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[1] [[ミャンマー]]の[[標準時]]は、 [TZ[+06:30]] です。
* 変遷
[FIG(table)[
[FIGCAPTION[
[15] [[ミャンマーの標準時]]の変遷の概略
]FIGCAPTION]
:t: 時期
:ヤンゴン: [[ヤンゴン]]
:タイ: 旧[[タイ]]領
:t: [TIME[1858][year:1858]]
:ヤンゴン: [[地方時]]
:タイ: [TZ[+06:41:59.[RUBY[3][・]]][+06:41:59.333]]
:t: [TIME[1892][year:1892]]
:ヤンゴン: [[地方時]]
:t: [TIME[1905-07-01]]
:ヤンゴン: [TZ[+06:30]]
:タイ: [TZ[+06:30]]
:t: [TIME[1941-12-24]]
:ヤンゴン: [TZ[+07:30]]
:タイ: [TZ[+07:30]]
:t: [TIME[1942][year:1942]]
:t: [TIME[1943][year:1943]]
:タイ: [TZ[+07:00]]
:t: [TIME[1945-11-28]]
:ヤンゴン: 冬 [TZ[+06:30]] 夏 [TZ[+07:30]]
:タイ: 冬 [TZ[+06:30]] 夏 [TZ[+07:30]]
:t: [TIME[1992][year:1992]]
:ヤンゴン: [TZ[+06:30]]
:タイ: [TZ[+06:30]]
:t: [[tzdata]]
:ヤンゴン: [CODE[Rangoon][Asia/Rangoon]]
]FIG]
** 英領時代
;; [84] [TIME[1852年][1852]]、第二次[[英緬戦争]]の結果、
[[ビルマ王国]]の半分は[[英領インド]]に併合されました。
[78] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
元の[[地方時]]を [TZ[+06:24:40]]、 [TIME[1880年][1880]]を境に[[標準時]] [TZ[+06:24:40]]
としています。 [TZ[+06:24:40]] は [[Rangoon]] の[[報時球]][[観象台]]の[[経度]]とされています。
[SRC[>>77]]
;; [83] [TIME[1886年][1886]]、第三次[[英緬戦争]]の結果[[ビルマ王国]]は滅亡し、
[[英領インド]]に併合されました。
[111] [TIME[1905年7月][1905-07]]の報告によると、
[[英印]]政府は[[ビルマ]]の鐡道および電信の標準時を
[TZ[+06:30]] としました [SRC[>>110]]。
[24] [TIME[1905年6月30日と7月1日の間の真夜中][1905-06-30T24:00]]、[[鉄道]]と[[電信]]における[[印度標準時]]と[[ビルマ標準時]]が施行されました。
[[印度標準時]]は、 Madras 時間より9分早い時間でした。
[[ビルマ標準時]]は、 Rangoon 時間より5分23秒早い時間でした。 [SRC[>>23]]
[8] つまり元の Rangoon 時間は [TZ[+06:35:23]] ということになります。
>>78 とは逆なので、実際は5分23秒遅い時間だったとすると、
[TZ[+06:24:37]] ということになります。
[269] 1905年末の時点で、[[ビルマ]]の[[標準時]]は [TZ[+06:30]] だったといいます [SRC[>>268]]。
[79] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1920年][year:1920]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
[95] [TIME[1920年/大正9年][year:1920]]の >>94 は、[[蘭貢]] ([[ラングーン]])
の[[時差]]を [TZ[+06:30]] としています。
;; [96] [TIME[1937年][year:1937]]、[[英領ビルマ]]は[[英領印度]]から分離されました。
[6] [TIME[1941年12月21日 (日曜日)][1941-12-21]] 付け[[新聞記事]]によると、
戦時下を理由に[[ビルマ時間]]水曜日午前2時0分に1時間進めて[[日光節約時刻]]を実施することとしました [SRC[>>5, >>7]]。
つまり[TIME[1941年12月24日2時0分][1941-12-24T02:00+06:30]]に [TZ[+07:30]]
に移行したものと思われます。
[20] これがいつ[[標準時]]に復帰したのか (しなかったのか) は不明です。
** 独立国時代
;; [86] [TIME[1942年3月8日][1942-03-08]]、[[ビルマ独立義勇軍]]と[[日本軍]]は[[首都]]の[[ラングーン]]を制圧しました。
[TIME[1943年5月][1943-05]]には、[[ビルマ]]全体を制圧しました。
これにより[[英領ビルマ]]は一旦滅亡しました。
[80] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1942年5月][1942-05]]を境に [TZ[+09:00]] としています [SRC[>>77]]。
しかしその根拠は示されていません。
[14] 1943年、東部の一部 (旧[[タイ]]領土) が[[タイ]]に割譲されました。
この地域では[[タイの標準時]] [TZ[+07:00]] に切り替えられた可能性があります。
;; [85] [TIME[1943年 (昭和18年) 8月1日][1943-08-01]]、[[ビルマ国]]が独立しました。
[100]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[緬甸]]は [TZ[+06:30]] となっています [SRC[>>106]]。
ただし戦時中 [TZ[+09:00]] が用いられたことが知られている他の地域も、
開戦前の[[時間帯]]のままで記載されていますから、実態を反映しているのかどうかは不明です。
[18] [[Wikipedia]] の[[ビルマ国]]記事は、[[時間帯]]を [TZ[+06:30]]
としています [SRC[>>17]]。しかしその根拠は示されていません。
[19] [[tzdata]] は[[東南アジア]]の他の地域と同様に戦時中に [TZ[+09:00]]
が使われていたとしていますが、出典は示していません。[[日本軍]]は共通の[[軍用時]]を
[TZ[+09:00]] と定めていましたから、おそらく[[ビルマ]]の部隊もそれを用いていたのでしょうが、
[[ビルマ]]の[[標準時]]が [TZ[+09:00]] に改められたのかどうかはまた別の問題です。
[[日本軍]]の[[英領ビルマ]]への進攻は、[[ビルマ]]の独立勢力と共に行われたもので、
実際1年後に[[軍政]]を終了して[[ビルマ国]]として独立しています。
[[ビルマ国]]では[[西暦]]にかえて[[ビルマ暦]]を推進する動きこそあれ、
[[日本の元号]]や[[皇紀]]は (現地人は) 使わなかったようです ([[ビルマ暦]]参照)。
[[日本]]の[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] が使われたとする根拠は今のところ不明です。
;; [87] [TIME[1945年3月27日][1945-03-27]]、[[ビルマ国民軍]]が[[クーデター]]を起こしました。
;; [88] [TIME[1945年5月2日][1945-05-02]]、[[英軍]]が[[ラングーン]]を制圧しました。
[81] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1945年5月3日][1945-05-03]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
[10] [TIME[昭和20年10月8日][1945-10-08]]の[[ビルマ]]方面に展開していたらしき部隊に対する[[日本軍]]内文書には、
[[英軍]]からの指示が「[[印度時間]]」で記述されています [SRC[>>9]]。
詳しい事情は不明ですが、[[英印軍]]が[[ビルマ]]に進駐し、
作戦行動に[[印度時間]]を用いていたのでしょうか。
[[印度]]では[TIME[14日][1945-10-14]]まで戦時夏時刻 [TZ[+06:30]]、
[TIME[15日][1945-10-15]]から標準時 [TZ[+05:30]]
が用いられたようですが、この「[[印度時間]]」がいずれなのかは不明です。
;; [16] [[タイ]]領となっていた[[英領ビルマ]]の旧[[タイ]]領地域は、再び[[英領ビルマ]]となりました。
[288] [CITE[THE BURMA CODE VOLUME IV]] には、 [TIME[1945年11月28日][1945-11-28]]の
[CITE[[RUBYB[1945年ビルマ日光節約法]@en[Burma Daylight Saving Act, 1945]]]]
が収録されています [SRC[>>287]]。[[官報]]での[[告示]]により、
[[ビルマ標準時]]より1時間進んだ[[夏時刻]]を実施できる、と規定されています。
;; [289] 実際に[[夏時刻]]がいつ実施されたのかは不明です。
;; [89] [TIME[1948年][year:1948]]、[[ビルマ連邦]]が独立しました。
その後[[ビルマ連邦社会主義共和国]]、[[ビルマ連邦]]を経て[[ミャンマー連邦]]となりました。
[12] 1974年には、[[ビルマ]]の[[大統領]]が[[マレーシア]]を訪問し、
[[空港]]で1時間進めた、との記事があります [SRC[>>11]]。当時の[[マレーシアの標準時]]は
[TZ[+07:30]] で、[[ビルマの標準時]]は [TZ[+06:30]] です。
[298] [TIME[1992年2月19日][1992-02-19]]制定の1992年[[国家法令復古評議会]]法律第1号
[CITE[[RUBYB[法律群を廃止する法律]@en[The Law for the Repeal of Laws]]]]
には[CITE[[RUBYB[ミャンマー日光節約法]@en[The Myanmar Daylight Saving Act]]]]
が挙げられています [SRC[>>297]]。長年未使用で今後も予定がないため廃止する[[法令]]の一覧にあり、
1945年法と1946年法の間に掲載されているため、 >>288 の[CITE[1945年ビルマ日光節約法]]を指すと思われます。
[91] 現在の[[ミャンマー]]政府は、[LON[東経97度30分][97.30E]]の時刻 ([TZ[+06:30]])
が[[標準時]]と説明しているようです [SRC[>>90, >>92]]。
**
[REFS[
- [23] [CITE@en-GB[The China Mail, 1905-06-22 - MMIS]] ([TIME[2016-07-09 22:40:05 +09:00]]) <https://mmis.hkpl.gov.hk/coverpage/-/coverpage/view?p_r_p_-1078056564_c=QF757YsWv59DctgXZxe9o04vhIeAClRn&_coverpage_WAR_mmisportalportlet_hsf=standard+time>
- [110] [CITE[印度新標準時採用]] (地学雑誌 Vol. 17 (1905) No. 9 P 683, [TIME[2016-05-02 19:32:05 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/17/9/17_9_683/_article/-char/ja/>
- [268] [CITE[世界に於けるグリニチ子午線を基礎とせる標凖時採用の現况]] (地学雑誌 Vol. 18 (1906) No. 10 P 689-695, [TIME[2016-06-20 20:51:41 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/18/10/18_10_689/_article/-char/ja/>
- [94] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 海事年鑑. 大正9年]] ([TIME[2016-04-04 23:23:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933094/17>
- [5] [CITE[Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING IN BURMA - The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser (1884-1942), 22 December 1941, Page 1]] ([TIME[2016-07-09 01:01:24 +09:00]]) <http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19411222-1.2.16.aspx>
- [9] [CITE[策参第26号 集結地外行動制限に関する件通牒 昭和20年10月8日 等]] ([[アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records]]著, [TIME[2016-10-17 22:56:42 +09:00]]) <https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14060358500>
-- [21] 旧 [CITE[策参第26号 集結地外行動制限に関する件通牒 昭和20年10月8日 等]] ([TIME[2016-07-31 16:38:01 +09:00]]) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060358500>
- [7] [CITE[Newspaper Article - BURMA DAYLIGHT SAVING]] ([TIME[2016-07-09 01:06:19 +09:00]]) <http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19411222-1.2.30.aspx>
- [106]
-- [105] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和14年]] ([TIME[2016-04-05 01:18:04 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255562/26>
-- [104] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和15年]] ([TIME[2016-04-05 01:15:31 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255573/26>
-- [103] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和16年]] ([TIME[2016-04-05 01:13:30 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184177/27>
-- [102] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和17年]] ([TIME[2016-04-05 01:11:48 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184172/26>
-- [101] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和18年]] ([TIME[2016-04-05 01:02:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184175/27>
-- [97] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和19年]] ([TIME[2016-04-05 00:55:37 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184173/26>
- [17] [CITE@ja[ビルマ国 - Wikipedia]] ([TIME[2016-08-27 23:36:51 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E5%9B%BD>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[287] [CITE[THE BURMA CODE VOLUME IV]] ([TIME[2013-09-20 02:17:03 +09:00]]) <http://www.unionsupremecourt.gov.mm/sites/default/files/supreme/the_burma_code_vol-iv.pdf#page=161>
]FIGCAPTION]
> THE BURMA DAYLIGHT SAVING ACT. *
> [Burma Act XXX, 1945.] (28th November 1945.)
> Whereas it is expedient in the interest of public health and welfare
that provisions should be made to enable the time for general purposes to be
advanced periodically by an hour:
> * * * *
> It is hereby enacted as folllows:―
= This Act may be called the Burma Daylight Saving Act, 1945.
= The President of the Union may, by notification in the [CITE[Burma Gazette]],
order that, for the duration of a term specified therein, the time for
general purposes shall be one hour in advance of the Burma Standard Time.
= Whenever any reference to a point time occurs in any enactment,
order, regulation, rule, by-law, deed, notice or any other document, the time
referred to shall, during the period specified under section 2, be deemed to
be the time for general purposes.
> * Published in J.di.ial Department Notification No. 69, dated the 28th November 1945
([CITE[Burma Gasette]], 1945 Part I, page 42).
]FIG]
- [13] [CITE[Burma Daylight Saving Act 1945]] ([TIME[2016-05-22 20:14:30 +09:00]]) <http://www.asianlii.org/mm/legis/code/bdsa1945215/>
- [11] [CITE[Newspaper Article - BANG ON TIME AN HOUR 'BEHIND']]
([TIME[1974年5月25日][1974-05-25]]、[TIME[2016-07-31 16:48:55 +09:00]]) <http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19740525-1.2.149.aspx>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[297] [CITE[The State Law and Order Restoration Council The Law for the Repeal of Laws (The State Law and Order Restoration Council Law No. 1/92) The 1st Waning Day of Tabodwe, 1353 ME (19th February, 1992)]]
( ([TIME[2016-05-22 20:16:14 +09:00]]))
<http://www.asianlii.org/mm/legis/laws/lftrollaorcln192657.pdf>
]FIGCAPTION]
> (70) The Myanmar Daylight Saving Act;
]FIG]
- [77] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-04-04 21:52:20 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L270>
- [90] [CITE@en[Myanmar Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-03-20 19:49:50 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Myanmar_Standard_Time>
- [92] [CITE@my[မြန်မာ စံတော်ချိန် - ဝီကီပီးဒီးယား]] ([TIME[2016-03-04 22:37:54 +09:00]] 版) <https://my.wikipedia.org/wiki/%E1%80%99%E1%80%BC%E1%80%94%E1%80%BA%E1%80%99%E1%80%AC_%E1%80%85%E1%80%B6%E1%80%90%E1%80%B1%E1%80%AC%E1%80%BA%E1%80%81%E1%80%BB%E1%80%AD%E1%80%94%E1%80%BA>
]REFS]
* 識別子
[2] [[tzdata]] は [DFN[[CODE[Asia/Rangoon]]]] を定義しています。
* 周辺地域
[3] [[東南アジアの標準時]]も参照。
[4] [[印度の標準時]]、[[タイの標準時]]も参照。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22] [CITE[「果てのないカレンの武装抵抗」-ビルマ(ミャンマー)辺境 3 Yuzo's Photo World Reportage Page Karen Story 3]]
([TIME[2008-07-21 18:20:15 +09:00]])
<http://www.uzo.net/report/repo_txt_j/karen/karen_3.htm>
]FIGCAPTION]
> 時計はほとんど役に立たない山の生活だが、
> 国境を越えた習慣として腕時計を30分遅らせ、ビルマ時間に合わせる。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[25] [CITE[ビルマ作戦(大東亜戦史 タイ進駐開始からビルマ軍政施行まで) (陸軍省企画 朝日新聞社発行 昭和17年11月刊) 航空部隊の作戦(ビルマ作戦4)]]
([TIME[2016-01-18 08:58:30 +09:00]])
<http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/burma/burma4.htm>
]FIGCAPTION]
> 三月二十一日を期して荒鷲は一斉に決起、二十二、二十三の三日間猛烈な航空撃滅戦をやった。
> 敵は全くわが罠にかかった。大胆な、しかし確実な、昼間奇襲だった。
> わが荒鷲は昼食を十分食べて出動したが、ビルマ時間は二時間四十分遅れているので、彼等はちょうど昼飯時だった。
]FIG]