] 古代の年号に関する一部の文献や[[九州王朝]]説の支持者は、
[[白雉]]、[[朱鳥]]、[[大化]]を[[九州年号]]などとしています。
そのためこれらが[[私年号]]として挙げられることがあります。
正史上の[[元号]]と同名ですが、異なる[[年]]を意味すると主張されています。
更に、[[継体]]も[[九州年号]]・[[私年号]]とされますが、これは[[継体天皇]]擬似[[元号]]
(の「天皇」を省略した形) と衝突します。
[405] 次の[[元号]]は、[[日本]]と他国とで衝突しています。
[FIG(short list)[
- [[元和]]
- [[天平]]
- [[建徳]]
- [[正暦]]
- [[建武]]
- [[大宝]]
- [[明治]]
- [[正安]]
- [[仁平]]
- [[天暦]]
- [[正平]]
- [[文明]]
- [[天徳]]
- [[天授]]
- [[宝暦]]
- [[大正]]
- [[大同]]
- [[貞元]]
- [[安和]]
- [[天正]]
- [[承和]]
- [[昌泰]]
- [[仁寿]]
- [[保安]]
- [[延慶]]
- [[文治]]
- [[弘治]]
- [[貞観]]
- [[大治]]
- [[永治]]
- [[元亨]]
- [[天安]]
- [[天保]]
- [[承平]]
- [[嘉慶]]
- [[永徳]]
- [[天明]]
- [[明応]]
- [[永祚]]
- [[天和]]
- [[永暦]]
- [[正元]]
- [[永和]]
- [[乾元]]
- [[元徳]]
- [[天福]]
- [[正徳]]
- [[仁安]]
- [[永享]]
- [[天禄]]
- [[至徳]]
- [[天応]]
- [[明徳]]
- [[慶雲]]
- [[天元]]
- [[承安]]
- [[天慶]]
- [[神亀]]
- [[正治]]
- [[文安]]
- [[正和]]
]FIG]
[406] 次の他国の[[元号]]は、[[日本]]の[[天皇]]名の擬似[[元号]]と衝突しています。
[FIG(short list)[
- [[清寧]]
- [[神武]]
- [[武烈]]
- [[神功]]
]FIG]
[407] 次の[[元号]]は、[[日本]]の[[私年号]]と他国とで衝突しています。
[FIG(short list)[
- [[至大]]
- [[大同]]
- [[天晴]]
- [[大和]]
- [[文徳]]
- [[朱雀]]
- [[正法]]
- [[明応]]
- [[延寿]]
- [[正治]]
- [[徳昌]]
- [[永楽]]
- [[正和]]
- [[福徳]]
]FIG]
[408] 他に、かなり多数の[[元号]]が[[日本]]以外同士で衝突しています。
[456] 以上の[[中国]]の[[元号]]の衝突のうち、
([[元]]の[[大德]]、[[天曆]]、) [[明]]の[[弘治]]、[[正德]]、[[清]]の[[嘉慶]]は[[琉球]]で使われ、
[[日本]]の[[元号]]と衝突しています。[[明]]の[[永樂]]も[[日本]]の[[私年号]]と衝突しています。
[409] 同じ[[元号]]が3つ以上の意味で衝突していることも少なくありません。
最もよく使われているのは[[太平]]で、少なくても11種類あります。
次が[[建平]]で、少なくても9種類あります。
少なくても8種類あるのが[[建武]]などいくつかあります。
[410] [[元号]]と年数と[[干支]]の組み合わせでも衝突しているものがいくつかあります。
;; [421] [[日本]]とは違って[[中国]]等は新しい[[王朝]]が前の[[王朝]]を滅ぼし入れ替わっているので、
過去の[[元号]]との衝突を避ける意志は働かなかったのでしょう。
むしろ[[建武]]のように同じ建国を表す意味の[[元号]]が盛んに採用されています。
[[日本]]政府も[[中国]]との衝突を避ける意志が無かったと見受けられます
(中国の統一王朝の[[元号]]が後に[[日本]]で使われた例もあります)。
;; [475] こうした情報は、 >>315 のデータファイルに含まれています。
* 元号の変更
[256] [[元号]]を改めることを[[改元]]といい、[[改元]]の[[日]]を[[改元日]]といいます。
[182] [[元号]]制度内部での[[改元]]の他に、
[[元号]]の中断・再開や[[元号]]以外の[[紀年法]]への[[改元]]のような特殊事情が発生することもあります。
[SEE[ 改元の事情や手続き、境界の日時の処理、境界を超えた旧元号の扱いなど、[[改元]] ]]
* 元号の運用
[1045] [SEE[ 元号の制定と切り替えについて、[[改元]] ]]
** 元号の決定
[175] [SEE[ [[元号の選定]] ]]
** 元号の制定権と複数元号の併存
[278] 歴史的には、独立した権力を有する[[東洋]]の各国がそれぞれの[[元号]]を定め、
その領域で並行して使われていました。[[元号]]の制定権は独立した国家権力の象徴であり、
[[元号]]を使うことはその政府を支持する(勢力下にある)ことを意味していました。
[279] 政府が分裂したり、弱体化したりすると、国内でも複数の[[元号]]が使われることがありました。
[368] [[日本]]では、[[元号]]は[[天皇]]により定められています。
ただし実際の[[改元]]の判断や新[[元号]]の決定の過程には、
[[幕府]]等その時々の政権が介入しています。
現在は[[国会]]の議決により成立した[[元号法]]に基づき、
[[内閣]]が[[政令]]で定めることになっています。
([[政令]]の[[公布]]は[[天皇の国事行為]]。)
[386] [[中国]]の属国だった[[朝鮮]]は、ほとんどの期間、独自の[[元号]]を定めず、
[[中国]]の[[元号]]を使っていました。[[下関条約]]で独立が承認され、
ようやく[[元号の制定権を得ました][建元]]。
日中両属だった[[琉球王国]]は、[[中国]]の[[元号]]を主として使っていました。
[[琉球藩]]時代には[[日本政府]]から[[日本]]の[[元号]]を使うように要求されながらも拒み、
[[沖縄県]]時代にようやく[[日本]]の[[元号]]となりました。
-*-*-
[280] 中央政府が制定したと記録されていない[[元号]]を[DFN[[[私年号]]]]といいます。
[[日本]]の[[私年号]]は、一説には440以上あるともいいます。
他の国にも[[私年号]]があったようです。
[234] 元号の分裂にはいくつかのパターンがあるようです。
[FIG(list)[
- [281] 分裂した政府や新たに建国した政府が[[新しい元号を制定][建元]]する
- [282] 中央政府の[[改元]]に地方勢力が従わず、旧[[元号]]が継続される
- [284] 勢力統合による[[元号]]の廃止に一部勢力が従わず、廃止[[元号]]が継続される
- [283] 中央政府の支配が弱まり、地方勢力が[[新しい元号を制定][建元]]する
- [558] 中央政府の支配が弱まり、民衆の間で新しい[[元号]]が広まる
- [557] [[新興宗教]]が[[独自の元号を制定][建元]]する
]FIG]
[550] 属国が宗主国の[[元号]]を用いるようなケースを別にすると、
外交や貿易を除き、他国の[[元号]]を使うことは基本的にありません。
[[私年号]]も、利用者は国内の一部住民にとどまっています。
[639] ある政権の[[元号]]が[[私年号]]といわれるかどうかは、後世の判断によるところが大きいです。
短命に終わり反乱とみなされた政権の[[元号]]は[[私年号]]扱いされていますが、
全土を支配できなくても十分な規模で存続したとみなされる政権の[[元号]]は[[私年号]]とはいいません。
[EG[
[640] [[日本の元号]]のうち、[[北朝]]のものや[[南朝]]のものは、
統一政権ではありませんが、どちらも一応正式なものとして扱われています。
しかし[[後南朝]]のものは[[私年号]]に分類されています。
]EG]
[551] 近年の[[新興宗教]]の中には、国を越えて信者が広がっており、
かつ独自に[[紀年法]]を用いるものも見られます。
そうした[[紀年法]]は、国をまたがって使われる[[元号]]と言える場合もあるかもしれません。
;; [[統一教会暦]]参照。
[306] このように[[元号]]の選択は[[政治的]]で[[宗教的]]な行為であったりします。
しかしこれは実は[[暦法]]全般に言えることでもあります。
;; [[暦]]を参照。
[REFS[
- [225] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-13 18:25:40 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]REFS]
** 元号の再開
[SEE[ [[改元]] ]]
** 元号の途中開始
[SEE[ [[改元]] ]]
** 元号の終了
[559] [[元号]]の終了には次のようなパターンがあります。
[FIG(list)[
- [560] [[改元]]や新たな[[紀年法]]の採用により終了する。
-- [561] [[改元]]等の実施の法令により、(それが残ってさえいれば) 終了時期は明確。
-- 新たな[[紀年法]]は[[肅宗]]、[[監国魯]]、[[民国紀元]]など。
- [562] 適用地域全体が他勢力の支配下に入って終了する。
-- 平和的移行なら、その時期が明確にできることもある。
-- 戦乱で滅亡した場合などは地域内でも他勢力侵攻に時差があったり、
亡命政権が存続したりで終了時期を確定できないことが多い。
- [563] 適用地域の一部が他勢力の支配下に入って、その地域においては終了する。
-- 時期が明確にできたりできなかったりするのは前項の通り。
- [564] いつの間にか自然消滅する。
-- [[私年号]]は開始も終了も確定できないことが多い。
-- 日本の元号空白期の直前の[[元号]]、[[後南朝]]の[[元号]]なども。
]FIG]
* 元号と紀年法
[489] [[元号]]は[[紀年法]]の一種ともされますが、[[元号]]とそうでない[[紀年法]]
([[紀元]]) との違いは明確ではありません。
おおよそ次のような違いがあるようです。
[FIG(list)[
- [490] [[元号]]は、次の[[改元]]までの比較的短い期間のみ用いられる想定で制定されていると見られるが、
[[紀元]]はそのような意志を持たずに制定されていると見られる
- [493] [[元号]]は[[改元日]]が比較的明確に定められるが、[[紀元]]の開始の日は定められず、
過去に遡ってその[[紀元]]を使って日付を表すことができそうである
- [491] [[元号]]は[[元号]]名と併記されることが多く、[[紀元]]は年番号のみで表記されることが多そうだが、[[紀元]]名と併記されることもまた多いものもあるし、
[[元号]]であっても年番号のみで表記されるものもある
- [492] [[元号]]名は固定されていることが多いが、[[紀元]]名は表記揺れが多い
- [546] 「○○紀元」や「○○暦」という名前のものは[[元号]]ではない
- [531] [[漢]]の[[武帝]]の初期 (初の[[元号]]とされるもの数個) を除き、
[[元号]]には制定時点で名前が与えられている
- [495] [[国名]]を用いたものは[[元号]]ではなく[[紀元]]であるとされることが多い
- [496] 君主名に即位からの年数を添えるもの ([[在位紀年]])
は、特に[[元号]]として定められた場合を除き、[[元号]]ではないとされることが多い
- [530] 君主名と一致する名前を持ち在位期間と一致するものであっても、[[元号]]として制定されたなら[[元号]]である
-- [603] [[一世一元]]の[[元号]]で[[追号]]として使われるようなものは単なる[[在位紀年]]のようにも見えるが、[[元号]]である
- [528] その他[[元号]]として明確に制定されたものは[[元号]]だが、そうでないものも[[元号]]とされることがある
- [497] 政府が制定したかどうかは[[元号]]か否かには影響しない
- [498] 制定 ([[建元]]、[[改元]]) と元年が一致するか (少なくても1年以内ではあるか)
どうかが[[元号]]か否かに影響しそうだが、しないようにも見える
- [529] 元号にかわって制定されたからといって[[元号]]とは限らない
]FIG]
[494] 次の[[紀年法]]は、[[元号]]として扱われたり、[[元号]]に準じるものとして紹介されたりすることがある一方で、
[[元号]]ではない[[紀年法]]であるとされることもあります。
[FIG(list short)[
- [[共和]]
- [[崇禎紀元]]
- [[監国魯]]
- [[開国年号]]
- [[太平天囯]]
- [[共戴紀元]]
- [[民国紀元]]
- [[大韓民国]]
- [[越南民主共和]]
- [[越南共和]]
- [[檀君紀元]]
- [[主体暦]]
]FIG]
[499] [[私年号]](的な[[紀年法]])や[[フィクションの紀年法]]が[[元号]]であるのかどうか、
判断が分かれることがあります。
* 日本の元号
** 元号のない時代の扱い
[85] 対応表や変換ソフトウェアにおける[[元号]]のない時期の扱いは、それぞれです。
[FIG(list)[
- [86] 対象外とし、扱わないこととする
- [87] [[天皇]]名により「[VAR[○○]]天皇[VAR[n]]年」または「[VAR[○○]][VAR[n]]年」
のように表す
- [88] 「白雉後[VAR[n]]年」のように表す
-- [[大化]]より後のみ
- [412] 直前の[[元号]]が継続したとして扱う
-- [[大化]]より後のみ
- [413] 最初の[[元号]]の0年や負の年として扱う
-- [[大化]]のみ
]FIG]
[545] [[天皇]]擬似[[元号]] ([[在位紀年]]) は、[[日本書紀]]の記述を元に便宜上使用するものです。
ただし現在用いられる[[天皇]]名は[[日本書紀]]より後に[[淡海三船]]が決めた[[漢風諡号]]で、
[[日本書紀]]に記載があるわけではありません。
[209] [[大化]]以前には、
[[神武天皇]]から[[皇極天皇]]まで、[[神功皇后]]を含めて36個の擬似[[元号]]
([[在位紀年]]) があります。
[210] [[大化]]以後の[[元号]]欠落期間には、次の擬似[[元号]]があります。
[FIG(short list)[
- [[斉明天皇]]
- [[天智天皇]]
- [[天武天皇]]
- [[持統天皇]]
- [[文武天皇]]
]FIG]
[138] 天皇名を擬似[[元号]]とする場合、[[文武天皇]]を除き、改元は1月1日とされているようです。
前天皇の没年の翌年が元年となるようです。
;; [211] 後世に便宜上与えた[[年]]の名称なので、[[即位]]年月日とは無関係に扱いやすいよう定めたのでしょう。
[89] [[神功皇后]]も擬似[[元号]]として扱うのが普通です。
[[Wikipedia]] は「神功元年10月2日 - 神功69年4月17日」 (在位期間)
や「神功皇后69年4月17日」 (死去) のように表記しています [SRC[>>135]]。
「神功皇后摂政[VAR[n]]年」とも表記します。
[312] >>311 は[[神武天皇]]即位以前を擬似[[元号]]「神武天皇前」で表しています。
[[日本書紀]]の最初であるとする -666年 (紀元前667年) が元年 [SRC[>>313]]
([[神武東征]]開始の[[甲寅]]の年) で、7年まであります。
[REFS[
- [139] [CITE@ja[上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-11 20:13:52 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8F%A4%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E5%9C%A8%E4%BD%8D%E5%B9%B4%E3%81%A8%E8%A5%BF%E6%9A%A6%E5%AF%BE%E7%85%A7%E8%A1%A8%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7>
- [135] [CITE@ja[神功皇后 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-08 23:31:07 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E>
- [311] [CITE[和暦(わごよみ)]] ([TIME[2008-08-24 10:06:08 +09:00]] 版) <http://www.wagoyomi.info/wagoyomi.html>
-- [313] [CITE[和暦(わごよみ) 注記]] ([TIME[2015-08-07 11:59:51 +09:00]] 版) <http://www.wagoyomi.info/note.html>
]REFS]
[319] [[Wikipedia]] の[[孝徳天皇]]記事は645年を当初[[皇極天皇]]4年、
6月14日から19日まで[[孝徳天皇]]元年、6月19日から大化元年としています [SRC[>>318]]。
[[Wikipedia]] の他の記事 [SRC[>>322]] や元号一覧は[[大化]]開始日6月19日まで皇極天皇4年としています。
[325] >>323 も6月18日まで皇極天皇4年としています。
[321] [CITE[[[日本書紀]]]]に「天豊財重日足姫天皇の四年を改めて大化元年とす」とある
[SRC[>>320]] ので、6月19日まで[[皇極天皇]]4年と扱うのが適当に思われます。
途中5日間だけ[[孝徳天皇]]元年として扱うのは細かすぎます。
[316] [[Wikipedia]] の元号一覧および個別記事 [SRC[>>317]]
では、[[白雉]]の最終日は[[旧暦]]白雉5年10月10日
([[ユリウス暦]]654年11月24日) となっています (空白期開始日も同日)。
それ以後は擬似[[元号]][[孝徳天皇]]を使っています [SRC[>>318]]。
[324] >>323 も10月11日以後[[孝徳天皇]]10年としています。
[330] 崩御後年末までの事項を[[白雉]]元年とするものもあります [SRC[>>329]]。
しかし年末まで2ヶ月しかなく、[[孝徳天皇]]葬儀くらいしか出来事がなかったようで、
言及自体がそれほど多くはないようです。[[朱鳥]]の扱いと統一するなら、
年末まで[[白雉]]元年とし、翌年初から[[斉明天皇]]元年とするのが良いようにみえますが...
[REFS[
- [320] [CITE@ja[大化 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-19 14:26:18 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96>
- [317] [CITE@ja[白雉 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-19 14:08:54 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9B%89>
- [318] [CITE@ja[孝徳天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [322] [CITE@ja[645年 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-14 06:42:09 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/645%E5%B9%B4>
- [329] [CITE[古代史年表(欽明天皇~元明天皇)]] ([TIME[2016-01-19 15:27:53 +09:00]] 版) <http://www.ookuninushiden.com/newpage1.html>
]REFS]
[137] 斉明天皇7年7月24日/[[ユリウス暦]]661年8月24日) の[[斉明天皇]]崩御後[[中大兄皇子]]が[[称制]]しました。
その翌年662年が天智天皇元年とされています [SRC[>>136]]。
即位したのは天智天皇7年1月3日/[[ユリウス暦]]668年2月20日です [SRC[>>136]]。
各種対応表等もこれに従っているようです [SRC[>>138]]。
[REFS[
- [136] [CITE@ja[天智天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-06 22:37:16 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87>
]REFS]
[91] [[弘文天皇]]の即位日は[[旧暦]]天智天皇10年12月5日/[[ユリウス暦]]672年1月9日で、
671年を弘文天皇元年、672年を弘文天皇2年とする場合と、
672年を弘文天皇元年とする場合があるようです。
[134] [[Wikipedia]] その他 [SRC[>>132, >>133, >>323]]
は[[弘文天皇]]を擬似[[元号]]として使わず、
671年は天智天皇10年、672年は天武天皇元年としています。
[480] [[Wikipedia]] の日付記事では672年を[[弘文天皇]]元年かつ[[天武天皇]]元年と併記しています
[SRC[>>479, >>481]]。
[483] [[Wikipedia]] の[[天武天皇]]記事は、なぜか672年を[[弘文天皇]]元年、
673年を[[弘文天皇]]2年とし、以後[[天武天皇]]年としています。
(他と同じく[[天武天皇]]元年は672年です。)
[185] >>50 は673年を天武天皇元年としています。
[REFS[
- [132] [CITE@ja[壬申の乱 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-30 09:54:11 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1>
- [133] [CITE@ja[弘文天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-29 00:04:24 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [479] [CITE@ja[8月3日 - Wikipedia]] ([TIME[2016-02-06 00:46:25 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%883%E6%97%A5>
- [481] [CITE@ja[672年 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-14 06:53:06 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/672%E5%B9%B4>
- [482] [CITE@ja[天武天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2016-02-04 08:50:14 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[101] >>19
]FIGCAPTION]
> 「神武天皇」から「文武天皇」まで
> 『日本書紀』および『続日本紀』(ともに『日本国史大系』(吉川弘文館刊)収録のもの)の記述に従っています。
> (1)年号名および改元日が記されているものはそれによる(大化、白雉、朱鳥)。
> (2)年号がないものは天皇(または皇后)の名称を年号として用いる。この場合、各史料に元年と記された年の1月1日をもって年号を改める(即位日ではない)。ただし、持統天皇11年丁酉(日本書紀)と文武天皇元年丁酉(続日本紀)は同じ年であるため、この年は文武天皇の即位日から年号を「文武天皇」として扱う。なお、弘文天皇は入力のみ対応する(出力時は「天武天皇」)。
]FIG]
[93] 686年は[[朱鳥]]元年ですが、1年のみ [SRC[>>92]]
でその後[[元号]]が用いられなくなります。
687年は[[朱鳥]]2年とする場合もあります。
文献には[[朱鳥]]8年まで用例があります [SRC[>>92, >>269]]。
[[持統天皇]]元年を687年とすることが多いようですが、686年とするものもあります。
[[朱鳥]]がなかったことにしているものまであります。
[141] [[菟野讃良皇后]]は[[旧暦]]朱鳥元年9月9日/[[ユリウス暦]]686年10月1日から[[称制]]、
[[旧暦]]持統天皇4年1月1日/[[ユリウス暦]]690年2月14日に[[即位]]しています ([[持統天皇]])
[SRC[>>140]]。 [[Wikipedia]] の元号一覧はこの日を[[朱鳥]]最終日とし、
以後空白期にしています。
しかし他の記事では、残りの期間も[[朱鳥]]元年として扱っています [SRC[>>207]]。
[327] 他の対応表も686年末まで[[朱鳥]]元年、
687年初から[[持統天皇]]元年としています [SRC[>>323]]。
[208] [[Wikipedia]] は[[退位]]を[[旧暦]]持統天皇11年8月1日/[[ユリウス暦]]697年8月22日としています [SRC[>>140]]。
[143] 次の[[文武天皇]]は、[[即位]]が[[旧暦]]文武天皇元年8月1日/[[ユリウス暦]]697年8月22日です
[SRC[>>142]]。新[[元号]]の[[大宝]]は[[旧暦]]文武天皇5年3月21日/[[ユリウス暦]]701年5月3日からとされています。
[144] つまり697年は[[持統天皇]]11年かつ[[文武天皇]]元年とされています。
[326] 一方で持統天皇11年を置かず、初日から[[文武天皇]]元年とするもの [SRC[>>323]]
もあります。
[REFS[
- [92] [CITE@ja[朱鳥 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-11 11:49:32 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%B3%A5>
- [269] [CITE[null]] ([TIME[2014-08-09 23:32:00 +09:00]]) <http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000160.html>
- [140] [CITE@ja[持統天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%B5%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [142] [CITE@ja[文武天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [207] [CITE@ja[686年 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-06 08:09:59 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/686%E5%B9%B4>
]REFS]
[177]
なお、当時[[年]]を記述する際は[[干支紀年法]]を使っていました。
** 古代の私年号
[226] [[元号]]や正式に定められる前や、初期の不安定な時期に使われたといわれる[[私年号]]は多数あります。
それらを[DFN[[[逸年号]]]]ということもあります。
しかしそのほとんどは後世の作と考えられています [SRC[>>225]]。
[170] [[Wikipedia]] の[[日本の元号]]の一覧は、
[[私年号]]のうち[[白鳳]]と[[朱雀]]だけ特別に掲載しています。
それぞれ、[[白雉]]と[[朱鳥]]の別名 (ただし異説もあり) [SRC[>>225]] とされています。
[227] [[法興]] (元年 = 591年、31年以上存続) も実在したことは間違いない [SRC[>>225]] とされています。
-*-*-
[224] [[大和朝廷]]とは異なる[[九州王朝]]が存在したと考える人は、
[[九州王朝]]の[[元号]]を[DFN[[[九州年号]]]]や[DFN[[[倭国年号]]]]と呼んでいます。
次のような[[元号]]が挙げられています [SRC[>>228]]。
[[正史]]の[[元号]]と同名であっても、別の[[年]]とされています。
[FIG(list short)[
- [[継体]]
- [[善化]]/[[善記]]
- [[正和]]
- [[発倒]]/[[教到]]
- [[僧聴]]
- [[同要]]/[[明要]]
- [[貴楽]]
- [[結清]]/[[法清]]
- [[兄弟]]
- [[蔵和]]
- [[師安]]
- [[和僧]]
- [[金光]]
- [[賢接]]/[[賢稱]]
- [[鏡當]]
- [[勝照]]
- [[端政]]
- [[従貴]]/[[告貴]]
- [[煩転]]/[[願転]]
- [[光元]]
- [[定居]]
- [[倭京]]
- [[仁王]]
- [[聖徳]]
- [[僧要]]
- [[命長]]
- [[常色]]
- [[白雉]]
- [[白鳳]]
- [[朱雀]]
- [[朱鳥]]
- [[大化]]
- [[大長]]
]FIG]
[649] [[九州年号]]説を信じる人達は、同様の[DFN[百済年号]]として[[明雲]]、[[白雲]]を挙げています
[SRC[>>648]]。
[552] これらの[[元号]]は、[[九州王朝]]説以前から伝わる[[逸年号]]を、
[[大和政権]]とは異なる[[政権]]の[[紀年法]]として再編したものです。
しかし[[九州王朝]]説は根拠に乏しく、
支持されていません。
-*-*-
[229] 他にもいくつか古代の[[私年号]]があります [SRC[>>225]]。
[REFS[
- [228] [CITE@ja[九州王朝説 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-13 03:42:23 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC#.E4.B9.9D.E5.B7.9E.E5.B9.B4.E5.8F.B7.E8.A1.A8>
- [231] <http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/NENGO.htm>
- [232] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2001-01-17 03:06:39 +09:00]] 版)
<http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
- [233] <http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[648] [CITE[百済年号の発見]]
([TIME[2016-12-10 11:18:30 +09:00]])
<http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga20.html>
]FIGCAPTION]
> 読みや解釈は難しく、今後の課題としたいが、いくつかの注目すべき点がある。一つは「明雲廿六年」「白雲元年」という年号である。文脈から改元を意味していることから、年号であることは間違い無い。同村に伝わる百済王伝説からすれば百済年号である可能性が高い。
]FIG]
]REFS]
** 昌泰
[119] [[Wikipedia]] その他は寛平10年4月26日
([[ユリウス暦]]898年5月20日)から昌泰4年7月15日
([[ユリウス暦]]901年8月31日)までとしています。
[120] [[Wikipedia]] は開始日について「4月16日(5月10日)、8月16日(9月5日)の説もある」
としています。
** 源平合戦期
[150] [[平安時代]]末期には、[[関東]]の[[源頼朝]]勢力や[[西国]]の[[平氏]]勢力が中央の[[改元]]に従わない時期がありました。
[145] 対応表等では、[[源平合戦]]期の[[元号]]について、併記するか、
[[平氏]]側の[[改元]]も[[源氏]]側の[[元号]]も採用しているようです。
[FIG(table)[
:西暦: [[西暦]]
:時期: 時期
:平氏: [[平氏]]
:京都: [[京都]]
:源氏: 関東
:備考: 備考
:西暦: 1181年
:平氏: 治承5年
:京都: 治承5年
:源氏: 治承5年
:西暦: 1181年
:時期: 治承5年7月14日
:平氏: 養和元年
:京都: 養和元年
:源氏: 治承5年
:備考: [[養和]]に[[改元]]
:西暦: 1182年
:平氏: 養和2年
:京都: 養和2年
:源氏: 治承6年
:西暦: 1182年
:時期: 養和2年5月27日
:平氏: 寿永元年
:京都: 寿永元年
:源氏: 治承6年
:備考: [[寿永]]に[[改元]]、