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[1] [[日本の標準時]]を現行のものから改変したり、
[[夏時刻]]を導入したりする提案は、
[[大正時代]]から大小含めて綿々と続けられてきました。
[[昭和のサンマータイム]]を除けばいずれも失敗に終わりました。
* 改正案の分類
[230]
改正案には次のようなものがあります。
- [1010] 全国[[夏時刻]] (季節性): 夏季のみ時刻を変更する (年に2回切り替える) もの
- [1020] 全国[[通年夏時刻]]: 時刻を変更し以後それに固定するもの
- [1030] [[時間帯]]分割
-- [1031] 東西2分割: [[本州]]で東西2分して互いに異なる時刻を使うもの
-- [1032] 東中西3分割: 東・北の一部地域と西・南の一部地域の時刻を変更するもの
-- [1033] [[北海道標準時]]: [[北海道]]の時刻を変更するもの
-- [1034] [[西部標準時]]: [[沖縄]]の一部または全部の時刻を変更するもの
- [1040] その他の時刻制度
[126] [[欧米]]で実施されている[[夏時刻]]を導入するべきとの提案は、
[[欧米]]での開始直後から現在まで度々行われています。
[11] [[第二次世界大戦]]の停戦後、
旧[[大日本帝国]]の多くの[[領域][国の領域]]では[[夏時刻]]制が導入されましたが、
生活習慣に合わないなどの理由でいずれも数年で廃止されています。
[SEE[ [[東アジアの標準時]] ]]
[[日本本土]]でも一度実施された後、すぐに廃止されました。
しかしその後も再実施の提案は跡を絶ちませんでした。
* 大正時代
[514] [[欧米]]での[[夏時刻]]制実施を受けて、[[日本]]国内でも同様の[[夏時刻]]を実施するべき、
あるいは[[日本]]版[[夏時刻]]制度を創設するべきといった議論が行われました。
しかし賛成派が主流となることはなく、ついに実施には至りませんでした。
[24] [TIME[大正5年][year:1916]]の学会誌[CITE[天文月報]]では、
[[欧州]]の[[夏時刻]]実施が[[曙光利用法案]]として紹介されています
[SRC[>>713]]。紹介者はかなり批判的で、[[科学者]]を無視して愚策を実施している
[SRC[>>713]]と怒ってすらいそうですが、
次号では一応賛成意見も紹介しています [SRC[>>26]]。[[日本]]の[[科学者]]も賛否両論だったのでしょう。
この当時はその他にも[[夏時]]や[[日光利用法案]]、[[夏時法]]、[[夏期時刻]]といった訳語が用いられていた
[SRC[>>5]] ようです。 [[summer time]] 系統と [[daylight saving time]] 系統の語がどちらも同時に輸入され、
それぞれもまたどう翻訳するべきか決め兼ねていた様子が見て取れます。
;; [249]
[TIME[大正5(1916)年7月26日][1916-07-26]]、
[CITE[読売新聞]]は[[欧州]]各国の[[夏時刻]]実施を報じました。
([CITE[欧文電報時刻 一時間繰上げる]]という電報の送信時刻に関する注意記事で、
[[日本政府]][[逓信省]]を情報源としていました。)
[248]
[TIME[大正6年3月][1917-03-28]]、
[CITE[読売新聞]]は[[欧米]]で
「「[RUBY[日光節約法][デーライトセーヴイング]]」と云ふ一種の精力主義が素敵に流行」
していると紹介し、
「やがては我國の活動家にも口にされる」だろうと予想しました。
[SRC[>>246]]
戦時下の欧米のような燃料問題は日本にはないとしながらも、
[[日本]]に当てはめて電気・ガスとその燃料費の節約になると指摘しました。
加えて、
「すべての健康の第一の原則は早起きにあると云ふことが動かすべかざる眞理」であり、
とくに近代人の視力低下は灯光による目の疲れが主因であるため、
太陽と共に寝起きすれば目は悪くならない、
としました。
記事は欧米の制度の紹介とそれを日本社会に当てはめた分析という体であり、
記者あるいは[[読売新聞社]]の賛否は明記されていませんでしたが、
記者がこの新制度を魅力的に感じていたことは明らかで、
とても好意的に紹介されていました。
[711] [[平山清次]]は[TIME[大正7年12月][1917-12]]の講演で、
1時間ずつ一度に変更するのではなく、短時間ずつ徐々にずらしていく方式を日本で採用することを提案しました
[SRC[>>712, >>715, >>716, >>717]]。[[夏時刻]]は ([[天文台]]が[[夏時刻]]に対応さえすれば)
いつも通りに[[時報]]に合わせて[[時計]]を調整するだけで実現可能であり、
([[暦法改良]]や[[度量衡]]統一と比べて) 大した負担はないと認識していました [SRC[>>712]]。
;; [718] この時期にかなり短期間で[[欧米]]のほぼすべてで[[夏時刻]]が導入され、
[[平山清次]]も[[文明国]]でまだ導入していないのは[[日本]]だけだと煽っています。
21世紀にも [[G8]] の中で[[夏時刻]]を用いないのは[[日本]]だけであり、導入するべきだと主張する人がおり、
なかなか興味深い。
[438] [TIME[大正13年][year:1924]]と[TIME[昭和4年][year:1929]]には、
[[関東州]]の[[商人]]が[[夏時刻]]の実施を提案していました。
;; [[関東州の標準時]]参照。
* 昭和時代初期
[708] 昭和3,4年頃には、[[鳩山一郎]]が提案していたようです [SRC[>>508, >>353, >>706]]。
本人が[[内閣書記官長]]時代に提案したと語っています [SRC[>>508]] が、
[[鳩山一郎]]は[TIME[1927年4月20日][1927-04-20]]-[TIME[1929年7月2日][1929-07-02]]に[[内閣書記官長]]を務めていました。
[1277]
[TIME[昭和4年6月27日][1929-06-27]]、
[[日本政府]]の[[内閣書記官長]]の[[鳩山一郎]]は、
定例[[事務次官会議]]において[[サンマー・タイム]] [TZ[+11:00]]
を実施することを提案しました。
参加した事務次官は「大体これに賛成」し ([[黒田英雄]][[大蔵次官]]のぼやきが新聞に掲載されていますが、
積極的反対ではなかった模様。)、各省で調査して第2回会議を行い、
新しい[[法令]]に基づき[TIME[昭和4年7月20日][1929-06-27]]から実行することを目指していました。 [SRC[>>1274]]
[1278]
当時既に米英で導入されていた[[夏時刻]]を[[日本]]にも導入し、
「早起き早寝主義」で[[節電]]にもなるとされていました。
鉄道当局も賛同していましたが、
警視庁は市民にとって不便だとして「極力大反対」
していました。
電力当局は節電効果に疑問を呈していました。
その他新聞には2時間という点に反対する工場従業員の声や、
十分な検討が必要だとした[[三井物産]]のコメントが掲載されていました。 [SRC[>>1274]]
[1275] 後世の文書は笑いものにされた [SRC[>>353]]
としているものもありますが、本人談 [SRC[>>508]] ではそこまでひどい扱いをされたような感じでもありません。[[夏時刻]]の提唱者が当初馬鹿にされたという逸話は[[外国]]にもあるようで、
まったくあり得ない話でもありませんが、要職についている鳩山の真面目な提案が、
公然と嘲笑されるとは考えにくいものです。
;; [383] しかしまあ現代でも低俗な[[マスメディア]]は[[安倍晋三]]や[[麻生太郎]]のような現職の[[総理大臣]]を低能だなどと人格攻撃していますから、
当時もそういうことはあったかもしれません。
;; [1276] ところが[TIME[2018年][year:2018]]の[[東京五輪]]のための[[夏時刻]]導入を巡る[[森喜朗]]と[[安倍晋三]]の動きを見ていると、
そうした気持ちもわかってきますし、
実際 [[Twitter]] などでは公然と嘲笑、というか呆れられる事態になっております。
[158]
[TIME[昭和4年7月2日][1929-07-02]]、
[[田中義一内閣]]は[[満州某重大事件]]の影響で[[内閣総辞職]]しました。
[[鳩山一郎]]も[[内閣書記官長]]を[[辞職]]し、
[[夏時刻]]実施は頓挫しました。
-*-*-
[512] [TIME[1932年5月][1932-05]]の[[学会誌]][CITE[天界]]では、
[[夏時刻]]について各界関係者が賛否両論を述べていました [SRC[>>508]]。
[82]
[TIME[1932年9月][1932-09]]の[[国際天文学連合]]第4回総会の Commission 31 (Time)
会合で、[[東京天文台]]長の[[[RUBY[早乙女清房][そうとめきよふさ]]][早乙女清房]]は、
「Immediate abolition of the Summer Time.」を提案しました。
[SRC[>>83, >>98]]
[683] [TIME[昭和25年][year:1950]]の[[国会]]で、[[東京交通労働組合]]の[[飯塚愛之助]]が15年ほど前
(つまり[TIME[昭和10年][year:1935]]頃) に[[サムマー・タイム]]を主張していた [SRC[>>682]] と証言しています。
-*-*-
[709] [TIME[昭和13年4月20日][1938-04-20]]、
[[京都帝国大学]]の[[山本一淸]]は[[内閣]]に[[通年夏時刻]]
[TZ[+10:00]] の実施を提案していました。 [SRC[>>417]]。
([TIME[1932年][year:1932]]時点では反対していた [SRC[>>508]] ようですがw、
通年なら良いということでしょうか。)
[1281]
[TIME[昭和13(1938)年5月][1938-05]]、
[[日本政府]]の[[大蔵次官]]の[[石渡荘太郎]]は、
[[夏時刻]]の実施を提案しました。 [SRC[>>1279]]
[TIME[5日][1938-05-05]]の次官会議で出席者の賛同を得て、
[[企画院]]で実施策を練ることになりました
[SRC[>>93]]。
[247]
[CITE[讀賣新聞]]は[[社説]]で絶賛しました [SRC[>>93]]。
しかし各方面からの反対で実現しませんでした [SRC[>>1279]]。
「夏の夜眠れぬ西日本方面」から反対の声が上がり、
大きな話題となりました [SRC[>>152]]。
[275]
[TIME[5月31日][1938-05-31]]、[[山本一淸]]は[[新聞]]に寄稿し、
手間がかかる季節性[[夏時刻]]よりも[[通年夏時刻]]が有効で、
[[臺灣]]や[[滿洲]]や[[支那]]に倣って[[内地]]でも実施するべきだと主張しました。
[SRC[>>152]]
[151]
[TIME[6月11日][1938-06-11]]に[[新聞]]に掲載された農民の抗議意見は、
都会の役人には[[日光節約時間]]は有効かもしれないが、
農民は[[日の出]]前から[[日の入り]]後まで働いており、
節約するべき時間などない、としていました。 [SRC[>>150]]
-*-*-
;; [1285] [[第二次世界大戦]]の[[欧州戦線]]では、
[[英仏]]両国が[[夏時刻]]期間を延長し、
敵対する[[独国]]も[[夏時刻]]を導入するなど、
戦時[[夏時刻]]体制に移行していました。
[714] [TIME[1940年][year:1940]]、資源節約のために[[夏時刻]]の導入が検討されたものの、
実施には至らなかったといわれています [SRC[>>667]]。
[1282]
[TIME[1940年2月1日][1940-02-01]]、
[[日本政府]]の[[次官会議]]は、
[TIME[5月1日][1940-05-01]]から[[夏時刻]] [TZ[+10:00]]
を実施することとし、
各省・[[法制局]]で研究することとしました。
[[節電]]目的のもので、
「今後の研究の中心」は[[鉄道]]のダイヤや[[法令]]・[[商取引]]上の取扱いであると報道されました。
[SRC[>>1279]]
[1286]
[TIME[3月][1940-03]]には議案が提出されました [SRC[>>1270]]。
[1987]
[[天文学者]]の[[平山清次]]は、
[CITE[読売新聞]]において、
以前 (>>711) から主張していた漸進的な[[夏時刻]]への切り替えを提案しました。
1日当たり1分で60日で合計1時間、あるいは90日かけて合計1時間半の時間を進めるというものでした。
欧米では鉄道の連絡が複雑で発着時刻變更が困難であるが、
本方式なら実現可能であり、日本が率先して採用するべきだと主張しました。
学術分野では[[世界時]]を使えばよいと考えていたようです。
[SRC[>>1986]]
[1989]
[TIME[1940年3月][1940-03]]、
[[京都帝国大学]]の[[天文学者]]の[[山本一淸]]は、
平山の提案手法では学者や交通・通信関係者などの混乱は避けられないとし、
「“標準時變更法”といふ新方法」すなわち[[通年夏時刻]]への見解を質しました。
[SRC[>>1986]]
[1289] [TIME[1941年5月][1941-05]]、
[[京都帝国大学]]の[[天文学者]]の[[山本一淸]]は、
日光節約のための[[標準時]]變更 ([[通年夏時刻]]) が世界の趨勢であり、
時局に鑑み早急に実施するべきと主張し、
[[日本政府]]は優柔不断だと批判しました [SRC[>>424]]。
;; 山本は[[満州国]]や[[中華民国]]も[[通年夏時刻]] [TZ[+09:00]] を導入するべきと主張していました
(そして実現しました)。[[大東亜の標準時]]を参照。
[1985]
[TIME[1942年10月1日][1942-10-01]]、
[[日本政府]]の[[鉄道省]]は、
[[24時間制]]を採用しました。
[[省鉄]]のみならず、
[[私鉄]]や[[鉄道]]以外の業界にも採用が広がっていきました。
;; [[24時間制]]参照。
[1299]
[TIME[昭和18年3月][1943-03]]の[[帝国議会]]には、
[[本初子午線]]を[[東京]]に変更するべきとの[[請願]]が提出されました。
しかし影響が大きすぎるとして採用されませんでした。
;; [[本初子午線]]参照。
[1288]
[TIME[昭和18(1943)年7月29日][1943-07-29]]の[CITE[讀賣新聞]]のコラム「波長」は、
毎年提案される[[夏時刻]]が今年は提案されないとし、
「米英流」である[[夏時刻]]は時計の針を進めて自分に嘘をつくもので、
時代遅れで空虚だと痛烈に批判しました。 [SRC[>>252, >>1287]]
-*-*-
[744] [TIME[1944年2月][1944-02]]の[[新聞]]報道によると、
[[軍需省]][[電力小委員会]]は、[[夏季時間]]制度の導入を含む提言書を提出しました
[SRC[>>745]]。
-*-*-
[419] [[台湾]]、[[満州]]、[[支那]]、[[香港]]では[[第二次世界大戦]]頃に[[中央標準時]](相当)を[[標準時]]に採用しており、
これは[[夏時刻を通年採用][通年夏時刻]]したものと捉えることもできます。
;; [[大東亜の標準時]]参照。
[302] [[第一次世界大戦]]から[[第二次世界大戦]]の間に[[欧州]]で[[夏時刻]]は普及し、
[[アジア]]でも複数の地域で採用されていました。[[中国大陸]]でも都市によっては実施されています。
[[日本]]の[[夏時刻]]は [[GHQ]] の指示によるものと言われていますが、
[[日時]]や[[度量衡]]の世界的な標準化と改良は当時の時代の流れでしたから、
[[第二次世界大戦]]が起こっていなければ[[日本]]でも国内からの提案で[[夏時刻]]制度が実施されていた可能性はあります。
[1758] その一方で、
[[国民]]にありとあらゆる犠牲を含む戦争協力を求めた[[第二次世界大戦]]中にあっても、
関係各局で度々提案された[[夏時刻]]が実施されなかった (できなかった)
ということは、
[[夏時刻]]の実施のハードルがそれだけ高かった、
あるいは十分なメリットがみられなかったとも受け取れます。
[EG[
[1759] 例えば厳しい[[灯火管制]]が敷かれた状態の方が、
[[夏時刻]]を導入するより[[照明]]のための消費電力が少なかったのかもしれません。
]EG]
[1964]
ところで、[[西部標準時]]地域や[[外地]]をどう扱おうとしていたのか、
山本の提案以外は言及していません。
自然に考えれば[[西部標準時]]地域も同様に1時間ないし2時間加えるのでしょうが、
[[西部標準時]]廃止後は[[地方時]]と2時間ないし3時間の時差が生じてしまうことになり
[WEAK[(せっかく統一したのにまた分割するということもないでしょう)]]、
大変不便になったことでしょう。
[[満州国]]も[[日本]]から強い要請があれば同調したでしょう
[WEAK[(同調しない場合[[関東州]]は難しい判断を迫られそうです)]]。
現実の[[夏時刻]]実施でも諸勢力の足並みが揃わなかった[[中華民国]]
([SEE[ [[中国大陸の標準時]] ]])
では、
地理的にかなり無理のある日本夏時間に合わせるのは政治的に難しそうです。
[[内地]]の[[夏時刻]]化が強行されていれば、
日満支[[経済ブロック]]のせっかくの[[標準時]]統合が水の泡となってしまうところだったかもしれません。
[1965]
[[大東亜戦争]]の開戦後に至っては、
[[南洋]]各地に展開する[[日本軍]]の[[軍用時]]が[[中央標準時]]でしたし、
[[南方占領地]]が [TZ[+09:00]] を[[標準時]]として採用した地域もありました。
[[中央標準時]]はもはや事実上の[[大東亜の標準時]]となっていました。
[[内地]]の都合で[[夏時刻]]を実施したところで、
[[大東亜]]全体がそれに追随した (できた) とも思えず、
軍にも少なからず混乱がもたらされたはずです。
[REFS[
- [713] [CITE[天文月報]] ([TIME[2006-12-19 17:02:18 +09:00]]) <http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1916/pdf/191607.pdf>
- [246]
[CITE[[RUBY[[[日光節約]]][につくわうせつやく]]の[RUBY[新運動][しんうんどう]] ◇[RUBY[歐米][おうべい]]では[RUBY[燃料問題][ねんれうもんだい]]のために ◇[RUBY[日本][にほん]]では[RUBY[産業][さんげふ]]と[RUBY[健康][けんかう]]とのために]]
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[大正六年三月廿八日][1917-03-28]], 五面
- [26] [CITE[天文月報]] ([TIME[2006-12-19 17:02:20 +09:00]]) <http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1916/pdf/191608.pdf>
- [712] [CITE[天文月報]] ([TIME[2006-12-19 17:02:34 +09:00]]) <http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1917/pdf/191801.pdf>
- [715] [CITE[天文月報]] ([TIME[2006-12-19 17:02:36 +09:00]]) <http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1917/pdf/191802.pdf>
- [716] [CITE[天文月報]] ([TIME[2006-12-19 17:02:36 +09:00]]) <http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1917/pdf/191803.pdf>
- [717] [CITE[null]] ([TIME[2008-01-19 18:50:17 +09:00]]) <http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1918/pdf/191806.pdf>
- [1105] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 「時」展覧会記事]] ([[大阪府立岸和田中学校]]著, [TIME[大正7][year:1918]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958283/92>
- [5] [CITE[暦法及時法 - 平山清次 - Google ブックス]] ([TIME[2014-09-06 14:08:26 +09:00]] 版) <http://books.google.co.jp/books?id=88p29z44kzoC&hl=ja&pg=PP5#v=onepage&q&f=false>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[508] [CITE[夏期時制是非]], [CITE[天界]]
([TIME[1932-05-25]], [TIME[2012-11-22 18:04:50 +09:00]])
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/161975/1/tnk000134_223.pdf>
]FIGCAPTION]
> 文部大臣 鳩山一郎氏
> 私は田中内閣の書記官長時代に, 何かの本でサンマ・タイムのことを知り,
日本でも實施したらどうかと考へ, つぎの次官會議へ僕から提議したもので
す. すると, 皆もそれはよい事で, 一つ調べて見てはといふ事になり, まづ
鐡道方面の調査を初めようといふ段になって内閣がつぶれたゝめ自然消滅に
終つたことがありました. サンマ・タイムを實施するとして,一番簡單なの
は學校ですが, やるからには各方面とも連絡をとって行きたい.
]FIG]
- [83] [CITE[1932BuBIH...4..391. Page 399]] ([TIME[2018-12-30 10:27:44 +09:00]]) <http://adsbit.harvard.edu//full/1932BuBIH...4..391./0000427.000.html>
- [98] [CITE['''['''tz''']''' 1932 IAU Commission on Time: abolish Summer Time]] ([TIME[2018-12-30 02:30:41 +09:00]]) <https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-December/027328.html>
- [417] [CITE[東亞の標準時政策を論ず]]
([[山本, 一淸]]著、[TIME[1938-04-25]]、[TIME[2013-01-08 18:03:31 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167658/1/tnk000205_213.pdf>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[93]
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和十三年五月七日][1938-05-07]], 三面
]FIGCAPTION]
>
[BOX(vertical)[
[BOX(ccnter)[
[SMALL[社説]]
「夏期時間制」
の問題
]BOX]
五日の次官會議で夏[RUBY[期][き]]に[RUBY[限][かぎ]]り一
時間だけ時[RUBY[計][けい]]を[RUBY[進][すす]]めるいはゆる
「[RUBY[夏期時間制][サンマータイム]]」が石渡大蔵次官か
ら[RUBY[提唱][ていせう]]せられ、出[RUBY[席][せき]][RUBY[者][しや]]いづれも[RUBY[賛][さん]]
[RUBY[意][い]]を[RUBY[表][へう]]したので、[RUBY[企][き]]畫[RUBY[院][ゐん]]でその實
施案を[RUBY[練][ね]]ることになつたといふことである。
夏[RUBY[期][き]]時間[RUBY[制][せい]]の[RUBY[提唱][ていせう]]は一九〇七年
に[RUBY[始][はじ]]まるのであるが、その實施は
[RUBY[歐][おう]]州大[RUBY[戰][せん]]中の一九一六年に[RUBY[英][えい]]國が
法[RUBY[律][りつ]]を[RUBY[制][せい]]定してからのことであ
る。[RUBY[爾][じ]]來この案は各國に[RUBY[採][さい]][RUBY[用][よう]]せら
れ、米獨墺伊の[RUBY[諸][しよ]]國みなこれを實
施した。大[RUBY[戰][せん]]後になつてもこの[RUBY[制][せい]]
度は[RUBY[廢][はい]]止せられず、[RUBY[英][えい]]國は一九二
五年に[RUBY[永][えい]]久法として[RUBY[每][まい]]年四月より
十月に[RUBY[至][いた]]るまで實施し、ベルギー、
オランダ、スペイン、カナダ等も
それ〱新立法をなしてこれに[RUBY[倣][なら]]
つた。米国は[RUBY[戰][せん]]時中から[RUBY[反][はん]][RUBY[對][たい]][RUBY[論][ろん]]が
[RUBY[多][おほ]]く、今日では東北の[RUBY[諸][しよ]][RUBY[州][しう]]に行は
れてゐるだけで[RUBY[普][ふ]][RUBY[遍][へん]]的には行はれ
ないが、一[RUBY[般][はん]]的に[RUBY[見][み]]て[RUBY[戰][せん]]時の[RUBY[臨][りん]]時
[RUBY[措][そ]][RUBY[置][ち]]から平時の[RUBY[制][せい]]度に直り、可な
りの[RUBY[範][はん]][RUBY[圍][ゐ]]に行はれてゐるのである
から、今日これが[RUBY[問][もん]][RUBY[題][だい]]になつたか
らといつて、[RUBY[別][べつ]]に異とするには足
りないのである。
次官會議で[RUBY[提唱][ていせう]]された夏[RUBY[期][き]]時間
[RUBY[制][せい]]の[RUBY[理][り]]由は、主として事[RUBY[務][む]]能率の
[RUBY[增][ぞう]][RUBY[進][しん]]にあるらしいのであるが、[RUBY[英][えい]]
國が大[RUBY[戰][せん]]中に[RUBY[採][さい]][RUBY[用][よう]]したのはむしろ
燃[RUBY[料][れう]][RUBY[節][せつ]][RUBY[約][やく]]の必[RUBY[要][えう]]からであつた。け
だし同國は發[RUBY[電][でん]]の殆ど[RUBY[全][ぜん]][RUBY[部][ぶ]]が火
力であり、[RUBY[戰][せん]][RUBY[爭][さう]][RUBY[勃][ぼつ]]發と共に[RUBY[採][さい]][RUBY[炭][たん]][RUBY[勞][らう]]
働力の不足、[RUBY[運][うん]][RUBY[輸][ゆ]]機關の調[RUBY[節][せつ]]等か
ら、石[RUBY[炭][たん]]の消[RUBY[費][ひ]]を極力[RUBY[節][せつ]][RUBY[減][げん]]する必
[RUBY[要][えう]]があり、その[RUBY[對][たい]][RUBY[策][さく]]として實行さ
れたのである。
この[RUBY[點][てん]]から[RUBY[見][み]]れば水力發[RUBY[電][でん]]を主
とするわが國では、[RUBY[根][こん]]本的の事[RUBY[情][ぜう]]
を異にするのであるが、元來[RUBY[英][えい]]國
でこれを主[RUBY[唱][せう]]したウイリアム・ウ
イレツトの[RUBY[意][い]][RUBY[見][けん]]も[RUBY[精][せい]]神的な能率と
休[RUBY[養][やう]]とにあつたのであり、夏[RUBY[期][き]]に
は[RUBY[早][さう]]朝に仕事の能率のあがること
は自明の[RUBY[理][り]]なのであるから、國民
一[RUBY[般][はん]]に[RUBY[緊][きん]][RUBY[張][ちふ]]を[RUBY[要][えう]]する今日、思切つ
てこれを實施することは、とかく
に[RUBY[弛][し]][RUBY[緩][かん]]しがちな國民を引締める上
からも相當の[RUBY[効][かう]]果が[RUBY[期][き]]待されるの
である。
たゞこゝに[RUBY[注][ちう]]意すべきは時間變
[RUBY[更][かう]]の及ぼす[RUBY[影][えい]][RUBY[響][けう]]の大きいことであ
る。[RUBY[鐵][てつ]][RUBY[道][だう]]時間[RUBY[表][へう]]の如き直[RUBY[接][せつ]]生活に
關係あるものは當然として、現に
[RUBY[恒][こう]]久的にこれを實施してゐる[RUBY[英][えい]]國
においても、[RUBY[天][てん]]文臺の觀[RUBY[測][そく]]や潮汐
の[RUBY[表][へう]][RUBY[示][し]]等につき尚ほ[RUBY[普][ふ]]通時間に[RUBY[據][よ]]
つてゐる[RUBY[例][れい]]から[RUBY[見][み]]ても、[RUBY[簡][かん]]單な思
つきだけで出來ることではないの
である。
夏[RUBY[期][き]]時間の[RUBY[採][さい]][RUBY[用][よう]]に關聯して、[RUBY[役][やく]]
所の夏[RUBY[期][き]]半休[RUBY[制][せい]][RUBY[廢][はい]]止も當然斷行さ
るべきである。民間[RUBY[企][き]]業の[RUBY[例][れい]]から
[RUBY[見][み]]ても、半休[RUBY[廢][はい]]止はとくの[RUBY[昔][むかし]]に實
行さるべきものなのであるが、特
に昨年[RUBY[支][し]][RUBY[那][な]]事變の起つた當時に、
[RUBY[政][せい]]府としてはこれを斷行すべきで
あつた。國民に[RUBY[對][たい]]して[RUBY[非][ひ]][RUBY[常][ぜう]]時[RUBY[認][にん]][RUBY[識][しき]]
を強調し、[RUBY[勤][きん]][RUBY[勉][べん]]と困苦を[RUBY[覺][かく]][RUBY[悟][ご]]せよ
と[RUBY[要][えう]][RUBY[求][きう]]しながら、[RUBY[役][やく]]人だけは夏休
の外に[RUBY[暑][しよ]]中半休を[RUBY[繼][けい]]續するといふ
のは、[RUBY[餘][あま]]りにも身勝手なことだか
らである。
半休[RUBY[廢][はい]]止は國民[RUBY[精][せい]]神[RUBY[総][そう]][RUBY[動][どう]][RUBY[員][いん]]を[RUBY[呼][こ]]
號する手前からも當然斷行さるべ
きものなのであるが、現實に[RUBY[政][せい]]府
が努力しようとしてゐる[RUBY[貯][ちよ]][RUBY[蓄][ちく]][RUBY[奨][せう]]勵
[RUBY[運][うん]][RUBY[動][どう]]の方法としても、[RUBY[即][そく]]行すべき
必[RUBY[要][えう]]がある。
[RUBY[每][まい]]年夏[RUBY[期][き]]に[RUBY[郵][いう]][RUBY[便][びん]]局が半日となる
爲に、[RUBY[郵][いう]][RUBY[便][びん]][RUBY[貯][ちよ]]金の出し入れに如何
に不[RUBY[便][べん]]を[RUBY[感][かん]]じ時間を空[RUBY[費][ひ]]してゐる
かは[RUBY[公][こう]]然の事實である。[RUBY[貯][ちよ]][RUBY[蓄][ちく]][RUBY[奨][せう]]勵
に乘出すならば、先づ[RUBY[貯][ちよ]]金の方法
を[RUBY[簡][かん]][RUBY[便][べん]]にする必[RUBY[要][えう]]がある當の大
蔵次官はこの[RUBY[點][てん]]に[RUBY[氣][き]]づいてゐるの
かどうか。
夏[RUBY[期][き]]時間[RUBY[制][せい]]の採用大に可なり。
同時に[RUBY[役][やく]]所の[RUBY[執][しつ]][RUBY[務][む]]時間をも民間並
みになすべし。これ國民の[RUBY[常][ぜう]][RUBY[識][しき]]で
ある。
]BOX]
]FIG]
- [426] [CITE[我が國に日光節約法を實施せよ]] [[山本, 一淸]]著,
[TIME[1938-05-25]] ([TIME[2013-01-08 18:03:34 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167676/1/tnk000206_233.pdf>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[152]
[CITE[[RUBY[夏期時刻][サンマー・タイム]]に優るもの]],
[[理學博士]] [[山本一淸]],
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和十三年五月三十一日][1938-05-31]] 夕刊 4ページ
]FIGCAPTION]
>
時間節約に「ストツプの赤
信號」が突如夏の夜眠れぬ西日本
方面から揚げられ、この反對論
が大部世間の話題になつてゐる
ので日光節約原則の熱心なる主
張者山本一淸博士の意見を求め
て見る…。
[164] 山本の意見概要:
- [172] 非常時だから是非日光節約法を実施するべき。
- [180] いわゆるサンマー・タイムと混同されがちだが、
山本の日光節約法は異なる。
- [212] 山本の主張は[[通年夏時刻]]。
臺灣、滿洲、北支、内蒙、メキシコ、チリ、ロシヤ、シカゴ市で実施済みの良案。
- [213] 夏季時刻法は欧米で実施していたが、
手間がかかり、国内に実施しない団体があったりして、
混乱が激しいため中止する地域も出てきた。
米国でも色々議論されている。
- [227] 高緯度で昼の長さの季節差が大きい欧州とは違い、
日本はそこまで大きくない。混乱を招くサンマー・タイムより[[通年夏時刻]]が良い。
- [228] [[内地]]は[[通年夏時刻]]を実施するべき。
臺灣、滿洲、支那は実施済みだから、[[内地]]に追随する必要はない。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[150]
[CITE[読者眼: 農民からの抗議]],
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和十三年六月十一日][1938-06-11]] 朝刊 2ページ
]FIGCAPTION]
>
[BOX(vertical)[
[SNIP[]]
[RUBY[役][やく]]人の
[RUBY[思][おも]]ひつきから色々な[RUBY[計][けい]]畫が次か
ら次へと發[RUBY[表][〓う]]される。日光[RUBY[節約][せつやく]]、
[SNIP[]]
▽日光[RUBY[節約][せつやく]]は成る[RUBY[程][ほど]]、朝[RUBY[寢坊][ねぼう]]
な都會人には必[RUBY[要][えう]]であらう。
[RUBY[殊][こと]]に[RUBY[役][やく]]人には[RUBY[絶対][ぜつたい]]必[RUBY[要][えう]]であると
[RUBY[認][みと]]める。併しわれ〱農民は、
[RUBY[殊][こと]]に夏の農[RUBY[繁期][はんき]]においては朝太
陽の未だ出でざるに起き出で、
夜は太陽が[RUBY[沈][しづ]]んでもまだ働いて
居る。何處に[RUBY[節約][せつやく]]すべき時間が
あり得よう。
[SNIP[]] (新農生)
]BOX]
]FIG]
- [1986] [CITE[Kyoto University Research Information Repository: 日光利用法について]]
([TIME[25-Mar-1940][1940-03-25]] [TIME[2018-03-23 14:44:50 +09:00]]) <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167984>
- [424] [CITE[宇宙を觀る, 人生を觀る : 卷頭隨筆 : 曆時制と天文學 (時と曆の特輯)]]
[[山本, 一淸]]著、 [TIME[1941-05-01]] ([TIME[2013-01-15 18:03:09 +09:00]] 版) <http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/168207/1/tnk000240_169.pdf>
- [252]
[CSECTION[波長]],
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和十八年七月二十九日][1943-07-29]] 夕刊, 一面
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[353] [CITE[横溝正史事典]]
([TIME[2007-01-25 14:39:50 +09:00]] 版)
<http://homepage2.nifty.com/a-to/jiten.htm>
]FIGCAPTION]
> 特別夏期時間、夏季の間、1時間づつ時計を進めて、早朝の涼しい間を利用して仕事の能率を上げようとする制度。昭和3年書記官長の鳩山一郎が提言したが笑殺された。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[706] [CITE[日本にサマータイムは必要なの? | ログ速@2ちゃんねる(net)]]
([TIME[2017-08-14 23:22:42 +09:00]])
<https://www.logsoku.com/r/2ch.net/geo/1116383587/>
]FIGCAPTION]
> 61 : 名無しさん@お腹いっぱい。'''['''''']''' 投稿日:2005/12/17(土) 13:10:07 ID:k9bD+vxA '''['''1/1回''']'''
> 1929/06/27,昭和4/06/27
> 鳩山一郎がサマータイムの7月実施を提案する。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[667] [CITE@ja[サマータイム(サマータイム)とは - コトバンク]]
([[ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,知恵蔵,朝日新聞掲載「キーワード」,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,人事労務用語辞典,ワイジェイFX用語集,デジタル大辞泉プラス,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典内言及]]著, [TIME[2017-08-12 18:24:02 +09:00]])
<https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0-69722>
]FIGCAPTION]
> 日本は1940年(昭和15)燃料節約のうえから問題にされたことがあったが立ち消えとなった。
> 出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
]FIG]
- [745] [CITE[新聞記事文庫 : 産業経済新聞 1944.2.15]] ([TIME[2017-08-22 21:59:21 +09:00]]) <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10028782&TYPE=HTML_FILE&TRUE_TYPE=IMAGE_FILE&POS=1>
- [682] [CITE[参議院会議録情報 第007回国会 労働委員会 第7号]] (昭和二十五年三月十七日(金曜日) [TIME[2016-02-24 01:00:02 +09:00]]) <http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0808/00703170808007a.html>
- [1270] [CITE@ja[70年前の日本で実施されていた「サマータイム」が廃止された理由]] (2018/08/7 16:46 Kota Hatachi Kota Hatachi 籏智 広太 BuzzFeed News Reporter, Japan [TIME[2018-08-07 19:21:33 +09:00]]) <https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/summer-time-1948?utm_term=.ao5ZKaYgg#.gejPwmzee>
-- [1274] [CITE[朝日新聞]] [TIME[昭和4年6月28日][1929-06-28]]
-- [1279] [CITE[読売新聞]] [TIME[1940年2月2日][1940-02-02]]
-- [1287] [CITE[読売新聞]] [TIME[1943年7月][1943-07]]
]REFS]
* 昭和のサンマータイム
[317] [[日本]]の[[本土]]では、
[TIME[昭和23年][year:1948]]から[TIME[昭和26年][year:1951]]まで、
[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] を1時間進めた[[夏時刻]] [TZ[+10:00]]
が実施されました。
[43] [[米国支配下の琉球]]では、
[TIME[1948年][year:1948]]から[TIME[1951年][year:1951]]までに[[夏時刻]]
[TZ[+10:00]] が実施されました。
[100]
しかし様々な矛盾が国民の生活に大きな負担をかけ、
日に日に反対の声が高まっていきました。
[[夏時刻]]はわずか4年で廃止されました。
[SEE[ 詳細は[[昭和のサンマータイム]] ]]
* 昭和中期
[600] [[夏時刻]]が廃止された後、しばらく再導入を主張する者はいなかったようです。
[250] 海外事情として[[夏時刻制度]]が紹介されることはたまにあったようです。
例えば[TIME[昭和38(1963)年5月16日][1963-05-16]]の[CITE[読売新聞]]には、
[CITE[ [世界探訪]アメリカ [[サマー・タイム]]に苦情続出]]
という記事が掲載されました。
この記事のようなネガティブな紹介ばかりではありませんでしたが、
日本でも、という動きにはなりませんでした。
* 昭和後期から平成の夏時間運動
[66]
再び[[夏時刻]]賛成派が目立つようになったのが[[石油危機]]でした。
その後[[資源節約]]、
[[ゆとり]]、
[[地球温暖化]]防止、
[[京都議定書]]目標達成、
[[東日本大震災]]後の電力不足対策、
[[東京五輪]]、
[[働き方改革]]と[[時代]]に応じて少しずつ主張をすり替えながら、
根強く実施を狙い続けています。
;; [251]
[[石油危機]]以前に賛成派がどれだけいたのかは不明です。
目立った動きは知られていません。
平成末期まで延々と繰り返された[[夏時間]]導入運動の端緒となったのは[[石油危機]]でした。
[908] 何度か[[政府]]の委員会や[[国会議員]]の会合で取り上げられ、
[[法案]]提出直前までこぎつけたこともありましたが、
結局いずれも色々な理由でフェードアウトしているようです。
[796] [[21世紀]]に入ってからは、
本来の[[夏時刻]]の即時導入は難しいと判断したのか、
[[夏季営業時間]]制を[[日本版サマータイム]]などと呼称して小規模な実証実験を繰り返し、
賛成派を増やそうとしているようです。
案の定[[時差出勤]]と本来の[[夏時刻]]が混同され、
議論が混乱しているようです。
[895] [[政財界]]や[[報道]]では賛成意見ばかりが目立っていますし、
[[世論調査]]でも賛成する[[国民]]はどんどん増えていっていることになっています。
20世紀末の [[fj]] では賛否両論のように見えますが、
21世紀の[[ブログ]]や [[2ch]]、[[スラッシュドット]]、 [[Twitter]] のような
[[Web]] 上の[[国民]]の意見は、反対が上回っているように見えます。
声の大きな賛成派と国民との意見の乖離が、
順調なはずなのになぜか導入が進まない原因なのかもしれません。
[FIG[ [1101] [[平成]]の[[夏時刻]]推進運動の構図
- [TIME[1977][year:1977]]-[TIME[1980][year:1980]]:
[[石油危機]] → [[省エネ]] → [[通商産業省]]
-- ⇛ 効果薄予測と世論調査結果から断念
- [TIME[1988][year:1988]]-[TIME[1994][year:1994]]:
[[省エネ]]・[[ゆとり]] → [[社会経済生産性本部]] → [[省エネルギーセンター]] → [[資源エネルギー庁]]
-- ⇛ 他省庁の反対で頓挫
- [TIME[1995][year:1995]]:
[[省エネ]]・[[ゆとり]] → [[社会経済生産性本部]] → [[省エネルギーセンター]] → [[資源エネルギー庁]]
→ 参院議連
-- ⇛ 連立与党内の調整失敗
- [TIME[1998][year:1998]]-[TIME[1999][year:1999]]:
[[地球温暖化]]対策 → [[社会経済生産性本部]] → [[環境庁]] → 国民会議
-- ⇛ 政府内の反対で頓挫
- [TIME[2001][year:2001]]-[TIME[2003][year:2003]]:
生活改善 → [[社会経済生産性本部]]
-- 政界、経済界への根回しで体制立て直しの時期か
- [TIME[2004][year:2004]]-[TIME[2005][year:2005]]:
[[地球温暖化]]対策 → [[経団連]] → [[社会経済生産性本部]] → 推進議連
-- ⇛ [[郵政解散]]により頓挫
- [TIME[2006][year:2006]]-[TIME[2007][year:2007]]:
[[大韓民国]] → [[経団連]] → [[自民党]]
-- ⇛ 検討から先へは進まず
- [TIME[2008][year:2008]]:
[[地球温暖化]]対策 → [[経団連]] → [[自民党]] → 推進議連
-- ⇛ [[篠原孝]]の工作により頓挫
- [TIME[2009][year:2009]]:
[[大韓民国]] → [[日本政府]] ([[自民党]]政権・[[民主党]]政権)
-- ⇛ [[日本]]側[[政権交代]]の余波か検討進まず
- [TIME[2011][year:2011]]:
[[東日本大震災]] → 省電力 → [[経団連]] → [[日本政府]] ([[民主党]]政権)
-- ⇛ 効果否定のため実施されず
- [TIME[2014][year:2014]]-[TIME[2016][year:2016]]:
[[東京五輪]] → 猛暑対策 → [[組織委員会]] → [[日本政府]] ([[自民党]]政権)
-- ⇛ 立ち消え
- [TIME[2018][year:2018]]:
[[東京五輪]] → 猛暑対策 → [[組織委員会]] → [[日本政府]] ([[自民党]]政権)
-- ⇛ 国民総反発により断念
]FIG]
* 1970年代 (石油危機)
[821] [[石油危機]]の折[[夏時刻]]の実施が提案されました。
[1076] [[第一次石油危機]]の折、[[夏時刻]]実施の「機運が生じた」
[SRC[>>1073]] といいます。
[71]
[TIME[昭和48(1973)年10月][1973-10]]、
[[第一次石油危機]]が発生しました。
世界的なエネルギー危機となり、
[[米国]]では[[通年夏時刻]]が実施されました。
[[日本]]でもこの情勢は報じられました。[[夏時刻]]を扱った
[CITE[読売新聞]]
の記事の古いものとしては
[TIME[11月7日][1973-11-07]]の
[CITE[[[大統領]]に節約権限 米 石油緊急立法を要請]]
がありました。
[SEE[ [[石油危機]] ]]
[73]
[TIME[12月15日][1973-12-15]]の[CITE[読売新聞]]記事によると、
[[日本政府]]は[[夏時間]]実施を検討していました。
ただ記事はこの[[夏時間]]は[[夏季業務時間制度]]だと説明していました。
[SRC[>>72]]
[81]
この動きに対して労働者団体は即座に反対を表明したようです。
しかし翌年にはこの話は新聞に見えなくなりました。
海外事情紹介はちらほら続いていたものの、
半年後には米国の[[通年夏時刻]]も中止され、
以後取り上げられなくなりました。
[[第一次石油危機]]のピークが過ぎたことで、
いったん[[夏時間]]導入論は自然消滅状態になったとみられます。
[92]
欧米の[[夏時刻制度]]の動きをみた[[日本]]が[[夏季事業時間制度]]を検討というのは若干不自然なところがあります。
当時の状況をもっと詳しく検討する必要があります。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[72] [CITE[厳冬に〝夏時間〟? ―節電強化で政府検討― 始業、終業1時間繰り上げ]],
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和48年(1973年)12月15日][1973-12-15]]朝刊,
1面
]FIGCAPTION]
>
[BOX(vertical)[
長期化する石油危機を乗り切る
ため、政府は二十一日にも緊急石
油対策推進本部 (本部長・田中首
相) を開き、これまでの石油、電
力の節減を強化する一方、同日ま
でに成立の見通しである〝石油二
法〟の強権を発動する「第二段
階」の対策を決める。
その骨子は①主要産業の石油、
電力需要二〇[YOKO[%]]削減 (現在は一〇
[YOKO[%]]) ②電力使用制限令による新規
受電禁止、ネオンサインの使用原
則禁止③日曜ドライブ自粛強化に
よるガソリン消費節約④一般家庭
の節電強化――などで、早いもの
は月末から実施する。また、政府
は夜間電力節約のため時間を一時
間繰り上げる、いわゆる「夏時間」
制度をこの冬から実施することを
検討している。
「第二段階」の特色は産業界へ
の節減率を、法律を背景に大幅に
引き上げるとともに、一般家庭を
含めた民間部門の節約運動を強化
する点にある。
「夏時間」は、営業、就業時間
を一時間程度繰り上げる (午前九
時始業ならば午前八時始業) こと
で、いわば夏季の生活パターンを
冬季に行うことにある。終業時間
も一時間繰り上がるので、夜間電
力がそれだけ節約される。
]BOX]
]FIG]
- [76] [CITE[「夏時間」正式検討へ 石油2法も今夕成立 あす2次対策要綱]],
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和48年(1973年)12月21日][1973-12-21]]夕刊,
1面
;; [77] 見出しで大きく取り上げているが、内容は
[TIME[21日][1973-12-21]]の会議で検討するということだけ。
]REFS]
-*-*-
[84]
[TIME[昭和52(1977)年6月14日][1977-06-14]]、
[CITE[讀賣新聞]]
には[[夏時刻制度]]復活を求める読者
([[昭和のサンマータイム]]当時20代半ば)
投書が掲載されました。
[SRC[>>86]]
[89]
[TIME[昭和52(1977)年6月14日][1977-06-14]]、
[[日本政府]]の[[通商産業省]]は、
[[総合エネルギー調査会]]省エネルギー部会で[[サマータイム]]を提案しました。
今後予想される資源不足への対策として、
[[夏時間]]や[[週休二日制]]などの実施を目指していました。
[SRC[>>90]]
;; [91]
この頃、
労働者の[[週休二日制]]、
あるいは学校教育における[[ゆとり]]と[[学校週5日制]]といったものが提唱され、
徐々に社会的支持が広まっていく過程でした。
この後の時代に「ゆとり」創出の名目で推進される[[週休二日制]]と[[夏時刻制度]]が、
この時点で既に結びついていて、しかも省エネ目的で[[通産省]]が提案していたことが注目されます。
[87]
これ以前にも何度か海外事情の紹介が新聞に掲載されたようです。
この年[[夏時刻制度]]実施論が盛り上がってきていたものと思われます。
[1067] [TIME[1977年11月][1977-11]]の記事によると、
[[日本政府]]の[[通商産業大臣]]の[[諮問機関]][[産業構造審議会]]
(会長は[[経団連]]会長の[[土光敏夫]])
の総合部会 (部会長は[[東京大学]]の[[名誉教授]]の[[有沢広巳]])
は報告書[CITE[産業構造ビジョン実現のために: 持続的成長への課題と産業政策の方向]]
[SRC[>>1065]] をまとめ、
[[田中龍夫]][[通商産業大臣]]に提出しました。
本報告書では、「省エネルギ体系化の試案」の1つとして、
「[[サマータイム]]」が挙げられていました。 [SRC[>>1066]]
;;
[74]
[TIME[昭和53(1978)年][year:1978]]、
[[第二次石油危機]]が生じました。
[866] [TIME[昭和54年][year:1979]]、
[[日本政府]]の[[省エネルギー・省資源対策推進会議]]の
[CITE[石油消費節減対策の推進について]]において、
[[夏時刻]]の実施が検討項目に挙げられました。
[864] [TIME[昭和54年5月8日][1979-05-04]]、
[[日本政府]]の[[通商産業大臣]]の[[江崎真澄]]は、[[国会]]で、
資源節約のため検討しているが効果は薄そうだとの見解を示しました [SRC[>>863]]。
[867] [TIME[昭和55年][year:1980]]、
再び[[夏時刻]]の実施が検討されました。
[2111]
[TIME[5月][1980-05]]の報道によると、
[[日本政府]]の[[内閣総理大臣]]の[[大平正芳]]は、
[TIME[翌年][year:1981]]から5月から9月末までの[[夏時刻]] [TZ[+10:00]]
を実施することを指示しました。
実施前に[[世論調査]]を行うこととしました。 [SRC[>>2112]]
[869] [TIME[1980年][year:1980]]の[[総理府]]の[[世論調査]]では、
賛成が 42.2%、反対が 35.0%、わからないが 22.9% でした [SRC[>>868, >>1073]]。
そのため[[夏時刻]]実施の機運は熟していないと判断されました [SRC[>>1073]]。
[865]
[CITE[讀賣新聞]]
のアーカイブによると[TIME[昭和56(1981)年][year:1981]]頃まで積極的な動きがあり、
反対意見もたまに掲載されたようです。
その後はたまに思い出したように取り上げられたり、
海外事情が紹介されたりした程度で、一旦小康状態となったようです。
[88]
[[石油危機]]対策のための[[夏時刻制度]]は結局[[日本]]では実施されませんでしたが、
[[欧米]]諸国が次々と導入していく過程は[[日本]]でも報道されました。
[[欧米]]事情としては[[夏時刻]]による不便も紹介されてはいたものの、
切迫するエネルギー事情の中で、
[[欧米]]先進国が省エネのために導入した先端的制度という認識が徐々に形成されていったのかもしれません。
[[石油危機]]から少し間を置きますが、[[中華人民共和国]]と[[大韓民国]]も[[夏時刻制度]]を導入しました。
[SEE[ [[石油危機]] ]]
;; [65] 一部[[米軍基地]]では[[夏季業務時間]]が実施されました。
[SEE[ [[南西諸島の日時]] ]]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[86]
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和52年(1977年)6月14日][1977-06-14]], 朝刊5面
]FIGCAPTION]
>
[BOX(vertical)[
[BOX(center)[
[B[サマータイム復活を]]
]BOX]
[BOX(indent)[
[B[会社員・小沢 正治 [YOKO[50]]]]
]BOX]
朝五時にはもう、夜も明けき
り、牛乳や新聞配達の人たちが働
いている。この早朝の日照時間を
無為に過ごすのは、おろかなこと
であるまいか。そこでサマータイ
ムの復活を提唱したい。
国家百年の計のため、西欧でも
実施されていることだし、省エネ
ルギー問題として、真剣に取り組
んでいかなければ、二十一世紀は
日本にとって暗黒の世紀になって
しまう。
[BOX(right)[
(千葉県船橋市)
]BOX]
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[90]
[CITE[讀賣新聞]] [TIME[昭和52年(1977年)6月15日][1977-06-15]], 朝刊1面
]FIGCAPTION]
>
[BOX(vertical)[
[B[全国[SUP[一]][SUB[斉]]夏休み・夏時間]]
[BOX(indent)[
[SMALL[通産省]] 省エネルギーで提案
]BOX]
通産省は十四日、総合エネルギ
ー調査会 (通産大臣の諮問機関)
省エネルギー部会 (円城寺次郎部
会長) の初会合を開き、長期的なエ
ネルギー節約のための重点課題と
して①学校での省エネルギー教育
の実施②サマータイム制、全国一
斉夏休み、週休二日制の促進③夏
季電力ピークの引き下げ――など
を内容とする幅広い省エネルギー
国民運動を提案した。従来の節約
運動がとかく〝呼びかけ倒れ〟で
効果が上がらなかったのに対し、
具体的な方策の裏付けで省エネル
ギーの徹底を図るねらいである。
とくにサマータイム制、全国一
斉夏休みなどは、いずれも年々深
刻化している夏季の電力不足を回
避するとともに生活様式の変更を
含め根本的な対策を講じようとす
るものだ。
週休二日制の促進には、社会慣
行や生産性への影響などの面で難
問があり、ましてサマータイム制
などには、抵抗も予想されるが、
同省としては、将来のエネルギー
危機の再来を防ぐ根本策には、大
胆な発想の転換が必要だ、と考え
ており、今後同部会での検討を踏
まえて、可能な措置は、政府部内
で協議し、早急に実施に移したい
意向である。同省は、こうした国
民運動と合わせ、「省エネルギー
促進法」 (仮称) の制定や、各種
指導基準の設定による産業、家
庭、輸送など全消費部門での節約
策を進め、官民一体となった努力
で八〇年代に予想される石油先細
りに伴う〝エネルギーの谷間〟を
乗り切る方針である。
>
[SNIP[]]
今年八月中の中間
報告、年内の最終結論を目指し、
正式な検討作業を開始した。
]BOX]
]FIG]
- [1065] [CITE[產業構造ビジョン実現のために: 持続的成長への課題と產業政策の方向 - Google ブックス]]