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[1] [DFN[永長]]は[[日本の元号]]の1つです。
[[公年号]]として1種、[[私年号]]として2種の、
計3種類が確認されています。
* 永長 (公年号)
[6] [[平安時代]] [[堀河天皇]] [TIME[西暦1096年][1096]]、[TIME[1097年][1097]]
* 永長 (江戸時代文化年間)
[3]
[[江戸時代]]
([TIME[文化14(1817)年][1817]])
の[[江戸]]で[[改元デマ]]がありました。
[SEE[ [[永長の改元デマ]] ]]
* 永長 (江戸時代天保年間)
[2]
「永長元[SUB[丁]]酉暦」
と書かれた[[大小暦]]の[[絵暦]]があります。
[TIME[天保8年][year:1837]]のものとされています。
[SRC[>>54]]
[5] >>2 >>60 加賀 >>4 美濃 : 近くはありますが、かなり広範囲です。
[10] >>9 陸奥!
[REFS[
- [54] [CITE[暦と年号]],
[[岡田芳朗]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月][2008-01]]号 特集 日本の年号, pp. 124-131
]REFS]
-- [60]
[CITE[「[[亀光元年]]」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=13>
-
[13]
[CITE@ja-JP[墨俣町史 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-21T15:00:18.247Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3016849/1/273>
-
[12]
[CITE@ja-JP[墨俣町史 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-21T14:56:15.666Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3016849/1/391>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE[[[墨俣町史]] - Google ブックス]],
[TIME[1956]],
[TIME[2021-04-16T05:55:30.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=a2pAAQAAIAAJ&focus=searchwithinvolume&q=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>病名は知れざるも現在の赤痢の如し、その流行ぶりは特にはげしく死亡者も多く
出たれば、ひそかに年号を改め、天保八年を永長元年と私年号をつけた万延二年
六月墨俣輪中に疫病流行す。明治十九年六月下旬墨俣村に虎烈拉病の患者発生す
。
>天保七年十一月一日多くの乞食が墨俣に集結した。亦同八年三月、四月には墨俣
宿に盗人のそうどうが起つた。その上同八年には疫病が流行したので、ひそかに
私年号を永長とつけ、天保八年を永長元年といつた)鶏石春秋には天保飢饉の ...
>... 輪中一門私年号十四日大風保二十二三軒倒。"十日より一ヶ月島石は毎日白粥二
斗づつ人命救うためほどこす。州月明月九泊月月九侯月本日线“误导町大御吴邪九
「の地 OOOOOO 二四 O 二 O 四 OO 二 O 四 OOO 四 O 十四八八八七六狂月干月 ...
]FIG]
[14]
>>13 >>12 輪中一円で天保8年を永長元年としたとのこと。史料は何かあるのだろうけど、
通史、年表とも特にそれを示してはいない。
[7] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-21T13:59:46.226Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>永長 - 天保8年(1837年) 不明 加賀藩の豪商木谷藤右衛門らが使用[7]。この年号を持つ絵暦あり[8]。
>
^ 「はじめてみつかった“永長”私年号」(『石川県社会教育会館だより』第113号、1977年、NCID AA11922555)
>^ 岡田芳朗 「暦と年号」(『歴史読本』第53巻第1号(通巻823号)、新人物往来社、2008年1月、NCID AN00133555)
[9] [CITE[『福島県史料情報』第63号 - shiryojoho63.pdf]], [TIME[2022-06-28T01:07:25.000Z]], [TIME[2022-12-21T14:06:34.665Z]] <https://www.fcp.or.jp/history/uploads/2022/06/shiryojoho63.pdf#page=2>
陸奥国伊達郡大石村
「永長元年丁酉五月」
「永長元年丁酉六月」
[11]
>>9 利用者が正月から五月まで江戸に滞在し帰郷したところとのこと。
>>9 はどこで改元情報に接触したか明確にしていない (材料がない)。
陸奥国内とも限らず、江戸ないし帰路で得たという可能性も?
* メモ